NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音曲日誌「一日一曲」#152 エッタ・ジェイムズ「I Want To Ta-Ta You Baby」(Life, Love, & the Blues/Private Music)

2023-08-31 05:53:00 | Weblog
2010年12月19日(日)

#152 エッタ・ジェイムズ「I Want To Ta-Ta You Baby」(Life, Love, & the Blues/Private Music)





今週は困ったことにPCディスプレイが壊れてしまい、代用品のテレビの画面を見ながらこれを書いている。これが実に字が見づらいのである。そういうことで、今回は短文にて失礼。

エッタ・ジェイムズ、1998年のアルバムより。ジョニー・ギター・ワトスンの作品。

エッタ・ジェイムズは1938年カリフォルニア州ロサンゼルス生まれの72才。前のコラム「一日一枚」でも一回だけ取り上げたことがあるが、おもに50年代にR&Bの分野で活躍した、混血女性シンガーだ。

豊満な体躯から発される迫力満点のシャウトがウリの、パワフル・ガール。10代から20代にかけての彼女は、もっぱらそういうイメージだった。

だが、長ずるにおよび、より深い味わいをもった歌声を聴かせるようになっていく。R&B、ソウルを根幹としながらも、ジャズ、ゴスペル、ブルースなど幅広いジャンルの歌を取り上げていくようになる。

初期のただパンチがあふれる歌声から、抑制をきかせた、円熟味の感じられる歌声へと成長をとげていったのだ。このへん、40年以上同じ歌い方しかできない日本のア●コさんあたり、見習ってほしいもんだ。

今年でデビューして56年。実に半世紀以上、現役トップを走り続けてきたのだから、敬服に値するね。

さて、きょうの一曲は、いわずと知れたジョニー・ギター・ワトスンのカバー。オリジナルはアルバム「Ain't That A Bitch」に収録されている。メローなアレンジは、原曲にほぼ忠実だ。

これがまた実にセクシーなんだわ。男性なみに低めのキーで歌っているんだが、両性具有者にささやかれている、みたいな妙なエロティシズムが感じられる。歌詞のエロさもあいまって、アダルト風味全開。「エッタ、GJ!」と喝采を叫びたくなる。

齢60にして、この現役ぶり。まっこと脱帽ものです。ぜひ一聴を。

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音曲日誌「一日一曲」#151 流田Project「only my railgun」(流田P/ジェネオンユニバーサルエンタテイメント

2023-08-30 05:22:00 | Weblog
2010年12月11日(土)

#151 流田Project「only my railgun」(流田P/ジェネオンユニバーサルエンタテイメント)





fripSide、2009年のヒットのカバー。この曲、実は今年3月に当欄でオリジナル版について書いていたのだが、まさかもう一度取り上げることになるとは思わなかった(笑)。

流田(ながれだ)Projectといっても、ごく一部のリスナーを除けば、まったくご存じないだろうが、ひょんなことでこの12月1日にいきなりメジャーデビューした、正体不明の4人組(+1)バンドなんである。

覆面バンドといえば、先日解散してしまったビート・クルセイダースが代表格だが、この流田Projectも、終始紙製のお面を被っており、その素顔をさらすことはまったくない。流田Pことボーカル&ギターの流田豊、ギターの穴澤淳、ベースの桃山竜二、ドラムの栗川雅裕に、S総帥という謎の人物が加わった編成。とはいえ、デビューアルバムのプロデュースを担当した、fripSideのsatこと八木沼悟志その人であろうことはほぼ間違いない(笑)。

彼らのデビューのきっかけとなったのが、ニコ動ことニコニコ動画という動画投稿サイト。大学の軽音楽サークルで他の3人とともに組んだバンドでアニメソングのカバーを歌い、そのスタジオ演奏の記録を流田が同サイトに投稿したことが、この電撃デビューにつながったのだ。「only my railgun」「LEVEL5」といったfripSideの曲をカバーした縁で、ご本家のsatにも才能を認められ、プロデュースまでしてもらえたのだから、かなりのラッキーボーイズ。

とはいえ、その実力はかなりのもので、きょうの「only my railgun」一曲を聴くだけでもそれは十分おわかりいただけるだろう。

まず、流田Pの歌がいい。もともと女性用の曲をカバーしていることからわかるように、かなりキーの高めの曲に果敢に挑戦している。だが実にうまいのである。こういう「ネタで勝負系」のバンドとはとても思えないくらいの高い歌唱力だ。ボーカルスタイルとしては、シャ乱Q、つまりつんく♂のそれに近いのだが、キーはつんく♂より若干高めであり、彼ほどネットリした感じはなく、実に爽やかでカッコいい印象。でも演歌チックなビブラートも聴けたりするので、どうしてもシャ乱Qを連想してしまうのである。

バンド演奏のほうも、なかなかイケている。サウンドの基本はオルタナティヴ系のようだが、アンサンブルが非常に高レベルで安定していて、ボーカルを巧みにバックアップしている。また、ときおり聴かれるコーラスも上手い。キャリアの短さを、まったく感じさせないのである。

ニコ動やyoutubeで最近人気のあるのが「歌ってみた」「弾いてみた」というアマチュアミュージシャンによるカバーものだが、その手のなかでも、歌、演奏ともに最も高いレベルにあったのが、この流田Projectだったということだ。評判は評判をよび、彼らの動画は累計700万回以上、再生されることとなった。無名のアマチュアが、プロ以上に注目を集めたのである。

ここで連想されるのはやはり、動画投稿サイトの常連で、supercellのリードボーカルとして抜擢されたnagi(ガゼル)嬢だろう。彼女も初音ミクのカバーがきっかけで一躍メジャーデビューとなった。いかにもインターネット時代らしい、シンデレラストーリーだ。

