NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音曲日誌「一日一曲」#121 テキサス・ジョニー・ブラウン「The Blues Rock」(Atlantic Blues: Guitar/Atlantic)

2023-07-31 05:00:00 | Weblog
2010年5月8日(土)

#121 テキサス・ジョニー・ブラウン「The Blues Rock」(Atlantic Blues: Guitar/Atlantic)





28年生まれのギタリスト/シンガー、テキサス・ジョニー・ブラウンがアトランティックに残したインスト・ナンバー。彼自身のオリジナル。

ミシシッピ州チョクトーに生まれ、テキサス州ヒューストンにてミュージシャンとなる。40年代後半より、エイモス・ミルバーン、ボビー・ブランド、ジュニア・パーカーらのバックにて演奏。代表的なプレイは、ボビー・ブランドの「Two Steps From The Blues」におけるギター。

アトランティックやデッカ、デュークにて自分名義の録音をする機会をもつが、フル・アルバムを出すことはずっとなかった。

97年、ようやくチョクトー・クリークというレーベルからアルバム「Nothin' But The Truth」をリリース、01年にも「Blues Defender」を出している。苦節70年、とてつもなく遅咲きのブルースマンなのである。

さて、きょうの一曲はアトランティックで49年に録音した3曲のうちのひとつ。ラテン・ビートにのせてブラウンのギターとテナーサックスがリードをとる、重厚なホーンアレンジが印象的な一曲だ。

短めながらそのギター・ソロには、キラリとしたセンスが感じられる。ジャズっぽいサウンドの中でブルーズィな異彩を放っているといいますか。

ちなみにここでシブいピアノを弾いているのは、当時のバンマス、エイモス・ミルバーン。

ブルースというカテゴリに属してはいるものの、きわめてサウンド指向の高い、ハイ・クォリティな仕上がりだ。ジャズ・ファンにもおススメ。

ブラウンは今年82才。いまもしっかり健在のようで喜ばしい限りだ。

ほぼ同世代のBBなどとは、知名度的には比べるべくもないが、ブルースマンとは一国一城のあるじ。個性、そしてキャリアで勝負すればいいのだ。

テキサス・ジョニー・ブラウンもまた、曲数こそ少ないものの、いくつかの名演奏でわれわれの耳、そして心に残っていくであろう、筋金入りのブルースマンだ。ぜひ、聴いてみてほしい。

音曲日誌「一日一曲」#120 プロフェッサー・ロングヘア「Rockin' With 'Fess」(Tipitina/Important Artists)

2023-07-30 05:00:00 | Weblog
2010年5月2日(日)

#120 プロフェッサー・ロングヘア「Rockin' With 'Fess」(Tipitina: The Complete 1949-1957 New Orleans Recordings/Important Artists)





プロフェッサー・ロングヘアの代表的ヒット。彼自身の作品。フェデラル時代の録音(51年)。

フェスことプロフェッサー・ロングヘアは本名ヘンリー・ローランド・バード。1918年ルイジアナ州ボガルーサ生まれ。80年、61才で同州ニューオーリンズにて亡くなっている。

N.O.が生み出した偉大な音楽家フェスについて、ここでいまさらくだくだしく語るつもりはないが、20世紀アメリカにおける天才の一人であることは、間違いないだろう。

ニューオリンズR&Bとよばれる音楽の一ジャンルは、まさにフェスが「発明」したものといっていい。

その左右の手をフルに駆使したピアノ演奏は独創的きわまりないもので、彼ひとりでフルオーケストラ一個分に相当するスケールのサウンドを叩き出していた。

フェスティバルのステージでフェスがピアノを弾き始めたとたん、他の会場の演奏がすべて止まってしまったとか、逸話にはことかかないのも、天才の証明か。

まさに空前絶後の存在だったわけだが、60年代までの日本においてはほとんど知る者がなかったのも事実で、このコンピアルバムに収録された50年代の曲群は、リアルタイムで聴く者などいなかった。いや、彼の音楽だけでなく、ブルース、R&B系の音楽全般に関してそうであった。

