トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

ケントが旅立ちました

2020-07-25 12:51:39 | 日記
ご注意下さい!
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気分を害する画像が含まれております。


ケントが真夜中の1時15分永眠しました。
その二時間ほど前、激しくお腹を動かし
苦しそうにしていたので、
夜間診察してくれる動物病院に
連絡し、モルヒネ、安楽死でもお願いしようかと
考えているうちに、少し落ち着きました。

その後、ソファで横になっていたところ、ケントの声で
目が覚め、顔を近づけると、息を引き取ったのです。





大急ぎで、軽く湯灌をし、ケントが暑い夏を越せるようにと持ってきた大型の保冷剤を敷き、
予め凍らせておいたペットボトルを数本ケントの身体に置きました。
そして、エアコンをガンガンに付け、朝になってから、
家族を呼び、埋葬の儀に入りました。




イナバのチュール大好きだったのに、少ししか食べられなかったね。


また散歩に行って、アイス食べたかったね。

お世話係くんも加わり、彼が頑張って掘ってくれたお墓に入れて貰いました。





自主隔離生活が終わったら、お花を買って植えるからね。

ケントは来月16日が誕生日でした。
いい加減なブリーダーだったので、
正確な誕生日は不明で、私が譲り受けた日から40日逆算した日を
誕生日としたのです。

12歳11カ月で犬生を終えました。
コロナ禍で、何度もフライト延期となり、
もしかしたら一生会えないかもと不安だったので、
再会出来たこと、ケントが頑張って待っていてくれたことに、
感謝です。

私の一番の願いが叶いました。
ケントをトルコで看取るということです。
飼い主としての責任を果たす事が出来、ホッとしています。

夫と死別後、 精神的に不安定でしたが、
私にはケントを最期まで見届ける義務があるのだと
その一心で生きて来れました。

ケントの屈託のない笑顔で私はどんな言葉より慰めてもらったことか。
私の全てと言っても過言ではありません。
ケントに幸せにして貰いました。

この13日間、ありがとう、ゴメンねを
何回言ったかな。
何万回謝っても足りないね。

3月16日の、ラストフライトに搭乗しなかったことを
批判されても弁解の余地はありませんが、
隔離先のイスタンブールで感染したくなかったし、
(実際スルーだったみたい)
私にとっては、両親もケントと同じように
大切でした。

ですが、母には、ケントには私しかいない、母にもしものことが
遭っても、私はケントのところへ行くと伝えてあり,
母も納得してくれました。

だから母は、危篤になっても、トルコに戻るようにと
私を諭してくれました。
しかし、実際、私はケントも元気そうだったし、
1週間延期したのです。

コロナ禍でツーリストも消え、お店も閉まり、
街中の雰囲気がガラッと変わってしまいました。
その異変に気づき、私はいないしで、
不安で堪らなかったのでしょう。

時折、自宅に向かって吠えていたそうです。
想像するだけで胸が張り裂けそうです。

私にもしものことがあったら、ケントを野垂れ死にさせてしまう、
だから、遠隔で、ケントを見守っていました。

パムッカレに戻り、感動の再会を楽しみにしていましたが、
それは叶いませんでした。


そして、もう二度と一緒に散歩に行くことは
出来ませんでした。

帰国した翌日から、まさか壮絶な闘病生活が待っていたとは
夢にも思いませんでした。
2週間の自主隔離生活がもうすぐ終わるころに、
ケントは役目を終えたとばかりに
旅立ったのです。

ありがとう、ケント。
Seni çok çoooook seviyorum 😘

これまで、ケントの回復を祈って下さったり、
応援して下さった皆様に心から感謝しております。
本当にありがとうございました😊

腎不全末期

2020-07-20 16:17:20 | 日記
今日のパムッカレ☀️☀️☀️

再検査をしたところ、 クレアチン(腎臓の働きが正常か?)が14、8から18、3に上昇していました。
(基準値0.4〜1.4)

尿素窒素(腎臓機能)は前回、今回と同じく140mg/dl
(基準値9.2〜29.2)

ケントを動かせないので往診を依頼しました。


箸が欲しいと言うので、診察に使うのかと思いきや、
家で箸を使いたいから、譲って欲しかったらしいです。😅
怒りより笑えました😂

こういう日本では不謹慎だとされることもトルコではアリです。





ケントは母と同じように、時間を稼いで
私に心の準備をさせてくれているようです。
苦しむ姿を見せて、生へ未練を断ち切らせ、
介護をさせる事で、一生懸命に世話をしたという既成事実を作らせ、
私が悔やまないようにと。(あっという間に死んじゃった夫という前科者がいますからね!)

