NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音盤日誌「一日一枚」#137 YAN楽団「横浜の海と空」(YAN-0210)

2022-03-31 05:09:00 | Weblog

2003年1月28日(火)



YAN楽団「横浜の海と空」(YAN-0210)

(1)KODOMOたちへ (2)男のモットー、「もっと!」 (3)すっとボケ (4)貧乏な恋 (5)忘れないで (6)吾輩は営業マンである (7)雨の中へ (8)なんちゃってブルース3 (9)An Injured Bird (10)なすがままで矛盾だらけで (11)どうしようもない (12)なんちゃってブルース(Reprise)

「青春は美しき季節」なんて、どこかの作家か詩人がほざいていたような記憶があるが(歌手かも知れない)、現実には、絵に描いたように美しい青春、ロマンティックな青春なんてのは、そうあるもんじゃない。

若者の日常では、仕事も恋愛も、醜悪なこと、イヤ~なこと、理不尽なことがテンコ盛りだったりする。

ここに登場するのは、「前途洋々」どころか、前途はただただ多難な、不況下のヤング・サラリーマン。

会社には安サラリーでこきつかわれ、ノルマ、ノルマで追いまくられる毎日。

ただ先に入社したというだけで偉そうにしている、無教養でエロオヤジな上司に、「業績が伸びないのはおまえのせいだ」などと怒鳴られ、リストラの恐怖におびえつつサービス残業にいそしむ、いとあはれなり。

仕事が終わったら終わったで、付き合っている彼女のごキゲンうかがいもせにゃならん。

ところがこの女、毎回おごってやっても当然って顔をして、「ありがとう」「ごちそうさま」の一言さえいいやしない。

むこうのほうが高給取りで、年に二回もブランド品を漁りに海外旅行に行くくせして、である。

それでも将来はこいつと結婚しようと思っているのだが、こちとら結婚資金などまったく貯まらない。

もちろん、家を買うなんて、夢のまた夢。

そのうち彼女から、「そんな甲斐性のないあんたとなんか、結婚したくないわ」とか言われそう。

でも、そんな自己チュー女でも、ふられたら次のがなかなか見つからないから、ワガママを聞いてやるしかない。クソッ!

でも生きてりゃなんかいいことあるべさと、上司のクドい小言もさらりと聞き流し、しぶとくしたたかに世間をば渡る。

これぞヤン・サラの生きる道と見つけたり!(なんちゃって)

先日、厚木ファッツ・ブルースバンドの対バンとして、横浜日ノ出町「GUPPY」に登場したバンド、YAN楽団。

彼らの自主制作CDを、知人のCさんから頂戴したのだが、これがなかなか面白い。

このバンドは彼の率いるバンド同様、横浜をホームグラウンドとしている。

リーダーのYAN(ヤン)こと秋山幸人はバンドの楽曲の大半を書き、リード・ヴォーカルとギターを担当。

その他はリードギター、ベース、サックス、男性ヴォーカル1、女性ヴォーカル1、キーボード、ドラムスという総勢8人の大所帯だ。

音のほうは、わりとオーソドックスな(米国系)ロック、ソウル、ブルースが中心で、カッチリとしたバンド・サウンドなのだが、なにより魅力的なのが、その歌詞だ。

キレイごとなんかクソくらえ!とばかり、本音120%で綴られた歌詞に、なんとも好感が持てるのである。

ピアノ・インストの(1)に続いて始まる(2)は、まさにYAN楽団サウンドのショーケース的一曲。

アップテンポの軽快なビートにのってYANが歌うのは、言ってみれば自分自身への応援歌だ。

「もっと もっと モットー!」「短い人生だから/いいたいこと言っちまえーよ!」というアジテーションを自らに投げつける気弱な男の心情は、筆者にもわかりすぎるほどよくわかる。

あのとき、勇気があれば○○が出来たのに…みたいな情けない状況は、20代のころの筆者そのまんまでもあるからネ。

また、テンポ・チェンジをしてブルース調になってからの後半は、セクハラ厚顔オヤジを揶揄した歌詞が超笑えます。

リーダーYANの歌声は、ラフでザラッとした感じではあるが、むしろそのビターな声質が、このバンドの辛口な味わいの楽曲にはしっくりとくるし、説得力もある。

フォービートのジャズィなアレンジにのって歌われるのは(3)。曲調とは裏腹の「C調」な歌詞がいい。

もうバレバレでもいいから、舌先三寸、でまかせでこの土壇場を乗りきれと、YANがアジる。奇妙な味わいのユーモアが光る一曲。

(4)は音こそSAS風の湘南サウンドだが、けっしてさわやか一辺倒な内容ではなく、これからお別れしようというのに、金がないので行き場所もなく、ただただ公園のベンチに座っているしかないという、悲しき貧乏カップルを歌ったもの。

しみじみとした、でもどこかおかしな世界。曲と詞の、独特のミスマッチ感覚が、面白い。

(5)は紅一点のメンバー、ケツ子こと植村結子のリード・ヴォーカルによる、他の曲とはだいぶん趣きの異なる、叙情的なバラード・ナンバー。

少しハスキーな彼女の歌声はどこか懐かしく、聴く者の心を和ませるものがあってなかなかいい。グループ中では、一服の清涼剤のような存在だ。

(6)は、これまたいかにもYAN楽団らしいナンバー。ゴリゴリのファンク・サウンドにのせたラップで、スチャラカ営業マンの日常を歌うナンバー。

ここではもうひとりの男性ヴォーカル、鈴木敏弥も活躍。おまけに、大サービスでケツ子嬢によるセクシー・ヴォイスまで入ってます(笑)。

(7)は、アコースティック・ギターをフィーチャ-したバラード。一種独特のメランコリックでグルーミィな雰囲気を持つ小品。

これを聴けば、YANのもつ幅広い音楽性を感じることが出来るだろう。

(8)はへヴィーなビートでグイグイ押しまくる、ブルース。しかし歌の内容は、見事に軽い(笑)。この対照がまたいい(笑)。

重たいネタを重たく歌ったんじゃ、クドすぎる。ここは「なんちゃって」精神で、ヒョイヒョイと相手をはぐらかしつつ、調子よくいくべし。

現代という「先の見えない時代」においては、それもまたひとつの処世訓だろう。YANはそれを皮膚感覚で見事に会得している。

(9)は唯一、英語詞によるフォーキーなナンバー。ここでは日本人らしからぬYANのメロディ・センスを感じる。まるで、英米産の曲のように聴こえるのである。歌いぶりも、実にシブカッコいい。

さて、アルバムもいよいよ佳境に入り、(10)、(11)と、なかなかリキの入ったナンバーが続く。

(10)はとりとめのない歌詞の中に、作者の偽らざる心境を映し出しているように思える、陽気なロック・ナンバー。

「なすがままで矛盾だらけで今のままでいい」。この詞は決して卑屈な居直りなどでなく、もっと自分のことを大切にしよう、愛そうじゃないかという主張だと思う。

挫折だらけの青春でも、凹んでばかりいないでポジティヴに生きていくことで、何か光明が見えてくるもの、そういうことを言ってるような気がする。

そういう意味で、YANの曲は、よく歌詞を聴き込めば、単なるオチャラケ、コミック・ソングではなく、どこか深遠な哲学さえ匂わせるところがある。

続く(11)も、アメリカン・ロックの王道的サウンドが心地よいナンバー。メンバー全員、実に伸び伸びと豪快に演奏しているのがグッド。

この歌により、青春を過ごした者なら誰でも感じたことのあるであろう「無力感」を、叙情感あふれる言葉にまとめあげたYANは、本当に"詩人"だと思う。美しいメロディに負けず劣らず、歌詞がいいのだ。

ラストの(12)は、(8)のアコースティック・ヴァージョン。メロディも、カントリー・ブルース風にいなたくアレンジしている。

見事に肩の力の抜けたサウンド、そして言葉。なかなかええですね。

以上、YAN、そしてその仲間たちの、実にさまざまな音楽性が詰め込まれたこのアルバムは、聴くたびにさまざまな発見があり、味わいがさらに深くなる。

だから、今後も末長くお付き合いできる一枚になりそうだ。

(余談)今月18日のグッピー・ライヴのとき偶然、YAN楽団のヴォーカル、トシヤ君とうちのバンドのドラマー、K君がかつての仕事仲間であったことが判明してしまった。まったく世間は狭いね(笑)。

<独断評価>★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#136 ポール・ロジャーズ「シングズ・ジミ・ヘンドリックス・ライヴ」(ビクターエンタテインメント VICP-2092)

2022-03-30 06:11:00 | Weblog

2003年1月19日(日)



ポール・ロジャーズ「シングズ・ジミ・ヘンドリックス・ライヴ」(ビクターエンタテインメント VICP-2092)

(1)PURPLE HAZE (2)STONE FREE (3)LITTLE WING (4)MANIC DEPRESSION (5)FOXY LADY

先日、バドカンのデビュー・アルバムを取上げてみたが、ポール・ロジャーズ、これは比較的最近の作品。

1993年7月4日、マイアミのベイフロント・パークにて行われた野外ライヴを収録したミニ・アルバムだ。

タイトルからわかるように、全曲、ジミヘンのカヴァーというトリビュート・ライヴなんである。

まずは、(1)から。ロック・ファンなら知らぬものはない、ジミヘンの代表曲。彼のデビュー・アルバム「ARE YOU EXPERIENCED?」に収録され、シングルとしてもヒットした。

ジミのライヴでも頻繁に演奏されたこの「十八番」を演奏するのは、ヴォーカルのポール・ロジャーズを筆頭に、ギターの二ール・ショーン(元サンタナ、ジャーニー)、ベースのトッド・ジェンセン、ドラムのディーン・カストロノーヴォの面々。ちなみにリズムのふたりは二ール・ショーンのバンド、ハードラインのメンバー。当然、巧者揃いだ。

おなじみのギターのイントロが始まると、場内はもう、大騒ぎ。ポールの歌にあわせて、自然と客席からコーラスまで始まってしまう。

ギターにおけるジミヘン役の二ールは、ジミほど意外性のあるフレーズを繰り出すわけではないが、さすがのキャリア、エフェクトやアーム等を的確に駆使して、ハードでコシのある音を聴かせてくれる。

続く(2)もおなじみのナンバーだ。前曲同様、「ARE YOU EXPERIENCED?」に収録。

アップ・テンポでグイグイと飛ばす、ドライヴ感あふれるナンバー。

途中にクリ-ムの「アイ・フィール・フリー」を"フリー"つながりで挟み、全速力で疾走する。

ここでの二ールのギター・ソロは、壊れまくりという感じ。かなりキちゃってます。(もちろん、カッコいいって、意味でっせ。)

もちろん、ポールの強靭なノドも、それに負けじと吼えまくりますが。

さて、(3)は、ガラリと趣きを変えてスロー・ナンバー。ジミのセカンド・アルバム「AXIS: BOLD AS LOVE」に収録された、ジミの数あるオリジナル・ナンバーでも屈指の、美しいメロディをもった曲だ。

いろんなアーティストにカヴァーされているが、なんといってもデレク・アンド・ドミノスのヴァージョンが有名だろう。

だが、このポールのヴァージョンも、それに勝るとも劣らぬいい出来だと思う。

ポールはジミの曲を、まるで自分のオリジナル・ナンバーであるかのように、自在に歌いこなす。

これはもちろん、ポールの歌がメチャクチャ上手いということもあるが、ジミヘンの感性がポールのそれとぴったり一致しているということもあるだろう。実に見事なフィット感だ。

一方ではマディ・ウォーターズをトリビュートしながら、ジミのようなラディカルなサウンドも自家薬篭中のものとしているとは、ポールの懐の広さを示すものだと思う。

そして同時に、ジミヘンの音楽は「最も進歩的なブルース」でもあったのだなと感じる。

次の(4)は、再びアップ・テンポのロック。これまた、「ARE YOU EXPERIENCED?」に収められたナンバー。ハードなリフと変拍子ふうのワルツ・リズムが印象的だ。

緊張感あふれるサウンド、そして野性味たっぷりのヴォーカル。これぞロック!ですな。

ラストの(2)はこれもまた代表曲、デビュー・アルバムにおいて(1)と好一対をなしていた、ミディアム・テンポのナンバー。

ジミヘン・サウンドの典型ともいえる、フィードバックやアームを多用したギター。「早熟の天才ギタリスト」とよばれた二ールのプレイも、やはり、ジミの影響なしには生まれえなかったということが、よくわかる。

ヴォ-リストとしてのジミは、いささかクセがあって、その歌はかならずも聴きやすくはないが、ポールはその完璧な歌唱力でオリジナルの弱点もカヴァー、最強のライヴ・サウンドを提供している。

こういう「トリビュート企画もの」のアルバムは、ともするとオリジナルに遥か及ばず、そして演奏者自身のレギュラー・アルバムにも劣る出来になりがちだが、この一作はポールや二ールの「作品」として見ても、一定水準に達した出来となっている。

