トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

パムッカレで垢すり、マッサージ♪

2019-02-26 16:15:37 | 日記
今日のパムッカレ

主治医から温泉等は1か月後とのことだったので、
そろそろいいかなと、ハマム(トルコ式公衆浴場)で、垢すりとマッサージ(別室)を
お願いした。

実はパムッカレで、ハマム体験は初めてだった。
いつもは、カラハユットという隣の町か、他の温泉地でしか
やったことが無かった。

お値段のお手頃だったので、もしも、満足出来る内容だったら
毎週通うと決めていた。

で、結果は、

最初に塩サウナに案内されたが、
全然、温度が低くて、入っている意味が無いような・・・。

お次は普通のサウナ。ここはちゃんと暑かった。

そして、ハマムに行き、寝かされ、いわゆる垢すり、
その後、別室でマッサージ。

施術者はインドネシア人。
上手い!
ツーリストによくお薦めのハマムを聞かれるんだけれど、
彼女だったら、絶対にお薦め出来る。

コネで安くしてもらえたし、マッサージも気持ちよかったので
毎週通うことにした。隣町だとバスに乗らないと
いけないけれど、ここは自力で行ける。



ついでにマッサージ前にプールを使わせてもらえるようになった。
こんなんだったら、仕事を頑張って身体を疲れさせなきゃ勿体ないような気がする。
それで、また具合悪くなったら、周囲に迷惑をかけることになるので、
ほどほどにしますが
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入院備忘録 その2

2019-02-25 14:35:28 | 日記
今日のパムッカレ

手術日は木曜日と決まっていて、その前日に入院する予定だったけれど、
検査の結果、感染症が発覚したので、急遽、4日前倒し、
日曜日から入院となった。

当初個室を希望していたものの、満室のために、願いは叶わず、
でも、二人部屋で、8か日間中、3日間だけ隣に患者がいただけ。
おかげで、付き添いの義姉が隣のベッドでゆっくり寝ることが
出来た。

パムッカレ大学病院というか、主治医のインフォームドコンセントはしっかりしていた。
渡された承諾書には、手術に伴う後遺症がきっちりと
英語で書かれてあり、主治医兼執刀医の教授が病室まで来て、
成功率であったり、後遺症が起きる可能性もきちんと私が理解出来るまで
説明してくれた。

このドクターは評判がいいらしく、私立の主治医も太鼓判を押していたし、
待合室の患者からも、お薦めされた。
また、イズミル(トルコで3番目に大きな都市)からや
遠方からも患者がいた。

トルコで5回目の手術(うち3回は大学病院)でしたが、
これほどしっかりしたインフォームドコンセントは初めてだった。

というか、他が酷すぎた。

医療ミスの私立病院では、全く説明なし。
ただ、サインを求められただけ。

今回の手術は、日本でも難易度が高く、成功率の低いものとされ、
敬遠する医師が多いとのこと。
この稀な後遺症で苦しむ患者のブログを読み漁り、
成功率の高い医師に辿り着いたものの、もしも、日本で手術をするには、
半年以上、日本に留まらないといけない、それは命より大事なケントのとことを
考えると、排除しなければならない選択肢だった。

イスタンブールの有名病院も選択肢として考えたが、私には物理的に
無理だった。

自分で調べたり、イスタンブールの友人から情報収集したり、
悩みに悩んだ末、
私立病院が紹介してくれたパムッカレ大学の教授は、この手術の経験もあり、
ネットでその論文も発見したので、その教授に懸けることにした。

今回、8日間の入院だったわけだけど、稀な手術とあって、関係する科や
医学生、インターンが毎日のようにやってきた。
教授から私の話を聞いてくるようにと指導があったとか。

