NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音盤日誌「一日一枚」#412 HEART「バッド・アニマルズ」(東芝EMI/Capitol)

2022-12-31 05:11:00 | Weblog
2022年12月31日(土)



#412 HEART「バッド・アニマルズ」(東芝EMI/Capitol)

米国のロック・バンド、ハートの9枚目のスタジオ・アルバム。87年リリース。ロン・ネビスンによるプロデュース。

ハートは76年デビュー。アン(Vo)とナンシー(G)のウィルスン姉妹を中心とした6人編成でスタートした。

「マジック・マン」「クレイジー・フォー・ユー」などのヒットにより、人気バンドへ。以来、2度のブランクはあったものの、現在も活動を続けている長寿バンドである。

筆者は一度だけ、彼女たちのライブ・パフォーマンスに触れたことがある。79年8月に開催された、江ノ島ジャムにおいてである。

その時はファイアーフォール、ザ・ビーチボーイズ、日本のサザンオールスターズらと共に出演していたのだが、観客には横須賀あたりから来た海兵なのだろうか、多数のアメリカ人が詰めかけていて、彼らに一番人気があったのは、デビューして3年のハートだった。

「バラクーダ」とかで、とてつもなく聴衆がエキサイトしたのを、昨日のように覚えている。

大トリのビーチボーイズを上回る、その盛り上がりぶりにはビックリしたものだ。米国本国での人気は、さらにスゴかったに違いない。

当時、ポップ・シーンでは女性ふたりをフロントにしたバンドやグループがいくつもブレイクしていた。フリートウッド・マックしかり、ABBAしかり。

ルックス、そして歌唱力の高い女性を複数擁していると言うのは、最大の強みだったのだ。

ハートもまた、その例に漏れず強力な魅力を持ったバンドだった。アンの迫力満点の高音ボーカル、それを完璧にサポートする妹ナンシーのコーラスワーク、そして男性メンバーたちの高い演奏力という三拍子が揃っていた。

そんな最強な彼女たちではあったが、さすがにデビューして10年近くも経過すると、姉妹も30代半ばを迎え、世間のリアクションも落ち着いたものになって来る。

どんなに実力があってスーパーな存在でも、時間が経てば人には「慣れ」というものが生じてしまうからだ。

そんな中、テコ入れ策として85年よりロン・ネビスンという腕利きプロデューサーが招聘された。

ネビスンはシン・リジィ、UFO、ベイビーズ、マイケル・シェンカー・グループ、ジェファースン・スターシップ、サヴァイヴァーといったハード・ロック系のバンドのプロデュースで70年代より成果を出していた。

85年のアルバム「ハート」は、5枚のヒット・シングルを生み出し、グラミー賞も獲得した。

この成果をかわれたネビスンが再びプロデュースしたのが、本盤「バッド・アニマルズ」だ。

本盤からも、4枚のシングルがカットされている。まずはそちらから見ていこう。

「アローン」はトム・ケリー、ビリー・スタインバーグという外部作曲チームによる作品。「バラクーダ」のライブ・バージョンとのカップリングでリリースされ、全米2位の大ヒットとなる。

ピアノをフィーチャーしたバラード・ナンバーで、完全にヒット曲のテンプレ通りの作り。個性的とはいえないが、ソツのないメロディ、コード進行だ。

アンのハイトーン・ボイス、ナンシーとの強力なコーラスは生かされているものの、ナンシーのギターはほとんど聴こえない。

「フー・ウィル・ユー・ターン・トゥ」はソングライター、ダイアン・ウォーレンの作品。「マジック・マン」のライブ・バージョンがB面。

こちらはミディアム・テンポの力強いロック・ナンバー。ギター・サウンドは控えめのシンセ・サウンド。

ここでもウィルスン姉妹の勇ましいコーラスは健在だ。全米7位。

「ゼアズ・ザ・ガール」はアン(作詞)と女性シンガーソングライター、ホリー・ナイトの共作。全米12位。

この曲の特徴あるメロディ・ラインは明らかに80年代のニューウェーブのものだな。以前のハートからは、こういう曲は絶対生まれなかっただろう。

アンはその歌唱力で、難なくこの曲を歌いこなしているが、ハート本来の持つ良さはほとんど感じられない。「歌わされている」感が、強いのである。

そのB面は「バッド・アニマルズ」。こちらはアンとナンシー、そしてバンド・メンバーによる作品である。

重たいビートが印象的なハード・ロック。泣きのギター・ソロ。そして、野獣のように叫ぶアン。

「これぞハート!」と言いたくなるナンバーだ。

シングルA面にはなれなかったが、断然こちらの方が好みである。

「アイ・ウォント・ユー・ソー・バッド」は、再びケリー=スタインバーグによる作品。ゆったりとしたテンポのバラード・ナンバー。シンセ・サウンドに80年代っぽさを感じる。

たおやかなボーカルが、どことなくこそばゆい。この曲も、ハードらしさからだいぶんかけ離れている。

B面は「イージー・ターゲット」。アン、ナンシー、そしてハートの多くの曲で共作をしているソングライター、スー・エニスの作品。

ここではナンシーのアコースティック・ギターが、きちんと生かされたアレンジになっているのが、うれしい。外部ライターによる曲だと、そのあたりがどうしてもおざなりになっているからだ。

以上、4枚のシングルは、どれも外部コンポーザーの作曲によるものであった。

よりレコードを売るためとはいえ、これはちょっと残念なことだ。

ハート本来のバンド・サウンドを二の次にして、売れる曲作りを優先させてしまったのが、明らかだからだ。

全米2位という輝かしい記録も、手放しで喜べない気がする。

その他、アルバムには外部ライターの曲が、3曲収められている。

「ウェイト・フォー・アン・アンサー」「ユー・エイント・ソー・タフ」「ストレンジャーズ・オブ・ザ・ハート」だが、どれもポップで親しみやすいメロディではあるが、ハート本来の持ち味とは違うような気がする。

「これ、別にハートに歌わせないで、他のシンガーでもいいんじゃね?」と、あまのじゃくなことを考えてしまうのだ。

やはり、ハートのオリジナル曲、前出の2曲やアルバムラストの「RSVP」のような、アンのシャウト、ナンシーのギター、ふたりのコーラス、ハードなギター・ソロ、そういった要素がすべて揃ってこそ、ハートなのだ。

ウェル・メイドには違いないが、なんか好みじゃないアルバム。

ギターがメインの、かつての荒削りなハート・サウンドの方に、心惹かれてしまう筆者なのでありました。

<独断評価>★★★

※今年も「一日一枚」をご愛読いただき、ありがとうございました。

新年、三が日はお休みをいただきます。よろしくご了解ください。

では、来年もよろしくお願いいたします。

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音盤日誌「一日一枚」#411 10CC「DECEPTIVE BENDS」(Mercury 836 948-2)

2022-12-30 06:16:00 | Weblog
2022年12月30日(金)



#411 10CC「DECEPTIVE BENDS」(Mercury 836 948-2)

英国のロック・バンド、10ccの5枚目のスタジオ・アルバム。77年リリース。彼ら自身によるプロデュース。

10CCは72年8月にレコード・デビューした4人編成。だが、すでに60年代よりいくつかのバンドで活動し、レコードも出しているようなメンバーばかりだったので、まったくの新人ではなかった。

中でも、ベース(主に担当)のグレアム・グールドマンは、ヤードバーズの「フォー・ユア・ラヴ」、ホリーズの「バス・ストップ」の作曲者として知られていた。

そういう彼らが生み出した新人離れしたサウンドは、瞬く間に注目を集めていく。

日本では75年、サード・アルバムよりカットされた「アイム・ノット・イン・ラヴ」のヒットでメジャーな存在となった。

その後、76年のアルバム「びっくり電話」も好評を得るが、ゴドレイとクレーム、そしてスチュワートとグールドマンの2組の間で音楽性の違いによる対立が表面化し、前者は脱退してしまう。

残るふたりと、新ドラマー、ポール・バージェスによって制作されたのが、この「DECEPTIVE BENDS」(邦題「愛ゆえに」)である。ドラムス以外のパートは、ふたりが演奏している。

シングル・ヒットともなった「グッド・モーニング・ジャッジ」でスタート。アップ・テンポのロックンロールだが、その軽快な曲調とは裏腹に、歌詞内容はブラック・ユーモアに満ちたもの。女性に夢中になったせいで殺人を犯してしまった男のモノローグなのである。

そう、このブラックな部分こそが、10CC「らしさ」といっていい。皮肉や諧謔、社会風刺といった「ウラ」のニュアンスを、ポップなサウンドに滑り込ませることで、彼らは独自の世界を築き上げていた。

次の日本でも大ヒットした「愛ゆえに」も、スーッと聴けば普通のラヴ・ソングにしか聴こえないかも知れない。特に英語が母語ではないわれわれ日本人においては、そうなるだろう。

だが、美しいバラードという外装の裏には、いくつもの仕掛け、トラップが散りばめられていて、わかる人は何度もクスッとくる、そういうことなのである。

「マリッジ・ビューロー・ランデブー」はビートルズばりの美しいコーラスが印象的なロック・バラード。

ビートルズ、ことにポール・マッカートニーには彼らは強い影響を受けているようで、のちにエリック・スチュワートはマッカートニーとコラボするまでに至っている。彼らは本気でポスト・ビートルズを目指していたのだ。

「恋人たちのこと」もシングル・カットされてヒットしている。これもまた、メロディが美しいラヴ・バラード。

この曲をやるかやらないかで大揉めになり、あげくゴドレイたちが脱退するに至ったという、いわくつきのナンバーだ。確かにやたら甘々な曲調で、好みが分かれる曲だなぁ。女性ウケはしそうだけど。

A面ラストの「モダン・マン・ブルース」は、タイトル通りのブルース・スタイルのナンバー。途中に激しいテンポ・チェンジを入れて、変化をつけているのが彼ららしい。この曲のギター・ソロを聴くと、黒人ブルースの強い影響を感じる。オープニング曲もそうだが。

