NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音曲日誌「一日一曲」#182 エース「ハウ・ロング」(Five-A-Side/Anchor Records)

2023-09-30 05:38:00 | Weblog
2011年7月31日(日)

#182 エース「ハウ・ロング」(Five-A-Side/Anchor Records)





英国のバンド、エース、1975年の大ヒット曲を。メンバー、ポール・キャラックの作品。

エースは72年結成。フィル・ハリス(g)、アラン・バム・キング(vo,g)を中心とする5人組だが、彼ら2人が見出して参加させたポール・キャラック(vo,kb)のほうにむしろスポットが当たる格好となった。

キャラックが作曲し、歌ったきょうの一曲「ハウ・ロング」が全米、全英両方のチャートで上位にランクする大ヒットとなったのだ。特に全米では最高2位まで昇りつめ、まったく無名の外国バンドの名を一気にアメリカ中に知らしめることとなった。

いったい、この曲の何がそんなにアメリカ人の琴線にふれたのか。まずは聴いてみよう。

サウンド的には、特筆すべき何かがあるわけではない。エースはその結成、活動形態から本国において「パブ・ロック」とよばれていた。でもパブ・ロックとされるバンドのすべてに共通した音楽スタイルがあるわけではない。

パブ・ロックの代表格、ドクター・フィールグッドのように、ロックンロール、ブルース系のサウンドもあれば、このエースのように、ややメロウなサザン・ソウル系のサウンドもある。要するにパブのような場所で活動するライブ・バンドという括りってことなんだろうな。

それはさておき、サウンド的に格別特徴のないエースがいきなりメガヒットを飛ばしたのは、ひとえに歌を担当したキャラックの声の魅力、これによるものに違いない。

どちらかといえばバラード向きの、甘いが落ち着いた声質。でもそれだけじゃなくて、非常に「ソウル」を感じさせる巧みな歌い口。派手なものはないのだが、聴くものをホッとさせる魅力に溢れている。

もうひとつは、彼の作り出すAORなメロディ・ライン。これによるところも大きい。

キャラックは見てくれ的には残念ながらオッサン系なので、スター性はないのだが、彼の歌声とセンスはオール・アメリカンな指向とぴったりと合致していた。そういうことだ思う。

この大ヒット後、エースは残念ながらというかやっぱりというか、鳴かず飛ばず。デビュー曲のようなヒットは出ず、結局バンドは77年に解散となってしまう。

「偉大なる一発屋」で終わってしまったわけだが、でもこの曲の素晴らしさに変わりはない。

そしてそれを生み出した、キャラックの才能のスゴさも。

それは、バンド解散後の彼のキャリアを見ればすぐわかる。

その後すぐにブライアン・フェリー率いるロキシー・ミュージックに参加。80年代半ばにはスクィーズというバンドで再びリードボーカルをとり、さらにはニック・ロウのバンド、カウボーイ・アウトフィットや、マイク・アンド・ザ・メカニックス、エリック・クラプトンのバックなど、見事なキャリアを築いているのだ。

そのボーカル、コーラス、キーボードの実力で、スターたちの絶大な信頼を得ているキャラック。ミュージシャンズ・ミュージシャンとは彼のことだと思う。

ポール・キャラック畢生の男伊達は、当然このバラード「ハウ・ロング」で知るべし。ホンマ、ええ曲でっせ。


音曲日誌「一日一曲」#181 ロニー・ホーキンス「Neighbor, Neighbor」(Red Hot Blues/Castle Music)

2023-09-29 05:46:00 | Weblog
2011年7月23日(土)

#181 ロニー・ホーキンス「Neighbor, Neighbor」(Red Hot Blues/Castle Music)





白人ロックンローラー、ロニー・ホーキンスによるR&Bナンバーのカバー。ジミー・ヒューズの作品。

ロニー・ホーキンスは1935年、アーカンソー州ハンツヴィルの生まれ。50年代後半よりメンフィスでプロとなるも、ロックンロールが下火になったこともあって、59年カナダへ活動の拠点を移す。当時彼のバックをつとめていたバンド、ザ・ホークスが後の「ザ・バンド」である。

63年、ザ・ホークスと決別したホーキンスは、別のメンバーをバックに迎えて活動を継続する。60~70年代末までは比較的コンスタントにアルバムを出しており、そのいくつかは高い評価を得ている。単なる懐メロ歌手ではなく、コンテンポラリーなアーティストとして活躍を続けていたのである。ザ・バンド解散のときには、フェアウェル・コンサートにゲストとして出演している。

ロックンロールと一言でいっても、いろいろとスタイルがあり、ホーキンスの場合、出発点はいわゆるロカビリーだったといえる。59年、ルーレットで出したヒット「メリー・ルー」はその典型例だ。だが、彼のサウンドはロカビリーの狭い枠にとどまるものではなかった。

オリジナル以外に、黒人シンガーの曲も積極的にレパートリーに取り入れた。ボ・ディドリーの「フー・ドゥ・ユー・ラブ」、チャック・ベリーの「メンフィス」「メイベリーン」、ファッツ・ドミノの「エイント・ザット・ア・シェイム」などが好例だ。

こういった曲が意外とホーキンスの声になじんだのは、彼の歌声が白人にしては珍しく重く、太い「ブルースな」声質だったということが大きいと思う。

きょうの一曲を聴いていただくと、よくわかると思うが、「Neighbor, Neighbor」というかな~り鬱な内容のヘビーなブルースを、見事に歌いこなしている。知らずに聴いたら、白人シンガーと気づかないかもしれないね。

もともとこの曲は、60年代前半にR&Bシンガー、ジミー・ヒューズがアトランティックで録音、ヒットさせたものだ。オリジナルのヒューズ版では、かなり声が高めで、ホーキンスのそれとは趣きを異にしているが、ホーキンズ版もなかなかの出来映え。ヘビーなムードにおいて、原曲を上回っているように思う。

以前、ネヴィル・ブラザースを取り上げたときに「ロックンロールは軽くて重い音楽」と書いたことがあるが、ホーキンスについても、同様なことを感じる。ブルース的な重いものを隠し味にもってこそのロックンロールなのだ。

