NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音盤日誌「一日一枚」#228 古内東子「サヨナラアイシテタヒト」(ポニーキャニオン PCCA-80022)

2022-06-30 05:17:00 | Weblog

2004年8月4日(水)



#228 古内東子「サヨナラアイシテタヒト」(ポニーキャニオン PCCA-80022)

身も心も疲れ果てて帰って来た夜に、ふと聴きたくなるシンガー。それが、古内東子だ。

シングル「はやくいそいで」でデビューしたのが93年だから、彼女、もうけっこうなベテラン。

恋に悩むOLたちの気持ちをみごとに捉えた歌詞で、「ラブソングの女王」の異名をとり、若い女性たちにとって恋愛の教祖的存在だった彼女も、はや十年選手。

昨年、新しいレーベルに移籍、11月にリリースしたのがこの「サヨナラアイシテタヒト」だ。

タイトルでわかるように、恋人との別れを歌ったナンバーだが、あいかわらず、歌詞が何ともいえず素晴らしい。

まずは「さよなら愛してた人、すべてを忘れない/いつか誰かに抱かれる夜も/あなたのこと考えてる悪い女になるでしょう」という冒頭のリフレインで、グッと来てしまう。

こんな台詞、現実の生活でいわれたことなどまずないけれど、もし別れのときに言われたら、その女性は一生忘れることの出来ない、特別な存在になるに違いない。

別れのときにこそ、その人の本質がはっきり出るというからね。究極のキメ台詞だよな。

「素顔の方が好きだと言われても/会える日はきれいでいたくて/自分に似合う口紅の色を/探して歩いた、週末の街で何度でも」このくだりもいいなあ。ここまで好きになってもらえたら、その彼、オトコ冥利に尽きるってもんだぜ。

別れるまでのふたりには、決してハッピーなことばかりじゃなかったろうに、最後はここまでふたりの思い出を美しいものにして、そしてあっさりと別れてゆく。いいよね。

恋する若い女性のみならず、男性のハートまで捉えて離さない歌詞だ。さすが「ラブソングの女王」。

歌詞ばかりではない。この切ない思いを歌う、古内の声がまたいい。透明感があって、実にみずみずしい。

10年以上の歳月を経てなお、変わることのない初々しさ。でも、その一方で、確実に大人の雰囲気も身につけている。

サウンドを担当するのは、新進気鋭のアレンジャー、春川仁志。彼の編曲も、ごくごくオーソドックスなAOR路線ながら、古内ワールドにぴったりとハマっている。

筆者的に特に気に入っているのは、べースラインかな。非常に気持ちよく、自然と体が動いてきてしまう。

古内東子はこの移籍第一弾の発表後、今年2月には「stay」もリリース。こちらも、同じく春川がアレンジをつとめる佳曲だ。

近年の彼女の作品としては、いつになく充実した出来ばえとの評判が高い。

さらには、アルバム「フツウのこと」も3月に発表。サウンドは春川、そして一昨日も注目した河野伸が担当。これはもう、期待するなという方が間違っている。

文句のつけようのないクォリティの高さで、完全復活した古内東子。

オトコもオンナも強く引きつけてやまない、彼女の歌声。ぜひもう一度、聴いてみてほしい。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#227 山本領平「Set Free」(ワーナーミュージック・ジャパン WPCL-10070)

2022-06-29 05:37:00 | Weblog

2004年8月3日(火)



#227 山本領平「Set Free」(ワーナーミュージック・ジャパン WPCL-10070)

シンガー、山本領平の3rdシングル。2004年2月リリース。SIZK、山本領平ほかによるプロデュース。

彼は、筆者がいま一番注目している男性シンガーのひとりだ。「山本領平? 誰、それ?」と言われるかたでも、昨年、m-flo、女性シンガーmelody.とのコラボレーションで「miss you」をリリースしたイケメン系シンガーといえば、ピンと来るのではないだろうか。

「miss you」のPVではm-floのふたりを狂言回しに、美人シンガーmelody.との思わせぶりな絡みを見せていた彼。しかし、この山本、ただ顔がいいだけのデルモ男ではない。

いわゆる帰国子女で、英語を母国語と同じくらい、自然に身につけている山本。もともとは、アーティストとか、シンガー志向はあまりなく、選手としてアメフトに熱中する、どちらかといえば体育会系の若者だった。そして、その一方で、ヒップホップ、ラップ等を熱烈に愛好していたのである。

そんな彼が日本の商社に就職し、サラリーマン生活を送るうちに、どうしても音楽への想いを断つことが出来ず、会社をやめてプロの世界に入って来た。見た目は若いが、実はもう30近い。なんともユニークな経歴のひとなのである。

「Set Free」は、ジャンル的には、いわゆる「ハウス」、「2ステップ」とよばれるフロア・ミュージックなのだが、その手のコアな音楽にありがちな「間口の狭さ」は感じられない。

これはやはり、彼の声の魅力によるところが大きいように思う。線はあまり太くはないが、とても暖かく、ソフトで、癒しに満ちた歌声。これは、彼の非常に強力な武器だと思う。

「声」の研究家によれば、宇多田ヒカルとか、平井堅とか、人気のあるシンガーの声は、声に寄り添う微妙な別の周波数の声、つまり「もうひとつの声」を含んでいる場合が多いらしい。山本もまた、そういう微妙な含みを持った声といえそうだ。

ささやくような小さな音量でも、相手のハートにしっかりと届く、そういうマジックが彼の声にはある。

タイトル・トラックは、まさにそのショーケース。パーカッシヴなサウンドに乗せ、軽やかに韻をふむヴォーカルが耳に心地よい。

音楽のため会社をやめた、自身の体験が大きく投影されているらしい、自作詞にも注目。バイリンガルの山本ならでは、英語と日本語がシームレスに溶け合い、独自のリョウヘイ・ワールドを紡ぎ出している。

続く「Game We Played」は、いかにもダンサブルなナンバー。そのヴォーカルのノリはとても日本製とは思えない。

もう一曲は、エリック・カルメン作(というよりは、ほとんどセルゲイ・ラフマニノフのメロディなのだが)の畢生のバラード「All By Myself」。

アコースティックなアレンジをバックに、感情をこめて歌う山本。これがなんともハートにジーンと来るのだよ。

ハウス系のイメージの強い彼としては、異色のナンバーだが、意外とイケている。ライヴでも、ぜひ聴いてみたいものだ。

イケメンに似合わず、素顔の彼は気取ったところなどみじんもなく、いかにも気のいいアンチャン風。そういう意外性も、彼の大きな魅力だろう。ホント、同性の目から見ても、ナイスガイなのだ。

「福●ましゃがいい~」とか、「いや私はやっぱり●クト」とか言ってる、そこの美男好きなおねえさんがた、山本領平、いま絶対の「買い」でっせ。

次回作は、いよいよ本格的なセルフ・プロデュースに取り組むという山本。そのコスモポリタンな音楽性をフルに発揮してくれることだろう。リリースがホントに、楽しみである。

<独断評価>★★★


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音盤日誌「一日一枚」#225 アース・ウィンド&ファイアー「天空の女神」(CBSソニー 25KP 742)

2022-06-27 05:02:00 | Weblog

2004年8月1日(日)



#225 アース・ウィンド&ファイアー「天空の女神」(CBSソニー 25KP 742)

さて、いよいよ8月である。月が変わったのを機に、この欄も思い切ってリニューアルしたいと思う。

すなわち、(1)毎日更新、(2)基本的に平日はおもにシングル盤、週末はアルバムを取り上げる。そんなスタイルで行きたい。

一日分の文章量はだいぶん少なめになるが、そのへんはご容赦願いたい。

さて、今日はこの一枚。アース・ウィンド&ファイアー、通算13枚目のアルバム。82年リリース。モーリス・ホワイトによるプロデュース。

30代後半以上のかたなら、この一枚を聴くと、条件反射的にリリース当時のころを思い出すだろう。ディスコやら、サーフィンやら、ポパイ&ホットドッグプレス文化やらが全盛だった「あの頃」を。

このアルバムのトップ、「レッツ・グルーヴ」はまさにそういったアーリー・エイティーズ・ジャパンの若者文化を象徴する最重要曲であったのだ。

実際、六本木や新宿のディスコで、この曲がかからぬ夜はなかったといっていい。

しかしながら最近、アース・ウィンド&ファイアーの音を耳にすることは、まったくといっていいほどなくなった。

一世を風靡したものほど、あとかたもなく消え去っていく、そういうものなんだろうか。

アースといえば、そのサーカスまがいの大掛かりなステージ・ギミックで話題だったが、そちらは筆者的にはあまり興味がなかった。やはり、その面目は唯一無二のその「グルーヴ」だった。