誰にでもおススメというわけではないが、骨太のロックがお好きなかたには、一度はチェックしていただきたいものだ。

<独断評価>★★★


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音盤日誌「一日一枚」#135 ユートピア「OOPS! WRONG PLANET」(RHINO RNCD 70870)

2022-03-29 05:15:00 | Weblog

2003年1月12日(日)



ユートピア「OOPS! WRONG PLANET」(RHINO RNCD 70870)

(1)TRAPPED (2)WINDOWS (3)LOVE IN ACTION (4)CRAZY LADY BLUE (5)BACK ON THE STREET (6)THE MARRIAGE OF HEAVEN AND HELL (7)THE MARTYR (8)ABANDON CITY (9)GANGRENE (10)MY ANGEL (11)RAPE OF THE YOUNG (12)LOVE IS THE ANSWER

トッド・ラングレン率いるロック・バンド、ユートピア4枚目のアルバム。77年リリース。

リリース前の76年の末、ユートピアは初来日を果たしたが、筆者も中野サンプラザでのライヴを観に行き、その圧倒的な演奏力に驚嘆したものだ。

そのステージで演奏されたナンバーもおさめたこの作品、ジャケット・デザインでもわかるように、近未来SF仕立てのコンセプト・アルバムとして作られている。プロデューサーはトッド・ラングレン。

まずはベーシスト、カシム・サルトンの歌で始まる(1)。作曲も手がけたトッドの、ヘヴィメタなギターソロが印象的な、モダン・ロックン・ロール。

のっけから緊張感あふれるサウンドに興奮。カシムの歌もなかなかイケてるし、コーラスも迫力十分だ。

続く(2)はキーボードのロジャー・パウエルの作品。このタイトルはもちろん、"あの"OSとは関係なし(笑)。77年だもんね。

アップテンポながら、しっとりとしたバラードで、ロジャーの歌も意外といっては失礼だが、うまい。

つまり、歌えるプレイヤー揃いであることが、このバンドの大きな強みということ。

バンドは大別すると、歌えるメンバー揃いの「ビートルズ・タイプ」と、ひとりのシンガーが引っ張る「ストーンズ・タイプ」(ZEPタイプといってもいい)のふたつになると思うが、ユートピアは前者に属することは言うまでもない。

(3)はトッドの作品。リード・ヴォーカルも彼が担当。アップ・テンポのキャッチ-なロックン・ロールだ。

ここでも、メンバー全員の強力なコーラスが効果的に使われている。

(4)は一転、ミディアム・スロー・テンポの、メロディ・ラインが実に美しいバラード。

トッドとドラマー、ジョン・ウィリー・ウィルコックスの共作。歌はウィリー。

ギターのフレーズがどことなく後期ビートルズ・ライクであるな。10CCなどと同様、このバンドもやはり、ビートルズの影響を抜きに語るわけにはいくまい。

76年、トッドは「誓いの明日(原題・FAITHFUL)」なるソロ・アルバムを発表したが、そこでもビートルズ・ナンバーを2曲カヴァーし、その強い影響を自ら認めていたくらいだ。ビートルズなしには、ユートピアも存在しなかったはず。

ただし、演奏力や歌唱力においては、後輩のほうがご本家をはるかにしのいでいるね(笑)。

ジョージ・ハリスンふうにカシムが歌い始める(5)は、トッドの作品。シンセ・サウンドが印象的なミディアム・テンポのナンバー。

ロジャーのキーボードが生み出す深遠な音世界に耳を傾けてみよう。

トッドももちろん、キーボードによる多重録音のオーソリティではあるが、ユートピアにおいてはキーボードはロジャーに一任し、自分はあくまでもギタリストに徹し、純粋にプレイを楽しんでいるようである。

(6)はロジャー、トッド、カシムの共作のミディアム・テンポのロック。ヴォーカルはトッドとカシム。

この曲はひとことで言えば、「ゴージャス」。歌、コーラス、演奏ともに、アルバム前半のハイライトとよぶにふさわしい、リキの入った出来だ。

(7)はトッドとカシムの共作で、カシムが歌う、フォーキーなバラード。

でも、カシムのヴォーカルが実に力強くのびやかで、まったくヤワな印象はなし。バックのコーラスも絶好調だ。

(8)はどこかジャズィな隠し味を持つ、ミディアム・テンポのロック。

作者のロジャーが歌い、なんとトランペット・ソロまで披露して、芸達者なところを見せてくれる。

トッドの、なんちゃってフュージョン調ギターも、なかなか面白い。

(9)は対照的にちょっとラフな、ストーズやザ・フーにも通じるサウンドのロックン・ロール。トッドとウィリーの共作で、歌はウィリー。

途中のギター・リフも、「アレ?どこかで聴いたことあるような…」というもの。そう、ザ・フーの「無法の世界」の巧妙なパクりなのであります。

トッドとカシムが歌う、ミディアム・テンポのバラード(10)は、ロジャーとトッドの共作。

どことなくメロウで大人っぽい、AORにも通じるところのあるサウンド。才人トッドは自らサックスまで吹いて聴かせてくれる。

一曲一曲に凝ったアレンジがなされ、まさに音の「万華鏡」の如し。

(11)は、歌でギターで、作者のトッドのひとり舞台的ナンバー。

「実はトッド、へヴィメタが一番好きなんでないの?」と聴く者に思わせてしまう、全速力で暴走するハードなロックン・ロールだ。

ラストは「名曲」の誉れ高い、トッド作・歌唱のバラード・ナンバー。

「ハロー・イッツ・ミー」にも勝るとも劣らない、甘美なメロディ・ライン。トッドの歌も、さすが十年組のキャリアで、説得力十分だ。

バックの手堅い演奏ともあいまって、フィナーレを飾るにふさわしい、パーフェクトな出来ばえであります。

以上、彼らの持てるすべてを発揮して作られた一枚。メリハリ、サウンド・バラエティに富み、二聴、三聴に十分耐えうる佳作だ。

しっとりとしたラヴ・ソングよし、若者の明日なき暴走的ロックン・ロールよし。トッドのマルチな才能のみならず、他のメンバーの底知れぬ実力をも感じる一作。

四半世紀前にすでにあった、こんなスゴいバンド。聴かない手はないすよ。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#134 エリック・クラプトン「(no reason to cry)」(Polydor 813582-2)

2022-03-28 05:43:00 | Weblog

2003年1月5日(日)



エリック・クラプトン「(no reason to cry)」(Polydor 813582-2)

(1)BEAUTIFUL THING (2)CARNIVAL (3)SIGN LANGUAGE (4)COUNTY JAIL BLUES (5)ALL OUR PAST TIMES (6)HELLO OLD FRIEND (7)DOUBLE TROUBLE (8)INNOCENT TIMES (9)HUNGRY (10)BLACK SUMMER RAIN (11)LAST NIGHT

エリック・クラプトン、76年リリースのアルバム。プロデュースはロブ・フラボーニ。

オリジナル・アルバムとしては、75年の「安息の地を求めて」と、77年の「スローハンド」の間に位置する一枚だ。

特筆すべきは、60年代後半以降、クラプトンが常に影響を受けてきたグループ、「ザ・バンド」と、この時初めて一緒にレコーディングを行ったことだろう。

(1)は、まさにそのザ・バンドのメンバー、リチャード・マニュエル、リック・ダンコの作品。

ミディアム・スロー・テンポのカントリー調バラード。フィーチャーされるスライド・ギターは、ゲストのロン・ウッド。

クラプトンはここではシンガーに徹して、おなじみの枯れた歌声を聴かせてくれる。

(2)は、アップテンポのロック・ナンバー。クラプトンのオリジナル。

ちょっと残念なのは、こんなノリのいい曲なのに、クラプトンのいかしたソロをほとんど聴くことが出来ないこと。

ここに、彼のその後のアーティストとしてのスタンス、「ロック・ミュージシャンではなく、(ロック・ギターも弾ける)ポップス・シンガー」という姿勢の萌芽が見られると思うのだが、いかがであろうか。

(3)はバンド同様、クラプトンが常に意識していた大物、ボブ・ディランの作品。

なんとディラン御大自身も、ツイン・ヴォーカルとして参加している。そのシブい歌声には、さすがの貫禄を感じる。

ディランにバンドにロン・ウッド、なんとも豪華なゲスト陣ではあるね。

ロビー・ロバートスンの、クラプトンとはひと味違ったギター・ソロが光る一曲。クラプトンはドブロを弾いて、バンドマンとしてはあくまでも「ワキ」に徹している。

(4)は、ビッグ・メイシオ(・メリィウェザー)のレパートリーのカヴァー。ビッグ・メイシオは、30年代から50年代にかけて、おもにシカゴで活躍したシンガー/ピアニストだ。

タイトルが示すように、刑務所暮らしを歌ったヘヴィなブルース。

クラプトンはさすがにムショ暮らしの経験こそないが、アルコールやドラッグ中毒からの辛いリハビリ生活を思い起こして、歌っていたのかも知れない。ハスキーな声がなかなか「気分」だ。

ここでは、スライド・ギター・ソロも、短めながら弾いてくれてます。

(5)は、リック・ダンコの作品。ミディアム・スロー・テンポのバラード。

リード・ギターはロン・ウッドが弾き、クラプトンはヴォーカル。作者のダンコも歌で加わる。

わきあいあいとした演奏、コーラスがなんともいい。ペダル・スティール、オルガンも、カントリーな雰囲気をさらに盛り上げてくれる。クラプトンの音というよりは、ザ・バンド・サウンドだね。

(6)はシングル・カットされ、スマッシュ・ヒットともなった一曲。

これもカントリー・バラード色の強い一曲。

いくらブルースをウリにしていても、クラプトンもやはり「白人」。この手の曲のほうが、どうもしっくり来るんだわな。

歌詞の軽さから言っても、ロックというよりは、ポップス・チューン。あまり「深み」は感じられない。

以後も、クラプトンは「ワンダフル・トゥナイト」に代表されるようなポップス・チューンを歌い続けることになるわけだから、その後を暗示する、なんとも「象徴的」なヒットだったと思う。

(7)は一転、クラプトンがリスペクト(パクりともいうが)するブルースマン、オーティス・ラッシュのカヴァー。

たしかにここでの彼のギター・ソロは、素晴らしい。フレージングも、音色も、ギタリストならお手本にしたいような出来。

でもね、なんというのかな、ブルースとしては「深い」ものをあまり感じないんだよなぁ。

つまり、彼の当時の実生活は、ぜんぜんBLUEじゃなかったんだよね。

ドラッグ中毒も克服したし、恋焦がれていた友人の奥さんもゲットしちゃって、むしろハッピー、ハッピーだったわけで。

そんなおめでたい状態で、このような重たいブルースを歌ってみたところで、聴き手をゆさぶり動かすことは難しいんじゃないかな。

クラプトンのラッシュへの尊敬と感謝を素直に表した選曲ではあったんだろうが、結果的にはラッシュの名曲を都合よく「利用」しているようにも感じてしまう。

ということで、素晴らしい演奏ではあるが、筆者はこの一曲をこのアルバムのベスト・トラックとは思えないのである。

やはり、「ダブル・トラブル」はご本家、オーティス・ラッシュを誰も超えられない。

(8)はクラプトン、そしてクラプトン・バンドでは長らくコーラスをつとめていた女性シンガー、マーシー・レヴィによる作品。カントリー調のスロー・ワルツ。

マーシーの、のびやかなヴォーカルは実に安心して聴ける。クラプトンはそのバックでコーラスをつけ、ドブロを弾く。

そのドブロ・プレイがなかなかイカしているのが、この曲の収獲。やはり、ハッピーな彼には、明るい曲調のほうが合ってるね。

続く(9)も、軽快なカントリー・ロック。マーシーの作品。クラプトンはスライド・ギターを弾く。

ただ、このプレイはちょっと月並みかな。曲の威勢のよさにそのまま流されてしまっている感じだ。

そしてなにより、(前曲同様)マーシーが前面で歌ってしまい、彼のヴォーカルの出番なし、というのがイタい。このアルバムは、一応、彼の「ソロ・アルバム」なんでしょ?

