日々の暮らしに輝きを!

since 2011
俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

藤原ていさん

2016年12月04日 | 読書

先月11月半ばに作家の藤原ていさんがお亡くなりになりました。98歳でいらしたそうです。

藤原ていさんといえば、子育て中の若い頃に彼女の著書『流れる星は生きている』を読んだことを思い出します。今、その本は手元にありませんが、言葉では表せない程の苦しみが伝わってきて、涙なしには読めない本でした。

満州の首都新京で終戦を迎えたていさんは、
ソ連が参戦し攻めて来たため、仕事で現地に残る夫と別れて、一人で生まれて1ヶ月の赤ちゃんを入れたリュックを背負い、3歳、6歳の幼子の手を引き、筆舌に尽し難い苦労の末、38度線を越え帰国。その壮絶な引き揚げ
体験記を『流れる星は生きている』として出版しました。

産後1ヶ月の女性一人で、生まれたばかりの赤ちゃんと二人の幼子を命がけ
で守り、日本に連れ帰って来たのです。並大抵のエネルギーと意志ではないですね。

この本を読んだ頃、同じ位の歳の子供を育てていた私は、平和な環境に感謝するとともに「しっかりせい」と言われた気がしたのを憶えています。

この本は、幼子を守り抜いた母親の強靭(きょうじん)な精神と愛情を記したとして、昭和24年のベストセラーになったそうです。

2011年夏にスイスに行った時、アイガー北壁下のハイキングコース入り口付近にある、藤原ていさんが建てられた、彼女の夫の
作家新田次郎記念碑を見学しました(その記事はこちら。ていさん死去のニュースが流れた時、『流れる星は生きている』とこの記念碑のことを思いました。

どうぞ安らかにお眠り下さい。


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新聞連載小説 『マチネの終わりに』

2015年05月22日 | 読書

毎日新聞で3月から平野啓一郎さんの小説『マチネの終わりに』の連載が始まっています。

平野さんといえば大学在学中に『日蝕』で芥川賞を受賞され作家デビュー。三島由紀夫の再来などと言われ、その後も次々に話題作を発表されていますね。

彼の小説を読みたいと思いながらも実際には読んだことはありませんでしたので、連載の予告記事を見た時から、楽しみにしていました。

作者の言葉によると、この小説のテーマは愛と死、そして時間。青春を終えた40代をどう生きるかなどだそうです。

私は文章以外に挿絵にも興味をもっています。とても純文学作品の挿絵とは思えない雰囲気の絵で(最近では私でもわかるものもある)、この挿絵を描いておられるのは、どんな方だろうかと思っていましたら、平野さんの強い希望で決まった石井正信さんという方だそう。

石井さんによれば、挿絵は上下左右に増幅していき、連載が終われば、一枚の巨大な絵が完成するとのこと。よく飲み込めないながら、その巨大な絵は何らかの形で読者に披露される予定だそうで、それも楽しみにしています。

連載は始まってまだ2か月半位ですが、40才前後の二人の主人公が、最初の偶然の出会いの次のステップの、自分たちの意志でパリで逢うという最初のヤマ場を向かえています。

どうも、二人の間柄がこれから抜き差しならぬ方向に展開して行きそうな気配、大。 新聞を
開くとこの小説を一番先に見るようになり、私ものめり込んでいきそうな気配、大です(笑)。

又、この小説は毎日新聞紙上だけではなく、noteというサイト
でも読めるようになっています(10日遅れ)。
https://note.mu/hiranok


ちなみに小説のタイトルの「マチネ」というのは、コンサートの「昼の部」のことだそうで、夜の部は確か「ソワレ」といいますね。 

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トルーマン・カポーティ 著 『ミリアム』

2015年04月16日 | 読書

先日、久しぶりに友人達と会ってお喋りをしていたら、トルーマン・カポーティの『ミリアム』という短編小説の話がチラッと出てきました。

なぜかその本が気になり、後日、図書館で借りて読んでみました。T・カポーティの短編集、『夜の樹』の中の1編として『ミリアム』が入っています。


『ミリアム』はこの本の最初に出て来る短編で非常に短く、2、30分で読んでしまいました。しかし短編であるにもかかわらず、その読後感は重苦しく疲れさえ感じるものでした。

