我が家は年に5・6回 「 家族親睦会 」 と称し、何かと名目を付けてイベントがあります。
今回のメインイベントはめでたく30歳を迎えた 『 息子の誕生日会 』
16日が誕生日だったのですが、皆の都合で連休中の22日にすることになりました。
いつもはお店がたくさんあり、皆が行きやすいという理由でほとんど梅田でするのですが、
今回は目先の変わった所ということで娘夫婦の地元で開催することに
それだったら折角だからと滅多に行かない娘夫婦宅にも訪問する事にしました。
最初は娘夫婦宅訪問だけのつもりだったのですが、「箕面の滝に行こう!」と娘婿が提案!!
「じゃあ それで決まり☆」と娘夫婦・私達の4人で、まずは『箕面の滝』へ行ってきました
『箕面の滝』を訪れるのは、私は40数年振り、主人は忘れる位昔に行ったとの事。
『箕面の滝』は「滝」はもちろんのこと「野生の猿が沢山いる事」と「もみじの天ぷら」で有名な名所です。
最寄駅からは2.8kmの距離なのでちょうど良いハイキングという感じでした
道中の大木と大きな岩の前でパチリ。主人と私。
コチラは箕面橋♪
そして目的地『箕面の滝』に到着です
『箕面の滝』へ着くと、昔と全然変わってない風景に懐かしさが蘇ってきました。
今回は残念ながらお猿さんには会わずじまいです
滝へ着くとちょうどお昼時
今回何よりの楽しみは娘の手作り弁当です
今までは機会がなく今回が「 初☆手作り弁当 」。
簡単におむすびだけと言ってましたが、4種類のおむすびの他におかずも作ってきてくれていました。
娘の手作り弁当、とっても美味しくて全部完食です
「 あぁ~おいしかった~ 」
観光客も大勢いて行楽に来た!という感じを満喫でき、楽しく過ごすことができました。
帰りは名物「もみじの天ぷら」を食べながら箕面の滝を後に
それにしても、「もみじの天ぷら」は硬すぎでした
その後、メインイベントの『 息子の誕生会 』の予約時間まで娘夫婦の家を訪問
娘夫婦宅での滞在時間は2時間程の短時間だったけれど、
娘夫婦が幸せに暮らしている生活が見え、いつ会っても私達に優しく接してくれる
娘婿に感謝の気持ちでいっぱいになりました
婿殿、いつも有難うね。
そして、時間が来たので予約していた『 食道園 』へ行くと主役の息子も来ていて、
主人の「○○くん誕生日おめでとう!乾杯!」の音頭で食べる!飲む!の始まり
おいしい焼肉で有名な食道園、お肉はもちろん次から次へと注文、
そして飲んべぇの男3人衆は「生中!」をそれぞれが何杯飲んだことでしょう
以前も書きましたが、たぶんお店の人も驚いていると思う位の大食い・大酒飲み一家です
こうして30歳を迎えた息子の誕生日を家族で祝う事が出来たことを本当に幸せに思います
息子は親の口から言うのもなんですが、
本当によく気の付く優しい思いやりのある子に育ってくれました。
シャイな息子はけっして目立った行いではなく、ふとしたことで私達の胸をグッと思わせるのです。
なので32歳の甘えた娘より息子は兄のような存在です。
娘婿は39歳、娘は32歳・息子は30歳と30代の勢ぞろいです。
娘は息子に「 三十路の世界にようこそ! 」とメールをしたそうです
「はよ 結婚しいな!」とは言いません。
貴方が結婚しようと思える人に巡り合えたら報告して下さい。
30代に入った息子よ。
これからも今まで通りいつも貴方が言っているように「自分らしく」人生を歩んで欲しいと思います。
朝9時半に家を出て帰宅が夜9時半、強行だったけれど充実した楽しい一日を過ごせました
我ながらさすが晴れ男晴れ女夫婦!!とっても快晴で行楽日和、初秋と言えども暑いくらいでした
何度も岡山には行っているけれど、『後楽園』は今回が初めてです。
車で来ていた妹夫婦と弟の2台で一路『後楽園』へ
前を走る弟の車に、運転していた妹は「○○ちゃん(弟)を追跡せよ!」と冗談言いながら後楽園に到着。
岡山に住む弟の案内で『後楽園』を散策、日本三大庭園と言われるだけに、
庭園内は思った以上に広々として美しく、岡山城も見渡すことができ見ごたえがありました
転勤で岡山に住み着いた弟夫婦ですが、今ではすっかり岡山県人顔負けです
私達はすっかり童心に返り、子供のようにはしゃいで楽しい時間を過ごしました
『後楽園』を思う存分楽しんだ後には、皆で食事をおいしくいただき、それぞれ帰路に・・・。
姉弟みな60を過ぎ、いつも決まってでる言葉は
「健康さえ維持出来たら、こうして楽しめるのだから健康でいれるように頑張ろうね。」
という言葉です
本当にその通り、何事も体が資本、健康でいなくちゃですね
楽しかったわ。また、どこかへ揃い合って行こうね
おまけの一枚
こちらは旅行時の必需品、パッチワークで作ったバッグです。
軽いので、旅行にピッタリ
19日、母の三回忌法要のためお墓のある岡山県へ行って来ました。
母の晩年6・7年間は 『 認知症 』 との闘いでした。
