NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

#132 ザ・フー「Magic Bus」

2010-07-31 17:28:37 | Weblog
#132 ザ・フー「Magic Bus」(The Singles/Polydor)

ザ・フーのシングル。68年9月リリース。メンバーの一人、ピート・タウンジェンドの作品。

セールス的には全英で26位止まりと、あまりふるわなかったものの、彼らにとって非常に重要なレパートリーとなった作品だ。

名盤「ライブ・アット・リーズ」('70)で聴かれるように、彼らのコンサートの最終パートで必ず演奏され、ライブを最高潮に盛り上げるナンバーであった。

この曲は当時、アメリカ限定のコンピレーション・アルバム「Magic Bus」以外では聴くことが出来ず、日本では「ライブ・アット・リーズ」がリリースされるまで、ほとんど知られることがなかった。

約2年、幻の名盤というかコレクターズ・アイテム状態だったわけだが、いま聴くに69年の「トミー」のいくつかの名曲群と比較しても、まったく聴き劣りしない出来ばえだ。

まず、そのビートに、はっきりとした特徴がある。当時の日本ではほとんど知られていなかったジャングル・ビート、すなわちボ・ディドリーが得意とする、「アイム・ア・マン」などで聴かれる、あのリズムである。

ジャングル・ビートをさらに溯れば、ニューオーリンズのセカンド・ラインに行き着くわけで、この曲はもろにアメリカ・オリエンテッドな音なのだ。

アコースティック・ギターのイントロに始まり、賑やかなパーカッションのバッキングを従え、延々と繰り返されるシンプルなリフレイン。

次第にサイケデリックなギター・プレイへと突入していくも、シングルサイズでフェイドアウトしてしまう。どこがサビとかいう曲ではないので、とにかくエンドレスで続くのであろうなと感じさせる、麻薬的な曲調なのだ。そこで、この曲の威力が最も発揮されるのは、ライブにおいてということになる。

「ライブ・アット・リーズ」では、通常のバンド用のアレンジになっていて、8分近くの長尺で聴く者をノックダウンしてくれる。こちらもぜひ、聴き比べてほしいものだ。

チャートインの成績でわかるように、ポップ・チューンとしては、いまひとつ訴求力が足りない、地味なナンバーかもしれない。

だが、その音楽的な充実度は、見事なものだと思う。

ボ・ディドリーの亜流に終わらず、自らのオリジナリティを盛り込みつつ、骨太なサウンドを構築していたザ・フー。

同時期のヤードバーズ、ストーンズなどと比べてみても、68年当時もっとも先進的なロック・バンドであったといって、間違いないだろう。

そのエモーショナルなボーカル、コーラスは、あまたある白人バンドの中でも頭ひとつ以上突出した存在であった。

ニューオーリンズR&Bの本質をいちはやく体現したその比類なき才能、とくと確認してほしい。

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#131 ハウンド・ドッグ・テイラー「Giive Me Back My Wig」

2010-07-24 14:19:19 | Weblog
#131 ハウンド・ドッグ・テイラー「Giive Me Back My Wig」(Hound Dog Taylor & the Houserockers/Alligator)

シンガー/スライド・ギタリスト、ハウンド・ドッグ・テイラーのデビュー・アルバムより。71年リリース。テイラー自身のオリジナル。

ハウンド・ドッグ・テイラーは1915年、ミシシッピ州ナッチェス生まれ。ハウリン・ウルフの「ナッチェス・バーニング」で歌われた街だ。本名はなんと、セオドア・ルーズベルト・テイラーという。えらくVIPな名前をつけられてしまったものである(笑)。

小作農として働くかたわら、20才頃からギターを始める。故郷周辺のジューク・ジョイントでの演奏活動を経て、42年シカゴへ移住。

いくつかのレーベルからシングルをリリースするも、ほとんど日の目を見ることなく30年近くくすぶっていた状態のテイラーを高く評価したのが、ブルース・イグロアという青年だった。彼は、テイラーのレコードを出したい一心で、勤務していたデルマークを辞して、アリゲーター・レーベルを立ち上げたのである。

このときから、テイラー、そしてアリゲーターの快進撃が始まった、ということだ。

記念すべきレーベル第一号が、まさにこの「Hound Dog Taylor & the Houserockers」なるアルバム。

デビュー盤とはいえ、すでに50代後半を迎えていたテイラー。その完成度はハンパなく高かった。

この一枚の成功後、73年にはセカンド・アルバム「Natural Boogie」を出し、75年には初のライブアルバムを準備していたが、テイラーが60才の若さでガンにより死去。ライブアルバムは死後リリースされる。

亡くなる前の、ほんの5年間だけ、スポットライトが当たったわけだが、残されたわずか数枚のアルバムによって、テイラーはブルース界において特別の存在となり、いまだに根強いファンが多いのである。