入院グッズは日本から抜かりなく調達し、、そして、暇つぶし対策も心得ており、
WIFIも使えたし、意外に楽しかった8日間でしたわ。

ご飯も手術当日以外、通常食で、朝食は残念だったけれど、
ランチと晩は美味しく、毎回楽しみだった。

それに、何を食べても良かったので、
同室の人と一緒にティータイムも盛んだった。

手術当日、朝7時半にお迎えが来たものの、私の準備が出来ておらず、
8時半に手術室に運ばれた。

大学病院とあって、手術室がたくさんあり、
私の他に次から次へと、患者が運ばれて来た。
さながら、工場の搬入搬出を見ているようだった。

前日、病室に来た女子学生が、弱気になっている私を励まし、
手を握ってくれた。
当日はギャラリーが多かったんだろうな。

本当に目覚めることが出来るのかと、
5回目の手術であっても、怖気づいた。

実は前夜、夫が夢に出て来たのだ。
夫が私の夢に登場するのは、殆どない。
頑張れってことなのかな?
そうだね、ケントを看取る役目があるんだから、生きなきゃ。
頑張れって言われても、頑張って欲しいのは、執刀医の皆さんだけどね。

9時に全身麻酔薬を投与され、あっという間に意識が朦朧とした。

そして、目が覚めたときには、11時半くらいで、
予想通り、寒い部屋に放置されていた。
術後、覚醒し、急変されたときのために、病室にはすぐには
戻さないのだろうか?

病室へ戻る順番待ちで寝かされている患者のうめき声が
あちこちから聞こえた。私もせん妄だったのか?
何か喚いていた記憶がある。

私立病院では、病室で、気持ちよく目覚めたのと正反対に、
大学病院での3回の術後はいずれも寒気との闘いだった。

今回、同室の方が私より先に手術をし、
術後、数本ペットボトルにお湯を入れ、それを
湯たんぽ代わりにしていたのを見て、
私も同じようにさせてもらった

もしも、個室だったら、そんなアイディアをもらえなかったので
ラッキー。

すぐに手術着から着替えたかったけれど、
出血があるから、まだ安静にしているようにとのことで
そのままにされた。


大学病院での手術費用は、超レアな症例プラス
執刀医、麻酔医ともに教授だったせいか、
その二人への報酬が高く、
私立並みに請求された。

前年度の大学病院での手術入院費用が200リラ(4,000円)だったので、
それを少し上回る程度だと思っていた。

それにしても、合併症が判明した5月から、手術日まで
苦痛で、いわゆるQOL生活の質が
著しく害された7か月間だった。
後遺症が更に違う後遺症を呼んだ。
出費も嵩んだ。

手術を終えて、2か月経ち、今のところ、異常なし。
執刀医からは、3か月以内に再発も無きにしも非ずだけれど、
問題ないでしょうとのこと。

それでも、再発を恐れて、1年は戦々恐々の日々を送らないと
いけない。

これが残りの人生、最後の手術となって欲しいものだわ。

ケントは私が入院しているとき、ケントも細菌に感染し、病院で治療を受けた。
ケントの耳に異変が起きれば、私の耳もおかしくなる。私たちは一心同体ね。
ケントが病気になるのは、自分がなるより、辛い。
お願いだから、ゴミ箱を漁らないで!







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入院備忘録 その1

2019-02-23 18:08:27 | 日記
今日のパムッカレ

忘れないうちに備忘録を残しておくのだ。

昨年12月、日本からの帰国後、パムッカレ大学病院で手術入院した。
手術予定日前に感染症が発覚し、急遽、4日前倒しして、入院することになった。
一体、何回手術してんだか・・・。

4月に私立病院での婦人科系の手術の際の医療ミスで、
非常に稀な後遺症を負ってしまった。
命に危険が及ぶものではないので、冬になるのを待ってから
手術をすることに決めていた。

4月に行われた手術は本来大学病院で予定していたものの、
主治医への不信感から、急遽、私立病院へ変更したのだ。

ところが、私立病院での手術ミスで、後遺症を負い、
大学病院へと逆送という皮肉な結果となった。

トルコでは、至れり尽くせりの私立病院がもてはやされているようだけれど、
デニズリのような中規模都市では、所詮、大学病院ほどの
人材、施設を超える私立病院は無いのだと思う。
この辺の私立病院は、大学病院からヘッドハンティングをしているようだけど。

私立はいいとこ取りし、手に負えないと分かると
大学病院頼みだという印象。
私が私立病院の専用車で丁寧に送り届けられたときも
他の私立からの転院患者が数人いたから。

私立に決めた理由は、
私も1度くらいはセレブ気分を味わいたいものだという
浅はかな考えと、
大学病院では、5日から1週間の入院に対し、
私立では、3日で済むということだった。
そして、他の人からの推薦があったのだ。

ま、蓋を開けてみれば、5日間+再入院5日と
なってしまったわけだけど。

日本での私の症例では、損害賠償を勝ち取った人がいる。
中には、ショックで自殺した人もいる。

もちろん、トルコで、手術の承諾書にサインをしたわけだし、
裁判に訴えるというようなことはする気はない。

日本でも同じのようで、
みな、真実が知りたいのだ。
それを変に隠し立てしようとするから
ややこしくなる。

生死に関わることで無ければ、
大半の患者、家族は、どうしてこうなったか、隠さず話してくれれば
それで納得するのでは?

