トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

帰って来ました!

2016-12-21 16:38:07 | 日記
今日のパムッカレ

トルコさみー

日本の家は日差しが入り、日中は暖房要らず。

塩抜き生活中(薬のせい)なので、毎日たらふくとは
言えずも、二日おきで、頂いた。
体重は2キロ増量。

昔は感じなかったけれど、豚肉が美味しい。

日本でたくさんの愛と優しさを貰って来た。
もうすぐ、50になるというのに、親というものは
生涯、子供を愛しんでくれるのね。
有難や~

私は4人兄弟の末っ子。
上の3人はしっかりしていて、
私だけ、いつまでたっても、親を心配させている。
私がいつでも、日本へ完全帰国してもいいように
整えてくれている。

高齢の自分たちの面倒を看て欲しいというわけでもなく、
ただただ、私のために。
そして、私が納得出来るまで、イサの供養をしてあげて欲しいと、
言ってくれた。

ごめんね。もう少しだけ、トルコに居させて欲しい。
イサの思い出いっぱいのトルコに浸り続けたいんだ。
私のライフワークとしていた食堂も手放したくない。

今日、ツーリストが、この食堂があって助かった、
と言ってくれた。(旅行者はトルコ料理に飽きている人が多い)

イスタンブールもカッパドキアも旅行者対象に展開していたアジアン料理レストランを
閉めてしまったところが多いらしい。






可愛くねー












父が趣味で始めたミカン




マイルが貯まっていたので、ビジネスクラスにアップグレード。
成田のラウンジで、豚骨ラーメン。意外にちゃんとしたラーメンでびっくり。
オイシカッタ


機内で緑茶。味は今一つだったけれど、急須が出て来たのには感動。さすがビジネスクラス



時々、私が悲しそうな顔をしていると、イサのことを思い出しちゃった?
と聞かれるけれど、仕事に集中しているときと寝ているとき以外はイサのことを偲んでいる。
死別を経験した人じゃないと分からないもんだ。

こう書くと、死別経験者以外は私の気持なんて分かるはずはない、
と非経験者を排除しているように聞こえるけれど、
そんなことはない。

私だって、死別を経験してやっと死別経験者の気持が理解出来たもの。
分からなくたって当然だ。

出産を経験したことのない人に、陣痛の苦しみが分からないのと同じ。

私は今まで、死別経験者の前でどんな態度を取っていただろうかと
反省している。


どなたかのブログから拾った言葉だけれど、
一人じゃないけれど、独り。

みんなみんな優しくしてくれるけれど、
それぞれ家族がいる。
私は独り。この孤独感と悲しみは一生続く。
時間が少し解決してくれるのだろうけれど、
このポッカリ空いた穴は誰にも埋められない。
唯一、イサが復活してくれたら埋まる。
日本に帰り、両親の元にいたときは、まるで巣に戻ったヒヨコの気分だったけど。
両親もいつまでも生きているとは限らないから、巣立ちをしないといけないね。

自分の心を楽にする方法は、
故人が喜ぶことをするのがいいそうだ。

今の私に出来るのは、イサの両親を大切にすることと、
食堂を続けることかな。


拾ったパンを美味しそうに頬張るケント。トルコの野良犬でさえパンを食べないのに!!

昨夏に食堂でバイトをしてくれた高校生のオスマンくんに、
夜ケントの傍で寝てくれるよう頼んだ。しっかりケントの面倒を看てくれた。
最初の晩、ケントは自分の寝床に帰りたい!とワンワン吠えたらしいけれど、
二日目からは問題なかったみたい。

食堂の社員もケントに朝夕のご飯そしてオヤツをあげてくれた。
ケントが二人に寄って行く姿を見て、ちゃんとしてくれたんだと
安心したと同時に感謝でいっぱい。ありがとう!!



