ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

コメ(稲作)のルーツは日本・うるち米とモチ米

2017-01-03 15:43:05 | モチ米・松本神田地域...
コメ(稲作)のルーツは日本・うるち米ともち米
・前回でモチ米のルーツを書き、ネットで違いを調べた。もち米とうるち米の違いは含まれるアミロースという物質の量で決まるという。アミロースは稲が実る時の温度で変化するというから突然変異と言ってもいいだろう。私の故郷の信州松本地域では同じ田に両方の品種を同時に植える。粳米は日当りのいい場所に、同じ田の水を取り込む冷たい水の出入り口とか日陰になる場所にモチ米を植える。
・だから信州のような寒冷地ではモチ米という突然変異があったと推定できる。もしかしてジャポニカを東南アジアの温かい地域で栽培してみれば先祖返りを起こしてジャポニカ米がインデカ米になるかも知れないし、逆にインデカ米を日本で2-3年も栽培すればジャポニカ米に先祖返りするかもしれない。そうすればコメの真のルーツがジャポニカ米か・インデカ米か、またはジャポニカ米は先祖帰りしてもジャポニカ米かもしれない。はっきり決着つくかもしれないですね。
・体験では信州の寒さでもモチ米はさらに寒い水を好むようだが、とすると日本でコメの産地が寒冷地域が多いこととも話が合う。粘りはアミロースという物質の量で決まるという・またアミロースが0がモチ米というから暖かさがアミロースを破壊するというか作らないというか???。これが事実ならアジアの暖かい穀倉地帯では、モチ米は不作かモチ米は出来難いことになるから、温かい地域にモチ米はルーツではない。モチ米のルーツは日本のように寒冷地の地域で、信州の松本神田地域にモチ米のルーツ=突然変異が起こったと考えるのが素直な思考だと思いますが。
・埼玉県の高速餅つき踊りは松本から古くに伝来した名残だと推定します。
・高速餅つきは・埼玉県東松山市氷川神社で金谷の餅つき踊り11月23日
・  〃     埼玉県上尾市・藤波の餅つき踊り
・埼玉県川越市南大塚・西福寺などで行われている。
・他にも行われている所があるがそれぞれ日時が異なるので確認ください。
 


モチ米のルーツ

2017-01-01 08:48:03 | 餅コメのルーツ・お餅...
お餅のルーツ
新春おめでとうございます。ところで今皆さんお雑煮食べているかと思います。お雑煮のお餅=モチ米のルーツ知ってますか?。もち米は完全に突然変異だと思います。何故ならモチ米はうるち米の隣で育つからです。私の生家では三が日お餅を食べない習わしでした。何故?かととても不思議でした。その内成長して、隣地域ではお餅の神様のような多賀神社があり、その近くは「神の田」という地域があり、遺跡からモチ炭化米が出土しました。そうか!生家の地域はうるち米を作っていて、隣地域でお餅が発見され、対抗意識で生家地域では餅を食べない。餅のコメに気づいた地域ではモチ米を新たに祭ったということになると知りました。
・松本神田地域では丘の日陰になって稲の成長期も水温が上がらず冷たい地域にモチ米が生まれた。まさに突然変異です。そのモチ米を祭った「お多賀様」では寿命モチと言われるモチ菓子が毎年秋の大祭に発売されています。
・福井県に「多賀神社」があり豆まきに多量のお餅がまかれるという。更に伊勢神宮の神宝は機織機で多賀神社の神宝は不明だけど近くの穂高神社の神宝も機織機。その伊勢神宮の名物は「赤福餅」モチ続きで機織機続きです。「お伊勢はお多賀の子でござる」の伝承が今も残っています。
・松本では縄文中期後半と思われる時代と土器の地域はコメ文化の最初の時代の土器で、赤い土器以前から信州では米が作られていたようだし。コメ(稲作)の発祥地=ルーツと推定される岡谷橋原遺跡地域は塩尻峠を越えた隣村です。縄文中期後半には岡谷のコメも当時のお諏訪様の権威で、コメ作りが全国に広まった?その前に黒色土器の考案があって黒色土器と共に水稲稲作文化・技術は全国に広がったと推定できます。