そもそもアースに興味を持つようになったのは、74年、ラムゼイ・ルイスがアースの主要メンバーをバックに制作した「SUN GODDESS」を聴いてからだったと思う。

これが実に新鮮なサウンドに聴こえた。ジャズ、ブラジル音楽、フュージョン、ファンク、そういった異なるジャンルが溶け込んだ新しい音に圧倒された。

なかでも、アル・マッケイの絶妙なギター・カッティング、そしてフィリップ・ベイリーの特徴あるファルセットが耳に残り、以降彼らの所属するグループ本体にも関心をはらうようになった。

アース本体も「シャイニング・スター」のスマッシュ・ヒットで、日本でもメジャーな存在となり、以降「セプテンバー」「宇宙のファンタジー」、そしてこの「レッツ・グルーヴ」で人気を不動のものにした…はずだった。

かつてあれほど隆盛をほこったディスコ文化ではあったが、バブル崩壊を機に一気に下火となり、その後は趣きのかなり違った「クラブ・カルチャー」が若者文化の代名詞となってしまった。完全に「代替わり」してしまったのである。

アースもいまでは、ある年齢以上の世代にとっての懐メロ的存在として聴かれるだけの存在になってしまった。

しかしですね、彼らが蒔いた種というものは、ちゃんと生き残って、確実に生長し、花実を咲かせているのですよ、皆さん。

たとえば、デビューして15年のベテラン、ドリームズ・カム・トゥルー。ドリカムもまた、アースの子供達の一例だといっていい。

ここでは詳らかに論ずることはしないが、アースがドリカムのサウンド・メーカー、中村正人に与えた多大な影響は、92年の大ヒット「決戦は金曜日」を聴けばたちどころにわかると思う。

ドリカムの日本人ばなれした音のセンスは、やはりまったくゼロの状態から創り上げたものではなく、偉大なる先達あってこそのものなのである。

さて、このアルバムはトータルな出来としては「イマイチ」感がいなめない。傑作「レッツ・グルーヴ」を除くと、可もなく不可もない出来というべきか。アル・マッケイが抜け、ローランド・バティスタに代わった影響もあるかな。

個人的にはベイリーをフィーチャーした「エヴリューション・オレンジ」が「レッツ~」に次いでオキニです。どこか「宇宙のファンタジー」に通じる雰囲気を持ちながら、さらにアップ・テンポでノレる曲であります。

<独断評価>★★★


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音盤日誌「一日一枚」#230 安全地帯「Juliet」(キティ H12K 20109)

2022-06-27 04:57:00 | Weblog

2004年8月6日(金)



#230 安全地帯「Juliet」(キティ H12K 20109)

CDなる音楽メディアが登場してから、20年余りがたつ。

最初のうちは再生用ハードウェアもやたら高価だったし、単価もアナログ盤よりやや高めで、なかなか普及しなかった。

しかし、登場して数年後には、アナログ盤に追いつき追い越し、さらに何年か後には、アナログ盤の製造を廃止させるほど優勢になった。

そう、80年代後半は、なんともめまぐるしい、メディア交代劇の時代であったのだ。

そんな中で、それぞれのアーティストも、既存のアナログメディア(ビニール盤、カセット)、新しいデジタルメディア(CD、MD)、いずれを使ってどのようにリリースしていくのが効果的か、頭を悩ましていたにちがいない。

今日取り上げたのは、安全地帯の16枚目のシングル。87年12月リリース。

これはCDシングルなのだが、当時としては非常に珍しい12cm盤。かといって、現在「マキシシングル」と呼ばれるカテゴリに入るものではない。たった2曲しか入っていないし(笑)。

この次の曲の「月に濡れたふたり」からは、またいつもの8cmサイズ、紙ケース入りのCDシングルに戻ったという記憶がある。

つまりは、非常に「実験」的な商品だったのだと思う。

8cmシングルという商品、レコードショップの店頭に並べて売るとき、そのハンパなサイズが昔からネックとなっていた。

ダウンサイジングは世の中全般の流れではあるのだが、ときには、不都合も生じる。

あまりにジャケットが小さく、ラックでは見出し(アーティスト名&曲名)の面しか見えないので、お目当てのアーティストの一枚を探すのが不便極まりない。

そういう意味で、12cmの、のちにマキシと呼ばれる形態のCDシングルの登場は、不可避だったのだと思う。

筆者の手元にも、8cmサイズのCDシングルが何十枚かあるにはあるのだが、いったんボックスにしまってしまうと、なかなかひっぱり出して聴くということがない。

それに対し、12cmものはアルバムと同サイズなので、ラックに並べて保管出来、聴きたいときにすぐ取り出すことが出来る。あきらかに後者の「勝ち」なのだ。

実際、2004年現在のCDシングルは、ほとんどが12cmでリリースされている。

メディアの形態は、リスナーの使い勝手に合わせて、次第に変化していく、そういうことなんだろうな。

さて、肝心の安全地帯の音楽について、語ることをすっかり忘れていた。スマソ。

安地(これって、あまりいい略称だとは思わないけどね。なんか遺体の「安置」とか、「アンチ〈Anti〉」を連想させるんで)の人気は、87年には残念ながらピークを過ぎていた。別に音楽の質が低下してしまったとは思わなかったけど、他のもっと若いバンドに人気がシフトしてしまった、そういうことだと思う。

もともと、ヴィジュアルより音楽性そのもので勝負するタイプのバンドなんで、それはいずれは避けられない事態だったと思うのだが。

以前のような、数十万枚のセールスから、10万枚未満、さらには数万枚台に落ち込むようになってしまった安地。

この状況を見て、そろそろ潮時と考えたのか、93年には活動停止を宣言するまでになる。そして、玉置浩二はソロ活動に専念してしまう。

でも、最近では、再び昔のメンバーを呼び集めて、マイペースながら活動を再開している。

これは、なんともうれしいことだ。「売れる・売れない」に振り回されることなく、自分たちのやりたい音楽をやっていく。これは、プロ、アマチュアを問わず、あらゆるバンドにとって理想のありようなんだから。

過去のように大ヒットを出そうが出すまいが、安全地帯は安全地帯。大人が聴くにたえうる、良質の音楽を生み出し続けて欲しい。応援してるよ。

<独断評価>★★★


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音盤日誌「一日一枚」#224 氷室京介「メモリーズ オブ ブルー」(東芝EMI TOCT-6890)

2022-06-26 05:39:00 | Weblog

2004年7月25日(日)



#224 氷室京介「メモリーズ オブ ブルー」(東芝EMI TOCT-6890)

ひさしぶりの更新である。長いこと休んでしまい、申し訳ない。

で、きょうはヒムロックこと氷室京介のソロ・アルバム。93年リリース。

カメリアダイアモンドのCFソングとして使われ、大ヒットした「KISS ME」をフィーチャー、全10曲を収録。

氷室といえば、最近はあまり表舞台に出てこないが、このアルバムを出した93年あたりはフル回転で活躍してたな。

筆者が思うに、彼の魅力はひとえに「声」。これに尽きると思う。

彼の声って、筆者が考えるに、シンガーにとってひとつの理想形といえるんじゃないかな。

そりゃあ、彼のルックスとか、彼の持っている世界観とか、行動美学とか、そういったものもファンたちにとっては大きな魅力なんだろうけど、筆者にとっては、そのへんはあまり琴線に触れてこない。正直いって。

やはり、あの少しハスキーで張りのある「声」あってこその氷室。他は「おまけ」みたいなものだ。

さて、当作品はアレンジャー兼キーボーディスト西平彰を軸に、数多くの実力派ミュージシャンを集め、ロック・アルバムとしても一級品の仕上がりとなっている。たとえば、ギターでは故大村憲司、佐橋佳幸、小倉博和(ふたりは現在「山弦」というデュオとして活躍中)といった顔ぶれ。

彼らの気合いの入ったソロもまた、氷室のヴォーカル同様、本アルバムの聴きどころといえそうだ。

個人的に好きなのは、やはり「KISS ME」。この曲、カラオケで何十回歌ったことか…。

普通のエイトビートなんだが、ものすごくスピード感があってカッコいい演奏。そしてなんといっても、氷室のスムースな、ヴェルヴェットをおもわせる歌声は最高だな。

ほかにはエアロスミス風ハードロック「SON OF A BITCH」もごキゲン。ノリのよさでは「KISS ME」と互角の出来。

でも、その一方ではしっとりしたバラード「RAINY BLUE」でも圧倒的な歌のうまさを見せつけるし、ラストの「WILL」ではこれまでの彼のイメージをがらっと変えるような、くぐもった声で「語り」に近いヴォーカル・スタイルを聴かせる。

