山口六平太は「すごい」ヤツであるが、見かけがジャガイモである。
だから、いいんだと思う。
56巻にもなって、課長・今西も係長・有馬も代わらないというのもすごい。
そして、総務部総務課にかかる色々な事件がおきるのもすごい。
さて、すごい、の連発はこれくらいにして、何故、山口六平太を読むのか?
ということであるが・・・
六平太はいつも「総務のモットーは公平」といいながら、実は、事件の対応は公平ではなくて、それぞれの事案に応じて臨機応変、柔軟な対応なのである。
今西課長はそれを「融通無碍(ゆうづうむげ)」と評している。
まったく六平太は自由なのである。
その自由さがよくあこがれて、それで六平太のファンになるのである。
今は規則や公平や平等に縛られすぎである。
公平や平等というのは入り口のことであって、それぞれの問題や事件への対応はその人物や事件や問題に応じたものが必要なんだ、ということを六平太は言いたいのではないだろうか。
有馬係長はとんでもないヤツで非道である。しかし、有馬係長こそ現代を表していて、彼こそがもっとも我々に近いのであるということも、自覚しなければならない。
そういう意味でも付録として2話収められている「有馬係長」も面白い。
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だから、いいんだと思う。
56巻にもなって、課長・今西も係長・有馬も代わらないというのもすごい。
そして、総務部総務課にかかる色々な事件がおきるのもすごい。
さて、すごい、の連発はこれくらいにして、何故、山口六平太を読むのか?
ということであるが・・・
六平太はいつも「総務のモットーは公平」といいながら、実は、事件の対応は公平ではなくて、それぞれの事案に応じて臨機応変、柔軟な対応なのである。
今西課長はそれを「融通無碍(ゆうづうむげ)」と評している。
まったく六平太は自由なのである。
その自由さがよくあこがれて、それで六平太のファンになるのである。
今は規則や公平や平等に縛られすぎである。
公平や平等というのは入り口のことであって、それぞれの問題や事件への対応はその人物や事件や問題に応じたものが必要なんだ、ということを六平太は言いたいのではないだろうか。
有馬係長はとんでもないヤツで非道である。しかし、有馬係長こそ現代を表していて、彼こそがもっとも我々に近いのであるということも、自覚しなければならない。
そういう意味でも付録として2話収められている「有馬係長」も面白い。
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