今朝、追悼の気持ちを込めてあの震災時間の5時46分の空の写真を撮りました



震災があった時間の空はまだ真っ暗。
大阪に住む私にとって阪神淡路大震災は15年経った今となっても忘れられない記憶です。
そこで当時の日記を振り返ってみました

当時、震災前日1月16日は娘の親友が我が家に泊まりに来ていました

これが震災当日の日記です。
「 今朝5時46分、大きな地震があった。
今まででこれほど揺れたのは初めてだ。
いつもと違う。
7時半頃、また大きな余震。
テレビのニュースで神戸震度7、大阪震度5とのこと。
神戸・芦屋・西宮等の被害は思ったより大きく、ビルは壊れ、阪神高速もつぶれ、
家も軒並みつぶれ、火災が発生。
もうめちゃめちゃや。
死者も多数出ている模様とのこと。
地震がここまで怖いとは・・・
こんな中でも、お父さん(主人)は会社、○○ちゃん(娘)とMちゃん(娘の親友)は高校、
XXくん(息子)は中学校へとそれぞれ出かけたが、
後、長い時間、それぞれ帰って来ないし、連絡もとれない。
(今思うと、こんなに大きな震災とは思いもせず、
会社・学校とも休みの連絡が無かったので、それぞれ出かけたのだと思います。)
凄く心配。
長時間かけてやっと3人帰宅、家族全員揃った。
あぁ~良かった。 一安心だ。
本当に今日の地震は京阪神に被害を大きくもたらせた。」
と記されていました

震災翌日、被災地近くにお住まいの娘の親友のお母さんと連絡がとれたのですが、
その電話内容では「 もう大変です。 」の一言でした。
震災からまもなくして、西宮在住のおじ宅へ見舞いに行きました。
商店街のシャッターはグニャグニャ、ブルーシートが被ったままの家、
そしておじ宅の前の家は全壊し、整備され空き地になっていました。
おじ宅の前に住まれているご家族に怪我人がいらっしゃらなかったことが、不幸中の幸いでした。
おじ宅は壁と柱の割れ目が15cmほどあるものの、半壊で済みました。
おじのお嫁さんの話では、
「 食器棚が倒れ食器が粉々になったので、これからは100均の食器買うわ。 」と
気丈に笑って話していましたが、大変な思いを経験されましたことに違いはありません

阪神・淡路地区に大被害をもたらした阪神大震災は兵庫県南部地震によって発生した
大規模災害だったとのことで 『 阪神淡路大震災 』 と名前が付けられました。
震災翌年からは神戸復興を願いクリスマスの季節には 「 ルミナリエ 」 が開催され、
今もなお続き、人々の心の灯になっています

早いものであれから15年経つのですね・・・。
昨日は震災遺児家庭の追悼式「第15回今は亡き愛する人を偲び話あう会」が開催されました。
震災遺児の3人の手紙の朗読を聞き、私は涙が止まりませんでした。
亡くなられた方、被災者の方を思うと、毎年1月17日来るたび当時が思い出され胸が痛みます。
事故は防げても、天災は我々の力ではどうにも及びません。
あの地震以来、私も防災に対し、以前よりかなり気に掛けるようになりました。
私たちに出来ることは天災に備え知識を付け、防災グッズ等を準備すること・・・。
あのような思いはもうできればしたくないけれど、
万が一に備え、準備だけはしっかりしておかなければと思っています。
そして、被災者の半数近くの人たちが 「 悲しみがまだ癒えてない 」 と言う事を新聞で知りました。
被災者の方々の心が一日も早く癒える日が来ることを願っています