どれだけ洗練されていても彼らの音楽の基本は、ブルースやロックンロールといった、泥臭い過去のビート・ミュージックなのだ。

つまり、ビートルズをはじめとする、ほとんどのバンド少年たちが通ってきた道と同じだ。筆者もそのあたりに親しみを感じてしまう。

シングル向きの曲を羅列した感じの強かったA面とは違って、B面はコンセプトがはっきり感じられる構成になっている。

言ってみれば、10CC流アビイ・ロードといいますか。ぜひ一曲ずつでなく、通しで聴いていただきたい。

「ハネムーン・ウィズ・Bトゥループ」はアップ・テンポのロックンロール。3分足らずで終わり、「フラット・ギター・テューター」につながる。こちらはフォー・ビートのジャズ風小曲。

そして「ユーヴ・ガット・ア・コールド」は、はねるビートを強調した、エイト・ビートのロック。いずれも短かめだが、ビシッとまとまった良曲である。そして、それぞれ歌詞に含まれるユーモアが、いいスパイスとして効いている。

ラストの「フィール・ザ・ベネフィット」は3部に分かれた組曲構成。11分半に及ぶ、本作最長にして最大の聴きものだ。「レミニッセンス・アンド・スペキュレーション」は、ピアノ、オーケストラのアレンジが美しいバラード。

続く「ア・ラテン・ブレイク」は文字通りラテン・ビートを導入した、フュージョン・サウンド。ギター・リフがイカしている。高中正義あたりもこれ、参考にしたんじゃないかな。

そしてラスト・パートの「フィール・ザ・ベネフィット」で締めくくりとなる。マッカートニーを意識しまくりの、ドラマチックなロック・バラード。ここでの延々と続く泣きのギター・ソロは、ブルース・フィーリングにあふれていて本当にいい。

このアルバムの後は、メンバーも補充してバンドは新たな体制となる。そしてアルバムも4枚出した10CCだったが、83年の「都市探検」を最後に活動を終えてしまう。

考えてみれば、「愛ゆえに」をリリースした77年がバンドとしてのピークだったような気がする。ちょっと残念だが。

バンドとしてのポテンシャルはとてつもなく高かったのだが、「愛ゆえに」「アイム・ノット・イン・ラヴ」に代表されるヒット曲に引きずられて、「ラヴ・ソングのバンド」「女性向け」みたいなイメージが付いてしまったのも、結果的に災いしたのかもしれない。

だが、10CCのサウンドの素晴らしさは、いまだに色褪せていない。マンチェスター出身のロック・バンドとしては、今も王座に君臨し続けているのだ。

ポップなセンスと高い音楽性を両立させた稀有なバンドとして、これからも聴き継がれるに違いない。

<独断評価>★★★★☆

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音盤日誌「一日一枚」#410 UFO「THE BEST OF UFO」(EMI 7243 8 52967 2 7)

2022-12-29 05:13:00 | Weblog
2022年12月29日(木)



#410 UFO「THE BEST OF UFO」(EMI 7243 8 52967 2 7)

英国のロック・バンド、UFOのベスト・アルバム。99年リリース。

UFOというと、いまだに活動が続いているという長寿バンドだ。なにせスタートは69年8月。ブランクは何回かあるものの、半世紀のキャリアは掛け値なしにスゴい。

日本でも70年デビュー・シングル「カモン・エブリバディ」がそこそこ話題になって、翌年には初来日公演まで果たしている。

実は筆者も、そのシングルを持っておりました。何度となく聴いたものです。懐かしい思い出(笑)。

当時UFOはレッド・ツェッペリン、ディープ・パープルあたりの対抗馬として期待されていたのだが、すぐに失速、墜落してしまう。

リード・ギターのミック・ボルトンが失踪、脱退してしまったのである。

その後、何人かの交代劇を経て、ドイツ人のマイケル・シェンカーが73年6月より正式に参加する。彼のスーパー・ギター・テクニックは、バンドの最大のウリとなる。

そしてそこから、UFOの快進撃が始まるのだ。

74年のアルバム「現象」以降、75年「フォース・イット」、76年「ノー・ヘヴィー・ペッティング」、77年「新たなる殺意」78年「宇宙征服」と、たて続けにヒット・アルバムを出し、人気を高めていく。

しかし、英語の不得手なシェンカーと他のメンバーとのコミュニケーションが上手くいかなかったこともあり、78年11月ついにシェンカーは脱退してしまう。

スター・ギタリストの脱退という痛手を負って、ここでバンドの命運も尽きたかと思われたが、すぐに後任のポール・チャップマンを迎え、79年には再来日も果たしている。

だが80年代はメンバーの交代が相次ぎ、不安定な時期であった。レコードのセールスも落ち込み、ついにバンドは83年4月に解散してしまう。

その後、オリジナル・メンバーのフィル・モグ(Vo)が再びメンバーを集めて、84年12月に再始動。

そして活動を続けるのだが、やはりスター・ギタリストのいない状態での存続は難しい。メンバー脱退が続き、再び休止に追い込まれる。

だが、天はUFOを見捨てなかった。

91年にギターのローレンス・アーチャーを迎え、再々始動。そして93年にはシェンカーを含む黄金期のメンバーでの復活を果たしたのだ。

まさに不死鳥。何度でもよみがえってみせるのだ。

しかし、いい状態は長続きしないもので、再びシェンカーは他のメンバーとの衝突を起こし、95年に離脱。

その後もシェンカーは短期復帰→脱退のパターンを繰り返しており、キリがないのでそのあたりは省略させていただく。

もう、ここまで来ると「お家芸」ですな(笑)。

まぁ、UFOにとってシェンカーが、なくてはならない才能である事実は間違いない。

さて、このベスト盤はそんな彼らの99年までの、約30年の歴史をコンパクトに凝縮した一枚。ちなみに第1期の音源は含まれていない。彼らにとってある意味、「黒歴史」だったしね。

黄金の70年代後半の代表曲、「ドクター・ドクター」「オンリー・ユー・キャン・ロック・ミー」「シュート・シュート」「ロック・ボトム」など、「これぞUFOサウンド!」といえる16曲が詰まっている。

ギター・キッズにとってはもう教則本みたいな、シェンカーのプレイの連続。

結局トップ・バンドにはなれなかったけど、安定のハード・ロックを生み出し、ファンの心を揺さぶり続けたUFOの、最盛期の輝きがここにある。

ワン・パターンだけど、最強。それがUFOなのだ。

<独断評価>★★★★

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音盤日誌「一日一枚」#409 ELVIS PRESLEY「MEGA エルヴィス」(BMGビクター/RCA BVCP-850)

2022-12-28 05:15:00 | Weblog
2022年12月28日(水)



#409 ELVIS PRESLEY「MEGA エルヴィス」(BMGビクター/RCA BVCP-850)

米国のシンガー、エルヴィス・プレスリーのベスト・アルバム(日本編集)。95年リリース。

エルヴィス・プレスリーとは言うまでもなく、20世紀最大最強のポピュラー・シンガーだが、筆者にとっての彼は、政治家小泉某氏が言うような「自分の青春そのもの」みたいな存在というよりは、洋楽を聴き始めたころに知った(中年の)スーパースターであり、既に雲の上の存在だった。

ちなみに映画「エルヴィス・オン・ステージ」(70年)の白いジャンプスーツ姿が、エルヴィスに関する最初の記憶だったと思う。

エルヴィスの活動期間は意外と短くて、1954年から77年までの約23年間。日本編集の本盤は、27曲でほぼ全ての時代をカバーしている。

「ザッツ・オール・ライト」は、デビュー・シングル。黒人ブルースマン、アーサー・クルーダップのカバー。

53年サン・レコードで自主盤を吹き込み、それがオーナーのサム・フィリップスの目に止まり、デビューのきっかけを掴んだ。何事も、どこからチャンスが舞い込んで来るか分からない。フィリップスのようなキーパースンの目に止まるようなチャレンジは大切だな。

サンで5枚のシングルを出したのち、大手のRCAと契約。エルヴィスの本格的ブレイクに至るセカンド・ステップである。

チャンスはさらに次のチャンスを呼ぶが、それをすかさずモノにしてこそ、初めて真の成功に至るってことね。この移籍なくして、「キング・エルヴィス」は生まれなかった。せいぜいローカル・スター止まりだったはず。

56年「ハートブレイク・ホテル」で一躍脚光を浴びて、人気歌手の仲間入り。以降はとんとん拍子でレコードをリリースしていく。

「アイ・ウォント・ユー」「冷たくしないで」「ハウンド・ドッグ」「ラヴ・ミー・テンダー」など同年中になんと5枚10曲(両面)もシングルでチャート・イン。いかにすさまじい人気だったかが分かる。

エド・サリヴァン・ショーへの出演で話題になったり、一方、映画俳優としての仕事も始まる。

翌年以降もその勢いは続く。57年は「テディ・ペア」「監獄ロック」など4枚8曲がチャート・イン。

しかし、58年に徴兵があり、2年間兵役に就くことに。
その間は活動もややペースダウンとなるが、折り悪しくロックンロールのブームが下火となっていたこともあって、現役復帰後はバラード・シンガーの方向にシフトしていく。

「イッツ・ナウ・オア・ネバー」(オー・ソレ・ミオの英語版、「今夜はひとりかい?」(ともに60年)、「好きにならずにいられない」(61年、映画「ブルー・ハワイの挿入歌)のヒットがその好例である。

映画に主演してその主題歌を歌うという、のちに日本の加山雄三が踏襲したパターンで活動を続けたのが60年代。「G.I.ブルース」(60年、シングルではなく、サントラ盤でヒット)「ブルー・ハワイ」(61年、同上)といった具合だ。