ネットの時代には、オーディションから何年も経てデビューなどというまだるっこしいシステムを経なくとも、動画サイトにアップするだけで真にすぐれた歌や演奏は何万、何十万、いや何百万回も聴かれ、自然とプロたちの耳にも入っていく。

今後、こういった「オーバーナイト・センセーション(一夜明けたら、無名の人間が名声を勝ち得ていた)」のケースは、さらに増えていくのであろうね。

とはいえ、今回の彼らのアルバムは、プロジェクトと名付けたように、あくまでも「企画もの」という意識をもって出しており、二枚目以降の可能性はまったくの白紙なのかもしれない。いかにカバーが上手くても、オリジナルの出来がいいかどうかは判断できないしね。

でも、いいんじゃないかな、「企画もの専門です」というバンドがあったって。(昔のデッド・ツェッぺリンみたいに。)これだけの歌唱力と演奏力、アルバム一枚だけで終らせたんじゃもったいない。

次回もアニメソングカバーでもいいだろうし、筆者の個人的嗜好でいえば、そのつんく♂ばりの歌唱力、高いキーを生かした「ハロー!プロジェクト」のカバー集なんてのもいいんじゃないかな。ね、聴いてみたいでしょ?

ともあれ、あの敏腕プロデューサー、satが認めた歌&演奏の実力、まずはじっくりとたしかめて欲しい。


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音曲日誌「一日一曲」#150 J・J・ケール&エリック・クラプトン「Danger」(The Road to Escondido/Reprise)

2023-08-29 05:29:00 | Weblog
2010年12月4日(土)

#150 J・J・ケール&エリック・クラプトン「Danger」(The Road to Escondido/Reprise)





2006年リリース、J・J・ケールとエリック・クラプトンの共演アルバムより。ケールの作品。

大半の曲はケールの作品であることからわかるように、ケール名義のアルバムにクラプトンが客演しているというかたちなのだが、まるで古くからのコンビのように、息がぴったり合っている。

それもそのはず、彼らの親交は60年代末より40年の長きにわたって続いているのだ。

デラニー&ボニー・ブラムレットとともにアメリカ・ツアーを始めたころ、クラプトンはオクラホマ出身のシンガー、J・J・ケールの存在を知る。それまでクラプトンのやってきたハード・ロックとは全く違う、ブルース、R&B、ソウルに根ざしたアーシーな音にクラプトンは新鮮さを感じたのである。

クラプトンはケールの作品「After Midnight」を70年リリースのファースト・ソロ・アルバムで取り上げ、シングルカット 。クラプトンの初ヒットともなる。

でもケールの名前がより大きくクローズアップされたのは、クラプトンが78年のアルバム「Slowhand」で再びケールの「Cocaine」を取り上げたときだろうな。

ケールはそのボーカルスタイルにせよ、曲調にせよ、ドラマチックな感じはほとんどなく、実に淡々としており、素朴な味わいをもっている。

そういうところが、本来シャウトがあまり得意とはいえないクラプトンの気に入った理由かもしれないね。

この「Danger」も、何かヤバそうなタイトルとは裏腹に、曲調はあいかわらずマイペースなケール節。「Cocaine」をどこか彷彿とさせる。

オルガンをフィーチャーしたことで、スモール・フェイセズにも通じるところのある懐かしめのサウンドとなっている。

ボーカルは二人のユニゾン・コーラス。ギター・ソロは前半はクラプトン、後半はケール→クラプトンの順に演奏している。ケールのプレイのほうが断然シブかっこよく聴こえてしまうのだが、皆さんはどう思う?

いわゆる「いまどきのロック」とは明らかに違い、ゆったりまったりした「大人な」音なんだが、これが意外とイケる。

ボーカルにもさまざまなスタイルがあるが、シャウトをほとんど使わずにロックしてみせたJ・J・ケールの独創性は大いに評価していいんじゃないかな。それをまんま真似たクラプトンは、ただのミーハーって気もするが(笑)。

二人のミュージシャンの友情が、一枚のアルバムにあふれております。一聴を。

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音曲日誌「一日一曲」#149 マイケル・バークス「Time I Came In Out Of The Rain」(I Smell Smoke/Alligator Records

2023-08-28 05:00:00 | Weblog
2010年11月28日(日)

#149 マイケル・バークス「Time I Came In Out Of The Rain」(I Smell Smoke/Alligator Records)





マイケル・バークス、2003年のメジャー・セカンド・アルバムより。バークスの作品。

マイケル・バークスといっても知らないひとがほとんどだと思うけど、57年ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれの53才。筆者ともタメ年の、壮年ブルースマンなんである。

若い頃は父親の経営するアーカンソーのジューク・ジョイントでバンド出演をしていたが、ようやく99年にVentレーベルより自主制作盤でデビュー。その後シカゴ・ブルース・フェスティバルでの熱演によりその才能を認められ、アリゲーター・レコードと契約。現在までに3枚のアルバムを出している。

その歌とギターのスタイルは、フライングVを愛用していることから察しられるように、アルバート・キングの影響が極めて大きい。

アルバートに負けぬ巨体から、まことに力強い歌声とギター・プレイを聴かせてくれる。その安定感はハンパじゃない。

これでもかと大きくスクウィーズするギター、変にリキむことなく余裕たっぷりのスモーキー・バリトン・ボイス。まさにアルバートの再来といえよう。

「Time I Came In Out Of The Rain」は、アルバートの曲でいえば「As The Years Go Passing By」あたりを彷彿とさせる、ドラマティックなマイナー・ブルース。