当時、いかに外来音楽の伝播が偏ったものであったか、ということやね。

だが、知られざる天才フェスも70年代に入って、ドクター・ジョンなどの白人ミュージシャン、あるいはミーターズのような若手黒人ミュージシャンらが礼賛していたこともあって、日本でも聴かれるようになってきた。

亡くなって既に30年の歳月が経ってしまったが、彼の音楽は、いまだに聴くたびに新鮮な驚きを筆者に与えてくれる。

ダイナミックに転がるピアノ、ほどよくラフなボーカル。これぞロックンロールの始祖形なのだと感じる。

きょう聴いていただく「Rockin' With 'Fess」は、テナーサックスをフィチャーしたジャズっぽいスタイルながら、しっかりロックもしている、アップテンポのブギ・ナンバー。「アルプス一万尺」をモチーフにしたユーモアあふれるアレンジがいい。

この卓越したリズム感覚こそが、ニューオリンズ音楽の本質であり、最大の魅力といっていい。

約60年の月日を経て甦る、フェスの名演・名唱。聴かんと、大損でっせ~。

音曲日誌「一日一曲」#119 ピーティ・ウィートストロー「Crazy With The Blues」(Blues Classics/MCA)

2023-07-29 05:00:00 | Weblog
2010年4月25日(日)

#119 ピーティ・ウィートストロー「Crazy With The Blues」(Blues Classics/MCA)





戦前に活躍したブルースマン、ピーティ・ウィートストローのブルース・ナンバー。彼とチャーリー・ジョーダンの共作。

ピーティ・ウィートストローは1902年テネシー州リプリー生まれ。本名ウィリアム・バンチ。アーカンソー州にて育ち、20代の半ば、セントルイスへ移り住む。

ピアノを弾きながら歌っていたウィートストローは、ギタリスト/シンガーであり、また密造酒製造やタレント発掘なども手がけていた当地の顔役、チャーリー・ジョーダンと知り合い、その肝煎りで30年から41年にかけて約160曲ものレコーディングを行う。

代表曲は「Meat Cuffer Blues」「Don't Feel Welcome Blues」など。その歌い口はタフで、迫力に満ちている。

ウィートストローは、いってみればブルースマンという「役柄」を自覚的に「演じてみせた」先駆者のひとりで、自ら「悪魔の養子」「地獄の保安官」というおどろおどろしいキャッチフレーズを持っていた。

唯一残されている彼の写真を見るに、いかにもワケありげな、不敵な笑みを浮かべている。ブルースという一種「外道」な音楽、悪魔的な音楽の作り手であることを、彼ほど意図的にアピールしてみせたブルースマンはいなかったといえる。

この演出は、実に多くのミュージシャンに影響を与えた。一番有名なのはロバート・ジョンスンで、「Stones In My Passway」などの曲で、ウィートストロー独特の、裏声による節回し(フーフーウェルウェル)を聴くことが出来る。また、おなじみの「悪魔に魂を売り渡して、ギターの腕前を得た」という伝説にもつながっていくことになる。

ジョンスン以外では、ジョニー・テンプル、リロイ・カーなどにも彼の歌唱法の影響が見られるとか。

さて、今日聴いていただく一曲は、彼においてもっとも数多く作られた曲調のブルース。すなわちミディアム・テンポ、フォービートの12小節ブルースである。録音された曲は、これと同工異曲のものが大半といってもいい。

なんともワンパターンなのだが、これがいかにも彼らしいとさえ感じられる。

本来ブルースとは、ごく限られたメロディラインしかなかった。つまり2、3パターンしか、節回しがなかったのである。乱暴にたとえてしまえば、わが国の都々逸のようなものだった。

そういう原初的なブルースをまだまだ引きずっていたのが、ウィートストローの世代だったといえるだろう。

その後ブルースはどんどん変化をとげていき、今ではほとんど原型をとどめていないわけだが、それでもその節回しの中に、ブルースのエッセンスは生き残っていると思うのだ。

彼の野太い歌声や、時折り入る裏声、達者なピアノ演奏の中に、現在も脈々と続いているブルースの源流を感じてほしい。

音曲日誌「一日一曲」#118 フラワーカンパニーズ「元少年の歌」(Sony Music Associated Records)

