1.みずいろの雨/八神純子 1978年9月
1978年頃って、何をしていたんだろうか?
この頃のことってあまり覚えていないのである。29年前である。
この歌はよく覚えている。
きれいな声だなあと、それを生かした曲だなあと、聴いていた。
ただ、それがどのような場所で、どのようなシチュエーションで聞いていたかが思い出せない。
そしてなんだかつい最近の歌のような気がしていたのだが、もう29年も経ったのか、とちょっとショックだったりもするのである。
2.ジョニーの子守唄/アリス 1978年6月
アリスがブレイクしてそして安定してこの歌が出たんだと思う。
この歌が出た頃は、あまり気にも留めなかったのだが、だんだん、お気に入りの歌になってきた。
アリスの歌では「今はもう誰も」の次くらいのお気に入り度である。
アリスの曲は、単純な形とコード進行でできたものがいい。
この歌も、作りはシンプルである。
シンプルな作りに歯切れのいいリズムが絡んで、何度聴いてもうたっても「飽きない」歌になっている。
ところでジョニーとはどういう奴なんだろう?
そして、ジョニーとうたっている自分との関係はどういうものなんだろう?
といつも思っていたりするのである。
3.八十八夜/NSP 1978年3月
何度もいうが、NSPはデビュー前から知っていた。
天野滋の歌(詩と曲)は独特の泥臭さがすごくいい、のである。
この泥臭さは叙情派というジャンルの中でも異質である。
そして、すごく「純」だと思うのである。
評論家風に述べれば「リリカルでピュア」(ソノマンマやないか!)
さて、この八十八夜のでた1978年頃は、叙情的な歌に飽きてきた頃であった。なんというか叙情派=女々しいみたいな世間的評価に加えて、叙情派=暗いというようなところも現れてきたころだった。
それだけ有象無象の叙情派がでてきて、その中でNSPも巻き込まれてきて、NSPはいい歌を出しているのに、有象無象と一緒にされてしまった。
だから、この八十八夜はよく歌えない。
そして、この八十八夜に出てくるような女の人はもうその頃にも絶滅種に近く、その後絶滅してしまったような気がするのである。
どういう人かといえば
♪あの人の思い出に、ピリオドを打って 明日嫁ぎます♪♪
とか
♪本当はあの人に手を引かれ 一緒に歩きたかった♪
とか
♪昨日までのあの人を 忘れられないのは 私の 弱さでしょう♪
とか
♪写真が黄ばむように あの人との事も 色あせてゆくかしら♪
のようなことを思う人である。
4.シンプル・ラブ/大橋純子&美乃家セントラル・ステイション 1977年4月
この歌は、NSPとは真逆で洗練された都会的な歌である。
こういう歌が出てきたのも70年代後半の特徴である。
心地よく聴いていたのは、まるっきり自分とは異質な世界であったからだと思う。
日本語の詩なのに、外国語の歌を聴いているような感覚であった。
5.外は白い雪/吉田拓郎 1978年11月
この頃は吉田拓郎からも遠ざかっていた。
それは意識をして遠ざかっていたわけではない。
どうも「歌」というか「音楽」から遠ざかっていたのではないかと思う。
それは、いわゆるフォークソングといわれるものが下火になって、なんだか難しいコード進行で都会的できれいな声でルックスもよく、というような歌がいっぱいになってきたからではないか、と思うのである。
この歌はFMで聞いたような覚えがある。
なんだか、とてつもなく寂しい歌だなあ、と思ったのである。
詩は松本隆。
男女の掛け合い風な、つまりは「木綿のハンカチーフ」のような構成である。
そして、拓郎が女性の部分を歌うとすごく哀しいのである。
この歌を拓郎が紅白で歌ったときには、何でこの歌を歌ったんだろう?と思ったのであった。
6.雨に泣いている/柳ジョージ&レイニーウッド 1978年12月
それまでに聴いたことのないような曲である。
「ブルース」というのはどういうような曲調でどのようなものをいうのか、今もってよくわからない。
よくわからないまま放っておいたのは、ブルースに興味がなかったんだと思うのだ。
それはブルースが持つ重さみたいなものに耐え切れなかったのではないかと思う。
この歌は、ブルースとはいえあまり重くない感じがする。
そして、都会的で洗練されていると思う。
そのあたりが「ブルース」ってなんなんだと思ったところなのである。
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1978年頃って、何をしていたんだろうか?
