トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

3年ぶりにトルコへ行って来た

2024-02-06 16:59:50 | 日記
今日の実家地方☀️☀️☀️
年末年始2週間ほどトルコへ。
墓参り、
自宅の整理等ありまして行って参りました。誰も読んではいないとは思いますが、備忘録として残します。





早朝にイスタンブールに到着も
国内線デニズリ行きの乗り継ぎが悪く
イスタンブール市内を観光することと
なりました。念願のフュッレムハマムへ行きました。
そして、三年ぶりのチャイ、パン美味しかった😁


これこれ、トルコの日常が健在で
嬉しかった。










デニズリへ到着
機内食のチキンとチーズのホットサンドが
美味しくて感動🥺写真無いけど。


空港には義姉夫婦がお出迎えしてくれ、
パムッカレではなく、甥っ子の新しい家があるデニズリへ直行しました。そして、甥の息子くんが大歓迎してくれました😭




デニズリ滞在は息子くんの部屋を
貸してもらえました。




こんなに可愛い息子を残してこの世を去らなけれならなかった甥。どんなに無念だったことか。本当に代わってあげたかった。
今回の目的の一つでもある
35歳の若さで病死してしまった甥、
夫、義父母の墓参り。






叔母の家のゴルも元気でした😃


姪の子供達も元気いっぱい。
3年ぶりのせい?人気者となり
嬉しかった。


姪の自宅から気球が見えました。



大晦日はSnowManのYouTube 配信があるからと、姪に懇願し、居間を独占し、大画面で堪能させて頂きました。姪の子供達は私が鶴の恩返しのように閉じこもっていたのが気になって仕方がなかったようです😁


義姉宅の野良ニャンズ


庶民の味方であったピデも、物価高騰で手軽にお肉が食べられないようで、サイコロステーキとチーズのピデがメニューに無く、ひき肉&チーズで我慢しました🥲


İsaが大好きだったケバブ❤️



ケントがパピーだった頃に、ネットで購入し、母に送ってもらったベット。
結局、ケントは一回しか使わず😭

野良猫のために、改造しました。



近所のレストランのゴルも母となり、
親子でレストランの看板犬となったようです。


ケントと良く散歩した公園






İsaと良く行った温泉♨️

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カラハユット





公証役場での一コマ
日本なら違和感ありますが、ここはトルコ🇹🇷アルアル





ジャポンゲリン会(日本人嫁)
も開催しました!




義姉を始めとする姪、亡くなった甥の嫁、
滞在中のおもてなしに感謝です。トルコ時代からいつも味方になってくれて大きな支えになっています。本当にありがとう😭




まだまだ、トルコでやらなければならないことが残っていまして、それが済んだら晴れてトルコ🇹🇷卒業という意味でブログを消そうとしていましたが、まだまだ終わらないみたい😅ここまでお付き合い下さりありがとうございます😊次回はいつかわかりませんが、またねー👋
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お盆とケント

2021-08-16 18:03:24 | 日記
今日の実家地方

8月とは思えないほど涼しく、室内温度21度

今日はケントの誕生日。
昨年13歳間近で天国へ旅立ったケント。生きていれば14歳でした。

私の無知のせいで、寝たきりケントを苦しめてしまいました。
ずっと悔やんでいます。でも、看取らせてくれたことに感謝です。
一生ごめんね、ケント、そしてありがとう、ケント


ケントの遺毛でやっと似顔絵?を完成させました。
似ても似つかず非常に難しかったです


私にとって18年?19年?ぶりのお盆でした。



先週は前半は40度近い猛暑だったのに、何でしょう?この寒暖差は😲
寒くて毛布を引っ張り出し、長袖で着用です。

世界中で自然災害が起こり、甚大な被害が出ています。
これから毎年、記録が更新されて行くのでしょうね。
繋がれたままだったり、小屋に入れられっぱなしの動物が心配です。




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オヤジの形見

2021-06-29 15:40:18 | 日記
今日の実家地方




オヤジ(亡き夫のこと)が所持していたiphone6を私が使っている。
オヤジが初めてiPhoneを手にしたとき、子供のようにはしゃいでいた。
就寝中に着信音が鳴り、オヤジは爆睡私は目が覚めイライラ

引きこもり生活中、携帯は不要。
いざ働くとなると、携帯番号が必要なので、
スマフォを買う予定だ。

前々回の記事でiphone 12 pro max希望なんて書いちゃったけれど、
実際問題、高額なので素早く断念。
今の私には型落ちしたiphone で十分である。

