オール読物11月号の特集は「昭和がよみがえる」ということである。
何故いま「昭和」なのか?
何かブームなのであろうか?
あるいはこれからブームにしようとしているのか?
その辺の意図というのがよくわからないのであるが・・・
この特集「小説」と「読物」の二つに分かれている。
本日はその「読物」についてご紹介。
「地下鉄とヒトラー<昭和小説事件簿>」佐野洋
昭和史をたどりながら、昭和の事件を小説として扱っているものを紹介している。
例えば『地下鉄』を題材としたもの、2.26事件、阿部定事件などである。
「大下弘とセネタースの青春」矢野誠一
プロ野球の大下弘と彼が最初に所属したそしてなくなってしまったセネタースという球団のお話である。
「松川事件の14年」夏樹静子
松川事件というのは、松本清張の書いた「日本の黒い霧」というので読んで知ったのであるが、今回これを読むと、当時のマスコミは最初逮捕された人たちが真犯人ということで報道をしていたようであるし・・・つまりは社会の空気というものみたいなんだろうと思う。
「紅白歌合戦と阿久悠の魔法」山川静夫
「昭和映画史ベストテン」長部日出雄
映画の紹介については、リアルタイムで見た映画ではないので、そうなのかなあ、という感想で当然であるが、リアルタイムで見ていた阿久悠についても、そうなのかなあ、という印象なのである。
今回、これら一連のものを読んだ感想としては、ある人から見ればそれは「昭和」に違いないのだろうが、そうでない人にとっては「そうでもない」んだとおもうのである。
ところが、このように書かれると、何故か社会全体がそういうふうに思っていたように勘違いしてしまうのではないだろうか。
例えば阿久悠についても、関心のある人にとっては阿久悠の詩が日本を覆いつくするようであったと思っているだろうが、多くの人は「その詩も阿久悠だったんだ」という感想であると思う。
社会の空気を伝えるというのは難しいんだろうと思うのである。
もろもろの事件や出来事が絡まりあって「社会の空気」が出来ているのであって、なおかつマスコミがそのあたりを誘導しているカンジもある。
だからこういう特集というのはある意味「勘違い」を誘発するものではないかと思うのである。つまりオール読物の主観的な『昭和』を紹介しているのであって、これが全てではないということである。
このあたりは自分がリアルタイムで感じることが出来た「阿久悠」について書かれてあることを読んだからいえるのであって、そういう意味では「オレも年取ったよなあ」という確認でもあったのである。
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あるいはこれからブームにしようとしているのか?
その辺の意図というのがよくわからないのであるが・・・
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昭和史をたどりながら、昭和の事件を小説として扱っているものを紹介している。
例えば『地下鉄』を題材としたもの、2.26事件、阿部定事件などである。
「大下弘とセネタースの青春」矢野誠一
プロ野球の大下弘と彼が最初に所属したそしてなくなってしまったセネタースという球団のお話である。
「松川事件の14年」夏樹静子
松川事件というのは、松本清張の書いた「日本の黒い霧」というので読んで知ったのであるが、今回これを読むと、当時のマスコミは最初逮捕された人たちが真犯人ということで報道をしていたようであるし・・・つまりは社会の空気というものみたいなんだろうと思う。
「紅白歌合戦と阿久悠の魔法」山川静夫
「昭和映画史ベストテン」長部日出雄
映画の紹介については、リアルタイムで見た映画ではないので、そうなのかなあ、という感想で当然であるが、リアルタイムで見ていた阿久悠についても、そうなのかなあ、という印象なのである。
今回、これら一連のものを読んだ感想としては、ある人から見ればそれは「昭和」に違いないのだろうが、そうでない人にとっては「そうでもない」んだとおもうのである。
ところが、このように書かれると、何故か社会全体がそういうふうに思っていたように勘違いしてしまうのではないだろうか。
例えば阿久悠についても、関心のある人にとっては阿久悠の詩が日本を覆いつくするようであったと思っているだろうが、多くの人は「その詩も阿久悠だったんだ」という感想であると思う。
社会の空気を伝えるというのは難しいんだろうと思うのである。
もろもろの事件や出来事が絡まりあって「社会の空気」が出来ているのであって、なおかつマスコミがそのあたりを誘導しているカンジもある。
だからこういう特集というのはある意味「勘違い」を誘発するものではないかと思うのである。つまりオール読物の主観的な『昭和』を紹介しているのであって、これが全てではないということである。
このあたりは自分がリアルタイムで感じることが出来た「阿久悠」について書かれてあることを読んだからいえるのであって、そういう意味では「オレも年取ったよなあ」という確認でもあったのである。
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