サイド・ギター、オルガンを配したバンド編成も、アルバート・スタイルをまんま踏襲している。

新味といえるような要素は格別ないのだが、ブルース、ソウル、ロックなどさまざまなスタイルの音楽をふまえたそのサウンドは、スケールが大きい。その安定した実力は万人が認めるところだろう。

50代に入り、これからがブルースマンとしての正念場のバークス。オーティス・ラッシュ、バディ・ガイに匹敵するような、将来の大物となるべき度量は十分にもっていると思うので、今後はさらに曲作りに精を出してほしい。

目の前で、その圧倒的パフォーマンスを見たいアーティストのひとりだ。ぜひ日本に来て欲しいものであります。


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音曲日誌「一日一曲」#148 チャック・ベリー「Everyday I Have the Blues」(Live at the Fillmore Auditorium/Special Product)

2023-08-27 05:13:00 | Weblog
2010年11月20日(土)

#148 チャック・ベリー「Everyday I Have the Blues」(Live at the Fillmore Auditorium/Special Product)





チャック・ベリー、67年サンフランシスコ、フィルモア・オーディトリアムでのライブより。メンフィス・スリムの作品。

チャック・ベリーといえば、説明不要の「キング・オブ・ロックンロール」。ビートルズ、ストーンズ、ビーチボーイズをはじめとする白人ロックバンドたちに、最も強い影響力を持った黒人シンガー/ギタリストだ。

26年、カリフォルニア州サンノゼ生まれ。50年代には連続して大ヒットを放った彼も、60年代には女性スキャンダルで刑務所入りを経験するなどやや失速気味だったが、彼を父のように慕う白人ロッカーたちのおかげもあって、60年代後半には表舞台への復活を果たすこととなる。

67年のこのライブ盤は、まさに「王の復権」を象徴する記録といえそうだ。

バックにはデビューしてまもないスティーブ・ミラー・バンドを従え、個人的にも親交のあったメンフィス・スリムの代表作を歌い、かつ弾きまくっている。

これがまたなんというか、まんま「チャック・ベリー節」なんだよなあ。

もともとこの曲は、戦前のブルースマン、アーロン・スパークスの曲にヒントを得て、48年にメンフィス・スリムが作曲、「Nobody Loves Me」というタイトルで初録音をしているが、彼固有のレパートリーというよりは、「Everyday I Have the Blues」という別のタイトルでブルース界全体にスタンダードとして広まっていく。よく知られているのは、B・B・キング、ローウェル・フルスン&ロイド・グレン、そして以前「一日一枚」で取り上げたこともあるジャズ歌手、ジョー・ウィリアムズのバージョンだ。

他にもさまざまなシンガーが取り上げているが、チャック・ベリーが歌うとはちょっと驚きではあるね。

このフィルモア・ライブでは他にも「C・C・ライダー」チャールズ・ブラウンの「ドリフティン・ブルース」、「フーチー・クーチー・マン」といったブルース・ナンバーを演っており、チャックのステージとしては異色の構成となっている。

これはまあ、チャックの原点回帰ともいえなくもない。ロックンロールも、もとをたどれば黒人のブルースをルーツとする音楽。これに白人のカントリー系音楽がブレンドされ出来たハイブリッドなんだから。セントルイス育ちのチャックも、子どものころは極めてブルースな環境で育ったはずだ。

とはいえ、彼の歌うブルースは一般的に知られるブルースのスタイルを、もののみごとに逸脱している。とにかく陽気というか、若気の至りというか、ノリノリな音楽なんである。

リズムからして、元気がよすぎるくらい。エルモア・ジェイムズ風のビートにのせて、べらんめえ調で威勢良くシャウト。ギターも、例によってペケペケとしたチャック・ベリー・スタイルで妙に歯切れがよく、ブルースギターにありがちなタメは、一切なし。

本来はけっこう陰鬱な内容のブルースなのに、「毎日しんどいわ~」というよりは「毎日しんどいですが、それが何か?」という居直りさえ感じられるね、個人的印象では。

この、底抜けの明るさ、タフネスこそがチャックの身上。不遇もスキャンダルもすべてはねのけ、しぶとく生きていく不屈の精神ってやつです。

この何年か後、彼は折りからのオールディーズブームにのり、ヒットチャートに返り咲く。72年には最大のヒット「My Ding-a-Ling」も出る。

人生で二度頂点にのぼりつめた男、チャック・ベリー。その天衣無縫な魅力を、このブルースナンバーで味わってみてくれ。

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音曲日誌「一日一曲」#147 ルース・ブラウン「Mambo Baby」(The Platinum Collection/Rhino)

2023-08-26 05:59:00 | Weblog
2010年11月13日(土)

#147 ルース・ブラウン「Mambo Baby」(The Platinum Collection/Rhino)





ルース・ブラウン 、54年のヒット。マッコイ=シングルトンの作品。

ルース・ブラウンといえば、「R&Bの女王」と呼ばれることが多いが、事実、その名にふさわしい、輝かしい実績をもったシンガーだ。

28年、ルース・アルストン・ウェストンとしてバージニア州ポーツマスに生まれる。最初は教会の聖歌隊でゴスペルを歌っていたが、10代半ばでクラブなどで歌うプロ歌手になる。45年、故郷を離れてトランペット奏者ジミー・ブラウンと結婚、ブラウン姓に。ワシントンDCで活動していたラッキー・ミランダ楽団を経て、キャブ・キャロウェイのもとで才能を認められる。

アトランティック・レコードの創始者、アーメット・アーティガンと契約をかわし、49年「So Long」でデビュ-、これがたちまちヒットとなる。翌年、「Teardrops From My Eyes」も連続ヒット。これにより、ルース・ブラウンは人気歌手としての地位を確たるものとした。