医師としてのプライドが許さないのか、
それとも、組織に属しているから、下手に謝罪出来ないのか?

2回目の再入院のときに、治療費、手術費は無料でベッド代だけ払ってもらうと
言われたときには、何か腑に落ちなかった。

その後、何も無かったら、隠し通そうとしていたのだ。
ところが、私に異変が起きたがために、
バレてしまったのだ。

主治医はミスだと意地でも認めはしなかったけれど、
後遺症に関しては知らんぷりせずに気にしてくれていたので、
今後、私のような患者を出さないように気を付けてもらえば
いいってことにして、自分なりに納得させた。

『あなたは、自分の子供が同じような目に遭っても、真実を知りたいとは
思わないのか?』と、問い詰めたこともあったわ。




身バレしているので、病名をはっきりと書けないことを
お許しください。
この後遺症で、苦しんでいる人は、日本でも少数だけれどいる。
ブログを読み漁って、参考にさせてもらっていました。
その恩返しも兼ねて、カテを変えて、記事をアップしようかな?









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恐怖の2月。バレンタインデーに続いて、結婚記念日に誕生日

2019-02-22 15:37:41 | 日記
今日のパムッカレ

昨日、姪が姪の息子くんとの共同誕生日会を開催してくれた。


『イエンゲ(血の繋がっていないお姉さんを差す)、どれが欲しい?この青のがいいよね?』
いやいや、要らないから!
結局、姪の娘がてんとう虫とひよこ、そして、主役の息子くんが、ロバのイーヨーを
とりました。で、二人とも、散々いじくりまわしておきながら、食べず・・・。







いつも、家族の仲間に入れてくれて、感謝です。






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夫を喪ってしまったことで、叶ってしまった夢

2019-02-21 19:59:12 | 日記
今日のパムッカレ

夫を喪ってしまったことがきっかけで、
叶ってしまった夢が二つある。

私は昔から自分のお店を持ちたいと願っていた。
しかもそのお店は気まぐれに開け閉め出来ること!

ホントは、パン屋さん、その名も気まぐれパン屋。
名前まで決めていた!


持病があるというのもあるけれど、
もう、がむしゃらに働けない。

私はトルコで微々たる額だけれど、
遺族年金をいただいている。
夫が守ってくれているようなものだ。

夫と一緒に始めた食堂。
ずぶの素人が試行錯誤しながら、
やっとの思いで軌道に乗せた途端、
夫との死別。

この食堂を守って行くことが私の使命かなと
思うようになった。



そして、もう一つ、
私が毎年、夢、希望、目標をブログに書いていたことを
ご存知の方はいるでしょうか?

2015年1月の記事

ラム子の今年の目標、5キロ減量!


ラム子の今年の希望は7キロ減量!


ラム子の今年の夢は10キロ減量!
             



2007年に消化器系で入院し、退院後
薬の副作用で、体重が一気に18キロ増量したのである。
その薬をストップしても、体重はふんともスンとも
言わず、もう、2度と痩せることはないだろうと
諦めていたのだ。年齢のせいにしていたこともある。

実は、
そんなに食べていないのに!と、言いながら、食っていたのが原因


夫亡き後、しばらく食べられず、7キロほど減量した。
ところが、徐々にリバウンドしてしまった。

そして、去年、婦人科系の手術をしたのち、
これまた薬の副作用で、食欲不振がきっかけで、
少し減量に成功し、行けそうな気がした。

炭水化物、糖質、そして、塩分を制限したのだ。
すると、効果てきめんで、減量への弾みがついた。

実は、この減量を陰で支えてくれた人がいた。
その人の叱咤激励(その中には、嫌味がかなり含まれていた)の
お陰で、私はなんと、トルコ移住当初の体重に戻ることが
出来たのです!!パチパチパチ

