NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音盤日誌「一日一枚」#290 エリック・クラプトン「PILGRIM」(REPRISE 9362-46577-2)

2022-08-31 05:50:00 | Weblog

2005年10月19日(水)



#290 エリック・クラプトン「PILGRIM」(REPRISE 9362-46577-2)

エリック・クラプトン、98年のアルバム。ロンドン録音。クラプトン、サイモン・クライミーの共同プロデュース。

正直いってよくわからないアルバム。聴いてて、クラプトンが何をやりたかったのか、まるでわからんのである。

ほとんどのトラックは、ドラムが打ち込み。ECバンドのドラマー、スティーヴ・ガッドは3曲で叩いているに過ぎない。

基本的に打ち込みサウンドを好まない筆者としては、まずこれでダメなのだ。ドラムは生に限る、そう思ってますから。

曲のほうも、どうもピンとこない。ひとことでいえば、冗長で起伏に乏しい、要するにぬるい感じの曲が多いのだ。「RIVER OF TEARS」「BROKEN HEARTED」「ONE CHANCE」みたいな。

ECのヴォーカル中心のアルバムを作ろうとしたと見えて、彼のギターはあまりというか、ほとんど活躍しない。いくつかの曲でソロはとっているが、とりたてて印象的なプレイは聴かれない。

代わりに、プロデューサーでもあるサイモン・クライミーのキーボードが主導権をとっている。そのため、ギター主体のガッツのある音はまるで聴けない。なんか、映画のサウンドトラックを延々と聴かされているような感じ。

これをECの音楽の「成熟」と見るべきかどうか。正直、よくわかりません。

ま、確実に過去のよりも「つまんない」音楽になってしまったのは、間違いないですな。

とはいえ、アラ捜しばかりしても仕方ないので、聴きどころも探してみようか。

うちのサイト的にはセントルイス・ジミーのカバー、「ゴーイング・ダウン・スロー」がまず目につきますな。

EC版は、ドラムが打ち込み、バックにストリングスが入った、いまどき風AORなサウンド。原曲のブルース臭は見事に消されて、ソフィスティケイトされたものになっている。

これはこれで面白いアレンジだとは思うが、なんか肩すかしを食らった感もいなめない。全然、ブルースじゃないんだもん。

あと、もう一曲、カバーをやっている。ボブ・ディランの「ボーン・イン・タイム」である。

これもディランにはできないようなことを特にやっているわけでもなく、フツーにソツなく歌っているだけなんで、あまり面白くない。

唯一ブルースっぽい曲といえば、ラウドなギター・サウンドを前面に押し出し、シャウトもきまっている「SICK & TIRED」。ここでようやく本来のクラプトンらしさを取り戻した感じ。できれば、ドラムスは生にして欲しかったが。

「SHE'S GONE」 もギター・サウンドを少し強調しているのだが、歌に入ると途端にギタ-が引っ込んでしまっているので、いまひとつだな。

結論。やっぱ、クラプトンはギターを持たせて、ガンガン弾かせないとダメ。歌だけ歌わせてちゃ、聴いててつまらない。そしてもちろん、ブルースを歌わせないと。

彼は、フツーのポップ・シンガーになる必要なんかないと思う。クラプトンは、ステージでブルースを歌ってりゃ、それだけで十分カッコいいんだから。

この一枚、「大人の音楽」を目指して、見事にコケたってとこかな。もちろん、彼のアルバムだから、一定水準はちゃんとキープしてるけど、「キック」がまるで感じられないのは残念であります。

余談でありますが、本盤にまつわる豆知識をひとつ。

これまでのECのジャケットとは明らかに趣の異なる、幻想的な雰囲気のジャケット・イラストを描いたのは、わが日本が誇るアニメーターにして漫画家、貞本義行。

「新世紀エヴァンゲリオン」のキャラデザインを担当した、あの人である。

なんとECからの直々の希望により、このジャケットが生まれたという。

クラプトンも意外なところで日本のクリエイターに注目していたのだな。唯一感心したポイントてあります、ハイ。

<独断評価>★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#289 ドクター・ジョン「AFTERGLOW」(BLUE THUMB BTD-7000)

2022-08-30 05:00:00 | Weblog

2005年10月17日(月)



#289 ドクター・ジョン「AFTERGLOW」(BLUE THUMB BTD-7000)

ドクター・ジョンといえば、アルバム「GUMBO」に代表されるようなニューオーリンズ・サウンドのひとであるが、彼はまたジャズのひとでもある。これは彼のもうひとつの顔を知ることのできる、ピュア・ジャズな一枚。95年リリース。

コンテンポラリ-なジャズの宝庫、GRPレーベルの社長でもある、トミー・ラピューマがプロデュースしている。

当然、バックをかためるミュ-ジシャンたちも豪華だ。ベースにレイ・ブラウン、ジョン・クレイトン、ドラムスにジェフ・ハミルトン、ギターにフィル・アップチャーチと、巧者ぞろい。寸分の隙もないサウンドを繰り広げてくれる。

でも、筆者的に気に入っているのは、その選曲だな。とにかく、ゴキゲンのひとこと。

おなじみの「ジー・ベイビー・エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー」をはじめとして、「アイム・ジャスト・ア・ラッキー・ソー・アンド・ソー」「ブルー・スカイ」「ソー・ロング」などなど、粋なナンバーが目白押し。

ホーンやストリングスも配した、リッチなサウンドに、ドクター・ジョンのあの塩辛声が乗っかると、まさに大人のムード。

いったん彼の歌を聴いてしまうと、若手ジャズ・シンガー、たとえばハリー・コニック・ジュニアの声なんか甘ったるく思えてしまう。人生の酸いも甘いもかみわけた男だけが表現できる、辛口(ドライ)な世界が、そこにある。

もちろん、歌だけでなく、ピアノの演奏もパーフェクト。鍵盤の上を自在に転がる、ドクター・ジョンの指は、文字通りマジック・フィンガーズ。

極上のウィスキー、あるいはキリキリに冷えたマティーニと一緒に、ぜひどうぞ。

<独断評価>★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#288 大沢誉志幸「CONFUSION」(EPIC/SONY 28・6H-112)

2022-08-29 05:09:00 | Weblog

2005年10月16日(日)



#288 大沢誉志幸「CONFUSION」(EPIC/SONY 28・6H-112)

大沢誉志幸のサード・アルバム。84年リリース。木崎賢司ほかによるプロデュース。

大沢誉志幸はバンド「クラウディ・スカイ」を経て83年ソロ・デビュー、翌年「その気×××」「そして僕は、途方に暮れる」の連続ヒットで一躍メジャーとなる。本盤はいわば彼の出世作にあたる。

99年にいったん音楽活動を停止したものの、2003年に復活、アルバム「Y」を発表。現在は再び開店休業状態にある大沢だが、改めて聴いてみると、そのスケールの大きい才能には感服を禁じ得ない。

個性的な歌声だけでなく、器楽演奏にもたけており(見たことのあるひとには納得いただけると思うが、彼のステージでのギター・プレイはなかなかのもの)、もちろん作曲能力もハンパでなく、さらには容姿にも恵まれ、歌う姿が実に格好よろしい。天は彼に二物、三物を与えているのだ。

これに匹敵するくらいカードを持っているのは、後に出てくる桜井和寿くらいのものか。

当アルバムはデビュー以来の付き合いである敏腕アレンジャー、故大村雅朗の全面サポートにより、さまざまなサウンドが展開されている。アバンギャルドなロックもあれば、ファンク路線もあり、さらにはエレクロニカなポップもある。松田聖子のアレンジャーとして有名だった大村にも、こういう多面体的な表現力があったのだと、つくづく思い知らされる。

このアルバム以後、彼の15年にわたる活躍が続くのだが、いま思えば、世間的には彼のユニークな音楽世界を十分に理解したとは思えないふしがある。

「その気×××」も、また「そして僕は、途方に暮れる」もタイアップがらみでなんとかヒットしたという感じだったし、彼のヴィジュアル的な魅力が人気を後押ししていたのも事実だ。

R&Bをはじめとするブラック・ミュージックをベースにした、彼の独自な音楽性が、CCBやらイモ金トリオやら一世風靡セピアやらが流行っていた当時の日本に、真に理解されていたとは思えない。

一般大衆は結局、マスメディアで「露出」の多いものしか、選ばない。地道に草の根的活動を続けていても、なかなかスポットライトは当たらない。

一時期でもメジャーになっただけ、まだ大沢はラッキーなクチなのかもしれないが、いまや「あのひとはいま」的な切り口でしか語られることがないのは、いかにも悔しい。今年で48才、でも彼ならまだまだやれるはず。