これすべて、彼の作曲によるもの。サウンドにもさまざまな変化をつけ、一枚を飽きさせることなく聴かせる。さすがである。

ところで、現在彼があまりマスメディアに登場しなくなった(出来なくなった?)背景について、少し触れておきたいのだが、やはりそのあまりに「オレはカリスマ」的な自己演出が、災いしているとしか思えない。

筆者にいわせれば、その人間がカリスマかどうかは世間が決めることであって、自分から言い出すことじゃないだろ、とんねるずみたいな「ネタ」としてのカリスマでもない限り。

音楽誌はもとより、一般誌に登場するときまで、カリスマ演出をメディア側に強要すようになっちゃ、そりゃ煙たがられるでしょうが。

氷室さん、あんたはその「声」だけで十二分にスゴいひとなんだから、過剰な演出なんて不要なんだよ。ステージ以外のところでまで、妙なナルシスキャラを演ずるなんて意味ないって。

その点、元同僚の布袋寅泰のほうが、自然体で気取ってなくてずっといい感じだ。B'Zの稲葉浩志だって、変に二枚目ぶってないから、人気があるんだと思う。歌番組でコメディアンにいじられたって、歌をうたう瞬間に最高にカッコよけりゃそれでいいじゃん。

せっかくの稀有な才能なんだから、一部のコアなファンの専有物的存在にならずに、もっと広いグラウンドで活躍してほしいと思うよ、氷室京介には。

彼になら、自分自身の音楽活動だけでなく、他のアーティストのプロデュースも期待出来そう。なんたって、すべてのロックバンドの記録を塗りかえたひとなんだから。彼の今後に期待したい。

<独断評価>★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#223 V.A.「クラプトン・クラシックス」(P-VINE PCD-2530)

2022-06-25 05:12:00 | Weblog

2004年6月27日(日)



#223 V.A.「クラプトン・クラシックス」(P-VINE PCD-2530)

なんのかんのいっても、ブルースという音楽が今日も命脈を保っているのは、多くの白人ロック・ミュージシャンたちがこぞってブルース曲を取り上げ演奏して来たことが大きいが、その代表格はやはりクラプトンだろう。

当コンピ盤は、ECが強く影響を受け、カヴァーして来た黒人ブルースマンたちのオリジナル音源集である。

オーティス・ラッシュにはじまり、三大キングのうちのフレディ&アルバート、ハウリン・ウルフ、マディ・ウォーターズ、サニーボーイII、そして精神的に最も影響を受けたのではないかと思われるロバート・ジョンスンに至る、22名のビッグネームが綺羅星のごとく並んでいる。

そう、この一枚は、クラプトンが影響を受けた音楽の記録であるともに、ブルースそのものの歴史でもあるといえそうだ。

まずは、オーティス・ラッシュの「オール・ユア・ラヴ」から。ご存じ、ブルースブレイカーズ時代のレパートリーだ。

歌、ギターともに最大級の師匠のひとり。オーティスなくして、今日のECはありえなかったろうね。

フレディ・キングにもECは多くのものを学んでいる。70年代には共演も果たしている。そんなフレディの「ハイダウェイ」「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」を収録。前者は、ブルースブレイカーズ時代のECがコピーしているが、微妙な違いがあるので、聴き比べて見ると面白い。

アルバート・キングのスクウィーズ全開のギター・プレイも、ECのソロ・フレーズにかなりの影響を与えている。クリームの「ストレンジ・ブルー」とか、モロにそれである。当盤ではクリームによりカヴァーされたヒット、「悪い星の下に」を収録。

ウルフ、マディ、サニーボーイのチェス三巨頭も忘れるわけにはいくまい。彼らこそ、60年代白人ロックミュージシャンたちと最も積極的に交流したブルースマンたち。60年代のブルース・ルネッサンスは、彼らに負う所大である。

ウルフはクリームにカヴァーされた「スプーンフル」「シッティン・オン・トップ・オブ・ザ・ワールド」、ヤードバーズにカヴァーされた「スモークスタック・ライトニン」を収録。各曲の、ロックにアレンジされる前の原型を知ることが出来る。聴きどころはウルフのハープと、サムリンの絶妙なバッキングだろう。

マディは、クリームのレパートリーとしてもおなじみの「ローリン・アンド・タンブリン」を収録。のどかなカントリー・ブルース調なのが、クリーム版とは際立った対照を示している。

ヤードバーズ時代のECと共演を果たしているのが、サニーボーイ・ウィリアムスン。ECにとって、リアル・ブルースの初体験であったことだろう。

ここでは、ソロになってからのECのレパートリー、名曲「アイサイト・トゥ・ザ・ブラインド」を収録。

ドクター・ロスは単独盤をなかなか見つけられないレアなアーティストだが、ここでは「猫とりす」のオリジナルを収録。

ギター、バスドラ、ハープ、そして歌。ひとりで全部やっているのは、すごい。

スキップ・ジェイムズも、あまり音盤を見かけないブルースマンのひとりだが、「アイム・ソー・グラッド」が聴ける。いかにも戦前のブルースっぽい、モノローグ風の曲なんだが、これがクリームにかかると、妙に大仰な曲に変身してしまうのが、なんともおかしい。

つい先日もECがそのトリビュート盤「Me And Mr. Johnson」をリリースしたロバート・ジョンスンは、おそらくECが一番頻繁にカヴァーして来たブルースマンだろう。今回のアルバムにより、RJがレコーディングした29曲のうち、7割がたはカヴァーした勘定になるだろう。

そんなECの究極の"アイドル"、RJは「ランブリン・オン・マイ・マインド」「クロスロード」を収録。

一方で、非ブルース的なアーティストも登場する。チャック・ベリーである。ヤードバーズ時代にカヴァーされた「トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス」を収録。

その他、ブラインド・ジョー・レイノルズ、ビリー・ボーイ・アーノルド、スリム・ハーポ、エディ・ボイド、ジョニー・オーティス、ビッグ・メイシオなど、年代もスタイルもさまざまなブルースマンが登場する。さながら、ブルース博物館のごとし。

昨年、アメリカでは「ブルースの年」だったこともあってか、それが飛び火して、わが国でもブルース熱が再燃しつつあると言う。当然ながら、ブルース未体験に近い若いひとも、聴いてみようかと考えているらしい。

そういうかたは、まずはこの一枚のようなコンピを手がかりにして、好みのアーティスト単体のアルバムまで聴いていくのがいいのではと思う。

なお、本盤を聴いてみたいというかたは、その増補改訂版「ブルー・クラプトーン」(クラプトンに非ず、PVCP-8203)が出ているそうなので、そちらを購入されたい。

<独断評価>★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#222 フォー・フレッシュメン「THE E.P. COLLECTION」(See For Miles SEECD 721)

2022-06-24 05:00:00 | Weblog

2004年6月20日(日)



#222 フォー・フレッシュメン「THE E.P. COLLECTION」(See For Miles SEECD 721)

モダン・ジャズ・コーラスの代表選手、フォー・フレッシュメンのコンピ盤。2000年リリース。

彼らの代表作「フォー・フレッシュメン&ファイヴ・トロンボーンズ」を中心に、彼らの絶頂期(55~62年)にリリースした7枚のEP盤をコンピレーションしたものだ。全25曲。

とにかく選曲が素晴らしい。思わず誰かさんのように「イイヨイイヨー」と言いたくなってしまう名曲揃い。

「DAY BY DAY」はジャズ・ヴォーカル・ファンなら知らぬ者もない、サミー・カーン作詞、アクセル・ストーダルとポール・ウェストン作曲による作品。フォー・フレッシュメン、最大のヒット曲でもある。

軽やかなリズムに乗せて、実に気持ちよくスウィングするコーラス。まさに名の通り清新なサウンド。イイヨイイヨー。

「ANGEL EYES」は弾き語りシンガー、マット・デニスの代表作。これまた小粋な佳曲。バックのトロンボーンがいい雰囲気を醸し出す。

「SPEAK LOW」は「MACK THE KNIFE」のヒットで知られるクルト・ワイルの作品。地味なれど、大人のムードが◎。

「I REMEMBER YOU」はジョニー・マーサーのナンバー。ドリス・デイやヘレン・メリルらが得意としており、彼女たちが歌うと結構艶っぽい曲に聴こえるが、フォー・フレッシュメンが歌うとすごく初々しい印象。初恋の女性によせる、ピュアなラヴソングって感じだ。

「EVERY TIME WE SAY GOODBYE」はコール・ポーターの作品。豊かなビッグバンド・サウンドに乗せて、ポーター一流の甘いメロディを歌う。恋人たちのBGMにピッタリ。