2023-07-28 05:00:00 | Weblog
2010年4月18日(日)

#118 フラワーカンパニーズ「元少年の歌」(Sony Music Associated Records)





結成20年を超えたロック・バンド、フラワーカンパニーズの新曲。リードボーカル鈴木圭介の作品。

フラカンもなんだかんだで昨年結成20周年を迎えた。CDリリースに若干波はあるものの、解散することなく、結成以来不動のメンバーで活動を続けているのは、ファンの一人である筆者としても喜ばしい限りだ。

21枚目のシングルにあたるこの「元少年の歌」は、彼らが結成20年にして初めて手がけた映画音楽。荻原浩氏の小説を映画化した「誘拐ラプソディー」(公開中)の主題曲である。

大人だってみんな元少年だったと歌うこの曲は、永遠の「ハタチ族」たるフラカンの原点再確認、みたいな一曲。

いま、若い世代にとって日本のロック・バンドといって想起されるのは、大御所のサザンオールスターズを除けば、40才の桜井和寿率いるMr. Childrenか、42才の草野マサムネ率いるスピッツ、このあたりか。

しかししかし、忘れちゃいけない。彼らとほぼ同世代であるフラワーカンパニーズを、である。

フラカンは目立ったヒットこそないが、ここ10年以上、「最強のライブ・バンド」という評価にはゆるぎないものがある。

もう10年も前(つまりこのHPを始めた年でもある)になってしまったが、2000年5月の日比谷野外音楽堂で、筆者は初めてフラカンの生音を耳にした。

とにかくスゴい、このひと言だった。音のキレ、集約度といい、国内外を問わずこれだけ完成度の高いライブ演奏は、他にまず見つからなかった。何かといえば難癖をつけたがる筆者も、あっさり脱帽した。

同日ファースト・アクトをつとめたデビュー当時のGO! GO! 7188も、「フラカンが観られて感激」みたいなことを言っていたぐらいで、プロのバンドマンでさえ憧れ、一目置く。そんな存在だったのだ。

さて今回の新曲の出来はどうかというと、記念すべき節目のシングルとしてはちょっと拍子抜けするぐらい「フツーの曲」である。

多くのバンドがサウンドに凝り、シンフォニック化の一途をたどる中、ホント、このシンプルさはどういうことだろう。

ストリングス、ホーンなど使わず、下手するとまったくオーバーダビングしていないんじゃないかと思うぐらい、一発録りに近いバンド・サウンドのみ。ごくごくシンプルな、60年代ふうフォークロック・スタイルなのだ。

ボーカルにしても、ごく一部にしかコーラスを入れず、あくまでも圭介の歌をフィーチャー。

彼の歌って、テクニックとか声量とかが特にあるわけじゃないけど、ストレートに歌詞の内容が伝わってくる。そんな素朴な味わいがあるのだ。いわば生成りの歌。

衒い、ギミックを排し、あくまでも自然体で歌う。その姿勢、好きだなぁ。

メンバー全員が同年生まれで同学年なのだが、全員40才を迎えたというフラカン。

かつて「子供」という言葉をアイデンティティにして活動していた某先輩バンドはいつのまにやら解散し、大人への道を歩んでしまったが、フラカンなら初心を忘れず、これからも10年、20年とマイペースで活動し続けてくれるだろう。そう筆者は信じている。

そう考えれば、20年という大きな節目も、つまるところはフラカンにとっては通過点、一里塚のようなものか。

あせらず気張らず、とにかくいい歌をうたい、演奏し続けていって欲しいものであります。

音曲日誌「一日一曲」#116 キャンド・ヒート「Got My Mojo Working」(Let's Work Together/Goldies)

2023-07-26 05:00:00 | Weblog
2010年3月28日(日)

#116 キャンド・ヒート「Got My Mojo Working」(Let's Work Together/Goldies)





