#239 ライ・クーダー「Smack Dab In The Middle」(Chicken Skin Music/Reprise)
白人ギタリスト/シンガー、ライ・クーダー、76年のアルバムより。チャールズ・キャルフーンの作品。
クーダーといえば、ヒット曲こそ少ないものの、やたら玄人にウケる、いわゆる「ミュージシャンズ・ミュージシャン」の最右翼みたいなアーティストだ。
その音楽性は異常なほどカバー範囲が広く、ブルース、R&B、ソウル、カントリー、テックス・メックス、ケイジャンなど多岐にわたっている。
その彼の代表的アルバムが「Chicken Skin Music」だが、とにかくカバーしている曲のセンスには唸らされる。たとえばレッドベリーだったり、ピンク・アンダースンだったり、ベン・E・キングとリーバー=ストーラーだったりするわけだが、その中でも、ひときわ異彩を放っているのが、この曲なのである。
作者はチャールズ・キャルフーン。「誰や?」というツッコミが100%来そうだが、この人、実はイマイチな知名度のわりに、その作品がえらくさまざまなアーティストに影響を与えているんである。
本名、ジェシー・ストーン。といっても、ロバート・B・パーカーの書いた警察署長シリーズの主人公ではない(コアなネタですまん)。1901年カンサス生まれの、ピアニスト兼ソングライターなんである。
ミンストレル・ショーの一座で育った彼は、生まれながらのショーマン。20代半ばには「ブルース・セレネーダーズ」なるバンドを組んで、27年に最初のレコードを出している。同じくカンサスのジャズマンであるカウント・ベイシーとも付き合いがあった。
その後、カンサスからニューヨークに移住。ビッグバンドのリーダーとして、アポロ劇場に出演する一方で、ソングライター、アレンジャーとしても活躍するようになる。スウィング・ジャズ・ブームの一翼を担った一人なのである。
ルイ・ジョーダンが在籍していたチック・ウェブ楽団、ジミー・ランスフォードなどのために曲を書き、それらがヒットしていった。ただ、彼はあくまでも裏方に徹していたので、作曲家・ジェシー・ストーンという名前はさほど浸透していかなかった。
その後黒人音楽のメインストリームがスウィング・ジャズからR&Bに変化していくと、それにも見事に対応、ロックンロールの原型のような曲も生み出したのである。それが50年代のレイ・チャールズの「Losing Hand」や「Money Honey」、ビッグ・ジョー・ターナーの「Shake, Rattle And Roll」や「Flip, Flop Anf Fly」なのである。チャールズ・キャルフーンは、その頃使い始めたペンネームという。
それを知ると、彼が当時いかに強力なヒットメーカーであったかがわかるだろう。白人のリーバー=ストーラーにも匹敵する存在だったのだ。
60年代にはシンガー、ラバーン・ベイカーのプロデューサーとして活躍していたが、ほどなく引退。フロリダを余生を過ごす地として選んでいる。99年、その地で97歳の天寿を全うする。
彼の作品は、上記のシンガーのほか、エルヴィス・プレスリー、サム・クック、ビートルズなどさまざまなトップ・ミュージシャンたちが取り上げていて、枚挙にいとまがない。
ライ・クーダーもロック・コンポーザーの始祖としてのキャルフーンにリスペクトを抱いており、71年の「Into The Purple Valley」で「Money Honey」をカバーしており、本曲で二度目のカバーとなる。
聴いてみると、いかにもクーダーらしく、ブルース、カントリーなどのルーツ・ミュージックをゴッタ煮にして、ポップな味付けをしたような感じ。
この曲はもともとレイ・チャールズのレパートリーだったのだが、元歌とはかなり趣きが異なる。ふたりともyoutubeにライブ映像がアップされているので、聴き比べてみると興味深い。
ウィットのある歌詞といい、リズム感あふれるメロディ・ラインといい、バンド・ミュージックを知り尽くした人でなくては書けないカッコよさに溢れている。
レイ・チャールズのように、ジャズィにキメるもよし、ライ・クーダーのようにちょいとイナタくキメるもよし。歌い手を選ばないところが、また、名曲の名曲たるゆえんでしょう。
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ライ・クーダー版ライブ
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