その卓越したソングライティング力を、もう一度世間に見せつけてほしい。彼の同年代の人間のひとりとして、大いに期待している。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#287 ボビー・ブランド「THE BEST OF BOBBY BLAND」(MCA MCAD-31219)

2022-08-28 05:00:00 | Weblog

2005年10月15日(土)



#287 ボビー・ブランド「THE BEST OF BOBBY BLAND」(MCA MCAD-31219)

ええっと、きょうから新フォーマットに変えてみます。これまでの長文評スタイルから、寸評形式になります。うんと短くなるかわり、「一日一枚」を名実ともに実現したいと思っています。乞うご愛読。

新生「一日一枚」の第一回はこれ。ボビー”ブルー”ブランドのMCAにおけるベスト盤。74年リリース。

ぶっちゃけた話、ボビー・ブランドほど、日本で過小評価されている黒人シンガーはいないと思う。いや、本国アメリカにおいてだって。

やはり、あのブタ松親分みたいな容貌のせいなんだろうな。彼がもしサム・クックみたいなイケメンだったら、絶対天下をとっていたに違いない。それくらい、彼の歌唱はパーフェクトである。

しかし実際は、クックとかオーティス・レディングに比べると、ブランドの人気はきわめてジミだ。世間というのは、なんとも残酷なものだなぁ。

だが、ホンモノの音楽を好むひとなら、見てくれにこだわらず、虚心にブランドの音盤を聴いてほしい。

これぞソウル、これぞブラック・ミュージックの粋って歌がぎっしりつまってるから。

本盤はどの曲を聴いてもハズれがないけど、特におすすめは「I SMELL TROUBLE」「I PITY THE FOOL」「FARTHER UP THE ROAD」「STORMY MONDAY」といったあたりかな。鳥肌がたつようなスリルが味わえまっせ。

<独断評価>★★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#286 スティーリー・ダン「two against nature」(GIANT/BMGファンハウス BVCG-21003)

2022-08-27 05:00:00 | Weblog

2005年10月9日(日)



#286 スティーリー・ダン「two against nature」(GIANT/BMGファンハウス BVCG-21003)

スティーリー・ダン、2000年リリースのアルバム。彼らによるプロデュース。

出す作品、出す作品がファンの期待を裏切ることがない、つまり高いクォリティを常に維持できるという意味において、スティーリー・ダンは稀有なユニットといえるだろう。曲、ヴォーカル、サウンド、いずれをとっても手抜きというものが全くない。

サウンドだけをとってみれば、スティーリー・ダンと同様の、質の高い演奏を聴かせるフュージョン系、あるいはジャズ系ミュージシャン、グループは少なからずいる。

だが、ヴォーカルも含めてとなると、そうはいかない。というか、他に誰もいない。スティーリー・ダンのユニークさはまさにその一点、インストではなく「歌もの」が基本である、というところに集約されるのだと思う。

ドナルド・フェイゲンのあの独自の「声」抜きには、スティーリー・ダンのサウンドは成立しない。

一般に「歌もの」の曲は、メロディがいかに美しいか、印象に残るか、ということが大切なのだが、彼らにおいては、もはやそれさえ余り重要なことではなく、フェイゲンの声という「楽器」がどのようなトーンで曲を奏でるかが一番ポイントになっている。「エイジャ」のころにはまだあったポップさも、影を潜めている。

言い直せば、一曲一曲に大した違いなどなくて、ほぼ金太郎飴状態。起承転結みたいな構成はまったくない。

もし、メリハリのようなものがあるとすればリリック、つまり歌詞面においてであろうが、残念ながら英語ネイティブではない筆者には、そのへんの批評・評価はうまくできない。スマソ。

ある意味相当ワンパターン。にもかかわらず、音の質はおそろしく高い。

ツアーのバックバンドを母体に、有名ミュージシャンのゲスト(ヒュー・マクラッケン、ポール・ジャクスンJRほか)も加えたバックは、ジャズ、フュージョン、ファンク、ラテン等々、どのようなスタイルの演奏もソツなくこなす集団。

この助っ人たちの好サポートを得て、おなじみの成熟した精緻なサウンドが展開する。

あまりに成熟し過ぎているためか、いまどきの若いひとたちにはピンと来ないかもしれないが、すぐれた音楽とはこういうものだよと、おせっかいながら彼らにこそ聴かせたいサウンドだ。

まずはオープニング・チューン「ガスライティング・アビー」から聴いてみるべし。流行りのヒップ・ホップなんかより百倍ヒップな音楽が、そこにはあるぜ。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#285 サラ・ブライトマン「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」(Angel/東芝EMI TOCP-50399)

2022-08-26 05:00:00 | Weblog

2005年10月2日(日)



#285 サラ・ブライトマン「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」(Angel/東芝EMI TOCP-50399)

サラ・ブライトマンのアルバム、97年リリース。14曲中11曲でロンドン交響楽団と共演。

サラといえば、現在「世界一の美声」と称される、ソプラノ・シンガー。日頃ヨゴレ系の音楽ばかり聴いている筆者も、たまにはこういうピュアのきわみ、みたいな音も聴くんである。

サラは62年英国生まれ(60年説もあり)。19才のとき、ミュージカル「キャッツ」のキャストとして選ばれ、作者のアンドリュ-・ロイド・ウェーバーに認められたのがきっかけで、一躍世界的なシンガーへ。プライベートでもウェーバーと結婚、その後離婚に至るも、彼の曲を歌い続けるなど、ウェーバーの絶大なる後押しにより、当代随一のプリマドンナへとのぼりつめて行く。

サラはいまどきの女性だけに、また十代の頃ポップ・ユニット「パンズ・ピープル」に加わって活動していたこともあって、ミュージカル、オペラ系の楽曲だけでなく、ポピュラー・ソングも大いに歌いこなす。実際、コンサートでも、半分はポップ系の選曲である。

本盤は、そんな彼女の得意とするクラシック、ポピュラー両分野のレパートリーを集めた、ショーケース的な一枚といえよう。

目玉はもちろん、タイトル・チューンの「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」。97年、シングルとしてリリースされ、全欧でヒットしている。

クワラントット=サルトーリ=ピーターソンによる作品。イタリア出身の盲目の男性歌手、アンドレア・ボチェッリとのデュエット。富士重工の「スバル ランカスター」のCM曲にも使われていたので、ご存じのかたもいらっしゃるかと思う。

とにかく、サラの純度120%のソプラノは、脳を直撃する究極の美声だ。一度聴いたら、絶対忘れられない。ほとんど「くせ」というものがなく、あまりに澄み過ぎていて、録音することも非常に難しそうな声である。

他の曲も、なかなかバラエティに富んだ選曲だ。映画「オーメン」「チャイナタウン」などの音楽担当で知られるジェリー・ゴールドスミスの「ノーワン・ライク・ユー」、ジプシー・キングスの「テ・キエレス・ボルベール」、「ブリジット・ジョーンズの日記」の音楽担当のパトリック・ドイル、フランシス・レイの「ビリティス~愛の妖精」などなど、英米仏、スペイン、イタリアなどさまざまな国の楽曲を取り上げている。

ロック・ファンにも「おっ」と思わせるのは、クイーンの「リヴ・フォー・エヴァー」も歌っていることかな(作曲はブライアン・メイ)。もちろん、サラがロンドン交響楽団を従えて歌えば、しっとりとした静謐な雰囲気が満ちあふれ、フレディ・マーキュリーの歌とはまた違った世界になる。必聴です。

かと思うと、バリバリのクラシックな楽曲でも、その実力を最大限に発揮しているのがサラ。

たとえば、イタリアの作曲家、カタラーニ作のオペラ「ワリー」中のアリア、「さようなら、ふるさとの家よ」。

不遇の作曲家、カタラー二のこの作品が本盤で取り上げられたのには、もちろん理由がある。

ジャン=ジャック・ベネックス監督の仏映画「ディーバ」(81年)で、黒人オペラ歌手シンシア・ホーキンス役をつとめたウィルヘルメニア・ウィギンズ・フェルナンデス が、この佳曲を冒頭で披露し、カタラー二の名を一躍高めたのである。

サラもウィルヘルメニアの名唱 に負けじと、最高のコロラチュラ・ソプラノを聴かせてくれる。ふたりを比較するのは野暮なことだが、あえて比べていえば、超高音部での「純度」の高さにおいて、サラのほうがよりピュアであるような気がする。いい意味で「線が細い」のである。

「ナトゥラレーサ・ムエルタ」はスペインのホセ・マリア・カーノ作、彼が率いるグループ「メカーノ」のヒット曲。ゆったりしたテンポのバラード・ナンバーだ。

童女のようなイノセンスを、サラはその癒しに満ちた歌声で見事に表現している。個人的には、クラシック歌手的な歌いかたより、こういうくだけた歌いぶりにこそ、サラの魅力はあるような気もする。