60年代より現在に至るまで活動している長寿バンド、キャンド・ヒートのベスト盤(オランダ版)より、マディ・ウォーターズでおなじみのナンバーを。

キャンド・ヒートは65年頃、アル・ウィルスン(g,hca)、ボブ・ハイト(vo)を中心にロサンゼルスにて結成された白人バンド。ブルース・バンドとは名乗っていないが、そのレパートリーの多くは黒人のブルースであり、当時としては先駆的なホワイト・ブルース・バンドであった。ちなみに、グループ名は黒人ブルースマン、トミー・ジョンスンの曲名からとっている。

ジョン・リー・フッカーとの共演アルバム「Hooker 'n' Heat」を出したり、モンタレーやウッドストックなどの大規模なフェスティバルに出演したりして知名度を上げた彼らは、ブルースのカバーだけでなくオリジナル曲も発表し、いくつかはヒット曲も出す。

だが、70年代後半は実質的に休止状態。長いブランクののち、80年代の末に活動を再開する。メンバーを変えながら現在に至っている、というわけだ。

筆者が思うに、彼らの演奏は「どれだけ黒人のサウンドを忠実に再現出来るか」が基本ポリシーなんだと思う。歌い方にせよ、演奏にせよ。あるひとはそれを「黒人ブルース原理主義」などともいう。

白人ロックミュージシャンの多くは、ブルースという原典を換骨奪胎して、自分たちにとって歌いやすい、演奏しやすいスタイル(たとえば、ロカビリー)に変えてしまった。だが、彼らは「それじゃだめなんだ」といわんばかりに、白人的なアプローチを拒否し、あくまでも原典の再現にこだわった。

そのこだわりぶりは、あまたあるホワイト・ブルース・バンドの中でも、頭ひとつ抜けているといっていいだろう。

その頑さゆえに、いわゆるポピュラリティは獲得出来なかったものの、そのこだわりに共鳴してか、いまだにファンが根強く残っているのが、彼らの特徴だといえそうだ。

ところで、きょうの一曲、説明など不要であろうが、ブルース・スタンダード中のスタンダード。ブルース・ファンでは知らぬ者などひとりもいない、超有名曲だ。

あまりにも繰り返し演奏されてきたせいで、「もう聴きあきた」などという評もないわけではないが、どこのブルースセッションでも、必ず一度は演奏される、そんな絶対的なポピュラリティを誇っている。

なにより特徴的なのは、その意味深長な歌詞だ。もともとこの曲はプレストン・フォスターが作り、女性R&B歌手、アン・コールがステージで歌っていたのを、当時彼女と組んでツアーをやっていたマディ・ウォーターズが気に入り、オリジナルの歌詞をつけてちゃっかり自分のレパートリーに取り込んでしまったのである。

以来、この曲は、黒人白人、ブルース、ロックを問わず、とんでもない数のアーティストによってカバーされることになる。日本でも60年代後半からブルース・クリエーション、ゴールデン・カップスをはじめとする多くのバンドが取り上げていたのは、50前後のひとならよくご存知だろう。

当時は「モジョ、それ何? 美味しいの?」みたいな感じで、正体不明のアイテムだったわけだが、要するに意中の女性を振り向かせるための、まじないグッズ。

つまり、歌の内容自体、かなーりインチキくさいのだが、それをとにかくノリと勢いで歌い切ってしまうのが、いかにも元祖モテ男、マディらしかった。

キャンド・ヒートの場合、(写真を見るとわかると思うが)イケメン、モテ系がひとりもいない、いやむしろムサい系以外の何者でもなかったわけだが(笑)、ひたすらモジョの、そしてマディのご利益を信じ切って歌っている感じで、なんだか微笑ましい。

そのくらい、この「Got My Mojo Working」という曲には、とてつもなくマジカルな力があるってことなのです。

マディのむこうを張って、超アップテンポで演奏されるこの曲。聴いていると、ガンガン、エネルギーがチャージされてきまっせ、お客さん。

音曲日誌「一日一曲」#115 ウィッシュボーン・アッシュ「Blind Eye」(Wishbone Ash/MCA)

2023-07-25 05:00:00 | Weblog
2010年3月21日(日)

#115 ウィッシュボーン・アッシュ「Blind Eye」(Wishbone Ash/MCA)