そんなこんなと考えていたら、なんと、久々にオヤジ(亡き夫)が立て続けに夢に登場🎵
オヤジのiphone6を手放す気はないし、トルコの銀行アプリ、防犯カメラが入っているので
これからも使うよ。

先日、オヤジの誕生日があり、昨年は日本で誕生日ケーキを用意したけれど、→こちら★
今年は、甥の引越し祝いも兼ねて、オヤジ用に寄せ植え、
甥家族用に観葉植物をインスタで注文し、贈った。

甥家族へ引越し祝い


オヤジの誕生日用

甥には2歳児がいるので、危険かも



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食堂no思い出①

2021-04-09 16:59:29 | 日記
今日の実家地方

食堂では色々な国のツーリストが来店してくれましたが、
ときどき、アジア系の客との会話が嚙み合わないこともありました。
それが、否定疑問文

日本語で、味噌汁は好きではありませんか?の答えは
好きじゃないーーーーーーーはい、好きではありません
好きーーーーーーーーーーーいいえ、好きです


トルコ語も英語もフランス語も、NOはNO

Don't you like miso soup?
好きじゃないーーNo, I don't.
好きーーーーーーYes, I do.

アジア系の人たちとの会話は英語だけれど、
韓国人も日本と同じらしく、
否定疑問文で質問すると、英語ならNOとすべきところを
Yesと答える人が多く、よく混乱しました。なので、確認のために肯定疑問文で聞き直しました。
たまに中国系の人も否定疑問文の場合は噛み合わないことがありました。

だったら、最初から否定疑問文なんて、使うなという話ですね。
はい、すみません💦

日本人もうっかり、日本語の癖でNOのところをYesを使ってしまう習慣が
あるようですが、否定疑問文が来たら、否定を無視して普通の疑問文として
捉えると、頭がこんがらないらしいです。

逆に欧米人が日本語を習得しようとすると、
この辺りがネックになっていそうですね。





石灰棚&ヒエラポリスの入場料がまた値上がりし、120TLだそうです。
ドルユーロと連動するから仕方ないのでしょうけど、恐ろしやトルコのインフレ





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ご報告

2020-09-04 14:30:34 | 日記
今日のパムッカレ













2009年から始めた
ラム子のロカンタ(食堂)を閉店しました!
もしかしたら、復活するかもという含みを残しておこう。

タイミング的にはコロナと被ったけれど、
コロナのせいじゃない。

トルコでは、事業をするにあたって、
二つの営業許可証が必要であり、
一つは税務署関連、これは
食堂の名義は夫で、夫亡きあと私が引き継いだのだけれど、

もう一つは、べレディエ(市役所)からの許可証。
当初、義兄と共同経営だったので、名義が義兄の会社のまま。
共同経営解消後、夫は税務署関連を自分の名義に書き換えたものの、
このべレディエ許可証を取るのはかなりハードルが高かったので
そのままにしていたのだ。

そして、夫の両親が立て続けに亡くなり、余計に相続がややこしくなった。
税務署関連を義兄の会社に戻すことは、他の法定相続人のサインが必要となるわけだ。
ところが、義兄達同士で相続バトル勃発で、許可証名義統一が厳しくなった。

ラム子の名義にはならないのか?
デニズリ県ではべレディエ許可証の外国人名義を認めていない。
(それに対して、私の会計士は、市長を訴えろ、そして弁護士は
市長の弁護士を雇えと、とんでもない提案をしてきた
トルコでの裁判は懲り懲りでちゅ。


元村長の手先となり、私たちに数々の嫌がらせをして来た公安警察が
自治体再編に伴い、元村長が退いたこともあり、夫急死後、私にいろいろ便宜を図ってくれ
名義問題を見逃してくれていた。

ところが、今年になって、名義問題が厳しくなったようで、
もしも、他の担当者がガサ入れしてきたら、多額の罰金を
払うことになるかも知れないと、社員から日本にいる私に報告があった。
ノミの心臓の私はビビり、とりあえず、休業することにした。

それを決めた数日後、今度はコロナ禍で政府の号令で強制休業となったのだ。
社員には、3月分の給料と退職金(これは私がトルコに戻った後)を出し、
泣く泣く雇い止めにした。(後々、トルコも社員の給与補償を打ち出したけれど、
日本と同様、観光客が半年後に元に戻るという保証はないのだ)