解説によると、この小説はO・ヘンリー賞を受賞し、T・カポーティの小説の中では、もっとも親しまれている作品なのだそうです。

                      

“彼女の生活はつましい。友達というような人はいないし、角の食料品店より先に行くこともめったにない”と描写されるミラー夫人はニューヨークのマンションに住む61才の老女(?)。

ある雪が降る夜、夫人は思いついて映画を見に行き、そこでミリアムという不思議な美少女と出会う。この出会いの場面から既に、何となく腑に落ちない感じがただよう。そして数日後の雪が降り続く夜遅く、そのミリアムがミラー夫人のマンションに現れる。

押し入るようにミリアムがミラー夫人の部屋に入った後、当惑している夫人にミリアムはサンドイッチを作ってくれだの、夫人が大切にしているブローチを欲しいだの言いだし、二人の会話から少女の不気味さや恐怖めいたものが伝わってきて何だかホラー小説の様な趣も。

ミリアムが出て行った次の日一日、夫人はベットで不安な気持ちのまま過ごし、これまでの静かな生活が少しづつ乱され始める。

その数日後ミリアムは大きな荷物を持ってやって来て、ミラー夫人の部屋に入り込む。夫人はこらえきれなくなりマンションの下の階の住人に助けを求めた時、誰にも少女の姿は見えなかった...。すべてミラー夫人の幻想だった。

                                                                         

だいたいこの様な内容なのですが、都会に住む一人の老女の孤独な境遇が描かれ小説全体が寂しさに満ちていて、又ゾクッと来るような怖さも感じます。幻想が老女の生活を壊してゆき、孤独が作り出す狂気の様なものが読者に伝わって来ます。作中降り続く雪は孤独な老女の心の象徴の様にも。

小説の最後は、“自分を取り戻したミラー夫人は、又もの憂げにこちらを見つめている女の子を見た。「ハロー」とミリアムがいった。”で終わるのですよ。あと味が悪い小説ですね~。

この作品はT・カポーティ21歳の時の作だそうで、その若さでこんな人物像をよく描き出せたな~と、驚きました。

『ミリアム』は、物語の筋で読ませるのではなく、人の心の動きを描いている小説です。ミラー夫人は、これから本当の老いに向かう私と同じ世代の60代、この様なところが重苦しい疲れを感じる読後感につながったのかもしれません。


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田辺聖子 姥シリーズ

2015年03月26日 | 読書

田辺聖子さんの作品に姥シリーズというのがあります。『姥ざかり』『姥ときめき』『姥うかれ』『姥勝手』がそれですが、主人公の歌子さんの痛快で颯爽とした人生観が心地よく楽しい小説です。

田辺さんが最初の『姥ざかり』を発表したのは30年以上前の昭和56年だそうで
、田辺さんによると、それが読者に喜ばれ力を得て『姥ときめき』『姥うかれ』と続けて書き、平成8年の『姥勝手』が最終巻とのことです。

私が最初に読んだのは40代半ばでしたが、『姥ざかり』を読んで、
なんて素敵なおばあちゃんなんだろうと瞬く間に歌子さんを好きになり、たちまち一冊読んでしまったのをよく覚えています。

『姥ざかり』では3人いる子供とは同居せず、東神戸の海の見える高級マンション8Fに独り暮らす歌子さんは76才。頭の回転が速くお洒落でかっこいい。そして毎日が楽しくて仕方がない。


枯淡の境地などまっぴらゴメン。周りに煙たがられようと言いたい放題、やりたい放題。そして「清く正しく美しく」の精神で、きれいなもの、明るいものにあこがれ、誰はばかることなく我が道をゆく歌子さん。

2作目の『姥ときめき』になると、歌子さんは77才になっている。でもおばあちゃんという雰囲気ではない。シルバーレディがぴったり。


戦後、船場の御寮さんとして頑張り子供たちを育て上げ、自身の資産もきっちり持ち、健康にも問題なし。今は優雅な一人暮しの歌子さんは、今日も色々の人と会い、珍事件も起きる。彼女の好奇心と周りの人の狼狽やお節介が面白く、いつまでもときめく心を忘れない歌子さんの大活躍が楽しい。