日本のチャンジー・ロックンローラー某氏(特に名を秘すw)も、軽めのロックンロールだけでなくこういうヘビーな曲がちゃんと歌えていたら、ロックの歴史に残っていたかもしれないんだがねぇ。

「ロックな」という形容は、ともすれば、アーティストの行動のありかたがロックっぽいという意味でばかり使われがちだが、それ以前に彼の歌そのものが、音楽として聴くに足るかということについて、語られるべきだと思う。歌自体がロックであること、これが大前提だと思う。

そういう意味でロニー・ホーキンスは、真にロックな歌い手であると思う。

弟子のザ・バンドがらみでしか、語られることのない、ちょっと気の毒なお人だが、そのタフな歌声にロックの本質を感じるぜ、ベイベー。

音曲日誌「一日一曲」#180 アルヴィン・ヤングブラッド・ハート「Gallows Pole」(Big Mama's Door/Sony Music Distribution)

2023-09-28 05:40:00 | Weblog
2011年7月17日(日)

#180 アルヴィン・ヤングブラッド・ハート「Gallows Pole」(Big Mama's Door/Sony Music Distribution)





毎日暑いねぇ。そんなときは、清涼感溢れる、アコースティック・ギターの響きはいかが?

黒人シンガー/ギタリスト、アルヴィン・ヤングブラッド・ハートのデビュー・アルバムより、レッド・ツェッぺリンのカバー・ナンバー。ジミー・ペイジ、ロバート・プラントによるトラディショナルの改作。

アルヴィン・ヤングブラッド・ハートは63年カリフォルニア州オークランド生まれ。96年、33才にしてメジャーデビュー。以来、10年間で5枚のアルバムを発表している、新進気鋭のアーティストだ(もう48だけど)。

きょうの一曲は、皆さんご存知、ツェッぺリンのサード・アルバムのB面、いわゆるアコースティック・サイドの一曲目にあたるナンバーだ。

ハートもZEP同様、アコギを弾きつつ、このトラディショナルを歌う。その演奏スタイルは、そうだな、ゲイリー・デイヴィス師あたりを思わせる、リズミカルで軽快なサウンドだ。

また、その歌声は、派手やかなプラントとは対照的にひなびた、素朴な味わいをもつ。どこかの南部農園の片隅で、休み時間にギターをかきならしながら、歌う農夫。そんな趣きだ。

たとえてみれば、新時代のミシシッピ・フレッド・マクダウェル。そんなところか。

で、よく聴き込むと、実にギターの腕前が達者なことがわかる。早いパッセージも、難なくリズムにのせて弾いている。見事なもんだ。

デビュー・アルバムでは、タジ・マハールをゲストに迎えた3曲以外はすべて、この曲のようなアコギ弾き語りスタイル。オリジナルと、チャーリー・パットン、レッドベリー、ブラインド・ウィリー・マクテル、ウォルター・ヴィンスン(ミシシッピ・シークス)らのカバーが半々の構成だ。

2枚目以降は、スタイルを広げ、バンド編成でエレクトリック・ギターを弾き、スカやロックなども演奏しているのだが、ウケはイマイチといったところか。

やはり、彼の歌声は、アコースティックのサウンドにのることで本来のひなびた魅力を発揮できるような気がする。

だからかどうか、4枚目のアルバムでは、再び弾き語りでアコースティックという路線に戻っている。

60年代生まれだから、モダンなもの、コンテンポラリーなものをやって当然ではあるのだが、それでも彼の真の面目は、ブルースの一番原初的なかたちを再現できるところにある。

5枚目のアルバムは、再度ロック路線になったようだが、並行して戦前のアコースティック・ブルース曲群を、今後も歌い続けていってほしいものだ。

それらは、いってみれば、20世紀の無形の財産。誰かが生で歌い継ぐことで、今世紀にもしっかりと生き残っていくはずだから。


音曲日誌「一日一曲」#179 ランディ・クロフォード「Rainy Night In Georgia」(Secret Combination/Warner Bros.)

2023-09-27 05:24:00 | Weblog
2011年7月3日(日)

#179 ランディ・クロフォード「Rainy Night In Georgia」(Secret Combination/Warner Bros.)





7月だ。今年も後半に入ったということか。時のたつのは、早いのう。で、今月の第一弾はこれ。ランディ・クロフォードによるカバー・ナンバー。トニー・ジョー・ホワイトの作品。81年録音。

ランディ・クロフォードは52年ジョージア州メイコン生まれ。79年、クルセイダーズのアルバム「Street Life」にボーカルで参加し、同題のシングルをヒットさせたことで一躍スター歌手となる。以来、現在までに15枚以上のアルバムをリリースしているベテランだ。

圧倒的な歌唱力をほこる彼女は、オリジナル曲を作る一方で、R&B、ソウル、ロックなどさまざまなジャンルの曲をカバーしているのだが、きょうの一曲も70年にソウル・シンガー、ブルック・ベントンにより大ヒットしたバラードだ。

もともとは白人シンガーソングライター、トニー・ジョー・ホワイトが62年に作った曲。ホワイトといえばエルヴィス・プレスリーがヒットさせた「ポーク・サラダ・アニー」の作者としてつとに知られているが、ルイジアナ出身者らしい土臭いメロディの中にも、白人ならではの洗練も感じられる、スワンプ・ロックの先駆者であった。オトコっぽい歌声、ダウンホームな雰囲気は、一度聴くと必ずや耳に残るはずだ。

最も知られたブルック・ベントンのほか、作者自身、レイ・チャールズ、コンウェイ・トウィッティ と サム・ムーアのデュエットなどでも知られるこの名曲に、クロフォードはどのように挑んでいるのか。まずは聴いていただこう。

聴くとおわかりいただけると思うが、実に静かな雰囲気のバラードである。おさえめのバック・サウンドにのせて、クロフォードの歌声が、孤独感、憂鬱、焦燥、倦怠感といった、若者の心の影を見事なまでに伝えている。その繊細にして大胆な表現力は、さすがトップ・シンガーになるべくしてなった彼女ならではのものだ。