「グッド・ラック・チャーム」は62年、映画とは無関係にリリースしたシングル。全米1位となったが、以降はしばらくチャート低迷の時期が続く。60年代のナンバーワンヒットはこののち、64年の「ブルー・クリスマス」(本盤未収録)、69年の「サスピシャス・マインド」のみである。

そんな感じで一時のブームは去り、エルヴィスもレコードリリース、映画出演こそコンスタントに続けてはいたものの、次代に「過去の人」になっていった。

67年にはプリシラ・ポーリューと結婚(のち73年に離婚)、この時にはエルヴィスも32歳になっていた。若くて独身という強みを失ってしまったわけだ。

しかし、歌の実力という最大の強みは彼に残った。

再び、歌手活動に重点を置くようになったのが、60年代後半だ。ありとあらゆるジャンルの曲を歌い、レコーディングしていく。本盤で言えば、「イン・ザ・ゲットー」「明日へ架ける橋」「アメリカの祈り」「偉大なるかな神」「マイ・ウェイ」などである。

そしてラスベガス、ハワイなどを拠点に、ライブ・ショーに力を入れることで、「王」はまた注目を浴びるようになる。

それが実を結んだのが映画「エルヴィス・オン・ステージ」だ。

ここでのエルヴィスのパフォーマンスは、圧倒的だった。

それまでは、毒にも薬にもならない駄作映画ばかり出ていた、いわば二流俳優だったエルヴィスが初めて見せた「本気」。

これには、オールド・ファンも、若い人たちも感動した。「エルヴィス、健在なり」という強い印象が残った。

「この胸のときめきを」は、その時期に生まれたスマッシュ・ヒットである(70年、全米11位)。続いて「バーニング・ラブ」も大ヒット(72年、全米2位)。

しかし、音楽活動が再び活発になった一方、エルヴィスの私生活は決して順調ではなかった。

愛妻プリシラは他の男性に心がわりして、破局。離婚後の彼は生きる支えを失い、過食症に走るようになる。

77年8月、エルヴィスはこの世を去る。死因はオーバードーズによる不整脈だったという。

富と名声、全てをおのれの歌声ひとつで手に入れた男としては、あまりに悲しい最期であった。

ショービジネス随一の肉体派で、「強きアメリカ」の象徴のような人だったのに、である。

思うに彼は、終生、米国南部の純朴な青年の心を持ち続けていたのだと思う。

ビートルズとの面会の時、ツンデレなジョン・レノンが「僕たち、あなたのレコードなんて持っていませんよ」と皮肉を言ったのを真に受けて、すぐにレコードを一式ビートルズに贈ったというエピソードが、エルヴィスの全てを物語っているだろう。

妻の裏切りなど、まったく予想もつかないくらい、ピュアでナイーブな人、善良そのものの人だったのだ。

そんな、まっすぐ過ぎるぐらいまっすぐな人、エルヴィス・アーロン・プレスリーの生涯は、何百枚ものレコード、数十編の映画として残った。

他のどのシンガーも出しえなかった、神々しいまでに深みのある声に耳を傾けて、彼の魅力をもう一度噛みしめてみよう。

20世紀という時代がわれわれに贈ってくれた最大のギフト=才能を。

<独断評価>★★★★☆

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音盤日誌「一日一枚」#408 LARRY CARLTON「サファイア・ブルー」(ビクターエンタテインメント/Bluebird VICJ-61126)

2022-12-27 05:00:00 | Weblog
2022年12月27日(火)



#408 LARRY CARLTON「サファイア・ブルー」(ビクターエンタテインメント/Bluebird VICJ-61126)

米国のギタリスト、ラリー・カールトンのスタジオ・アルバム。2003年リリース。彼自身によるプロデュース。

カールトンは、おもにフュージョン、ジャズを演奏するギタリストだと言われているが、彼自身の音楽はジャズと同じくらい、黒人ブルースから強い影響を受けている。

それは本人も幾度となく語っているし、何より彼の弾くフレーズを聴けば明らかだろう。また、自身のバンドに「サファイア・ブルース・バンド」と名づけていたりする。

当然ながら、ブルース曲をメインにしたアルバムも、何枚か作っており、例えば白人ハーピスト、テリー・マクミランとコラボした「Renegade Gentleman」という93年のアルバムがよく知られているが、本作はそれに続くブルース・アルバムである。

オープニングの「フライデイ・ナイト・シャッフル」からして、いかにもB・B・キングあたりのブルース・ショーの出囃しに使われそうな曲である。ホーン・セクションも四管体制と豪華だ。

息子のトラヴィス・カールトン(B)らとのトリオ・バンドでも、このナンバーはよくオープニングで演奏されていたから、覚えている人も多いだろう。

カールトン本人も、BBばりに気持ちよさげにチョーキングを決めている。

続く「ア・ペア・オブ・キングス」は、アルバート・キングの「クロス・カット・ソー」を彷彿とさせるナンバー。ギター・プレイも、いかにもアルバートっぽい。

リズミカルな2曲の後の「ナイト・スウェッツ」はムードも一転して、物憂げなスロー・ナンバー。

ジャズィでブルーズィな匂いが横溢する、カールトンのフレーズが目一杯楽しめる。

「サファイア・ブルー」は、緩急に富んだギター・プレイがスリリングな、スロー・ブルース。

ホーンの強力なバッキングも相まって、ドラマティックな展開が繰り広げられる佳曲。

「7 フォー・ユー」は、裏打ちのリズムが特徴的なミディアム・テンポのナンバー。ギターとホーンの掛け合いがイカしている。

「スライトリー・ダーティー」はファンク色の濃いアップテンポのナンバー。キレのいいリズムを叩き出しているのは、黒人ドラマーのビリー・キルソン。

後半からアンプリファイド・ハープで飛び込んで来るのは「Renegade Gentleman」のマクミランだ。実に10年ぶりのレコーディング共演である。

「ジャスト・アン・エクスキューズ」は、スロー・ブルース。BBばりのスクウィーズ、そして後半はネチッこい速弾きを繰り返すカールトンのプレイが、本盤のハイライトだと言えそうだ。

「テイク・ミー・ダウン」は、チェンジアップのナンバー。これまでのギブソンES335をアコースティック・ギターに持ち替えて、ダウンホームなスタイルのブルースを弾くカールトン。

相方をつとめるのは、ハープのマクミラン。今度はノン・アンプリファイドだ。

最小編成でのセッションは、いい感じで盛り上がる。
アコギでブルースなカールトンも、悪くない。

ラストは日本のみのボーナス・トラックで、おなじみのナンバー「ルーム335」。筆者もこのトラックを聴くために、あえて日本盤を買いました、ハイ。

オリジナル(「夜の彷徨」所収バージョン)と比べると、テンポを少し落としているのと、ホーン・セクションが加わって、よりファンキーなサウンドになっているのが、大きな相違点だ。

フュージョンよりも、伝統的なブルース・バンド・サウンドに寄せているってことやな。

オリジナルのスピーディな演奏もカッコいいが、ファンキーなこのバージョンも決して捨てたものじゃないぜ。

いつものアルバムとは違い、カールトンの個人的趣味で作られた一枚とはいえ、われわれブルース・ファンにも十分楽しめる内容になっている。ぜひ一聴を。

<独断評価>★★★★

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音盤日誌「一日一枚」#407 THE BAND「THE BAND」(東芝EMI/Capitol CP21-6026)

2022-12-26 05:20:00 | Weblog
2022年12月26日(月)



#407 THE BAND「THE BAND」(東芝EMI/Capitol CP21-6026)

カナダ、米国出身のロック・バンド、ザ・バンドのセカンド・アルバム。69年リリース。ジョン・サイモンによるプロデュース。

ジャケットの色から「ザ・ブラウン・アルバム」とも呼ばれる本盤は、デビュー作以上の成功(全米9位)をおさめ、ザ・バンドを一躍メジャー・バンドに押し上げている。

ザ・バンドの歴史について簡単にまとめると、もともとは米国からカナダに移住したロックンローラー、ロニー・ホーキンスのバック・バンド、ザ・ホークスとして始まり、ホーキンスの元を離れたのちはボブ・ディランのバック・バンドとなり、ディランのエレクトリック・サウンドの導入に一役かうことになる。

NY郊外のウッドストックにディランと共に移り住み、そこで日夜セッションを重ねてサウンドを磨き、68年にバンド名をザ・バンドと変えてレコードデビューしたのである。

いわば、10年近くのキャリアを持つ、叩き上げのバンド。無名でも、実力は十二分にあった。

彼らの持っている引き出しの多さは、ハンパない。ロックンロール、フォーク、カントリー、ブルース、ジャズ、R&Bなど、オール・アメリカン・ミュージックをカバーしていた。

そして演奏能力のみならず、作曲・アレンジ能力も非常に高かった。日本のバンドなどでは、絶対に真似の無理な曲を自在に生み出せるバンドだった。

それは、このアルバムの曲をひとつずつ聴き込んでいけば、よく分かるだろう。

【個人的オススメ曲・その一】

「クリプル・クリーク」

5枚目のシングルとなり、カナダでは10位、全米でも25位と、クリーン・ヒットになったナンバー。ロビー・ロバートスンの作品。

軽快なセカンド・ラインが印象的なナンバー。まだ、ニューオリンズのサウンドがさほど知られていなかった当時の日本では、とても新鮮に聴こえた(はず)。

筆者的にはこのアルバムでというより、「ラスト・ワルツ」でのライブ・パフォーマンスで一番耳に残った曲として記憶されている。

【個人的オススメ曲・そのニ】

「ラグ・ママ・ラグ」

70年に「クリプル・クリーク」に続きシングル・カットされた曲。ロバートスンの作品。

全英16位、全米で57位と、なぜか英国でヒットしている。 

ホーンを取り入れた、厚みのあるサウンド。シンプルなフレーズの繰り返しが、妙に耳に心地いい。

【個人的オススメ曲・その三】

「オールド・ディキシー・ダウン」

「クリプル・クリーク」のB面曲。ゆったりとしたバラード。これもロバートスンの作品。

ジョーン・バエズ、ジョニー・キャッシュ、ジョン・デンバー、オールマンズ、ブラック・クロウズ等々、カバーも非常に多い名曲。

郷愁感あふれるメロディとサウンド。ザ・バンドを象徴するナンバーと言えそうだ。

【個人的オススメ曲・その四】

「ジェミマ・サレンダー」

リヴォン・ヘルム、ロバートスンの共作。リード・ボーカルはヘルム。

ザ・バンド流ロックンロールと言える一曲。ツボを押さえたリチャード・マニュエルのピアノがイカしている。

【個人的オススメ曲・その五】

「ルック・アウト・クリーヴランド」

ロバートスンの作品。リード・ボーカルはリック・ダンコ。

軽快なカントリー・ロック。ロバートスンのギターが冴えわたる一曲。

最後にふれておきたいのは、アルバム・ジャケットの写真。

全員、濃いヒゲをはやしているが、どうなんだろ、この女性ウケとかまったく考えていないルックス(笑)。

もちろん、当時はビートルズをはじめとして、ロック・バンドのヒゲ率は非常に高かった。

ハンブル・パイとかレッド・ツェッペリンみたいなルックスがウリのバンドさえ、全員ヒゲ面なんて時期があったけどね。

それにしても、ジジむさすぎない?