というわけで、コロナのおかげ?で、
私は意外に閉店に追い込まれたことに対して落ち込んではいない。

もしも、コロナが無かったら、通常にツーリストがいて、
それを指を咥えて見ていたかと思うとぞっとする。
自分の運命をしこたま呪っていたはず。

日本で休業を決めたときに、トルコに戻って
食堂収入が無くなり、ケントにひもじい思いをさせないためには
どうしたらいいか悩んでいたので、このタイミングでケントは
自分から身を引いたのかとも考えてしまう。

あと、何年先になるかはわからないけれど、
食堂の土地建物が晴れて私の名義となり、
私の理念に賛同してくれる人が見つかった暁には
その人にラム子の食堂を託したいと考えている。

売却も考えたが、ケントのお墓を食堂の裏庭に作ると決めたときに
私がトルコと日本を往復出来る限り、売却の選択肢はない。
そもそも、ケントの墓地のために、ここを購入したといってもいい。



というわけで、
2009年から、多くの人にご愛顧いただき、ありがとうございました。
6月末を以ってラム子のロカンタを閉めました。
特に日本人を始めとする各国の駐在員の皆様には
こんな私の素人料理(近年は厨房は従業員に任せ、プロデューサーに徹していた)
のために通っていただき、本当にありがとうございました。
(パムッカレはレストランのレベルが低過ぎだから、
ひたすら真面目に作っていた私が評価されたと思っています)

ブログを通して、来店した下さった方もたくさんいらっしゃいました。
心から感謝申し上げます。

2009年から試行錯誤の10年ちょい、メニューも
お客様の声を参考にし、何度も変え挑戦して来ました。
お客様の喜ぶ顔が見たくて、半分暇つぶしだったけれど、
ライフワークとなりつつあったので、志半ば、無念と言えば
無念かな?

夜遅くまで後片付けに追われた日々でも、
ケントがいつも傍にいたから頑張れた。いつもケントが私の視界にいてくれた。




でも、もういない。そして健康にも自信がない。
だから、これで良かったと自分で納得しています。
(根性無、忍耐力無、諦めも早い性格は時にして
自分にとって、都合のいいように作用するのかな?)


【拾った言葉】
いつか終わる。

夏の花火も散る。
綺麗な桜も、やがて散る。
すべては夢うたかたのごとくなり、だ。

生物だけではなく、それが機械であってもいつか壊れる。
何事にも永遠などないのだ。

だから、「いつか終わるものだった」と納得させるしかない。
この寂しさ、喪失感。
それを納得させることから始めたい。
引用先https://samurai20.jp/2020/08/abe-shinzou/










そうだっ、ブログのプロフィール、何て書き直そう。
食堂閉鎖に愛犬もいないし、書けることないじゃんかよー







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捨てられたゴル。゚゚(´□`。)°゚。ワーン!!

2020-08-24 14:09:37 | 日記
今日のパムッカレ

最近、首輪無のゴルがウロウロしているのを発見!
どうやら、餌をくれる人を追い求めて、徘徊していたものの、
ある食堂に落ち着いたみたい。

そのゴルがまた、ケントそっくりで、
遠目から見たとき、心臓が飛び出そうだった。

毛色、貧相な被毛。






近所の人に尋ねると、飼い主は不明らしい。
飼い主がいたら、絶対に探すだろうし、
1歳くらいの犬なので、自分の家へ戻るはずなのが、
餌をくれる食堂のオーナー一家に居ついて、
2週間が経つそうだ。

残念ながら、そのオーナー一家は、借家だから、
飼えないとのこと。
食堂にいるときに、ご飯をあげているらしいが、
パンは食べないのよね~と嘆いていた。

コロナ禍で、ツーリストも皆無な状況で、
幼児を抱え、犬を飼う余裕があるとは思えない。

みんな私が引き取るのが一番だと勝手なことを口にする。
私も捨てゴルを目の前にしたら、
心は揺れるけれど、冬には日本へ帰国するつもりだから
無理と言った。

その捨てられたゴルを取り巻く人々は
みな違う名前で呼んでいた。

で、井戸端会議の末、ケントにそっくりという理由で、
ケントと統一された。
(そうすれば、私が引き取ると思っているのかも

若いオスゴルだから、すぐ飼い主が見つかりそうだけれど、
それにしても、どうして捨てるかな。

赤ちゃんゴルは、もう可愛くてしょうがない。
動くぬいぐるみだ。
飼い始めたはいいが、成長するにつれ、吠える、トイレなど、
理想と現実に戸惑い、手放したと想像する。

ここは暑いけれど、乾燥しているので、
日陰は涼しい。
問題は、冬。雨が多いのだ。

ケントのように、パピー時代から、
犬用湯たんぽをあてがわれ、冷暖房完備で過ごして来た犬と
違って、極寒とはならないパムッカレなら
大丈夫かな?