一般的な若者の青春というものは、どの時代にせよ、幸福感とはおおむね無縁のものであり、むしろ、たいていの場合、孤独や絶望と隣りあわせである。

長引くベトナム戦争の影響で、さまざまなネガティブなムードが充満していたアメリカ。その気分をうつし出した曲としても、この「Rainy Night In Georgia」は歴史に残る名曲といっていいだろう。

心に沁み入ってくるようなクロフォードの円熟した歌声は、何度聴いてもあきるということがない。

ジョージアにちなんだ曲は、「Georgia On My Mind」「Midnight Train To Georgia」と、なぜかいい曲ばかりだが、この曲もまた、今世紀に末永く残していきたいナンバーだ。知っている人も、知らない人も、ぜひ聴いてほしい。

音曲日誌「一日一曲」#178 B・B・キング「Second Hand Woman」(Take It Home/MCA)

2023-09-26 05:23:00 | Weblog
2011年6月26日(日)

#178 B・B・キング「Second Hand Woman」(Take It Home/MCA)





B・B・キング、79年リリースのアルバムより。ウィル・ジェニングスとジョー・サンプルの作品。

ブルースの大御所、B・B・キングも今年でおん年86才。健康上の問題はあるものの、地道に新作を発表し続けているのは見事というほかない。いつまでも長生きして、このブルース界を見守ってほしいものだ。

そんなBBが54才、ブルースマンとして一番円熟していた時期にリリースしたのが、「Take It Home」というアルバムだ。

プロデューサーにウィル・ジェニングスとジョー・サンプルを迎え制作されたこの一枚、ブルースというよりはだいぶんポップなサウンドに仕上がっている。

ウィル・ジェニングスといえばバリー・マニロウ、スティーヴ・ウィンウッド、ディオンヌ・ワーウィック、ホイットニー・ヒューストン、セリーヌ・ディオンなどにヒット曲を提供してきた白人ソング・ライター。一方、ジョー・サンプルはいうまでもなく、クルセイダーズの中心的存在のキーボーディスト、アレンジャー。2人はクルセイダーズの同年のアルバム「Street Life」でもコラボレーションしている。

そんな超一流プロデューサー達に曲を完全にまかせ、BBは歌い手/弾き手に徹しているわけだが、どれだけプロデューサーの個性が強かろうと、BBはやっぱりBBである。

きょうの「セコハン女」もしかり。バックにサンプルのピアノ、ホーン・セクション、女声コーラスが配されて一分の隙もない仕上がりなのだが、BBの怒り節とファンキーなギターが決して負けていない。いやむしろ、一人でそれら全体を凌駕しているといいますか。

どんなバックが来ようが、俺は俺。そんな感じで、ブルースを歌うBB。さすが、ブラック・ミュ-ジック界のドンである。

ブルースという音楽も、大昔の「素朴な音楽」というイメージから大いに変化をとげて、BBによって「もっとも都会的で洒脱な音楽」へと成長したのだと思う。

ただ歌で聴かせるだけでなく、バックのサウンドも含めて、トータルで勝負する音楽へと進化したのだ。

同時期のアルバート・キングあたりについてもいえることだが、ブルースという素材を調理して、ひじょうに複雑な味わいの料理に仕立てていくことで、ブルースの枠を越えた「各アーティストの音楽」が形成されていった時代だったのだと思う。

ブルースは変わらない。でも、ひとところに留まることもない。

音楽を時間軸で見ると、またいろんなことが見えて来る。ぜひ、32年前の先端的なブルースを味わってみてくれ。



音曲日誌「一日一曲」#177 Heavenstamp「Stand by you」(ワーナーミュージック・ジャパン)

2023-09-25 05:00:00 | Weblog
2011年6月19日(日)

#177 Heavenstamp「Stand by you」(ワーナーミュージック・ジャパン)





5月11日にメジャーデビューしたロックバンド、Heavenstamp(ヘブンスタンプ)のファーストシングル。

Heavenstampは2009年、Sally#Cinnamon (Vo, G)、Tomoya.S(G)、Shikichin(B)、Mika(Dr)の4名で結成。ライブ活動、インディーズ・シングル「Hype」で注目され、トントン拍子でメジャーデビューの運びとなった、今一番イキのいいバンドだ。

このデビュー曲はケーブルテレビの音楽専門局でやたらとかかっていたが、筆者が最初に聴いたときは「ン? チャットモの新曲?」と思ってしまったものだ。

やや甲高い女性ボーカルが、チャットモンチーに通じるところがあるよね。あと、ディスコ・ビートも。

でもよく聴き込んでみると、やはりチャットモのエリコともちょっと違う。もっと攻撃的で鋭角的な声なのだ。

男女混成バンドで、テクノ風アレンジということでは、近年ブレイクしたサカナクションにも通じるところもあるHeavenstampだが、こちらでの主役は、男性でなく女性シンガーのSally#Cinnamonだ。

女性ロッカーといえば、かつてはユニセックスなスタイル、つまりジーンズやジャンプスーツのようなカッコの人が多かったが、Sally#Cinnamonはそういう伝統(?)とは違って、スカートにスパッツかタイツ、みたいなわりとフェミニンな衣装が多いように思う。女子大生/専門学校生によく見かけるような格好。

セクシーというのともちょっと違うんだけど、女っぽいのだ。この流れは、椎名林檎、さらに溯れば戸川純あたりから始まっているんだろうが、変にオトコに対抗意識をもってユニセックス化したりせず、むしろ自分の「女性」性を自然に主張するような方向性へ、女性ロッカーのありかたが変わってきたのだろう。スカート・スタイルにそれを感じる。

まずはPVでそのサウンドを確かめて欲しいが、このバンドのフックは、Sally#Cinnamonの「声」にあるといって間違いないだろう。

どんな斬新なバンドサウンドだろうが、ボーカルに魅力がなければ、リスナーの耳をひきつけることは出来ない。逆にごく普通のサウンドでも、突出した個性をもつシンガーさえいれば、バンドは天下を取れる。そういうもんだと思う。