「IF I SHOULD LOSE YOU」は、チャーリー・パーカーの名演で知られる、ロビン=レインジャー・コンビのナンバー。シナトラも歌っていたなあ。アコースティックギターの伴奏、ラテン・リズムが、ちょっとメランコリックな曲調をさらに引き立てている。メンバーのソロパートもあり、これまた味のある歌いぶりだ。

「IT COULD HAPPEN TO YOU」はジョニー・バーク=ジミー・ヴァン・ヒューゼンのコンビの代表曲。クールで一糸乱れぬコーラス、これぞフォー・フレッシュメンの真骨頂ナリ。

「THE MORE I SEE YOU」は、不肖筆者もレパートリーとする、不朽のラヴソング。ハリー・ウォーレン、マック・ゴードンの作品。「あなたに逢うごとに想いはつのるばかり」という、時速150キロの直球みたいな歌。

アコギ中心の静かな伴奏に乗せて、スローテンポでソフトに歌われるこのヴァージョンは、まさに王道を行く仕上がり。「ロマンティック」という評言は、まさにこの曲のためにあるようなものだ。

「TEACH ME TONIGHT」もまた、感涙ものの一曲。サミー・カーン=ジーン・デ・ポールの作品。カーンのユーモアあふれる歌詞が素晴らしいラヴソング。いろいろな人が歌っているが、個人的にはバディ・グレコ版がベストかな。ブロッサム・ディアリーのもいいけど。

いかにもバラード・アレンジに向いた曲なのだが、それをあえて陽気なチャチャにアレンジ。これには、意表をつかれました。

よく知っているスタンダードでも、編曲次第ではまったく別の曲のように聴こえる。これもカヴァーものを聴く醍醐味のひとつですな。

「THE HEARTS WERE FULL OF SPRING」は、「ルート66」でおなじみのボビー・トゥループの作品。ア・カペラで歌われる。

この曲はかのビーチ・ボーイズも取り上げているのだが、もちろんこのフォー・フレッシュメン版にインスパイアされてのことは間違いない。一聴してすぐにそれはわかるはずだ。

この曲や「GRADUATION DAY」のコーラスを聴くと、彼らがいかにビーチ・ボーイズに影響を与えたかが、よくわかる。

「IT'S A BLUE WORLD」は、フォー・フレッシュメン、55年のデビュー曲。フォレスト=ライト・コンビの作品。

これもエラ・フィッツジェラルド、メル・トーメなど名唱が多い曲だが、彼らのも諸先輩に負けぬ出来ばえ。スローテンポで歌われるコーラスは、一分の隙もない濃密なサウンドだ。

デビュー当初から、高い完成度をほこっていたのも、結成してメジャーデビューするまでに7年ものキャリアを積んでいたことが大きいだろうね。とりわけスタン・ケントン楽団に認められ、彼らと共にステージを経験していたことが大きいだろう。

歌はやはり、人前に出て場数をふむ、これに限るからね。

フォー・フレッシュメン、実際のステージでは自らギター、ベース、トランペットなどの各種楽器を演奏しつつ歌うそうだが、そういうミュージシャンとしての幅の広さが、彼らの歌にも感じられる。

フォー・フレッシュメンの魅力を、ギュッと凝縮した一枚。未聴のかたにも、おすすめである。

<独断評価>★★★


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音盤日誌「一日一枚」#221 山下達郎・伊藤銀次・大滝詠一「ナイアガラ・トライアングル VOL.1」(CBSソニー 27KH 962)

2022-06-23 05:00:00 | Weblog

2004年6月13日(日)



#221 山下達郎・伊藤銀次・大滝詠一「ナイアガラ・トライアングル VOL.1」(CBSソニー 27KH 962)

circustown.netによるディスク・データ

大滝詠一を中心に、シュガー・ベイブの伊藤銀次、山下達郎の3人が結成したユニット、ナイアガラ・トライアングル初のアルバム。76年3月リリース。

76年3月といえば、筆者的には高校を卒業した時。あれから28年もたってしまったんやね~(遠い目)。

現在ではほとんど表舞台に登場しない、文字通り"大御所"の大滝詠一、"大プロデューサー"伊藤銀次、"大歌手"山下達郎をはじめ、そうそうたる面子がこのアルバムに参加している。

達郎率いる「シュガー・ベイブ」組の大貫妙子、寺尾次郎、村松邦男。レコーディングの時点で、バンドの解散は既に決定していたそうだが。大滝のはっぴいえんど時代の朋友、鈴木茂、細野晴臣。彼らと共にキャラメル・ママ~ティンパン・アレーのメンバーだった松任谷正隆に林立夫。

後に、達郎の曲の作詞担当として重要な役割を果たす吉田美奈子、説明不要の坂本龍一、上原裕、斎藤ノブ。さらには初期ブルース・クリエーションのヴォーカルだった布谷文夫も。

三人のコネクションにより呼び集められた、当時最強のセッションだったといえそう。

全11曲のうち、4曲ずつを達郎と銀次、3曲を大滝が作っている。

印象に残る曲といえば、まずは「パレード」だろうね。これは達郎がシュガー・ベイブのレパートリーとして作った曲なのだが、実際にはバンドではリリースせず、このヴァージョンがレコードでの初お目見えとなった。

その後は、テレビ番組のテーマ曲で使われたり、カヴァーされたりして、その甘いメロディが人気を集め、達郎の作品中でも最も息の長いナンバーのひとつとなった。つい最近では、つじあやのがカヴァーしとったなあ。(アルバム「COVER GIRL」所収)

今回、聴き直してみて、この曲のサウンドのキモは、坂本教授のピアノとヴァイブだなぁと実感。大貫・吉田コンビのホワーッとしたファンタスティックなコーラスもいい。

「ドリーミング・デイ」も、「パレード」にひけを取らない名曲だ。のびやかな歌いぶりは、後年の達郎節を思わせるものがある。達郎のソリッドなギター・カッティングも聴きもの。

すでにサウンドは、シュガー・ベイブ風というよりは、のちのソロのスタイルにシフトしているのが、興味深い。

「遅すぎた別れ」は達郎が作り、銀次が語りを担当したナンバー。

スローテンポで、ゴスペル・テイストの演奏がちょっと異色で面白い。

一転、ウェスト・コースト風のサウンドなのは「日射病」。伊藤銀次がかつて率いていたバンド、「ココナッツ・バンク」の代表的レパートリーである。元メンバーの平野肇・融も参加。

ココナッツ・バンクは、ショーボート・レーベルのオムニバス・ライヴ盤に登場した以外はアルバムを残していないので、貴重な記録といえそう。例によって銀次氏なので、ソロ・ヴォーカルはあまり上手くないのだが、達郎のコーラスというサポートを得て、軽やかなハーモニーがキマっている。どことなく、スティーヴ・ミラー・バンドあたりを彷彿とさせる。

「ココナッツ・ホリデイ'76」は同じく銀次作曲のインスト。ココナッツ・バンク時代のレパートリーの再録音。なんちゃってオールマンズな、トロピカル・ムード満載の一曲。

「幸せにさよなら」は、メロディ・メーカー伊藤銀次の真骨頂とでもいうべき作品。西海岸風サウンドにのせて、歌われる甘酸っぱいメロディが○。このアルバムでは彼だけのソロだが、ナイアガラ・トライアングルのシングル・ヴァージョンでは、三人でソロを回している。

「新無頼横町」も、銀次のココナッツ・バンク時代の作品。彼にしては珍しくファンク色の濃いナンバー。歌のみならず、リード・ギターも彼が弾いていて、これがなかなかカッチョいい。

「フライング・キッド」で再び達郎登場。やたらエコーのかかった録音法が印象的な、AOR風ナンバー。

キーボード、オルガン、サックス、エレピ、ヴァイブ等、沢山楽器を使った、ゴージャス(?)な作り。いささか凝り過ぎのきらいはあるが。

ちなみに、浜崎貴司が率いていたバンド、フライング・キッズはこの曲名から取ったらしい。

最後に大滝御大登場。彼の作った三曲がそれぞれバラバラな作風なのが面白い。

「FUSSA STRAT Part-I」は「福生ストラット!」のシャウトを繰り返すだけのインスト。ファンキーな演奏は坂本、村松、細野、上原が担当。ヴォイスは布谷ほか全五人が担当。

「夜明け前の浜辺」は一聴してわかる、大滝版「サーファー・ガール」。駒沢裕城のスティールが、ひたすら甘ったるい音を奏でている。カントリーというよりは、ハワイアンみたいな音色ですが、これまたご愛嬌。

ラストの「ナイアガラ音頭」は大滝の作品。だが、自身では歌わず、布谷がリード・ヴォーカルをとっている。

民謡のお囃子も加えての賑やかな演奏、ナンセンスな歌詞を大マジメに歌う布谷に、合いの手の茶々が入る。大滝の茶目っ気がそのまま出たような仕上がり。

大滝は何度もこの手の試みを好んでやっており、見事ヒットに結びついたのが、金沢明子の「イエローサブマリン音頭」だったね。

以上このアルバム、正直言ってまとまりには欠けるものの、セッションに参加した各人が、やりたいことをやりたいようにやっている、そこが実にいい。遊び心も随所に感じられる。

