今日のパムッカレ
3か月ほど不正出血が続き、診察を受けたクリニックの女医さんから、
癌の疑いがあるから、
早急に大学病院に行くように指示があり、
パムッカレ大学病院を予約した。
画像はどこからか、お借りしました。
自宅から車で30分ほどのところ。(今、あちこち、道路工事真っ只中なせいで、1時間近くかかることもある)
大学病院では、教授クラスの医師が担当し、
一部診察料を徴収される。122リラ(4,000円ほど)
とすると、数時間で20人近い患者を診れば、かーるくトルコ人の
一か月分の給料が入ってくるんだな
それでも、私のような自営業者は時間も大切なもんで、
国立病院のような丸一日がかりになるよりは、有難い。
私を診察した大学病院の医師は、深刻ではないけれど、
飛行機に乗るなら、
一刻も早く手術をしなければならないと言う。
手術日は二日後の木曜日となった。
火曜日に、問診、レントゲン、血液尿検査、心電図など
手術に必要な検査を一通り終えた。
手術は木曜日だけど、前日の水曜日の夜には
点滴を開始するので、前夜から病院へ行かなければならなかった。
当日、ケントに別れを告げるものの、ケントは
車に乗り込もうとし、頭だけドアの中へ出し、なかなか車から離れることはしなかった。
断腸の思いだった
部屋は追加料金100リラ(3,000円)で個室も可能だということで、
喜んででアップグレードした。
実は、6年前の子宮筋腫手術のとき、
出産直後の頭のおかしくなった女性と同室にされ酷い目に遭ったからだ。
こっちは、翌日の手術で子宮全摘出になって、一生子供を授かれない体に
なるかもしれない患者と赤ちゃん同室って
日本はどうなのかしら?
配慮無さすぎ。これ6年前のことね。
ま、どのみち、妊娠すら出来なかったのだけど。
病院側は空きベッドがあれば、病状関係なく、患者を入れるようである。
個室は付き添い用にソファベッドがあり、ちゃんとシーツ、枕も。
テレビにトイレはもちろんシャワー完備。
産婦人科は通常二人部屋で、トイレもシャワーもあるようだ。
ただ、付添人用のベッドはなく、足のリクライニングついた
一人用ソファがあるだけ。
100リラで、義姉が横になって休めるなら安いもんだ。
夜中の12時から点滴を開始するから、それまで何を食べてもよいと
言われ、階下のカフェで、ケーキを買い、義姉とティータイム
夫が生きていたら、3人で、手術前夜とは思えないくらいに
楽しいひと時だっただろうな。
夫が一緒だったら、ずっと私の手を握って、『ダイジョウブダイジョウブ』と、声をかけてくれたはず。
あの分厚いゴツゴツした夫の手、未だに感触は覚えている。
万が一のことがあったらと、遺書を書くことにした。
トルコ在住歴の長い羊飼いさんに
連絡し、翻訳を手伝ってもらった。まあ、公的なものじゃないにしろ、
私の意思が尊重されることを祈って。
手術前夜、同じような手術をする患者が4人いると告げられ、
私が何番目で何時になるかなど、教えてもらっていなかった。
前夜からの点滴のせいか、腹痛が激しくなり、出血もあった。
そんな中、もしかしたら、トップバッターだったのかな?
朝10時に手術着に着替えてと言われ、待機するとことなった。
義姉が手術室前まで、見送ってくれた。
ああ、6年前は夫も一緒にいて、手を振ってくれたんだっけ。
オペ室は、6年前とは違う。同じパムッカレ大学病院でも
場所が違ったし。前回は初オペで初全身麻酔で恐怖に震えていた。
さすがに2回目となると、手術への心構えは出来ていた。
6年前は、執刀医や看護師さんたちが、私の緊張をほぐそうと
冗談を言い続けていたが、今回は、この患者、トルコ語出来るの?と
みんなヒソヒソと話している。丸聞こえですよ!
はーい、これから麻酔かけまーす、と点滴から注入され、
一気に夢の中へ。その時だったか、翌日だったか、夫が夢に出てきたのだ。
手術の朝、姪(義姉の娘)からメールが来て、isaが墓から出てきて、
ラム子の手術は成功するよ、と姪に話したらしい。
姪のところにやたらと出没する夫。なんで私のところへ来ない?
そして、一時間ほどで手術が終了し、私は廊下で目が覚めた。寒くて目が覚めたのだ。
どうやら覚醒させるために、寒いところに放置されていたみたい。
あれ?6年前とは違う。実は6年前の子宮筋腫の手術のときと
今回は時期的に同じなのだ。
ブルブル震えながら、病室へ戻った。
そして、パジャマに着替えて、横になった。
前回はかなり朦朧としていたのは、腹切りだったから麻酔が強かったのかな?