うちの階下に私が外出中にケントが雨風が凌げるようにと
屋根を作り、犬小屋(これは昨日売っちゃった)も用意した。
結局、ケントはそこで過ごすことは無かった。
(以前、大雨が降り、ケントはどうするのかと
防犯カメラで見守っていたら、ケントは雨宿りに
近所のレストランへ駆け込んだのである

そこに置いてあげてもいいけれど、
食事もセットとなり、つまりは私が飼うことに繋がる。
そうなると、私は日本へ気楽に帰れないし、
あと10年、体力的に自信が無い。


早く優しい飼い主さんが現れますように・・・



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天国のケント、13歳になりました!

2020-08-22 14:42:36 | 日記
今日のパムッカレ



8月16日はケントの誕生日(推定)








事情があって、2個目のケ〜キ


ケントの1歳の誕生日




ケント2歳の誕生日
ケント、あちこちで喧嘩しまくり、何針も縫う怪我をし、2度目の全身麻酔手術のときに
ついでに去勢手術をしてもらった。

攻撃的な性格から穏やかになったものの、
去勢したことにより、肥満も加わり、
尿道が狭くなったことで、結果的に尿毒症を併発させ、苦しめてしまった。
ゴメンね、ケント。

去勢する時は病気知らずの若い時、
老犬になったときのことも考えないとね。
総合的に避妊手術は妥当だったと思っているけれど、
将来的に起こりうるリスクも
考慮して体調管理に万全を期すべきだった。






ケント3歳の誕生日








ケント4歳の誕生日


趣味のペットボトルの収集が功を奏し、数回、テレビの取材を受けたね。




(無断で)勝手にポスターに起用されたっけ。


ケント5歳の誕生日


ケント6歳の誕生日


ケント7歳の誕生日


ケント8歳の誕生日





 
ケント9歳の誕生日


この年、まさか父ちゃんが死んじゃうなんて、夢にも思わなかったね。







ケント10歳の誕生日








ケント11歳の誕生日



ケント12歳の誕生日






去年がケントと共に祝った最後の誕生日となってしまった





























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上書きされた悲嘆

2020-08-09 21:13:14 | 日記
皆さま、ケントと私へたくさんの温かいお言葉をいただきまして、
心から御礼申し上げます。

本来ならば、お一人お一人に返事をしたいところなのですが、
どうか、お許しください。

喪失感、虚脱感、後悔、自分への怒り、思慕が一気に
やって来ました。

近所の子供たちもお墓参りをしてくれ、号泣してくれました。
近所の人たちもケントは私を待っていたと。


友人がケントは食堂の看板犬だけではなく、
パムッカレの看板犬でもあったとメッセージを
寄せてくれ、感激しました。

ケントは村の人からも愛され、散歩に行くたびに
ケント、ケントと声をかけてもらいました。

13年間の犬生、世界中のツーリストから撫でてもらい、
可愛がってもらいました。
最期、辛い思いをさせてしまいましたが、
ケントは幸せな犬生だったと思っています。

いつものお散歩コース、人造池に私は一人で行ったことがありません。
そういえば、石灰棚もいつもケントと一緒でした。
なので、しばらく一人で行けそうにありません。

どこへ行くのも一緒。イズミル、フェティエ、カシュ、ファラリア、ボドゥルム、オリンポス、
カッパドキアも行きました。
ケント無の夏のバケーションは考えられず、ケント抜きのときは
100パーセント楽しむことが出来ませんでした。

日本への里帰りもいつも後ろ髪引かれ、断腸の思いでした。
ケントはお空に行ってしまったけれど、
今は私の心の中にいます。

夫が先日、珍しく夢に登場しました。
その晩、私は神様が夫、母、ケントのいずれかに
会わせてくれるなら、迷わずケントを選ぶと思ったからかな?
夫が嫉妬して出て来たのかも?