テイラーのサウンドの特徴は、まずそのエグみのある歌声、そして迫力満点のギター・サウンドにあるといえるだろう。

テイラー自身のスライド・ギターも、ナチュラル・ディストーションが目一杯かかっていて相当エグいのだが、もうひとりのギタリスト、ブルワー・フィリップスのプレイもかなりヤバい。ときにはリズム・ギター、ときにはベース、ときにはリード・ギターのようにと変幻自在のプレイで、テイラーを完璧にフォローしている。テッド・ハーヴェイのドラムスも、やたら元気がいい。スタジオ録音といっても、まるでライブのような熱さだ。

彼らの演奏のスゴさは、きょうの一曲を聴いていただければ、十二分に納得していただけるだろう。

ブルースにもさまざまなスタイルなものがあるが、ハウンド・ドッグ・テイラーらの演奏は、その中でももっともホットであり、パンキッシュであり、ロックであると思う。若い世代にもおススメ。

一度聴けば、その強烈な刺激にやみつきになること請け合い。ぜひ、猛犬テイラーのひと噛みにやられてみて。

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#130 リッチー・サンボラ「The Wind Cries Mary」

2010-07-18 07:54:23 | Weblog
#130 リッチー・サンボラ「The Wind Cries Mary」(Original Soundtrack Recording:The Adventure of Ford Fairlane/Elektra)

リッチー・サンボラのソロ・デビュー曲。90年リリース。米映画「フォード・フェアレーンの冒険」のサントラより。

サントラ・アルバムを物色していると、収録曲の中に、たまにものすごい掘り出し物が見つかったりする。きょうの一曲もまさにそんな感じだ。

リッチー・サンボラといえば、83年のデビュー以来、ボン・ジョヴィのリード・ギタリストとして誰ひとり知らぬ者がない、そんな存在だが、普段はジョン・ボン・ジョヴィのバックでギターを黙々と弾く、そんなイメージの彼も、実は何枚かのソロCDを出している。

きょうの一曲はその口火となったわけだが、彼のソロ・アルバムには未収録なので、なかなか聴く機会がない。おおかたの皆さんは、今回が初聴であろう。

ボン・ジョヴィはアメリカのバンドだが、先輩格のエアロスミス、キッスなどと同様、ブリティッシュ・ハード・ロックの影響を強く受けている。クリーム、レッド・ツェッぺリン、そしてジミ・ヘンドリクス(ジミはアメリカ人だが、英国デビューなので入れておく)。

リッチー・サンボラは特にエリック・クラプトンに憧れてギターを弾き始めたようだ。91年にリリースしたソロ・デビュー・アルバム「Stranger in This Town」中の「Mr. Blues Man」という曲ではリッチーの熱烈ラブコールに応えて、ECがゲスト参加しているほど。

ECとともに、リッチーにとって神のような存在のギタリストが、ジミヘン。というわけで、彼の初ソロ・レコーディングはこの「風の中のマリー」となった。

この曲は、ジミの英国デビュー盤「Are You Experienced?」収録のナンバー。静謐なイントロから始まり、ゆったりしたテンポながら、次第にギタープレイがエキサイティングしていく様子が鮮烈なバラード。

ここでは、歌、ギターともにリッチーがえらくカッコいいのだ。

ボン・ジョヴィでの見事なコーラス・ワークから察せられるように、彼もなかなかの歌い手。

ジョンの陽性でやんちゃな感じの歌声とはまた違った、ちょいシブめといいますか、ブルーズィな声が印象的であります。

そしてもちろん、ギターのほうもパーフェクト。ワウなどのエフェクターを巧みにあやつり、トリッキーでエモーショナルなフレーズを繰り出すさまは、まさにジミの霊が降りてきた、というイメージ。

ジミのもつカラーをそこなうことなく、リッチー自身の個性も加味した、見事なトリビュート版となっとります。

ジミへンがもっともモダンなブルースマンであったように、リッチーも最高に素晴らしいブルースマンなのだということがわかるナンバー。

リズム・セクションのタイトなノリも相まって、ジミへン・カバーとして出色の一曲なんで、ぜひ聴いて欲しいです。

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#129 MY LITTLE LOVER「Hello, Again ~昔からある場所~」

2010-07-11 10:11:15 | Weblog
#129 MY LITTLE LOVER「Hello, Again ~昔からある場所~」(evergreen/トイズファクトリー)

MY LITTLE LOVERのサード・シングル。95年リリース。小林武史プロデュース。

同年5月デビューしたMY LITTLE LOVERは、akko、藤井謙二、小林武史の3人によるユニット。

「Man & Woman/My Painting」「白いカイト」の2曲のあとを受けてリリースされた本シングルは、彼らの最初のスマッシュ・ヒットとなった(オリコン2週連続1位)。