「恋のアランフェス」は、ナナ・ムスクーリ、ジム・ホールなど、歌でもインストでも実に多くのアーティストがカバーしてきた、ロドリーゴの名曲。

サラもまた、おなじみの哀愁に満ちたメロディを、ソフトにロマンティックに歌い上げてくれる。

珍しいところではドイツの作曲家、カール・オルフの作品も登場。37年初演の舞台音楽「カルミナ・ブラーナ」より「ゆれ動く、わが心」を。

この曲での堂々たる歌いぶりには、貫禄さえ感じてしまう。

最後に、アンコール・トラックが2曲。いずれもライブ録音。

「私のお父さん」はプッチー二のオペラ「ジャン二・スキッキ」中のアリア。

この曲も、テレビ東京の美術番組「美の巨人たち」のEDテーマで使われているので(ただし、歌はサラでなく鈴木慶江)、クラシックに興味のないひとでも、ちょっと聴けばすぐわかると思う。

オペラ・ファンなら何度、いや何百回となく聴いたであろうそのメロディを、明るく、そう、まさにその名通りにブライトに歌い上げるサラ。文句のつけようのない、パーフェクトな歌唱。

ラストはモーツァルトの「アレルヤ」。教会音楽「モテット:エクスルターテ・イウビラーテ」から、誰もが一度は聴いたことがあるはずの、あの旋律を。

サラのバランスよい伸びやかな発声を聴いていると、こちらまで穏やかな気持ちになれます、ハイ。

ミュージカル女優、あるいはオペラ歌手の枠などとっくに踏み出して、ありとあらゆるジャンルの楽曲に挑戦しているサラ・ブライトマン。その実績は既に相当なものがある。

でも、いつまでたっても大物然とせず、体型面もふくめて、華奢でかわいらしい雰囲気を保っているのが、彼女のよさである。

可憐さをいつまでも失わず、伝説の妖精サイレンのように、そのソプラノでわれわれを魅了し続けてほしいものだ。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#284 ジミー・ペイジ「OUTRIDER」(GEFFEN UK:WX155 924 188-1)

2022-08-25 05:00:00 | Weblog

2005年9月25日(日)



#284 ジミー・ペイジ「OUTRIDER」(GEFFEN UK:WX155 924 188-1)

ジミー・ペイジのソロ・アルバム、88年リリース。彼自身のプロデュース。英国コッカムにての録音。

80年のZEP活動停止後は、映画「ロサンゼルス」のサウンドトラックを除けば、目立ったソロ・ワークのなかったペイジの、実質的なファースト・ソロ・アルバム。

ソロといってもペイジのこと、もちろん歌は他のヴォーカリストを招いて録っているのだが、今回はいずれも40年代生まれのベテラン・シンガーたち、ジョン・マイルズ(ジョン・マイルズ・バンド)、クリス・ファーロウ、そしてペイジの盟友、ロバート・プラントの三人をフィーチャーしている。

のっけから始まるへヴィーなギター・リフ、ミディアム・スローなビート、高音のシャウトがカッコよいのが「WASTING MY TIME」。ペイジと、ヴォーカルのジョン・マイルズの共作。

ジョン・マイルズの声は、ある意味、ZEP時代のプラントにも通じるシャープネスを感じさせて、なかなかいい。事実、ペイジはこの年、マイルズを擁したバンドでライブも行ったりしているので、相当彼のことを気に入っていたのだろう。

続く「WANNA MAKELOVE」もマイルズとのコラボレート・ナンバー。ミディアム・テンポで、重心が低く、アクセントのはっきりしたビート。

どことなくかつてのバンド、ザ・ファームに似たサウンドだ。ストリングベンダーとか使ってるし。

ドラムスは一曲目同様、この後ZEP再結成時にも参加した、ボンゾ・ジュニアことジェイスン・ボーナム。彼は父親ほどダイナミックでも、パワフルでもないのだが、オーソドックスにまとまったプレイを聴かせてくれる。

この曲でも、延々と繰り返される、重厚なギター・リフが印象的。「響き」がなんともよい。ペイジってほんと、リフ作りの名人だなと思う。イマイチなソロをとるよりは、ずっとリフだけを弾いていて欲しいくらい(笑)。

「WRITES OF WINTER」はインストゥルメンタル・ナンバー。ペイジのオリジナル。パーソネルは、ベースのダーバン・ラバード、そしてボーナム。

曲調はアップ・テンポに変わる。メロよりもリズム中心、映画のサントラふうといいますか、「ロサンゼルス」の延長線上にある音ですな。

ストリングスベンダーをはじめとする、多重録音。各種ギターによるさまざまなサウンドの試み、そんな感じである。

「THE ONLY ONE」は、アルバム中唯一、ロバート・プラントと共演したナンバー。

いってみれば本盤の「目玉」なのだが、もしあなたがパーシー・ファンで、この一曲だけのために本作を買おうかなと考えているとしたら、それはちょっとやめたほうがいいかなという感じ。

というのは、歌にどうも往年のキレが感じられないのだ。ペープラの近作のときにも書いたことなのだが、80年代以降のプラントは、シンガーとしてはピークを過ぎてしまったように思う。ZEP全盛時に、喉を酷使し過ぎてしまったためだろうか。

このナンバーでもプラントは、微妙に音程を外しているふうだし、いまひとつ切れ味がない。よほどジョン・マイルズのほうが出来がいい。

とはいえ、サウンドはかつてのZEP、それも「プレゼンス」あたりの後期ZEPをほうふつとさせるアップ・テンポのビート。まあこのへんを楽しめばいいかな、と。

A面ラストの「LIQUID MERCURY」は再び、インスト・ナンバー。ペイジの作品。

この手の演奏オンリーものは、「音楽」として楽しむには、ちと食い足りないという感がある。映像のバックに流れているというのならともかく。

ソロ部分は、やはりペイジなんで、そんなに巧いとはいえないし(苦笑)、ギター・インストだけで何曲も続けられても、正直しんどい。

というわけで、全編をインストで通さず、適宜ヴォーカルを配していったプロデュース法は正解だったと思う。

後半のトップ、「HUMMINGBIRD」でクリス・ファーロウ登場。曲はレオン・ラッセルの作品。B・B・キングの歌でおなじみのナンバー。

ファーロウの歌は、同じ高音系でもマイルズともプラントともかなりちがって、むしろ「シブい」雰囲気がある。彼らの中では、最年長(40年生まれ)だけに年期を感じさせるというか、歌に説得力がありますな。

彼の場合、ベースにあるのは、ハードロックというよりは、ブルース、R&B。そのへんの差ともいえそう。バックの演奏も、その違いをうまく把握していて、変にへヴィーにならず、オーソドックスなものに徹している。

「EMERALD EYES」は、ふたたびインスト。ペイジの作品。歌心さえも感じられる、メロディアスなナンバー。

アコースティック・ギターの演奏をベースに、エレクトリック・ギター、そしてギター・シンセサイザーを融合させた、ギター・オーケストラともいえる奥行きのある音がいい。

ことに、ほとんど生のストリングスかと聴きまごう、ギター・シンセの成熟したサウンドには驚かされる。

新しいテクノロジーを、進んで自分の音楽に取り込み、今までにない音楽世界を創出しようというペイジの積極的な姿勢、これは大いに評価していいと思う。

「RRISON BLUES」は、ペイジ、ファーロウ共作によるブルース・ナンバー。

この曲では、ファーロウの歌、ペイジのギターは、ともにハジけまくっている。

シャウトしまくるファーロウに負けじと、「HEARTBREAKER」ばりのクレージーなソロを弾きまくるペイジ。サイコーです。エンディングまで、一発録りのスリルが堪能出来る一曲。

ラストの「BLUES ANTHEM」は、カントリー調のバラード。ペイジ、ファーロウの共作。

しみじみとした味わいのあるメロディ、郷愁感漂う、ギター・シンセのアレンジ。

いささかオーバー・アクション気味の歌いかたではあるが、ファーロウの歌声は心にしみるものがある。「IF I CANNOT HAVE YOUR LOVE...」の歌詞とともに。

以上、名盤とか、傑作とか、そういうのではまったくないけれど、すぐれたプロデューサーにして初めて生み出しえる世界が確かにそこにあるので、この一枚、けっこう好きです。

