前回(81)の記事では、『杉田久女句集』出版までのいきさつについて、詳しく触れていませんので、この遺句集は比較的スムーズに出版された様に感じられるかもしれませんが、実際はそうではありませんでした。
久女の生前はいくら懇願されても久女の句集に序文を与えなかった高浜虚子でしたが、彼女の死後もそんなにすんなりとは運びませんでした。
今まで述べた様に、高浜虚子は久女の死後、『ホトトギス』やその他の雑誌に、死者に鞭打つ様な、久女叩きとも受け取れる文章を次々に発表していました。
それらの文章には、虚子が久女を同人除名した処置を正当化しようとする意図があったと思われますが、その内容は「常軌を逸していた」、あるいは「狂人」という点のみを強調し、久女が除名前から狂っていたという風説を流すものでした。
久女の長女昌子さんにとって、この様な時期の虚子に、母の遺句集に序文を書いてほしいとお願いするのは、相当大変だったと思います。
昌子さんの書かれた文章によると、出版社を決めようとすると「久女さんのものを出版すると、虚子先生からの出版物がいただけなくなる。久女さんのものは虚子先生から差し止めがあって...」という理由で断られたこともあったようです。つまり虚子は久女が彼の序文なしでの句集を出版出来ない様に、妨害工作までしていたのですね。これには驚くとともに何もそこまでしなくてもと思わずにはいられません。
色々思案した末、昌子さんのご主人、石一郎氏の師である川端康成(『伊豆の踊子』『雪国』の作者)を煩わせ、川端康成と石一郎氏が、句稿を持参して、鎌倉の虚子宅へお願いに行ったようです。
その様ないきさつがあり、久女の長女昌子さんは、苦労の末やっとの思いで、かろうじて高浜虚子から序文を貰い、昭和27年10月、角川書店からの『杉田久女句集』出版にこぎつけたのでした。
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