二日市教会主日礼拝説教 2023年1月22日(日)
顕現後第3主日
イザヤ8:23~9;3,Ⅰコリ1:10~18,マタイ4:12~23
弟子になる
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
さて、本日の福音はマタイによる福音書の4章12節から23節まででしたが、イエスが湖の畔で仕事中の漁師を見て、彼らを最初の弟子にしたという話になっていました。ところで、イエスの弟子になるとはどういうことなのか、本日はそのことについて考えてみたいと思います。
さて、イエスが漁師を弟子にしたことで、私たちは弟子とは何かを考えさせられると思います。というのも釣りが好きな人はすぐ賛成してくれると思いますが、ベテランの漁師は魚から身を隠す達人だからです。何が言いたいかというと、優秀な弟子ほど人の前で自分を目立たせないものだということです。なぜなら、弟子の務めとは人をイエスに会わせることですから、イエスの邪魔をして自分がしゃしゃり出ることは弟子としては失格だからです。
ところで、今までイエスの弟子になった人たちにはさまざまなパターンがありました。その一人ですが、いま聖書朗読で読まれたコリントの信徒への手紙を書いたパウロもそうでした。まず彼は漁師ではありませんでした。現代なら東大かハーバードの大学者だったからです。その立場でキリスト教を異端であると見なし、それを弾劾する側の一人として活動していました。
なお、パウロがキリスト教を問題視したのは、キリスト教が信仰の対象を十字架につけられ殺されたイエスとしていたからで、そういう人間を崇拝すれば神に呪われると思ったパウロですから、自己の信念で動いていたのですが、いきなり彼の前に復活のイエスが出現するという体験をしてしまったのでした。その結果、今の今まで攻撃していた十字架のイエスを、今度は伝道するという立場に替えられてしまった。パウロは、すぐれた学者でしたが、研究の積み重ねの結果としてではなく、自分の意志に反してイエスの弟子になったのでした。
話は変わりますが、私は先週松崎保育園で子どもたちに、「オフェロと悪魔とイエスさま」というお話をしました。こんな話です。
むかしむかしあるところに、オフェロという人がいました。オフェロは力持ちでしたが、自分よりも強い人の家来になりたいと思い、お城に行って王様の家来になりました。ある日、王様は皆が悪魔の話をするのを聞いてぶるぶる震え出しました。それを見たオフェロは、悪魔は王様より強いのだと思って、悪魔の家来になりました。
ある日のこと、悪魔がオフェロと歩いていると、道の前にイエスさまの十字架が立っていました。すると悪魔はそれを見てぶるぶる震え出しました。それでオフェロは、イエスさまが悪魔より強いと思って、イエスさまの家来になろうと思いましたが、イエスさまは探しても、どこにもいませんでした。
そこでオフェロは、川のそばに家を建ててそこに住むことにしました。ところがその川はとても大きくて、旅をする人は川の向こうに渡れないでに困っていました。そこでオフェロは、旅をする人を肩車して向こう岸にまで渡してあげるお仕事を始めました。
ある日のこと、ものすごい嵐になました。そこでお仕事をお休みにしていると、外でと誰かが、戸をドンドン叩き始めました。そこで戸を開けてみると一人の少年が立っていて、今日中に川を渡りたいと言いました。オフェロがダメと言ってもどうしてもと言うので、仕方なく肩車して川を渡り始めました。
ところが、少年の体はどんどん重くなってゆきました。歯を食いしばって向こう岸に行ったオフェロはぐったりとなりました。そこで「お前は何て重いんだ」と言うと、少年は「だって世界の人の苦しみを背負っているんだから」と言いました。そう言うと少年の姿は見えなくなりました。するとオフェロは、今のはイエスさまだったと気がついて、家の屋根に十字架を立てました。そして、それからもオフェロは、困っている人を助けるお仕事を続けましたとさ。