和製ポップスとは、結局「洒落っ気」」が大切なのだということを教えてくれた作品。

いま聴くと、音の処理法など、ものすごく時代がかっていて違和感を覚えるところもあるけど、それはそれで現在のJ-POPにはない魅力を感じるなあ。

<独断評価>★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#226 モーニング娘。「I WISH」(zetima EPCE-5070)

2022-06-23 04:19:00 | Weblog

2004年8月2日(月)



#226 モーニング娘。「I WISH」(zetima EPCE-5070)

きのうきょう、一番話題になっている曲といえば、これだろう。モーニング娘。の10thシングル。2000年9月リリース。

昨日夜、東京・代々木にて行われたコンサートで娘。を卒業した辻希美・加護亜依のふたりが、記念すべきラスト・チューンとして自ら選んだのが、このバラードだったのである。

思えば、W(ダブルユー)こと辻加護のふたりが娘。に加入したのが4年と数か月前。

当時はいかにもコドモコドモしていたふたりも、成長して今ではいっぱしのエンタテイナー。月日のたつのは本当に早いものだ。

それはさておき、このバラード、筆者が考えるには、娘。にとっても、アイドル史においても、非常に画期的な一曲だと思う。なぜか。

当時、モーニング娘。は人気絶頂期。CDを出せば即ミリオン、そんな「勢い」に満ちあふれていた。

3曲前の「LOVEマシーン」で初のミリオンを達成(最終売上は約165万枚)、次の「恋のダンスサイト」も軽くミリオンを突破(最終は約123万枚)、そして辻加護を含む4期メンバーがはじめて参加した「ハッピーサマーウェディング」も99万枚と、ほぼミリオン。

ここで、並みのプロデューサーだったら、「ラブマ・恋ダン・ハピサマみたいなノリのいい宴会ソングを出せば、次もミリオン間違いなしだろう」と判断、前の3曲と似たようなにぎやかな曲をリリースしたはずだ。

しかし、プロデューサーつんく♂(当時つんく)は、あえてその線を外した。

ヒップホップのセンスを溶かし込んだ、どちらかといえばスローなテンポのバラード、じっくりと歌い上げるような曲調のこの「I WISH」をぶつけてきたのである。

ファンはここで、さすがに面食らった。モー娘。イコールおちゃらけた宴会ソングという認識の強かった一般リスナーはいうにおよばず、コアなファン(いわゆるモーヲタ)でさえ、この大人っぽい歌に対してとまどった。

セールスは、さすがに下がった。「ハピサマ」の三分の二以下、65万台にまで落ちてしまった。

もっとも、次の「恋愛レボリューション21」ではもう一度盛り返して、98万台の準ミリオンにまで回復している。

逆にいうと、「I WISH」のような、曲想、曲調ともにジミな曲が65万も売れたのは、日本の音楽史上、とてつもなく画期的なことだと思う。

フツーの歌手なら、絶対こんなセールスは不可能だ。娘。にして初めてなしえた快挙だといっていい。

それくらい「I WISH」は、アイドル・ポップスの範疇を大きく超えた、特別な一曲なのだと思う。

多くのアーティストは、ある程度売れてくると、過去に自分の曲で一番よく売れたパターンを「自己模倣」することで、なんとかセールスを維持しようとするものだ。

いい例が、サザンオールスターズだ。最近の一連のシングルを見れば、すべて過去の大ヒットの自己模倣に過ぎない。いわば、毎回平和(ピンフ)で上がろうというセコい麻雀。

彼らくらい人気が安定していれば、詞でもサウンドでも、もっと冒険をしたっていいはずなのに、最近はアイデアが枯渇しているのだろうか。詞もメロディもアレンジも、みなパターン化している。これじゃあ、つまらない。

たとえチョンボになってもいい、でっかく満貫を狙うような「打ち方」を、彼らのようなビッグ・ネームには期待したいんだがなあ。

そういう意味で、娘。全盛期にあえてこのような「冒険」を試みたつんく♂は、もっと評価されてもいいんじゃないかと思うね。

とにかく、アイドル・ポップスらしからぬスケールの大きさをこの「I WISH」には感じる。

特にカッコいいと思うのは、ドラムンべースを基調にしたファンキーなバック・トラック。そして一転、華やかなブラス・サウンドがはじけるサビの展開。アレンジャー河野伸のセンスの良さが、最高に発揮された一曲だと思う。

もちろん、メイン・ヴォーカルを取る後藤真希、加護亜依の歌いぶりも、忘れちゃいけない。抑え目の歌唱が、とても十代前半とは思えぬうまさなんである。

この曲に関しては、もうひとつビッグな話題がある。これまた昨日の話、かの平井堅が自分のライヴ「KEN'S BAR」にてこの「I WISH」をアコースティック・ヴァージョンにてカヴァーしたというのだ。

モーニング娘。の歌曲が、他のシンガー、それも人気ナンバーワンのアーティストによりカヴァーされた。これは、彼女たちが単なるアイドルを超えた、ホンモノのシンガーとして認められた証拠なのではなかろうか。

この曲が、辻加護のメモリアル・ソングとしてファンの心に残り続けるのはいうまでもないが、2000年代を代表する不滅のバラードとして聴きつがれてもおかしくない。筆者はそう思う。

「I WISH」、あなたももう一度聴き直してみてほしい。

<独断評価>★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#220 ドゥービー・ブラザーズ「FAREWELL TOUR」(ワーナーパイオニア P-5619~20)

2022-06-22 05:01:00 | Weblog

2004年6月6日(日)



#220 ドゥービー・ブラザーズ「FAREWELL TOUR」(ワーナーパイオニア P-5619~20)

ドゥービー・ブラザーズ、83年のアルバム。初期ドゥービーズのラスト・アルバムであり、また最初のライヴ盤でもある。

71年のデビュー以来、着実にヒットを飛ばし、人気を獲得してきた彼らも、諸々の事情により82年に解散することとなる。そのラスト・ツアーの模様を収録している。

だから、全盛期(72年~78年ころか)の破竹の勢いはさすがにない。スタジオ盤の、あの高い完成度も求めることが出来ない。

でも、腐ってもドゥービーズ。演奏のクォリティに関しては、さすがトップバンドだなと、唸らせるものがある。

たとえばA面2曲目の「ドゥービー・ストリート」。この、おなじみのイントロを聴いただけで、「あぁ、こういう安定感のあるグルーヴを出せるロックバンドは、日本には絶対存在しないな」と思ってしまう。もちろん、偏見だけど(笑)。

歌もやっぱ、上手い。マイケル・マクドナルドとか、特に日本では人気があるシンガーじゃないけど、生歌を聴いているとものすごい「余裕」を感じる。いっぱいいっぱいで歌ってるのでなく、実力の7がけぐらいで歌っているけど、フツーに上手い。そんな感じだ。

もちろん、彼に限らず、メンバーの大半が歌えるというのは、相当な強みだよな。3曲目の「ジーザス・イズ・ジャスト・オールライト」みたいなコーラスを聴くと、ホント、そう思う。

先日取り上げたリトル・フィートにしても、彼らにしても、まずバンドの基本が「歌うこと」であるという、この一点においてわが国のバンド群とは、大きな懸隔がある。

歌うために、演奏する。これこそが、ロックという"ヴォーカル"・ミュージックの本来のあり方だろう。

4曲目の大ヒット曲「ミニット・バイ・ミニット」、これもマイケルをフィーチャーした作品だが、そのバック・コーラスの強力さは特筆もの。

B面1曲目の初期ヒット「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」。リードヴォーカルはオリジナルのトム・ジョンストンではなく、マイケル。ふたりの声質の違いにより、ニュアンスも違って来ていて(マイケルの方がブラック・ミュージックっぽい)、興味深い。

続く77年の作品「エコーズ・オブ・ラヴ」も、マイケル色の強いナンバー。いかにも、典型的AORだ。

ダメ押しの一曲は「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」。マイケルとケニー・ロギンズの共作。78年のヒットだから、あれからもう四半世紀以上たってるんだよなあ。

結局、後期のドゥービーズは「マイケル・マクドナルド&ヒズ・バンド」状態だったってことなんだろうな。後期ヒット群の大半は彼が書いていたんだから、しょうがないか。

でも、他にもドゥービーズの「顔」と呼ぶべきメンバーは存在する。そう、パトリック・シモンズである。

B面ラストの「ブラック・ウォーター」は、彼の代表曲。フォークやカントリー、ブルーグラス等、ドゥービーズの非ブラック・ミュージック的な側面を彼がおもに担っていたことが、アコギやヴァイオリンをフィーチャーしたこの曲を聴くとよくわかる。

