昔、あるお寺に行った時のお話です。
本堂でごあいさつをして、そして一休みをしていると・・少し離れたところでお坊さんが年配の女性のお話を聞いているようでした。
時々女性の声が荒くなり、声が上がるのがわかります。
そして女性の目もつりあがり、かなりの強い情気を放つ女性。
恨み、つらみの数々が。
たしかあの女性を前にもお寺でみたことがある・・と思い、そして見ていると、女性がすっと立ち上がり、
「必ず恨みをかえしてやるんだ」と言って帰って行きました。
お坊さん・・大変
お寺に来ていてもこういう人がおられるので、というよりは、お寺に執念をぶつける人もおられるのです。
そしてお坊さんは静かに事務所へ戻って言ったようでした。
残念そうな顔をして
思うように説得ができなかったから。
さぞ悔しいだろうし、自分のふがいなさみたいなものを感じたと思います。
そしてふるらんはお寺から出ようとして歩いていると建物のそばにさっきのお坊さんが寄りかかっていました。
「どうしましたか?」と声をかけると
「ちょっとめまいが・・」と言うので、手を貸して、横になってもらい、人を呼んできました。
このお坊さん、さっきの女の人の出している執念の気にやられている。
他のお坊さんが来たので
「私、昔、看護○だったので」といい、そのお坊さん達に運んでもらうことにしてもらい、
一番責任者のお坊さんが来られたので、、
「年配の女性のお客さんの相談を聞いておたれたのですがその気に当たったみたいです」というと住職さんが
「そうだったんですか」といい、あるお経の言葉を数回いい、気合いを入れました。
お坊さんは少し息が戻ったようで、
「ありがとうございました」とそのお坊さんと住職さんが挨拶をしてくださいました。
ふるらんは
「さっきの女性はかなりの因縁持ちみたいですね。○○の因縁と、○○の因縁がものすごくキツイようですね。相当な防御できないと・・私は見ていただけでしたから良かったですが」と言いました。
住職さんは
「あなたは見える人なのですね。その女性は時々こちらのお寺にお参りに来るのと相談に来られるのはいいのですが、いろいろと弊害が」と話し
「ものが壊れるぐらいひどいですね?」と言うと
「はい、その通りです」と言われたので
「それなら敷居を高くするしかないですね、入れないように」と言うと
「ありがとうございます。それを見えないようにしたらいいのですね?」と言うので
「はい、そうされた方がいいと思います。まだまだあちらの方が成長が早いから追いつかれる前に」と含んだ言い方をすると
「それは助かります。実は困っていたので、これで心を決めます。正直お話の内容もかわいそうだと思っていましたが、こちらも人に危害を加えるようならもう無理ですね」と言いました。
「すみませんが・・本尊様の○○をそのお坊様に差し上げたら楽になると思います」と話し、ふるらんはお寺から下がってきました。
人は・・正直凄いのよ。
自分はそうではないと思っているでしょう?
でも・・本気を出したら怖いのよ。
いいことも悪いことも。
本当に素晴らしい人生を歩みたいなら
どんなことがあっても
“正しく生きる”事が大切で
そして仏様にも愛される人にならなければならないのに。
どんなに辛くても、
悲しくても
人を憎むことを絶対にしてはいけない。
人を憎めば二つの毒が生まれることを知ってほしい。
一つは人に対しての毒
もう一つは
後から“人を憎まなければよかった”という自責の念から生まれる自分への毒。
生まれてきて
毒を生むために生きているのではなく、
愛を生むために生きていることを
心の縁を切らなければならない人と、心のそこから切れば運命も来世も変わります
自分に寄ってこさせないためにも。
いろいろな想いや考えがあってなかなか決断ができないかもしれませんが、自分の心の整理を今世で終わらせるためにも心の修行をするほうにいきたいと思います。
良くないことはすぐに忘れるって・・なかなかできないですけれど、修行、修行・・と口ずさんで前に進むつもりです