トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

ケント、日本のお偉いさんに撫ぜてもらう

2018-05-29 23:01:12 | 日記
今日のパムッカレ

ケントはトルコのワンコたちの中で一番、
世界中の人から撫ぜ撫ぜしてもらっているんじゃないかな。
そして、ケント目的で食堂を訪れる旅行者も多い。

ところで、
少し前に、インスタントラーメン、卵かけご飯に永谷園のお茶漬けを得意とする私のところへ、
ラム子の食堂開店以来、一番VIPなお方が食堂を予約してくれた。
お忍びでお越しになられたようなので、お名前は伏せます。

親子丼をご注文くださったけれど、ホンダシ入りのなんて、初めて口にしたんじゃないかしら?

ケントは、シャンプー前だったので、悪臭を放っていたときでもありましたが、
犬が好きなんだよ、と仰り、撫ぜてくださいました。
もちろん、臭いですよ!と、お断りを入れましたけどね。

ただ、女好きなケントは、不遜な態度を取っておりました。



ところで、実は私も有名人なんですよ。
え?どこで?

はい、手術した病院で!

エレベーターやら廊下で、
医療関係者らに

『あなたラム子でしょ?』って、
数回声をかけられた。

産婦人科病棟、多くの患者は2,3日で退院する。
私もその予定だった

だから、看護師さんたちは名前と顔なんて、いちいち覚えていられない。
ところが私の場合は、他の科を巻き込んだ手術だったために
2週間近く入院していたのだ。

それに加えて、外国人だから、余計に印象深かったのだろう。
ちょっと泣き喚いたりもしたけれど、
病院内では、問題児では無かったはず、と
回顧してみたが、心当たりは無かった。

Acl Hayat ~苦い人生

2018-05-28 01:55:37 | 日記
今日のパムッカレ

2年前、近所に住む若い女性が妊娠し出産した。
ところが、新生児はわずか二日で突然死した。

あれから、彼女は妊娠し、臨月を迎えたときに
彼女と道端で会った私は、無事に出産出来ますようにと
声をかけた。

彼女はニコって微笑んで『インッシャラー(神様が望むなら)』
返事をしてくれた。

そして、私が義姉宅で療養中に、無事に出産したという朗報が届いた。
私は心から祝福した。

入院中に冗談で購入し、病室のドアに飾った『ようこそ、赤ちゃん』の装飾を
プレゼントしようかと思ったけれど、夫と死別し、
次々に病気を患っている不幸の塊のような私から、しかも、おニューではなく、
病院から持ってきたものなんて、縁起悪いと思い、やめた。

そして、赤ちゃんはすくすく育ち、1か月を迎えたばかりだというのに、
先日、またも突然死してしまったのだ。

彼女にかけてあげられる言葉が見つからない。

トルコ人がよく死別者に『どうしようもないんだよ』『運命なんだよ』という言葉は
口が裂けても言えない。それは死別者が前向きになるとき、なったときに感じるべきことである。

人間は誰もが死ぬ、そんなことは理屈ではわかっているけれど、
出口の見えないトンネルに置き去りにされたように、孤独になり、
前を見ようとしても、涙で何も見えないのだ。

自分だけがどうして苦しいのか、この苦しみを断ち切りたいけれど、
自殺する勇気はない。生きていくしかないのだ。

ある人から、自分は伴侶や子供を失っても、自分の人生を楽しみたいんだと
言われた。だから、私が生きていたくないという気持ちが理解出来ないようだ。
実際、かけがえのない愛する家族を失ったら、その人は自分の口にした言葉を思い知るだろう。

私は自分のために、料理はしない。誰かが食べて喜んでくれることが励みだから。
お金もそう。誰か困っている人がいたら、手を差し伸べてあげたい。

彼女は、今、自分の命に代えても守りたかった我が子を二人も失った喪失感で、苦しんでいる。
そして、私のように、すべて終わりにして無になりたいと思っているかもしれない。
でも、いつか、若い彼女が誰かのために生きたいと思える日が来ることを
願って止まない。