C面の「SLACK KEY SOQUEL RAG」、「STEAMER LANE BREAKDOWN」、「SOUTH CITY MIDNIGHT LADY」も彼の作品。

いずれも、カントリー色が濃厚なナンバー。中でもジョン・マクフィーのペダル・スティールが実にいい感じだ。こういう、陽光と土の匂いを感じさせるナンバーがときおり織り交ぜられていると、ホッとするのは筆者だけではあるまい。

マイケルによるドゥービーズのAOR化は、他のメンバーに「別にバックはオレたちでなくてもええやん」という気持ちをもたらしていたのではないか、そんな感じがするね。

筆者的にはやっぱり、ホワイト・ミュージックとブラック・ミュージックが絶妙なバランスでブレンドされていた時代のドゥービーズが好きだなぁ。

アメリカン・バンドながらブルース色は比較的稀薄なドゥービーズであったが、たまにはそういうルーツも垣間見せてくれるのがD面2曲目の「ドント・スタート・ミー・トーキン」。ご存じ、サニーボーイ・ウィリアムスンIIのナンバーである。

これがまた、軽快なアップテンポのビートで、耳に心地よい。

ラストの2曲では、なんと、オリジナル・メンバーのトム・ジョンストンがゲスト参加。

彼らの出世作、「ロング・トレイン・ランニン」と「チャイナ・グローヴ」を熱く歌ってくれる。

作者本人が歌うと、さすがにぴったりとハマる。マイケルだと、この切れ味は出せないかも。この2曲はやっぱり、トムのヴォーカルでなくちゃという感じ。

名盤とはとても呼べないにせよ、トムの生歌が聴けるだけでも、この一枚、入手するに値すると思う。

89年にマイケルを除くメンバーで再結成、マイペースでアルバムを発表しているドゥービーズではあるが、「時代」と見事に切り結んでいた71年~83年の音は、格別の味わいがある。

皆さんもたまには、レコード・ライブラリーから引っ張り出して、聴いてみてはいかが?

<独断評価>★★★


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音盤日誌「一日一枚」#219 トッド・ラングレン「誓いの明日」(ワーナーパイオニア P-10185W)

2022-06-21 06:05:00 | Weblog

2004年5月30日(日)



#219 トッド・ラングレン「誓いの明日」(ワーナーパイオニア P-10185W)

トッド・ラングレン、8枚目(*)のソロアルバム。76年リリース。(* ユートピアの1stを含む。)

以前書いたように、トッドはユートピアのメンバーとして、76年末に初来日を果たす。

それに先立って発表されたのがこの「誓いの明日(FAITHFUL)」だが、この一枚をきっかけに、従来一部のカルトなファンにしか聴かれていなかったトッドが、一躍メジャーな存在となったのをよく覚えている。

なぜそんなに売れたかといえば、もちろん(アナログにおける)A面の、一連のカヴァー曲集によるところが大である。

トッドが最も影響を受けたアーティスト5組、6曲を、オリジナルとほぼ同じアレンジ、ミキシングにより「再現」してみせたのだが、これが当時ものすごい反響を呼んだ。

たとえばビートルズ。彼にとっては5組の中でも別格の存在らしく、唯一2曲カヴァーしているのだが、「レイン」「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」ともに、歌い方から、コーラス、どこかもったりとした演奏スタイルまで、完全にコピーしている。

特に「ストロベリー~」の原曲は凝ったSEが特徴的なのだが、その細部に至るまで(テープ逆回転部分とか)とことん解析して、再構築している。実に恐るべき「技(わざ)」である。

これはハンパな才能のアーティストには、絶対不可能なことだ。音作りのすべてに精通したリアル・ジニアス、トッド・ラングレンにして初めてなしえたといっていい。

ヤードバーズの「幻の10年」もスゴい。ここではリズム・セクション以外のすべてのパートを彼が担当しているのだが、特にジェフ・ベック、ジミー・ペイジの二役をこなしたツイン・リードギターは壮絶のひとこと。火を吹くようなプレイだ。

ギタリスト、トッドとしての実力を再認識する一曲である。ヴォーカルといい、リズムといい、原曲を上まわる出色のできばえ。

ギターといえば、ジミ・ヘンドリクスの「イフ・シックス・ワズ・ナイン」も、トッドのギター・フリークぶりを強く示す一曲。

映画「イージー・ライダー」の挿入曲としても知られるこのナンバー、半ばからのギター・ソロには見事にジミの霊が降りてきている。ギタリストなら、必聴ですな。

そのスタイルから考えて、ちょっと意外な感じがしたのは、ボブ・ディラン。本盤では「我が道を行く」をカヴァーしているのだが、ザ・バンド風の演奏に乗って、ディランそっくりの歌を聴かせてくれる。

以前にヤードバーズの「BBCライヴ」を聴いたとき、彼らもこの曲をやっていたから、ディランが意外と幅広い層に支持されていたことがわかる。

で、なんといっても圧巻なのはビーチ・ボーイズ、66年の全米ナンバーワン・ヒット「グッド・ヴァイブレイション」。

サウンド・イノヴェーターとしてのビーチ・ボーイズを認識させるきっかけとなったこの名曲を、ほぼ100%再現したのは、ただただ驚き。

カヴァーするだけなら、他のアーティストもやっているが、あのハーモニーを完コピしてみせた(それも何年がかりとかそういうのでなく、短い制作期間で)のは、奇跡としかいいようがない。

トッドは「オレ、最強のサウンド・クリエーター」ということをこの6曲で、高らかに宣言して見せたということだ。

さて、通常はあまり言及されることのないB面についても、少しふれておこう。

こちらはすべてトッドのオリジナルで、ユートピアで演奏されることが多いナンバーも何曲か含んでいる。

ハード・ロック、へヴィー・メタル指向が強いのは「ブラック・アンド・ホワイト」「ブギー」。トレード・マークのフェンダー・ムスタングによるアーミング・プレイがめちゃカッコいい。

一方、メロディアスなバラードの佳曲も多い。「一般人の恋愛」「きまり文句」「愛することの動詞」、いずれもライヴでおなじみのナンバー。

こういうひたすら美しいメロディを書く一方で、クレイジーにロックしまくるんだから、彼の才能は本当にワイド・レンジである。

それはもちろん、前述のアーティストを初めとする、ありとあらゆる音楽の影響により、培われてきたのは間違いあるまい。

「企画もの」というイメージが強い本盤ではあるが、A面・B面を通して聴けば、トッド・ラングレンという類い稀なるミュージシャンの「昨日・今日・明日」が見えてくる。

30年近くの歳月を経て、いまだに色褪せない一枚であります。

<独断評価>★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#218 フォガット「フォガット・ライヴ」(ビクター音楽産業 VDP-28050)

2022-06-20 05:02:00 | Weblog

2004年5月23日(日)



#218 フォガット「フォガット・ライヴ」(ビクター音楽産業 VDP-28050)

ハード・ロック・バンド、フォガット、7枚目のアルバム。77年リリース。

彼らの最初にして、第一期では唯一のライヴ盤。

フォガットというと、その抜けのいい陽気なサウンドから、生粋のアメリカン・バンドみたいなイメージがあるが、もともとは英国出身。

伝説のブルース・バンド、サヴォイ・ブラウンにいたメンバー3人を中心に結成された4人組なんである。

そのサウンドはといえば、ブルース、ブギをべースとした、ひたすら単純明快なハード・ロック。

そんな彼らの本領が発揮されるのは、やはりライヴ。ということで、このアルバム、ファンには待望の一枚であった。

その出来はといえば、予想を裏切らぬ充実ぶり。

一曲目のミディアム・テンポのロックン・ロール、「フール・フォー・ザ・シティ」から聴衆のハートを鷲掴みである。

この曲は75年リリース、彼らの5枚目のアルバムのタイトル・チューン。

ハード・ロックのお手本みたいな、重心の低いビートに、見事なユニゾンのヴォーカル、そしてハモり。どこか、同じく英国出身ながらアメリカを制覇したバッド・カンパニーに通ずる匂いがある。

サウンドにいわゆる新味とか、他グループにはない独自性というのはないのだが、とにかくストレートでわかりやすい。

二曲目の「ホーム・イン・マイ・ハンド」もまた、典型的フォガット流ハード・ブギ。ストーンズの諸曲や、エルトン・ジョンの「SATURDAY NIGHT IS ALRIGHT FOR FIGHTING」を思わせるナンバーだ。

