NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

#119 ピーティ・ウィートストロー「Crazy With The Blues」

2010-04-25 08:41:55 | Weblog
#119 ピーティ・ウィートストロー「Crazy With The Blues」(Blues Classics/MCA)

戦前に活躍したブルースマン、ピーティ・ウィートストローのブルース・ナンバー。彼とチャーリー・ジョーダンの共作。

ピーティ・ウィートストローは1902年テネシー州リプリー生まれ。本名ウィリアム・バンチ。アーカンソー州にて育ち、20代の半ば、セントルイスへ移り住む。

ピアノを弾きながら歌っていたウィートストローは、ギタリスト/シンガーであり、また密造酒製造やタレント発掘なども手がけていた当地の顔役、チャーリー・ジョーダンと知り合い、その肝煎りで30年から41年にかけて約160曲ものレコーディングを行う。

代表曲は「Meat Cuffer Blues」「Don't Feel Welcome Blues」など。その歌い口はタフで、迫力に満ちている。

ウィートストローは、いってみればブルースマンという「役柄」を自覚的に「演じてみせた」先駆者のひとりで、自ら「悪魔の養子」「地獄の保安官」というおどろおどろしいキャッチフレーズを持っていた。

唯一残されている彼の写真を見るに、いかにもワケありげな、不敵な笑みを浮かべている。ブルースという一種「外道」な音楽、悪魔的な音楽の作り手であることを、彼ほど意図的にアピールしてみせたブルースマンはいなかったといえる。

この演出は、実に多くのミュージシャンに影響を与えた。一番有名なのはロバート・ジョンスンで、「Stones In My Passway」などの曲で、ウィートストロー独特の、裏声による節回し(フーフーウェルウェル)を聴くことが出来る。また、おなじみの「悪魔に魂を売り渡して、ギターの腕前を得た」という伝説にもつながっていくことになる。

ジョンスン以外では、ジョニー・テンプル、リロイ・カーなどにも彼の歌唱法の影響が見られるとか。

さて、今日聴いていただく一曲は、彼においてもっとも数多く作られた曲調のブルース。すなわちミディアム・テンポ、フォービートの12小節ブルースである。録音された曲は、これと同工異曲のものが大半といってもいい。

なんともワンパターンなのだが、これがいかにも彼らしいとさえ感じられる。

本来ブルースとは、ごく限られたメロディラインしかなかった。つまり2、3パターンしか、節回しがなかったのである。乱暴にたとえてしまえば、わが国の都々逸のようなものだった。

そういう原初的なブルースをまだまだ引きずっていたのが、ウィートストローの世代だったといえるだろう。

その後ブルースはどんどん変化をとげていき、今ではほとんど原型をとどめていないわけだが、それでもその節回しの中に、ブルースのエッセンスは生き残っていると思うのだ。

彼の野太い歌声や、時折り入る裏声、達者なピアノ演奏の中に、現在も脈々と続いているブルースの源流を感じてほしい。

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#118 フラワーカンパニーズ「元少年の歌」

2010-04-18 11:41:27 | Weblog
#118 フラワーカンパニーズ「元少年の歌」(Sony Music Associated Records)

結成20年を超えたロック・バンド、フラワーカンパニーズの新曲。リードボーカル鈴木圭介の作品。

フラカンもなんだかんだで昨年結成20周年を迎えた。CDリリースに若干波はあるものの、解散することなく、結成以来不動のメンバーで活動を続けているのは、ファンの一人である筆者としても喜ばしい限りだ。

21枚目のシングルにあたるこの「元少年の歌」は、彼らが結成20年にして初めて手がけた映画音楽。荻原浩氏の小説を映画化した「誘拐ラプソディー」(公開中)の主題曲である。

大人だってみんな元少年だったと歌うこの曲は、永遠の「ハタチ族」たるフラカンの原点再確認、みたいな一曲。

いま、若い世代にとって日本のロック・バンドといって想起されるのは、大御所のサザンオールスターズを除けば、40才の桜井和寿率いるMr. Childrenか、42才の草野マサムネ率いるスピッツ、このあたりか。

しかししかし、忘れちゃいけない。彼らとほぼ同世代であるフラワーカンパニーズを、である。

フラカンは目立ったヒットこそないが、ここ10年以上、「最強のライブ・バンド」という評価にはゆるぎないものがある。

もう10年も前(つまりこのHPを始めた年でもある)になってしまったが、2000年5月の日比谷野外音楽堂で、筆者は初めてフラカンの生音を耳にした。

とにかくスゴい、このひと言だった。音のキレ、集約度といい、国内外を問わずこれだけ完成度の高いライブ演奏は、他にまず見つからなかった。何かといえば難癖をつけたがる筆者も、あっさり脱帽した。