以来、55年までに16曲がチャートイン、5曲は1位をゲット。アトランティックの稼ぎ頭として、もっとも勢いのあった時期である。同社のビルは「ルース御殿」と呼ばれていたくらい、彼女の人気は絶大だった。

きょうの「Mambo Baby」は、まさにその頃の代表作。タイトル通り、軽快なマンボのリズムにのせて、ルースの歯切れのいい歌声が、聴き手の耳を心地よく刺激するナンバーだ。

ルース自身、もともとジャズ畑の歌手といえるし、影響を受けたのもサラ・ヴォーン、ビリー・ホリデイ、ダイナ・ワシントンといったジャズ色の強い歌手たちだ。

そのためか、リズム&ブルースといっても、リキんだシャウトはあまり使わず、わりと抑えめで歌詞も聴き取りやすい歌いかたをしており、これが一般リスナーに受けたんじゃないかな。

ブルースの濃い原液を少し希釈したかたちで提供、ポップ・ミュージックとして聴きやすいものにしているのだ。

彼女以後、さまざまなR&B系女性シンガーが登場してくるが、ルースは多くの後輩たちのお手本的存在となった。たとえば、「ソウルの女王」と呼ばれることになるアレサ・フランクリンをはじめ、カーラ・トーマス、シャーリー・ブラウン、アン・ピーブルスらだ。

いわば、今日に続く女性R&Bシンガーの系譜の、開祖的な存在。

人種音楽であったブルースが、人種の壁を超えた人気音楽、R&Bにリニューアルしていく過程において、彼女のジャズ、あるいはポップ的センスが非常に重要なはたらきをしたのだ。

その、のびやかな中音域をフルに生かした歌声は、いま聴いてもとても魅力的だと思う。

まずはちょっと体でも動かしつつ、「ミス・リズム(ルースの呼び名のひとつ)」の世界を楽しんでみてちょ。

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音曲日誌「一日一曲」#146 ファッツ・ドミノ「Be My Guest」(Only the Best of Fats Domino/Collectables)

2023-08-25 05:07:00 | Weblog
2010年11月6日(土)

#146 ファッツ・ドミノ「Be My Guest」(Only the Best of Fats Domino/Collectables)





当HPもついに11年目に突入した。これからも「巣」を、そしてこの「一日一曲」をよろしく。

さて、今週はアメリカの「国民的スター」とよばれていたファッツ・ドミノの大ヒットを。彼自身のオリジナル。

ドミノは28年、ルイジアナ州ニューオリンズ生まれ。本名アントワーヌ・ドミニク・ドミノ。元はフランス領だったN.O.の土地っ子っらしく、いかにもラテンの匂いのする名前であるね。

通称の「ファッツ」はその堂々たる体格から来ているのは、いうまでもない。

ピアノを弾きつつ歌うスタイルで若くから頭角をあらわし、はたちそこそこの49年にレコード・デビュー。最初のシングル「Detroit City Blues」のB面「The Fat Man」(いかにも名刺がわりの一曲だな) がいきなりの大ヒット、ビルボードR&Bチャートの2位となる。以来15年近く、トップ・シンガーの名を欲しいままにすることになる。

デビュー即大スターなんて例は、長いポップス史上でもめったにない。やはり彼は、戦後アメリカという時代が求めていた才能だったのだろう。

デビュー後64年までになんと63曲をR&Bチャートに送りこみ、9曲で1位。総合チャートでも10曲がベスト10入りしている。白人のエルヴィスにも匹敵する、黒人シンガーの王者だったドミノ。ラジオがテレビにとってかわられるまでの時代において、彼の歌声は最強だったといっていい。

その彼をトップスターたらしめた最大の仕掛人は、同じくニューオリンズ出身のトランペット奏者にしてバンドリーダー、作編曲家、プロデューサーであったデイヴ・バーソロミューだ。ドミノが最初に所属したレコード会社、インペリアルは本来メキシコ系の音楽を手がけるレーベルだったのだが、次第にR&B/ブルース系音楽もリリースするようになり、49年からはバーソロミューをプロデューサー兼タレント・スカウターとして起用した。その最大の功績が、ファッツ・ドミノという才能を見出し、育てたということだったのだ。バーソロミューとドミノは数多くの曲を共作しており、いわば実質的なコンビでもあった。

きょうの「Be My Guest」も、デイヴ・バーソロミュー楽団をバックに録音されたもの。ひじょうにノリのいいシャッフル・ビートにのせて、ドミノのちょっと鼻にかかったようなマイルドな歌声が聴ける。

とにかく陽性、これがドミノの身上。畢生のヒット「Blueberry Hill」をはじめとして「Ain't That A Shame」、「Walking To New Orleans」、「I'm Walkin'」、いずれにせよ、明るく陽気なドミノ・サウンドは、戦後アメリカの上昇的なムードを象徴したものといえそうだ。

60年代、すなわちテレビの時代に入ると、よりそれに適したビジュアルをもった若手歌手たちが人気を博すようになり、ドミノのかつてのスーパースター的人気は沈静化してしまうのだが、そのサウンドは、ニューオリンズR&Bのスタンダードとなり、ミーターズ、ドクター・ジョンといった多くの後続アーティストたちのお手本となっていく。

辺境でありながら、アメリカのポピュラー・ミュージックを60年以上にもわたって力強く牽引してきたニューオリンズ。まさに音楽の都であるが、その最大の王であったのが、このファッツ・ドミノ。

彼なしに、戦後のポップスは語れない。ぜひ、その力強く包容力あふれる歌声を味わってみてほしい。

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音曲日誌「一日一曲」#145 シャ・ナ・ナ「Blue Moon」(Grease Original Soundtrack/Polydor)

2023-08-24 05:00:00 | Weblog
2010年10月30日(土)

