「思い出のサンフランシスコ」という曲がありましたね。前回、ゴールデンゲートブリッジの思い出を書いたので、今回はそれ以外のサンフランシスコでの思い出を綴ってみようと思います。いわば私の「思い出のサンフランシスコ」です。
サンフランシスコは思っていたよりずっと小さく美しく魅力的な街で、滞在は4日間でしたが、街をすぐ把握でき自在に歩きました。
サンフランシスコは坂の街で、急な坂道を上り下りするケーブルカーはこの街の名物ですが、私達もこれに乗ってみました。鈴なりの観光客を乗せて走り、風を感じることが出来るので、快適と言えば快適ですが、乗り心地の面では今一つでしたね。それに、発着所には長蛇の列が出来、乗るのに30分位待つことはザラでした。乗っているのは観光客が大半の様でしたけれど...。そんな訳でケーブルカーには数回乗っただけで、路面電車のストリートカーなどで移動することが多かったです。
サンフランシスコのダウンタウンの中心はユニオンスクエアと呼ばれる広場で、絵を売る露店があったり、色々な催しがあったりして、夜遅くまで多くの人々で賑わっている、そんな広場でした。ホテルがこの広場に面していたので、毎夜部屋の窓から下の広場の賑わいを見ながら過ごしたのも、今となってはよい思い出です。
ユニオンスクエアから一駅先に荘厳な雰囲気の市庁舎や、いくつかの行政機関、美術館が集まっているシビックセンターがあり、ここに、先の大戦後にサンフランシスコ講和条約が締結された、オペラハウスがあり感慨深かったですね。
<オペラハウス>
サンフランシスコといえば、絵葉書などでよく紹介されるビクトリアンハウスと呼ばれる建物があります。ビクトリアンハウスの多くは19世紀に建てられたそうですが、パルテルカラーの壁にアーチ形に張り出した窓が付いているものが多く、エレガントで美しい建物でした。ビクトリアンハウスは市内の所々にありましたが、アラモススクエアと呼ばれる公園近くにあった6軒のビクトリアンハウスは美しく、絵になる眺めでした。ここにどの様な方々が住まわれ、どの様な生活が繰り広げられているのかな~なんて、憧れの気持ちで眺めていたのを思い出します。アラモススクエアは丘の上にあるのでビクトリアンハウスのはるか向こうにダウンタウンの摩天楼が一望出来るのも素晴しい景観でした。
<ビクトリアンハウス>
サンフランシスコの海辺のエリアはフィッシャーマンズワーフと呼ばれる場所で、ここにあるピア39は最も賑わっている場所でした。ここに長蛇の列が出来ていたので何だろうと見てみると、サンフランシスコ湾を廻るクルーズ船に乗る人々の列で、私達も最後尾に並び、クルーズを楽しみました。
<ピア39>
ピア39には100軒以上の小さなレストランやギフトショップが並んでいて、ここで名物のクラムチャウダーを食しました。酸味の効いたパンのボウルに入ったそれはなかなか美味しく、パンも全部頂いてしまいました!
