#231 ミスター・ビッグ「30 Days In The Hole」(LIVE/Atlantic)
アメリカのハードロック・バンド、ミスター・ビッグ、92年サンフランシスコでのライブ・アルバムより。スティーブ・マリオットの作品。
ミスター・ビッグは88年、既に他のバンドで実力のほどを証明していた技巧派4人がサンフランシスコで結成、89年アトランティックよりデビュー、即大人気を博したスーパーグループだ。
ミスター・ビッグといえば、どうしてもポール・ギルバートのギターやビリー・シーンのベースの超絶技巧で語られることが多いバンドだが、もちろん、バンドの魅力はそれだけではない。
リード・ボーカルのエリック・マーティンの歌のうまさに加えて、他のメンバーのコーラスワークもなかなかハイレベルであり、演奏・歌、その両面において、死角なしのスーパーなバンドといえるだろう。まさにバンド名にふさわしい実力なのだ。
ロックの歴史では、常に「ソロボーカル中心の時代」と「コーラス中心の時代」が、わが国の源氏平氏の政権交代のように、あるいはロシアのゲーハー/非ゲーハー大統領の政権交代のように、交互にやってくるというジンクスがある。
具体的に見ていこう。まず50年代は、エルヴィス・プレスリーによるソロボーカルの時代、次いで60年代はビートルズによるコーラスの時代、そして70年代はレッド・ツェッぺリンによるソロボーカルの時代というふうに、交互に訪れてくるのだ。
70年代の後半からは、ふたたびコーラス中心の時代になっていく。イーグルスとドゥービー・ブラザーズがその代表選手だ。
ひとりの強力なリード・シンガーですべてをカバーできればソロ、ひとりがそれほどの力を持っていない場合は、多人数のコーラスワークを前面に押し出していくことになるのだが、80年代後半以降は少し事情が変わってきたように思う。
84年デビューのボン・ジョビ、そしてこの88年デビューのミスター・ビッグに顕著だと思うのだが、ソロボーカルでも十分実力のある者を確保した上で、コーラスワークにも手を抜かず、ソロボーカルをさらに引き立てていくという戦略をとっているのだ。
前の時代の、各シンガーの少し弱いところをカバーするためのコーラスでなく、リード・ボーカリストとコーラス陣がともに高いレベルにあるという、より高次なステージへと進化しているのだ。似たようなことは、85年デビューのエクストリームについてもいえると思う。
こうなってきた背景としては、とにかくロックというものが一般化して、数十年前とは比べものにならないくらいロック・ミュージシャンの人数が増えたことがあるだろう。単に歌がうまいだけ、単に楽器がうまいだけでなく、その両方に熟達した層が増えてきたことが大きいと思う。
また、リスナー層も同様に厚くなり、聴く耳が肥えてきたことも大きい。歌・演奏ともに、より優れた、スーパーなものを要求するようになってきたのだ。
80年代半ば以降に登場するバンドは、そういうリスナーの「欲張りなリクエスト」に応えたバンドが多いといえる。
ただ、この高度の技術を追究する傾向があまりに行き過ぎると、当然、逆方向へ向かうバンドも出てくる。オルタナ/グランジという方向性だ。
さて、きょうの一曲について少しふれておくと、第2期ハンブル・パイ72年の名アルバム「スモーキン」に収められていたナンバー。
マリオットのブラック・ミュージックまっしぐらな嗜好がそのまま反映された「濃い」曲だが、ミスター・ビッグは相当この曲がお気に入りだったようで、89年のデビュー・アルバム「MR. BIG」で既にカバーしているのだ。
ライブでも、もちろん定番曲として演っていたわけで、テクニックの披瀝よりも楽曲本位で勝負しようという、彼らの意外とオーソドックスな指向性をそこに見ることができるだろう。
ハードでタイトな演奏はいうまでもないが、歌やコーラスの出来映えもなかなかのものだ。
「けれん」だけでなく、ベーシックな部分でもロックを深く追究するミスター・ビッグ。本物の才能とはこういうものだね。
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