むしろ、このアルバムの買い手の大半をしめる、ZEPファン以外にこそ、聴いていただきたい一枚。

本盤を聴くたび、常にファンの期待に応えて、良質の音楽をプロデュースしていくこと、その大変さ、そして素晴らしさを強く感じるものであります。

<独断評価>★★★


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音盤日誌「一日一枚」#283 ムーヴィング・ハーツ「エンド・オブ・ザ・ストリ-ト」(ワーナー・パイオニア P-11365)

2022-08-24 05:00:00 | Weblog

2005年9月19日(月)



#283 ムーヴィング・ハーツ「エンド・オブ・ザ・ストリ-ト」(ワーナー・パイオニア P-11365)

アイルランドの7人組バンド、ムーヴィング・ハーツのセカンド・アルバム。82年リリース。グループのリ-ダー格にあたる、ドーナル・ムーニーのプロデュース。

アイルランドという国は、ヴァン・モリスンをはじめとして、ロリー・ギャラガー、オアシスなどユニークなロッカーたちを生み出してきたが、このムーヴィング・ハーツ(以下MH)はその中でも群を抜いて個性的な一団だ。

いかにも「ご当地バンド」の典型という感じ。ジャケ写を見るに、シブい面構えのおっさん及びおっさん予備軍が勢揃い。パッと見には、芸能人的な華やかさはみじんもないが、その音楽性はきわめて高い。

実際、地元での人気、評価は高く、81年にWEAアイルランドと契約し、全世界でデビュー、こうして日本にまで紹介されるに至ったのである。

もともとトラッド/フォーク系のバンドであった「ブランクシティ」を母体に結成されただけあって、MHも非常にフォーク色が濃厚だ。

アイルランドといえば、いつぞや本欄でも取り上げた「ザ・コミットメンツ」がどうしても思い起こされてしまうのだが、コミットメンツが映画中演奏していた、モーマン=ぺン・コンビ作の「ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリ-ト」をMHもまた、2曲目でカバーしている。

これを聴くに、ご本家アレサ・フランクリン的なソウル色はほとんど感じられず、後続のフライング・ブリトゥ・ブラザーズあたりの、白人フォーク・ロック系のアレンジに近い。かなりのスロー・テンポで、まったりとしたバラード。

キース・ドナルドの優しいサックス・ソロがいい。癒し系の音である。

ヴァン・モリスンやコミットメンツからくるイメージだと、アイルランド=黒人音楽全盛ということになってしまうのだが、もちろん、そんな単純なくくりかたは出来ない。

彼の地では、アイルランド固有の音楽がベースにあり、そこに外来のR&Bやロックやフォークやらが溶け込んで、独自の音世界が創出されているのだ。

さて、当アルバムは他にもオリジナル、カバーとりまぜて、個性的で魅力的な楽曲が揃っている。

トップの「想い出の戦士」は彼らと同じくアイルランド出身のシンガー、バリー・ムーアの作品。シンセのアレンジが鮮やかな、軽快なテンポのナンバー。彼らのコーラスが美しい。

3曲目の「オール・アイ・リメンバー」はMHのコンサート・サポート・メンバーでもあるシンガー、ミック・ハンリーの作品。アップテンポで、メロもアレンジも民族色濃厚なナンバー。

1曲目でもそうだったが、デイヴィー・スピランによるアイルランドの民族楽器「ユーリアン・パイプ(英国におけるバグ・パイプ)」の演奏が効果的に配されている。ときにはソロで、ときにはシンセとユニゾンで。

このユーリアン・パイプ、あるいは他の曲でドーナル・ルーニーが演奏する8弦のブズーキ、こういった非エレクトリックな民族楽器の音色こそが、このバンドが、英米音楽のコピーとは一線を画す「アイデンティティ」のようなものなのだと思う。

A面最後の「レット・サムバディ・ノウ」はメンバーのひとり、デクラン・シノットの作品。歌も彼がつとめる。ゆったりとしたテンポのバラード。

曲調はフォーキー、でも演奏のほうは、ギターといい、ベースといい、結構フュージョンっぽい。かなり高度なレベルのことを、さらりとやっている。さすが実力派。

B面トップは「エールの誇り」。米国のフォーク・ロック・バンド、クイックシルバー・メッセンジャー・サービスのメンバー、ディノ・ヴァレンティ(ジェシ・オリス・ファーロウ名義)作、アップテンポの、エレクトリックなビートが印象的なナンバー。

でもそれに、フォ-キーで骨太なメッセ-ジ・ソングやアコースティック楽器のソロがのっかっていくから、面白い。取り合わせの妙といいますか。

続く「ダウンタウン」は。彼らのオリジナル・インストゥルメンタル・ナンバー。民族色を前面に押し出した曲調。ブルーグラスにおけるブレイクダウンを思わせる、ハイ・テクニックなアンサンブル。

サックス、パイプ、ブズーキ、いずれもスピーディで完璧な演奏を聴かせてくれます。

「大統領アジェンデ」はタイトル通り、暗殺されたチリの大統領、アジェンデをテーマに歌ったカントリー調のナンバー。フォーク・シンガー、ドン・レインジ(詳細不明、スマソ)の作品。

辛口のメッセージ・ソングなれど、そのメロディはあくまでも美しく、コーラスもまたスウィート。このへんのサウンドは、イーグルスあたりに通じるものがあったりする。

当アルバム、CD版では他に「ヒロシマ・ナガサキ・ロシアン・ル-レット」、ジャクスン・ブラウンの「ビフォー・ザ・デルージ」もボーナス・トラックとして入っているが、そういう社会性、メッセージ性の強いナンバーを好んで取り上げるのが、このMHのもうひとつの特色、個性のようだ。

ラストの「ハーフ・ムーン」も、オリジナルのインスト・ナンバー。

オーアン・オニールのフレットレス・ベース・ソロから始まる本曲は、まるでプロパーなフュージョン・バンドの演奏かと思われる出来ばえ。そのプレイは、ジャコも舌を巻きそう。某所でウェザー・リポートと間違われたというのも、納得できてしまう。

この一曲をとって見ても、MHのミュージシャンとしてのレベルの高さは明らかですな。

民族音楽をベースにしながらも、そこにとどまらず、ありとあらゆるジャンルの音楽を飲み込んで、消化してしまうウワバミのようなモンスター・グループ。

ムーヴィング・ハーツはその後、85年ころまで活動を続けたようだが、解散してしまった。だが、歴史の流れの中に埋もれさせてしまうには、あまりに惜しいバンドだ。

されば、せめて、こういった彼らの「遺産」を、時折り取り出して聴き直してみよう。流行りものにはない、ホンモノの音楽をそこに発見出来るはずだ。おすすめです。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#282 ウィッシュボーン・アッシュ「WISHBONE FOUR」(MCA MCAD-10350)

2022-08-23 05:00:00 | Weblog

2005年9月11日(日)



#282 ウィッシュボーン・アッシュ「WISHBONE FOUR」(MCA MCAD-10350)

ウィッシュボーン・アッシュ、四枚目のアルバム。73年リリース。彼ら自身によるプロデュース。

前年あたりから、ライブ・バンドとしての評価をぐんぐんと高めて来た彼らだったが、スタジオ録音でも十分イケることを証明してみせた、会心の一枚。セールス的にも、一番成功している。

アッシュといえば、ツイン・リ-ド・ギターなど、その演奏力の高さばかり言及されがちのバンドだが、いやいやどうして、曲作り、歌ともに一流であることが、このアルバムを聴くとよくわかる。

オープニングの「SO MANY THING TO SAY」は、スライド・ギターのイントロが印象的なドライヴィング・ナンバ-。この曲でのキーポイントは、アコギなども交えたきめ細かいアレンジと、そしてなんといっても迫力あるヴォーカルだろう。

ものすごく上手いというのではないが、気合いが十分に伝わってくるような歌声。

アッシュは歌については、特に誰がフロントという感じでなく、ドラムのアプトン以外の三人が交互にリードをつとめ、他はそのハモやバック・コーラスにまわるという体制をとっている。たとえるならば、ビートルズのシステムに近い。

ほぼ全員が歌に参加して、声の細さ、アクの足りなさといった、個々の弱点をうまくカバーしあっている。バンドのヴォーカルとしてはある意味、理想の形態かもしれないね。

二曲目の「BALLAD OF THE BEACON」はフォーク/トラッド調のバラード・ナンバー。メロディ・ラインが実に美しい。

アッシュの曲は、歌詞の大半をベースのマーティン・ターナーが書き、メロディやアレンジは全員で作るという方法で生み出されている。

つまり、素材をもとに、スタジオ内のリハでそれを大きくふくらませ、熟成させていくのだ。ライブ・バンドという顔の一方、緻密なスタジオ・ワークをこなすバンドでもあったのだな、彼らは。