ウィッシュボーン・アッシュのデビュー・シングル。70年リリースのファースト・アルバム所収。メンバー全員の共作。

筆者にとってウィッシュボーン・アッシュは、飛び抜けて一番とはいえないものの非常に好きなグループのひとつで、すでに4回ほど取り上げている。

66年結成。オリジナル・メンバーのアンディ・パウエル(g)を中心に現在も活動中で、歴代在籍メンバーは16名にも及んでいる。

44年もの歴史の中で、印象に強く残っているのは、いわゆる第一期のアッシュ。パウエル、テッド・ターナー(g)、マーティン・ターナー(b)、スティーブ・アプトン(ds)のデビュー時メンバーによる、73年までの4枚のスタジオ・アルバム、そして1枚のライブ・アルバムである。

10分以上の長尺の曲が多く、ヒットチャートよりはアルバム・オリエンテッドな作風が、彼らのパブリック・イメージだが、スタート当初はそうとは限らなかった。一例が、きょうの一曲。

元々はブルース・ロックを基調としていた、いまでいうところのジャム・バンドであった彼らは、この4分未満のブギのような曲を当時、主たるレパートリーとしていたのだ。以前取り上げたライブ・アルバムの中でいえば「When Were You Tomorrow」のような曲だ。

しかし、彼らはプロのバンドとしてやっていくには、大きな弱点があった。強力なボーカリストの不在である。

そこで、他のバンドのようにボーカルを前面に押し出したスタイルでなく、ボーカルもサウンドの一要素と捉えて、トータルな音作りをするという作戦に出た。曲作りも特定のコンセプト、たとえば伝説とか神話とかいったものに基づき、どちらかといえば非日常、ファンタシィの世界を歌うことで、オリジナリティを出そうとしたのである。

そうやって生み出された「フェニックス」「ブローイン・フリー」「戦士」「キング・ウィル・カム」といったマイナー系メロディが印象的なナンバーは、彼らの看板曲となった。

そして、アンディとテッドによるツイン・リード、それもしっかりとアレンジされたソロ・ラインをハーモナイズして弾くという、過去にはあまりないスタイルが、大ウケしたのである。

ギターが本当に上手いのはアンディのほうだったが、テッドやマーティンのイケメン系メンバーがステージに立つと、非常に見栄えがしたのもプラスし、英国や日本での人気は高かった。

ただ、その後企てたアメリカ進出は、思ったようにはいかず、いろいろと紆余曲折があったのは事実だ。決して同じ英国勢のレッド・ツェッぺリンのようには、爆発的なウケが取れなかったのである。つくづく、ショービズの世界での成功はラクじゃないな、そう思う。

それはさておき、この記念すべきデビュー曲は、ギターが売りのアッシュにしては、ピアノを加えているのが面白い。

ブルース、ブギなどの黒人系音楽にはつきもののピアノをフィーチャーしていることで、ツイン・ギター・ソロもあるとはいえかなりオーソドックスというか、古典的なサウンドとなっている。まるで初期のフリートウッド・マックのよう。

同じアルバムに収められている「フェニックス」あたりとは、ホント、だいぶん異質な曲に聴こえる。

バンド本来のブルース路線と、メジャー・デビューにあたって付け加えられたオリジナルな路線とが、まだ混在していたということなんだろうね。

そのあたりの「未完成」な感じが、デビュー作らしさでもある。もうひとつのウィッシュボーン・アッシュらしさを知ることのできる一曲。要チェキです。

音曲日誌「一日一曲」#114 ジミー・ウィザースプーン「Trouble in Mind」(Atlantic Blues/Atlantic)

2023-07-24 05:12:00 | Weblog
2010年3月14日(日)

#114 ジミー・ウィザースプーン「Trouble in Mind」(Atlantic Blues/Atlantic)





1940年代から90年代まで、息長く活躍したシンガー、ジミー・ウィザースプーンが歌う、ブルース・スタンダード。トラディショナルを元に作られた、リチャード・M・ジョーンズの作品。

ジミー・ウィザースプーンは、20年アーカンソー州ガードン生まれ。幼少時よりゴスペルに親しみ、10代なかばでカリフォルニアに移住。プロのシンガーとしての仕事を得て、当時の人気ビッグバンドのリーダーであるジェイ・マクシャンの目に止まり、ウォルター・ブラウンの後任として44年入団。

