日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

1月8日の説教

2023-01-10 17:29:16 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年1月8日(日)
主の洗礼日
イザヤ42:5、10~13,使徒10:34~43,マタイ3:13~17
今は決断の時
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
改めて、明けましておめでとうございます。
ところで今年の干支は兎ですが、聖書に兎は出てくるのか。調べてみたらいました。旧約聖書の箴言の30章26節の岩狸という動物が兎の仲間だと分かったからです。正式名はハイラックス。アフリカや中東に生息。耳が大変短いので狸と見えなくもないが兎です。長崎は西海市のバイオパークで飼育されているので、日本でも聖書の兎を見ることができる。そういうことが分かりました。

ところで、いま読んだイザヤ書42章は、新年早々の私たちにふさわしいという気がいたします。すなわち「主である神はこう言われる。神は天を創造して、これを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、その上に住む人々に息を与え、そこを歩く者に霊をあたえられる」。年の初めの私たちも、まず天地創造の神を思うことから始めたいからです。
さて、本日のイザヤ書は、さらに「新しい歌を主に向かって歌え」と呼び掛けていました。ただ、神を思うだけでなく、その思いを歌にする。私たちも本日そのようにしているのであります。
ところで、イザヤ書といえば、イエスがイザヤ書を読んだという話が出てきます。それは、ルカによる福音書4章の16節以下に書かれています。ある安息日に彼は礼拝のためナザレの会堂に行きます。すると人々から聖書を読むよう求められたのでイザヤ書を読んだというのです。
なお、イエスが読んだ個所はこう書かれていました。「主の霊が私の上におられる。……主がわたしに油をそそがれたからである」。ところで「主が油を注ぐ」は今の洗礼にあたります。それでは、イエスが油注がれるすなわち洗礼を受けるとどうなるのか、それもルカ4章には書かれています。すなわち、「捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を、圧迫されている人を自由にする」というのでした。つまり、そういうことも預言者イザヤは言っていた、今それがイエスの洗礼で実現するとルカは言うのでした。
ところで、クリスチャンの作家、三浦綾子は、若い頃洗礼を受けて、とても熱心な教会生活を送っていましたが、ある日とてもショッキングな体験をしました。それは、礼拝の中で誰かが聖書の朗読を聞いていた時でした。というのも、その時朗読されていた聖書が今私たちが考えているルカ福音書4章の個所だったのですが、普段の自分だったらそこは軽く聞き流していたと思うのだが、その日だけは違っていたからでした。
どういうことかというと、彼女はイエスがイザヤ書の朗読をしたという箇所に引っかかってしまったからです。なお、彼女も彼女なりのキリスト教の基礎知識はあって、イエスの時代の聖書といえば旧約聖書しかなかったことは知っていました。しかしまた彼女が知るイエスは、子どもの時から人一倍聖書に親しんでいたのでした。しかし、子どものイエスが読んでいたのが旧約聖書だったとは、彼女はこの時まで考えたこともなかったのでした。
さて、それまでの彼女は、誰かから「あなたは聖書を読んでいますか」と聞かれたら、ためらわず「はい、読んでいます」と答えるクリスチャンでした。しかし、読んでいるはずの聖書の内の旧約聖書は、もうしわけ程度の読み方しかしていなかったのでした。
まるで雷に撃たれるような衝撃が彼女を襲った。そして彼女は決心した。あとは、さすが三浦綾子というべきか、旧約聖書に真剣に取り組み始めたのでした。ところで話は変わりますが、三浦綾子は1999年に77歳で亡くなりました。その時までに本をたくさん書いていたのはもちろんです。なお、流行作家と言われるほどその死後は、その作家の本は書店の店頭からあっという間に消えてしまいます。しかし、三浦綾子の主要作品のいくつかは今もロングセラーとして棚に並べられています。そしてその中の一つに三浦綾子著『旧約聖書入門』という本もあるのです。
ところで、その本は光文社という出版社の文庫に入っています。調べると、この本の初版が出たのは1984年です。ところが今私の手元にあるのは、2021年発行で37刷となっているのです。さて、このことがどんなにすごいことかは、長年出版社で働いてきた自分にはよくわかるのです。というのも、文庫本の世界は出版各社同士の熾烈な戦いが日々繰り広げられているからで、その戦いに勝つためには少しでも売れなくなった本はすぐ引っ込めねばならないからです。ところが三浦綾子は死んでもう20年以上。それでも書店の棚に残っているのは例外中の例外の夏目漱石とか松本清張等々、そこに三浦綾子の『旧約聖書入門』も並んでいるからです。
つまりそのことは、彼女が雷に撃たれる体験をしたのち渾身を込めて書いた本が、日本人の心をいかにつかみ続けて来たかの証明となっているのです。それでは、その本のいちばん最初の部分だけ読んでみたいと思います。
さて、旧約入門ですから創世記から始まっています。従って、天地創造を取り上げるのですが、彼女はこう考えるのでした。神は人間を造ったのだが、その人間は神に似ていたと書かれている。なぜ聖書はそういう書き方をするのか。
そこで彼女は考えました。私たちだって、生まれた子どもが自分にそっくりと言われたら、ものすごい愛着の気持ちが湧くのではないだろうか。だから神も、生まれた人間がご自分にそっくりなのを見て、思わず目を細め、いとしく思われたということなのである。つまり聖書の天地創造は、神のそういう思いと表情が思い浮かんでくるような書き方がされているのである。
この年も私たちは、天地創造の神を仰ぎ見つつ各自歩みを進めてゆきたいものでございます。
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説教