坊ちゃんとお世話係の物語 最終章にしとく

2018-05-08 19:15:36 | 日記
今日のパムッカレ

物語というか、ほぼお世話係の愚痴になっておりますが、
ご了承ください。


トルコ航空事件とは、日本から帰国した際に、荷物が盗まれたと喚いていたところ、
実際には、荷物は別のスーツケースに仕分けしていたことが判明。危うく、トルコ航空に対して
保険金詐欺をするところであった。

掃除機のフィルターが無くなったというか、お世話係が間違えて捨てたと確信していたが、
実際は冤罪だった。なので、お世話係は、ずっとそのことを根に持っているのだ。















坊ちゃまとお世話係の物語 第四章

2018-05-05 00:04:22 | 日記
昨日のパムッカレ

余程楽しい日々だったのか、腹いせなのか、わかりませんが、
お世話係が何枚もの画像を送ってくるので、掲載することにします。



親愛なる、お世話係様、
私は入院のご褒美はこれまで、減量だったので、体重が増えることはありませんでした。
恩人である、あなた様を疑うだなんて、そのような罪深い人間ではございません。


母ちゃん、日本で食い倒れ生活で、3キロ増。そして、入院前に3キロ戻し、
医療ミスで5キロ増え、その後、10キロ減った。
親孝行しに日本へ行ったのか?食べ納めだったのか?ご想像にお任せします。










腹切りへの道(備忘録)(長文)

2018-05-04 00:39:01 | 日記
今日のパムッカレ

昨年11月の手術の結果が悪く、1月、パムッカレ大学病院の主治医から子宮全摘を宣告された。
手術後2か月安静しなければいけないので、まずは日本でプチ親孝行をして、
帰国後手術を受けることにした。

なので、高齢の両親には、内緒にしている。

そして、3月、全摘覚悟で、いざ、大学病院を受診した。
ところが、主治医から、意外な言葉が発せられた。

主治医『全摘しなくても、いいんじゃない?様子見するとかさ・・・』

私『え?でも、先生は1月の時点では、癌になる可能性があるので全摘したほうがいいと、
  おっしゃいましたよね?』

主治医『うーん、忘れちゃったなあ・・・』

私『はっ?』

大学病院だから、たくさんの患者を診ているでしょうし、私のことを忘れてくれても
構わないけれど、検査結果のデータに基いて診断を下したんじゃないの?

同じデータを眺めているのに、診断が変わるのか?
准教授!あなたが執刀したんじゃありませんか?

で、また、検査をする羽目になり、その結果が3週間後とのこと。
私の准教授に対する不信感が募ったことは言うまでもない。

実は1月の子宮全摘の告知を受けた後にデニズリ市内にある私立病院に
11月の大学病院での手術の結果を持って、セカンドオピニオンを求めたことがあった。
その医師は初診から1か月半後に電話予約した際、私のことを覚えてくれていた。

物腰の柔らかい40代前半の医師は、図面でわかりやすく説明してくれ、
子宮全摘手術を薦めた。
私は覚悟を決めて、その私立病院のドクターに子宮全摘手術を託すことにした。

手術は1時間半を要したようで、なんと、7年前にパムッカレ大学病院で
子宮筋腫を取り除くための開腹手術を受けたときに
杜撰な縫合をされていたらしく、癒着した内臓を
見て、手術スタッフ全員、びっくり仰天したそうな。
今回の子宮全摘手術は困難だった模様。

今になって思えば、7年前、退院後、受診したが、
エコーで確認するわけでもなく、
私が何も問題ないようですと
答えただけで終了したのだった。

もう、大学病院は懲り懲りだわ。
トルコの医療はもはやビジネスと化し、
まるでホテルかのような私立病院が乱立している状態である。

国立、大学病院の医療費はトルコの健康保険に加入していれば、ほぼ無料である。
11月の手術の際は、1泊の個室料金、手術費用を合わせて、6千円程度だった。
私立は、それなりに負担することとなる。

そういえば、大学病院で7年前と去年の2回、手術を受けたわけだけれど、
いずれも、麻酔から覚醒するにあたって、寒いところに放置されたり、
意識が朦朧とする中、無理やり着替えさせられたりと、かなり過酷であった。

今回、私立では、病室で自然に目が覚めた。
やはり、これも私立と大学病院の差なのか!!