#145 シャ・ナ・ナ「Blue Moon」(Grease Original Soundtrack/Polydor)





サーバー移転前ラストの更新は、この一曲。コーラスグループ、シャ・ナ・ナによるスタンダードのカバー。ロジャーズ&ハートの作品。

不朽のスタンダードとして知られる「ブルー・ムーン」も実は人気曲となるまでには、いろいろといわく因縁があった。

もともとこの曲は、人気女優ジーン・ハーロウが主演する予定のMGM映画「Make Me A Star」の主題歌「The Prayer」として33年に書かれた。ところがハーロウはMGMともめて主役を降板、映画制作は頓挫してしまう。曲も当然、宙に浮いた状態となる。

翌年、この曲は別の映画「Manhattan Melodrama」(クラーク・ゲーブル、ウィリアム・パウエル主演)に使われることになる。最初は「It's Just A Kind Of Play」という題にして歌詞を書き直したものの、ボツ。再度「The Bad In Everyone」という題で書き直して、ようやく採用。しかし結局、映画中での扱いは、女優シャーリー・ロスがメロディをちょっと口ずさんでおしまい、というトホホな扱い。

しかし、捨てる神あれば拾う神あり。楽譜出版社を経営するジャック・ロビンスが「歌詞がよくないので、書き直してくれたら出版したい」と申し出て、曲は再度日の目を見ることになる。それがこの「Blue Moon」として知られる曲だった、というわけだ。

同年11月にグレン・グレイ楽団が演奏したバージョンが翌年大ヒット。以来、ベニー・グッドマンをはじめとする楽団や歌手が次々と競作して、数あるロジャーズ&ハート・ナンバーの中でも不動の人気を得るに至ったのである。

同じくスタンダード「Fly Me To The Moon」にも似たようなエピソードがあったと思うが、いろいろとタイトルや歌詞を変えて、ようやくひとつの完成形に至る、なんてことは結構あるものだね。

さて、この曲を70年代に活躍し、現在も活動を続けている大所帯グループ、シャ・ナ・ナがカバーしている。

懐かしの映画、ジョン・トラボルタ、オリビア・ニュートン・ジョン主演の「グリース」(1978)に彼らも出演、その歌声を聴かせるシーンがあるのだ。

この「ブルー・ムーン」、音だけ聴く限りでは、ひたすらロマンティック&ノスタルジックなサウンドなのだが、そこはやはりド派手なパフォーマンスをほこるシャ・ナ・ナだけあって、映画ではお笑い一歩手前(いや十分に踏み込んでいるか?)の演出を見せつけている。興味のあるかたは、ぜひ映画のほうもチェックされたし。

聴いてよし、観てさらにGOOD。いかにもアメリカ的なロックンロール・ショーを提供してくれるシャ・ナ・ナ。

お家芸のドゥ・ワップ、ロックンロールだけでなく、ありとあらゆるアメリカン・ミュージックを料理してリスナーを楽しませてくれるサービス精神。本場ものはやっぱり違いますな。

わが国のロックンローラー、キャロルやクールスも一目おいていたパフォーマンス、ぜひチェックしてみてくれ。

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音曲日誌「一日一曲」#144 シーファス&ウィギンズ「Trouble In Mind」(Homemade/Alligator Records)

2023-08-23 05:17:00 | Weblog
2010年10月22日(土)

#144 シーファス&ウィギンズ「Trouble In Mind」(Homemade/Alligator Records)





アコースティック・デュオ、シーファス&ウィギンズによる、カントリー・ブルース・スタンダードのカバー。リチャード・M・ジョーンズの作品。

シーファス&ウィギンズはギター、ボーカルのジョン・シーファス、ハープ、ボーカルのフィル・ウィギンズのコンビ。ともにワシントンDCの出身だが、シーファスが30年生まれ、ウィギンズが54年生まれと、親子ほど年が離れているのが、ちょっと珍しい。1970年代の後半に知り合い、ともにウィルバート・エリスのバンドに参加したこともあって、コンビを組むようになる。

都市部の出身ではあったが、バージニアや南北カロライナのミュージシャン、ブラインド・ボーイ・フラー、ゲイリー・デイヴィス師、サニー・テリーといった人たちから強い影響を受け、テリー&マギーをお手本にしたデュオ編成で、アコースティック楽器のみの素朴な音楽を追究するようになる。

デビューは84年、エビデンス・レーベルからの「Sweet Bitter Blues」。以来、精力的に活動を続けてきたが、惜しくも昨年シーファスが78才で亡くなり、デュオは終焉を迎えている。

きょうの一曲は、ビッグ・ビル・ブルーンジー、ライトニン・ホプキンス、テリー&マギーなど、カントリー・ブルース系のシンガーなら必ず一度は取り上げた名曲。ブルーンジーの「Key To The Highway」にも共通した曲想をもつ、8小節ブルースのスタンダードだ。

日本でも、憂歌団がこの曲に想を得て「嫌んなった」を作っているなど、その人気はひじょうに高い。

シーファス&ウィギンズ版では、シーファスがギターを弾きつつリード・ボーカルを取り、それにウィギンズがハープで合いの手を入れている。

ふたりのよどみなく端正な演奏、そして優しく味わいの深いシーファスの歌声。

音的にはごくごく正統派、でも都会に生まれながら、田舎を強く指向するシーファス&ウィギンズは、やはり新世代のブルース・デュオといえるだろう。

だいぶん前(2001年12月)、彼らがパークタワー・ブルース・フェスティバルに出演したとき、そのライブに触れることがあったが、そのなんの衒いもハッタリもないステージングに、いかにも音楽一筋に生きている、ジェントルでピュアなひとたちなんだなと感じた。

