NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

#116 キャンド・ヒート「Got My Mojo Working」

2010-03-28 10:48:07 | Weblog
#116 キャンド・ヒート「Got My Mojo Working」(Let's Work Together/Goldies)

60年代より現在に至るまで活動している長寿バンド、キャンド・ヒートのベスト盤(オランダ版)より、マディ・ウォーターズでおなじみのナンバーを。

キャンド・ヒートは65年頃、アル・ウィルスン(g,hca)、ボブ・ハイト(vo)を中心にロサンゼルスにて結成された白人バンド。ブルース・バンドとは名乗っていないが、そのレパートリーの多くは黒人のブルースであり、当時としては先駆的なホワイト・ブルース・バンドであった。ちなみに、グループ名は黒人ブルースマン、トミー・ジョンスンの曲名からとっている。

ジョン・リー・フッカーとの共演アルバム「Hooker 'n' Heat」を出したり、モンタレーやウッドストックなどの大規模なフェスティバルに出演したりして知名度を上げた彼らは、ブルースのカバーだけでなくオリジナル曲も発表し、いくつかはヒット曲も出す。

だが、70年代後半は実質的に休止状態。長いブランクののち、80年代の末に活動を再開する。メンバーを変えながら現在に至っている、というわけだ。

筆者が思うに、彼らの演奏は「どれだけ黒人のサウンドを忠実に再現出来るか」が基本ポリシーなんだと思う。歌い方にせよ、演奏にせよ。あるひとはそれを「黒人ブルース原理主義」などともいう。

白人ロックミュージシャンの多くは、ブルースという原典を換骨奪胎して、自分たちにとって歌いやすい、演奏しやすいスタイル(たとえば、ロカビリー)に変えてしまった。だが、彼らは「それじゃだめなんだ」といわんばかりに、白人的なアプローチを拒否し、あくまでも原典の再現にこだわった。

そのこだわりぶりは、あまたあるホワイト・ブルース・バンドの中でも、頭ひとつ抜けているといっていいだろう。

その頑さゆえに、いわゆるポピュラリティは獲得出来なかったものの、そのこだわりに共鳴してか、いまだにファンが根強く残っているのが、彼らの特徴だといえそうだ。

ところで、きょうの一曲、説明など不要であろうが、ブルース・スタンダード中のスタンダード。ブルース・ファンでは知らぬ者などひとりもいない、超有名曲だ。

あまりにも繰り返し演奏されてきたせいで、「もう聴きあきた」などという評もないわけではないが、どこのブルースセッションでも、必ず一度は演奏される、そんな絶対的なポピュラリティを誇っている。

なにより特徴的なのは、その意味深長な歌詞だ。もともとこの曲はプレストン・フォスターが作り、女性R&B歌手、アン・コールがステージで歌っていたのを、当時彼女と組んでツアーをやっていたマディ・ウォーターズが気に入り、オリジナルの歌詞をつけてちゃっかり自分のレパートリーに取り込んでしまったのである。

以来、この曲は、黒人白人、ブルース、ロックを問わず、とんでもない数のアーティストによってカバーされることになる。日本でも60年代後半からブルース・クリエーション、ゴールデン・カップスをはじめとする多くのバンドが取り上げていたのは、50前後のひとならよくご存知だろう。

当時は「モジョ、それ何? 美味しいの?」みたいな感じで、正体不明のアイテムだったわけだが、要するに意中の女性を振り向かせるための、まじないグッズ。

つまり、歌の内容自体、かなーりインチキくさいのだが、それをとにかくノリと勢いで歌い切ってしまうのが、いかにも元祖モテ男、マディらしかった。

キャンド・ヒートの場合、(写真を見るとわかると思うが)イケメン、モテ系がひとりもいない、いやむしろムサい系以外の何者でもなかったわけだが(笑)、ひたすらモジョの、そしてマディのご利益を信じ切って歌っている感じで、なんだか微笑ましい。

そのくらい、この「Got My Mojo Working」という曲には、とてつもなくマジカルな力があるってことなのです。

マディのむこうを張って、超アップテンポで演奏されるこの曲。聴いていると、ガンガン、エネルギーがチャージされてきまっせ、お客さん。

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#115 ウィッシュボーン・アッシュ「Blind Eye」

2010-03-21 10:05:52 | Weblog
#115 ウィッシュボーン・アッシュ「Blind Eye」(Wishbone Ash/MCA)