以来めきめきと名を上げ、49年にはソロシンガーとして独立。「エイント・ノーバディズ・ビジネス」「イン・ジ・イブニング」などを立て続けにヒットさせ、全国区的人気を得るようになった。

その後も活動の場所をジャズ界にまで広げ、77才でLAにて亡くなるまで、ブルース/ジャズ界の大御所として君臨した。まさに堂々たるキャリア。

ジミー・ウィザースプーンは、先輩格にあたるビッグ・ジョー・ターナーなどと同様、典型的なビッグ・ボイス・シャウターといえる。

その圧倒的な声量を生かした迫力ある歌唱は、40~50年代、すなわちラジオの全盛時代に最もフィットしたものであったといえよう。

きょうのナンバーは、元々はトラディショナルだったものを、リチャード・M・ジョーンズがまとめたもので、黒人・白人を問わず実にさまざまなジャンルの、さまざまなアーティストがカバーしている。たとえばルイ・アームストロング、アレクシス・コーナー、キャノンボール・アダレイ、モーズ・アリスン、ビッグ・ビル・ブルーンジー、グレン・キャンベル、シーファス&ウィギンス、クリフトン・シェニエ、エリック・クラプトン、サム・クック、スペンサー・デイヴィス・グループ、ファッツ・ドミノ、ボブ・ディラン、エヴァリー・ブラザーズ、アレサ・フランクリン、ウディ・ハーマン、ロン・ウッド、エラ・フィッツジェラルド、ジャニス・ジョプリン、ニーナ・シモン、ピーター&ゴードン、そして憂歌団‥‥と、上げだしたら、キリがないくらい。

つまりこの曲はアメリカ人にとって、「こころのふるさと」的な歌だということが、よくわかる。

心に悩みをかかえたとき、ふと口をついて出る。そんなブルースなのである。日本でいうなら「上を向いて歩こう」にでも相当する歌、そういう感じだ。

そんな「国民的ブルース」の極めつけ版が、このウィザースプーンによる歌唱なんではないかな。

哀感をたたえたその美声は、ブルースを愛するすべての人々のハートに届くはずだ。

しっとりとしたジャズィな演奏にのって歌われる、心にしみる歌(ブルース)。

こういう曲こそ、末永く歌われ続けていってほしいものであるね。

音曲日誌「一日一曲」#113 fripSide「only my railgun」(RONDO ROBE)

2023-07-23 05:10:00 | Weblog
2010年3月7日(日)

#113 fripSide「only my railgun」(RONDO ROBE)





二人組ユニット、fripSideの再メジャーデビュー・シングル。sat(八木沼悟志)プロデュース。TVアニメ「とある科学の超電磁砲(レールガン)」のオープニング曲。

fripSideは女性シンガーのnaoとプロデューサー/キーボーディストsatにより2002年結成され、おもにゲームやアニメの分野で活動していた、知る人ぞ知るユニットだった。

どちらかといえば業界の裏方的存在だった彼らが、昨年秋、一躍表舞台に飛び出してきた。この「only my railgun」のスマッシュ・ヒット(オリコン総合チャート3位)によって。

昨年3月脱退したnaoに代わりボーカルとして参加したのは、声優の南條愛乃(25)。

彼女の抜擢が成功し、再デビュー曲は、深夜アニメという枠を越えて、全国区的人気を獲得したのだ。

彼らはアニメ/ゲーム系のアーティストとしては珍しく、ロックというよりは、ユーロビート/トランス系の音楽をおもに手がけている。

わが国でその手の音楽の先駆者といえば、いうまでもなく、小室哲哉だ。satももちろん、小室の絶大なる影響下にある。そのサウンドを一聴すれば、誰にでも判るぐらいの、ベタなコムロ・フォロワーだ。

しかしながらその曲作りのレベルは非常に高い。緩急自在の曲の流れ、ブレイクから間奏へとなだれ込む間合い、押さえるべきツボはすべて押さえたソツのないアレンジだ。なにより、打ち込みのサウンドと、南條の無機質なハイトーン・ボイスのマッチングが最高にいい。