読書や勉強が大好きだった母に訪れた『認知症』という病は、想像を絶するものでした。
一般の家庭での母親の呼称は「お母さん」「母さん」もしくは「お母ちゃん」ですが、
私たち姉弟が物心ついた時には母のことを「マザー」と呼び、それは最後まで続きました。
英語の勉強をしていた母は、自らそう呼ばせたのでしょう。
一事が万事、母はオシャレもし、昔で言う 『 ハイカラ 』 な人でした。
そんなユニークな母の思い出話をすると、今となっては笑えることが多いのですが、
当初は私たち子供から見れば浮世離れしていると思われる程、母親らしくない母でした。
けれど母親としては「らしくない母」も、6人の孫たちのことは本当に平等に心から愛してくれました。
孫たちは皆声を揃えて「おばあちゃんのこと大好きだった!」と言います。
「親ばか」という言葉がありますが、「婆ばか」と思われる程、孫たち皆を褒めてばかり。
孫についていけるようにと英語や源氏物語を勉強したり、時にはマンガを読んだり…。
お酒が大好きだった母は主人とも気が合い、娘が産まれた時には毎晩宴会をしたものです。
そんな母が『認知症』になり、長年に渡りこんなに苦しむなんて誰が思っていたでしょう・・・。
昨年、一周忌法要後の夜、姉弟3組の夫婦でカラオケに行ったのです。
その時、弟が『吾亦紅』を泣きながら歌っている側で、それを聞いている私と妹も泣いていました。
そんな姉弟を見て妹婿が「泣き虫3姉弟やな」と言い、その言葉に皆思わず噴出してしまいましたが…。
『吾亦紅』という歌は本当に胸にグッとくる歌詞で、泣かずにはいられませんでした。
母を思い出す歌と言えば、母の事を「マザー」と呼んでいたことを知った友達が、
長渕剛さんの歌で『MOTHER』というのがあって、
「長渕剛ご自身のお母さんが認知症だったので母を思って曲を作ったらしいよ。」 と聞いて
そのCDを探し聞いてみると、確かに我が母そのものでした。
涙もろい私はまた、その『MOTHER』を聞いても涙が溢れます。
晩年の母の介護は、弟夫婦は転勤で岡山にいることもあり、妹と私2人での介護でした。
介護をしていた平成16年の冬、老いてる母の姿を見て私は
「 たらちねの母の姿 今いずこ 老いたる様はあわれに思いて 」
と、思わずペンを取りました。
今思い出しても母の晩年は年々認知症が酷くなり、次第に私達の事も分からなり、
我が母でありながら、老いた母の姿を見るのは正直とても辛かったです。
私も母が60代の頃に言っていた「老いることは寂しいことよ。」という言葉が解る歳になりました。
自分自身も絶対大丈夫とは言い切れず、目の前の老い先を見る思いで、幾度泣いたかしれません。
そして時間が経つにつれ泣くことも少なくなり昨年の一周忌から1年、19日に三回忌を迎えました。
「マザー!私たち子供3組夫婦、孫達、ひ孫達とも皆元気に仲良く暮らしているから安心してね!」
これからも見守って下さいね お母さん
最後に『吾亦紅』の歌詞を紹介させていただきます。
*** 吾亦紅 歌:すぎもとまさと ***
マッチを擦れば おろしが吹いて
線香がやけに つき難(にく)い
さらさら揺れる 吾亦紅
ふと あなたの 吐息のようで・・・
盆の休みに 帰れなかった
俺の杜撰(ずさん)さ 嘆いているか
あなたに あなたに 謝りたくて
仕事に名を借りた ご無沙汰
あなたに あなたに 謝りたくて
山裾の秋 ひとり会いにきた
ただ あなたに 謝りたくて・・・
小さな町に 嫁いで生きて
ここしか知らない 人だった・・・
それでも母を 生ききった
俺, あなたが 羨ましいよ・・・
今はいとこが 住んでる家に
昔みたいに 灯がともる
あなたは あなたは 家族も遠く
気強く寂しさを 堪(こら)えた
あなたの あなたの 見せない疵(きず)が
身にしみていく やっと手が届く
ばか野郎と なじってくれよ
親のことなど気遣う暇に
後で恥じない 自分を生きろ
あなたの あなたの 形見の言葉
守れた試しさえ ないけど
あなたに あなたに 威張ってみたい
来月で俺 離婚するんだよ
そう, はじめて 自分を生きる
あなたに あなたに 見ていて欲しい
髪に白髪が 混じり始めても
俺, 死ぬまで あなたの子供・・・
今日は1ヶ月振りの歌体操の日でした
運動が苦手な上、運動不足の私、そんな私でも唯一気に入っている体を動かす時間です☆
市が主催で60歳以上なら何歳であっても年齢制限無しで誰でも参加できる歌体操。
ここでは私でも若い方に入るのですよ(笑)
始めに童謡・懐メロを歌う時間があり、時には手話をしながら歌ったり
歌の時間の次は曲に合わせて身体を動かします。
リズムに乗って身体を動かすととっても気持ち良いので、私の大好きな時間です
そして最後は脳トレ
これが結構、頭を使うのです
例えば右手を鼻・左手を左耳、次は逆に右手を左耳、左手を鼻とクロスをする繰り返しを
だんだんスピードをあげていくのです!!