ウィッシュボーン・アッシュのデビュー・シングル。70年リリースのファースト・アルバム所収。メンバー全員の共作。

筆者にとってウィッシュボーン・アッシュは、飛び抜けて一番とはいえないものの非常に好きなグループのひとつで、すでに4回ほど取り上げている。

66年結成。オリジナル・メンバーのアンディ・パウエル(g)を中心に現在も活動中で、歴代在籍メンバーは16名にも及んでいる。

44年もの歴史の中で、印象に強く残っているのは、いわゆる第一期のアッシュ。パウエル、テッド・ターナー(g)、マーティン・ターナー(b)、スティーブ・アプトン(ds)のデビュー時メンバーによる、73年までの4枚のスタジオ・アルバム、そして1枚のライブ・アルバムである。

10分以上の長尺の曲が多く、ヒットチャートよりはアルバム・オリエンテッドな作風が、彼らのパブリック・イメージだが、スタート当初はそうとは限らなかった。一例が、きょうの一曲。

元々はブルース・ロックを基調としていた、いまでいうところのジャム・バンドであった彼らは、この4分未満のブギのような曲を当時、主たるレパートリーとしていたのだ。以前取り上げたライブ・アルバムの中でいえば「When Were You Tomorrow」のような曲だ。

しかし、彼らはプロのバンドとしてやっていくには、大きな弱点があった。強力なボーカリストの不在である。

そこで、他のバンドのようにボーカルを前面に押し出したスタイルでなく、ボーカルもサウンドの一要素と捉えて、トータルな音作りをするという作戦に出た。曲作りも特定のコンセプト、たとえば伝説とか神話とかいったものに基づき、どちらかといえば非日常、ファンタシィの世界を歌うことで、オリジナリティを出そうとしたのである。

そうやって生み出された「フェニックス」「ブローイン・フリー」「戦士」「キング・ウィル・カム」といったマイナー系メロディが印象的なナンバーは、彼らの看板曲となった。

そして、アンディとテッドによるツイン・リード、それもしっかりとアレンジされたソロ・ラインをハーモナイズして弾くという、過去にはあまりないスタイルが、大ウケしたのである。

ギターが本当に上手いのはアンディのほうだったが、テッドやマーティンのイケメン系メンバーがステージに立つと、非常に見栄えがしたのもプラスし、英国や日本での人気は高かった。

ただ、その後企てたアメリカ進出は、思ったようにはいかず、いろいろと紆余曲折があったのは事実だ。決して同じ英国勢のレッド・ツェッぺリンのようには、爆発的なウケが取れなかったのである。つくづく、ショービズの世界での成功はラクじゃないな、そう思う。

それはさておき、この記念すべきデビュー曲は、ギターが売りのアッシュにしては、ピアノを加えているのが面白い。

ブルース、ブギなどの黒人系音楽にはつきもののピアノをフィーチャーしていることで、ツイン・ギター・ソロもあるとはいえかなりオーソドックスというか、古典的なサウンドとなっている。まるで初期のフリートウッド・マックのよう。

同じアルバムに収められている「フェニックス」あたりとは、ホント、だいぶん異質な曲に聴こえる。

バンド本来のブルース路線と、メジャー・デビューにあたって付け加えられたオリジナルな路線とが、まだ混在していたということなんだろうね。

そのあたりの「未完成」な感じが、デビュー作らしさでもある。もうひとつのウィッシュボーン・アッシュらしさを知ることのできる一曲。要チェキです。

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#114 ジミー・ウィザースプーン「Trouble in Mind」

2010-03-14 07:45:27 | Weblog
#114 ジミー・ウィザースプーン「Trouble in Mind」(Atlantic Blues/Atlantic)

1940年代から90年代まで、息長く活躍したシンガー、ジミー・ウィザースプーンが歌う、ブルース・スタンダード。トラディショナルを元に作られた、リチャード・M・ジョーンズの作品。

ジミー・ウィザースプーンは、20年アーカンソー州ガードン生まれ。幼少時よりゴスペルに親しみ、10代なかばでカリフォルニアに移住。プロのシンガーとしての仕事を得て、当時の人気ビッグバンドのリーダーであるジェイ・マクシャンの目に止まり、ウォルター・ブラウンの後任として44年入団。

以来めきめきと名を上げ、49年にはソロシンガーとして独立。「エイント・ノーバディズ・ビジネス」「イン・ジ・イブニング」などを立て続けにヒットさせ、全国区的人気を得るようになった。