ここでのアコースティック・ギターの響き、クールなエレクトリック・ギターのソロは、たとえようもなく素晴らしい。もちろん、素人っぽさを残した、でも力一杯なコーラスも。

ライブ向きではないが、非常に完成度の高い一曲だ。

続く「NO EASY ROAD」は一転、ハードなロックン・ロール。(「ARGUS」にボーナス・トラックとして入っていた曲でもある。)ハイ・トーンでのシャウトがきまっている。

ピアノやホーンを加えて、かなりアメリカ・オリエンテッドな音になっているのにも注目。後半のサックスのブロウとか聴くと、ブリティッシュ・ロックの枠を大きくはみ出して来たなと思う。前作「ARGUS」と比べると、明らかに一皮むけている。

そう、アッシュは本作あたりより、「英国のバンド」から、「世界のバンド」へと脱皮を始めたのである。

次の「EVERYBODY NEEDS A FRIEND」は再びフォーキーなバラード。こちらもメロディアスな良曲だ。

アコギ、そしてストリングスを加えたソフトなアレンジ。ギター・ソロも特にツイン・リードを押し出すこともなく、普通に端正なプレイでまとめている。ある意味、ビートルズにも通じるところがある。

まあ、アッシュにハードなライブ・バンド・サウンドを期待しているファンにとっては、もの足りない音かもしれない。

しかし、これもまたアッシュの世界。彼らの音楽的な引き出しは、想像以上に多く、しかも大きいのだ。ミーハーなお子ちゃまたちにはちと、理解が難しいかな(笑)。

この曲、8分24秒と、ちょっと長過ぎるのが玉にキズかもしれないけどね。

続く「DOCTOR」は、前曲での欲求不満(?)を一気に晴らすかのような、はじけたロック・ナンバー。

もちろん、お家芸の迫力あるギターソロ、アンディとテッドの掛け合いもたっぷり味わえます。

中間部以降とか聴くと、結構のちのHR/HMによくありそうな展開。この一曲が後続バンドにも、少なからず影響を与えたと思われますな。

次はミディアム・テンポのバラード、「SORREL」。フォーキーなサウンドに、ツイン・リードが意外とうまくマッチしている。

ロックというより、むしろフュージョン(当時そのいいかたはなかったが)寄りのものすら感じる。後年、彼らがフュージョン的な方向へもむかったことを思い合わせると、ナットクがいったりして。

「SING OUT THE SONG」も、かなり大人向けの成熟した音作りの一曲。知らずに聴けば、間違いなくアメリカのバンドと間違えそうなカントリー調だ。

それこそ、CSN&Y、バンド、デッドあたりと並べて聴いても違和感がないくらい、他国の音楽を完全に消化している。

ここでは、テッド・ターナーがラップ・スティールをプレイしているのが、聴きもの。

ラストは、本作中唯一アプトンが歌詞を書いた「ROCK 'N ROLL WIDOW」。

タイトルにR&Rとあっても、サウンドのほうはかなり落ち着いた雰囲気の、ミディアム・テンポのバラード風ロック。メロディ・ラインには、哀愁すら漂っている。

マーティンのどこか素朴でまったりしたヴォーカルが、なかなかいい感じ。お世辞にも上手いとはいえないのだが、曲調にぴったり合っているように思う。

効果的に配されたテッドのスライド・ギターもいい。要所要所でサウンドをひきしめているキーパースンは、彼だったといえそうだ。それだけに、この後、彼が脱退したとの報を聞いたときには、かなりがっかりしたものだ。

とにかくこの一枚、キャッチーな曲作りといい、絶妙なアレンジといい、「味」で勝負のヴォーカルといい、完成度はおどろくほど高い。

ライブの素晴らしさはもちろんではあるが、ウィッシュボーン・アッシュ、そのスタジオ・ワークもなかなかあなどれない。「LIVE DATE」以上に彼らの音楽的実力が発揮された作品、それはこの「FOUR」なんじゃないかな。

<独断評価>★★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#281 ハーブ・エリス&ジョー・パス「TWO FOR THE ROAD」(PABLO OJCCD-726-2)

2022-08-22 05:01:00 | Weblog

2005年9月4日(日)



#281 ハーブ・エリス&ジョー・パス「TWO FOR THE ROAD」(PABLO OJCCD-726-2)

ジャズ・ギタリスト、ハーブ・エリスとジョー・パスによるデュオ・アルバム。74年リリース。ふたりによるプロデュース。

ギター・デュオも数々あれど、このふたりほど、技術的にもフィーリング的にも高水準、しかもぴったりと息の合ったコンビネーションは、そうはいないだろう。

当アルバムは彼らのデュオ録音としては三枚目(前二作はともにライブ盤)、最後の一枚にあたるが、コンビとしての究極の完成形を見せてくれている。

まず、なんといっても、選曲がすばらしい。メロディアスで、しかも粋で大人のムードがあるナンバーが満載なのだ。

オープニングは「ラヴ・フォー・セール」。コール・ポーターの名曲だ。

ゆったりとしたテンポでふたりが紡ぎ出す世界は、ファンタスティックのひとこと。ソロ・ギタリストとして既に超一級であるふたりが、ときにはせめぎ合い、ときには相手に一歩譲ってバッキングに徹し、見事なコンビネーションを見せてくれる。

続くは、ボサ・ノヴァの大家、ルイス・ボンファの作品「カルナヴァル」。

アップテンポで軽快なブラジリアン・サウンドを、絶妙の指使いで生み出してくれるふたり。聴いていると、思わず、体が動き出しますな。

「アム・アイ・ブルー」は、ミディアム・テンポのスウィンギーなナンバー。グラント・グリーンあたりも演っていました。

このロマンティックな雰囲気の小唄を、分別ざかりのふたり(当時エリスは52才、パスは45才)がいい感じにプレイしとります。いやー、大人やな~。

「セヴン・カム・イレブン」は、彼らの高度なテクニックが堪能出来るナンバー。もちろん、ベニー・グッドマンの代表曲だ。既に同題のライブ盤でも取り上げているので、再演にあたる。

速いパッセージを、一糸乱れず弾き切るふたりに、驚嘆を禁じえない。

「ギター・ブルース」はタイトル通りのミディアム・テンポのブルース・ナンバー。ふたりの共作。いかにもスタジオ・ワークの合間に生み出されたという感じの、即興的な趣きの曲である。

それぞれの持ち味を繰り出してのソロや掛け合いが、なんともカッコいい。

ギターだけ、なんのリズム楽器もなくても、絶妙な「間」のとりかたで実にスウィンギーなリズムを刻み出しているのは、さすがだ。

「オー・レディ、ビー・グッド」はごぞんじガーシュイン兄弟の作品。ミディアム・テンポで、まったりとしたサウンドを聴かせてくれる。なんともリラックスしたムードが溢れている。まるで、スタジオで一杯やりながら、演奏しているかのよう。

「チェロキー」は、さまざまなアーティストにカバーされている、レイ・ノーブル作の超スタンダード。これを二通りのコンセプトで弾き分けてくれる。

コンセプト・ワンは、アップ・テンポで威勢よく。コンセプト・トゥーはミディアム・テンポでしっとりと。それぞれに魅力的な演奏である。

続く「SEULB」(はて、どう読んだらいいのか)は、ふたりの共作。たぶん、BLUES(ブルース)を逆さまにしたのだろう。確かに、ミディアムスロー・テンポのブルースではある。

こちらも即興性の高いナンバー。スタジオ入りしている間に、こういう小曲をいくつもひねり出して、遊び感覚でレコーディングしてしまう。いいねえ。

このアルバムの白眉は、やはりこれだろう。十曲目の「ジー・ベイビー、エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー」。 

ドン・レッドマンとアンディ・ラザフによるスタンダード・ナンバー。この曲は支持層が広く、ロック系も含めてさまざまなアーティストにカバーされている。ブルーズィなメロディと、ジャズィなコードが絡み合った、実に粋な曲調が、その人気の秘密だと思う。

エリスとパスのふたりも、この名曲の持ち味を最大限生かしながら、それぞれのカラー、リリシズムを盛り込んでプレイしている。聴いていると、ホント、いいお酒が飲みたくなります。

続くはオーティス・レディングほかでおなじみの、R&Bの名曲、「トライ・ア・リトル・テンダーネス」。古いスタンダード・ジャズばかりでなく、こういう曲にも挑戦しているのはうれしいもんだ。

エリス&パス版の「トライ~」は、他のアーティストとはひと味ちがって、ムーディといいますかロマンティックなスロー・バラード。ひたすらスウィートなサウンド、オーティスみたいな汗の匂いはまったくしないのですが、これもまた十分ありってことで。

