おなじみの「檀ふみと阿川佐和子モノ」である。
すでに私の中ではこの二人のものは一つのジャンルになっているのである。
さて、本書はこれまでの二人の対談を集め、更に、二人に誰かを加えた鼎談、座談が入っていて、なおかつ「22年目の春」という新たな対談も入っているという、なんというか「豪華版」「愛蔵版」なのである。
勿論文庫本なのでちょっと古いのではあるが、彼女たちの年齢はある時期からほとんど変わっていないともいえるので、それほど問題ではない。
それにしても、まあ、よく、これほど同じような話題で盛り上がるものである。
そして、自分の役割を自覚していて、ぼけるときはぼけ、突っ込むところはちゃんと突っ込む、すばらしい、のである。
また、他の人たちを巻き込んでの鼎談・座談も二人だけのものとはちょっと違うが、ちゃんとこちらの期待に沿った「芸」を見せてくれる。
そう、この二人の対談、あるいは往復エッセイはすでに「芸」の域に達しており、従って私のなかでは、一つのジャンルとして認識をしているのである。
男と女の間の話、食べることの話、話題はそれぞれ違っていても、実は確立されている檀ふみとしての生き方、阿川佐和子としての生き方が語られており、その生き方が「潔い」というのか「風変わり」というのか、つまりは我々凡人とは違っていることが、明らかにされているから、面白いのだと思う。
お二方は私より年長であることから、今後どのような話題で語られていくのか楽しみであり、更なる「芸」の精進を望むのである。
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勿論文庫本なのでちょっと古いのではあるが、彼女たちの年齢はある時期からほとんど変わっていないともいえるので、それほど問題ではない。
それにしても、まあ、よく、これほど同じような話題で盛り上がるものである。
そして、自分の役割を自覚していて、ぼけるときはぼけ、突っ込むところはちゃんと突っ込む、すばらしい、のである。
また、他の人たちを巻き込んでの鼎談・座談も二人だけのものとはちょっと違うが、ちゃんとこちらの期待に沿った「芸」を見せてくれる。
そう、この二人の対談、あるいは往復エッセイはすでに「芸」の域に達しており、従って私のなかでは、一つのジャンルとして認識をしているのである。
男と女の間の話、食べることの話、話題はそれぞれ違っていても、実は確立されている檀ふみとしての生き方、阿川佐和子としての生き方が語られており、その生き方が「潔い」というのか「風変わり」というのか、つまりは我々凡人とは違っていることが、明らかにされているから、面白いのだと思う。
お二方は私より年長であることから、今後どのような話題で語られていくのか楽しみであり、更なる「芸」の精進を望むのである。
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