ゲストやバック・バンドに押され気味なのが、ちょっとつらいところである。

(10)は、その後も、同工異曲のヒットを何度も生み出すこととなった「プロトタイプ」ともいえる、ミディアム・テンポのバラード。メロディがなんとも美しい名曲。

こういう、非ブルース的なポップ・チューンに、クラプトンは活路を見出していくことになる。

声を張り上げず、自然体で訥々と歌う独自のヴォーカル・スタイルも、このあたりから形作られたといってよいだろう。

バックのしっとりとした演奏や、出過ぎないコーラスも◎。個人的には、この曲が好みだったりする。

さてラストは、LP未収録の(11)。クレジットには、ちゃっかりとクラプトンの自作と記されているが、ブルースファンなら皆さんご存じ、リトル・ウォルターのナンバー。さらに、古い元ネタがあるのかもしれないけど。

このテイクは、プライべート・セッションでの録音をそのまま使っているそうで、いかにも「ヨッパ」な演奏、ヴォーカル。

こんなテキトーな演奏を、果たして「作品」として売りつけていいのか?という気もしないではないが、ま、堅いことはいうまい。こういうほうが、いかにもブルースって感じはするからね。

全編を聴いて感じるのは、演奏や楽曲のクォリティはさすがに高いのだが、クラプトンのソロ・アルバムとして見た場合、いまひとつ彼の実力が発揮されていないということ。

歌やギターも、ゲストやバックに食われているケース、多し。

「461」あたりの気合いが入ったプレイに比べると、いかにも「可もなく不可もなく」の出来なんだよなあ。

だから、ちょっと辛口のようだけど、評価は次のようになります。ま、それでも一聴の価値はあると思いますが。

<独断評価>★★★


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音盤日誌「一日一枚」#133 デクスター・ゴードン「アワ・マン・イン・パリ」(BLUE NOTE/東芝EMI TOCJ-9045)

2022-03-27 05:05:00 | Weblog

2002年12月29日(日)



デクスター・ゴードン「アワ・マン・イン・パリ」(BLUE NOTE/東芝EMI TOCJ-9045)

(1)SCRAPPLE FROM THE APPLE (2)WILLOW WEEP FOR ME (3)BROADWAY (4)STAIRWAY TO THE STARS (5)A NIGHT IN TUNISIA

テナー・サックス奏者、デクスター・ゴードン、63年のアルバム。パリにての録音。

61年に移籍して以来、デクスターは10枚以上のアルバムをブルーノートに残しているが、マスターピース「GO!」に次ぐ人気を集めているのがこのアルバムだろう。

演奏はもちろんのことだが、なんといってもジャケット写真が素晴らしい。

モノクロで撮られたデクスターの横顔に、赤と青の文字で小さくタイトルが入るこのデザイン。カッコよすぎ!

彼の端正な顔立ちだからこそ、キマったともいえるこのジャケ写。デザインはレイド・マイルズ。

そして撮影はフランシス・ウルフ。そう、アルフレッド・ライオンとともに、ブルーノートを創立した人物である。

ジャケットだけでも買うに値いする一枚だと、筆者はいたく気にいっている。

もちろん、中身も超一級品だ。

パーソネルはデクスターのほか、天才ピアニスト、バド・パウエル、欧州ではバドのバックをつとめることの多かったフランス人ベーシスト、ピエール・ミシュロ、そしてMJQの初代ドラマーでもあった、モダン・ドラミングの創始者、ケニ-・クラーク。

付き合いも長い、気心の知れた仲間ばかりである。

この当時一流のジャズマンが和気あいあいの演奏を繰り広げるのだから、悪くなるはずがない。

(1)はジャズファンなら誰でも知っている、チャーリー・ヤードバード・パーカーの代表作。アップテンポで快調にスウィングしまくる一曲だ。

デクスターはテナー、バードはアルトという違いはあれど、デクスターがバードの強い影響下にあるのは間違いない。

先人へのリスペクトをこめてブロウするプレイは、実にイマジネーションに富んでいて、8コーラスにも及ぶ長尺のソロも、聴き手を決してあきさせるということがない。

また、バドも(当時は決して彼の全盛期ではなかったにもかかわらず)デクスターのプレイに大いに刺激を受けたと見えて、生き生きとしたバッキングを聴かせてくれる。

音楽はプレイする相手がいかに重要かを、痛感するね。

(2)はこれまた、超有名曲。

もともとはティン・パン・アリー発の「小唄」的な歌曲だったのが、ジャズマンやシンガーのお気に入りとなり、レッド・ガーランド、トミー・フラナガンやサラ・ヴォ-ンらにより、数多くの名演が生まれている。

この「ジャズマン必修科目」のようなバラードを、デクスターは歯切れのよいスウィンギーなプレイで、自分流に鮮やかに料理して見せる。そのアイデアに満ちたフレージングは、汲めども尽きることのない泉のようだ。

彼の変幻自在のソロに続いては、バドのソロも聴かれるが、これが実に素晴らしい。全盛期のバドをほうふつとさせる、クリアで切れのいいフレージングだ。

(3)もまた、ジャズマンなら一度は手がけたことがあるはずの、超スタンダード。

もともとはスウィング・ジャズのバンドが好んでプレイしていた曲だが、そのノリのよさから、モダン以降のプレイヤーにも引き続き愛されている。

アップテンポの豪快なソロで、ぐいぐいとバックを引っ張っていくデクスター。回りも負けじと、熱のこもった演奏を繰り広げる。

スウィング・ジャズ系の曲とはいえ、デクスターもエキサイトしてくると、予定調和外の突飛なフレーズを繰り出すし、バドもモダンな味わいのソロを聴かせてくれる。

そのへんは、やはりバップだ。ノスタルジーに終わらぬ、新しい解釈を必ず提示することで、マンネリズムを排し、自分たちなりの音を主張しとるのだね。

バランスよく、次はしっとりとしたスロー・バラードの(4)。これもスタンダードとして人口に広く膾炙されたナンバーだ。

甘美なメロディを、ほどよいビターなフレージングでアレンジしていくデクスター。コーラスを重ねるごとに、少しずつ味わいを変化させていくサウンド。しかも、通して聴いてみて、見事な整合感がある。

これぞ、インプロヴィゼーションの極みだ。まさに天賦の才というべきアドリブ。

テナーマンがバラードもので陥りがちな「ムード過剰」になることなく、あざやかにまとめた手腕に脱帽である。

さて、ラストはバード・ナンバー(1)と好一対の、ディジー・ガレスピーの十八番、(5)。アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズも最重要レパートリーとしていたビ・バップの名曲だ。

ミディアム・ファスト・テンポで、これぞバップ!という豪快な演奏を聴くことが出来る。

トランペットによるテーマ演奏をテナーに置き換え、全編デクスターが一団をリード。

途中「サマータイム」のメロディをおり込んだりして、延々とソロを展開するのだが、彼のテクニック、アイデアがすべてそこにはき出された好演となっている。

中間のバドのソロも、それまでのデクスターのバリバリのブロウから一転、クールなタッチでキメていて実にカッコよい。

クラークの、ブレイキーの向こうを張ったようなパワフルなソロを経て、ふたたびデクスターがリードを取り、終幕となる。

8分18秒という長さをまったく感じさせない、スリリングな演奏に、ノックアウト間違いなしの一曲だろう。

とにかくこのアルバム、リーダーのデクスターのブロウといい、バックの三人の手堅いプレイといい、非常にリラックスした、イキのいいプレイが詰まっている。

あえて多くのプレイヤーが手がけた曲ばかりやっているのも、相当の自信あってのことだろう。「自分がやれば、このくらいのレベルは難なくこなせるからね」、みたいな。

「ワン・ホーン・ジャズ」の、シンプルでストレートな魅力が満載の一枚。有名曲揃いなので、ビギナーのかたにも、おススメ。

評価は最高点とまでは行かないものの、下記の通り。なお、おまけの☆は、イカした「ジャケ写」に捧げます(笑)。

<独断評価>★★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#132 ヴァニラ・ファッジ「THE BEST OF VANILLA FUDGE」(ATCO 7 90006-2)

2022-03-26 06:08:00 | Weblog

2002年12月22日(日)



ヴァニラ・ファッジ「THE BEST OF VANILLA FUDGE」(ATCO 7 90006-2)

(1)ILLUSIONS OF MY CHILDHOOD(PART ONE) (2)YOU KEEP ME HANGING ON (3)ILLUSIONS OF MY CHILDHOOD(PART TWO) (4)SHOTGUN (5)SOME VELVET MORNING (6)TICKET TO RIDE (7)TAKE ME FOR A LITTLE WHILE (8)ILLUSIONS OF MY CHILDHOOD(PART THREE) (9)WHERE IS MY MIND (10)SEASON OF THE WITCH

米国のロックバンド、ヴァニラ・ファッジのベスト・アルバム。82年リリース。

67年デビュー、70年までの短い期間にフルに活躍、70年代のハードロックに多大な影響を残したのが彼らだ。

日本ではレコード会社によりいわゆる「アート・ロック」の旗手として扱われていた。

メンバーはマーク・スタイン(kb)を核とした、ヴィンス・マ-テル(g)、ティム・ボガート(b)、カーマイン・アピス(ds)の四人。

そう、当「一日一枚」にもすでに登場したBB&A、カクタスの母体ともなった、伝説的なグループなのである。

まずは(1)から。デビュー・アルバム「VANILLA FUDGE」に収録されたナンバーだが、スタジオ・セッションの中から偶発的に生まれたような、「音のスケッチ」的小編。

続く(2)は、彼らのデビュー・ヒット。いうまでもなく、ダイアナ・ロス&シュープリームスのカヴァーだが、原曲を見事に換骨奪胎、大仰なサイケデリック・アレンジで世間をアッと言わせたナンバーだ。アルバム「VANILLA FUDGE」所収。

彼らのサウンドは、「トゥーマッチ」なのが売りというか、とにかく派手でうるさい。

ロック史上最強と賞賛されてきたリズム隊、ボガート&アピスのヘヴィーな演奏に、スタインの華麗なるオルガン、マーテルのトリップしちゃったかのようなフリーフォーム・ギターが絡み合い、さらには白人バンドらしからぬソウルフルで力強いコーラスで総仕上げ。

「コテコテ」「オーヴァー・デコレーション」とは彼らのためにあるような表現だ。前世は関西人か!?

(1)の続編、(3)をはさんで、これもまたシングル・ヒットしたナンバー、(4)へ。元ネタはR&Bサックス奏者、ジュニア・ウォーカーのモータウン時代のヒット。

このように、ヴァニラ・ファッジはどちらかといえばオリジナルよりも、他人のヒット曲をいかに大胆にアレンジし直すかで勝負していたバンドといえそうだ。

この(4)も、その「リ・アレンジ」が見事に成功した例といえそう。ロックだけでなく、ソウルをも得意とした彼ららしく、実にキレのいい演奏、そしてコーラスを聴かせてくれる。後半のアピスのドラム・ソロもなかなか。

個人的には、当アルバムのベスト・トラックじゃないかと思っている。ちなみに4枚目のアルバム、「NEAR THE BEGINNING」所収。

(5)は、「太陽の彼方」のヒットで日本でもおなじみのリー・ヘイズルウッド作、ナンシー・シナトラのヒットのカヴァー。これも「NEAR THE BEGINNING」所収。

元歌は、ソフトでスウィートなバラードだが、彼らにかかると、主旋律こそ繊細に歌いあげるものの、サビは一転、ウルトラ・へヴィー・サウンド。

ソウルだろうが白人のポップスだろうが、彼らが料理すればことごとくヴァニラ・ファッジ節になってしまう。いやー、スゴい破壊力じゃのう。

それは次の(6)も同様だ。「VANILLA FUDGE」所収。おなじみビートルズの初期のヒットが、大げさなソウル・ミュージックに変身。

乱調気味のヴォーカルといい、キレてるギター・フレーズといい、ビートルズ・ファンが聴いたら目を剥きそうだが、迫力は満点。

彼らはこの曲のほかに「エリナー・リグビー」のカヴァーもやっていて、名演の評価も高い。興味をもたれたかたは、デビュー・アルバムでぜひ聴かれたし。

(7)もモータウン・ソウル風のヴォーカル&コーラスが実にカッコいいナンバー。元歌はソニー&シェールのヒット。デビュー・アルバム所収。

ハードな演奏だけでなく、ディープなヴォーカルにもなかなか見るべきものがある。

BB&Aもこういうソウルっぽい曲を好んでやっていたが、その源流はすでにヴァニラ・ファッジにあったということか。

再び(1)、(3)の続編、アヴァンギャルドな風味の(8)を経て、(9)へ。これはスタインのオリジナルで、サード・アルバム「RENAISSANCE」所収。

そのコーラス部分に、コテコテな「ソウル」を感じる一曲。

カーティス・メイフィールド率いる、インプレッションズあたりにも一脈通じるものがありそう。

そのぶっ飛んだ「大作指向(彼らの曲は6、7分のものがザラであった)」ゆえに、俗にアート・ロックとよばれてはいたが、いたずらにアヴァンギャルドな「芸術」を目指していたわけではなく、シンプルでわかりやすい「ソウル・ミュージック」が彼らのベースであったということだな。

そういう視点も加味して聴いていくと、この30年以上前の時代がかった音も、なかなか面白く聴ける。

ラストは約9分にも及ぶ「超大作」、(10)。英国のシンガー、ドノヴァンの作品。これまた、「RENAISSANCE」所収。

タイトル通りのおどろおどろしい曲調で、これでもかと執拗に同じフレーズを繰り返す。

これがなんとも、ハマってしまうんだよなあ。聴き終わった後も、頭の中で、ずっとオルガンのリフが鳴っている(笑)。

もちろん、それも確かな演奏力、アレンジに裏打ちされた音だからこそのことだろう。

今ではこんなコテコテ、ドンシャリ系の音楽がとてもウケるとは思わないが、たまに聴くと実に新鮮だ。

ギターよりもキーボード、コーラス中心のアレンジなので、ハードロック・ファンよりもソウル・ファン向きかも知れない。

個人的にはこういう音、けっこう嫌いじゃないです、ハイ。というわけで、評価はこうなりました。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#131 バッド・カンパニー「BAD COMPANY」(SWAN SONG 92441-2)