Sally#Cinnamonの声は、そういう意味で椎名林檎以来の、十年に一人の逸材だという気がする。

林檎・Sallyともに言えることだが、彼女たちの声はいわゆる完全無欠型の美声とはいえない。

ちょっと乱調気味で、エキセントリックなところがある。だがそこがまた、聴き手の心をかきむしるのである。

"Stand by you"といった英語の歌詞をうたったときの、ビシッとヌケていく感じ。コーラスのキマリかた。そのへんが、非常に洋楽っぽい。海外でライブをやっても、間違いなくウケるんじゃないかな。実際、海外のバンドが来日した際の前座なども既にやっている彼らだから、インターナショナルな活躍が期待できそうだ。

新世代のロックバンド、Heavenstamp。そのユニークな歌声と歯切れのいいダンサブルなサウンドは、絶対に要チェキ!でっせ。

音曲日誌「一日一曲」#176 リッケ・リー「Get Some」(Wounded Rhymes/Atlantic)

2023-09-24 05:06:00 | Weblog
2011年6月11日(土)

#176 リッケ・リー「Get Some」(Wounded Rhymes/Atlantic)





スウェーデンの女性シンガー、リッケ・リーの最新曲。リーとビョルン・イットリングの共作。

リッケ・リーは86年ストックホルム生まれ。今年25才になる。ミュージシャンの父、画家の母という芸術家一家に生まれ、若くして自己表現に目覚めた。2000年代の初頭よりネット上に自作の曲を発表し、次第に注目を集めるようになる。

2007年には最初のシングル「Little Bit」でインディーズ・デビュー、そしてテレビにも出演。これによりメジャー・ブレイクのきっかけをつかむ。

翌08年には米アトランティックと契約、ファースト・アルバム「Youth Novels」をリリース。

これが各国で話題を呼び、そのメロディのセンスや、独特の歌声がおもに玄人筋で高い評価を得るようになる。

3年ぶりのセカンド・アルバムをリリースするにあたって、きょうの「Get Some」のPVを制作。これがyoutubeなどで200万回近く再生されている。非常にインパクトのある映像と共に、そのユニークなサウンドが日本でも大いに注目されているのだ。

スウェーデン・ポップスといえば、当然その頂点にたつのはABBA。でも彼ら以外にもさまざまなアーティストが世界的な活躍をしている。「ファイナル・カウントダウン」でおなじみのロック・バンド、ヨーロッパ。ロクセット、エース・オブ・ベース、メイヤ、カーディガンズ、リッケ・リーのプロデューサー、イットリングも参加しているピーター、ビョルン&ジョンといったアーティストたちがそうだが、彼らに共通しているのは、基本英語で歌い、アメリカン・ポップスのビートを強く意識しながらも、ヨーロッパならではのメロディアスな要素もしっかりと折り込んでいること、独自のヘタウマ系ボーカル・スタイルで個性をうち出している者がけっこう多いことかな。

リッケ・リーのきょうの一曲など聴くに、そのあまりにアメリカンな指向には驚く。完全にニューオーリンズですよ、このビートは。

でもボーカルは決してアメリカ風でない。それが面白いところだ。ちょっと舌ったらずで甘い、ウィスパー・ボイス。ジャングル・ビート×フレンチ・ロリータ・ポップスの遭遇ってとこか。これは新鮮だ。

25才にしては、見た目は小柄細身でどことなく幼女っぽく、未成熟な感じ。でもそれでいて、みょうにエロい。それがリッケ・リーのアンヴィバレントな魅力だといえる。

ブードゥー教の儀式をイメージしたかのようなおどろおどろしい演出、扇情的な衣装、むき出しの太もも、きわどい歌詞など、マニア心をくすぐる(笑)PVにも、ぜひ注目していただきたい。

聖女のようで妖女のようでもある。一筋縄ではいかない新星、リッケ・リーの問題作。チェックしてみてちょ。


音曲日誌「一日一曲」#175 ザ・ジョン・アール・ウォーカー・バンド「I Still Got It Bad」(People Are Talkin'/Orchard)

2023-09-23 05:44:00 | Weblog
2011年6月5日(日)

#175 ザ・ジョン・アール・ウォーカー・バンド「I Still Got It Bad」(People Are Talkin'/Orchard)





昨日、当HPはひさしぶりのキリ番、95,000ヒットを突破した。これからもよろしく。

さて、6月に入っての第一弾はこれ。白人ブルース・バンド、ザ・ジョン・アール・ウォーカー・バンドの登場だ。

シンガー/ギタリスト、ジョン・アール・ウォーカー率いるバンドで、4人編成。ウォーカーは生年未詳だが、キャリアから察するに1940年代後半の生まれのようだ。16才でバンドを結成、ローカルな活動を始める。

67年に現在も一緒に活動しているメンバーとともにプラスティック・ピープルを結成し、それを改名したプラム・ネリーとして大手キャピトルと契約。しかし、ヒットに恵まれず76年に解散。

その後は地道なローカル活動に戻り、現在のザ・ジョン・アール・ウォーカー・バンドを90年代にスタートさせている。メジャー再デビューは2003年。ニューヨークのオーチャード・レーベルより「I'm Leaving You」をリリース。当初はトリオ編成だったが、途中からハーピストを加えて4人編成になった。

現在はウォークライト・レーベルに移籍、ソロ+バックバンドというかたちで世界各国をまわっているようだ。

推定60ン才。ウォーカーもまた、ご多分に漏れず遅咲きなブルースマンなわけだが、作詞作曲、歌、ギターと八面六臂の活躍を見せている。

他のアーティストのカバーはまずやらず、基本オリジナルで勝負しているのが、彼の特色だと言っていいだろう。

つまり、ブルースが基本ではあるが、ブルース・クラシックに頼らず、あくまでも新作で勝負していく姿勢なのだ。

多くのローカル・バンド、ご当地バンドとの違いはそこにある。彼が売ろうとしているのは、「自分自身の作品」なのだ。

さて、きょうの一曲は05年のサード・アルバムから。やや早いテンポのブルース・ナンバー。ハープ、そしてギター・ソロをフィーチャーしている。

ウォーカーの愛器はストラトキャスター。そのソリッドなトーンを生かして、ひじょうにタイトなサウンドを生み出している。

BB、アルバート・キング、フレディ・キング、マジック・サム、Tボーンなど、さまざまなブルースマンの影響を受けているようだが、誰かのデッドコピーみたいなものに陥らず、ブルースのフィーリングそのものを継承していくのが彼なりのスタイルのようだ。テクに走ったり、溺れたりせず、トータルに音楽を作り出す姿勢がそこにはある。SRVみたくギター・キッズのアイドルになるタイプではないが、本当に音楽がわかっているリスナー層には高い評価を得そうである。