2023-01-10 11:40:09 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年1月1日(日)
降誕節第2主日
マタイによる福音書2章13~23節
新年をハイドンと共に
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
改めて、おめでとうございます。さて、昨年のテレビは、戦争の報道が相次ぎました。そのため私たちは、東ヨーロッパのキリスト教、正教のことが前より分かるようになってきたと思います。ところで、似たようなことですが、イスラム教国エジプトの中のキリスト教つまりコプト教会のことはあまり分かっているとは言えません。イスラム教徒による襲撃のニュースは時々見るにもかかわらずです。しかし本日のマタイ福音書は、私たちとコプト教会の間の橋渡しをそっとしてくれているのであります。
どういうことかというと、イエスの家族はヘロデの迫害から逃れエジプトに避難したからです。もちろん、赤ん坊のイエスがエジプト人に教えをしたという話ではありませんでした。しかし、あとの時代キリスト教をエジプト人が受け入れた際、その昔聖母子がエジプトにも来ていたことを知って、聖母マリアに対して親密な思いを抱くようになり、それが二千年後の今のコプト教会の熱烈な聖母崇拝につながっているからです。
さて、ここで話を変えますが、イエスの家族がエジプトにいた間にヘロデ王は死にました。そこで、聖家族は帰国したのですが、陰謀が渦巻く都市圏を避け、あまり人気がなかったガリラヤのナザレに移住したのでした。
なお、ナザレは町というより村で、人口もわずか、家から出るとすぐ田園地帯でした。イエスはのちに人々に「野の花、空の鳥を見よ」と教えましたが、彼が都会育ちだったら、そんな説教は出来なかったことでしょう。
ところで、そのイエスから1700年もあとですが、イエスとそっくりな環境で育った男の子がいました。その名前はフランツ・ヨーゼフ・ハイドンといいます。のちに大作曲家の彼も、幼少の頃の環境は野の花、空の鳥でした。今のオーストリアの国の片田舎で生まれ育ったからです。今でもそうなのですが、見渡すばかりブドウ畑で、空で鳥がさえずり、遠くから家畜の鳴き声が響いてきます。ちびっこハイドンは鳥や家畜の物まねが上手なことで評判でしたが、すでに音楽の素質もあらわしていたのでした。
さて、ハイドンは6歳の時、大人たちの考えで音楽の都ウィーンに行かされました。動物の物まねだけでは音楽家にはなれないからで、しかもウィーンでは、一流の少年合唱団に入団させられました。町にはあと一つ合唱団がありましたが、それは今のウィーン少年合唱団です。ただ、少年合唱団と言っても、大教会専属の聖歌隊のことで、宗教曲ばかり歌わされました。
さて、ハイドン少年は10年間この聖歌隊ですっかりお世話になりました。普通の子どもが受ける初等教育だけでなく音楽教育も受け、楽器の扱い・演奏法もみっちり仕込まれ、そうこうしているうちに17歳になると変声期を迎えたので、誰もそうだったようにハイドンも合唱団をお払い箱になりました。
つまり、これからは自分のご飯は自分で稼いで食べなさいということになり、最初は途方にくれましたが、さすが音楽の都、音楽のバイトの口はありました。それに、もう徹底的に音楽の教育を受けていたので、あとはチャンスの到来を待つのみでした。
なお、当時は音楽家として生きてゆくためには、誰かの使用人となって働かなければなりませんでした。自分を雇ってお金を払ってくれる人を見つけなければなりませんでした。具体的な話ですが、そのように雇ってくれるのはお金持ちであり音楽が大好きな、貴族の身分の人でした。しかも、貴族もピンからキリで、すぐ解雇されるケースもありました。
さて、その点ハイドンは運が良く、一人の貴族の館で30年も働くことができました。27歳の時からです。貴族は侯爵でしたが、侯爵にはお抱えの楽団があり、その楽団員のための従業員規則がありました。ハイドンはその楽団の副楽長として雇われましたが、それはいわば中間管理職で、ご主人の言うことも聞きながら、楽団員の世話もしなければなりませんでした。しかもご主人は大の音楽好きで、ひっきりなしに演奏の命令がきて、その都度新曲どんどん書かねばならず、実に多忙を極める30年でした。
しかし、30年目に主人の侯爵は死にました。その跡を継いだ人は音楽に興味がなく、楽団を解散させ、ハイドンもクビになりました。しかし、もうその時点でのハイドンにはかなりの貯えもあり、老後の不安はありませんでした。
ところが、58歳になっていたハイドンは次の仕事を探しました。なお、当時の58歳はもう高齢者でした。すでに死んだ人もたくさんいたくらいで、新しい人生なんて誰も考えたりしませんでした。ところが、ハイドンは新しい仕事を求めてイギリスに渡ったのでした。
当時、イギリスにはウィーンにないものがありました。それは、コンサートホール。音楽が好きな人たちが身銭を切って入場料を払い音楽を聴いてくれる建物・施設はウィーンにはなくロンドンにはあったからです。貴族や金持ちに囲われての音楽活動ではないことに新しさがありました。そのロンドンでハイドンは次々と新しい交響曲を書き、それがことごとくヒットし、イギリス滞在期間に彼が稼いだのは億を越えたのでした。
しかし、最大の収穫は、ロンドンで聴いたヘンデルの『メサイア』でした。なぜなら彼はその音楽から深いインスピレーションを与えられ、帰国後『天地創造』というオラトリオを書いたからです。そしてそれは彼の最高傑作となりました。日本のあるドイツ文学者が天地創造のことをこう書きました。「イギリスで聴いたヘンデルに触発されたものといわれるが、管弦楽の部分はハイドンが断然いい。とくに鳥の鳴き声や雷鳴を始めとする自然描写がみごとだ。幼少年時代のままのひびきである」。ハイドンは、天地創造の神を描写するのにふさわしい音楽人生を、幼少の時からすでに歩み始めていたのでした。

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