緩和ケア病棟立ち上げのときに、一緒に頑張って
一緒に仕事をしてきたスタッフに会いました。
苦労したので、いろんなことが走馬灯のように流れました。
がんの患者さんの家族や本人からの相談が毎日あって、電話で話しこむ日々。
それらのことをノートに書き記していました。
それを私と主任と副主任と3人で毎日書いていました。
こんな電話があった。
病棟の患者さんもこうだった、ああだった。
スタッフはどうだった。
病院全体もこうだった。ベッドの回転をどうしようか。
明日明後日は誰を入院させようか・・・・・
毎日がめまぐるしく、それはそれで一日があっという間で
充実していたと思いました。
流れるような時間の中を共有したので、懐かしさも違いました。
一番大事なのは看護に対する気持ち。
それが同じなので、やりやすかったのかもしれません。
今は同じ訪問看護をしているので、また共通の話題になりました。
同じ五月生まれ。
一緒に仕事をしてきたスタッフに会いました。
苦労したので、いろんなことが走馬灯のように流れました。
がんの患者さんの家族や本人からの相談が毎日あって、電話で話しこむ日々。
それらのことをノートに書き記していました。
それを私と主任と副主任と3人で毎日書いていました。
こんな電話があった。
病棟の患者さんもこうだった、ああだった。
スタッフはどうだった。
病院全体もこうだった。ベッドの回転をどうしようか。
明日明後日は誰を入院させようか・・・・・
毎日がめまぐるしく、それはそれで一日があっという間で
充実していたと思いました。
流れるような時間の中を共有したので、懐かしさも違いました。
一番大事なのは看護に対する気持ち。
それが同じなので、やりやすかったのかもしれません。
今は同じ訪問看護をしているので、また共通の話題になりました。
同じ五月生まれ。