最後の日の観光はアテネから南東に70㎞のスニオン岬に行きました。
アテネから海沿いの道を通りましたが、海の色がなぜこんな瑠璃色になるのか、不思議な気がする程、美しい海の色でした。
<瑠璃色の海>
美しい海を見ながらの昼食をはさんで、しばらくすると遠くにスニオン岬が見えてきました。岬の頂上に煙突の様に見えるのがポセイドン神殿です。
<スニオン岬>
スニオン岬に着くと、ポセイドン神殿遺跡周りには、1軒の土産物屋さんとレストラン以外は何もありませんでした。そして強い風が吹いているだけでした。
このポセイドン神殿はBC400年半ば位に建てられたそうで、海の神様、ポセイドンを祀る神殿でした。海を見下ろす丘に立っていますが、今はただドーリア式列柱と梁の一部が残っているだけです。が、海を背景のポセイドン神殿遺跡は、今まで見たどの遺跡とも違う雄大さが感じられました。
19世紀にギリシャの独立戦争に身を投じたイギリスの詩人バイロンは、この遺跡の美しさに感動し、柱の一つに自らの名前を彫ったのだそうです。私達は神殿に上がれなかったので、見れませんでしたが、それは今も残っているのだとか。
<神殿遺跡から見える海>
サントリーニ島での二日目は島の北端にあるイアという町を歩きました。
一日目に町歩きをしたフィラは観光客であふれる賑やかな町でしたが、イアは観光客も心なしか少なく静かで落ち着いた町でした。
イアの中心は大聖堂前の広場のようで、ここから町歩きが始まりました。大聖堂の左側の鐘楼が可愛らしいですね(^-^) この広場前から断崖絶壁の海沿いの道に入ります。
<大聖堂>
<イアの町>
イアの町は昨日観光したフィラに較べると、碧いドーム屋根の教会が多く見られ何だかメルヘンチックな雰囲気です。遠くには風車も何基か見えました。
道の両側にはサントリーニ島らしいお洒落なカフェやアートショップ、土産物屋があり、その先にはイア要塞があります。この要塞からの眺めは最高でした。
<要塞>
要塞から眺めるイアの町は、山の頂に雪が積もっている様にも見えました。
<要塞から見たイアの町>
イアの近くの町に17世紀から続くワイナリーがあり、そこでワインの試飲をさせて頂きました。デザートワインが美味しかったですね~。このワイナリーはすばらしい場所にあり、その美しい景色が心を解放させてくれました。まるで海と空が一続きのよう!
サントリーニ島はアトランティス伝説に彩られた島で、紀元前15世紀のサントリーニ島の大噴火とそれにともなう大地震と大津波がこの島の古代都市を壊滅させ、それがアトランティス伝説になったのではないかとの説があるそうです。
この美しい島を歩いていると、いつの間にか「そうかもしれない」という思いになってきます、不思議ですね。
クレタ島からサントリー二島へは、計画では2時間の高速船移動の予定でした。私はこの高速船移動を楽しみにしていたのですが、船会社の突然のストライキで飛行機移動になってしまいました。
添乗員さんによると、この船会社のストライキは時々あることで今回のギリシャの経済的混乱とは無関係と思われるそうですが、ひょっとして深いところでつながりがあるのかもしれない、わからないとのことでした。
サントリー二島では2泊しましたが、この断崖絶壁の上に家々のある美しい島を目いっぱい堪能しました。サントリーニ島の中心の町はフィラ、もう一つは夕日の美しさで知られているイアという町です。
ホテル到着後、旅行社が作ってくれた簡単な地図を片手に、添乗員さんの案内で旅のお仲間とともにフィラの町に繰り出すと、大聖堂が見えて来て、ほどなく断崖絶壁に沿って走る海沿いの通りに出ました。カレンダーなどでよく見かける急斜面に白い家々がビッシリ建っているのが目に入ってきた時は感動しましたね~。
狭い通りの片側は太陽に煌めく紺碧のエーゲ海、ずぅーと向うに美しい島影、大型客船も入ってきている様ですが、接岸できないのでランチに乗り換えているのが米粒の様に見えます。
通りの片側はお洒落なカフェ、レストラン、土産物店になっています。どの店も壁は白、窓枠やドアは青。紺碧の海と家々の白い壁が太陽に映えて、それはそれは美しい景観でした。