メンバーの年齢を調べてみると、ロバートスン26歳、ダンコ26歳、マニュエル26歳、ハドスン32歳、ヘルム29歳であった。

ハドスン以外、みんな20代やん!

ザ・バンドは、なんとも「老人ぶりっ子」な青年たちであった。

まあ、彼らがやっている、ルーツミュージック的なサウンド自体、ジジイ趣味っぽいんだけどね(もちろん、いい意味で)。

「ガキには分からない、ホンモノの音楽を聴かせてやるぜ」という意気込みが伝わってきそうな、笑わない青年たちのポートレート。それがこのアルバム。

ザ・バンドの凄さを、とことん味わえる一枚だ。

<独断評価>★★★★

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音盤日誌「一日一枚」#406 LEON RUSSELL「LEON RUSSELL 」(ポリスター/Shelter PSCW-1027)

2022-12-25 05:04:00 | Weblog
2022年12月25日(日)



#406 LEON RUSSELL「LEON RUSSELL 」(ポリスター/Shelter PSCW-1027)

米国のシンガーソングライター、レオン・ラッセルのデビュー・アルバム。1970年リリース。デニー・コーデル、ラッセル本人によるプロデュース。ロンドン、メンフィス、ロサンゼルス録音。

レオン・ラッセルという名前が、われわれロックリスナーに強く意識されるようになったのは、彼が英国のシンガー、ジョー・コッカーのバックをつとめ、その作品「デルタ・レディ」のヒットを出したあたりからだろう。69年秋のことである。

コッカーは翌年春には「マッド・ドッグズ・アンド・イングリッシュメン」というタイトルのライブ盤を出してヒット、ラッセルもその顔をよく知られるようになる。

銀髪でロン毛、ヒゲ面で、眼光鋭いこのアメリカ人、一見して「只者じゃないな」と思わせる容姿の持ち主だった。

42年、オクラホマ州生まれのラッセルはデビュー当時28歳。既に十分過ぎるキャリアを持つ「隠れた大物」だった。10代からプロとして活動、J・J・ケイル、デラニー&ボニーらともバンド活動をともにしていた。

スタジオ・ミュージシャンとしても評価が高く、フィル・スペクターがプロデュースした作品のバックをつとめることもしばしばだった。

また、意外なところではザ・ベンチャーズのバックで「十番街の殺人」ほかのキーボードを弾いていたのが彼だったりする。

要するに、自らの名前でデビューしていないだけで、60年代から実質的にプロ中のプロだったわけだ。

68年にはシンガー、マーク・ベノとのデュオでアルバムを出しているから、これが事実上のデビュー盤なんだろう。

そして、コッカーとの出会いがラッセルを一躍メジャーな存在へと引き上げる。

このデビュー・アルバムは、売り上げとしては、ビルボードの60位に達したので、ますまずの成功といえるだろう。

そして、一般リスナー以上に凄かったのは、音楽業界内の反応だった。

なんとブルースの大御所、B・B・キングが、アルバム所収の「ハミングバード」を、次のシングル曲として選んだのである。

他にも、「ソング・フォー・ユー」はそのメロディの美しさから、さまざまなアーティストによってカバーされるようになる。

一番有名なのは72年のカーペンターズの大ヒットだが、それ以前にもダニー・ハサウェイ、アンディ・ウィリアムス、ヘレン・レディらがこぞって取り上げている。

アルバム内でよく知られているのは、この2曲と「デルタ・レディ」ぐらいだが、それ以外の曲では、ラッセルがそれまでにやって来た音楽が凝縮された内容になっている。

ひとことで言えば、米国南部のアーシーな音楽、ブルース、R&B、ロックンロール、ジャズ、ゴスペルなどが溶け合った、いわゆるスワンプ・ミュージックだな。

彼のアクの強いボーカル・スタイルそのままに泥臭い、土臭い音楽が、ピアノをベースにしたサウンドで展開される。

当時流行のブリティッシュ・ロックなどとはだいぶん趣きは異なるものの、そのおおもと、ルーツといえる音、それがラッセルが得意とする分野だった。

だから、プロのミュージシャンたちからの支持は絶大だった。

このアルバムのレコーディング・メンバーを見れば、それは明らかだろう。

ギターでエリック・クラプトン、デラニー・ブラムレット、そしてジョージ・ハリスン。

これはクラプトンとハリスンが、ラッセルと旧知のデラニー&ボニーと当時一緒に活動していたことから実現した、夢のハット・トリックだな。

そのつながりからか、芋づる式に凄いミュージシャンたちが参加することになった。

ボニー・ブラムレット、スティーヴ・ウィンウッド、ビル・ワイマン、クラウス・フォアマン、ボビー・ウィットロック、リンゴ・スター、チャーリー・ワッツ、ジム・ゴードン、エトセトラ、エトセトラ。

いちいち説明する必要のない、大物ばかりだ。デレク・アンド・ドミノスとなる連中も、もちろんいる。

こんなメンバーでレコーディングされたのだから、演奏の出来が悪いわけがない。

聴けば聴くほど、味わいが出てくる一枚。ライナーノーツを見ずに、「ああ、このギターはECかな、ハリスンかな」と推理するのも面白い。

生み出すメロディの美しさ、ポピュラリティを持ちながらも、ルーツ・ミュージックへのリスペクトを前面に押し出した作品でもある「レオン・ラッセル」。

「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」「ギヴ・ピース・ア・チャンス」のようにタイトルで「おっ!」と思わせておいて、まったく別物の自作曲を聴かせてしまうような、洒落っ気が彼の歌には溢れている。

やっぱ、只者じゃない。

<独断評価>★★★★☆

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音盤日誌「一日一枚」#405 CAROLE KING「TAPESTORY」(Ode/Epic/Legacy 493180 2)

2022-12-24 05:00:00 | Weblog
2022年12月24日(土)



#405 CAROLE KING「TAPESTORY」(Ode/Epic/Legacy 493180 2)

米国のシンガーソングライター、キャロル・キングのセカンド・アルバム。71年リリース。ルー・アドラーによるプロデュース。

全米1位をなんと15週にわたって続けた、モンスター・アルバム。米国でのセールスは1,100万枚、日本でも40万枚というすさまじい売り上げがあった作品。

29歳という年齢の女性シンガーのアルバムがここまで売れたのには、もちろん理由がある。

ひとつは、キャロル・キングには既にソングライターとして10年近い、確たるキャリアがあったということ。

60年代に彼女が当時の夫、ジェリー・ゴフィン(作詞担当)と組んで書いた曲、例えばシュレルズの「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」、リトル・エヴァの「ロコモーション」、シフォンズの「ワン・ファイン・デイ」、アレサ・フランクリンの「ナチュラル・ウーマン」などが次々とヒットしたのだ。

10代の若さで結婚して子供もいたキングは、自分がシンガーとして表舞台に出ることはなく、もっぱら裏方だったわけだが、ゴフィンと離婚してひとりとなり、子供も大きくなったことで、70年代は自ら歌うことを選んだのだ。

ふたつめは、シンガーソングライターの台頭、そしてブームである。

60年代前半はまだ、曲の作り手と歌い手の分業が当たり前だった時代だったが、作り手の中には、他人に歌ってもらうだけでなく、自ら歌う人々が次第に増えてくる。

女性シンガーで言えば、ジョーン・バエズあたりを筆頭に、ジョニ・ミッチェル、ローラ・ニーロ、ジュディ・コリンズといった人たちに、60年代後半からスポットが当たるようになる。

男性でも、ジェイムズ・テイラー、ニール・ヤング、ニルソン、ランディ・ニューマン、ジョン・セバスチャン、ニール・ダイヤモンドらが登場して、従来のショービズとは一線を画した活動をするようになる。