お世話係くんから逐一報告をうけていたにも
関わらず、ケントを病院へ行かせるタイミングを逃し、結果ケントを
苦しませてしまいました。ごめんね、ケント。
そして、お世話係くんにも負い目を感じさせてしまいました。


母と同じく顔艶も良く、目を開けて寝息を立て、水だけを欲しています。
ただ違うのは、母は痛い、安楽死をさせてと叫んでいたこと。

ケントはどうなのかな?
口内炎が酷く何も食べられません。
夜は吐き気で何度も半身起き上がります。





母からケントへの手紙

2020-07-17 22:17:58 | 日記
今日のパムッカレ☀️☀️☀️

ケントは火曜日から寝たきりになり、吐き気を催し、苦しんでいたので、
明け方を待って、点滴をしてあげました。
すると、少し気分が良くなったのか、吠え始め、
立ち上がろうとするのを介助したら、ふらつきながらも
屋外へ出て、排尿をし始めました。
排尿が出来たというのは、腎臓機能がゼロでは無いということで、
一縷の望みを持ちました。 排尿が出来なかったのでお腹がパンパンに
張っていたのでした。

翌日も私が目を離した時に、歩いて
トイレに行ったようでした。
カメラで確認。

昨日、獣医さん、看護師さんが往診に来てくれました。
明日、再度血液検査をします。





ところで、 母が生前、 ケントへの手紙を書き留めていたようです。
母は去年、死の淵を彷徨っていた時に、ケントの編みぐるみを
抱きしめながら、ケント、ケントと叫んでいたようです。

私がお世話係くんから送られて来る動画を毎日楽しみにしていました。
そして、ケントに会いたかったと呟いていました。
私も会わせてあげたかったです。

手紙の内容から母は夢の中でケントと会っていたみたい。
ケントが母の元へ出掛けていたようです。😁








トルコに戻りました!

2020-07-14 14:48:46 | 日記
今日のパムッカレ☀️☀️☀️

4ヶ月ぶりのパムッカレです。
トルコ航空日本便再開のニュースに一喜一憂し、
延期のメールが来る度に打ちのめされの繰り返しでした。

そして、7月のフライトが確定し、
当初の成田便が欠航となり、
羽田便に変更したのも束の間、
今度は母の容態が悪化し、1週間寝たきりとなり、
その後、危篤状態となり、私はフライトを当日キャンセルしました。
その翌朝、私は母を看取る事が出来ました。

母は4年半闘病生活中、入退院を繰り返し、
自宅にて81歳の人生の幕を閉じ、 今は痛みから解放されました。

母が癌の宣告を受けたのは、夫と死別したころです。
私にこれ以上、悲嘆を味あわせないようにと頑張ってくれたのだと
思います。 母は寂しさを抑えながら、ケントの元に早く帰りなさいと言ってくれました。
姉も4ヶ月間看病したのだから充分、 今回のフライトを逃すと
まだトルコへ戻れないかも知れないからキャンセルするなと、
背中を押してくれました。

しかし、 母の死に目に会えないのは、一生悔いが残りそうで、
キャンセルに踏み切りました。
母は私の意を汲み取ったかのように、私の前で息を引き取りました。

2月5日に義母を見送り、3月5日日本に向けて出発しました。
日本滞在中、 従兄弟の伴侶、 叔父、 そして母との別れを経験しました。

当初、チケットの日程等で後悔のドン底でしたが、
結果的にこれで良かったと、珍しく私の判断が正解だったと、
ホクホクでした。

が、しかし!

トルコに戻り、私の命よりも大切なケントの病が進行していました。
去年よりも重篤な腎不全です。
私が来る前は普通に歩いていたようです。
私を待っていてくれていたのかも知れません。
あとどれくらい一緒にいられるか分かりませんが、
一瞬でも長くケントの傍にいてあげたいです。

ケント、ごめんね。
待っていてくれてありがとう。