「アイヴ・ファウンド・ア・ニュー・ベイビー」は、チャーリー・パーカー、ディズィ・ガレスピー、ソニー・ロリンズら多くのジャズマンが好んで演奏したナンバー。オリジナルはファッツ・ウォーラーである。

速いテンポで演奏されることの多いナンバーだが、彼らは少し抑えめのミディアム・テンポでプレイ。

技巧に走り過ぎず、スウィングな「ノリ」をあくまでも大切にした丁寧な演奏。そう、たしかなリズム感こそが、このデュオの最大のウリなのだ。

ラストは「エンジェル・アイズ」。粋なシンガー/ピアニストにして、コンポーザーとしても優れた仕事を残した、マット・デニスの代表作である。

ブルーズィでメランコリックなAメロディから一転、甘美でのびやかなBメロに変わり、そして再びAメロに戻るという構成。

ふたりの繊細にして緻密なプレイは、この曲の二面的な魅力をあますところなく掬い上げている。原作のデニスにもまさるとも劣らぬ出来ばえだ。

「名人芸」とは、こういうのをいうんだろうなぁ。

最高の技術、フィーリング、そして豊かなイマジネーション。まさに、究極のギター・デュオ。

歌はまったく歌っていなくとも、そのプレイは歌心にあふれている。一杯飲りながら聴けば、至福のひとときが味わえますぞ。

<独断評価>★★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#280 V.A.「AMERICAN FOLK BLUES FESTIVAL '80」(Optimism/L&R LR CD -2013)

2022-08-21 05:51:00 | Weblog

2005年8月28日(日)



#280 V.A.「AMERICAN FOLK BLUES FESTIVAL '80」(Optimism/L&R LR CD -2013)

アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル、80年の回のライブ盤。同年リリース。ドイツはハンブルグ、デュッセルドルフにての録音。

出演するブルースマンたちにとっては異国の、ヨーロッパにおけるコンサートなのだが、いやー、本国に負けないくらい熱~い、観客の歓迎を受けとります。

まずはルイジアナ・レッドが登場。本欄では初めて扱うひとなんで簡単に紹介しときますと、1936年ミシシッピ州ヴィックスバーグ生まれ、本名アイヴァースン・ミンター。ギター、歌、ハーモニカをこなす。

彼は弾き語りスタイルでオリジナル「PRETTY WOMAN 」「I WONDER WHO」「LONESOME TRAIN」を歌う。

どこかひなびた雰囲気を漂わせるハスキーな歌声が、いかにもカントリー・ブルースという感じで、味わい深い。

続いて、ウィリー・メイボンが登場。まずはインスト・ナンバー「MABON'S BOOGIE」で達者なピアノ・プレイを聴かせる。ギター・ソロはヒューバート・サムリン。

そして、メイボンといえばこの曲!という大ヒット「I DON'T KNOW」を披露。おなじみのユーモアあふれた、粋な歌唱を聴かせる。

ふたたびルイジアナ・レッドが登場、2曲を演奏。「SHAKE, RATTLE AND ROLL」「FLIP, FLOP AND FLY」。いずれもビッグ・ジョー・ターナーの歌で知られたナンバーだ。

アコギを弾きながら、陽気に歌うルイジアナ・レッド。ウオッシュボードやカズーのバックがいかにもお祭りっぽい、リラックスした雰囲気をかもしだしている。

続くはサニーランド・スリムによる「ROCK LITTLE DADDY」。こちらもルイジアナ・レッドのスライド・ギターが加わったりして、ほのぼのとしたムードがナイス。

さて、メイボンのバックで既に登場していたヒューバート・サムリンが、歌も披露。自作の「GAMBLIN' WOMAN」である。

ここでサムリンはアコギを弾きつつ、モノローグふうのスロウ・ブルースを歌う。

バックでオブリを入れ、ソロもとる、キャリー・ベルのハープの響きがなんとも素晴らしい。

続く「I GOT A LITTLE THING THEY CALL IT SWING」もサムリンの作品。サムリン、エディ・テイラー、キャリー・ベルの見事なアンサンブルが聴きものの、ブギ・ナンバー。

サムリン、テイラー、ベルの演奏が続く。ウィリー・ディクスンのナンバー「ONE DAY I GOT LUCKY」では、キャリー・ベルが歌う。これがなかなか威勢がよろしい。

マディ・ウオーターズの作品「NINETEEN YEARS OLD」も、ベルの歌。ハープが最高に泣いている。

続くは、アップテンポのシャッフル、「WHAT MY MAMA TOLD ME」。歌はこちらもベル。

ここで、この3人にサニーランド・スリムが加わり、彼のオリジナルを。スロウ・ブルース「EVERYTIME I GO TO DRINKING」である。サニーランド・スリムのピアノに絡む、サムリンの鋭いギター・フレーズ。うーむ、これぞブルースや。

同じメンツでインストを。サニーランドのオリジナル「SUNNYLAND'S NEW ORLEANS BOOGIE」である。

陽気なブギ・ビートにのせて、おのおのが繰り出す自由なソロ・フレーズを堪能出来るナンバー。会場の聴衆も乗りまくっている。

駄目押しの一発は、名曲「ダスト・マイ・ブルーム」。バンド全員、そして客席にも大きなうねりのようなものが感じられる。

エディ・テイラーが歌うのは、彼のオリジナル「THERE'LL BE A DAY」。エディお得意のステディなビートに乗せて、肩の力の抜けた素朴なヴォーカルを聴かせてくれる。

ラストは、再びルイジアナ・レッドが登場、サムリンたちのバンドと合流してのフィナーレ。ルイジアナ・レッドのオリジナル、エルモア調のナンバー「LABOUR BLUES」を。

彼のスライド・ギター、シャウトは、ホンマにシブ~い味わいがあります。

演奏内容的には、いささかバラつきがあるので、アルバム評価としてはあまり高い点をあげられないのですが、気持ち的には非常に好きな一枚。

いわゆる「巧い」歌い手はいないのだが、それぞれの出演者が自分自身の持ち味を出し切って歌っている、そこに惹かれます。

そう、ブルースとは、巧拙よりまず存在感が大切な音楽。「華」はなくとも「味」で勝負。

このフェスティバルに集結した、オヤジたちの力演ぶりを聴いて、そのことを改めて確信した筆者なのでありました。

<独断評価>★★★


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音盤日誌「一日一枚」#279 シュガー・ブルー「セカンド・ギア」(キングレコード/SEVEN SEAS KICP 426)

2022-08-20 05:12:00 | Weblog

2005年8月21日(日)



#279 シュガー・ブルー「セカンド・ギア」(キングレコード/SEVEN SEAS KICP 426)

シュガー・ブルー、キングレコードでのセカンド・アルバム。94年リリース。シュガー・ブルー、牧野元昭ほかのプロデュース。

シュガー・ブルーといえば「ミス・ユー」、「ミス・ユー」といえばシュガー・ブルーである。49年NYC生まれの無名の黒人ハーピストを、一躍時代の寵児と変えたのは、このストーンズとの共演作にほかならない。

今ではハープ界の頂点に立った彼だが、ストーンズという目利きが存在しなかったら、いまだにNYCという街の片隅で地味に活動しているだけだったかもしれない。「出会い」というのは、いかに重要かってことやね。

さて、超絶技巧ハープで知られる彼の、もうひとつの顔、シンガーとしての側面も堪能出来るのが、この一枚。

「ハーピストの余技」というふうに片付けられないくらい、実に達者な歌を聴かせてくれる。

ちょっと低めで、落ち着いた雰囲気の声。これが派手なハープのプレイと好対照をなしていて、なんともシブい。

彼の音楽の原点は、もちろんブルースであるから、当然その手の曲もやっている。アルバム・トップの「リトル・レッド・ルースター」、それから「フーチー・クーチー・マン」の改作パロディともいうべき「グッチ・グッチ・マン」。

「ブルーパイン」ではブルース界の重鎮、パイントップ翁とも共演を果たしている。ルースでダルな歌声とハープが実にブルーズィな一曲である。

ラストの「お世辞と嘘」なんてのも、大木トオルあたりに通じるものがある、マイナー・ブルースだ。

でも、他の曲は非常にバラエティに富んでいる。ロックあり、ファンクあり、AOR系バラードあり、要するになんでもあり。

いずれの曲も、彼はハープだけでなく、ヴォーカルでも大活躍している。インスト、歌がちょうどいい比率でブレンドされている。

これが、この作品を平板・単調なものにせず、聴きやすい一枚にしているように思う。

というのは、ハープという楽器の、インストだけのアルバムというのは、正直最後まで聴き通すのがしんどいのである。いかに「完璧」を誇るシュガー・ブルーのテクニックをもってしても。

