トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

夫の誕生日とハユルル

2019-06-29 18:15:40 | 日記
今日のパムッカレ

あっちーあっちー

6月25日は亡き夫の誕生日だった。
去年は、揚げ菓子の無料配布をしたけれど、
暑いせいか、不評だったので、
今回はトルコピラフ(バターライスひよこ豆とチキン入り)にした。

300人分を近所の請負業者に依頼し、
主にモスクを中心にアイラン(塩ヨーグルトドリンク)と一緒に
配布した。




これはハユルルと呼ばれ
イスラム教というのは、最後の審判が下るまで、
お墓に待機していることになっていて、
現世に残っている親族が亡くなった人の名前で
功徳、善行を重ねることによって、
その人が天国に行ける確率が高くなるのだそうな。

今、夫はどこにいるのだか、さっぱりわからないけれど、
私はどちらかというと、夫のことをいつまでも忘れないで欲しい
という気持ちが強いかな。赤の他人なら、私だって忘れる。
でも、たまに思い出して欲しいんだ。
こういう人がいたんだって。

というわけで、次回は命日8月31日にも何かするつもり。

2017年命日はこちら
2018年誕生日はこちら
2018年命日はこちら


2016年、最後の誕生日



食堂に夫の写真を飾っているけど、
いつだったか、ツーリストが、息子さん?って聞いて来た。
私はどんどん年を取っても、夫はあのときのまま。
ずるいよね

夫は義父に会えたかな?

2019-06-06 17:00:04 | 日記
今日のパムッカレ

義父が亡くなった。享年88歳
義兄家族主催の断食明けのイフタルと呼ばれる食事会に出席後、
夜中に具合が悪くなり、5月28日火曜日の夜に病院にて息を引き取った。

3年前の8月も二人の甥の結婚式でトルコ内外から
親戚が集い、夫は顔を合わせることが出来た。

義父もまるで別れの儀式かのように、
300人以上の人々に会えたのだ。







義父は夫と同じように別に何か患っていたわけでもなく、
足が不自由だったけれど、電動車椅子であちこち精力的に出かけていた。

葬儀は夫と同じく水曜日に行われ、
夫の隣に埋葬された。



夫は朝、心筋梗塞で倒れ、救急車で運ばれた病院で、
死亡が確認されたので、夕方、すぐに埋葬されてしまった。

通常は翌日まで、病院で保管されるはずが、家族の意向により、
義父は自宅に戻り、夜を過ごせたのである。
それは非常に羨ましかった。
私も一緒に最後の夜を過ごしたかったからである。

88歳の義父の葬儀は、47歳で急死した夫のとは
雰囲気が違い、弔問客同士が談笑している場面もあった。

まさに人生88年の幕を下ろした義父を送る会と
なっていた。

義母は弔問客が挨拶に訪れるたびに泣いていた。
弔問客の一人が、
「あなたの息子はいくつで亡くなったんだ?それに比べれば大往生なんだから」と
慰めていたが、

20代だろうが80代であろうが、大切な家族を喪うちうことは辛いものなんだよ。
年を取ってからの死別の場合は、長きに渡り生活を共にしてきた歴史がある。
若い場合は将来の不安、絶望など、筆舌しがたい苦しみが襲ってくる。
私は子供を喪ったことはない、だから、その気持ちが分からないのと
同じで、経験しなければ、理解しがたいものだ。
100人の死別経験者がいれば、悲嘆の度合いはそれぞれ違う。

周囲を見回しても、伴侶を喪った同士は数えるほど。
私なんて、日本で誰もいない。
住み込みで義母のお世話をしてくれる女性がいるけれど、
彼女は私より若く、13年ほど前にご主人と死別したそうな。
義父がいたころは、自分の部屋で寝ていたらしいけれど、
今は義母と同じ部屋で寝起きしてくれるので、
ありがたい。

1週間経った今、義母も受け入れたのかな?
時折、泣きそうな顔をするけれど・・・。

義母は子供たちだけではなく、近所の人や親戚に慕われていたので、
代わる代わる人が訪れ、悲嘆を紛らわせてくれることだろう。




砂糖祭3日目ですが、皆様、良い休日をお過ごしください。
私は働いていますが・・・









ケント、予防接種を受ける

2019-06-02 11:29:37 | ケント
今日のパムッカレ

ケントが悪臭を放っているので、やっと洗った。
だって、毎日池で泳いでいるんだもの。
シャンプーするのも躊躇っちゃうよ。

ところで、先月のこと、


ケントのかかりつけの動物病院に電動バイクに乗せて行った。




最初に体重計ね。

その後、体温を測るために、お尻にブチュっと。




終了♪