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since 2011
俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

南仏夢紀行 ~ニース街歩き~

2012年06月17日 |    南仏

毎日を夢心地で過ごした今回の南仏旅行も残り少なくなり、ニースでの最後の2日間を自由な街歩きで楽しみました。

コート・ダジュールの中心地、ニースはアンジェ湾(天使の湾)に沿った街で、海岸線沿いにはプロムナード・デザングレと呼ばれる約3,5kmの遊歩道が造られています。この遊歩道沿いにはネグレスコなどの豪華ホテルやカフェ、レストランが軒を並べ、終日賑わっています。

Photo <プロムナード・デザングレ>

この遊歩道の一番賑わっている場所から2~300m北に広いマセナ広場があり、この辺りがニースの中心の様に感じました。広場の周りにはホテルやデパートがあり、トラムもここを横切っています。市庁舎などもこの近くにありました。

Photo_2 <マセナ広場噴水>

マセナ広場と遊歩道に挟まれ、東にのびる一帯がニースの旧市街で、その中心はサレヤ広場と呼ばれています。レストランやカフェ、土産物屋に囲まれたこの広場では朝市や花市が立ち、地元の方や観光客が集まり、活気がありました。

Photo_3 <サレヤ広場花市>

マセナ広場からプロムナード・デザングレへの道の片側は有名ブランド街の様で、ルイヴィトン、カルティエ、ティファニーなどが軒を並べています。

下の様な素敵な、賑やかな通りも...

Photo_4

Photo_5

この時期、日本ではまだ海で泳いだりはしませんが、日本と同じ様な気温のニースでは、もう多くの人が泳いでいて、遊歩道の下の海岸は色とりどりのビーチパラソルで埋まっていました。

下の写真の様に、ビーチパラソルやビーチチェアーがあるところはプライベートビーチで、柵の右側の何も無い所が公共ビーチです。プライベートビーチと公共ビーチは100mおき位に交互に造られている様です。公共ビーチは無料ですが、プライベートビーチは一人14ユーロと書いてありました。

Photo_6 <プライベートビーチ>

驚いた事に、ニースのビーチは日本の様に砂浜ではなく、丸い小石なのです。なので無料ビーチで寝ころぶ時は、皆さん必ずバスタオルや何か敷物を持参されている様でした。

プロムナード・デザングレから、旧市街の東側にある、城跡のある丘へ登る観光用のプチトラムが出ているので乗ってみました。

Photo_7 <プチトラム>

このプチトラムは旧市街の細い路地を巡りながら40分程かけて、城跡のある丘を登りました。丘の上からは素晴らしい眺めを独り占めできました! 右手に茶色の屋根の家並みの旧市街、左手に緩やかに弧を描く紺碧の海の広がり。あぁ~、はるばるニースまでやって来たんだなぁ~としみじみ思いましたね~。

Photo_8 <丘の上から>

シミエ地区にあるもう一つの美術館、マティス美術館にも行ってみました。マティス美術館は赤茶色の美しい建物で、古いオリーブの木が植わった公園内にあり、近くには発掘中のローマ遺跡もありました。

Photo_9 <マティス美術館>

館内は「ジャズ」などの躍動感に満ちた切り絵を集めた部屋、マティスならではの大胆な構図とクッキリした配色の絵が展示されている部屋など幾つかの部屋で成り、このブログでも触れたヴァンスのロザリオ礼拝堂を装飾する為の下絵や、壁絵のデッサン、礼拝堂の模型などをまとめた部屋も興味深かったです。そしてマティス作品の展示だけではなく、日常使っていた家具や装飾品も展示されていました。

今回の南フランス旅行についてのブログ記事を5編書かせて頂きました。何だか下手なガイドブックの様な記事になってしまった気もしますが、ご訪問下さった皆様、ありがとうございました。

特に前回の、ニース&モナコ&エズの記事には、私のブログ中、過去最高の数のクリックを頂き感激しています。これを励みに、これからも日常を綴っていきたいと思います。お気が向いたら、又お遊びにいらして下さい。

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南仏夢紀行 ~ニース&モナコ&エズ~

2012年06月14日 |    南仏

ニースは多くの人々を惹きつけるコート・ダジュールの中心地です。ニースの海岸線にはプロムナード・デザングレと呼ばれる長い遊歩道が作られ、ここでベンチに腰掛けて海を見たり、ジョギングしたり、又恋人同士でそぞろ歩いたりなど、それぞれが思い思いにリゾート地、ニースでの時間を楽しんでおられる様でした。