添乗員さんは1時間ほど町を案内してくれ、あとは各自、自由行動ということになりましたが、小さな町なので自由自在に歩きました。海を見たり、カフェに入ったり土産物屋を冷やかしたりしながら町歩きを楽しみました。
いつの間にか夕方になり夕食のレストランに行ってみると、そこは海に面した断崖絶壁の上にある夕日観賞に絶好のロケーションのレストランでした。
旅のお仲間と町歩きの情報交換などをしながら楽しく食事をしていると、日没がせまりエーゲ海に夕日が沈むのが見え、あまりの美しさに周りから拍手がおきる程でした。私もこれを見るためにここまで来たのだという思いがし、ホントに素晴らしい時間でした。
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クレタ島はギリシャ文明発祥の地でもあり、紀元前18世紀にはミノア(クレタ)文明が花開きました。その中でもクノッソス宮殿はよく知られ、それまで物語とされていたのが遺跡発掘により、この宮殿が実在のものだったことが証明されたのだそうです。
クノッソス宮殿遺跡見学の前にイラクリオンの旧市街にある考古学博物館を見学しました。アテネの国立考古学博物館はギリシャ全土の遺跡からの出土品が収められていますが、唯一ミノア(クレタ)文明の出土品だけが展示されていません。それはクレタ島に興ったミノア文明の遺産はほとんどこの博物館に収められているからのようです。
1Fがクレタ島全土から出土したもので、2Fが主にクノッソス宮殿跡から出土したものになっています。
牛を飛び越えるアクロバットを描いたフレスコ画。クノッソス宮殿遺跡から出土した壁画だそう。BC 1450~1400年頃のものと推定。茶の部分が残っていた部分で、白い所は復元。復元が果たしてそうだったか難しいところですね。
「パリジェンヌ」の通称がある女性像。クノッソス宮殿遺跡より出土した壁画。お洒落な女性像なので、こう呼ばれるそう。
タコが描かれた壺。何となく洗練された画ですね。クノッソス宮殿遺跡より出土。ギリシャ人はタコをよく食される様ですね。メニューにもよくありました。
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「リュトン」と呼ばれる形式の、儀式用カップ。これが何故カップなのか分かりません...。
イラクリオンの考古学博物館見学後、クノッソス宮殿遺跡に向かいました。
クノッソス宮殿が実在のものだと証明される様になったのは、1900年に遺跡発掘を始めたイギリスの考古学者アーサー・エヴァンズによってだそうです。遺跡前に彼の胸像がありました。
<アーサー・エヴァンス胸像>
研究によると、クノッソス宮殿はミノス王が紀元前18世紀に建てたとされ、当時は王の住居、政治、経済、祭祀の中心地としての役割も担っていたといわれています。
この遺跡はデルフィ遺跡のように荒涼とした感じはなく、明るく何となくロマンを感じる遺跡です。というのは一部しか残っていなかった柱などを、アーサー・エバンズが部分的に復元したからでしょう(下の写真の茶色の柱など)。この事については考古学界に賛否両論の激しい論争があるようです。
下の写真は写りが悪く申し訳ないですが、周りの壁画は復元されたもので、右側に映っている大理石の玉座はオリジナルなのだそうです。
宮殿跡にあった壁画などは鮮やかに復元してあります。
女王の間のイルカの壁画(復元)。
食糧庫。こんな壺に入れて保存していたのですね。
BC3000年頃始まり、BC18世紀~BC15世紀が最盛期だったとされるミノア文明は、BC14世紀頃突然滅んだといわれています。それはサントリー二島の大噴火と時期が同じことから、地震と津波が原因だったとも、後に文明を築くミケーネ人に攻撃されたとも考えられているそうです。
茫々たる時の流れに押し流されて、今では何もわかりませんが、この様な遺跡を目にすると、古代へのロマンをかきたてられますね。
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