グラントリアノン見学後プチトリアノンに向かいました。プチトリアノンはルイ15世が、愛妾ポンパドール夫人と過ごすために18世紀後半に建てられましたが、建物が完成した時にはポンパドール夫人は亡くなられていたそうです。
でも私達はプチトリアノンと言えば、何といってもマリーアントワネットを思い浮かべますね。その名の通り小規模な四角い建物で外観も内装も豪華というより可愛らしく優美な感じがしました。
プチトリアノンはグラントリアノンからさほど遠くない所にありますが、建物正面はこんな感じです。
<プチトリアノン正面>
建物正面の前方には大木(ポプラ?)の並木が整然と植わっていましたが、当時はどうなっていたのでしょうかね~。この写真からも感じが伝わって来ますが、人で溢れたベルサイユ宮殿と違って、この離宮を見学する2、30人の人がいるだけで、建物の周りには観光客は誰もおらず静かな場所でした。
建物の中に入ると、さほど広くない玄関ホールになっていて、二階への階段はこんな優美な造りでした。プチトリアノンの中では私はこの玄関ホールが一番好きな部分でした。写真ではよく分かりませんが、手すり部分にはM、Aのイニシャルが施されていました。又、この写真では人に隠れて見えにくいですが、二階への階段の下に台所への入り口があり、その通路や台所の造りは建物の外観からは考えられない雑な仕上げの様に思われました。
二階への階段を上がってすぐの控えの間でしょうか、こんなマリーアントワネットの肖像画が飾られていました。よくみかける肖像画ですが意外と小さな絵でした。
お供の人たちとマリーアントワネットが過ごした部屋でハープやビアノが置いてあります。
この部屋は何の部屋でしょうか、大きな鏡が2枚あるところをみると、化粧室、着替えの間でしょうか。2枚の鏡は上下可動式になっていました。
一番奥にあったのがマリーアントワネットの寝室でした。彼女は小花模様が好きだったみたいですね。ベルサイユ宮殿の彼女の寝室も小さな薔薇の花柄のカーテンやベッドカバーで装飾されていました。
下は庭側から見たプチトリアノンです。お洒落なお庭ですね。当時とはずいぶん変わっていると思いますが。
プチトリアノンの周りには、後に彼女が造らせた小さな建物が配されていました。
<愛の殿堂>
音楽を楽しんだりお茶を飲んだりする部屋だそうです。
マリーアントワネットはお芝居が好きだったのでしょう、小さな劇場もありましたよ。
絢爛豪華、装飾過多のベルサイユ宮殿に較べると、プチトリアノンはホッとする様な造りで、威厳と格式に満ちた宮廷生活に息苦しさを憶えるようになっていたマリーアントワネットにとって、少数のお気に入りのお供とここで過ごす時間は、かけがえのないものになっていたのでしょうね。
トリアノンとプチトリアノンの二つの離宮は、その瀟洒さ、優美さなど似ている様でどこか違っていて、私はトリアノンの方が好きでしたネ。
プチトリアノンの近くには、マリーアントワネットが当時の自然回帰の思想に影響を受けて、大池の周りに造らせた藁葺の農家、水車、牧場などのある「村里」がありました。思っていたより本格的な田舎風の小集落で驚きました。彼女は少数のお供と、ここで質素な服に麦わら帽子姿でバター作りなどを楽しんだと言われています。
ベルサイユ宮殿のショップで、上の写真のマリーアントワネットの肖像画にどこか面影が似ている様な、「青いドレスのマリーアントワネット」という名の、小さな手のひらサイズの壁掛け人形を買い求めました。