2022-03-25 04:57:00 | Weblog

2002年12月14日(土)



バッド・カンパニー「BAD COMPANY」(SWAN SONG 92441-2)

(1)CAN' T GET ENOUGH (2)ROCK STEADY (3)READY FOR LOVE (4)DON'T LET ME DOWN (5)BAD COMPANY (6)THE WAY I CHOOSE (7)MOVIN' ON (8)SEAGULL

バッド・カンパニーのデビュー・アルバム、74年リリース。プロデューサーはテリー・トーマス。

いまさらこのグループについて、くだくだしい説明は不要だろう。とにかく聴いてみよう。

(1)はデビュー・シングルでもあり、その大ヒットでバンド名を世界にとどろかしたナンバー。ギタリスト、ミック・ラルフスの作品。

実にシンプルで、なんのケレンもないギター・バンド・サウンドなのだが、これがなんともいえずイイ! 何度聴いても、あきるということがない。

この曲が発表された当時、筆者は高校2年。その頃のアマチュアロックバンドといえば、ZEPとパープルの二大バンドのコピーが大半を占めていたが、このバドカンも、デビューするやいなや、その二大勢力に迫る勢いで、コピーバンドが登場・増殖していったという記憶がある。

そう、今は昔の物語になってしまったが、バドカンはZEP、パープルあたりと並んで、70年代もっとも成功したバンドのひとつであったのだよ。

(2)もひたすら懐かしいのう。こちらはヴォーカルのポール・ロジャーズの作品。

タイトル通り、ステディかつタイトにロックするサウンド。これまたイイ!! ロジャーズらしい、少し「湿り気」を感じさせるメロディ・ラインがまたいい。

バドカンの成功の理由といえば、そのシンプルでわかりやすいバンド・サウンドもさることながら、やはりロジャーズの歌のうまさに負うところ大であろう。確かなテクニックと、独特のブルーズィなフィーリング、これは凡百のシンガーのかなうところではない。

(3)はラルフスの作品。ややスローで重ためなリズムに乗せて、ロジャーズの骨太のヴォーカルが炸裂する、マイナー・バラード調ロック。

当時のバンドの多くに見られた、インスト・ソロの垂れ流しに陥らず、あくまでもヴォーカル中心にコンパクトにまとめている。いや、お見事。

そう、彼らのロックは、ポップス・チューンとして聴いても、一級品の出来ばえなのである。

(4)も発表当時よく聴かれた曲だ。ラルフスとロジャーズの共作。ビートルズの同名曲を見事に「本歌取り」し、カントリー風のアレンジで、彼ら独自の味付けをしている。

この、極めてはっきりとしたアメリカン・ミュージック指向が、彼らに全米での成功をもたらしたのは、間違いないであろう。

しかも、陰影に富んだブリティッシュ・ロック本来の香りを失わずに、それを成し遂げたところに、彼らのハンパではない才能を感じるね。

(5)はバンド名をそのままタイトルにした、いわば彼らのテーマ曲。ロジャーズと、フリー以来の盟友、サイモン・カークとの共作。まさに、「腐れ縁」の「悪友」同士の歌!?

翳りのあるマイナー調メロディが実に美しい。ロジャーズの弾くピアノが全編で効果的に使われている。

いかにもテンションの高いハード・ロックと、こういったしんみりとしたバラードが、実に絶妙にブレンドされているのだよ、この一枚は。

(6)は、ソウル・フレーバー漂うワルツ風スロー・バラード。ロジャーズの作品。

失恋の苦悩、孤独を切々と歌いあげる彼は、どこかアメリカ南部のソウル・シンガーにも似た佇まいだ。

バックのホーン・アレンジがなんとも「雰囲気」があって、ええんですわ。

(7)では一転して、めいっぱいロック。バドカン版「トラヴェリン・バンド」ともいえる一曲。ラルフスの作品。

彼のワウ・ギターが全開の、ハイパーアクティヴ・サウンド。もちろん、ロジャーズもシャウトでこれに応酬。

ストーンズにも通ずるところのあるシンプルさ。まことに潔い、ロックン・ロールなり。

ラストの(8)はアコギ・サウンドが印象的なバラード。ラルフスとロジャーズの共作。

カントリーというよりは、フォーク、さらにいえばブリティッシュ・トラッドの風味。これまた、ロジャーズの深みある歌声が心にしみいります。

全体に、人目をひくような派手なテクニックをひけらかさず、楽曲自体のよさを前面に押し出すようシンプルなアレンジがなされているが、よくよく聴きこめばそれらも、確かな技術に裏打ちされているのがわかる。

いわば、「職人芸」の一枚。

ロックとかポップスとかいった、表面的なジャンル分けなど関係なく、ともかく「グッド・ミュージック」な一枚だと思う。

ホント、いい仕事、してまっせ。

<独断評価>★★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#130 フレディ・キング「FREDDIE KING(1934-1976)」(Polydor 831 817-2)

2022-03-24 05:09:00 | Weblog

2002年12月7日(土)



フレディ・キング「FREDDIE KING(1934-1976)」(Polydor 831 817-2)

(1)PAC IT UP (2)SHAKE YOUR BOOTIE (3)TAIN'T NOBODY'S BUSINESS IF I DO (4)WOMAN ACROSS THE RIVER (5)SWEET HOME CHICAGO (6)SUGAR SWEET (7)TV MAMA (8)GAMBLING WOMAN BLUES (9)FARTHER ON UP THE ROAD

フレディ・キング、RSO時代のコンピ盤。77年、彼が亡くなった翌年にリリースされた追悼盤でもある。

レオン・ラッセル率いるシェルター・レーベルのもとを辞したフレディは74年、RSOへと移籍する。2年後に急逝、そこが結局、彼の終の住処(ついのすみか)となってしまった。

この一枚は移籍第一弾のアルバム、「Burglar」以降のレコーディングから、未発表音源も含めて9曲がセレクトされている。

(1)は、「Burglar」のトップに収録のナンバー。tRICK bAGもレパートリーにしている。恋人との破局を迎え、「じゃ、オレが出て行くわ」と、荷物一式をまとめて家を出て行く男の歌。

タイトでファンキーなビートに乗せて、おなじみのテンションの高いヴォーカル、すすり泣くようなシャープなギター・プレイを聴かせてくれる。ブルースというよりは、ファンクな一曲。

(2)は、これまたファンキー路線なオリジナル・ナンバー。アルバム未発表。

声を張り上げず、抑え目のヴォーカルがどことなく、先輩のアルバート・キングに似ている。クレジットにはないのだが、女性シンガーとの軽妙かつ色っぽい掛け合いも、また聴きもの。

(3)は未発表のライヴ音源から。ここでは一転、昔ながらのR&B調で。もちろん、ベッシー・スミスがオリジナルの、ブルース・クラシック中のクラシックだ。

どちらかといえばミディアム・テンポで演奏されることの多いこのナンバーを、思い入れたっぷりにスローでキメている。

歌もギターも、実に見事な「タメ」だ。ギターのソリッドな音色が実にイカしている。

(4)もライヴ録音。(3)(4)の2曲はともに75年、テキサス州ダラスで収録されている。

こちらは、シェルター時代の73年リリースされたアルバム「WOMAN ACROSS THE RIVER」のタイトル・チューンの再演。

ミディアム・スローのファンク・ブルース。頻繁なテンポ・チェンジが特色だ。

フレディの売り、ハードなシャウトも、泣きのギターも全開、コテコテな一曲なり。

(5)は74年録音。ごぞんじロバート・ジョンスンの代表曲。その後、ライヴでもしばしばプレイしていたようなので、フレディお気に入りの一曲なのだろう。バンド・サウンド、ややアップ・テンポで演奏。

ここでのギター・ソロは、非常にキャッチーにまとまったものなので、なにかブルース・ギターをコピーしてみようかという方には、格好のネタかも知れない。

(6)は、フレディを師と仰ぐ、エリック・クラプトンのバンドを迎えての74年のレコーディング。(アルバム「Burglar」収録。)

これまたファンク・ブルース路線の一曲。クラプトンの歯切れのいいリズム・ギターに乗せて(なんという贅沢!)、思い切りスクウィーズするフレディ。

もちろん、クラプトン、ジョージ・テリーも、ソロをとる。それぞれの個性が出ていて、なかなか面白い。

(7)もまた、74年、マイアミにての録音。クラプトン・バンドとの共演。アルバム未収録。

当時、レーベルが同じということもあって、彼らは非常に親しい付き合いをしていたようだ。ちょうど、クラプトンがアルバム「461オーシャン・ブールヴァード」を発表したころだ。

こちらはオーソドックスなミディアム・テンポのシャッフル。フレディのオリジナル。

クラプトンは「マザーレス・チルドレン」「アイ・キャント・ホールド・アウト」等でもそうだったが、そのころスライド・ギターに凝っていて、ここでもその達者なプレイを聴くことが出来る。

もち、フレディのめいっぱいスクウィーズの効いたギターもいい。エンディングは「HIDE AWAY」風フレーズでキメてくれます。

(8)もまた、クラプトン・バンドとの共演。フレディ自作の、9分近いスロー・ブルース。74年録音。

曲想としては、B・B・キング、そしてオーティス・ラッシュで有名な「GAMBLER'S BLUES」あたりの影響が強そうな一曲。

冒頭で延々と展開される、フレディの345と、クラプトンのストラトの絡みが実にスリリングだ。

それぞれの音色の微妙な違いを、聴きとってみてほしい。

後半もエンドレスで展開する、泣きのギター・ソロには、ただただ、涙、涙である。

以前、クラプトンの「BLUES」をレビューしたときに、スロー・ブルースの垂れ流しは感心しない、みたいなことを書いたのだが、フレディ・キングくらいの腕前のひとになると、けっこうそれも許せてしまう気がする(笑)。

やはり、借り物ではない、自らの身体がブルースと化したひとの演奏は、いくら延々とソロを聴かされても「冗長」と感じないから、まことに不思議ではある。

ラストの(9)は、クラプトン・バンドのステージにゲストで出演したときの、ライヴ録音。

76年11月15日、ダラスにての収録だから、彼が同年12月28日に亡くなる直前のパフォーマンスといえる。そういう意味でも、実に貴重なテイクだ。

曲はクラプトンが好んで演奏し、いまやおなじみとなった感のある、ボビー・ブルー・ブランドの代表曲。

リード・ヴォーカルはクラプトン。フレディはクラプトンのギター・ソロを引き継いで登場、張りとツヤのある345の音色で、われわれを魅了してくれる。

中間部の、リズム抜きでの「カラミ」も、なんともカッコよろしいし、後半ソロでのハジケぶりもナイス。

最高のライヴ・パフォーマンス、これは必聴でっせ。

というわけで、アルバムからの編集盤というよりは、未発表テイク中心なのだが、いずれも名演ぞろい。晩年とはいえ全然枯れちゃいないフレディの、ハイ・テンションなヴォーカルとギターがフルに楽しめる。

クラプトン・バンドのサポートもあって、かなりロック寄りなサウンドに仕上がっています。ロック・ファンにも超おススメ。

やっぱ、フレキンは28年後の今も、聴くものを必ずや熱くさせまっせ!