69年の「ウッドストック・フェスティバル」は、まさにそういう「手作り文化」「草の根文化」の集大成ともいうべき祭典だった。

アマチュア、インディーズのミュージシャンたちが、これまでの商業主義と異なる音楽を作っていこうという、マニフェストでもあったのだ。

このような文化背景の中、キャロル・キングは新時代の旗手として、一躍脚光を浴びたのである。

そのサウンドはピアノの弾き語りを基本とした、ややジャズ寄りの大人っぽいもの。

流行りの派手なロックやポップ・サウンドとは無縁な、スタンダードな音作りだったが、これが刺激の強いロックにあきはじめていたリスナー層に見事にアピールした。

他のシンガーソングライターはフォークをバックグラウンドとした人が多かったが、それよりもっと都会的で洗練されたイメージが、彼女のサウンドにはあった。

後に日本でブームを呼ぶシティ・ポップも、キングにひとつの源流があるといえそうだ。

このアルバム(邦題「つづれおり」)を久しぶり聴き返してみる。

ピアノの音が実に鮮明にレコーディングされていて、聴いていて心地よい。

ヒット・シングル「イッツ・トゥー・レイト」、そのカップリング曲「空が落ちてくる」、シングル第2弾「スマックウォーター・ジャック」とカップリング「去りゆく恋人」。

落ち着いた雰囲気のメランコリックな曲、躍動感のある曲、その両方でキングはその作曲の才能をいかんなく発揮している。

他にも、ジェイムズ・テイラーに提供した名曲「きみの友だち」、バーブラ・ストライザントに提供した「地の果てまでも」、60年代の作品の「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」「ナチュラル・ウーマン」の2曲のセルフ・カバーと、実に強力なラインアップが揃っている。こりゃ売れるワケだわ。

ちなみに、テイラーもギターやコーラスで参加している。まさに友情出演だな。

こういった曲の歌詞内容を、キング自身の人生の軌跡と重ね合わせてみると、実に感慨深い。

出会いと別れを経て、人は成長していくのである。

以上の有名なナンバー以外にも、佳曲、良曲は多い。

例えば「ホーム・アゲイン」、アルバム・タイトル曲の「つづれおり」、CDで追加された「アウト・イン・ザ・コールド」など、どれもシングルにしてもおかしくない。さすがNo.1メロディ・メーカー。

キングの独特の温かみのある歌声、そしてその深みのある歌詞に、都会暮らしやうまくいかない恋愛や結婚生活で心のすさんだ人々は、癒しを得るのだろう。

50年昔も、いまも、それは変わることはない。

<独断評価>★★★★☆

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音盤日誌「一日一枚」#404 TRAFFIC「TRAFFIC」(Island CID 9081)

2022-12-23 05:00:00 | Weblog
2022年12月23日(金)



#404 TRAFFIC「TRAFFIC」(Island CID 9081)

英国のロック・バンド、トラフィックのセカンド・アルバム。68年リリース。ジミー・ミラーによるプロデュース。

トラフィックはスペンサー・デイヴィス・グループにて人気の高かったシンガー/キーボーディスト、スティーヴ・ウィンウッドが67年にグループを脱退、デイヴ・メイスン、クリス・ウッド、ジム・キャパルディと共に始めたバンド。67年にアイランド・レコードよりデビューした。

ヒット・シングル3枚、デビュー・アルバムを67年中に出し、順調なスタートを切ったように見えたトラフィックだが、当初から問題を抱えていた。

4人のメンバーのうち、メイスンがひとり浮いていたのだ。

いや、この表現だとまるで彼がハブられていたかのように聞こえてしまうのでいい直すと、他のメンバーからは活躍を期待されているのに、メイスン自身が「ここは自分の居場所じゃないのでは?」という違和感を抱いていたのである。

原因はおそらく、指向する音楽性の「ずれ」であろう。

トラフィックはロックとジャズの融合、両者の橋渡しをするようなサウンドを指向していたが、さらにいうと、メイスンはロック寄り、他の3人はジャズ寄りのサウンドを好んでいた。

ロックなギター・サウンドは出来るだけ避けて、ジャズィなアレンジに寄せていくのがポリシー。

一対三、これじゃあ孤立するだろう。

事実、このセカンド・アルバム制作前に、メイスンは一度バンドを脱退していたほどだ。

「それではアルバムが出来なくて困る」という他のメンバーの強い説得により、メイスンはアルバムを作るために復帰したのだそうだ。

そして、アルバムが無事完成したことにより、メイスンは再度バンドを離れることになる。

その後も、メイスンは三たびバンドに復帰し、さらにまたもや脱退するのだから、彼の「やめ癖」は根深いものがあるな。

ま、音楽性に関しては、お互い譲れない性分の人たちだから、こういういざこざはいたしかたないんだろうな。

そんなこんなで人間関係の面倒ごとはあったものの、アルバムの出来は見事なものだった。

トラフィックというバンドは、ポピュラリティよりも音楽性を優先させるというポリシーが災いしてか、レコードの売り上げは、どのアルバムにしても決してよくはなかったのだが、このセカンド・アルバムだけは唯一トップ・テンに食い込んだという事実が、その内容の良さを証明している。

全10曲のうち5曲、つまり半分をメイスンが単独または共作で作っており、そのいずれでもリード・ボーカルをとっている。残る半分は言うまでもなく、ウィンウッドの担当曲だ。

さらに言うと、このアルバムで最も魅力的でのちの時代もカバーされ続けた曲といえば、間違いなくメイスンの作曲した「フィーリン・オールライト?」だろう。

シングル・カットもされたのだが、その時は英国・米国共にチャート圏外であった。

だが、スリー・ドッグ・ナイト、グランド・ファンク・レイルロードらがその良さを認めてカバーしたことで、名曲としての評価を得るに至っている。

それ以外も「ユー・キャン・オール・ジョイン・イン」「ドント・ビー・サッド」「ヴァガボンド・ヴァージン」「クライン・トゥ・ビー・ハード」で、R&B色の強いウィンウッドとは異なる、ポップでわかりやすいメロディ・ラインを生み出している。

筆者的には「クライン〜」のパワフルなコーラス・サウンドやオルガン演奏が好みだ。

一方、ウィンウッドの曲も充実している。ライブでも定番の曲「パーリィ・クイーン」をはじめとして、「フー・ノウズ・ホワット・トゥモロー・メイ・ブリング」「ノー・タイム・トゥ・リヴ」など良曲が揃っている。

ただ、メイスンに比べると、やはりジャズ寄りのクロウト受けする曲が多い。

もし、全曲をウィンウッドの曲、ボーカルでプロデュースしていたら、ハイクォリティなものは出来たとしてもセールスのほうは相当キツかっただろうな。

こうしてアルバムを細かくチェックしていくと、(第1期)トラフィックにおいて、メイスンがいかに重要なポジションを占めていたかが、よく分かると思う。

その後、トラフィックを離れたメイスンは、70年代、米国でヒットを連発、成功を勝ち取るに至る。

それはウィンウッドが80年代半ばに米国のヒット・チャートを賑わすよりもずっと前のことだ。

因縁の対決、メイスンに軍配が上がった、というところか。

もちろん、いい音楽は、チャートの「勝ち」「負け」によって決まるものではない。

ウィンウッドも、遅まきながら80年代にようやく実力を評価されたということ。

メイスン、ウィンウッド、ともにすぐれた音楽性、実力なくしては、この栄誉はなかったはずだ。

アルバム・リリース当時、メイスンは22歳、ウィンウッドはなんと20歳。恐るべき若さである。

早熟の天才たちの、若き日のグレイト・ワークス。

トラフィックのセカンド・アルバムを聴いてしまうと、筆者のような凡才は、彼らにただただ羨望と畏敬の眼差しを送るのみである。

<独断評価>★★★★

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音盤日誌「一日一枚」#403 OTIS REDDING「ヨーロッパのオーティス・レディング」(MMG 20P2-2363)

2022-12-22 05:22:00 | Weblog
2022年12月22日(木)



#403 OTIS REDDING「ヨーロッパのオーティス・レディング」(MMG 20P2-2363)

米国のソウル・シンガー、オーティス・レディング、67年録音・リリースのライブ盤。ジム・スチュワートによるプロデュース。

オーティス・レディングは67年3月から4月にかけてヨーロッパ・ツアーを行なったが、これはその模様を伝える一枚だ。コンサートの場所は不詳である。

MCの挑発的なイントロダクションに続いて、大歓声に包まれて登場するオーティス。オープニング曲は「リスペクト」。

65年に彼がヒットさせ、後にアレサ・フランクリンがカバーしてオリジナル以上にヒットさせた、あの名曲である。

トレードマークの「ガッタ、ガッタ」の繰り返しで、さっそくオーディエンスを煽りまくるオーティス。

名刺代わりの一曲に続くのは「お前をはなさない」。これまた65年の、スマッシュ・ヒット。

若い皆さんには、ブルース・ブラザーズのライブ盤でのバンド演奏の方がなじみが深いかな。快調なジャンプ・ナンバーで、会場はすでに興奮度MAXだ。

曲調は一転、ディープなバラードへ。「愛しすぎて」である。

オーティスを代表するエモーショナルなナンバーだが、早くもこのエロい曲を投入してくるとは。

アイク・アンド・ティナ・ターナーのちょっとアブない(笑)バージョンもいいのだが、やはり本家本元の迫力はハンパないのう。泣き節が、なんとも切ない。

強力なオリジナルが続いたところで、箸休めといったところか、他のアーティストのカバーもはさんで来る。

テンプテーションズ64年末リリースの大ヒット曲、「マイ・ガール」である。ハッピー・チューンを朗らかに、高らかに歌い上げるオーティス。

ほぼ全員、白人のオーディエンスということも意識しての、超メジャーな曲を選んだんだろうな。

カバー・コーナーが続く。お次はサム・クックの「シェイク」。

64年12月に亡くなった大先輩の曲を、渾身のリスペクトで歌うオーティス。

カバーといっても、歌い始めて何年も経っていて、ほぼオーティス自身の曲と言ってかまわないくらい。

「シェイク!」の煽るようなシャウトが、ホントにキマっている。

カバー曲のラストは「サティスファクション」。いうまでもなく、ローリング・ストーンズ65年の大ヒット、そして代表曲だ。

もともとソウル・ナンバーだったんじゃないかと錯覚してしまうくらい、この曲はオーティスの歌声になじんでいる。

そして後半のアジテーションの過激さは、本家のミック・ジャガーを超えたかも。

再び、オリジナルに戻って「ファ・ファ・ファ」を。

このユーモラスなビート・ナンバーでは、オーティスは会場のオーディエンスと一緒になって楽しげに歌う。

「ジーズ・アーム・オブ・マイン」は、チーク・ダンスの定番曲とも言える、しみじみ、しっとりとしたバラード。

まったりとした和やかな雰囲気が、コンサート会場全体を包む。

再度のテンポ・アップ。先ほどストーンズを取り上げたことも関係あるのか、今度はビートルズの65〜66年のヒット曲、「デイ・トリッパー」を歌う。もちろん、オーティス流のソウルフルなアレンジで。

