NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音曲日誌「一日一曲」#466 ルーサー・タッカー「Mean Old World」(Antone’s)

2024-07-15 07:34:00 | Weblog
2024年7月15日(月)

#466 ルーサー・タッカー「Mean Old World」(Antone’s)




ルーサー・タッカー、1994年リリースのアルバム「Sad Hours」からの一曲。ウォルター・ジェイコブス(リトル・ウォルター)の作品。デレク・オブライエン、マーク・カザノフによるプロデュース。

米国のブルースマン、ルーサー・タッカーは1936年1月テネシー州メンフィス生まれ。父親は大工で、タッカーのために最初のギターを作ってくれたという。一家は彼が9歳の時に、イリノイ州シカゴに移住。

ブギウギ・ピアノを弾く母親が買ってくれたギターで本格的に練習を始める。また彼女は、タッカーに知人のビッグ・ビル・ブルーンジー、ロバート・ジュニア・ロックウッドを紹介してくれた。

その後、タッカーはロックウッドを生涯の師と仰いでギターを学び、そのプレイを引き継いでいくことになる。また、10代の頃のタッカーには、フレディ・キング、マジック・サム、オーティス・ラッシュといった仲間がいた。

そういう恵まれた音楽環境の中、52年、ギターの腕を磨いた16歳のタッカーは、すでにエルモア・ジェイムズのバックで活動していたおじのサックス奏者、J・T・ブラウンと共に演奏するようになる。また、ロックウッドがミュージシャンのユニオンに話をして、年若いタッカーが問題なくプロ活動を出来るよう、取り計らってくれた。

タッカーとロックウッドのコンビは、リトル・ウォルター、サニーボーイ・ウィリアムスンIIのバックを務めた。またジミー・ロジャーズ、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフらのレコーディングにもタッカーは参加して、歴史的な名曲の誕生にも関わるようになる。

60年代後半、マディ・ウォーターズ・バンドで一緒にプレイしていたハーピスト、ジェイムズ・コットンを中心に、ベースのボビー・アンダースン、ドラムスのサム・レイなどのメンバーでジェイムズ・コットン・ブルース・バンドを結成する。

タッカーは68年から73年まで同バンドに在籍、この時期のプレイにより、彼の名前は広く知られるようになる。単なるセッション・ミュージシャン、サイドメン的な存在から、人気バンドのメンバーへとワンステップ進んだのである。

コットン・バンドの脱退後は、活動の拠点を西海岸に移し、ジョン・リー・フッカーのバンド、サックス奏者テリー・ハンク率いるグレイスン・ストリート・ハウスロッカーズなどでギターを務める。フェントン・ロビンスン、フレディ・キング、ジミー・リードらのバックを務めたこともある。

その後、タッカーは自ら歌も務めるルーサー・タッカー・バンドを結成して、サンフランシスコのベイエリア、あるいはテキサス州オースティンのブルースクラブで長らくライブ活動を行う。

タッカーは1993年、57歳の若さで心臓発作のため、カリフォルニア州グリーンブレイで亡くなっている。

このように数多くのバンド、アーティストの元でギターを弾きながらも、実は生前、彼自身のアルバムは一枚もリリースされていなかった。レコーディングはしていたものの、それが日の目を見ることはなかったのである。

ようやく、初のアルバム「Sad Hours」がタッカーの追悼盤として、死より1年経った94年にリリースされた。本日取り上げた一曲、「Mean Old World」はそこに収録された、リトル・ウォルターのカバー曲だ。

レコーディングは90年。タッカーがしばしば出演していたオースティンのブルースクラブ、アントーンズのオーナーにして同名のレコード会社の創設者、クリフォード・アントーンがレコーディングの機会をくれたのである。

メンバーはボーカル&ギターのタッカーのほか、ギターのデレク・オブライエン、ピアノのメル・ブラウン、オルガンのリース・ワイナンス、ベースのラッセル・ジャクスン、ドラムスのジョージ・レインズ、トニー・コールマン、そしてトランペットのキース・ウィンキングをはじめとするホーン・セクション。これにゲストハーピストとして、ファビュラス・サンダーバーズのキム・ウィルスンが加わっている。

普段一緒にバンドをやっている連中と共に、リラックスした演奏を繰り広げるさまが、そこに感じ取れる。

「Mean Old World」という曲は、クレジット上はエルモア・ジェイムズの作品となっているが、もともとは1942年にT・ボーン・ウォーカーが作り、レコーディングしたナンバーだ。レコードは45年にようやくリリースされている。

これをリトル・ウォルターが52年に取り上げる。歌詞も何か所か書き直されて、バックにジ・エイシズ(マイヤーズ兄弟とフレッド・ビロウ)を従えて、アレンジもシカゴ・ブルース流に大きく変わっており、ほぼリトル・ウォルターのオリジナルと言ってよい仕上がりになっている。本バージョンはR&Bチャートで6位というヒットになった。

タッカーはそのウォルター版を直接カバーしたということになる。ただし、ハープをメインにフィーチャーしているウォルター版とは大きな違いがあって、こちらはタッカーのスライド・ギターを主役としている。キム・ウィルスンのハープも参加しているものの、あくまでも雰囲気作りのための脇役に徹している。

タッカーの弾くスライド・ギターには、先輩であるエルモア・ジェイムズの影響が強く感じられる。実際、アルバム「Sad Hours」には、「Luther’s Tribute To Elmore」というタイトルのオリジナル曲も収録されてるいるぐらいだから、タッカーがいかにエルモア好きだったかは、まる分かりであるね。

そして、タッカーのソリッドで無駄のないギタープレイも素晴らしいのだが、着目すべきなのは、彼の歌声だろう。専業シンガー的なテクニカルな歌というのではないのだが、力強く、なかなか味わい深い歌いぶりなのだ。ソウルを感じさせる声と言いますか。

同アルバムは、半分以上はタッカーのオリジナル曲で占められているが、残りはアイク・ターナーやエディ・ボイドといった彼が影響を受けたブルースマンのナンバー、タッカーがステージで十八番とした「Sweet Home Chicago」などが収められている。

翌95年には、亡くなった93年にレコーディングされた、ザ・フォード・ブルース・バンドとの共演アルバム「Luther Tucker & The Ford Blues Band」もリリースされた。

生前はまとまったアルバム一枚すら出なかったタッカーであったが、こうやって2枚のアルバムで、今後ずっと彼の音を聴き続けることが可能になった。これがタッカーへの、一番の供養なのだろうな。

地味な裏方のままで終わったのでは実にもったいない、小味でピリッとした音楽センスを持ったルーサー・タッカーの歌声とギター・プレイ。ぜひ、聴き直してみてほしい。




この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 音曲日誌「一日一曲」#465 ト... | トップ | 音曲日誌「一日一曲」#467 ジ... »
最新の画像もっと見る