以上が、「オフェロと悪魔とイエスさま」という話ですが、これももしかしたら、「イエスの弟子になる」の子ども版になるかもしれません。
ところで話はまた変わりますが、ライオンという会社を創業したのは小林富次郎です。操業は明治24年、39歳の時でした。生活に役立つものをと考え、開発に取り組んだライオン歯磨きは、発売と同時に大評判になりました。
富次郎は36歳の時に受洗しましたが、事業が成功してからも、聖書を毎朝読む習慣は欠かしませんでした。世間の人は「キリスト教で本当に商売ができるのか」と言いました。当時の日本は粗製乱造、二重価格が横行し「嘘をつかずに商売するのは不可能」と思われていました。だから富次郎も最初は、商売とキリスト教の両立は難しいと思っていたのが、彼がクリスチャンだと知られるにつれて、同業者仲間で多大な信用を博するに至ったのでした。
なお、小林富次郎は、社会の利益は気の毒な人たちのために使うよう神が命じておられると信じていた経営者でした。生涯多額の福祉事業への寄付を続けた富次郎のライオンは、今でも「わが社は愛の精神の実践を経営の基本にし、人々の幸福と生活の向上に寄与する」を社是としております。
同志社女子大の山下智子准教授によると、明治時代にはこの他にも多くのクリスチャン実業家がいました。日本で最初のドライクリーニングを成功させ、会社の経営目標を「自分にしてもらいたいことは他人にもそのようにしなさい」に掲げていた白洋舎の五十嵐健治、「善い人が良い糸を作る」をモットーとしていたグンゼの波多野鶴吉、社長を辞めたあと全国を伝道のために巡回した森永製菓の森永太一郎。そして山下教授はこう書いていました。彼らにとっての信仰は個人の内面の問題に留まらず、理想の社会の実現のために必要不可欠なのだった。
以上、私たちはイエスの弟子となることについて、色々なことを考えてきました。どんな道を歩むかは各自の問題ですが、自分の信仰の内容を点検する機会としてみたいと思うものです。
顕現後第3主日
イザヤ8:23~9;3,Ⅰコリ1:10~18,マタイ4:12~23
弟子になる
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
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さて、本日の福音はマタイによる福音書の4章12節から23節まででしたが、イエスが湖の畔で仕事中の漁師を見て、彼らを最初の弟子にしたという話になっていました。ところで、イエスの弟子になるとはどういうことなのか、本日はそのことについて考えてみたいと思います。
さて、イエスが漁師を弟子にしたことで、私たちは弟子とは何かを考えさせられると思います。というのも釣りが好きな人はすぐ賛成してくれると思いますが、ベテランの漁師は魚から身を隠す達人だからです。何が言いたいかというと、優秀な弟子ほど人の前で自分を目立たせないものだということです。なぜなら、弟子の務めとは人をイエスに会わせることですから、イエスの邪魔をして自分がしゃしゃり出ることは弟子としては失格だからです。
ところで、今までイエスの弟子になった人たちにはさまざまなパターンがありました。その一人ですが、いま聖書朗読で読まれたコリントの信徒への手紙を書いたパウロもそうでした。まず彼は漁師ではありませんでした。現代なら東大かハーバードの大学者だったからです。その立場でキリスト教を異端であると見なし、それを弾劾する側の一人として活動していました。
なお、パウロがキリスト教を問題視したのは、キリスト教が信仰の対象を十字架につけられ殺されたイエスとしていたからで、そういう人間を崇拝すれば神に呪われると思ったパウロですから、自己の信念で動いていたのですが、いきなり彼の前に復活のイエスが出現するという体験をしてしまったのでした。その結果、今の今まで攻撃していた十字架のイエスを、今度は伝道するという立場に替えられてしまった。パウロは、すぐれた学者でしたが、研究の積み重ねの結果としてではなく、自分の意志に反してイエスの弟子になったのでした。