それが簡単そうでいてけっこう難しく、時々間違えたりしてみんなで大笑いすることも
私の親友はこの歌体操でのボランティアをしているので、そこでは親友は先生、私は生徒。
ボランティアの人は全部で5~6人で生徒は20人程。
ボランティアの人数が足りないらしく、私もボランティアに入らないかと勧められています。
私は以前に3年間、歌体操ではないけれど、脳梗塞などによる後遺症の方のリハビリのお手伝いを
ボランティアさせて貰った経験があります。
でも今の私は歌体操は本当に好きですが、歳を重ねたこともあるし、自分のことで精一杯
なので出来ればこのまま、趣味を楽しむ程度に生徒でいることができればと思っています
歌体操へ行くと80代の方でも元気に若々しくしておられるので、その姿を見ると、
元気をいただくことができ「ああいう風に歳を重ねたい」と良い刺激をたくさん受けます
そして何よりも、歌体操の時間は体も脳も動かし、気分爽快で私にピッタリ
私よりお歳を召された方でもされてるのだから私にも出来るかも!と思い始めた歌体操。
年齢層は違っても、和気藹々と楽しい有意義な時間を過ごせる歌体操に出会えたことに感謝です
そして私自身いつまでも元気で歌体操に参加出来るようにと願っています
最後に1枚
昨夜、娘にプレゼントするストール出来上がりました
喜んでくれるかな
娘が先日、私には『 目からうろこ 』な興味深い話をしてくれました
娘がウォーキング中のこと、後方を歩いていたシニアの方の話がとても興味深く、
聞き入ってしまったそうです
娘に話の内容を聞くと、その話は『 惚 』という漢字についての話でした。
「 惚れると惚けるという字は同じ漢字を書くんですよ。
人間は惚れなくなったら惚けるんだそうです。変な意味じゃなくってね。
人に惚れる人を愛する気持ちは人の心を生き生きさせるから惚けない。
人と関わらず家に閉じこもってばかりいると惚けてしまいます。
だから惚けないためには人との交流を持つことなんです。 」
という内容だったらしいのです。
『 惚れる 』 と 『 惚ける 』は一見全く違う意味のようなので、
同じ漢字を使うとは、今まで私全く気が付きませんでした
全く違う意味のようでいて実は表裏一体、考え方ひとつで変えられるということなのですね
娘との電話の後、しばらく考えさせられました。
この話は漢字だけの問題じゃなく、生き方も学んだ気がします
“ 出来るだけ生き生きと毎日を過ごす ”そして“ 人との関わりがいかに大切な事か ”
という事も改めて感じることができました。
いい話、聞かせてくれて有難うね
それにしても『惚れる』 と 『惚ける』という字が一緒だと分かって、
漢字も今回はっきりと覚えたので一つ賢くなったわ
これからのライフワーク、出来る限り人と関わりを持って、
生き生きとした人生を送れるよう心掛けたいとつくづく感じさせられた話でした
最後にパチリッ
この夏、庭のサボテンに咲いた花
毎年夏に2度白い花が咲くのですが、朝咲いて昼前にはしぼんでしまいます。
恥ずかしながら、このサボテンの種類が分からない私。
もしどなたか御存知の方がおられたら教えていただければと思い、載せさせていただきました。
そして、もう1枚
今朝、ハイビスカスの花が一輪、咲いていました
まだまだ蕾もたくさん付いているので、これからが楽しみです