ここでの聴きものは、ロッド・プライスの粘っこいスライド・ギター・プレイだろうな。このへんに、彼らのルーツとしてのブルースが色濃く匂う。

三曲目は、これぞまさに彼らの看板曲。「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」。

ウィリー・ディクスンの曲、というよりはマディ・ウォーターズのナンバーとして超有名なこのブルースを、フォガット一流の重厚なブギに料理して聴かせてくれる。

初出は72年のデビュー・アルバム「フォガット」。長年ステージで定番曲として演奏しているだけあって、練って練って練り上げたという印象のアレンジだ。

一糸乱れぬ、あるいは一分の隙もないとは、こういうアレンジのことをいうのだろう。8分半もあるのに、長さを全く感じさせない。

日頃筆者は「ロックとは、(アドリブ、即興で勝負する音楽ではなく)緻密なアレンジで勝負する音楽なのだ」という持論をもっているのだが、このフォガットを聴くに「我が意を得たり」という感じである。

後半へ行こう。こちらも、熱演、快演の連続また連続である。

四曲目の「ロード・フィーヴァー」はセカンド・アルバム「フォガット・ロックンロール」に収録のナンバー。

これまたフォガットお得意のハード・ブギ。

シンプルで力強いビートにのせて、リードシンガー、ロンサム・デイヴの熱いシャウトが冴え渡る。

そして間奏ではデイヴとロッドの、火の出るようなギター・バトル。これでノレなかったら、貴方は一生ロックとは縁がない(笑)。

ダブル・スライド・ギターのトリッキーでエキセントリックなサウンドに、もう完全ノックアウト。

続いてダメ押しの一発。「ハニー・ハッシュ」だ。

この曲、ビッグ・ジョー・ターナー作の方の「ハニー・ハッシュ」だが、イントロから「アレレ?」状態。なんと、アレンジがヤードバーズ、そしてエアロスミスでお馴染みの「トレイン・ケプト・ア・ローリン」のもろパクなんである。

フル・スピードの16ビートで、ゴリゴリ押しまくる「ハニー・ハッシュ」、ものスゴい迫力でっせ。

フィナーレは、やっぱりこれ。フォガット最大のヒット、「スロウ・ライド」である。

フォガットの音源を全く持っていないよ、という人でもこの曲は、メロディを聴けば、絶対耳に覚えがあるはず。フォガットの粘っこい個性が一番発揮された名曲だ。

ロッドのスライド・ギターが自由奔放に泣きまくり、リズム隊が縦横無尽に暴れまくる。へヴィーさにおいて、ハードロック史上屈指の演奏、そう筆者は信じて疑わない。

残念ながらセールス的には、ZEP、パープル、フー、バドカンといったあたりには到底及ばなかったものの、彼らのハードネスは永久に不滅だろう。

確かに、器用にまとまり過ぎで、オリジナリティに欠けていたのは事実で、それゆえB級バンド的扱いをされがちなのだが、こんなスゴい演奏をするバンド、歴史に埋もれさせるのは、ホント、もったいない。

フォガットはその後、83年の「ZIG-ZAG WALK」まで13枚のアルバムを出して解散。94年にオリジナル・メンバーで再結成するも長続きせず、現在はドラムのロジャー・アールがバンド名を引き継いで、他は新メンバーで活動しているようだ。

とはいうものの、「旬」はやはり、このアルバムを出した70年代後半あたり。

パワー、スピード、テクニック、そしてわかりやすさ。今のバンド・ピープルにも、大いに参考になるところがあるだろう。

最強のライヴ・バンド、フォガットのブギ、一度聴けば病みつきになること、請け合いです。

<独断評価>★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#217 ボズ・スキャッグズ「シルク・ディグリーズ」(CBS/SONY CSCS 6021)

2022-06-19 05:22:00 | Weblog

2004年5月16日(日)



#217 ボズ・スキャッグズ「シルク・ディグリーズ」(CBS/SONY CSCS 6021)

シンガー/ソングライター、ボズ・スキャッグズ、76年発表のソロ・アルバム。

76年といえば、筆者は予備校生としての生活を送っていたころだが、このアルバムが本国アメリカはもとより、この日本でも驚異的な売れ行きを見せていたことを、いまだに鮮烈に覚えている。

ボズは本名、ウィリアム・ロイス・スキャッグズ。44年生まれだから、今年なんと還暦である。

60年代、スティーヴ・ミラー・バンドのメンバーだった彼は、69年独立。

74年のアルバム「スロウ・ダンサー」をリリースしたあたりから注目され始め、この「シルク・ディグリーズ」で一気にブレイクした、というわけだ。

このアルバムからは、都合4枚ものスマッシュ・ヒットを出したのではなかったかな。

さて、本当にひさしぶりに聴いてみての感想は、「(28年も前の音だけど)全然聴けるじゃん」であった。

このアルバムを出したころ、音楽評論家の渋谷陽一氏がボズのことを「アメリカの五木ひろし」という、わけワカメなたとえをして、激しく違和感を覚えたものだが、今考えてみれば、それはそれで言い得て妙な気もしてきた。

ともに「歌唱力」というよりは実はワン・アンド・オンリーな「個性」で勝負しているという点において、意外と近いものがあるような。あと、その特徴ある「泣き節」とかね。

ま、ともに「当時の」というカッコつきではあるが「国民的男性歌手」だったのは間違いないでしょう。

当アルバムは、ジョー・ウィザートによるプロデュース。アレンジはその後、TOTOを結成するデイヴィッド・ペイチ。彼のほかにも、べースのデイヴィッド・ハンゲイト、ドラムスのジェフ・ポーカロらTOTO組が参加している。曲は2曲を除き、すべてボズのオリジナル。

筆者的に一番好きなのは「港の灯(HARBOR LIGHTS)」「二人だけ(WE'RE ALL ALONE)」のバラード路線。

キーボード、ストリングスを基調とした、ペイチの正統派アレンジはさすが。音楽一家出身で、子供のころからジャズに親しんだだけのことはあるね。

こういう曲には、ボズの繊細なファルセット、泣き節が実にピタッとはまっている。これぞ、大人の音楽。

でもその一方、ファンクなナンバーもいい。「何て言えばいいんだろう(WHAT CAN I SAY)」、「リド・シャッフル(LIDO SHUFFLE)」、そして代表的ヒット「ロウダウン(LOW DOWN)」。このへんのガツンガツンなノリも最高。

一方、サザン・ロックな「ジャンプ・ストリート(JUMP STREET)」も捨てがたい。当時「デュエイン・オールマンの再来」と呼ばれたレス・デューデックのスライド・ギターが聴きもの。

アレン・トゥーサンの作品「あの娘に何をさせたいんだ(WHAT DO YOU WANT THE GIRL TO DO」もいい。N.O.スタイルのR&Bの、リラックスした雰囲気がマル。

あと、ペイチの作品、レゲエなノリの「明日に愛して(LOVE ME TOMORROW)」なんてのも、耳に心地よい。

まとめていえば、アメリカン・ミュージックの成熟した魅力が、全編詰まっている、そういうことかな。

70年代はフル稼働だったボズも、80年代以降はぐっと寡作となり、表舞台に立つことは激減したが、現在でもマイペースで作品をリリースしている。

近年ではことに、スタンダード・ジャズを好んで歌っているようだ。やはり、これも「国民的歌手」であることのあらわれかな(笑)。

ひとことで「ロック」といっても、いろんな方向性、表現方法があるが、「大の大人だって聴けるロックがある」ことを、また「シャウトとはまた別の、ロック・ヴォーカルの可能性がある」ことを、その高い音楽性で示したボズ・スキャッグスは、まことにエポック・メイキングな存在であったと思う。

発表当時、このアルバムがバカ売れしたのは「流行りもの」だったからという感じではあったが、歳月を経て聴いても色あせていない、ということはやはり「ホンモノ」だったということではないかな。

ボズのメロディ・メーカーとしてのセンス、そしてその個性的なヴォーカルの魅力を、この一枚でもう一度知ってほしい。

<独断評価>★★★★★


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音盤日誌「一日一枚」#216 リトル・フィート「ウェイティング・フォー・コロンブス」(ワーナーミュージックジャパン 18P2-2988)

2022-06-18 05:13:00 | Weblog

2004年5月9日(日)



#216 リトル・フィート「ウェイティング・フォー・コロンブス」(ワーナーミュージックジャパン 18P2-2988)