日本から帰国した私を見て、ケントは尻尾を振ってくれなかった。
私を忘れてしまったのか?意識が混沌としていたのか?
分からないけれど、あのいつもの笑顔を遂に見せてくれることは
無かった。

一瞬だけ、笑顔のようなケント

帰国した翌日から壮絶な闘病生活が待っているとは
夢にも思いませんでした。

13日間、私は尽くしたけれど、最期の日、私も力尽きてしまいました。
ケントの横に寝ないで、ソファベッドに横たわってしまい、
ケントの呻き声で目が覚め、最期に立ち会うことが出来たのは
本当に幸運だったけれど、ケントの傍で擦ってあげなかったことが
一生悔やまれます。


ただ、これは母のときも同じで、この苦しむ姿がいつまで続くのか
想像つかなかったし、たまたま、最期を見届けることが出来ました。
自分のシャワーもトイレも、まだ逝かないでくれと祈りながらの日々でしたから。

ケントの笑顔を見ることは叶いませんでしたが、
皆さんのおっしゃる通り、4か月、母ちゃんを待っていてくれたケントに
感謝し、供養して行こうと思います。

ケントの最期、4か月間、寂しい思いをさせ、全力で守ってあげられなかったけれど、
13年前、授かったときから、ずっと大切に大切に育てて来ました。
夫より大事にしていたと断言出来ます。

夫と共に生きた13年間、ケントとも13年間でした。
ケント、ありがとうね。
そして、ケントの成長記録を兼ね、ブログを始め、
多くの方と繋がることが出来たことを改めて感謝します。
ブログはまだ、不定期ですが、続けようと考えております。


この笑顔に会いたかった

母はイサに会ったら、殴ってやると言っていたので、
今頃、ケントがイサを殴ろうとする母を一生懸命に止めに入っているかな?
ケントの特技はゴミ拾いの他、喧嘩仲裁だったから。
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ケントが旅立ちました

2020-07-25 12:51:39 | 日記
ご注意下さい!
記事の中に
気分を害する画像が含まれております。


ケントが真夜中の1時15分永眠しました。
その二時間ほど前、激しくお腹を動かし
苦しそうにしていたので、
夜間診察してくれる動物病院に
連絡し、モルヒネ、安楽死でもお願いしようかと
考えているうちに、少し落ち着きました。

その後、ソファで横になっていたところ、ケントの声で
目が覚め、顔を近づけると、息を引き取ったのです。





大急ぎで、軽く湯灌をし、ケントが暑い夏を越せるようにと持ってきた大型の保冷剤を敷き、
予め凍らせておいたペットボトルを数本ケントの身体に置きました。
そして、エアコンをガンガンに付け、朝になってから、
家族を呼び、埋葬の儀に入りました。




イナバのチュール大好きだったのに、少ししか食べられなかったね。


また散歩に行って、アイス食べたかったね。

お世話係くんも加わり、彼が頑張って掘ってくれたお墓に入れて貰いました。





自主隔離生活が終わったら、お花を買って植えるからね。

ケントは来月16日が誕生日でした。
いい加減なブリーダーだったので、
正確な誕生日は不明で、私が譲り受けた日から40日逆算した日を
誕生日としたのです。

12歳11カ月で犬生を終えました。
コロナ禍で、何度もフライト延期となり、
もしかしたら一生会えないかもと不安だったので、
再会出来たこと、ケントが頑張って待っていてくれたことに、
感謝です。

私の一番の願いが叶いました。
ケントをトルコで看取るということです。
飼い主としての責任を果たす事が出来、ホッとしています。

夫と死別後、 精神的に不安定でしたが、
私にはケントを最期まで見届ける義務があるのだと
その一心で生きて来れました。

ケントの屈託のない笑顔で私はどんな言葉より慰めてもらったことか。
私の全てと言っても過言ではありません。
ケントに幸せにして貰いました。

この13日間、ありがとう、ゴメンねを
何回言ったかな。
何万回謝っても足りないね。

3月16日の、ラストフライトに搭乗しなかったことを
批判されても弁解の余地はありませんが、
隔離先のイスタンブールで感染したくなかったし、
(実際スルーだったみたい)
私にとっては、両親もケントと同じように
大切でした。

