さて、2007年から緩和ケア病棟立ち上げの準備が始まったのです。
がんの患者さんのカンファレンスを開始、ほかの病院の病棟見学、研修、
設計図の聞き取り・・・・・・・・・・
徐々に建設現場に毎日通うようになり、細かいことを決めていきました。
一般病棟とは全く違うので、床のカーペットの色、サイズ、カーテンの選択、
ドアノブの選択、天井のむしくいはこれくらい?
カウンターの色は木目調?パステル?白?
照明は患者さんに優しく、トイレはどこにするか・・・・・・・・
一般病棟は全部トイレが窓側にあって、日中でも暗いから電気つけています。
私は患者さんの声をきくと、みんな全員窓はちゃんと欲しい!
ということで、なんとか南側だけはトイレを廊下側にすることができました。
これは大成功でした。患者さんは誰でもこちらを選びます。
うちの方針は「患者さんの要求から始まる、患者さんの立場にたつ」です。
それもブログを通じて皆さんの意見も頂きました。
どんどん立ち上がり、完成しました。あっという間のようでした。
家具屋さんで買い物、台車60台以上・・・・・・・・・・・・・
それから全職員と組み立てました。
病棟は起動にのり、毎月30件ほどの相談があり、緩和ケア外来も満員で1ヵ月待ちです。
ひと月に37名退院する月もあるほど、こんなにみんな癌なの?と思います。
一度はお祓いもしたりして。
小鳥も飛んできて、育てたこともありました。
めまぐるしい中、学会での発表もしてきましたし、研修も、見学も多々受けいれました。
地域の方に講演することもたくさんでしたし、ほかの医療機関でも、看護学生さんにも
新潟大学の医学部の授業でも講義してきました。
ナイチンゲールの映画にも出演しました。
まだ3年たっていません。昔から「石の上にも3年」というじゃありませんか。
A rolling stone gathers no moss.(転がる石は苔をむさない)
Perseverance kills the game.(忍耐が獲物を落とす)
これからは遺族ケア、がんサロン、デイホスピスなどをと思った矢先の異動です。
県内には4箇所しかない病棟ですので、貴重な病棟です。これからは緩和ケア病棟に
入院することにこだわらず、がんの患者さんが楽に過ごすために地域連携をもっと
深めようとしていました。
県内の病棟同志で、連絡会を立ち上げて意見交換もしようと秘かに計画していました。
こうしてここでの私の緩和ケアの扉は閉まることになりました。
新しい扉をあければいい、教えてくれた人がいます。
最終章では未来を。