彼の歌は、彼のハープほどパーフェクトではないにせよ、十分一般リスナーをも説得するだけの水準に達している。むこうのミュージシャンは(ギタ-だけ、ハープだけみたいな)「一芸馬鹿」でなく、いくつものパートをこなせる人が多いやね。さすがだと思う。

その人間くさい歌を適宜織り交ぜることで、テクニック一辺倒の音楽になることから、まぬがれているのだと思う。

さて、肝心のシュガー・ブルーのハープ演奏についてなのだが、筆者個人としては、持てるテクニックをめいっぱい誇示したような印象の曲は、さほど好きになれない。たとえば「リトル・レッド・ルースター」のアンプリファイばりばりな音とか、聴いててトゥー・マッチな感じがする。

たしかにハープのすべての音をフルに駆使し、クロマチックなど複数種のハープも吹きこなし、最高の速度で吹いているのは「スゲエ」と思うのだが、それは「プロ」として出来て当たり前のことという気がする。そういうアクロバティックな演奏で度肝を抜くだけが「音楽」じゃない。

重要なのは、いかに総体として「いい音楽」を作り上げるかだ。

その意味で、変に技巧のアピールに走り過ぎず、バランスよくまとまっているのは、リフ中心のHR/HM調ナンバー「シー」、ロングトーンの響きが実に美しい「リッスン・ベイビー」、極力抑えめのプレイに終始した「ブルーパイン」あたりかな。「旋風」もトリッキーなプレイが続くわりには、あまり気にならないのは、派手なアレンジとうまく調和しているためか。

基本はブルース、その上にロックなどのモダンな味を加えて、極上の音料理を提供するシュガ-・ブルー。

大物アーティストとの客演でばかり注目されている彼だが、そのソロ盤もなかなかいけます。ぜひ一度ご賞味を。

<独断評価>★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#278 ザ・ブラック・クロウズ「THREE SNAKES AND ONE CHARM」(FUN HOUSE/AMERICAN FHCA-1008)

2022-08-19 05:05:00 | Weblog

2005年8月14日(日)



#278 ザ・ブラック・クロウズ「THREE SNAKES AND ONE CHARM」(FUN HOUSE/AMERICAN FHCA-1008)

アメリカのロックバンド、ザ・ブラック・クロウズ、96年のアルバム。ジャック・ジョセフ・ピュイグ、そして彼ら自身によるプロデュース。

ジョージア州アトランタにて84年に結成されて以来、大ヒット曲こそないものの、確実に成長を続けている彼らの、代表作といっていい一枚だ。

ブラック・クロウズといえば、その演奏力を買われて99年にはジミー・ペイジとともにワールド・ツアーを組んだという実績もある。つまり、ペイジをフィーチャーして、往年のZEPサウンドを再現してみせたのだ。

まあ、そのときのライブ・アルバムは、頑固なZEPファン連中にはおおむね不評だったのだが、ペイジが、あまたあるバンドの中から彼らを抜擢したときは、なかなかの”炯眼”だなと思ったものだ。

きょうび活動しているロックバンドの中では珍しく、彼らは実に「引き出し」が多い。さまざまな表現スタイルを、自分たちのものとしている。

他のバンドの大半が、自分たち自身の曲しか演奏出来ず、自分たちのカラーのサウンドしか作り出せないのに、彼らは実に器用に他のバンドのスタイルをも取り込んで、多様なサウンドを作り上げている。

それはこのアルバムを聴くとよくわかる。

ブラック・クロウズの基本は、ハードなロックン・ロール。

よくいわれることだが、ヴォーカルのクリス・ロビンソンは、今は亡きスティーヴ・マリオットによく似た、ハスキーでソウルフルな歌声の持ち主。

それゆえに、スモール・フェイシズやハンブル・パイの亜流バンド、トリビュート・バンドみたいに見られがちだが、もちろん、クロウズはそんなチンケなバンドではない。

マリオットはブラック・ミュージックをこよなく愛し、理解し、完全に自家薬籠中のものとした上で、自分自身のサウンドを作っていったが、クロウズもまた、白人先輩バンドのコピーではなく、オリジナルのブラック・ミュージックを表から裏まで追究した上で、彼らなりのロックを打ち立てた。

これが、他の凡百の白人ロックバンドとの決定的な「差」なのだと思う。

白人ロックをお手本に新しいロックを作り出そうとしても、しょせんは「縮小再生産」に過ぎない。

ロックのみなもとであるブルースをとことん追究してこそ、初めてロックの本質をつかむことが出来る。

クロウズの音楽にプンプン漂うブルースの匂い、これはやはり「ホンモノ」の証拠だ。

さてさて、能書きばかりだらだらと書いてしまったが、この一枚、とにかく聴いていただくのが一番。

曲によってその持ち味は、ストーンズだったり、フェイシズだったり、エアロスミスだったり、ハンブル・パイだったり、はたまたCSN&Yだったり、ザ・バンドだったりするわけだが、いずれも決して物まねではなく、彼ら流のオリジナル・サウンドに昇華されているのはさすがである。

「売れ筋」とはあまりにかけ離れたタイプの音楽なのだが、筆者のような「骨太の音楽」にこだわるリスナーにとっては、まさにストライクゾーン。

いま売れているロックバンドにはどうも食指がのびないという、昔からのロックが好きな方々には、絶対のおすすめ。

ソロ・ヴォーカル、コーラス、演奏ともに、実にハイ・レベル。もはや途絶えてしまったかに思われた「アメリカン・ロック」の伝統を、かたくなに守る貴重なバンド、それがザ・ブラック・クロウズであります。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#277 ザ・スタイル・カウンシル「OUR FAVOURITE SHOP」(Polydor 825 700-4)

2022-08-18 05:00:00 | Weblog

2005年8月7日(日)



#277 ザ・スタイル・カウンシル「OUR FAVOURITE SHOP」(Polydor 825 700-4)

ザ・スタイル・カウンシルのセカンド・フル・アルバム。85年リリース。彼ら自身によるプロデュース。

スタカンといえば、のちに「シブヤ系」などとよばれる一連のアーティストにも強い影響を与えたユニット。ザ・ジャム出身のポール・ウェラー(vo,g)、マートン・パーカス、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ出身のミック・タルボット(vo,kb)の二人が生み出すハイ・クオリティなサウンドは、高感度なリスナーを中心に、根強い支持を得ていた。

そんな彼らの代表作。なんといっても、曲が粒ぞろいなのだ。言ってみれば、捨て曲なし、パーフェクトなラインナップ。

オープニングの「HOMEBREAKERS 」は二人の共作。ミドル・スロー・テンポのファンク・ナンバー。ポールのギター・ソロをフィーチャー。ミックのオルガンやバックのホーンがこれを盛り立てる。

続く「ALL GONE AWAY」はポールの作品。アコギをフィーチャーし、フルートで味付けをしたボッサ・ノヴァ・スタイルのナンバー。センスのいいこと、カッコいいことなら何でもやってしまおうという、スタカンのポリシーを感じさせる一曲。

「COME TO MILTON KEYNES」はこれまたポール作の、陽気なポップ・チューン。アレンジにどこかラテン風というか、アメリアッチな雰囲気が漂う。

「INTERNATIONALISTS」はハードにドライヴするロックな一曲。二人の共作。ソフトな歌いぶりから一転、シャウトしまくる二人。ポールの激しいギター・ソロも聴ける。

「A STONE THROWN AWAY」はストリングスをフィーチャ-したバラード。ポールの作品。どこかビートルズをほうふつとさせる。一曲一曲、サウンドを切り替えてくるのは、さすが引き出しの多い彼らならでは。

ラップ風の語りも交えたファンク・ナンバー「THE STAND UP COMICS INSTRUCTIONS」もカッコいい。二人のハモりしかり、オルガン・プレイしかり。

「BOY WHO CRIED WOLF」はマイナーのメロディが実に美しいナンバー。バックのファンキーなリズムと、意外とマッチしている。スタカンのポップなセンスが横溢した一曲。やっぱ、ポップの基本は、いかにいいメロディを作れるかどうかでっせ。

B面トップの「A MAN OF GREAT PROMISE」は二人の共作。教会の鐘のSEで始まる、アップ・テンポの力強いナンバー。ささやくようなポールのファルセット・ヴォーカルに、ミックのハモりが見事に重なる。これがなんとも素晴らしい。彼らこそは、レノン=マッカートニー以来のパーフェクトなヴォーカル・コンビネーションではなかろうか。

「DOWN IN THE SEINE」はポールの作品。ジャズ・ワルツ風のビートが面白い一曲。ミックのピアノにのせて、ソフト、でも熱ーい歌を聴かせるポール。バックのアコーディオンがコンチネンタルな隠し味(タイトルのTHE SEINEとはセーヌ川のことである)としてなかなか効いている。

