こんなタイトルですと私がグランプリを転戦していたか、無限の関係者のように思われてしまいますがそうではなく、私が社会人になってから30歳になるまでの日々というのが、無限エンジンがF1に参戦していた時期と重なっておりまして、テレビ桟敷ならぬテレビパドックや、サーキットの現地観戦で無限エンジンを見ておりました。
最近発売となった三栄のGPCar StoryのSpecialEditionとして、無限のF1エンジンの時代が特集されております。無限は説明の必要もありませんが、ホンダの創業者・故本田宗一郎氏の子息、本田博俊氏によって創業され、F1には1992(平成4)年に参入、2000(平成12)年までフットワーク、ロータス、リジェ→ブロスト、ジョーダンといった主に中堅チームにエンジンを供給していました。
本書の巻頭では本田博俊氏と無限を引き継いだ現・M-TECの橋本朋幸社長の対談が掲載されており、無限がF1エンジンを作ることになったいきさつや、ホンダ本社の技術者と無限の関係なども語られています。無限としては当初はフォード・コスワースのようなエンジンを作りたかったというのは初めて聞きました。このフォード・コスワースですが、ご存じの方も多いとは思いますが1960年代後半から1970年代を通してグランプリを席巻しておりました。コンパクトで安価なV8エンジンで大量に市販されたこともあり、特にイギリス系のさまざまなチーム(ロータス、マクラーレン、ティレルなど)で使われ、幾度もタイトルを獲得しています。同じエンジンを各チームが使っていたため、マシンデザイン、とりわけ空力面で差別化を図っていたのもこの時期でした。参戦費用がいたずらに高騰するF1で、昔のようにエンジンを販売することで収益とし、いろいろなコンストラクターと共にF1に参戦しようとした無限の考えは悪くなかったのですが、グランプリそのものの変容もあったのか、結局はホンダの第二期参戦の後を継ぐようにグランプリにやってきた、という感がありました。また、無限がレース用エンジンの開発を行うにあたり、父・本田宗一郎からの物心両面での支援もあったようですし、無限の社屋にはホンダの労働環境に起因する形でホンダの技術者たちが夜になると訪れ、自らの業務に携わっていたと聞きます。そこから無限のF1エンジン開発にも関係していく人たちもいたということで、どちらもコンプライアンスだ守秘義務だなんだと言われる今の目で見ればいろいろ言われそうですが、それが許される時代だったということでしょう。
本書ではエンジニア、ドライバーのインタビューももちろん、技術的な解析記事もあります。当初はホンダのV10エンジンをベースにしていましたが、無限として独自に開発、改良を続けて1996年モナコでの初勝利、さらには1998、1999年シーズンでの飛躍にもつながっていきます。参入初年度はホンダの最終年度でしたが、その後はエンジンに関してはルノー、フェラーリ、メルセデス、フォードといった巨大メーカーがしのぎを削る場になっていきます。その中で規模の決して大きいとは言えない、純粋な「レース屋集団」の無限が4勝を挙げている、というのは大きなことだと思います。
それゆえにホンダの第三期活動が始まる際に「無限があれだけ勝てているのだからホンダ本体が参戦したら楽勝だろう」という考えがホンダ側にあり、無限が蓄積したものがうまく引き継がれなかったというのは、残念でなりません(それだではない理由もあって、ホンダは第三期に苦労することになります)。ホンダ第三期の活動に関してはさまざまな要因や力が働いたようで、現在でも言葉を濁す関係者もいますので、まだ語るには生々しいのでしょう。
また、本書ではブリヂストンのF1参戦の際に無限が果たした役割についても記事がありました。ブリヂストンのF1参入の前年、1996(平成8)年に偶然鈴鹿サーキットでブリヂストンが実際のマシン(リジェ・無限)にタイヤを履かせて、鈴木亜久里のドライブでテストをしているのを見たことがあります。そのときには戦えるタイヤを作ってきたことがタイムからも分かりましたが、それ以前にも古いティレルのマシンを使って開発を行っていたことは知りませんでした。特に1989(平成元)年から1994(平成6)年までは無限との共同研究、という色が強かったようです。
かくして、ややほろ苦い形で無限の戦いは終わり、2000年代は自動車メーカーのぶつかり合いとなりましたし、予算もレース数も膨張する現在のF1ではとても小規模なエンジン屋さんが入るのは難しそうです。あの時代を思い起こすと、無限のエンジンが勝つとサーキットにちょっと熱くて、でもさわやかな風が吹く、そんな気持ちになったのを覚えています。かなわぬ願いかもしれませんし、ちょっと昔への郷愁や感傷かもしれませんが、そんな熱くてさわやかな風が吹く瞬間を、また見てみたいものです。
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無限に初優勝をもたらしたリジェのマシン(デアゴスティーニのF1マシンコレクションより)。濡れた路面に足を取られて本命が相次いで脱落する中、勝利を手繰り寄せるレースを見せたオリビエ・パニスは、まさしくあのグランプリの主役でした。
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ブリヂストンがテストに使ったリジェのマシン。無限のロゴがノーズに見えます。