同日ファースト・アクトをつとめたデビュー当時のGO!GO!7188も、「フラカンが観られて感激」みたいなことを言っていたぐらいで、プロのバンドマンでさえ憧れ、一目置く。そんな存在だったのだ。

さて今回の新曲の出来はどうかというと、記念すべき節目のシングルとしてはちょっと拍子抜けするぐらい「フツーの曲」である。

多くのバンドがサウンドに凝り、シンフォニック化の一途をたどる中、ホント、このシンプルさはどういうことだろう。

ストリングス、ホーンなど使わず、下手するとまったくオーバーダビングしていないんじゃないかと思うぐらい、一発録りに近いバンド・サウンドのみ。ごくごくシンプルな、60年代ふうフォークロック・スタイルなのだ。

ボーカルにしても、ごく一部にしかコーラスを入れず、あくまでも圭介の歌をフィーチャー。

彼の歌って、テクニックとか声量とかが特にあるわけじゃないけど、ストレートに歌詞の内容が伝わってくる。そんな素朴な味わいがあるのだ。いわば生成りの歌。

衒い、ギミックを排し、あくまでも自然体で歌う。その姿勢、好きだなぁ。

メンバー全員が同年生まれで同学年なのだが、全員40才を迎えたというフラカン。

かつて「子供」という言葉をアイデンティティにして活動していた某先輩バンドはいつのまにやら解散し、大人への道を歩んでしまったが、フラカンなら初心を忘れず、これからも10年、20年とマイペースで活動し続けてくれるだろう。そう筆者は信じている。

そう考えれば、20年という大きな節目も、つまるところはフラカンにとっては通過点、一里塚のようなものか。

あせらず気張らず、とにかくいい歌をうたい、演奏し続けていって欲しいものであります。

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#117 ロイ・ミルトン「Information Blues」

2010-04-11 09:53:14 | Weblog
#117 ロイ・ミルトン「Information Blues」(25 Best: Blues Classics/Madacy Special MKTS)

1930~50年代に活躍したシンガー/バンドリーダー、ロイ・ミルトンのスペシャルティ在籍時の録音より。ミルトンのオリジナル。

ミルトンは1907年、オクラホマ州ワインウッド生まれ。30年代より西海岸に移住、ロサンゼルスにて自身のバンド、ザ・ソリッド・センダーズを結成する。

ジャンプを軸にしたその勢いあるサウンドは、40年代半ばにブレイク。スペシャルティの前身レーベル、ジューク・ボックスから出した「R.M.Blues」(46年)が大ヒット。以来、50年代半ばまで約20曲のスマッシュ・ヒットを出し続けた、文字通りのヒット・メーカーだったのである。

「Information Blues」もそのひとつで、いかにもノリのいいジャンプ・ナンバー。

ミルトンの妻でもあるピアニスト、カミル・ハワードの軽快なプレイから始まるこの曲は、重厚な4ビート・サウンドにミルトンの軽めのボーカルが絡み、実に粋な雰囲気を醸し出している。

当時、爆発的な人気を博したというのも、うなずけるよね。

ルイ・ジョーダンあたりと並ぶ、黒人ロックン・ローラーの先駆け的存在ともいえそう。50年代後半にロックンロールの担い手が、より若い黒人や白人に移っていくまでは、ジャズを基盤としたいかにも手堅いサウンドで、ヒット曲を量産し続けたのである。

ミルトン自身はシンガー、リーダーだけでなくドラマーをも兼ねており、つまりはサウンド・クリエイターでもあったということだな。まさに手練のミュージシャン。

見た目は完全にオジサンで、ロック・スター的なビジュアルではなかったけれど、その歌声、ドラム、そしてバック・サウンドは、実にヒップでカッコいい。

スペシャルティが単なるローカル・レーベルのひとつの域を越えて、全米的な影響力を持つレーベルになったのも、このミルトンの活躍に負うところが大きいという。そういう意味でも、ブラック・ミュージック史上、無視できない存在なのだ。

そのビート感覚ひとつとっても、いまだに学ぶべきものが多いと思うよ、ロイ・ミルトンは。必聴であります。

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