バックをつとめるのは、オーティス・レディングのレコーディングに欠かせない、ブッカー・T&ザ・MGズ、そしてホーン・セクションのふたり。

彼らの生み出すシンプルにして強力なビートあってこそ、オーティスの実力は最大限に発揮されるというものだろう。

この神コンビネーションによって、オーティス・ライブは最高の出来映えとなった。

ラストは、当然といえば当然の選曲。オーティス・レディング至高のバラード、「トライ・ア・リトル・テンダネス」である。

もう、最初の一声で、鳥肌が立ちましたわ。

精魂尽き果てるまで歌い叫ぶさまが、まざまざと目に浮かぶ熱唱ぶり。これで胸アツにならないヤツは、ソウルを聴かんでヨシ!である。

終盤、MCが再び登場して、大興奮するオーディエンスにさらに煽りを入れる。もう、ヤバ過ぎ。

これはJBをはじめとする、ソウル・ショーのお約束ごと。

とはいえ、「これこれ、これがなくちゃ!」と感じてしまう(笑)。

全編、一分の隙もない。ソウルの精髄が味わえる一枚。聴くべし。

<独断評価>★★★★

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音盤日誌「一日一枚」#401 MUDDY WATERS「AFTER THE RAIN」(ユニバーサル ミュージック UICY-76539)

2022-12-20 06:03:00 | Weblog
2022年12月20日(火)



#401 MUDDY WATERS「AFTER THE RAIN」(ユニバーサル ミュージック UICY-76539)

マディ・ウォーターズ、69年5月リリースのスタジオ・アルバム。マーシャル・チェス、チャールズ・ステプニー、ジーン・バージによるプロデュース。

マディは68年、「エレクトリック・マッド」というアルバムを出し、大きな話題となる。

初めて自前のバンドメンバーではない、外部のミュージシャンを起用して、サイケデリック・ロックに挑戦したからだ。

白人ロックの流行スタイルに乗って、衝撃の変身を遂げたマディ。

後にマイルス・デイヴィスのバンドで活躍する、ピート・コージーのファズ・ギターが暴れまくる、そんな過激な一枚となった。

当然、賛否両論、侃侃諤諤の反応が巻き起こる。

白人のロックを好むリスナーはともかく、従来からのマディのファンからは、おおむね拒絶反応で迎えられることになった。

「やり過ぎ」感の強かった前作だが、チェス・レコードは翌69年、なんと「エレクトリック〜」とほぼ同じメンバーで再びアルバムを出してしまったのである。

メンバーは、フィル・アップチャーチ、ピート・コージーがギター、ルイ・サターフィールドがベース、モーリス・ジェニングスがドラムス、チャールズ・ステプニーがオルガン。

ただ、今回はマディ・バンドからもふたり、ピアノのオーティス・スパン、ハープのポール・オッシャーが参加している。

オープニングの「アイ・アム・ザ・ブルース」はウィリー・ディクスンの作品。シカゴ・ブルースの領袖としてのウィリー、そしてマディの矜持を誇らかに示すミディアム・スロー・ナンバーだ。

マディのどっしりとした歌い方は、さすがの貫禄を感じさせる。他のミュージシャンは前作ほど前面に出ず、地道にバッキングにつとめている。

次の「ランブリン・マインド」はマディのオリジナルの、ギター・リフが重厚なビート・ナンバー。

ここでのギター・ソロ(おそらくコージー)は、今回はファズ全開ということはなく、ほどほどのハジけ具合だ。保守的なファンにもこれならギリセーフってとこか。

「ローリン・アンド・タンブリン」は言うまでもなく、マディの十八番的ナンバーで、カントリー・スタイルのブルースだ。

マディ自身のスライド・ギターと、アップチャーチとおぼしきギターが絡む。シンプルなビートの繰り返しが次第にトランスを生みだしていくのが、実に気持ちいい。

A面ラストの「ボトム・オブ・ザ・シー」は、本盤では一番アヴァンギャルドな匂いのする一曲。

マディのオリジナルだが、マイナー・ブルースの、さらに変型ともいうべきロック・ナンバー。

ノイジーなギター・ソロは、人によって好みが分かれるところだろうが、前作ほど尖っている感じではない。

まぁ、一曲くらいは、こういうお遊びもいいんでないの?

次の「ハニー・ビー」は、何度となくレコーディングされたマディの著名曲。

もちろん、この曲でもマディのスライド・ギターのソロがフィーチャーされる。

ヒステリックで聴き手を煽るような、焦らすようなフレーズが、なんともカッコいい。これだよ、これ!

前作ではまったくといっていいほど聴けなかったマディのスライドが、本盤ではちゃんと聴ける。

マディのレコードなんだから、正直、彼以外のギタリストのプレイなんてどうでもいい。「やっぱり、マディのギターが聴きたいんや!」と言いたくなる。

お次はファンク調のナンバー、「ブルース・アンド・トラブル」。こちらもオリジナル。

それまでのいなたい音から、コンテンポラリーなサウンドに変わり、舞台はミシシッピのデルタ地帯から、急に大都会にワープする。

これは、このアルバム用にマディが書いたオリジナルのようだ。従来とは違ったビートにも柔軟に対応できる作曲能力を、マディは披露してくれる。

はねるエイト・ビートに乗せて、マディのスライドがハジケまくる一曲。

「ハーティン・ソウル」も本盤のオリジナル。ミディアム・スローのブルース。

盟友スパンのピアノが加わることで、シカゴ・ブルースらしい味わいがよく出ている。

やはり、いつも一緒にやっているメンバーに勝るものはなしってことか。

最後は再び、よく知られたスロー・ブルース・ナンバー、「スクリーミン・アンド・クライン」。

ここでもやはり、マディのスライド・ギターを前面に押し出していて、聴きごたえがある。オッシャーのハープも、うまくマディをサポートしていて、マル。

今作は、前作であまりにアヴァンギャルドな実験をして多くのファンに拒まれてしまったことを踏まえて、制作方針を修正したのだろうな。

前作に比べると、だいぶん聴きやすくなって、保守的なファンにもわりと馴染める内容になった。

モダンなビート感覚は前作そのままに、アレンジ(特にギター)を従来のブルース寄りのものに戻すことで、ブルースファンにも、ロックファンにも受け入れられるサウンドになっている。

この方法で納得がいったのだろう、マディは同69年8月に、早くも次のアルバムをリリースする。

名盤の誉れの高い「ファーザーズ・アンド・サンズ」である。

ギターのマイケル・ブルームフィールド、ハープのボール・バターフィールドという白人ロック・ミュージシャンとの初共演を果たしたそのアルバムでは、ブルームフィールド同様、マディのギターもしっかりとフィーチャーされており、白人と黒人のブルースが見事に融合している。

「ファーザーズ・アンド・サンズ」がきっかけで白人ブルースに興味を抱いた黒人ブルースファン、黒人ブルースを聴くようになった白人ブルースファンも結構いたはずだ。

本盤のレパートリーも、何曲かライブ・パートで再演されており、聴き比べてみるのも一興であるな。

「エレクトリック・マッド」に比べるとあまり話題に上ることがない「アフター・ザ・レイン」ではあるが、「ファーザーズ・アンド・サンズ」の大成功の下地を作ったスタジオ盤として、もっと評価され、聴かれてもいいと思う。まだのかたは、ぜひ一度。

<独断評価>★★★☆

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音盤日誌「一日一枚」#402 DEEP PURPLE「MACHINE HEAD」(WARNER BROS. 3100-2)

2022-12-19 05:11:00 | Weblog
2022年12月21日(水)



#402 DEEP PURPLE「MACHINE HEAD」(WARNER BROS. 3100-2)

英国のバンド、ディープ・パープル、72年3月リリースのスタジオ・アルバム。彼ら自身とサイモン・ロビンスンによるプロデュース。

70年の「イン・ロック」、71年の「ファイアボール」と1作ごとに人気が上昇していったディープ・パープル(以下パープル)の、本格的ブレイクの決定打となった一枚である。

全英1位、全米7位、そして日本でも6位と、全世界が深い紫色に染まることとなった。

そして72年8月、彼らはついに初来日を果たし、日本武道館での公演をライブ録音するまでに至る(アルバム・リリースは同年12月)。

英国のハード・ロック・バンドとして は、71年9月初来日のレッド・ツェッペリンに次いで、日本での人気を不動のものとしたのである。

個人的にはガチのZEP派だった当時中学生の筆者は、さほどパープルに思い入れはなかったが、それでもロック・バンドの真似事をやり始めた時期ということもあって、彼らの曲のいくつかをコピーして、レパートリーにしようとしていた記憶があり、なんとも懐かしい。

この「マシン・ヘッド」の大ヒットの理由は、なんといっても「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の2大人気曲を収めていることだ。

前者はシングルカットされることはなかったが、後者は翌年米国でシングルとして全米4位、ロッド・エヴァンス時代の「ハッシュ」以来5年ぶりのヒットとなっている。

キャッチーなリフ、あるいはスピーディでカッコよく、かつ覚えやすいギター・ソロ、派手なアーミング。

ハードなサウンド、熱いボーカルに加えて、パープルにはバンド少年たちの、とりわけギター・キッズを虜にする魅力に満ちていた。

オープニングの「ハイウェイ・スター」は、まさにその魅力が凝縮された一曲。スーパー・アップテンポでグイグイ押してくるナンバーだ。

この曲の、間奏のギター・ソロが完コピ出来るかどうかが、当時のハード・ロック系ギタリストの「試験」みたいなもんだった。いやマジで。

リッチー・ブラックモアのあのトリル部分は、ホント、昇天もののカッコよさだった。

「メイビー・アイム・ア・レオ」はジョン・ロードのオルガンが重厚な、ミディアム・テンポのナンバー。ほとんど、ライブではやらないらしい。ちょっと平板で、盛り上がりに欠けるからかな。