「THE LODGERS」もポールの作品。こちらはかなりアメリカな音。女声ヴォーカルをフィーチャーした、ファンクな一曲。ベース・ラインが実に気持ちいい。

ポールの作品が続く。「LUCK」はややアップテンポのナンバー。骨太なR&Bとバカラック風の都会的ポップ・センスがほどよくブレンドされたサウンド・カクテル。

フルートのソロが印象的なボッサ・ノヴァ調ナンバーは「WITH EVERYTHING TO LOSE」。ポール、そしてスティーヴ・ホワイトの作品。サックスも交えたジャズィなアレンジが、実に秀逸だ。

お次はミック作のインスト曲「OUR FAVOURITE SHOP 」。当アルバムのタイトル・ナンバーでもある。これがまた、実にカッコいい。シンプルで力強いリフにのせて繰り広げられるファンキー&ジャズィな演奏は、スタックス系のソウル、ことにブッカー・T&MG'Sのサウンドに共通するものがある。ゲフィン・レコードから出されたアメリカ盤では残念ながらこの一曲はカットされ、アルバム名も「INTERNATIONALISTS」に変更されている。

ラストは「WALLS COME TUMBLING DOWN」はポールの作品。モータウン系のR&B、ソウルを、見事に彼ら流に消化した一曲。ここでのポールのシャウトは実にいい。ヴォーカリストとしての面目躍如な出来ばえだ。

とにかく、二人の持てる才能のすべてを投入して作り上げられた一枚。60年代以降のR&B、ソウル、ロック、ファンクの総決算的なそのサウンドは、圧巻の一言だ。

繊細にして、骨太。パワーに満ちあふれ、しかも奥が深い。まさに音の玉手箱。

あまりに「本物志向」が強くて、マイケルやマドンナみたいにミーハーな一般層の支持こそ得られなかったが、スタカンこそ80年代最強のアーティストのうちのひとつであると筆者は信じて疑わない。

まる20年経ったいま聴いても、実に新鮮なその響き。皆さんも、ぜひ、もう一度聴いてみてほしい。

<独断評価>★★★★★



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音盤日誌「一日一枚」#276 ブライアン・セッツアー・オーケストラ「VAVOOM!」(INTERSCOPE 0694907332)

2022-08-17 05:00:00 | Weblog

2005年7月31日(日)



#276 ブライアン・セッツアー・オーケストラ「VAVOOM!」(INTERSCOPE 0694907332)

ブライアン・セッツアー・オーケストラ、2000年のアルバム。われらがバンド、ナイクロのベーシスト、S氏も大推奨の一枚である。

ブライアン・セッツアーといえば、スリーピース・ロカビリー・バンド、ストレイ・キャッツを率いて80年代に登場、そのシンプルでノスタルジックなサウンドで一世を風靡したものである。

日本にもファンが多く、そのフォロワー的なロカビリー・バンドが雨後のタケノコのごとく生まれた。たとえば、ブラック・キャッツとか。

既存のバンドでも、ハウンド・ドッグの「浮気な、パレット・キャット」(82年)のように、露骨にそのサウンドをパクる手合いが多かったのを覚えている。

そんな大ブームのストレイ・キャッツではあったが、誰もが彼らのことを「一発屋」で終わるだろうと思っていたのも事実である。

彼らの人気は実際のところ、リーダーのブライアンの、その甘い、というか甘ったる~いルックスによるところの、アイドル的な魅力に支えられていたのも確かであった。

事実、ブームはそのうち終焉を迎え、彼らの名前もそのまま忘れ去られた‥‥かに思えた。

ところがどっこい、ギター&ヴォーカルのブライアン・セッツアーだけはしぶとく生き残った。ビッグ・バンドのリーダーとして。

やはり、ただのアイドル・ロッカーではなく、ギタリストとして、シンガーとして、そして作編曲者として確かな実力を持っていたのである。

このアルバムは、そんな彼の新バンドの代表作的一枚だ。

まずはいかにもスウィング・ジャズなイントロから「PENNSYLVANIA 6-5000」がスタート。

これはもちろん、グレン・ミラーの代表的ナンバーのカヴァー。

ノリノリのリズムに見事マッチした、ブライアンの軽快なギター・プレイとラフなシャウト。そう、ビッグバンド・ジャズとロカビリーの完璧な融合なのである。

「JUMPIN' EAST OF JAVA」はブライアンのオリジナル。これまた軽快なテンポのジャンプ・ナンバー。彼の煌めくようなソロ・ギターが炸裂する。

「AMERICANO」はイタリアのアーティスト、レナート・カロゾーネによる、ラテン風味満点のナンバー。コテコテのアレンジが実に楽しい。

「IF YOU CAN'T ROCK ME」はふたたび、ブライアンのオリジナル。ロカビリー・ジャズとでもいうべき、ブライアンならではのサウンド。思わず体が動いてしまうこと、うけあいです。

「GETTIN' IN THE MOOD」は、スウィング・ジャズの象徴ともいえる名曲、「イン・ザ・ムード」のカヴァー。アーティ・ショー楽団やグレン・ミラー楽団の看板曲ともいえる。

この曲に関しての小ネタを書くと、モーニング娘。のヒット・シングル「Mr. Moonlight~愛のビッグバンド~」(01年)のサビやコーラスやアレンジ、間奏部等がこの「GETTIN' IN THE MOOD」に酷似していることが、よく知られている。

聴き比べてみると、まんまパクりという感じはしないが、たしかに似ている。作曲のつんく♂や編曲の鈴木俊介が、曲作りにあたってこの一曲をかなり意識していたのは間違いないだろう。

なにせ「愛のビッグバンド」だもんね。コンセプトからして、見事にカブっている。

このセッツアー版「イン・ザ・ムード」はひたすら明るく軽快な、お祭り騒ぎの一曲であります。

「DRIVE LIKE LIGHTNING(CRASH LIKE THUNDER)」は、ブライアンの作品。「テケテケ」なエレキ・サウンドがなんとも懐かしい感じ。

「MACK THE KNIFE」はクルト・ワイルによる、おなじみのミュージカル・ナンバー。

ここではブライアンの、ちょっとシブめのヴォーカルが聴ける。

一般にギタリストとして話題にされることはあっても、シンガーとしてどうこう言われることはまずない彼だが、どうしてどうして、シャウト・スタイルからクルーナー・スタイルまで、なかなか引き出しの多い歌い手でもある。

続くはインスト・ナンバーの「CARAVAN」。もう、説明不要の一曲だ。

この曲もノーキー・エドワーズをはじめとしていろんなインスト・ヴァージョンがあるが、ブライアン版も、もちろん手堅い出来である。

「THE FOOTLOOSE DOLL」はブライアンのオリジナル。スウィングのリズムに乗せて、ブライアンのトリッキーなギター・ソロが全開モード。

「FROM HERE TO ETERNITY」も、彼のオリジナル。マイナーな曲調がちょっと異彩を放っている、スウィング・ナンバー。バックのホーン・アレンジも、本格派ジャズという感じで、重厚だ。

「THAT'S THE KIND OF SUGAR PAPA LIKES」は、その意味深長なタイトルや歌詞から見るに、援助交際の歌? 

まあそれはともかく、ブライアンのユーモアたっぷりの歌唱がなかなかいい。

「'49 MERCURY BLUES」はブライアン作、ストレイ・キャッツ時代のサウンドを彷彿とさせるロカビリー・ナンバー。もちろん、ビッグバンド・ジャズの隠し味も入ってます。

「JUKEBOX」もオリジナル。ブライアンのシャウト、そしてギターも絶好調のジャンプ・ナンバー。実に楽しげに歌い、かつプレイしているね。

ラストはドゥ・ワップの名曲、「グロリア」をジャズィなアレンジで。

ここでブライアンは、渾身の熱唱を聴かせてくれる。シンガーとしてのブライアンの面目躍如な一曲である。

あえてコーラスを交えず、ソロ一本で歌い切るブライアン。実にイカしている。

マンハッタン・トランスファーのアラン・ポールに勝るとも劣らぬ堂々たる歌いぶり。皆さんにも、ぜひ一度チェックしていだきたいナンバーである。

とにかく、全編、エネルギー、パワー、気合いに満ちあふれた一枚。聴いて元気が出ること間違いなし。音楽とは、こういうものでなくちゃ。

では最後にもう一度、モーニング娘。がらみのネタで締めくくることにしたい。

「モーニング娘。の新メンバー、久住小春(13歳)は、ブライアン・セッツアーにソックリである」。お粗末!!

<独断評価>★★★★


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