日本ではまだまだ知名度が低く、来日も果たしていない。黒人ブルース原理主義者が多い現状では、なかなか紹介される機会もない。

しかしこのまま地味に埋もれていくには惜しい才能だ。本欄でぜひプッシュさせていただく。

そのロック感覚もふまえたギター・プレイはいうまでもないが、歌ももちろん注目してほしい。いわゆる歌唱力のあるタイプではないが、ラフな歌い口に、ウォーカーならではのやさぐれたカッコよさを感じてもらえると思う。

わが国では最近、古希越えのオールド・ロッカーが(本業外のしょうもない醜聞で)話題を集めてしまっているが、ロックなジジイはやはり本業の歌で勝負しなくちゃ、である。

酸いも甘いも噛み分けたシニア・ミュージシャンの、イカした歌声、そしてプレイを聴いとくれ。

音曲日誌「一日一曲」#174 関ジャニ∞「マイホーム」(インペリアルレコード)

2023-09-22 05:44:00 | Weblog
2011年5月28日(土)

#174 関ジャニ∞「マイホーム」(インペリアルレコード)







関ジャニ∞、17枚目のシングル。A.F.R.Oの作品。

現在7人組のアイドル・グループ、関ジャニ∞は2004年、アイドルとしては異色のテイチクレコードから演歌「浪花いろは節」でデビューしている。全員が関西出身だけあって、お笑いもOK。またライブではバンド演奏もこなす。ミュージカルなどのステージ経験も豊富で、従来のアイドル・グループとはひと味ちがった魅力がある。

筆者が彼らに注目するようになったのは、THEイナズマ戦隊・上中丈弥のペンによる「無責任ヒーロー」のヒット(2007年)あたりからだ。PVでの「スチャラカ社員」ばりのお茶目な演技を観て、「こいつらアイドルの枠をふみ外しとるw」と感心したものだ。

東京のアイドルみたいな「ええかっこしぃ」を許されず、常に「ウケをとってナンボ」「前に出て目立ってナンボ」を肝に銘じている姿勢には「さすが関西人、ド根性やなぁ」と拍手を送りたい。

さてさて、そんな彼らも、最近では演歌や色モノソングだけでなく、正統派ポップスにも取り組むようになってきた。デビュー7年、知名度も上がり、そこそこ売れてきたという証拠だな。

きょうの一曲も、ミディアムテンポの、いかにも売れセンなロック・バラード。

PVではタイトルにちなんでか家のリビングルームでバンド演奏を行っている。歌は渋谷、横山、村上、錦戸(アコギも)、ギターは安田、ベースは丸山、ドラムスは大倉という編成だ。

これがなかなかいい感じの歌に仕上がっているのだ。ソロパートでの各人の個性的な歌いぶりもいいし、全員のコーラスも息が合っている。

ほめ過ぎかもしれないが、ビートルズ、あるいはモンキーズのような洋モノコーラス・バンドは長らく日本には根付かなったが、それが彼らにより、ようやく形になってきたのではないかと思う。

彼らの歌はテクニック的に特筆すべきものはないのだが、長い間のステージ経験や、楽器演奏などから体得した「リズム感」そして「チームワーク」、これには手堅いものがある。

そういう「蓄積」のおかげか、デビュー後約7年を経て、他のジャニーズ事務所の先輩・後輩の歌とはかなり趣きが異なってきているようだ。

ちなみに、この曲を書いているのは、A FUNKY RYHTHMIC ORGANIZER、略してA.F.R.Oという名のバンドだ。3人のMC、1人のDJ、ギター、ベース、ドラムスからなる、平均年齢25歳の札幌在住7人組。現在も活動の拠点は北海道だという。つまり、一般的にはほぼ無名のバンドといっていい。

だが、彼らの作り出す楽曲は、メジャーなヒット曲の「ツボ」をしっかりおさえたキャッチーなものである。とりわけ「ありふれた日常に/手のひらかさね」ってとこのクリシェっぽいメロディがグッとくるなぁ、筆者的には。

それがA.F.R.Oとはまったく個性の違う関ジャニ∞にもぴったりとフィットし、見事なスマッシュ・ヒットとなった。

これはもう、曲自体のもつ「力」、そういわざるをえない。

以前、山下智久と乙三.のコラボ曲「はだかんぼー」のときにも書いたことだが、ジャニーズ事務所は、作曲家を選ぶセンスがとてもいい。たとえば、嵐のシングル曲がそうだ。

すでに名のあるコンポーザーだけでなく、無名に近いアーティストであっても、いい曲ならば積極的に使おうという姿勢は素晴らしい。AKB48などについてもいえることだが、出来るだけ多くの作家の曲の中から、一番上質で旬な曲を選ぶことで、連続ヒットを出すという戦略。これは正しい。

関ジャニ∞のコーラス・サウンドは、デビュー以来、いい意味で青くささを保ち続けている。これぞ青春!って感じだ。「聴くとホッとする」、そんなアットホーム・サウンドを聴いてみてくれ。

(オリジナル音源が削除されてしまったので、彼らの後輩たちによるカバーを聴いていただきたい。)

音曲日誌「一日一曲」#173 ジョー・ルイス・ウォーカー「Blue Guitar」(Live at Slim's, Vol. 2/Hightone)

2023-09-21 05:30:00 | Weblog
2011年5月15日(日)

#173 ジョー・ルイス・ウォーカー「Blue Guitar」(Live at Slim's, Vol. 2/Hightone)





ジョー・ルイス・ウォーカー、90年サンフランシスコ「Slim's」におけるライブより。アール・フッカーの作品。

ジョー・ルイス・ウォーカーは49年サンフランシスコ生まれの60才。西海岸ブルースマンの中堅格といえるギタリスト/シンガーだ。

デビューは86年。アルバム「Cold Is The Night」を皮切りに5枚のアルバムをハイトーンでリリース。以降、ヴァーヴ、JSP、ストーニー・プレインなどで精力的にレコーディングを続けており、今一番脂の乗ったブルースマンのひとりなのである。