生前の夫は
ありのままの私でいいと言ってくれた。
私はその言葉に甘えていたんだな。

18キロの減量に成功した事で、身体が軽くなり、
それまで、自分の家の掃除でさえ、億劫で、他人任せにしていたのが、
今では自分で毎日出来るようになった。(これ、普通、当たり前のことだよね

というわけで、
皮肉なことに、夫を喪ってから、二つの願いが叶ったわけだ。
でも、その二つの願いより、夫と一緒にいたかったよっ

夫は本当は、デブで、だらしない私が嫌だったかも。
だから、叱咤激励、嫌味三昧の人を使者として
遣わしたのかな?

だーけーどー、この二つ、ずっと、継続するのかは、
神のみぞ知る!




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便乗しちゃった(๑≧౪≦)

2019-02-19 17:49:43 | 日記
今日のパムッカレ

毎朝晩、ケントのご飯前に近くの公園を散歩している。

昨夜は夕方出かけたけれど、気づかなかったなあ。
もしかしたら、昨夜、彼氏が頑張ってバラの花びらで作ったんだな。

トルコ人、ロマンチストが多いからね~。

オヤジ(夫のこと)がいたら、絶対に便乗していたなあ。
おカネをかけないロマンチストだったから。




恋人募集中♪ ←ケントですよ!







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今日の行き倒れ

2019-02-18 21:07:01 | 今日の行き倒れ
今日のパムッカレ













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共同通信さんに取材して頂いたおかげで・・・

2019-02-17 18:44:35 | 日記
今日のパムッカレ

共同通信さんの取材を受けました。
といっても、去年の夏ですが・・・

掲載は各紙バラバラで、
12月、そして先月だったようです。

同じような境遇だということで、心温まるメッセージをいただいたり、
10数年前にパムッカレで出会った旅行者が、
私の現況を知り、お悔やみと
大量の日本食をアメリカから送って下さいました。

共同通信社のYさん、ありがとうございました。










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毎月、動物病院へ行く

2019-02-16 18:10:47 | 日記
今日のパムッカレ

毎月のようにケントは病院へ行っている。
12月は、感染症にかかり、1月はお得意の外耳炎、で、今回は前回の外耳炎と
足を痛めたようなので、連れて行った。


降車拒否のケント






患者もいっぱい




元気になって、走れるようになったよ!



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お一人様に慣れるんだ

2019-02-13 19:51:05 | 日記
今日のパムッカレ

こないだの日曜日、買い物のついでに、デニズリにしては、オシャレなカフェに寄りました。











日本だったら、平気なんだけれど、トルコでは、休日ともなると、どこもかしこも
家族連れ、カップルで賑わうので、一人で行動していると、惨めである。
でも、慣れないとね。

私のアッシーくん兼、荷物持は勝手に死んじゃったからね、残された私は大変よ。
でも、買い物はやはり一人のほうが、気が楽で、じっくり見ることが出来るわ~、
と前向きに考えよう。

トルコで運転出来たら、いいのだけれど、まあ、それは自殺行為ですからね。
諦めることにする。





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生きていますよ~

2019-02-09 20:56:22 | 日記
今日のパムッカレ

すみません
ブログの更新が無いことで、
皆さまに、ご心配をおかけしております。
安否確認のコメント&メッセージをいただいたので、
急遽、更新することにしました。

11月に日本へ里帰りし、同窓会をし、12月にトルコへ戻り、
4月に私立病院で受けた手術の合併症というか、医療ミスで、
回された大学病院にて手術を受け、1週間ほど入院していました。
(後ほど、備忘録を兼ねて入院日記として残します。)

まったく、何回手術してんだか・・・


その後、義姉宅で療養し、今は元気に食堂で働いております。
春節で、多忙な日々を送っています。
(営業時間は11時から18時まで、日曜日閉店気まぐれで開けるかも?)






タロポンさん、本日はわざわざ寄ってくださり、また、お土産まで
頂いちゃって、ありがとうございます。
すみません、いただいた画像を勝手にアップしちゃいましたが、
不都合でしたら、ご連絡いただけますか?
事後報告で申し訳ありません。


ケントも元気です!

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