日々の暮らしに輝きを!

since 2011
俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

長崎への旅 ~西海橋 佐世保市~

2012年05月19日 |    長崎

遠藤周作文学館を後にして、さらに202号線を北上し西海橋に出ました。西海橋はだいぶ前にも来たことがありますが、今回新たに横に有料の橋が出来ていました。有料だからか通る車は極々少なかったです。

西海橋の赤いラインが周辺の新緑に映えてきれいでした。

Photo <西海橋>

西海橋を渡り、202号線でしばらく走り佐世保市経由で弓張岳に行ってみました。ここには佐世保市を一望できる弓張岳展望台があります。

ここからは佐世保市街地や米軍基地、佐世保重工業のドッグ、少し遠くに南九十九島などの佐世保の大自然が一望できます。又この山は西海国立公園にも指定されていて、佐世保を代表する山の一つです。この展望台には路線バスが乗り入れているようでした。

下の写真は展望台の入り口から撮ったもので、階段を登った所に弓の形をした屋根の弓張岳展望台があります。

Photo_2 <展望台入り口>

下の写真は展望台からの眺めで、左側が佐世保市街地です。佐世保港に3つの施設が突き出ていますが、一番右側が米軍佐世保基地の一部、その左が上五島航路の旅客ターミナル、一番上が海上自衛隊佐世保基地です。

Photo_3 <展望台から>

展望台から下りて佐世保の街を見ようと、佐世保一の繁華街、「さるく403アーケード」を歩いてみました。このアーケードは真っ直ぐで、驚くほど長く(全長約1キロ)、道幅も広いです。180の店舗が軒を並べていて、一直線のアーケードとしては日本一の長さと言われているようです。佐世保は24万人都市ですが、この商店街は、わが国で最も再開発に成功しているといわれる商店街として、最近、NHKラジオでも紹介されたそうですよ。なるほどと思いました。1月1日、2日の初売りには毎年20万人の人出で賑わうそうです。

Photo_5 <さるく403アーケード>

帰りも行きと同じく長崎自動車道、九州自動車道を通って20:00頃、無事家に帰り着きました。福江島内を除く全走行距離は約452kmでした。

 

 

 

 

 

 

 

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長崎への旅 ~遠藤周作文学館~

2012年05月16日 |    長崎

長崎市から202号線で西彼杵半島を北上すると、左手に海が広がり、さらに走り続けること4、50分、外海(そとめ)地区に入ります。海にせり出した斜面に、初夏の陽射しを浴びて遠藤周作文学館の屋根が見えて来ました。海が背景の素晴らしい場所に建つ、瀟洒な外観の文学館です。

Photo_3 <遠藤周作文学館>

ここ外海地区は遠藤周作の代表作、『沈黙』の舞台であり、執筆中に彼がたびたび訪れたキリシタンの里でもある事、そして彼が「ここは神様が僕のためにとっておいてくれた場所」と言って、外海地区の景観をとても気に入っていたこと等が縁になり、彼の死後、夫人の協力のもと、ここに文学館が設立されたのだそうです。

館内に入るとエントランスホール正面に、笑いをかみころした様な、又少し気取った様な、大きな遠藤周作の肖像写真が飾られています。高窓にはステンドグラス風のガラスが入っていて、何だか教会の様な感じもするエントランスホールです。ここまでが写真撮影可でした。

Photo_4 <エントランスホール>

展示室は遠藤周作の生涯とその足跡を辿る常設展示室と、テーマ展示室の二室で構成されている様で、純文学から狐狸庵もののエッセー、戯曲など多彩な彼の仕事が一望出来ます。

創作の苦闘の跡を感じさせる『沈黙』やその他多くの小説の草稿、小説のモデルになった人物に関するメモ、取材旅行の写真や作家達、家族と取り交わした書簡等が、詳しい説明とともに展示されていました。

遠藤周作の純文学作品はキリスト教と向き合った重苦しいものが多いですが、人を見る目に暖かさがあり、それが彼の小説の魅力になっていると思います。

彼は母親に勧められて12歳の時に受洗したのだそうですが、この事は日本人がいかにキリスト教と向き合うかを考える、彼の生涯の出発点になったようです。後に彼はこれを、「だぶだぶの洋服を和服に仕立て直す作業」をすることだと、何かに書いていたのを思い出しました。