リトル・フィートの初ライヴ・アルバム。78年リリース。

筆者の場合、リトル・フィートというバンドをきちんと意識して聴くようになったのは、大学に入ってからで、77年あたり。

当時「タイム・ラヴズ・ア・ヒーロー」という新作がリリースされたばかりで、それを皮切りに過去の作品にも遡って聴くようになった。

中高生のころはブリティッシュ系にハマっていた筆者に、アメリカン・ロック、そしてルーツ・ミュージックの魅力を教えてくれたのが、このリトル・フィートだった。

ことに、筆者がそれまで疎かった、ニューオリンズ系の音楽を強く意識するようになったのは、彼らに負う所が大きい。

ヒット曲を連発するようなハデさには無縁だったが、確かな演奏力に裏打ちされた彼らのサウンド、それはまさにリアル・ミュージック体験であった。

さて、当アルバムは77年のロンドン・レインボーシアターでの公演を収録。アカペラ・コーラスの「ジョイン・ザ・バンド」に始まり、「ファットマン・イン・ザ・バスタブ」「オー・アトランタ」「タイム・ラヴズ・ア・ヒーロー」「ディキシー・チキン」「ウィリン」「セイリン・シューズ」といったお馴染みのフィート・ナンバーが目白押しだ。

フィートというと、語られるのはもっぱらその「演奏」という印象があるが、こうやってライヴを聴いていくと、むしろ「歌」のほうの充実ぶりに目を見張らされる。

リード・ヴォーカルを取ることの多いローウェル・ジョージは言うに及ばず、ギターのポール・バレーアー、キーボードのビル・ペイン、ドラムスのリッチー・ヘイワードも、多くの曲で歌っている。「タイム・ラヴズ・ア・ヒーロー」のコーラスとか、ホント、見事な息の合い方だ。

このへんに、彼我のバンドの、音楽に対する姿勢の違いを感じるねえ。

「バンドはまず、歌うためにある」、彼の地では、こういう思想が確立しているのだよ。

リトル・フィートに限らず、有名無名を問わず、むこうのバンドでは複数のメンバーが歌うのが、ごく当然といった感がある。

ところがわが国では、ほとんどの場合、「バンドをやる=楽器を演奏する」という等式が成立してしまっている。

何の楽器も出来ないオミソなひとが、しかたなくヴォーカルをやっている、みたいなケースが多い。

だから、ともすると、歌のいらないヴェンチャーズや高中正義みたいな、インスト偏重の方向に行きがちなのだ。

セッションでも、ギタリストばかり溢れかえって、歌い手がほとんどいない、みたいな状態になりがちだし。

これって、「本末転倒」だと思うけどな。

以前、このことをネット仲間のOthumさんやりっきーさんにも話してみたところ、彼らも自分たちのセッションやバンドではメンバーたちにどんどん歌うよう勧めておられるとのことで、わが意を得たりという感じだった。

やはり、バンドは歌ってナンボ、歌う人間が増えれば増えるほど、その音楽にも広がりが出てくるのだと、筆者は確信している。

閑話休題、フィートの話に戻ろう。

本盤においてフィートは、タワー・オブ・パワーのホーン・セクションという超強力な助っ人を得て、スタジオ盤にまさるとも劣らぬ完璧な演奏を聴かせてくれる。

ことに圧巻なのは、スタジオ・テイクを大幅にエクステンドした、9分にもおよぶ「ディキシー・チキン」。

ビル・ペインのオールド・タイミーなピアノとギターの掛け合いで始まり、ローウェルの歌、ビルのラグタイム風ソロ、そしてタワー・オブ・パワーのディキシー・スタイルの間奏と、ファンキーかつジャズィに展開されるのは、まさに二十世紀アメリカ音楽の大展覧会。

一方、フォーキーな味わいの曲もいい。「ウィリン」ではアコギをフィーチャー、シブ~いハモりを聴かせてくれる。ビルのピアノ間奏も最高だ。

「セイリン・シューズ」は、オリジナル・ヴァージョンとは違って、スローテンポでブルーズィなアレンジ。粘っこいローウェルの歌声が妙にマッチしている。

ラストの、4枚目のアルバムのタイトル・チューン「頼もしい足(FEATS DON'T FAIL ME NOW)」もグー。

客席をコーラスと演奏でグイグイと引っ張っていくパワーは、ハンパじゃない。黒人のファンクとはまたひと味違った、独自のファンキー・グルーヴは、リトル・フィートならではのもの。

近頃、ヤワな音楽が多くて…とお嘆きの諸兄に、この半世紀以上前のリアル・ミュージックを、ぜひお試しいただきたいものだ。

<独断評価>★★★★☆


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音盤日誌「一日一枚」#215 レッド・ツェッぺリン「最終楽章<コーダ>」(ワーナーパイオニア P-11319)

2022-06-17 06:18:00 | Weblog

2004年5月5日(水)



#215 レッド・ツェッぺリン「最終楽章<コーダ>」(ワーナーパイオニア P-11319)

レッド・ツェッぺリン解散後、82年にリリースされたラスト・アルバム。アウトテイク、別ヴァージョン等を8曲収録。

レコーディング時期は、69年から78年まで、実に約10年にもわたっているのだが、そのわりに演奏に統一感があるのが興味深い。

年代による多少の変化はあるにせよ、ZEPサウンドの根本は変わらなかったということだろうか。

アナログ盤の本アルバムを、ひさしぶりに引っぱり出して聴いてみて思ったのは、「本作の主役はボンゾだな」ということ。

他のメンバーも、もちろん不世出のミュージシャンであることには間違いないが、ジョン・ボーナムのプレイを聴くと、いまだに新たな感動をおぼえるのだ。

たとえば、ラストの「ウェアリング&ティアリング」。ここでの超高速ドラミングはスゴいの一言。とりわけ、ブレイクにおけるボンゾのタイム感覚の絶妙さたるや、筆舌に尽くしがたい。

トップの「ウィアー・ゴナ・グルーヴ」、これはベン・E・キングの曲なのだが、ボンゾがスティックをとるや、黒人のソウルとはまったく別物の、オリジナルなグルーヴを叩き出してくれる。

黒人ソウル・バンドが「いかに全身で踊れるリズムを叩くか」を目指しているのとは対照的に、ボンゾの場合、「体の一部を集中的にゆさぶるようなビート」で勝負をかけている、そんな印象があるのだ。

あるいは、「プア・トム」。カントリー・ブルースのサウンドと、力強いバス・ドラムの音が見事に融合して、独自の世界を作り上げている。

音楽評論家のピーター・バラカン氏によれば、「(黒人バンドに比べて)リズム感がよくない」という理由で、まったく評価されていないZEPだが、筆者としては、いささかその考え方には異論がある。

ボンゾの叩こうとしていたリズムは、ブラック・ミュージックの典型的なグルーヴとはまったくの別物を目指していたのではなかったのか。自分がよく知っていて、気に入っているタイプのリズムではないからといって、イモと決め付けるのは、いかがなものか。

筆者はドラマーではないので、技術上の細かい差異については述べようがないのだが、ボンゾのドラミングについては、巷間いわれているようなパワーとかスピードのスゴさだけでなく、むしろそのリズムのオリジナリティ、「脱ダンス・バンド」的な方向性にこそ、着目すべきではないかと考えている。

ここでジャズを引き合いに出すのは、必ずしも的を射ていないかもしれないが、スウィングからバップに移行した際、ダンス用音楽という性格を捨て、客席で鑑賞するための音楽へと変容していったプロセスを、筆者はどうしてもZEP以前・以後の音楽に感じとってしまうのである。

筆者自身、踊りたければブラック・ミュージックを聴くし、一方、ZEPを聴くときは踊るというよりは、どうしても聴き入ってしまう。

さて、本編のハイライトはやはり、「モントルーのボンゾ」だろう。タイトルでわかるように、スイスのモントルーでのライヴ録音。ほぼ全編、ボンゾのドラムソロで構成されており、後年、ジミー・ペイジによってサウンド・エフェクト処理が加えられたトラックだ。

パーカッシヴにして、メロディアス。単なるパワー・ドラミングに終わらないボンゾの繊細さを、この豪快な演奏から嗅ぎ取って欲しい。

その他にはオーティス・ラッシュのブルース・ナンバー、「君から離れられない」のリハーサル・テイクが出色の出来。

ファースト・アルバムでの初演も衝撃的だったが、このヴァージョンもそれを上回る素晴らしさだ。

プラントの(まだ喉をつぶさない頃の)超高音シャウト、3人の緊張感あふれるプレイも、聴いていて鳥肌が立ちそう。

あまたのブートレッグの演奏なんか軽く吹っ飛ぶくらいの名演なので、この一曲を聴くために買ったって損はないと思うよ。

全体に短めの曲ばかりなので、欲をいえばもっと長尺の曲とか、メロディアスなバラード系の曲もいれて欲しかったが、これはこれで悪くない。たとえていうなら、「山椒は小粒でピリリと辛い」という感じのアルバム。

ZEPサウンドの秘密を解きあかすためにも、ぜひチェックしてみて欲しい。

<独断評価>★★★


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