<クラムチャウダー>
また、ある日の午後は路線バスに乗って隣街のオークランド市のジャズライブに行ったりしました。ジャズにあまり関心がない私は、ライブ会場でノリノリのアメリカ人の様子を観察するのも楽しく、今でも時々彼らの動作や表情を思い出しますよ(笑)。
連日ガイドブック片手に徒歩や電車に乗って街を歩き回りましたが、ノブヒルやロシアンヒル等の丘からは風光明媚な街や美しいサンフランシスコ湾が見渡せ、今でもまぶたに浮かんで来ます。
部屋のパソコン机の前の壁に旅行社から送られて来た、
世界の観光地の写真が載ったカレンダーを掛けています。
9月はゴールデンゲートブリッジの写真でした。
写真を見ていると、2010年に夫と行ったアメリカ西海岸の旅で、
歩いて渡ったゴールデンゲートブリッジの思い出が甦って来ました。
この旅行は、ホテルと航空券だけを旅行社に手配して頂き、
移動は自分達で自由にする、そんな旅でした。
サンフランシスコの滞在は4日間で、
サンフランシスコは意外にも、思っていたより小さな街でしたので、
滞在中にほぼ街を把握でき、自在に歩き回ることが出来、
ことのほか、思い出に残る街になりました。
そんな思い出の一つがゴールデンゲートブリッジを歩いて往復したことです。
ゴールデンゲートブリッジは、車だけではなく徒歩や自転車でも渡れますが、
犬を連れて渡るのは禁止の様で、通行料は徒歩や自転車は無料でした。
橋の長さは約2、7kmで、周りの景色を眺めたり、
写真を撮ったりしながらゆっくり歩くと、片道1時間位かかりました。
橋の途中から、ずっと向うにサンフランシスコの街が見えました。
橋の上はかなり風があり、向う岸のビスタポイントに着く頃には、
うっすらと霧が出て来ました。
2時間程のプチトリップ後にサンフランシスコの街に戻り、
ずっと向うのゴールデンゲートブリッジを何気なく見ると、
橋は霧にすっぽり覆われ、その存在がまったく消えていました。
今までそこにあったものが見えなくなるなんて、不思議な感覚でしたね。
文字通りの霧のサンフランシスコでした。
猛暑続きの毎日が、お盆を過ぎる頃から朝晩はだいぶ涼しくなり始めた福岡市ですが、先日の「スペイン、バルセロナでテロ」のニュ-スには驚きました。スペインでテロが起きるとは意外な気がします。しかもバルセロナのあのランブラス通りでこんな惨劇が起きるなんて思いもしないことでした。
2008年(平成20年)の4月末から5月初めにかけて夫とスペインを旅行した時にバルセロナにも行きました。
マドリード、トレド、コルドバ、セビリア、グラナダ、ミハス、バルセロナの順に廻りましたが、最後のバルセロナは特に印象深い街でした。
バルセロナは中世の古い建築物が建ち並ぶゴシック地区とカタルーニャ広場から海に向かって延びているランブラス通りを中心とする2つのエリアが観光の中心です。
今回惨劇にみまわれたランブラス通りを、ゴシック地区を皆で観光した後、自由にそれぞれで廻りましたが、私達はこの通りから少し入った所にある、ガウデイが作った街灯がある「レアール広場」を見たり、ガウデイ設計の「グエル邸」を見学したりしながら散策しました。
<ランブラス通り>
世界中からおどずれた観光客が楽し気に歩く通りには、地中海の陽光がふりそそぎ、通りの並木が青空によく映えて、道の両側にはカフェのテラス席、レストラン、土産物屋、花屋などが軒を並べ平和そのものでした。
疲れたので、ランブラス通りの終点にある「コロンブスの塔」が見えるカフェに入り、周りの人々が飲んでおられる物と同じ飲み物をオーダーしたところ、甘い飲み物だと思っていたそれはサングリアで、しかもかなりワインの割合が多かったらしく、フラフラしながらホテルまで帰ったのも今は懐かしい思い出です。
<コロンブスの塔>
私にとって思い出深いランブラス通りですが、この通りでの今回の惨劇で、何の罪もない14人の方々が突然命を奪われ120人以上が負傷されたとのこと、あまりのことに心が痛み怒りが湧きます。一体私達は何をどうすればいいのか、どうしてこんなことになるのか考えると身も心も重くなります。
前回、前々回とモンローに関する記事を綴りながら、2010年の5月に夫とサンフランシスコ、ラスベガス、ロスアンゼルスを旅した時のことを思い出しました。この旅行は航空券とホテルの予約だけを旅行社にお願いした自由観光の旅行で、自分達の行きたい所に自由に行けるのんびりした旅でした。