執筆時に使っていた机や椅子などと共に、彼の聖書も展示してありましたが、思いのほか傷んでいないのが意外でした。聖書を何冊か持っておられて、展示品はそのうちの一つなのかもと、思ったりしました。どんな思いでこの聖書をめくっておられたのでしょうね~。

テラスからは果てしない凪いだ海が見渡せました。海を見ていると、忙しい日常から離れ、心が開放される様な気がし、色々な事を思いますね~。又このテラスから眺める、遠く広がる海をオレンジに染めて沈む夕陽の美しさは格別とのことです。

Photo_5 <テラスより>

Photo_6 <テラスより>

今回は行きませんでしたが、テラスからずっと向こうの山辺には出津文化村が見えました。『「旧出津救助院」「出津教会」「ド・ロ神父記念館」「外海歴史民俗資料館」「外海子ども博物館」、遠藤周作氏の「沈黙の碑」が点在する一帯を出津文化村とよんでいる』そうです(説明書より)。

Photo_7 <出津文化村>

この文学館では遠藤作品の映画やビデオ上映会、講演会なども行われている様です。文学館のすぐ近くには、「道の駅・夕陽が丘そとめ」がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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長崎への旅 ~五島(福江島)~

2012年05月10日 |    長崎

夫と5月7日~8日にかけて、五島、長崎市、佐世保市に行ってきました。

7日の早朝に福岡市の自宅を出発し、五島⇒長崎市⇒野母崎⇒長崎市⇒外海地区⇒佐世保市の順に廻りました。

五島の福江島へは、長崎港の大波止から九州商船のジェットホイル「ぺがさす」に乗り、約1時間半位で到着しました。

ガイドブックによると福江島は、国内で11番目に大きな島で東西45キロ、南北30キロ、人口は43000人です。風光明媚な自然とキリシタンの歴史を物語る史跡など観光地としての魅力も備えています。

レンタカーを利用しての島めぐりでしたが、よいお天気に恵まれ、海岸線を走る時など穏やかな初夏の海が窓一杯に広がり、心地よい風を感じる快適な走行でした。

福江港から海岸線沿いを、南西に約1時間位走ると島の裏側に出ます。そこは東シナ海に突出した断崖で、岬の突端には日本の西の海の航海安全を守る白い灯台が建っていました。手つかずの迫力ある自然と白亜の灯台が美しく調和して、心洗われる素晴らしい景観でした。ここは又、東シナ海に沈む夕陽が美しい所で、毎年12月31には夕陽鑑賞会が開かれているそうです。

Photo <大瀬崎灯台>

福江港から車で北へ2、30分程走ると波静かな奥浦湾を背景に赤レンガの堂崎天主堂が建っています。この教会はイタリアから資材を運んで建てた五島最古の天主堂だそうです。堂内は資料館にもなっていて、キリシタン禁制の時代、隠れて崇めたマリア観音など多くの資料が展示されていました。又、26聖人殉教者の一人、聖ヨハネ五島(五島出身)の聖骨が、聖体顕示台に納められ祭壇に安置されていました。この堂崎天主堂は日本26聖人に捧げられているのだそうです。

Photo_6 <堂崎天主堂>

町の中心部の福江城址近くには武家屋敷通りが残っています。道幅の広い立派な武家屋敷通りで、綺麗に整備され、昔を偲ばせるたたずまいではありませんが、石垣の上に丸い小石が積んであるのが珍しいですね。これは「こぼれ石」と呼ばれ、敵襲の際には武器代わりに用いたといわれています。

Photo_3 <武家屋敷通り>

福江島のメイン通りは福江港近くの本町アーケードのようですが、この通りは道の両側の商店にアーケードが付いていて、道幅も広く、通りも長く、意外な感じがするほど立派なものでした。

Kukueakedo <本町アーケード>

夕方長崎市に戻り、夜の街に繰り出してみました。大波止から県庁坂通りを上り、観光通りに出ました。この辺りは市電が通っていて、繁華街にも近く、多分、この通りが長崎市のメイン通りなのではと思いますが...。下の写真は夜8時過ぎの観光通りです。ゴールデンウイーク明けでしたが、かなりの人出で観光客や地元の人で賑わっていました。

Photo_4 <観光通り付近>

下は長崎市一の繁華街、浜市アーケード街(夜8時過ぎ)です。

Photo_6 <浜市アーケード街>

 

 

 

 

 

 

 

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