<独断評価>★★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#129 フリートウッド・マック「英吉利の薔薇」(EPIC/SONY ESCA 5421)

2022-03-23 05:45:00 | Weblog

2002年12月1日(日)



フリートウッド・マック「英吉利の薔薇」(EPIC/SONY ESCA 5421)

(1)モタモタするな (2)ジグソウ・パズル・ブルース (3)ドクター・ブラウン (4)恋のモヤモヤ (5)夕暮ブギー (6)燃える恋 (7)ブラック・マジック・ウーマン (8)君をなくして (9)ワン・サニー・デイ (10)ウィズアウト・ユー (11)カミング・ホーム (12)アルバトロス

このコーナーでも、すでに数回取上げたことのあるフリートウッド・マックだが、やはりこの一枚を外して彼らを語るわけにはいくまい。69年発表のセカンド・アルバム、原題「ENGLISH ROSE」である。

67年、ジョン・メイオール率いるブルースブレイカーズにいたピーター・グリーン(g)、ジョン・マクヴィ(b)、ミック・フリートウッド(ds)の3人に、スライド・ギタリスト/シンガーのジェレミー・スペンサーを加えて結成されたブルース・ロック・バンドが、第一期マック。

これにギタリスト/シンガーのダニー・カーウェンを加え、5人編成となってレコーディングしたのが、このアルバムである。

彼らのサウンドは黒人ブルースに強い影響を受けていたのはいうまでもないが、とりわけ、エルモア・ジェイムズ、そしてオーティス・ラッシュ、このふたりの存在は「神」にも近いものであったようだ。

たとえば、(3)。これは50~60年代に活躍したブルースマン、バスター・ブラウンの曲だが、リード・ヴォーカルをとるスペンサーは、明らかにエルモアを意識した、ラフでがなるようなスタイルをとっている。

そしてもちろん、スライド・ギターのフレーズも、エルモアくりそつ。

彼らのデビュー・アルバム「PETER GREEN'S FLEETWOOD MAC」でも「SHAKE YOUR MONEYMAKER」「GOT TO MOVE」の2曲、エルモア・ナンバーをカヴァーしているくらいで、当時スペンサーがいかにエルモアに心酔していたかが、よくわかる。

(5)も、一聴すればおわかりいただけるだろうが、エルモアの「HAWAIIAN BOOGIE」を下敷きにして書かれた、スペンサー作のインスト・ナンバー。

エルモア・サウンドのハイな雰囲気をそのまま再現している、名演。

(8)もスペンサーの作ったミディアム・スロー・ブルースだが、これまたメロディといい、歌いぶりといい、スライド・プレイといい、エルモア節以外のなにものでもない。

スペンサーはおそらく「エルモア命」とでも刺青を彫っていたんじゃないかな(笑)。

そしてきわめつきは、エルモア・ナンバーのカヴァー、(11)。ややスロウで重ためのシャッフル・ビートに乗せて、エルモア・トリビュート色全開。ワンパタといわれようが構うものかとばかり、ひたすらエルモアになりきっていらっしゃる(笑)。

さて、その一方で色濃く感じられるのがオーティス・ラッシュの影響。

こちらはバンドのリーダー的存在、ピーター・グリーンが大のオキニであった。

(1)はグリーンの作品で、グリーンが歌、リード・ギターもやっているが、こういうオーソドックスなメジャー・ブルースでは、歌いかたにせよ、ギター・フレーズにせよ、さほどラッシュの影響は感じられない。

ところが、マイナー・ブルースでは、一目ならぬ一聴瞭然である。

(6)が好例。曲を書いたグリーン自身が、ヴォーカル、リード・ギターも担当している。

ここでの、哀感あふれるギター・フレーズは、まぎれもなくラッシュ譲りのものである。

そしてなんといっても、(7)だ。グリーンの作品。

サンタナによってカヴァーされ大ヒットしたのは皆さんご存じだろうが、オリジナル版の、よりブルーズィな味わいはまた格別。未聴のかたは、ぜひチェックを。

ラッシュの「オール・ユア・ラヴ」を強く意識しながらも、どこかラテン・ビートも漂わせる、官能的なメロディ、そして艶やかなギターの音色。単なるパクりを超えた、見事な「本歌取り」だ。

グリーンの際立った音楽的才能なくしては、この名曲は生まれえなかったであろう。

しかし、このアルバム、こういった黒人ブルースへのトリビュート色が強いナンバーだけではない。

基本はホワイト・ブルース・バンドでありながら、それを自ら打ち破り、たえず脱皮していこうという「能動性」も彼らにはあった。

それを特に感じさせるのは、新加入のメンバー、カーウェンの存在であろう。

彼はギタリスト/シンガーとしてよくこなれたパフォーマンスを聴かせるだけではなく、ソング・ライティングにもなかなかの才能を持っていた。

それがよくわかるのが、インスト・ナンバー、(2)だ。カーウェンが曲を書き、リード・ギターを聴かせてくれる。

ブルースだけでなく、ジャズやポップスのセンスをも盛り込んだ、多彩なフレージング。彼の卓越したセンスを感じることが出来るだろう。

(4)もカーウェンの作品。わりとオーソドックスなスタイルのマイナー・ブルース。

彼のブルージーなギターに加え、高めで繊細なヴォーカルも聴くことが出来る。

だが、ややグリーンの路線とかぶっているこの曲よりは、(9)のほうにこそ、彼の個性が出ているといえるだろう。

カーウェン自作の(9)は、飄々とした彼のヴォーカルにからむへヴィーなギター・リフが印象的な、ハードなブギ。

「ブルース・ジャム・イン・シカゴ」での「シュガー・ママ」にも一脈通じるものがある。

ロック感覚あふれるアレンジで、黒人ブルース・バンドとは一線を画した「マック・サウンド」を生み出した一曲だ。

続く(10)も彼の作品。「鬱」なムード漂う、ミディアム・スロー・ブルース。カーウェンの切なげな歌いぶりにも、なかなか味わいがある。

新加入とはいえ、しっかりとした「仕事」をしていて、決してあなどれない存在なのである。

さて、ラストはグリーン作のインスト・ナンバー、(12)。マックの名を一躍高めたスマッシュ・ヒットでもある。

ゆったりとした、どこか心臓の鼓動を思わせるビートに乗せて、3人のギタリストのたゆたうようなフレーズが紡ぎ出されていく。いかにもタイトル(アホウドリの意)通りの、悠然としたサウンドだ。

この曲でグリーンは、かならずしも自分の個人的趣味である「ブルース的なもの」にこだわらず、より音楽的に広がりのある世界を作り出そうとしているようだ。

非常にオーソドックスなブルース指向と、それとは別のポップな感覚が並行して共存していたマック。

多くのひとびとは、初期のマックと、「ファンタスティック・マック」以降のマックを聴き比べてみて、「これが同一グループ? 信じられない!」みたいな反応をするが、よくよく聴き込んで行けば、初期のマックにものちのちのサウンドの萌芽が見られるのだ。

「ローマは一日にしてならず」ではないが、トップ・グループとしてのマックが生まれて来るのにも、長い長~い「揺籃期」があったってこと。

「ブルースっぽいのは、どうも苦手で」とおっしゃるかたも、一度聴いてみてちょ。

ジャケ写は鬼面人を驚かすような大仰なものだけど(笑)、意外と、耳にすんなりと入って来るサウンドだと思いますよ。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#128 キャロル「ゴールデン・ヒッツ 」(マーキュリー・ミュージックエンタテインメント PHCL-8)

2022-03-22 05:20:00 | Weblog

2002年11月24日(日)



キャロル「ゴールデン・ヒッツ 」(マーキュリー・ミュージックエンタテインメント PHCL-8)

(1)夏の終わり (2)番格ロックのテーマ (3)泣いてるあの娘 (4)ヘイ・タクシー (5)やりきれない気持 (6)ミスター・ギブソン (7)憎いあの娘 (8)恋の救急車 (9)コーヒー・ショップの女の娘 (10)ファンキー・モンキー・ベイビー (11)涙のテディー・ボーイ (12)彼女は彼のもの (13)ハニー・エンジェル (14)最後の恋人 (15)いとしのダーリン (16)レディ・セヴンティーン (17)二人だけ (18)愛の叫び (19)0時5分の最終列車 (20)ルイジアンナ

日本において「ロック」は60年代末、当時ブームであったグループサウンズの一部のグループ(たとえば、ゴールデンカップス、フラワーズ、モップスといった連中)によって次第に生み出されていったが、実際には歌謡曲と折衷したような中途半端なものが大半であった。

トップ・バンドのカップスにしてからが、ライブハウスでは本格的なハードロック、R&Bを演奏してはいても、シングルは職業作曲家による「歌謡曲」を歌わされていたていたらくだった。

やはり、歌謡曲でないモノホンのロックが登場するのは、GSブームが完全に終焉する70年代になってからといえる。

72年デビュー、75年解散、実質3年弱という短い活動期間しかなかったが、若者(ことにツッパリといわれていた不良、暴走族を中心に)絶大なる人気をほこっていたキャロル。彼らはまさに、「ロック」を表看板にして人気を博した、最初のグループだったように思う。

当時ロック・ミュージシャンといえば判で押したように、長髪にTシャツ、ジーンズという出で立ち。

その流れをあっさり無視した、革ジャン、リーゼントのテディボーイ・スタイル。

サウンド的にはよくいわれているように、初期ビートルズに酷似していたが、あえてビートルズのぶりっ子スーツ・スタイルではなく、メジャーデビュー以前のビートルズのテディ・スタイルを選択させたのは、彼らの「反骨心であり、「自己主張」であったと思う。

筆者は当時、ツッパリでもなんでもない普通の中学生だったが、そのふてぶてしい面構えに、ひそかに「オヌシらやるな」と思っていたものだ。少なくとも、チューリップ(彼らは後期ビートルズのサウンドを意識していた)あたりなんぞより、100倍はロックだと思っていた。

さて、ひさびさにCDで聴いてみる彼らは、なかなかに新鮮。新たな発見もいろいろある。

まず感じたのは、リズムが非常にタイトで、基礎演奏能力が非常に高いということ。

だから、今聴いても、GSや70年代Jロックの多くのような「チャチ」な感じがまったくしない。

もちろん、難しいことは何もしていないのだが、バンドとしての「骨組み」が実にしっかりとしている。

当時はツッパリ、ワルのイメージが先行していたため、食わず嫌いのひとが多かったと思うけれど、純粋に音だけで聴いても、かなりのハイ・レベルだ。

演奏だけではない。大倉、矢沢のツートップ・ヴォーカルも、GS時代のヴォーカリストたちに比べると、格段とウマい。さらにはバック・コーラスがこれだけキマっているのも、かつてのバンドにはいなかった。

曲作りも、他のアーティストに頼ることなく、すべて彼らによるもの。これがまた、どれもこれもアメリカのポップスのエッセンスをしっかり自らの血肉としたものなのだ。

そう、キャロルというバンドは、ヴォーカル、コーラス、演奏、曲作りの4枚のカードが見事に揃った、当時では稀有な存在であったのだ。

個人的にオキニな曲を上げていくと、まずは矢沢がリードのバラード、(1)。先々週登場の憂歌団もやっていた「渚のボードウォーク」の本歌取りともいえる曲調がイカしてる。

そういえば、憂歌団はキャロルの「ファンキー・モンキー・ベイビー」をカヴァーしている。まるで両極端のように見えるふたつのグループにも、実はかなり相通ずるものがあるんじゃないかな。

ピアノ・アレンジを加え、どこか後期ビートルズっぽい(3)も、ちょっと大人っぽい側面を見せてくれて好きな曲だ。ウッチャンのギターがなかなかファンキー。

(4)のコーラスもなかなかごキゲン。リードをとるジョニーの甘い声と、永ちゃんのハードな声がうまく絡んで、黄金のコーラスを生み出している。

これまたジョニーがリードをとる(5)もいい。ギターの響きが美しく録れているのも、グー。

(6)はポール・マッカートニーばりのベース・ラインを聴かせる永ちゃんがカッコよい。

キャロルというと、ビートルズのパクりや、単純そのものの3コード・ロックンロールしかやっていないと把握しているムキも多いようだが、実は微妙にその当時の流行を取り入れたりしている。(7)の、T・レックス風ブギ・サウンドが好例だ。

かと思うと、(9)のように思いきりノスタルジックな3連ロッカ・バラードもお得意という、幅の広さも見せてくれる。

前半のハイライトはもちろん、キャロル最大のヒット、(10)。

彼らのキッチュ、でもイカしているサウンドの魅力が、最大限に発揮された作品。当時、この曲をコピーするために、エレキを買ったツッパリ兄ちゃんたちが、何十万人いたことか(笑)。

もちろん、筆者も文句なしに好きである。これを聴くと、ポップスとは、こういう脳天気なものでええんじゃ!という気になる。

(11)は、彼ら自身でなく、元スパイダーズの大野克夫のアレンジ。いかにも甘酸っぱい青春そのものの、歌詞&メロディが○。

次の(12)や(13)にしてもそうだが、この「適度に甘く、でも決して甘すぎない」というところが、彼らの絶妙なサジ加減であるな。

またまた引き合いに出して恐縮だが、チューリップの「ヘタレ」的、ニューファミリー的なグズグズの甘ったるさとは違って、どこか潔さが感じられる。女にふられて悲しくとも、人前では涙は決して見せない、オトコとしてのツッパリ。

そこが「硬派」を標榜するツッパリ諸兄にも支持された理由ではないかしらん。

(14)は、「ラバー・ソウル」以降のビートルズ・サウンド(たとえば「レイン」)を思わせるナンバー。この曲でも永ちゃんのプレイに、ポールばりのモダンなセンスが感じられる。

基本的にはギター・バンドであるキャロルだが、(15)などではシンセを取り入れて、新味を出したりしているのだ。

(16)も代表的ナンバー。ジョニーをフィーチャーした、典型的な初期ビートルズ調。

ダンサブルで、理屈抜きに楽しめる。

アコギのイントロで始まる(17)も、時代を越えて残る名曲だな。同じく、ジョニーがリード・ヴォーカル。こうやって聴いていくと、キャロルって二の線の主役はジョニーで、永ちゃんはどちらかといえばワキ役だったんだな。今と逆じゃ(笑)。