Photo <プロムナード・デザングレ>

ニースの中心部から北へ坂道を上ったところはシミエ地区とよばれ、深い木立に囲まれた家々が多い高級住宅地になっているようですが、この地区にシャガール美術館やマティス美術館があります。

Photo_2 <シャガール美術館>

シャガール美術館は彼が11年がかりで完成させた12枚の「聖書の言葉シリーズ」の絵(雅歌を含め17枚)を展示する為に開館した美術館です。世界中から多くの人々が訪れ、色彩に溢れた彼の絵を鑑賞していました。館内はフラッシュ撮影以外は可となっていました。

Photo_3 <「雅歌Ⅳ」>

又この美術館にはシャガール作の「天地創造」のステンドグラスに囲まれた、小さなコンサートホールが併設されていて、クラシックコンサートや大学の講演などに使用されているようです。

Photo_4 <コンサートホール>

モナコ公国はニースからバスで3、40分のところにあり、国土が日本の皇居の2倍程度というホントに小さい国ですが、国連に加盟している立憲君主制の独立国で、公用語はフランス語です。ここではモナコ大公宮殿、モナコ大聖堂を見学しました。

大公宮殿はモナコの旧市街、モナコヴィル地区の小高い丘の上にあります。あまり装飾のないクリーム色のシンプルな建物で周囲の環境にシックリ溶け込んでいました。

Photo_5 <大公宮殿>

下の写真は大公宮殿がある丘からの眺めで、写真右側がモナコ港、その少し左に小さく青く写っているのが、数日前に行われた「モナコF1グランプ」の観覧席の一部、手前の茶色の屋根はモナコの旧市街、その向こうのビル群がモナコの日常生活エリアです。

Photo_6 <大公宮殿の建つ丘から>

大公宮殿近くにこんな写真が掲示されていたのでパチリしました。

Photo_10 <レニエ大公夫妻>

モナコ大聖堂は大公宮殿と同じモナコヴィル地区にあります。ここはカトリック教徒であるモナコ公室の公式行事が行われる場所で、レニエ大公とグレース・ケリーもここで結婚式を挙げました。又公国歴代君主の墓所でもあり、レニエ大公、グレース妃もここに葬られています。

Photo_12 <モナコ大聖堂>

手前がグレース妃、向こうがレニエ大公のお墓です。

Photo_13 <レニエ大公夫妻お墓>

モナコからの帰りに、コートダジュールの鷲の巣村の一つ、エズに行きました。

鷲の巣村とは南仏に数多くある、急斜面の石灰岩質の岩山頂上に民家が密集している村で、元はイスラム教徒の侵入、攻撃から守るために相手から見えない場所に村を作ったのが始まりなのだとか。その様子を切り立った崖に鷲が巣を作っているのに例えているようです。

このブログで前にふれた、レ・ポー・ド・プロヴンスやヴァンス、サン・ポール・ド・ヴァンスは、南仏の代表的な鷹の巣村で、コートダジュールだけでも100以上の鷲の巣村があるとのことです。

海抜420mのエズの村も、イスラム教徒の攻撃を防ぐ為、海から見えないように造られている為、山の下からはここに村がある様には見えません。

細い道の両側の中世からある石造りの家々は、今はオシャレなアトリエやショップになってるものが多いです。420mの山頂にはサボテン園がありましたが、海から垂直に切り立った、この場所から見える地中海の美しさは格別でした。

Photo <サボテン園からの眺>

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南仏夢紀行 ~アンティーブ&ヴァンス&サン・ポール・ド・ヴァンス~

2012年06月11日 |    南仏

プロヴァンスをあとにコート・ダジュールの町、アンティーブに向かいました。コート・ダジュール、なんとロマンテックで優雅な響きでしょう! コート・ダジュールとは紺碧海岸という意味だそうで、南仏のトゥーロン辺りからイタリア国境までの地中海沿いの一帯をいうようです。

アンティーブのグリマルディ城はピカソ美術館になっています。戦後ピカソは、スペースを気にしなくていい、この広いお城で大作に取り組んだのだそうです。そしてここを去る時、ここで制作した作品の大半を市に永久貸与した事で、このグリマルディ城にピカソ美術館が生まれました。

