6月30日、2022-2023年のロータリークラブの最後で、帰りにお土産で明方ハムを頂きました。
翌日、友人に見せると、明方ハム(ミョウガタ)と明宝ハムの違いについて教えてもらってびっくりでした。
明方ハムは1953年(昭和28)、奥明方村(後の明方村)で生まれました。当時、山間部の農家の主食は、雑穀や漬物程度で、動物性たんぱくを食べる機会が少なかったので農協が旗振りして、全国の農協で「食生活改善事業」の一つとしてハム作りを教えたそうです。
当時は農家がハムを購入することはぜいたくだと受け止められ消費も進まず、市場では大手メーカーに太刀打ちができず低迷が続きましたが、昭和55年、明方ハムはNHKの「明るい農村」で全国放映されたのをきっかにブレークします。
�着色料・防腐剤・酸化防止剤を使わず良質な豚肉を原料に「手作り作業で100%豚肉」を売り物にしたことによるのと、高度成長経済を背景に台所もぜいたくになったこと、また自然食ブームに乗って昭和55年に10万本、昭和58年に19万本、昭和62年には約38万本と著しい成長を遂げたそうです。
農協明方支店など早朝から列ができ、またたく間に売り切れる状態が続き、なかなか手に入らないため幻のハムとまで言われるようになり、早急に工場を増築し増産をしなければならなくなりました。
昭和60年度から明方村で進められている公社営畜産基地建設事業の「特認事業」として補助事業の採択の見通しもつき、昭和61年の予定で郡上農協が村と協力して現工場の場所で工場を拡張しハムの増産をする計画をしました。ところが、農協は補助事業を断わってしまいます。
そして従業員確保を理由に工場を隣接の八幡に移すことを決めました。このことに明方村は猛反発。ハムの生産は村おこしの大事な特産品であること、豊かで活力のある産業基盤の拡充を目指した公社営畜産基地建設事業やスキー場の計画・社会の誘致など、村内での雇用の場をつくって若者・中堅層に都会からUターンしてもらおうと必死で頑張っている矢先だったからだそうで、郡上農協の構想に理解協力することはできないとし、新しく村主導で会社を作ることを決定。
昭和63年1月に村内の7つの各地区の消費組合・商工会・森林組合・畜産組合・村が出資をし、村民総参加による第3セクターハム製造販売会社「明方特産物加工株式会社」を設立して明宝ハムが誕生。
その後、村では村おこしのため、同じく第3セクター方式の「めいほうスキー場」ができ、『明宝』の名前が知れ渡りました。そこで名前の統一による村おこしを狙って自治体のCIを展開、平成4年4月に村名を明宝村に改名しました。
ということで、岐阜県には、明宝村の第三セクターが生産する明宝ハムと八幡町にあるJAめぐみのが生産する明方ハムの二つのブランドが存在するというのです。
岐阜県出身としては双方が切磋琢磨して頑張って頂きたいと思いますが、村の名前を変えてまで地域振興に取り組んだ明宝村は
凄いなぁと思います。
明宝ハムのHP: https://www.meihoham.co.jp/
明方ハムのHP: https://www.myogata-ham.jp/