「ピクチャーズ・オブ・ホーム」はアップ・テンポのナンバー。毎度のブラックモアやロードの長いソロだけでなく、珍しくロジャー・グローヴァーのベース・ソロまで聴ける。

A面ラストの「ネヴァー・ビフォア」は、ミディアム・テンポのロックンロール。ポップな味付けもあり、シングル・カットされたが、さほどヒットはしなかった。

思うに、ビートがオーソドックス過ぎて、いささか面白みに欠けている。

パープルは、もっと自分たちらしさを出した曲で勝負すべきということなんだろうな。速い16ビートとか、ギターやキーボードの超絶技巧とかで。

B面トップは「スモーク・オン・ザ・ウォーター」。ミディアム・テンポのナンバー。

一見普通のエイト風にみえて、イアン・ペイスのドラミングは芸が細かいので、ドラマーの方はよーく聴いて欲しい。

この曲はそのギター・リフがあまりにも有名だが、ギターを始めたばかりの少年たちにも「これは手が届きやすい」という印象を持たれるからだろうな。確かに、ジミー・ペイジあたりに比べると、聴き取りやすい気がする。

でも、実際に弾いてみると、ブラックモアのような音質、ピッキング・タッチを再現するのは、結構難しいんだけどね。

この「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は、うまくギターをプレイするには、スピードよりも、粘りとかタイミングこそが大切さなのだと分からせてくれる。

続く「レイジー」は、7分19秒とアルバム中、最長尺のナンバー。リズムがシャッフルというのが、ハード・ロック・バンドとしてはちょっと珍しい。

でも、プログレッシブ・ロックだろうが、ハード・ロックだろうが、その大元、根本はブルースやジャズなんだから、シャッフルは必修科目みたいなものなんだけどね。

印象的なリフは、エリック・クラプトンがクリームやブルースブレイカーズで弾いていた「ステッピン・アウト」を参考にして作られたらしい。

後半、ボーカルのイアン・ギランがブルース・ハープをちょっと披露してみせるのが、本曲の聴きどころである。

パープルもルーツはブルース・バンド。そのことがよく分かる一曲。

ラストは「スペース・トラッキン」。ヘビーなイントロから始まる、いかにもパープルらしいロック・チューン。ギランのギラつくようなシャウトも絶好調である。

これは彼らのライブの定番曲のひとつで、ラストに数十分、延々とインプロビゼーションを繰り広げるのが常だったらしい。筆者は一度も観ておりませんが(笑)。

ディープ・パープルというバンドの、一番旬な時期(もちろん、第3期以後の方を評価する向きもいらっしゃるでしょうが)を記録した、最高のスタジオ・アルバム。

武道館ライブを合わせて聴けば、皆さんの青春の記憶が鮮やかによみがえるはず。ぜひ、涙して聴いて欲しい。

<独断評価>★★★★

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音盤日誌「一日一枚」#400 JIMMY ROGERS「CHICAGO BOUND」(MCA/Chess CHD-93000)

2022-12-19 05:00:00 | Weblog
2022年12月19日(月)



#400 JIMMY ROGERS「CHICAGO BOUND」(MCA/Chess CHD-93000)

ブルース・シンガー/ギタリスト、ジミー・ロジャーズ、70年リリースのアルバム。レナード・チェス、フィル・チェスによるプロデュース。

50年代(50〜56年)のレコーディングが集められ、ロジャーズの代表作として名高い一枚。

ロジャーズは本名ジェイムズ・アーサー・レイン。1924年ミシシッピ州ルールヴィルの生まれ。幼い頃からハープ、次いでギターに親しみ、イースト・セントルイスでプロのミュージシャンとしてのキャリアをスタート、40年代半ばにブルースの都シカゴに移住して、本格的な活動に入る。

47年にマディ・ウォーターズ、リトル・ウォルターのバンドに加入、大いに注目されるようになる。

彼らのバック・ミュージシャンをつとめる一方、ソロ・シンガーとして50年8月にシングル「That’s All Right」(とB面「Luedella」)を初録音する。

「That’s All Right」は残念ながらヒットには至らなかったが、このアルバムに収められてからは、ロジャーズを代表する1曲として、多くのブルースファンに聴かれるようになり、後続ミュージシャンにカバーされることも多い。

この2曲、マディ・ウォーターズのレコーディングの後、マディ抜きのメンバーで録ったそうだが、ウォルターのハープ、ビッグ・クロフォードのベースというシンプルな編成ながら、小味なスロー・ブルースとしてよくまとまっている。

ロジャーズの曲作りの上手さが、既に発揮されているいいサンプルだ。

同50年10月には「Goin’ Away Baby」もレコーディングする。こちらにはギターでマディ・ウォーターズが加わっている。ドラムレスで、「Rollin’ And Tumblin’」ふうのカントリー・ブルースっぽいサウンドだ。

翌51年1月には「I Used To Have A Woman」、7月には「Money, Marbles And Chalk」をレコーディング。ピアノ、ドラムスも加わったバンド・サウンドで、音にも厚みが出て来ている。

52年2月には「Back Door Friend」、52年8月には「Out On The Road」「Last Time」のシングル用2曲、53年5月には「Act Like You Love Me」を録音。

54年1月には「Blues Leave Me Alone」そしてアルバム・タイトル曲でもある「Chicago Bound」をレコーディング。

このセッション、バックがマジ最高だ。ウォルター、マディ、ヘンリー・グレイ(P)、ウィリー・ディクスン(B)、フレッド・ビロウ(Ds)と、チェス黄金時代のメンバーが勢揃い。

これで、ごキゲンな演奏にならないわけがないね。

特に「Chicago Bound」でのスピード感溢れるウォルター、ロジャーズのプレイはなんとも素晴らしい。ギターの自然な歪みの音でさえ、聴く者を快感に誘ってくれる。

同じく54年4月録音の「Sloppy Drunk」は、軽快なテンポのツービート・ナンバー。

こちらもバックにウォルター、オーティス・スパン(P)、ディクスン、ビロウとベストな布陣で、ノリノリの演奏を聴かせてくれる。

「Chicago Bound」と「Sloppy Drunk」は一枚のシングルにまとめられ、ブルースのスタンダードとして後々まで聴かれるようになる。

50年代のシカゴ・ブルースといえばこれ、といわれるくらい、ジミー・ロジャーズはメジャーな存在になった。

56年10月の「Walking By Myself」も、今も人気の一曲。

「Sloppy Drunk」のメンツからハープのみビッグ・ウォルター・ホートンに代わった編成での演奏も、これまたグルーヴィ。ホートンの縮緬ビブラートが実にいい味を出している。

ロジャーズというアーティストのよさは、都会的で洗練された感覚と、いなたさ、素朴さが無理なく同居しているところにあると筆者は思う。

彼の歌は上手いというよりは、どちらかといえばヘタウマなのだが、その「のほほん」とした味わいは唯一無二のものだ。

「That’s All Right」のようなフラれ男の歌でも、恨みがましさは感じられず、しみじみとした哀感が伝わって来る。

シャウトするシンガーばかりがブルース・シンガーじゃない。

鼻歌に近いような素朴な歌も、またブルースなのである。

時代は変われど、ジミー・ロジャーズのナイーブな歌の魅力はまだまだ褪せていない。

ブルースファン以外の方々にこそ、聴いて欲しい一枚。

ロジャーズのシンガーソングライターとしての才能も、そこで発見できるはずだ。

<独断評価>★★★★

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音盤日誌「一日一枚」#399 FLOWER TRAVELLIN’ BAND「SATORI」(ワーナーミュージック ジャパン WPC6-8425)

2022-12-18 05:46:00 | Weblog
2022年12月18日(日)



#399 FLOWER TRAVELLIN’ BAND「SATORI」(ワーナーミュージック ジャパン WPC6-8425)

日本のロック・バンド、フラワー・トラベリン・バンドのセカンド・アルバム。71年4月リリース。内田裕也、折田育造によるプロデュース。

フラワー・トラベリン・バンド(以下FTB)は、グループ・サウンズのひとつ、内田裕也とザ・フラワーズが1970年2月にメンバー再編成により改名、再出発したバンドだ。

内田はこれを機にプレイヤーから、プロデューサーへと転身した。

メンバーは石間秀樹(G)、上月ジュン(B)、和田ジョージ(Ds)、そしてジョー山中(Vo)である。

GSから本格的なロック・バンドへの脱皮、それがFTBの目指すところだった。

それまでの日本語歌詞による歌謡曲的なGSではなく、海外でも通用するロックを目指して、歌詞は英語に変わった。

サウンドの方は、いわゆる英米ロックのメインストリームであるブルースに根差した音というよりも、外国人のイメージするところの和風、あるいはアジア的な旋律をベースにした、独特のエキゾチックなものとした。

日本の中で受けているだけでは意味がない、海外のリスナーにもアピールする要素を、前面に押し出したのである。

70年10月、日本フォノグラムよりファースト・アルバム「ANYWHERE」で国内デビューは果たしたものの、さほどの反響はなかった彼らだったが、転機は意外なところから転がり込んで来た。