Photo <グリマルディ城>

制作中の写真などは下の階に、作品は最上階に展示されていました。よく知られた大作「生きる喜び」などがここに展示されています。又ここのテラスからは地中海が一望でき、素晴らしい景観でした。

Photo_2 <ピカソ作「生きる喜び」(ネットより拝借)>

Photo_3 <テラスより>

コートダジュールの鷲の巣村の一つ、ヴァンスにも立ち寄りました。ヴァンスには画家マティスが晩年に、そのすべての装飾を手掛けたロザリオ礼拝堂があります。この礼拝堂は彼の芸術の集大成といわれ、自身でも自分の代表作と言っていたそうです。

Photo_4 <ロザリオ礼拝堂>

Photo_5 <礼拝堂入り口>

Photo_11 <礼拝堂内部(ネットより拝借)

白い床の上に、濃いブルー、レモンイエロー、濃いグリーンの選び抜かれた3色で構成されたステンドグラスの光が影を落とし、明るい空間を作り上げていました。祭壇右側の白いタイル壁には、修道衣をまとった聖ドミニクスの絵が黒い素描で描かれていたのが印象的でした。

ヴァンスから石灰岩の上に出来た町、サン・ポール・ド・ヴァンスを巡りました。この町はコート・ダジュールに数ある中世の町の中でも特に美しいと言われているらしく、ボナール、シャガールなど多くの芸術家達を惹きつけました。シャガールのお墓もこの町にあります。

Photo_7 <サン・ポール・ド・ヴァンス遠景>

町の入り口から一番奥の墓地まで、徒歩で30分位で行ける小さな町でしたが、細い通りの両側には中世からの石造りの家が続き、今はその多くがオシャレなショップになっています。

Photo_8 <中世の小道>

Photo_9 <シャガールのお墓>

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南仏夢紀行 ~アルル&エクサンプロバンス&マルセイユ~

2012年06月08日 |    南仏

アルルの街歩きでは、よく知られたゴッホの絵の「夜のカフェテラス」に描かれたカフェ、「ヴァン・ゴッホ」があるフォーラム広場にも立ち寄りました。

Photo <フォーラム広場のカフェ、「ヴァン・ゴッホ」>

Photo <ゴッホ作「夜のカフェテラス」(ネットより拝借)

ゴッホの絵では広場の端にあるロマンティックな夜のカフェが描かれていますが、今回行ってみると、広場中がカフェ席で埋まっていて、絵の雰囲気とはまったく違っていました。絵が描かれてから100年以上経っているので当然でしょうが、がっかりしましたね~。

アルルには古代ローマ時代に出来た円形闘技場があります。ここは多くの観客を集めて血なまぐさい闘技が行われた場所ですが、身分の違う人同士が決してすれ違う事がない様に工夫されていたのだとか。

Photo_2 <円形闘技場>

ローマ時代の観客が歩いた通路が今でもそのまま残っています。

Photo_4  <円形闘技場通路>

アルルからエクサンプロヴァンスへはバス移動しましたが、車窓には緑一杯の初夏のプロヴァンスの野が広がっていました。

この地方には、冬から春にかけて、アルプス山脈から地中海に吹き降ろす、ミストラルと呼ばれる冷たく乾燥した強風(北風)が吹くそうです。その為でしょうか、家の北側に背の高い防風林を張り巡らした農家が多くみられました。

Photo_5 <防風林を巡らせた農家>

エクサンプロヴァンスは、大噴水ロトンドからまっすぐ伸びる、樹齢数百年のプラタナス並木が美しいミラボー通りがメインストリートの街(人口14万人)です。この街は、通りの両側に並ぶオープンカフェや所々にある小さな噴水、道行くオシャレな人々など、プロヴァンスの他の都市とは何となく違う、洗練された街の様に感じました。

Photo_6 <大噴水ロトンド>

Photo_7 <ミラボー通り>

Photo_8 <オープンカフェ>

画家セザンヌはこの街の出身で、彼自身が設計し晩年に使ったアトリエが、街の中心部から少し離れた場所に残っています。絵の題材にした、リンゴ等の静物や骸骨、又制作中に着ていたらしい絵の具が付いた上着などがそのまま置かれていました。(室内は撮影禁止でした)

Photo_9 <アトリエ入り口>

アトリエから少し坂(マーガレットの小道?)を上がった所には、セザンヌが毎日のようにカンバスを立てていた高台がありました。この高台からずっと向こうに、絵の題材となったサント・ヴィクトワール山が見えました。