朦朧としているのに、癒着防止とか言われて、
無理やり歩かされたっけ。
里帰り間近に控えて、私とケントの病院通い。
私の病気にしても、ケントのにしても
日本滞在中の出来事ではなくて良かった。
私の日本滞在中、ケントに何もありませんように・・・。
3か月ほど不正出血が続き、診察を受けたクリニックの女医さんから、
癌の疑いがあるから、
早急に大学病院に行くように指示があり、
パムッカレ大学病院を予約した。
画像はどこからか、お借りしました。
自宅から車で30分ほどのところ。(今、あちこち、道路工事真っ只中なせいで、1時間近くかかることもある)
大学病院では、教授クラスの医師が担当し、
一部診察料を徴収される。122リラ(4,000円ほど)
とすると、数時間で20人近い患者を診れば、かーるくトルコ人の
一か月分の給料が入ってくるんだな
それでも、私のような自営業者は時間も大切なもんで、
国立病院のような丸一日がかりになるよりは、有難い。
私を診察した大学病院の医師は、深刻ではないけれど、
飛行機に乗るなら、
一刻も早く手術をしなければならないと言う。
手術日は二日後の木曜日となった。
火曜日に、問診、レントゲン、血液尿検査、心電図など
手術に必要な検査を一通り終えた。
手術は木曜日だけど、前日の水曜日の夜には
点滴を開始するので、前夜から病院へ行かなければならなかった。
当日、ケントに別れを告げるものの、ケントは
車に乗り込もうとし、頭だけドアの中へ出し、なかなか車から離れることはしなかった。
断腸の思いだった
部屋は追加料金100リラ(3,000円)で個室も可能だということで、
喜んででアップグレードした。
実は、6年前の子宮筋腫手術のとき、
出産直後の頭のおかしくなった女性と同室にされ酷い目に遭ったからだ。
こっちは、翌日の手術で子宮全摘出になって、一生子供を授かれない体に
なるかもしれない患者と赤ちゃん同室って
日本はどうなのかしら?
配慮無さすぎ。これ6年前のことね。
ま、どのみち、妊娠すら出来なかったのだけど。
病院側は空きベッドがあれば、病状関係なく、患者を入れるようである。
個室は付き添い用にソファベッドがあり、ちゃんとシーツ、枕も。
テレビにトイレはもちろんシャワー完備。
産婦人科は通常二人部屋で、トイレもシャワーもあるようだ。
ただ、付添人用のベッドはなく、足のリクライニングついた
一人用ソファがあるだけ。
100リラで、義姉が横になって休めるなら安いもんだ。
夜中の12時から点滴を開始するから、それまで何を食べてもよいと
言われ、階下のカフェで、ケーキを買い、義姉とティータイム
夫が生きていたら、3人で、手術前夜とは思えないくらいに
楽しいひと時だっただろうな。
夫が一緒だったら、ずっと私の手を握って、『ダイジョウブダイジョウブ』と、声をかけてくれたはず。
あの分厚いゴツゴツした夫の手、未だに感触は覚えている。
万が一のことがあったらと、遺書を書くことにした。
トルコ在住歴の長い羊飼いさんに
連絡し、翻訳を手伝ってもらった。まあ、公的なものじゃないにしろ、
私の意思が尊重されることを祈って。
手術前夜、同じような手術をする患者が4人いると告げられ、
私が何番目で何時になるかなど、教えてもらっていなかった。
前夜からの点滴のせいか、腹痛が激しくなり、出血もあった。
そんな中、もしかしたら、トップバッターだったのかな?
朝10時に手術着に着替えてと言われ、待機するとことなった。
義姉が手術室前まで、見送ってくれた。
ああ、6年前は夫も一緒にいて、手を振ってくれたんだっけ。
オペ室は、6年前とは違う。同じパムッカレ大学病院でも
場所が違ったし。前回は初オペで初全身麻酔で恐怖に震えていた。
さすがに2回目となると、手術への心構えは出来ていた。
6年前は、執刀医や看護師さんたちが、私の緊張をほぐそうと
冗談を言い続けていたが、今回は、この患者、トルコ語出来るの?と
みんなヒソヒソと話している。丸聞こえですよ!
はーい、これから麻酔かけまーす、と点滴から注入され、
一気に夢の中へ。その時だったか、翌日だったか、夫が夢に出てきたのだ。
手術の朝、姪(義姉の娘)からメールが来て、isaが墓から出てきて、
ラム子の手術は成功するよ、と姪に話したらしい。
姪のところにやたらと出没する夫。なんで私のところへ来ない?
そして、一時間ほどで手術が終了し、私は廊下で目が覚めた。寒くて目が覚めたのだ。
どうやら覚醒させるために、寒いところに放置されていたみたい。
あれ?6年前とは違う。実は6年前の子宮筋腫の手術のときと
今回は時期的に同じなのだ。
ブルブル震えながら、病室へ戻った。
そして、パジャマに着替えて、横になった。
前回はかなり朦朧としていたのは、腹切りだったから麻酔が強かったのかな?
朦朧としているのに、癒着防止とか言われて、
無理やり歩かされたっけ。
里帰り間近に控えて、私とケントの病院通い。
私の病気にしても、ケントのにしても
日本滞在中の出来事ではなくて良かった。
私の日本滞在中、ケントに何もありませんように・・・。