日々の暮らしに輝きを!

since 2011
俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

東本願寺 阿弥陀堂修復

2011年06月02日 |    京都(2011)

5月の京都旅行の折、東本願寺に立ち寄りました。東本願寺は現在、平成の大修復が行われています。

私が行った5月上旬には、既に修復が完了した本堂の御影堂(ごえいどう)は、清清しくも堂々とした威容を誇っていましたが、御影堂の横にある阿弥陀堂は大きな体育館の様な素屋根に全体が覆われていました。そして阿弥陀堂修復の為の仮設足場としての素屋根内が公開されているところでした。

2_2 <素屋根に覆われた阿弥陀堂>

私にとって「素屋根」は初めて聞く言葉ですが、建物をスッポリ覆い、修復作業中の風雨を防ぎ、建物が保護された状態で安全に作業を行える環境を作り出すものをいうようです。

この素屋根は御影堂の修復時に御影堂を覆っていたもので、修復完了後に阿弥陀堂にレールによるスライド移動をさせたものなのだそうです(説明書にはエコ工事とありました)。

公開されている素屋根内に入ると、見学者専用のエレベーターまであるのでビックリしました。

2階に上がると、普段下からでは見る事の出来ない阿弥陀堂の屋根が見れる様になっていました。その大きさに圧倒されました!

P1000205_2 <阿弥陀堂屋根>

手を伸ばせば阿弥陀堂軒端に届きそう!

P1000204 <阿弥陀堂軒端>

軒端の瓦にはちゃんと「本願寺」と入っていました。

4 <本願寺銘入り瓦>

素屋根内には各地の東本願寺関係の展示物などもありました。又3階に上がると修復が完了した御影堂を見ることが出来る様になっていました。

今回の東本願寺阿弥陀堂の修復は、今までに見たどの修復現場よりも規模が大きく、普段見れない阿弥陀堂屋根を間近で見ることが出来たりなど、非常に興味深いものでした.。

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坂本龍馬のお墓

2011年05月17日 |    京都(2011)

京都八坂神社裏手の円山公園に坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像があります。龍馬と同じ土佐出身の慎太郎も脱藩後倒幕活動に奔走しました。龍馬の海援隊に対して慎太郎は陸援隊を組織しましたが、龍馬とともに京都の近江屋で暗殺されたのは皆様よくご存知ですよね。

銅像の龍馬は立ち姿で、慎太郎は横で片ひざ立てた姿で座っています。

Photo_2 <円山公園内の銅像>

 

銅像のある円山公園から高台寺方面へ行き、「維新の道」を上ると京都霊山護国神社に出ます。ここの墓地に龍馬や慎太郎のお墓があります。

Photo <龍馬 慎太郎の墓>

写真の左が龍馬、右が慎太郎のお墓で、山の中腹の京都の街がよく見渡せる場所にあります。 写真にはハッキリとは写っていませんが、龍馬のお墓の左奥に、もう一つ小さなお墓があり、二人の用心棒兼世話係りの山田藤吉のお墓だそうです。あまり知られていませんが、二人が近江屋で暗殺された時、藤吉も犠牲になったのだそうです。

Photo <お墓から見える京都の街>

面白いのは、お墓参りというか墓地見学はどこでも無料ですが、龍馬のお墓は300円の入場券を券売機で買うんですよ(笑)。自動改札口にそれを入れてはじめて墓地に入れる様になっています。

見学者は結構多くて、それも若い方が多かったです。龍馬人気の一端を見たように思いました。ここには悲劇的な最期をとげたのではない維新の志士達のお墓も多くありますが(高杉晋作のお墓もここにありました)、やはり見学者のお目当ては龍馬のお墓でしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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桂離宮

2011年05月15日 |    京都(2011)

桂離宮に行きました。

桂離宮は京都中心部から西へ5~6キロの桂川のほとりにあります。ガイドブックによると、総面積は付属地も含めると約6万9千m?あり、東京ドームのおよそ1.5倍の広さです。

月の名所として知られた桂に八条宮智仁親王が古書院を建てたのを始まりとし、一時荒廃していた離宮を息子の智忠親王が増改築し、ほぼ現在の姿に整えられました。建造当時から一度の火災にも遭っておらず、当時のままの姿だそうです。

 

桂離宮というと、私は一番に簡素でみやびな純日本的建物の美を思い浮かべるのですが、中に入ってみて、舟遊びが出来るほど広大で豪華な池泉回遊式庭園が広がっているのにホントに驚きました。庭園と庭園をつないで、石畳、敷石、飛び石など素晴らしい意匠の道がずっと続いていました。又お庭の所々には様々なデザインの灯篭が配され、細かい計算がなされている様に感じました。