『姥うかれ』になると、歌子さんは78才になっている。彼女は相変わらず絶好調、とにかく忙しくカレンダーはいつも予定ありの赤丸付き。


が、しかし「姥蛍」という章では友人の春川夫人がポックリ亡くなり、つい最近まで元気に笑っていた人がもうこの世にいないという不思議さには、いつまでたっても馴れることはないという言葉が出てきて、『姥ざかり』『姥ときめき』とはちょっと趣が異なってきた様にも...。

4作目の『姥勝手』の表紙は、それまでのメルヘンチックな歌子さんから、パンツスーツを颯爽と着こなす熟年レディになっているのも楽しい。この変化は作品が書かれた時代の流行をそれとなく表しているのかも。


『姥勝手』では歌子さんは80才になっている。好きなローズ色のシルクデシンの洋服の着心地のめでたさ、やがて花咲く桜の春を待つ心はずみ、今月の宝塚の新しい出し物、など生き生き元気な暮らしぶりは変わらない歌子さん。

が、一緒に船場で苦労した前沢番頭、女衆のお政ドン、古い友人などが、櫛の歯が抜けるように旅立ち、
宝塚好きの叔母さんも大往生したらしい。

無情の嵐は、生き生き元気溌剌な歌子さんにも吹き付け、この巻はそれまでの巻にはない味わいになっている。

スタート時の『姥ざかり』では76才だった歌子さんも最終巻の『姥勝手』では80才。まだまだ元気で痛快な生き方は変わらない。

40代の半ばに最初にこの姥シリーズを読んだ時は、なんて魅力的なお年寄りかしらと熱烈な歌子ファンでした。それから何回も読みましたが、だんだん歌子さんの年令に自分が近づいて来るにつれて、自分の生き方を考えるバイブルの様な本になって来ました。

田辺さんの本は押しつけがましいところがなく、普通の人の普通の日常を描きながら、そこに人生の真実が含まれているというか、生き方を学んでしまう、そんな作品が多いですね。

ここまでくれば、ぜひ田辺さんに姥シリーズの第5巻を書いていただいて、80代の歌子さんを覗いてみたいものです。
 

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宮尾登美子さんのエッセイ

2015年01月14日 | 読書

宮尾登美子さんの訃報に驚きました。そんなお歳とは思っていなかったものですから。

宮尾さんの作品は新聞小説の『蔵』の他は数冊のエッセイしか読んだことはありませんが、女優さんと対談されている和服姿の写真を時々婦人雑誌でお見かけすることがあったので、何となく身近に感じていました。最後に雑誌でお見かけしたのは、女優の檀ふみさんと対談されていた1年半ほど前だと思いますが...。

昨年の秋に圧迫骨折で入退院後、家で療養していた時、家にある本を読んで過ごす時間が多かったのですが、その中に宮尾登美子さんのエッセイ『もう一つの出会い』『つむぎの糸』がありました。


30年程前に出版されたこれらの本が、なぜ私の手元にあるのか、今となっては思い出せませんが、多分その頃、宮尾さんは売れっ子作家で、彼女の小説、エッセイが多く出版されていて、その中のこの2冊を買い求めたのでしょう、きっと。

『もう一つの出会い』は宮尾さん自身のことを綴っているエッセイで、本の中から彼女自身がたちのぼって来る気がします。宮尾さんは遅咲きの方で、38歳で故郷の土佐から上京後、会社勤めを経て40代で作家になるまでや、自身の生き方、これまで出会った様々な人やもの、場所について、淡々とつづられています。

『つむぎの糸』も裏表紙の説明によると、「土佐のいごっそうの熱い血潮を細やかな気くばりで包んだ、結城つむぎのように底光りするエッセイ」とのことで、色々の話題が縦横に綴られていて、宮尾さんの楽しげな境地さえ感じられます。

宮尾さんの小説は流麗な文章などと評されることが多いようですが、エッセイの彼女の文章は、私から見ると、それとはちょっと違っていて、ゆっくりした独特なリズムがあり、緻密できっちり整った職人芸の文章といった趣です。

たまたま療養中だったので手に取って読んだ二冊のエッセイ、著者の宮尾登美子さんが亡くなられたとの報に接し、もう一回読み直してみたいという思いがしています。

ご冥福をお祈り致します。
 

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