ですが、母には、ケントには私しかいない、母にもしものことが
遭っても、私はケントのところへ行くと伝えてあり,
母も納得してくれました。

だから母は、危篤になっても、トルコに戻るようにと
私を諭してくれました。
しかし、実際、私はケントも元気そうだったし、
1週間延期したのです。

コロナ禍でツーリストも消え、お店も閉まり、
街中の雰囲気がガラッと変わってしまいました。
その異変に気づき、私はいないしで、
不安で堪らなかったのでしょう。

時折、自宅に向かって吠えていたそうです。
想像するだけで胸が張り裂けそうです。

私にもしものことがあったら、ケントを野垂れ死にさせてしまう、
だから、遠隔で、ケントを見守っていました。

パムッカレに戻り、感動の再会を楽しみにしていましたが、
それは叶いませんでした。


そして、もう二度と一緒に散歩に行くことは
出来ませんでした。

帰国した翌日から、まさか壮絶な闘病生活が待っていたとは
夢にも思いませんでした。
2週間の自主隔離生活がもうすぐ終わるころに、
ケントは役目を終えたとばかりに
旅立ったのです。

ありがとう、ケント。
Seni çok çoooook seviyorum 😘

これまで、ケントの回復を祈って下さったり、
応援して下さった皆様に心から感謝しております。
本当にありがとうございました😊
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腎不全末期

2020-07-20 16:17:20 | 日記
今日のパムッカレ☀️☀️☀️

再検査をしたところ、 クレアチン(腎臓の働きが正常か?)が14、8から18、3に上昇していました。
(基準値0.4〜1.4)

尿素窒素(腎臓機能)は前回、今回と同じく140mg/dl
(基準値9.2〜29.2)

ケントを動かせないので往診を依頼しました。


箸が欲しいと言うので、診察に使うのかと思いきや、
家で箸を使いたいから、譲って欲しかったらしいです。😅
怒りより笑えました😂

こういう日本では不謹慎だとされることもトルコではアリです。





ケントは母と同じように、時間を稼いで
私に心の準備をさせてくれているようです。
苦しむ姿を見せて、生へ未練を断ち切らせ、
介護をさせる事で、一生懸命に世話をしたという既成事実を作らせ、
私が悔やまないようにと。(あっという間に死んじゃった夫という前科者がいますからね!)

お世話係くんから逐一報告をうけていたにも
関わらず、ケントを病院へ行かせるタイミングを逃し、結果ケントを
苦しませてしまいました。ごめんね、ケント。
そして、お世話係くんにも負い目を感じさせてしまいました。


母と同じく顔艶も良く、目を開けて寝息を立て、水だけを欲しています。
ただ違うのは、母は痛い、安楽死をさせてと叫んでいたこと。

ケントはどうなのかな?
口内炎が酷く何も食べられません。
夜は吐き気で何度も半身起き上がります。




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母からケントへの手紙

2020-07-17 22:17:58 | 日記
今日のパムッカレ☀️☀️☀️

ケントは火曜日から寝たきりになり、吐き気を催し、苦しんでいたので、
明け方を待って、点滴をしてあげました。
すると、少し気分が良くなったのか、吠え始め、
立ち上がろうとするのを介助したら、ふらつきながらも
屋外へ出て、排尿をし始めました。
排尿が出来たというのは、腎臓機能がゼロでは無いということで、
一縷の望みを持ちました。 排尿が出来なかったのでお腹がパンパンに
張っていたのでした。

翌日も私が目を離した時に、歩いて
トイレに行ったようでした。
カメラで確認。

昨日、獣医さん、看護師さんが往診に来てくれました。
明日、再度血液検査をします。





ところで、 母が生前、 ケントへの手紙を書き留めていたようです。
母は去年、死の淵を彷徨っていた時に、ケントの編みぐるみを
抱きしめながら、ケント、ケントと叫んでいたようです。

私がお世話係くんから送られて来る動画を毎日楽しみにしていました。
そして、ケントに会いたかったと呟いていました。
私も会わせてあげたかったです。

手紙の内容から母は夢の中でケントと会っていたみたい。
ケントが母の元へ出掛けていたようです。😁







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トルコに戻りました!