心の悩みをせつせつと歌うこのブルースに、聴くものはみな共感をもつのではないかな。必聴です。


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音曲日誌「一日一曲」#143 マウンテン「Hotel Happiness」(Man's World/Dream Catcher Records)

2023-08-22 05:16:00 | Weblog
2010年10月17日(日)

#143 マウンテン「Hotel Happiness」(Man's World/Dream Catcher Records)





70年のデビュー以来、現在も活動を続けるアメリカの代表的ハードロック・バンド、マウンテン、96年のアルバムより。レズリー・ウェスト、エディ・ブラックの共作。

マウンテンは、クリームの名プロデューサー、フェリックス・パッパラルディ(b)が、彼が見出したギタリスト、レズリー・ウェストとともに結成。当初のメンバーは、彼ら二人とスティーヴ・ナイト(kb)、コーキー・レイング(ds)の4人であった。

ハードロックをベースに、音楽的素養豊かなパッパラルディのアイデアをフルに駆使した、華麗なサウンドでまたたくまにブレイク。

一時はグランド・ファンクと並んでアメリカン・ロックを牽引するスター・バンドとして君臨したかに見えたが、バンドの双頭、パッパラルディとウェストの音楽的指向の違いから、活動に不協和音が生じるようになり、72年に解散。

その後、二人はそれぞれの道を歩むが、パッパラルディは83年、妻に射殺されており、一方、ウェストは、何度もマウンテンを再結成し、現在もその活動を続けている。なんとも対照的な末路ではある。

さて、今日の一曲は、96年、11年ぶりにレコーディングされたアルバムから。

メンバーは、ウェスト、レイング、そしてマーク・クラーク(b)。クラークはユーライア・ヒープ、コロシアムに在籍したこともある実力派。

この3人が生み出すビートは、実にタイトでヘビー。カッコいいの一言だ。

パッパラルディが仕切っていた第一期マウンテンは、ウェストにとって自由に好きなことを出来る環境とはいいがたかったが、パッパラルディが去った後は、実にのびのびとプレイしているように思える。

きょうの一曲もまた、ウェスト本来の「ブルース指向」がはっきりと感じられるナンバー。

その巨大な手がレスポールから軽くひねり出すように弾くブギのリフは、強力にして堅実このうえない。

そして、その熱くソウルフルなシャウトは、ウェストの目指す音楽をそのまま現わしている。

第一期マウンテンの名曲「アニマル・トレーナー」を彷彿とさせる、陽性でファンキーなチューン。

音楽的に特にひねりはないが、ストレートなパワーに満ち溢れている。

このアルバムを発表した頃、ウェストは持病の糖尿病のためげっそりと痩せてしまい、かつての巨漢とはまったく別のイメージになってしまっていた。

でも、太っていようが痩せていようがウェストはウェスト、そのハイテンションな声とギター・プレイが健在な限り、全然オッケーなのだ。

初期マウンテンのドラマチックなサウンドも捨て難いが、ウェストの本来の持ち味は、やはりブルースにあり。コテコテの歌とギター、楽しんで欲しい。


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音曲日誌「一日一曲」#142 チャンピオン・ジャック・デュプリー「Frankie & Johnny」(Blues from the Gutter/Atlantic)

2023-08-21 05:00:00 | Weblog
2010年10月9日(土)

#142 チャンピオン・ジャック・デュプリー「Frankie & Johnny」(Blues from the Gutter/Atlantic)





ニューオリンズ出身のブルースマン、チャンピオン・ジャック・デュプリーのアトランティック時代の録音より。トラディショナル。

デュプリーは1909年生まれ。幼い頃孤児となり、孤児院に入れられる。10代半ばにそこを出て、ピアノを覚え、プロのピアノ弾きとなる。

だが時代は大恐慌を迎え、不況のためその職では食えず、シカゴに移ってプロボクサーとなり、10年間活躍。つまりこのキャリアが「チャンピオン」というニックネームの由来なのだ。

ボクサー引退後、初レコーディング。特徴のある、半ば酔っぱらったようなラフな歌いぶり、ニューオリンズ・スタイルのピアノ・プレイで注目される。当時の代表曲は「ジャンカー・ブルース」。

兵役後ニューヨークに移り、いくつかのレーベルにて録音。しかし58年アトランティックで録音したのを最後に、60年代以降は、ヨーロッパへ活動の拠点を移してしまう。

きょうの一曲「Frankie & Johnny」は渡欧前に録音されたもので、白人・黒人を問わずアメリカの国民的歌手とよばれるようなアーティストなら誰もが歌っていたトラディショナルだ。ルイ・アームストロングをはじめとして、ビッグ・ビル・ブルーンジー、サム・クック、ブルック・ベントン、ジョニー・キャッシュ、エース・キャノン、マービン・ゲイ、エルビス・プレスリー、ハンク・スノウ、ジミー・ロジャーズ(白人)、ジーン・ヴィンセント、ドク・ワトスン、メイ・ウェスト、レイ・チャールズ、スティービー・ワンダーといった歌い手たちがレコーディングしており、もちろん、エリントン、ベイシーほかによる、インストものも数限りなくある。アメリカ人なら誰もが知っている愛唱歌、そんなイメージだ。

デュプリー版は、いかにも彼らしいパーカッシブなピアノと、天衣無縫なボーカルを聴くことが出来る。これにゆるい感じのサックスが加わり、この曲のもつ脳天気な雰囲気をいっそう盛り上げている。

デュプリーの滞欧は実に30年に及び、その間、膨大なレコーディングを行っている。ようやく故郷のニューオーリンズに戻ったのは90年であった。

以降、92年1月に亡くなるまでの短い期間を、レコーディングやコンサート出演に追われるようにして、忙しく過ごしたという。傘寿にして人生最大のハイライトを迎えたってわけだ。見事なフィナーレである。