Photo_2 <桂離宮庭園>

 

桂離宮の魅力である細部にまで神経の行き届いた建物内部の作りは、外からしか見る事が出来ませんが、開放的な建物なので外からでも、ある程度中を見ることが出来、この離宮建築に携わった人達の素晴らしい仕事ぶり、センスが伝わって来ました。そしてこの離宮でどんなドラマが展開されたのかな~などと思ったりしました。

Photo_3 <桂離宮松琴亭内部>

 

 

 

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法然院

2011年05月14日 |    京都(2011)

今回の京都旅行中には法然院にも行きました。哲学の道から一歩山手に入った鹿ケ谷にありますが、今までの旅行の折、何回も前を通りながら、行かずじまいに終わっていました。

趣のある藁葺きの山門をくぐると、両側に「白砂壇」と呼ばれる長方形の白い盛り砂があります。これは心身を清めて浄域に入る事を意味するのだそうです。参道を進むと本尊が安置されている本堂で、ここは非公開でした。

Photo_10 <法然院 山門>

法然院は谷崎潤一郎のお墓がある事でも知られています。作家、文化人が時々エッセーなどで取り上げている、そのお墓に私も行ってみたいと常々思っていました。

法然院の墓地はそんなに広くはなく、比較的奥まった所に、そのお墓はありました。写真でわかる様に敷地内に二つの自然石の墓石があり、左の寂と彫ってある方が谷崎夫妻のお墓だそうです。この寂という字は生前本人がそれ用に揮毫していたものだそうで墓石の左下に潤一郎書と彫ってありました。二つの自然石の墓石の間には、葉桜になっていましたが一本の紅枝垂桜が植えてありました。右は谷崎夫人の妹夫妻のお墓だそうです。

Photo_9 <谷崎潤一郎お墓(左)>

エッセーではお墓の素朴なたたずまいと、その人となり、作品のイメージが合わないなどと書かれたものが多いですが、紅枝垂桜が咲いた時はイメージ通りの華やかなお墓になるのではと思いました。

 

 

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西本願寺飛雲閣 書院

2011年05月14日 |    京都(2011)

5月9日からの京都西本願寺の飛雲閣、書院の特別公開にあわせて、夫と京都に行ってきました。

西本願寺は京都市を南北に走っている堀川通りに面して総門が立っていますが、その広い境内には国宝級の建物が沢山あるんですね~、驚きました!

今年の4月から親鸞聖人750回大遠忌法要が行われており、境内は多くの門徒の方々で溢れていました。

国宝飛雲閣は境内の南東に建っていて、金閣、銀閣とともに京都の三名閣の一つで、聚楽第を移築したとも言われているそうです。何故か外からの撮影も禁止で、下の写真はネット上からお借りしたものですが、写真で見るとおり三階建ての左右非対称の造りで、二階外部の板戸に歌仙が描かれたりなど珍しい建物ですね~。屋根が桧皮葺なのも、柔らかい印象を見る人々に与えていると思います。

中には入れませんでしたが、滄浪池(そうろうち)と呼ばれる池に面して建てられていて、お庭も又素晴らしいものでした。

Photo_3 <飛雲閣>

国宝の書院は伏見城から移築したといわれ、桃山建築の粋が集まったものだそうです。内部は上段、下段あわせて203畳の対面所と、白書院、控えの間などに分かれています。対面所は雲と鴻を透彫りにした欄間があることから「鴻の間」とも呼ばれ、小柄な秀吉を大きく見せるために、逆遠近法を使って描かれたと考えられている障壁画や、狩野探幽筆と伝えられる天井の貼付絵などで装飾されていました。上段には一段高くなった上々段があり秀吉(移築後は西本願寺門主)がここに座り、下段のお客様を謁見したのでしょう、きっと。

この対面所の造りは熊本城の「招君の間」に何となく似ている様な感じがします(こちらは出来て間もないですが)。

この書院は、その昔の豪華絢爛さは今でも充分に想像出来ますが、あまり当時から手を加えられていないようで、絵の色も落剥気味でした。傷まないような配慮だと思いますが、照明もかなり暗く抑えられています。

ここも写真撮影禁止で、ネット上にも適当なものが無かったので写真がありません。ぜひ特別公開の時に見学なさってみてください。桃山時代の特権階級の栄華が偲べる建物だと思います。

飛雲閣、書院は通常は非公開なのですが、今回は期日を限っての特別公開でした。

 

 

 

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