ロスアンゼルスには4日間滞在しましたが、この街はサンフランシスコなどに較べて、短期の滞在では把握出来ない、とにかく広い街でした。
滞在中にサンディエゴまで行きオプショナル一日ツアーに参加し、メキシコとの国境の町ティファナに行ったり、乗り合いバスでサンタモニカを訪れたり、アナハイムのディズニーランドに行ったりと自由に移動しましたが、地下鉄に乗ってハリウッドにも行きました。
ハリウッドの地下鉄駅を上がると、そこはハリウッド大通りとハイランド通りが交差する中心部で、ハリウッドスターのサインと手形が前庭に埋め込まれたチャイニーズシアターやアカデミー賞受賞会場のコダックシアターなどがあり、大勢の観光客が訪れるハリウッドの一大観光スポットになっていました。
<チャイニーズシアター>
<コダックシアター>
大勢の観光客が行き交うハリウッド大通りを歩いていると、道路脇にモンロー像があり、下の様なモンローとのツーショット写真を撮りました(^-^) ハリウッドでその日に見たスター像は、確かこのモンロー像だけで、彼女がいかにアメリカの人々に愛されているかを感じました
<モンローとツーショット>
同じ場所で撮ったと思われる写真で、モンローが白いドレスを着た写真を時々見かけるので、彼女は日毎にお着替えをしているのでしょう、きっと(^-^)
ハリウッドの周りには、スター達の豪邸街のビバリーヒルズ、世界のブランド品街のロデオドライブなどきらびやかな場所はいっぱいありますが、その様な所から少しはなれると、昔ながらのマーケットといった雰囲気のファーマーズマーケットなどもあり、意外な気もしました。
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H.20年(2008年)の秋に中欧を旅しましたが、ハンガリーの首都ブダペストについては、以前共産圏だったこともあり、自分の中でイメージがわかず、余り期待していませんでした。
ところが、行ってみて初めて、あまりに重厚な堂々とした歴史ある大都会であることに驚き、「ドナウの真珠」「ドナウの薔薇」とも称されていると知りました。
ブダペストは街の中央をドナウ川が南北に流れています。ドナウ川の西側には王宮のあるブダ地区が、東側には現在の中心部のペスト地区が広がっています。この二つの地区を結ぶ橋の一つがよく知られた「くさり橋」です。
<くさり橋>
「くさり橋」を渡りペスト地区に入ると、「エルジェーベト広場」があり、この辺りから「英雄広場」までの2kmちょっとの道が「アンドラーシ通り」です。片側3車線の立派な通りで、おそらくこの通りがブダペストのメイン通りだと思いますが、地下には18世紀末からの地下鉄が通ってるそうです。
<アンドラーシ通り>
宿泊したホテルがこの通りに面していたので、この辺りを散策しましたが、イシュトヴァーン大聖堂、国立オペラ劇場など歴史ある壮麗な建物が建っていて、見ごたえのある落ち着いた通りでした。
<オペラ劇場>
アンドラーシ通りの端にある「エリジェーベト広場」の一角には皇妃エリザベートや作曲家リストもよく訪れたと言われている〝カフェ、ジェルボ″があります。散策の途中に入ってみましたが、店内はロココ様式というか、豪華なシャンデリアなど日本では考えられないカフェの内装で驚きました。コーヒーやケーキは日本とよく似た様なお味でしたが...。
<〝カフェ、ジェルボ″>
又、この通りにはハンガリーの陶器メーカー「ヘレンド」の直営店があります。「インドの華」シリーズのコーヒーカップ6客は既にあるので、ここでは同じシリーズのケーキ皿6客を買うと決めていました。
が、このショップでの値段は何故か日本のデパートなどで買うのとほとんど変わらず、ガッカリでしたが、清水の舞台から飛び降りる気持ちで買い、大切に日本に持ち帰りました。
<ヘレンドのケーキ皿>
観光中に、たまたま以前秘密警察があった古い建物にカメラを向けていたら、現地の日本人ガイドさんが、共産主義時代は怖くてそんなこと出来なかったと言っておられたのが印象的でした。様々な国に支配されてきたこの国の歴史を感じましたね~。