同様に、二審判決が認めた「将来分」の騒音被害の損害賠償も認めず、過去分の約82億円にとどめた。
騒音被害の大きな要因となっている米軍機の差し止め請求は、一、二審同様に審理対象とせず退けた。
住民側の逆転敗訴だ。
判決は住民の健康被害について、騒音によって精神的苦痛を継続的に受けており、「睡眠妨害の程度は深刻で軽視できない」とした。一方、自衛隊機について夜間・早朝飛行の自主規制が取られ、住宅防音工事への助成などの対策が講じられていると指摘した。
つまり騒音被害による国の賠償責任は認めながらも、一定の対策は取られており、過去分の賠償を金銭で支払わせるから、それで我慢してくれ、と言わんばかりの司法判断だ。被害の大本である米軍機や自衛隊機の飛行はそのままである。
住民が真に求めているのは賠償金ではない。静かに暮らせる環境だ。国の対策が効果を上げていないから飛行差し止めを求めているのだ。人権の砦(とりで)である司法が、自らの役割である住民救済の道を狭めたに等しい。
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厚木基地の周辺住民が第1次訴訟を起こしたのは1976年。既に40年がたつ。基地騒音を巡る訴訟は、沖縄の嘉手納、普天間の両爆音訴訟をはじめ、横田(東京)、小松(石川)、岩国(山口)でも続いている。
厚木の4次訴訟は、民事訴訟だけではなく、行政機関の権限行使の是非を問う行政訴訟として、差し止めを求めた初のケースだ。2015年7月の二審判決は、自衛隊機の夜間・早朝飛行差し止めと、将来分の損害賠償を認めた。被害救済の幅を広げたとして、住民側から「一歩前進」と受け止められた。
それだけに、今回の最高裁判決は後退であり、到底納得できない。
一部の地域に負担を強い、小手先の対策を講じるだけで騒音被害を長年放置し、訴えがあれば過去分の賠償金を払って収める-。これを繰り返すのは政治の堕落だ。
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11月の第2次普天間爆音訴訟の那覇地裁沖縄支部判決は、「違法な被害が漫然と放置されている」と国を批判した一方、米軍機の差し止め請求を棄却した。根本的な解決を図るには、飛行差し止めしかない。判決は矛盾している。
「日本の法の支配が及ばない」として、米軍機の飛行差し止め請求を退ける。いわゆる「第三者行為論」に基づく司法判断が続く限り、住民の苦しみは続く。そもそも日本政府が提供した基地を米軍機が利用し、騒音が発生している。米軍機が「第三者」であるはずがない。政府も司法も、責任を持って被害の訴えに向き合ってもらいたい。