この頃のことってあまり覚えていないのである。29年前である。
この歌はよく覚えている。
きれいな声だなあと、それを生かした曲だなあと、聴いていた。
ただ、それがどのような場所で、どのようなシチュエーションで聞いていたかが思い出せない。
そしてなんだかつい最近の歌のような気がしていたのだが、もう29年も経ったのか、とちょっとショックだったりもするのである。
2.ジョニーの子守唄/アリス 1978年6月
アリスがブレイクしてそして安定してこの歌が出たんだと思う。
この歌が出た頃は、あまり気にも留めなかったのだが、だんだん、お気に入りの歌になってきた。
アリスの歌では「今はもう誰も」の次くらいのお気に入り度である。
アリスの曲は、単純な形とコード進行でできたものがいい。
この歌も、作りはシンプルである。
シンプルな作りに歯切れのいいリズムが絡んで、何度聴いてもうたっても「飽きない」歌になっている。
ところでジョニーとはどういう奴なんだろう?
そして、ジョニーとうたっている自分との関係はどういうものなんだろう?
といつも思っていたりするのである。
3.八十八夜/NSP 1978年3月
何度もいうが、NSPはデビュー前から知っていた。
天野滋の歌(詩と曲)は独特の泥臭さがすごくいい、のである。
この泥臭さは叙情派というジャンルの中でも異質である。
そして、すごく「純」だと思うのである。
評論家風に述べれば「リリカルでピュア」(ソノマンマやないか!)
さて、この八十八夜のでた1978年頃は、叙情的な歌に飽きてきた頃であった。なんというか叙情派=女々しいみたいな世間的評価に加えて、叙情派=暗いというようなところも現れてきたころだった。
それだけ有象無象の叙情派がでてきて、その中でNSPも巻き込まれてきて、NSPはいい歌を出しているのに、有象無象と一緒にされてしまった。
だから、この八十八夜はよく歌えない。
そして、この八十八夜に出てくるような女の人はもうその頃にも絶滅種に近く、その後絶滅してしまったような気がするのである。
どういう人かといえば
♪あの人の思い出に、ピリオドを打って 明日嫁ぎます♪♪
とか
♪本当はあの人に手を引かれ 一緒に歩きたかった♪
とか
♪昨日までのあの人を 忘れられないのは 私の 弱さでしょう♪
とか
♪写真が黄ばむように あの人との事も 色あせてゆくかしら♪
のようなことを思う人である。
4.シンプル・ラブ/大橋純子&美乃家セントラル・ステイション 1977年4月
この歌は、NSPとは真逆で洗練された都会的な歌である。
こういう歌が出てきたのも70年代後半の特徴である。
心地よく聴いていたのは、まるっきり自分とは異質な世界であったからだと思う。
日本語の詩なのに、外国語の歌を聴いているような感覚であった。
5.外は白い雪/吉田拓郎 1978年11月
この頃は吉田拓郎からも遠ざかっていた。
それは意識をして遠ざかっていたわけではない。
どうも「歌」というか「音楽」から遠ざかっていたのではないかと思う。
それは、いわゆるフォークソングといわれるものが下火になって、なんだか難しいコード進行で都会的できれいな声でルックスもよく、というような歌がいっぱいになってきたからではないか、と思うのである。
この歌はFMで聞いたような覚えがある。
なんだか、とてつもなく寂しい歌だなあ、と思ったのである。
詩は松本隆。
男女の掛け合い風な、つまりは「木綿のハンカチーフ」のような構成である。
そして、拓郎が女性の部分を歌うとすごく哀しいのである。
この歌を拓郎が紅白で歌ったときには、何でこの歌を歌ったんだろう?と思ったのであった。
6.雨に泣いている/柳ジョージ&レイニーウッド 1978年12月
それまでに聴いたことのないような曲である。
「ブルース」というのはどういうような曲調でどのようなものをいうのか、今もってよくわからない。
よくわからないまま放っておいたのは、ブルースに興味がなかったんだと思うのだ。
それはブルースが持つ重さみたいなものに耐え切れなかったのではないかと思う。
この歌は、ブルースとはいえあまり重くない感じがする。
そして、都会的で洗練されていると思う。
そのあたりが「ブルース」ってなんなんだと思ったところなのである。
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