話は変わりますが、私は先週松崎保育園で子どもたちに、「オフェロと悪魔とイエスさま」というお話をしました。こんな話です。
むかしむかしあるところに、オフェロという人がいました。オフェロは力持ちでしたが、自分よりも強い人の家来になりたいと思い、お城に行って王様の家来になりました。ある日、王様は皆が悪魔の話をするのを聞いてぶるぶる震え出しました。それを見たオフェロは、悪魔は王様より強いのだと思って、悪魔の家来になりました。
ある日のこと、悪魔がオフェロと歩いていると、道の前にイエスさまの十字架が立っていました。すると悪魔はそれを見てぶるぶる震え出しました。それでオフェロは、イエスさまが悪魔より強いと思って、イエスさまの家来になろうと思いましたが、イエスさまは探しても、どこにもいませんでした。
そこでオフェロは、川のそばに家を建ててそこに住むことにしました。ところがその川はとても大きくて、旅をする人は川の向こうに渡れないでに困っていました。そこでオフェロは、旅をする人を肩車して向こう岸にまで渡してあげるお仕事を始めました。
ある日のこと、ものすごい嵐になました。そこでお仕事をお休みにしていると、外でと誰かが、戸をドンドン叩き始めました。そこで戸を開けてみると一人の少年が立っていて、今日中に川を渡りたいと言いました。オフェロがダメと言ってもどうしてもと言うので、仕方なく肩車して川を渡り始めました。
ところが、少年の体はどんどん重くなってゆきました。歯を食いしばって向こう岸に行ったオフェロはぐったりとなりました。そこで「お前は何て重いんだ」と言うと、少年は「だって世界の人の苦しみを背負っているんだから」と言いました。そう言うと少年の姿は見えなくなりました。するとオフェロは、今のはイエスさまだったと気がついて、家の屋根に十字架を立てました。そして、それからもオフェロは、困っている人を助けるお仕事を続けましたとさ。
以上が、「オフェロと悪魔とイエスさま」という話ですが、これももしかしたら、「イエスの弟子になる」の子ども版になるかもしれません。
ところで話はまた変わりますが、ライオンという会社を創業したのは小林富次郎です。操業は明治24年、39歳の時でした。生活に役立つものをと考え、開発に取り組んだライオン歯磨きは、発売と同時に大評判になりました。
富次郎は36歳の時に受洗しましたが、事業が成功してからも、聖書を毎朝読む習慣は欠かしませんでした。世間の人は「キリスト教で本当に商売ができるのか」と言いました。当時の日本は粗製乱造、二重価格が横行し「嘘をつかずに商売するのは不可能」と思われていました。だから富次郎も最初は、商売とキリスト教の両立は難しいと思っていたのが、彼がクリスチャンだと知られるにつれて、同業者仲間で多大な信用を博するに至ったのでした。
なお、小林富次郎は、社会の利益は気の毒な人たちのために使うよう神が命じておられると信じていた経営者でした。生涯多額の福祉事業への寄付を続けた富次郎のライオンは、今でも「わが社は愛の精神の実践を経営の基本にし、人々の幸福と生活の向上に寄与する」を社是としております。
同志社女子大の山下智子准教授によると、明治時代にはこの他にも多くのクリスチャン実業家がいました。日本で最初のドライクリーニングを成功させ、会社の経営目標を「自分にしてもらいたいことは他人にもそのようにしなさい」に掲げていた白洋舎の五十嵐健治、「善い人が良い糸を作る」をモットーとしていたグンゼの波多野鶴吉、社長を辞めたあと全国を伝道のために巡回した森永製菓の森永太一郎。そして山下教授はこう書いていました。彼らにとっての信仰は個人の内面の問題に留まらず、理想の社会の実現のために必要不可欠なのだった。
以上、私たちはイエスの弟子となることについて、色々なことを考えてきました。どんな道を歩むかは各自の問題ですが、自分の信仰の内容を点検する機会としてみたいと思うものです。