(18)はR&B調で、全面に展開されるコーラスがなんともいい、ナンバー。

アレンジがちょっと泥臭いが、そこがまた魅力。

(18)同様、永ちゃんがリードを取る(19)も、ビートルズの「ひとりぼっちのあいつ」を思わせるコーラスがなんともごキゲン。

ジョニー・永ちゃんのハモは、日本ポップス史上でも、ベスト3には入るベスト・コンビネーションだと思う。

ラストはもちろん、72年12月リリース、デビュー・ヒットの(20)。あの曲がテレビ番組「リブ・ヤング」で初めて演奏されたときの衝撃を忘れていないひとは多いだろう。

キャッチーなメロディ、ちょっとべらんめえ調な永ちゃんのヴォーカル、とっぽいファッション。すべてが新鮮で、驚きの連続だった。

そしてそのフレッシュさは、30年も経過した今でも、決して失われてはいない。

当時若者だったひとだけでなく、今、青春まっただなかというひとたちにも、ぜひ聴いて欲しい一枚だ。

<独断評価>★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#127 サザンオールスターズ「SOUTHERN ALL STARS」(ビクター音楽産業 VITL‐1)

2022-03-21 05:01:00 | Weblog

2002年11月17日(日)



サザンオールスターズ「SOUTHERN ALL STARS」(ビクター音楽産業 VITL‐1)

(1)フリフリ' 65 (2)愛は花のように(Ole!) (3)悪魔の恋 (4)忘れられたBIG WAVE (5)YOU (6)ナチカサヌ恋歌 (7)OH,GIRL(悲しい胸のスクリーン) (8)女神達への情歌(報道されないY型の彼方へ) (9)政治家 (10)MARIKO (11)さよならベイビー (12)GORILLA (13)逢いたくなった時に君はここにいない 

サザン、9枚目のアルバム。90年リリース。

79年8月デビューだから、すでに23年のキャリア。長寿バンドの代表選手のようなサザンではあるが、そのたどってきた道のりは決して平坦なものではなかった。

ことに、このアルバムの前作「KAMAKURA」(85年リリース)との間には、4年4か月ものブランクがあったことから、グループとしての活動が相当煮詰まっていたのは事実。

その間、桑田と松田はKUWATA BANDを作り、さらに桑田はソロ・アルバムを出し、他のメンバーもソロ活動を行うなど、バンドが「空中分解」の状態であった。

そんな彼らがひさしぶりに全員集合、入魂の一作を世に問うたのである。

リスタートの意味もこめて、タイトルはグループ名そのものとなり、サウンド的にもこれまでのサザンの集大成とでもいうべき、ヴァラエティに富んだものとなった。

まずはストーンズの影響が色濃いロックン・ロール、(1)から。タイトルからもわかるように、スパイダーズの和製ロック、和製ポップスのエッセンスもたっぷり含んだ、ノリのいい一曲。

ゴーゴー、モンキーダンス、TV番組「ビート・ポップス」といった60年代のイメージが溢れ出そう。

(2)は小倉博和さんのクラシックギターをフィーチャー、当時人気のフラメンコ・ロック、ジプシー・キングスを想起させるサウンド。

サザンが初めてスペイン語の歌詞に挑戦した、意欲作でもある。

彼らは、同年夏公開の映画「稲村ジェーン」で音楽を担当していたが、その中に登場するラテン・バンドがこういう音を出しておったのう。なんとも懐かしいっす。

(3)はわれわれブルース・ピープルにもおなじみの、八木のぶおさんのハープを全面にフィーチャーした、ブルース感覚あふれるロック・チューン。この曲もまた、ストーンズの「ミス・ユー」あたりの影響が強そう。

日本語・英語チャンポンの歌詞は、毎度のサザン調。でもかなり洋楽っぽく聴こえるメロディ・ラインだ。

(4)は一聴即おわかりだろうが、ビーチボーイズ風アカペラ・コーラスがキマった一編。

サウンドのみならず、タイトルも含めて、ヤマタツを相当意識してるな?と見たが、いかがかな。一説によれば、全部クワタ氏自身の多重録音で構成されているとも。

(5)はロマンティックな歌詞と、メロディアスでメロウなサウンドが、いかにも「恋人とのドライヴ・ミュージック」向きな一曲。

サザンにはいくつもの「顔」があるが、まさに二の線、正統派なラインのサザンだな、こりゃ。押さえるべきところは、実に手堅く押さえてくるわい(笑)。

(6)は原由子がリード・ヴォーカルをとる、沖縄民謡調のナンバー。

ハラ坊の甘ったる~いカマトト・ヴォーカルも、アルバム中一曲は気分転換として欲しいところで、さすがツボをこころえとります。

アナログA面の最後は、手堅いバラード・ナンバー、(7)。こーいう定番失恋ソングは、ホンマ、安心して聴けます。

さて、後半トップは、そのPVのエロい演出がちょっと話題になった一曲、(8)から。

きわどい歌詞、そしてファンキーでパワフルなサウンド。いわば「当世ふう春歌」。これまたサザンのもうひとつの強力なラインだ。

続く(9)はシニカルな内容の歌詞の、(8)もそうであったが、いかにもスティーリー・ダンの影響が濃厚なナンバー。

コード進行やシンセの使い方に、日本のロックバンドばなれしたセンスが感じられる。アレンジャーの手柄といえそう。

(10)は、桑田のジャズ趣味が、かなりはっきりと出た一曲。シンコペーションを強調した、くせのあるメロディ・ライン。

ラヴソングでありながら、どこか奇妙な、アンニュイなムードが漂うアレンジ。サザンのいまひとつの「顔」、アヴァンギャルドな面が結晶したような一曲。味付けの複雑さ、面白さではアルバム随一といえよう。

(8)~(10)と実験的なサウンドが続いたが、(11)はいかにもサザンらしい、「Melody」あたりにも通じるものがある、ラテン・フレーヴァーに富んだラヴ・バラード。

横ノリのゆったりとしたビートに乗せて、切々としたヴォーカルを聴かせる桑田。文句のつけようのない出来だ。

アルバム中、一曲はインストを入れるのが、サザンの[お約束」といった感じがあるが、この作品でも次の(12)でそれをやっている。ジャングル・ビート風のアレンジに、ヘヴィメタルなギターを絡ませた、実験的なナンバー。

獣たちの唸りにも似た、彼らのコーラスがなかなか効果的だ。

ラストはふたたび、サザンとしては「黄金のヒットパターン」のライン上にある一曲。

ミディアム・テンポのラヴ・ソング。なんとも切ない歌詞に思わず涙、涙である。

桑田のメロディ・メーカー、そして歌い手としての実力を痛感せずにはいられない。

このアルバム、プロデュースは彼ら自身とクレジットされてはいるが、サウンド的には、桑田のソロ・アルバム以来アレンジを担当するようになった、小林武史(Ex. My Little Lover)に負うところが大だろう。

彼の、驚異的とまでもいえる引き出しの多さが、いまひとつバンドとしては「器用さ」に欠けるサザンをうまくカヴァーして、きわめて多様なサウンドを生み出すことに成功している。

また、小倉さん、八木さんに代表されるように、ゲスト・プレイヤーにはあくまでも実力派ミュージシャンを多数起用していることも、繊細にして緻密なアレンジの実現を可能にしている。

基本はバンド・サウンドだが、6人の音だけにこだわらず、よりグレードの高い音つくりのためには、ストリングス、ホーン、シンセ等をフルに駆使して、この一枚は完成した。

最近のサザンは、ギターの大森が脱退、そして桑田はソロ活動に精を出すなど、ふたたび「休眠状態」に入っているようだ。

だが、どんなに煮詰まっても何度でもリスタートできるだろう、彼らは。

そこがサザンという空前絶後のバンドのすごいところだと思う。

この一枚、決して最高傑作とはいえないだろうが、そんな彼らの「底力」を示した一作といえそうだ。

たまにプレイヤーにかけると、筆者自身の13、14年前の個人的な出来事もまた、あざやかによみがえる。

いわば、日本人の過半数にとって「青春」そのもののサウンドなのだ。

たとえグループの休止期間が長く続こうが、サザン・サウンドは永久に不滅、そゆこと。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#126 憂歌団「リラックス・デラックス」(フォーライフ 28K-54)

2022-03-20 05:09:00 | Weblog

2002年11月10日(日)



憂歌団「リラックス・デラックス」(フォーライフ 28K-54)

(1)GOOD TIME JIVE (2)渚のボード・ウォーク (3)LOVE IN THE JUNGLE (4)嘘は罪 (5)サマータイム・ブルース (6)I AM ON MY WAY (7)恥ずかしい (8)いやな女 (9)If I had you (10)オナカ・イ・タ・イ (11)WHISKEY MOOD

憂歌団、83年リリースのアルバム。フォーライフレコード移籍第一弾でもある。

そのフォーライフレコードは先年ツブれてしまったが、現在ではCDがBMGファンハウスから出ているようだ。

プロデューサーはシンガー/ソングライター、伊藤銀次(元シュガー・ベイブ)。

憂歌団といえばブルース、ブルースといえば憂歌団と、デビュー以来イメージが定着してしまっていたが、このアルバムではスタンダード・ジャズをはじめ、ブギウギ、レゲエ、カリプソ等々、ヴァラエティに富んだ選曲がなされ、当時でも話題になったものだ。

タイトルにちなんで、アナログ盤のA面は「デラックス・サイド」、B面は「リラックス・サイド」ということになっている。

ま、A面のほうが威勢のいいジャンプ系中心、B面はしっとりしたバラード系中心ってことでつけたんかな? あんまり根拠はないかも。

ともあれ「デラックス・サイド」の(1)から聴いていこう。やたら元気のいい、ジャンプ・ナンバー。ホーン・アレンジも加えて、にぎやかに仕上がっている。

ベニー・グッドマンの「茶色の小瓶」みたいな、ジャズィなフレーズもそこかしこに出て来て、面白い。

彼らのオリジナルのようだが、実際には元ネタがあるんだろうな。浅学なワタシにはよくわかりましぇん。スマソ。

(2)はもちろん、ドリフターズの大ヒットのカヴァー(原題は「UNDER THE BOARDWALK」)。そしてもちろん、皆さんにはストーンズのヴァージョンでおなじみの曲だ。

このロマンチックな曲も彼ら(というか木村サン)にかかれば、強烈な個性と味わいをもったメロディに変わってしまう。

歌以外では、内田サンのアコギの響きが、この上なくノスタルジックでよろしゅおま。

続く(3)は、これまたオリジナルのナンバー。トロピカル・ムードがむんむんの、カリプソ風ナンバー。

ちょっとワザありの内田サンのアコギ・プレイとそれにからむシンセ、メンバーによるバック・コーラスなど、色彩感あふれるサウンドに「これがほんまに憂歌団!?」と思わず言ってしまいそう。

(4)は、極めつけのスタンダード。原題は「IT'S A SIN TO TELL A LIE」。

ビリー・メイヒュー作のこの一曲は、36年に出版されて以来、ビリー・ホリデイをはじめ、ファッツ・ウォーラー、チャールズ・ブラウン、トニー・ベネットらさまざまなシンガーによって歌いつがれている。

木村サンの歌は、先達に優るとも劣らぬ、いい感じだ。オーソドックスなスイング・ジャズ・スタイルの演奏にのせ、吐息と紙一重のハスキー・ヴォイスで切々と歌い上げてくれる。名唱なり。

(5)は、ロック・スタンダードといっていいだろう、ロックン・ローラー、エディ・コクランの代表曲。

ハードロック世代のかたにとっては、ザ・フーのヴァージョンが一番なじみがあるだろうが、彼らはあえてダウンホームなアレンジに挑戦。

内田サンのスライド・ギターが、ちょっとルーズながらも味わいがあって実にカッコいい。

そしてもちろん、ユーモラスな日本語歌詞にも注目。「あかん…」のリフレインでしめるあたり、なんとも心憎い。

さて、「リラックス・サイド」へと参ろう。

(6)は、軽快なテンポの、カントリー調のナンバー。同名曲は何種かあるが(マヘリア・ジャクスン、フリートウッド・マックなど)もちろんまったく別物。(1)、(3)同様、一応、オリジナルなんだろうが、絶対元ネタはありそうだ。詳しいひと、教えてちょ。

(7)はオルガン・サウンドをフューチャーした、ムードたっぷりのラヴ・ソング。

「愛してる」とどうしてもいえない、シャイな男心をじっくりと歌う木村サン。やっぱ、彼は上手い!