テレビドラマ「終らない夏」の主題歌という初タイアップの効果もさることながら、決めてはやはり楽曲の出来の素晴らしさ、そういうことじゃないかと思う。

マイラバの特徴というか最大のウリは、リードボーカルakkoの「声」にあることは間違いないだろう。決して「美声」とか「うまい歌」じゃないんだが、耳に妙に残る声なのだ。舌っ足らずで中性的、やや甘ったるいあの声なくしては、マイラバのサウンドは成立しなかったに相違ない。

「Hello, Again ~昔からある場所~」はこれまで美吉田月、Mi、JUJUの3アーティストによってカバーされていて、最近ではデジカメのCMソングとなったJUJUのバージョンがよく知られていると思うが、JUJUの美声や歌唱力をもってしても、この曲についてはどうしてもakkoに軍配が上がってしまう。

思春期の少年の心境をうたった歌詞に、akkoの中性的な歌声が、このうえなくフィットしているのである。

ある意味、ZARD坂井泉水にも通じる、ヘタウマの系譜といいますか。本当は下手なんていっちゃ失礼なんだが、いわゆる実力派シンガーとは違った魅力があるということですわ。

この曲、歌詞は小林が担当。曲は最初に藤井がプロトタイプを作ってきて、それを小林とで揉んで完成形にしたという共作。

筆者的に一番シビれた箇所といえば「記憶の中で ずっと二人は 生きて行ける」の転調のところだな。これが曲最大のフックといっていい。ちなみにこれは藤井作のプロトタイプ段階で既にあったという。

前半(いわゆるAメロ、Bメロと呼ばれるところ)がわりと淡々と進んできていたが、そこに来てグッとひきしまる。作曲者の見事なセンスを感じるところだ。

そしてもちろんバックグラウンドの音も見過ごすことは出来ない。藤井のギターリフやソロ、小林のアコースティック基調の緻密なアレンジ。こういったものが渾然一体となってマイラバらしさを生み出している。

それはひとことでいえば「清冽さ」ということになると思う。

男と女のドロドロ、みたいな世界は、マイラバには似合わない(その後、図らずもそういう問題に直面してグループは空中分解するという皮肉な道をたどるのだが)。

ファーストアルバムのタイトル「evergreen」そのままに、永遠に青春な音楽、それがMY LITTLE LOVERの世界なのだ。

芸術とは従来誰も気づかなかった「価値」を発見すること、というふうに筆者は考えているのだが、さしずめマイラバは、akkoのような歌声の魅力を発見したといえる。美声や圧倒的な声量を誇るシンガーよりもリスナーをひきつけてやまないものが、akkoにはあるのだ。

15年経っても、名曲はやはり名曲。必聴です。

この曲を聴く

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#128 ジャズ・ジラム「Key To the Highway」

2010-07-04 10:29:43 | Weblog
#128 ジャズ・ジラム「Key To the Highway」(Jazz Gillum: The Essential/Classic Blues)

シンガー/ハーピスト、ジャズ・ジラムの代表的ヒット。40年録音。ビッグ・ビル・ブルーンジー、チャールズ・シーガーの作品。

ジャズ・ジラムことウィリアム・マッキンリー・ジラム(正しい発音はギラム)は1904年、ミシシッピ州インディアノーラ生まれ。かのB・B・キングと同郷である。

ジラムもBBと同じように故郷を出て23年にシカゴに移住、シカゴでボス的存在だったブルーンジーのもとで本格的な音楽活動を始める。34年から49年にかけて、ブルーバードやビクターにて100曲以上を録音している。

さて、きょうの一曲はエリック・クラプトンがカバーしたことで20世紀の名曲として広く知られることになったが、もともとこのジラム版が最初に世に出たのである。

完全なブルーンジーのオリジナルではなく、ピアニスト、チャールズ・シーガーのブルース(12小節)をもとに、ブルーンジーが8小節ブルースに改作している。

ブルーンジーのパーカッシヴなギターをバックに歌われるジラム版「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」は、実にいい意味で「いなたい」。その素朴な歌声はもとより、高音域を生かしたハーモニカ・プレイが絶品だ。

ブルース・ハーピストの多くは、「セカンド(あるいはクロス)・ポジション」といって、曲のキーより4度上のキーのハープを使うことが多い。音の配列の関係で、このほうがブルーノートが出しやすいからだ。たとえば、Gの曲を吹くときはCのハーモニカを使うといったふうに。

ジラムの場合、これをせずにキー通りのハープ(これをファースト・ポジションという)で吹いている。これがなんともひなびた味わいを出しているんである。

シカゴに移住してジャズ・ジラムなどというスタイリッシュな芸名を名乗っているわりには、田舎くささ丸出し。でも、そこがいい。

田舎に住む貧しい労働者の、大都会への憧れを歌ったこの曲には、ジラムのような素朴な味をもったミュージシャンがもっともふさわしい。そう思う。

都会(まち)にいてふるさとの心を忘れず。これぞカントリー・ブルースマンの鑑なり。ぜひ一聴を。

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