FTBは同年に開かれた大阪万博のイベントに出演、その時に競演したカナダのロック・バンド、ライトハウスから「カナダでライブをやってみないか」と誘われたのである。

この誘いを受けてカナダへ渡り、しばらくそこで地道にライブ活動を続けているうちに人気が出て来た。

その評判を聞きつけた米国大手のアトランティック・レコードとの契約がまとまり、アルバムを出すことになった。カナダでもGRTレコードとの契約に至った。

発売後、特に人気の高まっていたカナダでは、アルバムとシングル「SATORI PART II」がチャートインを果たす。

日本でシコシコ活動しているよりは何倍ものスピードで、彼らは一躍世界の注目を浴びることとなったのである。

世界に認められるためには、とにかく現地に行って、自分たちのパフォーマンスを見てもらうのが早道ということか。まさに戦略の勝利だな。

翌72年2月にはライブ・アルバム「MADE IN JAPAN」をリリース。もう完全に「ワールド・クラス」の貫禄を備えて来たFTBであった。

しばらく米加でライブ活動を続け、EL&P、ドクター・ジョン、といったトップ・ミュージシャンらとも競演を果たした後、FTBは72年3月に凱旋帰国した。

彼らは、日本国内でも全国コンサートを続けていく。そしてまたとないビッグ・チャンスが訪れるのだが…。

73年1月、ローリング・ストーンズの初来日公演が予定され、FTBはそのOAに出るはずだった。

だが、メンバーのドラッグによる逮捕歴などが災いして入国許可がおりず、公演は中止となる。世界的なバンドとの競演へとあと一歩のところで、FTBの夢は潰えてしまったのだ。

73年2月、4枚目のアルバム「MAKE UP」をリリース、バンドは4月の京都のコンサートを最後に解散してしまう。

海外進出、米国メジャーレーベルでのレコード・リリースと、それなりの成功を達成しながらも、あまりにあっけない幕切れを迎えたFTB。

いまその早過ぎる解散の理由を推測してみるに、彼ら、つまりメンバー本人たちも、プロデューサー内田裕也氏も、バンドとしての長期的展望を持っていなかったからではないかと思うのだ。

つまり、アルバムにして2、3枚程度のアイデアしかなかったということだ。

オリエンタリズム、アジア趣味をバンド最大のアピール材料としてフルに活用して人気を博したのはいいのだが、その次に打つべき手を考えていなかったから、結局、バンドを終了せざるを得なかった。そういうふうに推測する。

とはいえ、FTBのサウンドには、それまで聴いたことのないような、得体の知れない魅力、オリジナリティが満ちていた。

本盤は「サトリ」といういかにも東洋哲学、宗教的なテーマを、5つのパートの組曲に仕上げている。

どのパートも、石間のオーバードライブ・ギター、そしてジョーの甲高いシャウトがメインにフィーチャーされている。

中にはハープを用いてブルース・ロック的なスタイルをとる部分(パート4)もあるにはあるが、大半は東洋的なメロディ、リフを執拗に繰り返すことにより、リスナーにトランス状態を引き起こすことに成功している。

アルバム1枚ごと、ある種のヤバいドラッグなのだと言っていい。

GSの低迷後の70年代前半、日本ではまだフォーク系の音楽がまだ主流を占めており、英米のそれらと見劣りしないサウンドを持ったロック・バンドはほとんど存在しなかったことを考えると、彼らの登場と成功は早過ぎたとしか言いようがないね。

バンド解散後、メンバーたちは石間、和田がバンド「トランザム」に参加、ジョーはソロ・シンガーへ、そして上月は実業家へと転身していく。

音楽スタイルは変わっていったが、フロンティア・スピリットは変わらずに、彼らはその後も疾走を続けたのである。

ほんの数年の活動ではあったが、日本のロック史にエポックを刻んだバンドとして、FTBはこれからも記憶されていくに違いない。

<独断評価>★★★★

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音盤日誌「一日一枚」#398 CREEDENCE CLEARWATER REVIVAL「PENDULUM」(Fantasy FCD 4517-2)

2022-12-17 05:00:00 | Weblog
2022年12月17日(土)



#398 CREEDENCE CLEARWATER REVIVAL「PENDULUM」(Fantasy FCD 4517-2)

米国のバンド、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの6枚目のオリジナル・アルバム。70年リリース。ジョン・フォガティによるプロデュース。

クリーデンスは70年7月に「コスモズ・ファクトリー」というアルバムをリリース、大ヒット(全米1位)させているが、なんとたった5か月足らずという短いインターバルで本作を出している。

前作はシングル両面ヒットを3枚も含むという超強力盤だったが、こちらは先行シングルなし、カットされたのも年明けリリースの「雨をみたかい」のみであった。

いかにも「急ごしらえ感」が否めない一枚だが、バンドのその後の状況をかんがみるに、なぜこのようなスピード・リリースになったのかが、おぼろげに見えてくる。

というのは、アルバムを出した直後の71年1月、バンドのマメジメントも兼任していたジョンの兄、トム・フォガティがバンドを脱退して、ソロ・アーティストへの道を選んだのである。

トムの脱退は、ある意味「いたしかたない」と、どのファンも感じた行動だ。

もともとトムはあるバンドでフロントマンをつとめていたのだが、弟とその学校友達が結成したバンドに参加するようになり、それがクリーデンスの前身となった。

その中で、歌や音作りでめきめきと頭角を表した弟のジョンが、自然とフロントマンになっていった、ということである。

トムは兄として弟の偉大な才能を認めざるを得なかったが、バンド内では黙々とリズム・ギターを弾くだけの役割であり、ライブ・ステージでこそコーラスは担当できたものの、スタジオ・アルバムのレコーディングでは一切歌をうたえないという、まことに情けないポジションだった。

これでは、いくらクリーデンスがアメリカを代表する大人気バンドとなっても、彼のフラストレーションは溜まる一方だったはずだ。

いつごろからトムが他のメンバー、とりわけ弟に対してバンドを辞めたいという意思表示をしていたかは分からないが、少なくとも昨日今日のことではなかっただろう。

短めに見積もっても、「コスモズ・ファクトリー」の大成功を見て、「もう潮時かな」と判断、弟に辞意を告げたということは十分にあり得るだろう。

そんなトムをなだめて「せめて次のアルバムを完成させ、代わりのマネージャーを見つけるまでは籍をおいていて欲しい」と、ジョンが説得したのではないかと、筆者は推測(というかほぼ妄想だけどね)する。

そして、いつものペース以上の猛烈な速さで、「ペンデュラム」というアルバムを録音し、仕上げたのだろう。

このアルバムは、クリーデンスでは毎度のことではあるが、ほぼジョン・フォガティのワンマン・バンド状態である。

これまでのアルバムと異なり、カバー曲はまったくなし。作詞作曲、アレンジ、歌、コーラス、リズム隊以外のほぼすべての楽器をひとりでこなしている。

器用なジョンのこと、ベースやドラムスだって出来ただろうから、それらも全部彼がやって、他のメンバーはクレジットされただけ、なんて説もあるくらいだ。

ま、それはいかにも邪推だろうし、ジョンがファンをだますようなことはしないと思うが、このアルバムにかかった労力の8割、いや9割以上は、ジョンひとりによったと考えて、間違いあるまい。

他の3人のメンバーは、彼に雇われているスタジオ・ミュージシャンのようなものであり、このアルバムに見られる音楽的アイデアは、すべてジョンが考え出したものと言っていい。

その状況に「ノー」を突きつけて、バンドを去っていってしまった兄、トム・フォガティ。

その後ろ姿を見て、ジョンはどのような思いを抱いたのだろうか。

おそらく、これまでの「独裁体制」に対する反省をせざるを得なかったのではなかろうか。

それは、翌年発表されるアルバム「マルディ・グラ」における、アルバム・プロデュース体制の変更にあらわれることになる。

とはいえ、その話は場を改めて語ることにしよう。

いまは「ペンデュラム」というアルバムについて語らねば、ね。

本作で大きく目立ったサウンドの変化といえば、ギターと同じくらい、キーボード(特にオルガン)やサクソフォーンもフィーチャーするようになったということだ。

以前のアルバムでも、ジョンによるピアノやサックスの演奏を聴くことは出来たが、それらはあくまでも曲の隠し味、アクセント的な使い方に限られていた。

が、本作ではギター以上にそれらの楽器が目立っている曲が多い。

たとえば「カメレオン」「モリーナ」でのテナーサックスのソロ。

オールディーズ風味のロックンロールに、ジョンのいなたいプレイがいかにもマッチしている。

「水兵の嘆き」「ボーン・トゥ・ムーブ」でもサックスは聴かれるが、こちらは以前の曲同様、バッキング中心でわりと控えめだ。

同様に、オルガンも本盤では前面に出て来るようになる。

たとえば「ハイダウェイ」「イッツ・ジャスト・ア・ソウト」は、完全にオルガン・サウンドがメインのバラード。ギターは基本、リズム・キープのみである。

それから「ボーン・トゥ・ムーブ」でのオルガンはブッカー・T・ジョーンズを思わせる、けっこう本格的なプレイ。演奏部分だけ聴くと、とてもクリーデンスと思えない。

こういったギター以外の楽器の本格的な導入により、ジョンは今後クリーデンスが向かうべき道を示して見せたのだと思う。

シンプルなギター・バンドから脱却して、より幅の広いサウンドを指向する様子は、どこか当時のローリング・ストーンズとも通ずるものを感じる。

ラストの「手荒い覚醒」は実験作にして問題作。

テープの逆回転、サウンド・エフェクトなどを大胆に駆使したアヴァンギャルドなインストゥルメンタル・ナンバー。

ひょっとして、ジョン・フォガティは彼なりの「ストロベリー・フィールズ」を作ろうとしたのかな? あるいは「アトム・ハート・マザー」?

おおよそ、クリーデンスの従来のスタイルからは想像がつかない珍曲。

なぜ、このような試みをしたのか、皆さん、推理してみていただきたい。

本盤は当時日本でもヒットした「雨を見たかい」とそのB面「ヘイ・トゥナイト」を聴くために買う人が多かった印象があるが、他の曲を飛ばして聴いちゃあもったいないってもの。

「雨を見たかい」だけではない「ペンデュラム」の多彩な魅力を、再発見してみて欲しい。

<独断評価>★★★★

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