ご注意下さい!
記事の中に
気分を害する画像が含まれております。
ケントが真夜中の1時15分永眠しました。
その二時間ほど前、激しくお腹を動かし
苦しそうにしていたので、
夜間診察してくれる動物病院に
連絡し、モルヒネ、安楽死でもお願いしようかと
考えているうちに、少し落ち着きました。
その後、ソファで横になっていたところ、ケントの声で
目が覚め、顔を近づけると、息を引き取ったのです。
大急ぎで、軽く湯灌をし、ケントが暑い夏を越せるようにと持ってきた大型の保冷剤を敷き、
予め凍らせておいたペットボトルを数本ケントの身体に置きました。
そして、エアコンをガンガンに付け、朝になってから、
家族を呼び、埋葬の儀に入りました。
イナバのチュール大好きだったのに、少ししか食べられなかったね。
また散歩に行って、アイス食べたかったね。
お世話係くんも加わり、彼が頑張って掘ってくれたお墓に入れて貰いました。
自主隔離生活が終わったら、お花を買って植えるからね。
ケントは来月16日が誕生日でした。
いい加減なブリーダーだったので、
正確な誕生日は不明で、私が譲り受けた日から40日逆算した日を
誕生日としたのです。
12歳11カ月で犬生を終えました。
コロナ禍で、何度もフライト延期となり、
もしかしたら一生会えないかもと不安だったので、
再会出来たこと、ケントが頑張って待っていてくれたことに、
感謝です。
私の一番の願いが叶いました。
ケントをトルコで看取るということです。
飼い主としての責任を果たす事が出来、ホッとしています。
夫と死別後、 精神的に不安定でしたが、
私にはケントを最期まで見届ける義務があるのだと
その一心で生きて来れました。
ケントの屈託のない笑顔で私はどんな言葉より慰めてもらったことか。
私の全てと言っても過言ではありません。
ケントに幸せにして貰いました。
この13日間、ありがとう、ゴメンねを
何回言ったかな。
何万回謝っても足りないね。
3月16日の、ラストフライトに搭乗しなかったことを
批判されても弁解の余地はありませんが、
隔離先のイスタンブールで感染したくなかったし、
(実際スルーだったみたい)
私にとっては、両親もケントと同じように
大切でした。
ですが、母には、ケントには私しかいない、母にもしものことが
遭っても、私はケントのところへ行くと伝えてあり,
母も納得してくれました。
だから母は、危篤になっても、トルコに戻るようにと
私を諭してくれました。
しかし、実際、私はケントも元気そうだったし、
1週間延期したのです。
コロナ禍でツーリストも消え、お店も閉まり、
街中の雰囲気がガラッと変わってしまいました。
その異変に気づき、私はいないしで、
不安で堪らなかったのでしょう。
時折、自宅に向かって吠えていたそうです。
想像するだけで胸が張り裂けそうです。
私にもしものことがあったら、ケントを野垂れ死にさせてしまう、
だから、遠隔で、ケントを見守っていました。
パムッカレに戻り、感動の再会を楽しみにしていましたが、
それは叶いませんでした。
そして、もう二度と一緒に散歩に行くことは
出来ませんでした。
帰国した翌日から、まさか壮絶な闘病生活が待っていたとは
夢にも思いませんでした。
2週間の自主隔離生活がもうすぐ終わるころに、
ケントは役目を終えたとばかりに
旅立ったのです。
ありがとう、ケント。
Seni çok çoooook seviyorum 😘
これまで、ケントの回復を祈って下さったり、
応援して下さった皆様に心から感謝しております。
本当にありがとうございました😊
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気分を害する画像が含まれております。
ケントが真夜中の1時15分永眠しました。
その二時間ほど前、激しくお腹を動かし
苦しそうにしていたので、
夜間診察してくれる動物病院に
連絡し、モルヒネ、安楽死でもお願いしようかと
考えているうちに、少し落ち着きました。
その後、ソファで横になっていたところ、ケントの声で
目が覚め、顔を近づけると、息を引き取ったのです。
大急ぎで、軽く湯灌をし、ケントが暑い夏を越せるようにと持ってきた大型の保冷剤を敷き、
予め凍らせておいたペットボトルを数本ケントの身体に置きました。
そして、エアコンをガンガンに付け、朝になってから、
家族を呼び、埋葬の儀に入りました。
イナバのチュール大好きだったのに、少ししか食べられなかったね。
また散歩に行って、アイス食べたかったね。
お世話係くんも加わり、彼が頑張って掘ってくれたお墓に入れて貰いました。
自主隔離生活が終わったら、お花を買って植えるからね。
ケントは来月16日が誕生日でした。
いい加減なブリーダーだったので、
正確な誕生日は不明で、私が譲り受けた日から40日逆算した日を
誕生日としたのです。
12歳11カ月で犬生を終えました。
コロナ禍で、何度もフライト延期となり、
もしかしたら一生会えないかもと不安だったので、
再会出来たこと、ケントが頑張って待っていてくれたことに、
感謝です。
私の一番の願いが叶いました。
ケントをトルコで看取るということです。
飼い主としての責任を果たす事が出来、ホッとしています。
夫と死別後、 精神的に不安定でしたが、
私にはケントを最期まで見届ける義務があるのだと
その一心で生きて来れました。
ケントの屈託のない笑顔で私はどんな言葉より慰めてもらったことか。
私の全てと言っても過言ではありません。
ケントに幸せにして貰いました。
この13日間、ありがとう、ゴメンねを
何回言ったかな。
何万回謝っても足りないね。
3月16日の、ラストフライトに搭乗しなかったことを
批判されても弁解の余地はありませんが、
隔離先のイスタンブールで感染したくなかったし、
(実際スルーだったみたい)
私にとっては、両親もケントと同じように
大切でした。
ですが、母には、ケントには私しかいない、母にもしものことが
遭っても、私はケントのところへ行くと伝えてあり,
母も納得してくれました。
だから母は、危篤になっても、トルコに戻るようにと
私を諭してくれました。
しかし、実際、私はケントも元気そうだったし、
1週間延期したのです。
コロナ禍でツーリストも消え、お店も閉まり、
街中の雰囲気がガラッと変わってしまいました。
その異変に気づき、私はいないしで、
不安で堪らなかったのでしょう。
時折、自宅に向かって吠えていたそうです。
想像するだけで胸が張り裂けそうです。
私にもしものことがあったら、ケントを野垂れ死にさせてしまう、
だから、遠隔で、ケントを見守っていました。
パムッカレに戻り、感動の再会を楽しみにしていましたが、
それは叶いませんでした。
そして、もう二度と一緒に散歩に行くことは
出来ませんでした。
帰国した翌日から、まさか壮絶な闘病生活が待っていたとは
夢にも思いませんでした。
2週間の自主隔離生活がもうすぐ終わるころに、
ケントは役目を終えたとばかりに
旅立ったのです。
ありがとう、ケント。
Seni çok çoooook seviyorum 😘
これまで、ケントの回復を祈って下さったり、
応援して下さった皆様に心から感謝しております。
本当にありがとうございました😊