大忙しの12月

2016-12-07 18:36:53 | 日記
今日のパムッカレ

昨日は病院へ行って来た。
国立病院の予約が毎回満員御礼で、入れられず。
もう一度ネットで検索したら、個人クリニックを発見!
保険適用じゃないので、自費250リラ(日本円で7,500円だけど、気分は25,000円也

それでも国立病院へ予約無で行った場合、2日間は要するので、
背に腹は変えられずと、そのクリニックを予約。
パムッカレ大学病院の近くにあるので、どうやら教授は日中は大学病院に勤務し、
16時以降、個人クリニックで診察しているみたい。

明日から日本。
10日ほどの滞在。両親を安心させるために帰る。
私不在中、ケントのことは万全の体制で臨むつもりだけれど、
どうか、ケントに何も起こらず、無事に再会出来ますように。
夫のことも、ケントのように気を遣ってあげたら、死なずに済んだろうな。

ケントを数か月ぶりに洗った。バスルームの前に連れて来たら、すぐにシャンプーだと気づき、
逃げ回っていたケント。

22日は裁判所。多分、相続の件は、まだ決定は下されそうにないな。
来年に持ち越されそうな予感。

25日は夫のメウルットと呼ばれるいわゆる法事がある。
2,000人近くの食事を用意する。
たまたま、25日は日曜日で、香港から帰国する義弟に合わせたけれど、
25日はキリストの降誕祭。イーサは英語名でイエスキリスト。
偶然だけど、嬉しいな。

食堂は営業している。
私がいなくても、社員がしっかり切り盛りしてくれるので安心だ。





いつも日本へ帰国するときは、イサが国内線の空港まで送迎してくれた。
イズミルだったり、ここ数年はずっとデニズリだけれど、
いつも送ってくれ、イサは床屋さんに行き、そして迎えに来てくれた。
今年はイサがいない空港に降り立つのか・・・。
もう一度、一緒に日本へ帰りたかった。

ケント今年6回目の癲癇発作

2016-12-04 16:36:44 | ケント
今日のパムッカレ

昨日、夕方16時ごろケント、今年6回目の癲癇発作発生。
前回は10月26日、夜。

昨日は快晴。
なので、低気圧とは関係ないのかも?

昨日は、食堂の買い出しをしに、デニズリに一人で行った。
みんなに一人で行くな、クルマで行けと言われたけれど、
一人が気楽。夫以外の人を待たせて買い物をするのは気が引けるんだ。
夫が死んでからデニズリに一人で行くのはこれで2回目。

ランチはおひとり様バーガーキング。
夫不在で食べるのは初めてかも。

いつも2種類のバーガーキングを注文し、夫と取り替えっこをしていたっけ。

帰り、デニズリからパムッカレ行のバスに乗るのに、
停留所を間違えて、パムッカレ行のバスが通らないところで
ずっと待っていた私。途中で、人に聞くも遅し。
なんだかんだで1時間も無駄に過ごしてしまった。

で、パムッカレに到着し、家まで一直線の道を歩いていると
甥や近所の子供たちが集まって、私を見るや否や、
早く来いと手招きをしていた。ケント!と言う声が
聞こえ、大急ぎで走って向かうと
ケントが荒い息遣いで、伏せをしていた状態だった。



すぐに癲癇発作だとわかったけれど、
既に発作が治まったところだった。

みなケントが坂を転がり落ちるのを目にして
驚いたようだった。近所のおじさんは
ケントが車に轢かれそうにならないように
ガードをしていてくれたみたい。

私は子供たちに、ケントは癲癇発作があるから、
こんなときは、ケントを撫ぜてあげてね♪と
お願いした。

ケントのためにも、近所づきあいは大切に、
子供たちには怒鳴らず、優しくしておこうと、心の中で誓った。


ケント、私が発作時に傍にいなかったもんで、怒っていた。ごめんね~。
母子家庭だから、母ちゃん、働かなきゃいけないんだよ。
でも、道草していたから、帰りが遅くなっちゃったんだもんね。ごめんなさい。