その後も活動の場所をジャズ界にまで広げ、77才でLAにて亡くなるまで、ブルース/ジャズ界の大御所として君臨した。まさに堂々たるキャリア。

ジミー・ウィザースプーンは、先輩格にあたるビッグ・ジョー・ターナーなどと同様、典型的なビッグ・ボイス・シャウターといえる。

その圧倒的な声量を生かした迫力ある歌唱は、40~50年代、すなわちラジオの全盛時代に最もフィットしたものであったといえよう。

きょうのナンバーは、元々はトラディショナルだったものを、リチャード・M・ジョーンズがまとめたもので、黒人・白人を問わず実にさまざまなジャンルの、さまざまなアーティストがカバーしている。たとえばルイ・アームストロング、アレクシス・コーナー、キャノンボール・アダレイ、モーズ・アリスン、ビッグ・ビル・ブルーンジー、グレン・キャンベル、シーファス&ウィギンス、クリフトン・シェニエ、エリック・クラプトン、サム・クック、スペンサー・デイヴィス・グループ、ファッツ・ドミノ、ボブ・ディラン、エヴァリー・ブラザーズ、アレサ・フランクリン、ウディ・ハーマン、ロン・ウッド、エラ・フィッツジェラルド、ジャニス・ジョプリン、ニーナ・シモン、ピーター&ゴードン、そして憂歌団‥‥と、上げだしたら、キリがないくらい。

つまりこの曲はアメリカ人にとって、「こころのふるさと」的な歌だということが、よくわかる。

心に悩みをかかえたとき、ふと口をついて出る。そんなブルースなのである。日本でいうなら「上を向いて歩こう」にでも相当する歌、そういう感じだ。

そんな「国民的ブルース」の極めつけ版が、このウィザースプーンによる歌唱なんではないかな。

哀感をたたえたその美声は、ブルースを愛するすべての人々のハートに届くはずだ。

しっとりとしたジャズィな演奏にのって歌われる、心にしみる歌(ブルース)。

こういう曲こそ、末永く歌われ続けていってほしいものであるね。

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#113 fripSide「only my railgun」

2010-03-07 09:24:15 | Weblog
#113 fripSide「only my railgun」(RONDO ROBE)

二人組ユニット、fripSideの再メジャーデビュー・シングル。sat(八木沼悟志)プロデュース。TVアニメ「とある科学の超電磁砲(レールガン)」のオープニング曲。

fripSideは女性シンガーのnaoとプロデューサー/キーボーディストsatにより2002年結成され、おもにゲームやアニメの分野で活動していた、知る人ぞ知るユニットだった。

どちらかといえば業界の裏方的存在だった彼らが、昨年秋、一躍表舞台に飛び出してきた。この「only my railgun」のスマッシュ・ヒット(オリコン総合チャート3位)によって。

昨年3月脱退したnaoに代わりボーカルとして参加したのは、声優の南條愛乃(25)。

彼女の抜擢が成功し、再デビュー曲は、深夜アニメという枠を越えて、全国区的人気を獲得したのだ。

彼らはアニメ/ゲーム系のアーティストとしては珍しく、ロックというよりは、ユーロビート/トランス系の音楽をおもに手がけている。

わが国でその手の音楽の先駆者といえば、いうまでもなく、小室哲哉だ。satももちろん、小室の絶大なる影響下にある。そのサウンドを一聴すれば、誰にでも判るぐらいの、ベタなコムロ・フォロワーだ。

しかしながらその曲作りのレベルは非常に高い。緩急自在の曲の流れ、ブレイクから間奏へとなだれ込む間合い、押さえるべきツボはすべて押さえたソツのないアレンジだ。なにより、打ち込みのサウンドと、南條の無機質なハイトーン・ボイスのマッチングが最高にいい。

こりゃあヒットしないわけがない。アニメファンに限らず、一般リスナーをも巻き込んでブレイクしたのも、むべなるかな、である。

きょうはこの曲を、彼らのPVで聴いていただくが、このPVも実によく出来ている。演出のコンセプトは、「とある科学の超電磁砲」の作品世界に連なる「魔術(マジック)」だが、単にシリアスに演出するだけでなく、息抜きの「笑い」の要素もうまく折り込んでいる。とある有名マジシャンがゲスト出演して、お茶目な芸を披露しているので、こちらにもご注目。

fripSideはこの曲のヒットの勢いに乗って、第2弾シングル「LEVEL5-judgelight-」も立て続けにヒットさせている。

このパワーで今後もトランス、レイヴ系の急先鋒としての活躍が期待できそうだ。要チェキ!ですぞ。

南條愛乃は、過去アニメのキャラクターソングを歌った経験はあるものの、これが実質的なメジャーデビューといっていい。が、とてもそうは思えないくらい、卓越したリズム感を持っており、satが作っためまぐるしく転調する難曲を、さらりと歌いこなしている。J-POP界に現れた、ひさびさの逸材といえるだろう。

その才能を見抜いたプロデューサー、八木沼悟志の炯眼もまたスゴい!ということでもありますな。

帝王コムロはいまだ復活せず。でも、そのDNAを受け継いだトランスの超新星satがいれば、全然いいんジャマイカ。そう思います、ハイ。

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