歌もこなし、そのやや高めの歌声は、ロバート・クレイに通じるものがある。とはいえ、彼の本領がギター演奏にあることは、そのサウンドを聴けばすぐわかる。非常にテクニカルで、精度の高いプレイをするひとなのだ。

さて、今日のライブ音源は彼が40才、デビューして数年後のもの。曲は、ブルースファンならおなじみの、アール・フッカーのカバーだ。

ブルース界のスライド・ギターの達人といえば、まずエルモア・ジェイムズの名前が挙がるだろうが、忘れてはいけないのがアール・フッカーだ。マディ・ウォーターズの「You Shook Me」のバックでの名演は、レッド・ツェッぺリンにも強い影響を与え、かの有名なカバー・バージョンが生まれた。

その他、ジョン・リー・フッカー、チャールズ・ブラウン、サニー・テリー&ブラウニー・マギーといった有名ブルースマンのバックでも見事なソロを聴かせてくれた、職人肌のギタリストなのである。

ワイルドでアグレッシブなエルモア・ジェイムズに対して、アール・フッカーはデリケートでキメのこまかいスタイル。まさに対極的な芸風のふたりだ。

ジョー・ルイス・ウォーカーは、通常の指弾きギターも達者だが、スライド・ギターも大の得意。そのスライドはやはり、手本とするアール・フッカー流の繊細なスタイルを踏襲している。

とにかく音源を聴いてみよう。背筋がゾクッとするようなスリルに満ちたインストゥルメンタルが、5分以上にわたって展開されている。

トーキン・ギターという言い方がよく使われるが、まさに呟くように、語るように、あえぐように奏でられるスライド。

官能にダイレクトに訴えてくるプレイに、もう完全にノックアウトでっせ。

歌わずとも、ギターだけでこれだけ「うたう」ことが出来るとは、スゴいの一語であります。

他の曲での歌もそれなりに味わいはあるのですが、やっぱりJLWはスライド! そう断言しちゃいます。

音曲日誌「一日一曲」#172 ビリー・ジョエル&レイ・チャールズ「Baby Grand」(The Bridge/Columbia)

2023-09-20 05:27:00 | Weblog
2011年5月7日(土)

#172 ビリー・ジョエル&レイ・チャールズ「Baby Grand」(The Bridge/Columbia)





ビリー・ジョエルとレイ・チャールズのデュエット曲。86年発表のアルバムより。ジョエルの作品。

ビリー・ジョエルは49年NYC生まれ。この9日で61才になる。

筆者と彼との出会いは77年、筆者が予備校生だった頃だ。同年のアルバム「ストレンジャー」で一躍日本のリスナーにも知られるようになった彼を筆者もいたく気に入り、翌年の初来日公演(中野サンプラザ)をさっそく観に行き、79年の再来日のときも日本武道館まで観に行ったクチなのだ。

以来、30年以上の付き合いとなるわけだが、いまだに70年代後半から80年代にかけての、ジョエルの黄金時代のアルバムは愛聴している。

86年の「The Bridge」は、彼が37才のときの作品。その人気も安定したものになってきて、若さにまかせて作ったというよりは、熟成した味わいが出て来た頃のアルバムだ。

ここでは、それまでほとんどやったことのなかった、他のアーティストとのコラボレーションをいろいろと試みている。

そのひとつが、R&B界の大御所、レイ・チャールズ(当時56才)との共演である。

50代というと現役バリバリ、まだまだ大御所よばわりする年齢でないような気もするが、当時すでに他の追随を許さぬマエストロ的存在であったのも事実。

同じようにピアノを弾き歌うビリー・ジョエルにとって、雲の上のヒーローのような存在であったに違いない。「プロシンガーとして、いつかレイ・チャールズと共演できたら」、そう願いながら71年のデビュー以来、長い道のりを歩んできたのだろう。

そんな彼の夢が、ついに叶った一曲。

スーパースター、レイ・チャールズは実際は意外と気さくで、彼の願いをふたつ返事で引き受けてしまうような気のいいオジさんだった(なにせ、日本のケイスケ・クワタやアキコ・ワダのオファーも気軽に受けた位ですからw)。

というわけで「世紀のスター共演」みたいな仰々しさはみじんもなく、遠い親戚のオジさんがふらりとやって来て、レコーディングに参加した、みたいな雰囲気に仕上がってます。

ひさしぶりに聴き直してみて感じたのは、ジョエルの声が「若い!」ってこと。それは、チャールズのシブい声とのコントラストでさらにはっきりと判る。

歌だけでなく、ピアノも連弾。ジャズィなフレーズもさらりと織り交ぜたりして、なかなかこころにくい。子供にゃわかんない「大人の音楽」ですな。

歌に関しては、やはり貫禄といいますか、生真面目に歌うビリー・ジョエルに対して、絶妙な「ヨレ具合」を見せるレイ・チャールズが圧倒的な存在感を見せつけてますが、オジさんは別に偉ぶるふうでもなく、若造の背中をトンと押して、親切にリードしてやってる、そんな感じです。

いやー、歌の世界はホント、奥が深いわ。

同じアルバムでは、ジョエルにとって憧れのカッコいい先輩的なスティーヴィ・ウィンウッド(1才年上)、少し年下だけどユニークな個性、実力をもったガールフレンド的なシンディ・ローパーとも共演してますが、やはりこの曲が目玉といって、間違いないはず。

20世紀アメリカン・ポップスを代表するふたりが、がっちりスクラムを組んだ、記念すべき一曲であります。必聴。


音曲日誌「一日一曲」#171 DEEN「Brand New Wing」(Ariola Japan)

2023-09-19 05:18:00 | Weblog
2011年5月1日(日)

#171 DEEN「Brand New Wing」(Ariola Japan)





DEENの最新シングル。メンバーである池森秀一、田川伸治の作品。

DEENは93年結成の中堅バンド。これまでに38枚のシングル、18枚のアルバム、7枚のベストアルバムを発表し、1000万枚以上を売り上げている。爆発的な人気こそないもの、その実績は大したものだ。