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最近発売となった三栄のGPCar StoryのSpecialEditionとして、無限のF1エンジンの時代が特集されております。無限は説明の必要もありませんが、ホンダの創業者・故本田宗一郎氏の子息、本田博俊氏によって創業され、F1には1992(平成4)年に参入、2000(平成12)年までフットワーク、ロータス、リジェ→ブロスト、ジョーダンといった主に中堅チームにエンジンを供給していました。
本書の巻頭では本田博俊氏と無限を引き継いだ現・M-TECの橋本朋幸社長の対談が掲載されており、無限がF1エンジンを作ることになったいきさつや、ホンダ本社の技術者と無限の関係なども語られています。無限としては当初はフォード・コスワースのようなエンジンを作りたかったというのは初めて聞きました。このフォード・コスワースですが、ご存じの方も多いとは思いますが1960年代後半から1970年代を通してグランプリを席巻しておりました。コンパクトで安価なV8エンジンで大量に市販されたこともあり、特にイギリス系のさまざまなチーム(ロータス、マクラーレン、ティレルなど)で使われ、幾度もタイトルを獲得しています。同じエンジンを各チームが使っていたため、マシンデザイン、とりわけ空力面で差別化を図っていたのもこの時期でした。参戦費用がいたずらに高騰するF1で、昔のようにエンジンを販売することで収益とし、いろいろなコンストラクターと共にF1に参戦しようとした無限の考えは悪くなかったのですが、グランプリそのものの変容もあったのか、結局はホンダの第二期参戦の後を継ぐようにグランプリにやってきた、という感がありました。また、無限がレース用エンジンの開発を行うにあたり、父・本田宗一郎からの物心両面での支援もあったようですし、無限の社屋にはホンダの労働環境に起因する形でホンダの技術者たちが夜になると訪れ、自らの業務に携わっていたと聞きます。そこから無限のF1エンジン開発にも関係していく人たちもいたということで、どちらもコンプライアンスだ守秘義務だなんだと言われる今の目で見ればいろいろ言われそうですが、それが許される時代だったということでしょう。
本書ではエンジニア、ドライバーのインタビューももちろん、技術的な解析記事もあります。当初はホンダのV10エンジンをベースにしていましたが、無限として独自に開発、改良を続けて1996年モナコでの初勝利、さらには1998、1999年シーズンでの飛躍にもつながっていきます。参入初年度はホンダの最終年度でしたが、その後はエンジンに関してはルノー、フェラーリ、メルセデス、フォードといった巨大メーカーがしのぎを削る場になっていきます。その中で規模の決して大きいとは言えない、純粋な「レース屋集団」の無限が4勝を挙げている、というのは大きなことだと思います。
それゆえにホンダの第三期活動が始まる際に「無限があれだけ勝てているのだからホンダ本体が参戦したら楽勝だろう」という考えがホンダ側にあり、無限が蓄積したものがうまく引き継がれなかったというのは、残念でなりません(それだではない理由もあって、ホンダは第三期に苦労することになります)。ホンダ第三期の活動に関してはさまざまな要因や力が働いたようで、現在でも言葉を濁す関係者もいますので、まだ語るには生々しいのでしょう。
また、本書ではブリヂストンのF1参戦の際に無限が果たした役割についても記事がありました。ブリヂストンのF1参入の前年、1996(平成8)年に偶然鈴鹿サーキットでブリヂストンが実際のマシン(リジェ・無限)にタイヤを履かせて、鈴木亜久里のドライブでテストをしているのを見たことがあります。そのときには戦えるタイヤを作ってきたことがタイムからも分かりましたが、それ以前にも古いティレルのマシンを使って開発を行っていたことは知りませんでした。特に1989(平成元)年から1994(平成6)年までは無限との共同研究、という色が強かったようです。
かくして、ややほろ苦い形で無限の戦いは終わり、2000年代は自動車メーカーのぶつかり合いとなりましたし、予算もレース数も膨張する現在のF1ではとても小規模なエンジン屋さんが入るのは難しそうです。あの時代を思い起こすと、無限のエンジンが勝つとサーキットにちょっと熱くて、でもさわやかな風が吹く、そんな気持ちになったのを覚えています。かなわぬ願いかもしれませんし、ちょっと昔への郷愁や感傷かもしれませんが、そんな熱くてさわやかな風が吹く瞬間を、また見てみたいものです。
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無限に初優勝をもたらしたリジェのマシン(デアゴスティーニのF1マシンコレクションより)。濡れた路面に足を取られて本命が相次いで脱落する中、勝利を手繰り寄せるレースを見せたオリビエ・パニスは、まさしくあのグランプリの主役でした。
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ブリヂストンがテストに使ったリジェのマシン。無限のロゴがノーズに見えます。
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