Photo_10 <高台より>

エクサンプロバンスから30分位のバス移動でマルセイユの旧港に着きました。旧港に着いたのは午後でしたので、旧港の市の賑わいは感じられず、静かな街の雰囲気でした。テレビにマルセイユが出ると、丘の上のノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂が必ず写りますが、その聖堂が思っていたよりずっと近くにあるのには驚きました。

Photo_11 <マルセイユ旧港>

Photo_12 <マルセイユ市庁舎>

プロヴァンスの町をバスで移動中に、車窓から豊かなフランスの田舎をかいま見ることが出来ました。野原いっぱいのコクリコには出会えませんでしたが、畑の所々に可愛い朱色のコクリコが咲いているのや、斜面に鮮やかな黄色のエニシダが咲いているのが見えました。

            「ああ皐月 フランスの野は火の色す 

                  君もコクリコ われもコクリコ」

                                        与謝野 晶子


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南仏夢紀行 ~ポン・デュ・ガール&法王庁~ 

2012年06月06日 |    南仏

5月28日~6月4日まで夫と南フランスに行ってきました。添乗員さん付きの旅行で、旅のお仲間と楽しくプロヴァンス、コート・ダジュールをめぐりました。

福岡市から成田、パリ経由でアルル⇒マルセイユ⇒ニースの順で廻りました。今の時期の南仏は日本と同じ様な気温ですが、湿気が少なく爽やかで過ごしやすい気候でした。

よく知られた「ポン・デュ・ガール」はアルルの北にあり、アルルからバスで1時間位かかりました。徒歩で木立を抜け、目の前にこの橋が見えてきた時は感激しました!想像以上に大きく立派な橋で、下層の一番大きな石は6トン以上もあるそうです。この橋はユゼスからニームに水を送っていた全長50kmの導水路の一部で、1世紀中頃(古代ローマ時代)に造られたと考えられるのだそうです。                                                                     

Photo <ポン・デュ・ガール>

今回私達は特別に、このポン・デュ・ガールの一番上層の、古代ローマ時代に水が流れていた部分を歩いたんですよ。まず下の写真の様に橋の上へ上がります。

Photo_2 <橋の上へ> 

上がってみるとこんな感じでした。水路の幅は一定ではなく広い部分と狭くなっている部分がありました。そして水路にふたがある部分と、無い部分がありました(最初は全部にふたがあった?)。

Photo_14 <水路>

Photo_13 <水路>

こんな感じの所もあります。

Photo_3 <水路>

橋の下にはガルドン川が流れています。

Photo_4 <下を流れるガルドン川>

ポン・デュ・ガールは数え切れない程の修復を重ねて、約2000年間ここにありますが、その造形の美しさや周囲の緑や川と調和した素晴らしさに、思わず見とれてしまいました。

ポン・デュ・ガール見学の後、アビニヨンに行き、法王庁を見学しました。アビニヨンは1309年~1377年まで68年間教皇庁があった所で、今でも巨大な要塞のような当時の建物が残っています。

下の写真は見学コース入り口のシャンポー門。

Photo_5 <シャンポー門>

中はこんな感じです。

Photo_6 <入ってすぐの部屋>

Photo_7 <中庭>

Photo_9 <教皇の墓石(複製)>

<大礼拝堂>

当時使われていた家具などはフランス革命時に略奪されたりなどし、何もありませんでしたが、壁に描かれた当時のフレスコ画を見ることが出来ました。

法王庁の横を流れるローヌ川には、「アビニヨンの橋で踊ろよ、踊ろ」という歌で、よく知られるサン・ベネゼ橋が、途中で切れた姿で見えました。

Photo_11 <サン・ベネゼ橋>

南フランスには、白い石灰岩質の岩山の上にある集落が幾つもあります。そんな集落の一つ、レ・ポー・ド・プロヴァンスに行きました。今は250人が住むだけの村だそうですが、多くの観光客が訪れ、狭い道の両側にはオシャレな土産物屋が並んでいました。教会前の広場からは下の谷が見下ろせ素晴らしい景観でした。

Photo_12 <教会前からの景観>

今回の南フランス旅行の記事を何回かに分けて書いてみようと思います。お気が向いたら、又ご訪問下さい、よろしく(^-^)

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