DEENといえばビーイング系バンドのひとつ、というイメージが強いのだが、現在ではGOOD-DAYという事務所へ移籍しており、ビーイングとは袂を分たっている。

バンドの顔といえば、もちろんリードボーカルの池森秀一。というか、彼以外のメンバーがいることを知らないリスナーが多い。

まあ、CFやPVなどでは、たいていの場合池森ばかりをクローズアップしているので、無理からぬことだが。

実際には曲の作り手として、キーボードの山根公路、2代目ギターの田川伸治のふたりが果たす役割は大きい。デビュー当初の90年代には織田哲郎、栗林誠一郎らのバンド外部の作曲家の力を借りることが多く、また大ヒットはその時期に集中していたが、次第にセルフプロデュース中心に移行しており、近年の曲の大半は詞・池森、曲・山根または田川のチームによって生み出されている。バンドとしての結束はきわめて強固なんである。

さて、DEENの魅力はといえば、その曲、サウンドなどにもあるだろうが、なによりも池森の歌声にあるといえよう。茫洋としていてつかみどころがなく、でもなんだか爽やかな、不思議な魅力をもった歌声。

たとえていうと、フンフンとうたった鼻歌をそのまま録音したかのような、カジュアルな感じなのだ。

もちろん、これはあくまでも「そう聴こえる」だけであって、実際に彼の歌をヘッドホンなどでじっくり聴いてみると、あるいはカラオケで歌ってみると、鼻歌どころか細部まで非常にテクニカルであることがよくわかる。

軽く抑えめな声なので、ついつい鼻歌っぽく聴こえるのだが、その歌唱力はビーイング時代の仲間、前田亘輝にもひけをとっていない。「あっさり風味の前田亘輝」とでも言うべきか。

これが、バンドとしてはかなり地味なDEENを支持するファンが、いまだに多い理由だと思う。

きょうの一曲は、ひさしぶりのオリジナル曲によるシングル。ギターの田川による、アップテンポのダンサブルなナンバー。フュージョンなアレンジがなかなかカッコよろしい。

PVでは池森がダンサー達をバックに、小粋なダンスを披露しているので、そちらにも注目だが、なによりも事務所やレーベルを移り、自分たちだけでやりたい音楽をやろうという意気込みがビンビンに伝わってくる佳曲である。

ボーカルをオフにしてバックサウンドだけを聴いてみても、非常に演奏のクォリティが高い。

いわゆる「流行りもの」の音楽とは一線を画して、オーセンティックな音作りを目指しているのが、好感がもてるのだ。

そして、なんといっても決め手は、池森の昔とまったく変わらぬ、爽やか青春系ボイス。とても今年42才とは思えないね。

今後も、そのいい意味での「青さ」を、失わずにいて欲しいものであります。


音曲日誌「一日一曲」#170 ジミー・ドーキンス「Me, My Gitar And The Blues」(Me, My Gitar And The Blues/Ichiban)

2023-09-18 05:24:00 | Weblog
2011年4月24日(日)

#170 ジミー・ドーキンス「Me, My Gitar And The Blues」(Me, My Gitar And The Blues/Ichiban)





シカゴ・ブルースマン、ジミー・ドーキンス97年のアルバムより。ドーキンス、リック・ミラーの作品。

ドーキンスは36年、ミシシッピ州チューラの生まれ。74才になった現在も、活躍中である。

55年にシカゴに出てきて以来、ブルース一筋。半世紀以上のキャリアを持つ、シカゴ・ブルースの生き証人のようなひとだ。

そのプレイ・スタイルは、B・B・キングの流れを汲むスクウィーズ・ギター。ナチュラル・ディストーションが特徴的な、ラウドなプレイが身上である。

69年、デルマークからの「Fast Fingers」でアルバム・デビュー、これまでに15枚以上のアルバムをリリースしている。また、オーティス・ラッシュとも親交があり、何枚かで共演も果たしている。

ドーキンスの人気は、BB、あるいはラッシュといったスター・プレイヤーに比べると、いかにも地味だ。相当なマニアでもない限り、その音を聴いたことさえない、というリスナーが大半だろう。

マニア向けのブルースCDガイドでさえ、一枚紹介してハイおしまい、みたいな感じなのだから。

だが、だからといって、ドーキンスが聴くに値いしない、無視して問題ないアーティストである、というものでもない。

たしかにお世辞にもうまい歌い手とはいえないし、ギターもワンパターンの感を否めない。聴き手によっては、全然魅力を感じない、という意見もあるだろう。

しかし、それでも一度は彼の歌やプレイを聴いてみてほしいのだ。もしかしたら、貴方の耳に強い印象を残し、お気に入りのアーティストの仲間入りをするかもしれないのだから。

ということで、きょうの一曲である。

まずはタイトルについてふれておこう。Guitarではない、Gitarなんである。もちろん誤植ではなく、意図的なミススペルだ。

ドーキンスは91年のアルバムに「Kant Sheck Dees Bluze」という異様な綴りのタイトルを付けていたが、これもまた彼流のセンスの表れなんだろうな。

曲調は、きわめてオーソドックスなスロー・ブルース。リードを弾くのは彼のみ、あとはサイド・ギター、ピアノとオルガンがバックを固めている。何のギミックもない、直球一本勝負って感じのサウンドだ。

歌も彼が担当している。ラフなドラ声で迫力は十分なのだが、言い換えれば、一本調子ということでもある。

だが、それも含めて、ドーキンスの持ち味なのだ。

ミュージシャンは、他人に歌をまかせず、自ら歌うことによって、初めて「ブルースマン」と呼ばれるにふさわしい存在となるのだ。筆者はそう思っている。

ドーキンスも、デビュー当時は自分の歌に自信があまりなかったのか、ゲスト・シンガーの力を借りるようなところがあったが、その後、やはり自ら歌うことに大きな意義を見出していったのだろう。

ブルースは技術よりも個性で勝負する音楽。ドーキンスの曲を聴くたび、そう感じずにはいられない。ぜひ、一聴を。


音曲日誌「一日一曲」#169 ビリー・スチュアート「Billy's Blues, Part II」(One More Time: The Chess Years/Chess)

