ドブログニク滞在2日目は楽しみにしていた城壁巡りをしました。
ドブログニクの旧市街は外敵から町を守るため14、5世紀に造られた約2㎞の堅牢な城壁で囲まれており、現在は城壁の上は遊歩道になっていて、一周すると1時間程かかります。城壁の出入り口は4か所ある様ですが、私達はピレ門から入りました(城壁巡りは有料で100クーナ(約2000円)でした)。
城壁上に上がると、下のオノフリオの噴水前の広場やメインストリートのプラツァ通りが、こんな感じで見えました。
<噴水前広場>
<プラツァ通り>
<のんびり城壁巡り>
お天気が最高に良かったので、微風が吹く海側の城壁上を歩くのは気分爽快で、紺碧のアドリア海を独り占めにした気がしました。
城壁上からは、旧市街の通りを歩いていても見えない、日々の暮らしがかいま見えることもありました。
学校もありましたよ。
途中見晴らしがいいところにはこんなカフェも。
下の写真の手前2軒の家の屋根瓦はキレイなオレンジ色ですが、一番奥の家の屋根瓦は古びていますね。これは手前のきれいな屋根瓦の家は、ユーゴスラビア連邦共和国崩壊への幕開けとなった1991年のユーゴ政府軍の砲撃で甚大な被害を受けた家で、紛争終結後修復された屋根だそうです。
城壁の上から旧市街を見ると大部分の家々が新しいオレンジ色の瓦でした。この事からもこの時の砲撃の激しさがわかりますね。この狭い旧市街に2000発の砲弾がうちこまれたそうですから、市民は逃げ場がなかったのではないでしょうか。こんな写真が通りに掲示してありました。
クロアチアがユーゴスラビア連邦からの独立を求めるこの紛争は長期化し、ドブログニク旧市街は甚大な被害を受け、多くの市民が犠牲になりました。1995年に和平合意がなり、危機遺産登録されたドブログニクは市民に加え、世界中から集まったボランティア達が残骸の中から建築材料を拾い出すという作業から修復が始まったのだそうです。そして現在もまだ修復作業は地道に続けられているそうです。
二十数年前のこの紛争は、日本人の私にとって今一つ訳がわからない感じがしましたが、この旅行で現地のガイドさんの説明を聞き、そうだったのかと少し理解出来た気がします。
観光客として訪れると目の前の美しい街並みだけしか目に入りませんが、その背後にはこの様な歴史が秘められているのですね。