2020-07-14 14:48:46 | 日記
今日のパムッカレ☀️☀️☀️

4ヶ月ぶりのパムッカレです。
トルコ航空日本便再開のニュースに一喜一憂し、
延期のメールが来る度に打ちのめされの繰り返しでした。

そして、7月のフライトが確定し、
当初の成田便が欠航となり、
羽田便に変更したのも束の間、
今度は母の容態が悪化し、1週間寝たきりとなり、
その後、危篤状態となり、私はフライトを当日キャンセルしました。
その翌朝、私は母を看取る事が出来ました。

母は4年半闘病生活中、入退院を繰り返し、
自宅にて81歳の人生の幕を閉じ、 今は痛みから解放されました。

母が癌の宣告を受けたのは、夫と死別したころです。
私にこれ以上、悲嘆を味あわせないようにと頑張ってくれたのだと
思います。 母は寂しさを抑えながら、ケントの元に早く帰りなさいと言ってくれました。
姉も4ヶ月間看病したのだから充分、 今回のフライトを逃すと
まだトルコへ戻れないかも知れないからキャンセルするなと、
背中を押してくれました。

しかし、 母の死に目に会えないのは、一生悔いが残りそうで、
キャンセルに踏み切りました。
母は私の意を汲み取ったかのように、私の前で息を引き取りました。

2月5日に義母を見送り、3月5日日本に向けて出発しました。
日本滞在中、 従兄弟の伴侶、 叔父、 そして母との別れを経験しました。

当初、チケットの日程等で後悔のドン底でしたが、
結果的にこれで良かったと、珍しく私の判断が正解だったと、
ホクホクでした。

が、しかし!

トルコに戻り、私の命よりも大切なケントの病が進行していました。
去年よりも重篤な腎不全です。
私が来る前は普通に歩いていたようです。
私を待っていてくれていたのかも知れません。
あとどれくらい一緒にいられるか分かりませんが、
一瞬でも長くケントの傍にいてあげたいです。

ケント、ごめんね。
待っていてくれてありがとう。


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誕生日でした

2020-06-26 21:17:01 | 日記
今日の実家地方

まだ、日本デス。

残りわずかになった日本生活。
動画配信サービスでドラマ見たり、
フリマアプリで小遣い稼ぎしたり、
本もたくさん読んだりし、
充実した自粛生活だった。

昨日25日はISAの誕生日






ネットでアレンジケーキを注文した。
冷凍だし、味は期待していなかったけど、
流石日本のケーキ美味しかった。

8月のケントの誕生日は一緒にお祝いできますように。





ところで
コロナによって多くの人生が狂わされたと思う。
私にとっては、ケントのことが心配で眠れない日々を送ったわけだけれど、
4ヶ月両親と過ごせたし、 今後の事もじっくり考える事が出来た。

佐藤富雄先生の口癖の法則という本を読んだ。

【今の現状は過去の言葉や考え方の積み重ねの結果。
     未来は今の言葉や考え方の積み重ねの結果】

未来は自分で変えられるのだ。
まだまだ何万回と落ち込むだろうけれど、
もう一回挑戦してみたくなった。
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決意が揺らぐ

2020-04-12 16:06:25 | 日記
先日、決死の覚悟で、
布マスクの上に使い捨てマスクを付け、手袋をし、
アルコール除菌液を携帯し、いざ病院へ!

緊急事態宣言のあった自治体にある病院でしたが、
かなり患者がいたので、緊張しました。
無事に薬を手に入れることとなりました。

二箇所の病院で診察拒否され、
救いの手を差し伸べてくれた病院の皆さん、
感謝の気持ちで一杯です。

考えてみれば、トルコにいたら、
手に入らなかったかも。
日本では考えられないですが、
トルコは、薬が在庫切れって
たまにあるのです。

フライトがキャンセルになるとは思わず、
先月、友人にトルコの薬局に問い合わせてもらいましたが、
在庫が無いとの返事でした。


さてさて、
毎朝、体重計に乗り、
今日こそは、今晩こそは、絶対に夕飯は食べないぞと
決意するも、夕飯の用意をするのが自分なので、
つい誘惑に負けてしまいます。😓

トルコなら我慢出来るのに!
早く帰りたいわ。
ケント〜😭




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パムッカレ ビフォアー アフター

2020-04-06 13:40:08 | 日記
世界遺産に登録されている石灰棚、ヒエラポリスは、
今は閉鎖されています。

石灰棚の前にある、ケントの散歩コースの池は
水が抜かれています。

以前の様子




沢山の鴨達、そして、人間の憩いの場所でした。

今は、、、







😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭


20歳以下は外出禁止となり、お世話係くんはケントを連れて散歩に
行くことが出来なくなりました。

毎日、ビデオ通話していますが、
みんな顔が丸くなり
トルコ人の運動不足が懸念されます。
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