2023-09-17 05:00:00 | Weblog
2011年4月17日(日)

#169 ビリー・スチュアート「Billy's Blues, Part II」(One More Time: The Chess Years/Chess)





50~60年代に活躍したR&Bシンガー、ビリー・スチュアートのヒット曲を。スチュアート、ジョー・ウィリアムズの作品。

ビリー・スチュアートは37年、ワシントンDCの生まれ。母親がシンガーだったこともあり、彼女の率いるスチュアート・ゴスペル・シンガーズに参加、プロ活動をスタートする。

歌のみならず器楽にもたけ、ピアノやドラムスを演奏していたことから、まずはピアニストとしてボ・ディドリーから声がかかる。これが縁でボの所属するチェス・レーベルと契約し、最初のソロ・シングルを56年に発表した。それがこの「Billy's Blues」である。

エコー、トレモロがギンギンにかかったギター・サウンドには、いかにも50年代という時代を感じてしまうのだが、ブルースと題しているわりにはきわめて陽性でノリがよく、キャッチーなナンバーである。

何より、スチュアートの歌声がユニークだ。ゴスペル・グループ出身だけに、その歌の根底にゴスペルがあるのはもちろんだが、それだけにとどまらず、ジャズのスキャット唱法をたくみに取り入れた、人間リズムマシーンともいうべき、パーカッシブな歌い口なのだ。

その、足柄山の金太郎のような健康優良児的ルックスとは裏腹に、繊細でのびやかなハイ・トーンを聴かせてくれる。まさに唯一無二の個性。

たちまち時代の寵児となり、翌年にはオーケー・レーベルにて「Billy's Heartache」をバーケイズをバックに録音。62年には再びチェスに戻って「Fat Boy」「Reap What You Sow」「Strange Feeling」「I Do Love You」「Sitting in the Park」「How Nice It Is」「Because I Love You」といったヒット曲群を数年の間に連発していったのである。

そして、彼の華麗なボーカル・テクニックの頂点ともいうべきアルバムが66年に発表された。「Unbelievable」である。そのタイトルに恥じない出来ばえは、アルバムのトップ・チューン「Summertime」を一曲聴けばわかる。ガーシュインの原曲とも、またジャニス・ジョプリンのバージョンなどともまったく異なる、スチュアート独自の解釈による、超絶技巧のサマータイム。一聴の価値はある。

もちろん高度のテクニックだけでなく、人気シンガーとしての必須条件、声量や音程の正確さ、明瞭な発音、そして明るいキャラクターといったものをすべてもっていた。

まさに天性のシンガー、ビリー・スチュアートだったのだが、残念なことに70年、事故により32才の若さでこの世を去ってしまう。

残された音源はアルバム5枚分程度なのだが、それらはすべて彼のたぐいまれなる才能を証明している。「モーターマウス」とあだ名された、彼のアンビリーバボーな歌いぶりを、ぜひ味わってみてくれ。

音曲日誌「一日一曲」#168 グレイトフル・デッド「Walkin' Blues」(Without a Net/Arista)

2023-09-16 05:05:00 | Weblog
2011年4月10日(日)

#168 グレイトフル・デッド「Walkin' Blues」(Without a Net/Arista)





アメリカのロック・バンド、グレイトフル・デッド、90年リリースのライブ・アルバムより。ロバート・ジョンスンの作品。

グレイトフル・デッドは65年サンフランシスコにて結成、95年に解散している。30年の歴史を持つ、老舗バンドだった。

グループの中心だったのが、ギター、スティール、ボーカル、作曲をつとめたジェリー・ガルシア。95年の彼の急死により、その活動は幕を下ろさざるをえなかったのである。

グレイトフル・デッド、通称デッドといえば、カントリータッチの曲調でよく知られている。彼ら自身の曲ではないが、ガルシアがペダル・スティールで参加したCSN&Y「Teach Your Children」みたいなカントリー調の印象が強い。彼ら自身の曲でいえば「Till The Morning Comes」「Sugaree」とか。たしかに、白人バンドだけに、その傾向は間違いではない。

とはいえ、デッドにはもうひとつの側面もある。彼らはもともとはジャム・バンド、すなわちブルースロックのバンドの性格も濃かった。デッド、バッファロー・スプリングフィールド、CSN&Yといった西海岸のバンドに共通していえることだが、黒人音楽やラテン音楽などに強い影響を受けて、白人音楽との融合を試みたバンドが多かった。

で、きょうの一曲も、デッドの「ジ・アザー・サイド」的なサンプル。89年から90年にかけてのライブを収録した、デッド活動期中のライブアルバムとしては最後のものからだが、ロバート・ジョンスンの代表曲を取り上げているのだ。

これを聴いてみると、他アーティストの同曲のパフォーマンスをなんとなく思い出す。そう、ポール・バターフィールドである。

バターフィールド・ブルース・バンドがセカンド・アルバム「East - West」においてこの曲を取り上げたのが、66年。白人がこの曲をカバーした、ハシリだったといってよいだろう。

それ以後、西海岸を中心に、この曲はジャム・バンドの定番になっていったといえる。バターフィールド後年のバンド、ベター・デイズ、先日も当欄で取り上げたクイックシルバー・メッセンジャー・サービス、そしてこのデッド。いずれもバターフィールド・ブルース・バンドの演奏スタイルを基本にして、それぞれの個性を加味した演奏を聴かせてくれる。

ことにデッドはライブバンドとしての評価が高いだけに、このライブ・バージョンは非常に見事な出来ばえだ。

スライドと手弾き、2本の達者なギターを主軸に、オルガンがからみ、奥行きの深いサウンドを構築している。

ボーカルにしても、演奏にしても、黒人のブルースとはまたひと味違った、繊細な味わいがある。

デッドは、同時期の、もう少しテンポの遅いバージョンの演奏を「Dozin' at the Knick」(96)というライブ・アルバムにも残している。ギター・アレンジとか微妙に違っていて、興味深い。

ロックというフィルターを通した、白人バンドならではの解釈、アレンジから逆に、黒人ブルースの本質がかいま見えてくるように思う。ぜひ聴いてみて。