内田サンのアコギも、一段とせつなく響く。これまた名演じゃ。

(8)は、オーソドックスなフォービートで決める、スイング・ジャズ風ナンバー。どことなく「オール・オブ・ミー」の裏ヴァージョンっぽい。内田サンのオクターヴ奏法もなかなか。

「あたしはいやな女」なんてドキッとするようなフレーズを、さらりと歌う木村サン。あのふたつとない、ユニークなハスキー・ヴォイスだからこそ、こーいうのがサマになるんだよなあ。

彼の「音符化不可能」なフレージングは、何度もいうようで恐縮だが、スゴい!の一言だ。

ジャズ路線が続く。少しおそめのテンポのバラード、(9)は唯一のインスト・ナンバー。ナット・キング・コールをはじめ、多くのジャズ・シンガー/プレイヤーに愛されたスタンダード。

ひたすらマッタリと、美しいソロをつむぎだす内田サン。これぞ憂歌団サウンドの「粋」といえよう。

(10)はまたまた異色のトロピカル・ナンバー。速めのレゲエ/スカ風のビートにのせて、全編ユーモラスな歌詞で笑かす、陽気な一曲。スティール・ドラムの使い方がなかなか効果的。

このあたりのサウンドのヴァラエティは、当時アレンジャーとしても八面六臂の活躍をしていた、プロデュース担当の伊藤銀次氏によるところ大なのだろうな。なにせ彼は、その頃沢田研二や佐野元春ら人気アーティストのアレンジを一手に引き受けていたからねえ。

リゾート気分の一枚のしめくくりは、(11)。激しくファンキーにシャウトした後は、アコギでしっとりしたムードを出したナンバーで口直し。

木村サンのハスキー・ヴォイスが、また別の趣きをかもし出す。これまでの憂歌団とはひと味違った、アンニュイなムードが○。

とにかく、ハズレなしの充実した内容。タイトル通り、サービス精神がてんこ盛り、でもヘンにリキむことなく、いつもの調子でリラックスした演奏を聴かせてくれる。ポップであるが、決してヤワな音ではないのも、いいところ。

98年以降、活動は休止している彼らだが、昔の音盤を聴けばいつでも彼らに会える。未聴のかた、憂歌団を聴くなら、この一枚でっせ!

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#125 ロリー・ギャラガー「ステージ・ストラック」(TDKコア TDCN-5611)

2022-03-19 08:16:00 | Weblog

2002年11月3日(日)



ロリー・ギャラガー「ステージ・ストラック」(TDKコア TDCN-5611)

(1)SHIN KICKER (2)WAYWARD CHILD (3)BRUTE FORCE AND IGNORANCE (4)MOONCHILD (5)FOLLOW ME (6)BOUGHT AND SOLD (7)THE LAST OF THE INDEPENDANTS (8)SHADOW PLAY

今は亡きギタリスト/シンガー、ロリー・ギャラガーのライヴ盤、80年リリース。

彼はテイスト時代以来、ライヴ・アルバムを多数残しており、これはソロになってからは3枚目のライヴ盤にあたる。79年11月~80年6月に行われたワールド・ツアーにて収録。

講釈はさておき、さっそく(1)から聴いてみよう。

これは78年リリース、クリサリス移籍後第三弾のアルバム「フォト・フィニッシュ」からのナンバー。もちろん、ロリーのオリジナル。

アップテンポで快調に飛ばす、陽性のロックン・ロール。

ナチュラル・ディストーションの効いたストラトのハードなプレイが耳に心地よい。また、うわずり気味にシャウトするヴォーカルも、まことにごキゲン。

エンディングは、ディープ・パープルばりのクドさ。これがまたいい。

続く(2)は、79年発表のアルバム「トップ・プライオリティ」から。これまた速いテンポでドライヴする、いかにもライヴ向きのハードなナンバー。ロリーのオリジナル。

そのギター・ソロがまた素晴らしい。スピーディでスリリング、伸びやかでしかもガッツにあふれたプレイ。名演です。

彼は75年にクリサリスに移籍してから、それまでのブルース的なサウンドから次第にハード・ロック、へヴィ・メタル志向に変化していったが、まさにその後期ギャラガー・サウンドの典型がここにあるといってよいだろう。

(3)は、「フォト・フィニッシュ」収録のナンバー。彼のオリジナル。

ミディアム・テンポで、テイスト時代の代表的なナンバー「ホワッツ・ゴーイング・オン」によく曲想が似ているが、こちらのほうがずっと「ネアカ」な印象だ。

ここではロリーお得意の、スライド・プレイをご披露。この音がまた、パワフルでええんですわ。

(4)は76年のアルバム「コーリング・カード」に収録されていた、彼のオリジナル。日本でもこの曲からグループ名をつけた岩手出身のロック・バンドがいたよなぁ。

これなどは、曲の組み立て方、哀愁を感じさせるマイナー・メロディ&コード進行、アームを駆使したトリッキーなギター・ソロ、などなどほとんど「へヴィ・メタル・ナンバー」といってもよさそう。

ロリーをその服装から、地味~でシブ~いロックをやるアンチャンと思っているひとも多いかも知れないが、どっこい、ハード・ロックよりもハード、ヘヴィ・メタルよりもヘヴィであったりするのだよ。

これは、ゴリゴリ、ブリブリのいかしたベースを弾く、ジェリー・マッカヴォイに負うているものも大きい。

ロリーの細かいピッキングを使った「ワザ」にも注目。とにかく、この(4)は、スタジオ録音版以上にカッコいいことは間違いない。必聴也。

(5)は「トップ・プライオリティ」からのナンバー。彼のオリジナル。

マイナーからメジャーに転調する構成がなかなかいかした、アップテンポのハードロック・ナンバー。

ただギターが巧いというだけでなく、トータルな意味での曲作りにもすぐれていたのが、ロリーというアーティストの強みであったといえそう。

次の(6)もまた、「トップ・プライオリティ」からのオリジナル・ナンバー。

ミディアムテンポのシャッフル・ビートにのって、ロリーの力強いヴォーカル、そしてエフェクター全開のギター・サウンドが暴れまくる一曲。

疲れを知らぬ強力無比のサウンドに、ノックアウトされまくり、である。

(7)は、「フォト・フィニッシュ」からのナンバー。「ヨコのり」中心のロリーにしては珍しく、「タテのり」な一曲。当時の流行を見事に先取りしている。

ロリーというひとは一徹な職人肌ではあるが、決して「石頭」ではないのも、これでよくわかる。新しいサウンドをどんどん取り入れていくことについては、まったく抵抗のないひとなのだ。

ヘヴィ・メタルの先駆け的サウンドをいちはやく実践していたのも、故ないことではないのである。

この曲でも、ふたたび激しいスライド・プレイが堪能出来るので、ぜひ聴いてみておくれやす。

さて、ステージもいよいよクライマックス。(8)は、アップテンポ、典型的へヴィ・メタ・ビートの一曲。

まさに沸騰しそうなロリーのギター・プレイを全面にフューチャーした、パーフェクトなパフォーマンス。

またロリーのみならず、ベースのマッカヴォイ、ドラムスのテッド・マッケンナも最高に熱いプレイを聴かせてくれる。

本当に、この三人だけで、こんな分厚いサウンドが出せるの!?と思ってしまうくらい、迫力に満ちた演奏に、オーディエンスもひたすら狂喜。

この一枚を聴いて、ロック魂が騒がないようじゃアナタ、ヤバいですぜ。

95年6月14日没。享年46。死ぬまでロックし続けた男、ロリー・ギャラガー。

このアルバムある限り、ぼくらは貴方の勇姿を永遠に忘れない。

<独断評価>★★★


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音盤日誌「一日一枚」#124 ザ・ファーム「THE FIRM」(ATLANTIC 81239-4)

2022-03-18 05:07:00 | Weblog

2002年10月27日(日)



ザ・ファーム「THE FIRM」(ATLANTIC 81239-4)

(1)CLOSER (2)MAKE OR BREAK (3)SOMEONE TO LOVE (4)TOGETHER (5)RADIOACTIVE (6)YOU'VE LOST THAT LOVIN' FEELING (7)MONEY CAN'T BUY (8)SATISFACTION GUARANTEED (9)MIDNIGHT MOONLIGHT

ザ・ファームのファースト・アルバム。85年リリース。

元レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジ、元バッド・カンパニーのポール・ロジャーズが84年結成した、いわゆる「スーパー・グループ」、覚えていらっしゃるかたも多いことだろう。

このふたりのビッグ・ネームに加えて、トム・ジョーンズのバック、マンフレッド・マンズ・アースバンド、ユーライア・ヒープなどで活躍していたスキンヘッドのドラマー、クリス・スレイド、ジミー・ペイジがリスペクトするシンガー、ロイ・ハーパーのもとにいた若手ベーシスト、トニー・フランクリンという実力派プレイヤーふたりを加えて「ザ・ファーム」は誕生した。

前評判は華々しかったこのバンド、残念ながら、レコードでは大したセールスを上げられなかった。

ペイジ、ロジャーズ、双方の実績を考えれば、全米ナンバーワン・ヒットになってもおかしくなかったのに、実際にはベスト20にも入らずじまい。

彼らとしては「惨敗」の部類に入るだろう。

その後、翌年にはセカンド・アルバム「MEAN BUISINESS」をリリースするも、これまた不評で、前作を下回るセールス。

グループもあえなく、二作のみで解散の憂き目にあうことになる。

話題だけはダントツのスーパーグループが、なぜそのように売れなかったのか、そのサウンドから考察してみたい。

まずは、ペイジとロジャーズの共作、(1)から。

ミディアム・ファスト・テンポのファンキーなナンバー。ホーン・セクションが加わっているのが大きな特徴。

あえてギターでなく、サックスのソロを入れたりして、当時人気絶頂のホール&オーツをかなり意識しているふう。

続くはロジャーズの作品、(2)。これまた快調なミディアム・テンポの、8ビート・ナンバー。

ペイジのギターは、オーバー・ダビング、ディレイといったエフェクトがやたら使われていて、太く、厚みのある音。だが、繊細さに欠け、ZEP時代に比べるとあまり「いい音」という感じがしない。

バンド全体のアンサンブルも「すきまなく音で埋めた」という感じのサウンドで、トゥー・マッチな感じ。

ヴォーカルとバンドが、たがいに一歩も譲らず張り合っている印象で、要するに「ウルサイ」。

ZEPの持っていった「ハードだが、どこか隙間、ゆとりを感じさせる音」とは、だいぶん違う。

どちらが「すぐれたサウンド」かは何ともいえないが、好みの問題でいえば、断然このファームよりZEPの方が好みだ。

次の(3)は、ペイジとロジャーズの作品。「サムワン・トゥ・ラヴ」つーたかて、ヤードバーズのそれとは全然別曲ざんすよ。

こちらはかなり激しい調子のハード・ロック。後期のZEPのために書かれたといってもおかしくないくらい、ハード&へヴィな曲調。

ロジャーズはプラントに負けじと高音でシャウトし、ドラムのスレイドも、ボンゾばりのラウドなプレイを聴かせてくれる。

でも、地味頁氏はそれにくらべると、いまいち気合いが入っていないプレイで、トホホなんだよなぁ。

ZEPのヘタなレプリカのようで、正直いってあまり感心しない出来のトラック。

(4)は一転、アコギのカッティングから始まる、ミディアム・スローなロック。

ペイジとロジャーズの作品。前の3曲に比べると、サウンドにもゆとり、ひろがりは感じられる。

ポール・ロジャーズというヴォーカリストの本領は、アップ・テンポの曲よりはこういう曲やバラードにあると筆者は思っているので、このほうが耳にしっくりと来る。

ペイジではここでは、ストリング・ベンダー(テレキャスターの変種で、ボディにあるボタンを押すことで、スティール・ギターのような効果が得られる)を使っているらしく、うねるような、一風変わったフレージングを聴かせてくれる。

ふつうはカントリー・ロック系のギタリスト(アルバート・リー、クラレンス・ホワイトなど)が多用するストリング・ベンダーを、また違ったサウンドで自分流に使いこなしているあたり、いかにもアイデア・マン、ペイジらしい。

歌やギター以外では、ベースのトニー・フランクリンがかなりがんばっている。

このひとの弾くベースはたぶんフレットレスだと思うが、その強烈にうねりまくるグルーヴは、もう圧巻である。ジャコとはまたひと味違う、ロック・センスにあふれたプレイだ。

(5)はミディアム・ファスト・テンポのロック。シングル・カットもされた、ロジャーズの作品。

こちらでも、アコギを使ってサウンドに深みを出している。マイナーで始まり、メジャーに転調する曲構成。

リズムはあくまでも粘っこい。ペイジの奇妙な、ラジオドラマのSE風のギター・ソロが、なんとも「???」な感想を抱かせる。

シングルにするからには、この曲のようなサウンドがザ・ファームの基本路線なんだろうが、いまひとつピンとこない。

それは何故なんだろうとしばし考えてみたが、結局、リズム重視型(つまりそれはZEP型ということでもある)のバンドが、メロディをていねいに歌い上げていくタイプのシンガー、ロジャーズの良さをうまく引き立てることが出来ず、むしろ歌と演奏が拮抗し、ケンカさえしているためではないかと思う。