私立病院は、極力リスクを避け、健康に関して金を惜しまないトルコ人の間で
需要があるというわけが理解出来た。

今回の入院は3日間程度のはずが、結局、5日間となった。
大学病院でも、5日間から1週間と言われていた。
入院時に手術、入院費用を一括で支払ったが、
3日が5日となっても、追加料金は取られなかった。

毎日、大量の水分摂取、じゃんじゃん歩くように促されていた。
訳も分からず風船を膨らますこともさせられた。←多分、酸素を取り入れさせるため

そして、5日後、大量の処方薬とともに退院した。
ところが、翌々日の日曜日の朝、突き刺さるような胃痛に襲われ、
救急外来を訪れる羽目となった。

日本人の私の胃はトルコの薬は強すぎたみたい。
数時間、胃が楽になるという点滴を受けて、
自宅に戻った。

翌日、再診時にCTスキャンをして、
腹水が確認され、お腹に針を刺し、腹水を抜きますよ~と
にこやかに言われ、もうまな板の鯉状態。
肉厚があったせいか、アヂュヨル(痛い!)と叫ばずには居られなかった。
ナイフで刺されるのはもっと痛いんだろうな。


そして、あれよあれよと、緊急手術となった。
何時にランチを取ったかとしきりに聞かれたが、
胃痛だったので、大して口にしなかったのが幸運だった。
手術中、内容物が逆流すると危険なんだそうな。

5か月間に、3回も全身麻酔を受けたということになる。

2回目は腹腔鏡手術だったらしく、1時間で終了し、
目が覚めたときは、3度目の病室だった。

前回と違い、開腹箇所とへその右側にお腹から血や膿を排出するドレイン(管)が
二つついていた。尿道カテーテルも復活し、右手首には、点滴の針が!!
腹膜の中にリンパ液、血液、尿などが、洩れることを防ぐ処置をしたとのこと。
5日後退院も、尿道カテーテルは10日間、血液や膿を排出するドレインは4日間つけたままだった。

1回目の手術後、5日間入院していたわけだけれど、
なんと、退院後、5キロも体重が増えていたのだ。
ついに16年目にして日本製体重計がぶっ壊れたのだと確信したものの、
腹膜にリンパ液などが溜まってしまい、体重が増えていたのだろう。

主治医は、私が体重5キロ増えたんです!と言っても、そんなことないと笑って
真面目に受け止めてくれなかった。

私は、20代から入退院を繰り返し、そのたびに体重は減っても増えることは
なかったのだから。

今回、病院側にミスがあったようで、病室代は徴収されたが、
2回目の手術代、治療費は免除されたようだ。

大学病院のように、切りっぱなしではなく、
ちゃんと術後のケアも責任を持ってくれているようだ。

主治医は毎日、何度も病室を訪れ、気にかけてくれ、
自分が出張の際には、早朝5時に顔を出してくれ、
他の医師に引き継ぎをしているから安心するようにとも言ってくれた。
なので、散々痛い思いをさせられたが、許そう。



子供も授かることも出来ず、夫に先立たれた寡婦の私以外、
大半の病室は、新しい命の誕生で、幸せいっぱいだった。

失う前には気づかず、失くした後に気づいた幸せ。
無いものばかりに目を向けず、
今あるものを大切にしなきゃ。
日本では私の帰国を心待ちにしてくれる家族がいる。
そして、トルコでは、いつも全力でサポ―トしてくれる義姉家族がいることを
忘れてはいけないのだ。