デュプリーの生み出したブルースは、出身地がニューオリンズなだけに、とても陽性で賑やかなものである。その個性的な歌や演奏は、ファッツ・ドミノ、プロフェッサー・ロングヘアにさえ影響を与えたという。

上手い下手というよりは「味わい」で勝負するのがブルースという音楽。ニューオリンズが生んだ唯一無二のチャンプ、デュプリーの鋭いアッパーカットを、ぜひ味わってみてくれ。


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音曲日誌「一日一曲」#141 GRANRODEO「We wanna R&R SHOW」(GloryHeaven)

2023-08-20 05:22:00 | Weblog
2010年10月3日(日)

#141 GRANRODEO「We wanna R&R SHOW」(GloryHeaven)





今年4月にリリースされた、GRANRODEO(グランロデオ)の13枚目のシングル。メンバーである谷山紀章、飯塚昌明の合作。

GRANRODEOといってもピンと来る人はまだあまり多くないだろうが、2005年デビュー、すでに14枚のシングル、3枚のアルバムを出している。もはや中堅といってもいい。

本職は声優である谷山紀章がボーカル、アニメの音楽担当であった飯塚昌明がギター。このふたりのユニットに、サポートメンバーを加えたプロジェクト、それがGRANRODEOというわけだ。

本来はお遊びチックな試みだったろうが、それが5年も継続し、なんと今年の5月には、男性声優としては初めて、日本武道館のステージに立った。これも、ふたりの豊かな才能、そして音楽への情熱あってこそのことだろう。

とにかく、谷山の歌は声優の中では群を抜いてうまい。いや、プロのシンガー全体から見てもなかなかのものだ。

まずは、きょうの一曲を聴いていただこう。これには、ある程度の年齢のリスナーなら思わずニヤリとしてしまうような、遊び心が満載である。

彼らのヒーロー的存在である、ハードロック・バンドへのオマージュ。たとえば、クイーン、キッス、Tレックスあたりのサワリがそこかしこにちりばめられている。

もちろん、そういうギミックだけでなく、曲が実にロックンロールの本質をとらえているのだ。言葉とリズム、このふたつが完全に融合した「神」のような曲。日本の多くのロックバンドの水準を軽く越え、本場英米のロックに迫るレベル。

サザン、B'Zといった人気バンド、ユニットにだって負けない、確かなロックへのセンス。

それがこの曲で見事に開花したと思う。

ノンタイアップというハンデをものともせず、オリコンで18位をとったという。まさに二人のロック魂の証(あかし)といえる。

セールス枚数だけが名曲の証明ではない。本物の音楽だけを感じとれる「耳」をもつリスナーに評価されること。これもまた名曲の証明だ。

飯塚のメロディメイカー&サウンドクリエイターとしてのセンス、谷山の類い稀なる表現力。この2枚のカードが揃ったGRANRODEOは無敵のユニットだと筆者は思っている。今後も、ハイレベルな仕事を見せてくれるに違いない。要チェック、ですぞ。


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音曲日誌「一日一曲」#140 バッド・カンパニー「Young Blood」(Run with the Pack/Swan Song)

2023-08-19 06:33:00 | Weblog
2010年9月25日(土)

#140 バッド・カンパニー「Young Blood」(Run with the Pack/Swan Song)





バッド・カンパニー、76年リリースのサード・アルバムより。リーバー、ストーラー、ポーマスの共作。

バドカンは73年の結成以来、何度かの休止期をはさみながらも、いまだに活動を継続している息の長いイギリスのバンド。

とはいえ、全盛期はやはり、第一期といわれる73年~82年、ポール・ロジャースが脱退するまでの約10年だろうな。

レッド・ツェッペリンを擁するレーベル、スワン・ソングよりデビュー。メンバー4人ともすでにプロとして十分なキャリアをもっていただけに、いきなりトップ・バンドの座へと躍り出た。

イギリス出身のバンドながら、ブルース、R&Bを主軸とするアメリカン・ミュージックを強く意識したそのサウンドで、本国よりむしろアメリカでブレイク。ZEPに続いて、70年代ロックの覇者となったのである。

とまあ教科書的な知識はこのへんにしておいて、バドカンの魅力、そしてブレイクの秘密はやはりポール・ロジャースの歌だと思う、なんといっても。

その男くさい容姿に負けず劣らず、男くさ~い歌声。いわば声のマッチョ。これが、エルビス以来線の太いソロ・シンガーを求め続けてきたアメリカのリスナーに、大ウケしたといっていい。

きょう聴いていただく「Young Blood」は、もともと57年に黒人ドゥワップ・グループのザ・コースターズがヒットさせたナンバー。

ロックンロールのソングライターとして最も成功した二人、リーバー=ストーラーのコンビに、モート・シューマンとのコンビで数々の名曲をものしたドク・ポーマスが加わって書かれた。この3人で作れば、ハズレなんてありえない。いわば、最強のR&Bチューン。

その名曲を約20年ぶりに甦らせたバドカン・バージョンは、とにかくノーギミック、ストレートなバンドサウンドに、コースターズよりさらに男くささ50%増量のボーカルが乗り、完璧な出来ばえ。

これを聴いて体中の血が騒がないようなヤツは、若者にあらず。こう断言して間違いない。

バドカンではあまり使われないピアノが、この曲では非常に重要なアクセントになっている。タイトなリズムを見事にキープし、かつヤマ場を作り出しているのだ。永久不滅のロックンロール・サウンドとは、まさにこれ也。