これは、メロディ重視型ではなくリズム重視型の歌い手、ロバート・プラントと一緒のときには、まず起こらなかった現象だ。

だから、サウンドが全体に「重ったるい」。(これはヘヴィ・ロックとかいうときのへヴィとは意味が違う。もったりしている、というニュアンスだ。)

すぐれたミュージシャンを一堂に集めれば、すぐれたバンドになるとは限らない。「食べ合わせ」というのもまた、あるのだ。

さて、後半の(6)へ参ろう。

これはいうまでもなく、ライチャス・ブラザーズの全米・全英ナンバーワン・ヒットのカヴァー。邦題は「ふられた気持ち」。ヒット・メーカー、バリー・マン、シンシア・ウェイル、フィル・スペクターの合作。

もちろん、皆さんにはホール&オーツによるカヴァー・ヴァージョンが、一番おなじみであろう。あまたあるポップス・チューンの中でも、名曲中の名曲。

で、このザ・ファーム・ヴァージョンはといえば、あまり出来がいいとはいえない。テンポがやや遅く、もったりとした感じの上、オリジナル・ヴァージョンやホール&オーツにはあった、デュオ・コーラスの魅力がここにはない。

残念ながら、先行の作品には遠く及ばない。

この選曲でもわかるように、ザ・ファームは、必ずしもハード・ロック一辺倒ではなく、アメリカン・ポップス、それもR&Bやソウルの系統の曲を歌って、アメリカ人に受けようという狙いを持ったグループでもあったのだが、いかにもこのメンツでは、ムリがあった。演奏が「重すぎる」のである。

続くロジャーズの作品、(7)はミディアム・テンポのバラード・ライクな一曲。

このアルバムでは一番メロディアスで、哀愁を帯びた曲調。アコギ・サウンドにエレキギターのハードなアレンジが加わって、いかにもドラマチックな構成。

ブルーズィな「ロジャーズ節」も健在で、3分半と短いわりにはよくまとまった、佳作。

こういうメロディ重視型の曲がもう少し入っていれば、セールスも違ってきたかもしれないなぁ。

(8)は、ペイジ=ロジャーズの共作。こちらはストリングス・アレンジを加えた意欲作。

サビの部分の、いささかエスニック(中近東)調の節まわしを聴くと、どこか後期のZEP、さらにはのちの「ペイジ=プラント」をほうふつとさせるものがある。

非ヨーロッパ音楽の面白さが味わえる、小味な一曲。

ラストの(9)は、9分以上にも及ぶ大作。こちらもペイジ=ロジャーズの共作。

静かなアコースティック・サウンドで始まり、たんたんと進むかと思いきや、ときおり激しいエレクトリック・サウンドが顔を出す。ストリングスやコーラスも総動員して、彩りにあふれた音世界が展開する。

ここではペイジのアコギ・プレイが出色。エレキでの不調ぶりにくらべると(笑)、それは際立つ。

こういうシンフォニックな構成の長編を、いともたやすくアレンジしてみせるあたり、ペイジの才能はただものではないと思ってしまうね。

という感じで、筆者的には、(6)を除く後半(アナログ盤でのB面)の出来がいいと思う。あくまでも個人的な意見だけどね。全体ではそのレベルを維持出来ていないのが、ちょっと残念だ。

凡百のアーティストの作品に比べれば、このアルバムだってそう駄作ではないが、アメリカ人の好むサウンドとは微妙にずれているのも事実。

たとえばホール&オーツのような「ヌケのよさ」がここには欠けている。ブラック・ミュージックにどっぷりハマっているように見えても、どこかで白人の(ネアカな)フィーリングをきちんと押さえていないと、白人リスナーは食指を伸ばさないのだ。

だから、いかにビッグ・ネームふたりを擁していても、好セールスにはつながらなかった。

なんともシビアな話だが、ショウ・ビジネスとはそういうもの。一作一作が勝負なのだ。

結論。「ネームヴァリュー、過去の実績だけではリスナーはレコードを買わない。あくまでもそのレコードが聴きたい音楽であるかどうかが問題なのだ。」

<独断評価>★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#123 クロスビー・スティルス・アンド・ナッシュ「CROSBY, STILLS & NASH」(ATLANTIC 19117-2)

2022-03-17 05:15:00 | Weblog

2002年10月20日(日)



クロスビー・スティルス・アンド・ナッシュ「CROSBY, STILLS & NASH」(ATLANTIC 19117-2)

(1)SUITE: JUDY BLUE EYES (2)MARRAKESH EXPRESS (3)GUINNEVERE (4)YOU DON'T HAVE TO CRY (5)PRE-ROAD DOWNS (6)WOODEN SHIPS (7)LADY OF THE ISLAND (8)HELPLESSLY HOPING (9)LONG TIME GONE (10)49 BYE-BYES

クロスビー・スティルス・アンド・ナッシュのデビュー・アルバム。69年リリース。

元バーズのデイヴィッド・クロスビー、元バッファロー・スプリングフィールドのスティヴン・スティルス、元ホリーズのグレアム・ナッシュの三人によって結成されたのが、CS&N。

当時ブームの、いわゆる「スーパー・グループ」の代表格でもある。

単に有名バンドに在籍していたというだけでなく、三人のいずれもがリード・ヴォーカルをとれ、曲も書ける実力派であるということで、彼らのデビューは当時大いに注目された。

そして、そのポピュラリティを決定づけたのは、デビュー3か月後の同年8月に出演した「ウッドストック・フェスティヴァル」であることはいうまでもない。

ニール・ヤングを加えた四人編成のCSN&Yとして出演。さらには、フェスティヴァルのテーマともいうべき「ウッドストック」という曲をレコーディングし、ヒットさせたことで、彼らはこの「音楽と愛の祭典」のシンボル的な役割をになったといえる。

前置きはこのへんにして、まずは(1)から聴いていこう。

アップテンポのアコギ・ソロ、そして三人の完璧なヴォーカル・ハーモニーから始まるナンバー(1)は、スティルスの作品。

7分22秒にもおよぶ、組曲形式のナンバー。だが、緩急自在、山あり谷ありの構成でダレず、少しも長さを感じさせない。

筆者がこの曲を初めて(30年以上前)聴いたときは、正直、ぶっとんだ。今までのバンドにはない、強力無比なコーラス、そして爽快なアコースティック・サウンド。新しい時代の到来を感じたものだ。

ところで歌詞の内容は、タイトルでわかるように、スティルスの当時の恋人、シンガーのジュディ・コリンズによせたラヴ・ソング。

彼女の青く美しい瞳をたたえる、究極のオマージュ。

そして、恋する男のもどかしさも見事に歌い上げた、ラヴ・ソングのマスターピースとも言える。

(2)は、ナッシュの作品。彼の少し甘い、高めのソロ・ヴォーカルが印象的な、軽快なテンポのナンバー。

もちろんここでも、三人の息のぴったり合ったコーラスが聴かれる。

歌詞は「キミとともにマラケッシュ急行に乗って南に行こう」というような、脳天気なもの。

これも一種のラヴ・ソングといえそう。アヒルやブタ、鶏、コブラといった、いかにも地方色ゆたかな風物が曲にいろどりを添えている。

続く(3)はクロスビーの作品。「王妃グゥイネヴィア」という日本題がついていたという記憶があるが、その通り、アーサー王の伝説に登場する美しい王妃に自分の恋人をたとえ、彼女に愛をささやく、そういうラヴ・ソング。

静かなアコギ・サウンドに乗せて、ふつうのメジャーとはひと味違った、複雑なメロディ、こみいった和声のコーラスが展開する。

これぞCS&Nならではのサウンドといえそう。

クロスビーらが弾く、変則チューニングとおぼしきギター・プレイも、当時非常に話題になった。

どうチューニングし、どう弾くのか誰もまったくわからず、それでも後年、映画「ウッドストック」を注意深く観ていた、あるギタリストがついにその調弦&奏法を「解明」したのは、日本のフォーク界ではかなり有名な話。

ちなみにそのギタリストとは、元GAROのトミーこと、今は亡き日高富明さん、その人である。

日本で初めてCS&Nをフル・コピーしたのがGARO。そういうことだ。

さて、ここまで聴いてくると、CS&Nの三人のメンバーは、いずれもラヴ・ソングを作り、歌うことを得意としているんだなと強く感じる。

何をかくそう、彼らにはその「理由」がちゃんと「存在」していたのだ。

前述のスティルスのケースに限らず、当時メンバーはみなシングルで、それぞれにたいへん魅力的な恋人とつきあっていた。

クロスビーは自らデビューを後押ししたシンガー・ソングライター、ジョニ・ミッチェルと長らくつきあっていた。(この時点では、別の女性と交際。)

一方、ナッシュは、最初の妻ローズと別れて独身だったが、クロスビーと別れたのちのジョニ・ミッチェルとつきあうことになる。

このふたりの女性、コリンズ、ミッチェルの存在も、CS&Nの音楽にとって、きわめて重要な役割を果たしているといえる。

同じアーティストとして、プライヴェートでのパートナーとして、彼らとたがいに大きな影響を与え合っていたのは、間違いない。

彼らは、69年にはすでに名声を獲得していて、実年齢もそう若くはなかったが、こういう少年の初恋のようなういういしいラヴ・ソングを書けたのは、そんな私生活を送っていたこととも、大いに関係があるな。

筆者のようにオッサンになると、ついつい「恋する心」なんてものを忘れがちになるが、これなくしてはみずみずしい音楽なんて生まれやせんのよ。

「私生活」が枯れて、殺伐としている人間に、艶っぽい歌なんて歌えるわけがない。よーく肝に銘じておきたいものだ。

そういう意味で、まさにCS&Nは「青春まっただ中」の音楽だという印象がある。昔も、今も。

さて、お次の(4)は、ふたたびスティルスの作品。落ち着いたミディアム・テンポの、フォーキーなサウンドのナンバー。

これはラヴ・ソングとはいっても、ポジティヴな「賛歌」ではなく、少しビターな内容。

以前に別れてしまった恋人のことを思い出して、「キミが泣くことはない。泣くのはこのボクさ」という、辛い男心のうた。

く~っ、泣けますね。出会いあれば、必然的に別れもある、これが恋のサダメでございます。

アナログではA面ラストの(5)は、ナッシュの作品。彼ならではの明るい曲調で、相思相愛の喜びを歌い上げる。

こちらはリズム・セクションも結構前面に出た、エイトビートのナンバー。スティール・ギターふうに弾くスティルスのギター・プレイがなかなかカッコよろしい。

(6)は、映画「ウッドストック」の中でも登場していたナンバー。クロスビーとスティルスの共作。

内容は甘いラヴ・ソングから一転、反戦思想を寓意したメッセージ・ソングへ。いかにもウッドストック世代の代表選手である彼ららしい。

エレクトリックになると、アコースティックのときとは違って、結構ブルーズィで重ためのサウンドになるのが。彼らの特徴だ。

(7)は、ナッシュの作品。これもまたジョニ・ミッチェルとの生活からの「収穫」なのだろうか。

おだやかなアコギの伴奏にのせて、このうえなく優しいメロディを歌うナッシュ。

あとのふたりも、清冽なハーモニーで、しっかりと後押し。なんとも心のなごむ一曲。

(8)は、彼らのフォーキーな魅力が全開の佳曲。スティルスの作品。

オーソドックスなスリー・フィンガーの伴奏にのせて、三人が生み出すハーモニーは、「優しいのに、パワフル」、そういう感じ。

CS&Nの場合、ビートルズやS&Gあたりに比べると、ひとりひとりの持つ個性は、どちらかといえばジミなんだが、ひとたび三人が一緒になると、「無敵」のハーモニーを繰り出すところが、なんとも面白い。

まるで、毛利元就の「三本の矢」みたいな話ですな(笑)。

(9)も、映画「ウッドストック」で使われておなじみとなった、エレクトリック・アレンジのナンバー。

こちらも、結構ヘヴィなサウンド。クロスビーの意外に太く低い声が、印象的。

甘いラヴ・ソングばかりやおまへん、ドスのきいた、ハード・ボイルドな歌詞もまた、彼らの持ち味であるのだ。

ラストの(10)は、スティルスの作品。カントリー・ロック調のエレクトリック・アレンジ。

ミディアム・テンポで、別れをテーマとしながらも、どこかのんびり、ほのぼのした印象のある曲。

「WHO DO YOU LOVE?」のリフレインが、ブルース好きなスティルスの趣味を反映しているようで、ほほえましい。

一枚を通して聴くに、それぞれのメンバーが、前のグループではなかなか自由には試せなかった、新しい音楽のアイデアを思い切りふくらませているのが感じ取れる。

この「のびのび」感が、何ともいえず、好ましいんだよなぁ。

最後に、もうひとこと。このアルバムが、当時200万枚を越えるセールスを記録したという事実を知れば、彼らの登場がどれだけ「驚き」をもって迎えられたかをおわかりいただけるであろう。

33年の歳月を経てなお、新鮮な輝きを放ち続ける、CS&Nのハーモニーに再注目、である。

<独断評価>★★★★


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