先日も当欄で書いたことだが、ロックンロールとは、軽くてしかも重い音楽。バドカンはそれをパーフェクトに体現している。

曲よし、パフォーマンスよし。20世紀の音楽資産として末永く聴き続けてほしい、そんな一曲であります。

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音曲日誌「一日一曲」#139 シカゴ「25 or 6 to 4」(Chicago II/Columbia)

2023-08-18 05:04:00 | Weblog
2010年9月18日(土)

#139 シカゴ「25 or 6 to 4」(Chicago II/Columbia)





ブラスロックの大御所グループ、シカゴ、70年リリースのシングル。メンバーの一人、ロバート・ラムの作品。

これを聴いて「懐かしい!」と思わない50代の人間はそういるまい。シカゴの日本での出世作ともいえる大ヒット、「長い夜」である。アメリカ本国では70年6月にリリースされ、ビルボード4位のスマッシュ・ヒット。日本でヒットしたのは翌年に入ってからぐらいだったか。

いま、約40年ぶりに聴いてみると、実に新鮮なサウンドだ。いまどき、こういうサウンド・プロダクションをするロックバンドなんて絶対にないだろうと思うくらい、ユニークだ。

いきなり、ギター、ベースのみのシンプルかつ重厚なリフで始まるんだが、当時はこれがやけに衝撃的だった。ストーンズの「ブラウン・シュガー」に匹敵する、インパクトあるイントロだった。シカゴのシの字も知らなかったリスナーも、このイントロで一気にやられた。

キーボーディストであるラムが作った曲なのに、彼が歌うでもなく、キーボードが表に出てくるわけでもない、といった点も、いま考えてみればスゴいことに思える。ラムはこの曲においては、完全にバンド内プロデューサーに徹していたのだ。

この曲における主役はふたり。一人はいうまでもなく、リード・ボーカルをとったピート(あるいはピーター)・セテラ。彼の特徴ある甲高い声は、この曲や「Make Me Smile」あたりの曲により、シカゴの表看板として認知された。どちらかといえばポップとはいいがたい曲調のこの曲をヒットたらしめたのは、セテラの抜群の歌唱力によるところ大だろう。

もう一人の主役はリード・ギタリスト、テリー・キャス。愛器テレキャスターのソリッドな音がいかにも印象的だ。2分53秒のシングル・エディットではソロの大部分がカットされているが、4分50秒のアルバム・バージョンでは、ワウ・ペダルをフルに駆使して延々と弾きまくっている。

ワウ・ペダルというものも、まだあまり一般リスナーに認知されていなかったころなのだが、これがまたインパクト大だった。

当時中学生だった自分とそのクラスメート周辺では、キャスの超速弾き(いまなら、このくらい当たり前の速度になってしまっているが)を真似してみたり、挫折したり、みたいなヤツが結構いたような。まあ、なんとも牧歌的な時代だったのだ。

そんな、われわれAround Fiftyにとってみてはさまざまな思い出がリンクした名曲、リアルタイムで聴いたことなんかねーよ、とおっしゃるお若い方も、もう一度じっくり聴いてみてはいかが。

いろんな発見があって、実に興味深いのですよ。

母屋はこちらです。


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音曲日誌「一日一曲」#138 ザ・ホームズ・ブラザーズ「Speaking in Tongues」(Speaking in Tongues/Alligator)

2023-08-17 05:00:00 | Weblog
2010年9月12日(日)

#138 ザ・ホームズ・ブラザーズ「Speaking in Tongues」(Speaking in Tongues/Alligator)





ザ・ホームズ・ブラザーズ、2001年アリゲーター・レーベル移籍第一弾のアルバムより、タイトル曲を。シャーマン&ウェンデルのホームズ兄弟の作品。

ホームズ・ブラザーズ(ホルムズと表記されることも多い)は80年ニューヨークにてホームズ兄弟、そしてポプシー・ディクスンの3人により結成。以来、現在に至るまで30年間、不動のメンバーで活動し続けている。

シャーマンが今年71才、ウェンデルが67才、ポプシーが68才と、現役黒人バンドの中でも相当高齢の部類に入るが、そのパワーはいまだに衰えていない。

CDデビューは90年。ラウンダーで4枚、アリゲーターで4枚のアルバムを出している。最新作は今年リリースの「Feed My Soul」。

もともと彼らはゴスペル畑の出身で、レパートリーもゴスペル調の曲が多いのだが、ブルースも同じくらい好きなようで、ライブステージでもゴスペルとブルースが交互に演奏されたりして、かなーり異色のバンドといえる。

で、歌が基本のゴスペル系だけあって、非常に達者なボーカルを聴かせてくれるのが、彼らの魅力。ギター/キーボードのウェンデルを中心に、他のふたりもコーラスだけでなく曲によってはリードもとるなど、歌がきわめて充実しているのである。とりわけポプシーのファルセット・ボイス、これまたバンドのチャーム・ポイントといえる。

きょうの一曲は、ソウルな味わいのアップテンポ・ナンバー。ゴスペルやブルースといったルーツ・ミュージックを土台に、ロックなどのコンテンポラリーな音楽のセンスも取り入れた音作りが見られる。

レコーディング当時の彼らの平均年齢は、57.7才といったところか。とてもそうは思えない、実に若々しくタイトでパワフルな音である。

最新作ではビートルズの「I'll Be Back」もカバーしている、ホームズ・ブラザーズ。何才になったって、ロックンロールは出来る。「Too Old to Rock'n'Roll」なんてことはないと、これを聴いて確信できる。

たった3人で、これだけの歌と演奏をこなすバンドなんて、他にはそう見当たらない。ネヴィル・ブラザーズと並ぶベテラン黒人バンドとして、今後も精力的に作品を世に出し続けてほしいもんだ。

母屋はこちらです。

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