こりゃあヒットしないわけがない。アニメファンに限らず、一般リスナーをも巻き込んでブレイクしたのも、むべなるかな、である。

きょうはこの曲を、彼らのPVで聴いていただくが、このPVも実によく出来ている。演出のコンセプトは、「とある科学の超電磁砲」の作品世界に連なる「魔術(マジック)」だが、単にシリアスに演出するだけでなく、息抜きの「笑い」の要素もうまく折り込んでいる。とある有名マジシャンがゲスト出演して、お茶目な芸を披露しているので、こちらにもご注目。

fripSideはこの曲のヒットの勢いに乗って、第2弾シングル「LEVEL5-judgelight-」も立て続けにヒットさせている。

このパワーで今後もトランス、レイヴ系の急先鋒としての活躍が期待できそうだ。要チェキ!ですぞ。

南條愛乃は、過去アニメのキャラクターソングを歌った経験はあるものの、これが実質的なメジャーデビューといっていい。が、とてもそうは思えないくらい、卓越したリズム感を持っており、satが作っためまぐるしく転調する難曲を、さらりと歌いこなしている。J-POP界に現れた、ひさびさの逸材といえるだろう。

その才能を見抜いたプロデューサー、八木沼悟志の炯眼もまたスゴい!ということでもありますな。

帝王コムロはいまだ復活せず。でも、そのDNAを受け継いだトランスの超新星satがいれば、全然いいんジャマイカ。そう思います、ハイ。

音曲日誌「一日一曲」#117 ロイ・ミルトン「Information Blues」(25 Best: Blues Classics/Madacy Special MKTS)

2023-07-22 05:00:00 | Weblog
2010年4月11日(日)

#117 ロイ・ミルトン「Information Blues」(25 Best: Blues Classics/Madacy Special MKTS)





1930~50年代に活躍したシンガー/バンドリーダー、ロイ・ミルトンのスペシャルティ在籍時の録音より。ミルトンのオリジナル。

ミルトンは1907年、オクラホマ州ワインウッド生まれ。30年代より西海岸に移住、ロサンゼルスにて自身のバンド、ザ・ソリッド・センダーズを結成する。

ジャンプを軸にしたその勢いあるサウンドは、40年代半ばにブレイク。スペシャルティの前身レーベル、ジューク・ボックスから出した「R.M.Blues」(46年)が大ヒット。以来、50年代半ばまで約20曲のスマッシュ・ヒットを出し続けた、文字通りのヒット・メーカーだったのである。

「Information Blues」もそのひとつで、いかにもノリのいいジャンプ・ナンバー。

ミルトンの妻でもあるピアニスト、カミル・ハワードの軽快なプレイから始まるこの曲は、重厚な4ビート・サウンドにミルトンの軽めのボーカルが絡み、実に粋な雰囲気を醸し出している。

当時、爆発的な人気を博したというのも、うなずけるよね。

ルイ・ジョーダンあたりと並ぶ、黒人ロックン・ローラーの先駆け的存在ともいえそう。50年代後半にロックンロールの担い手が、より若い黒人や白人に移っていくまでは、ジャズを基盤としたいかにも手堅いサウンドで、ヒット曲を量産し続けたのである。

ミルトン自身はシンガー、リーダーだけでなくドラマーをも兼ねており、つまりはサウンド・クリエイターでもあったということだな。まさに手練のミュージシャン。

見た目は完全にオジサンで、ロック・スター的なビジュアルではなかったけれど、その歌声、ドラム、そしてバック・サウンドは、実にヒップでカッコいい。

スペシャルティが単なるローカル・レーベルのひとつの域を越えて、全米的な影響力を持つレーベルになったのも、このミルトンの活躍に負うところが大きいという。そういう意味でも、ブラック・ミュージック史上、無視できない存在なのだ。

そのビート感覚ひとつとっても、いまだに学ぶべきものが多いと思うよ、ロイ・ミルトンは。必聴であります。

音曲日誌「一日一曲」#112 ジ・エイシズ「Take a Little Walk With Me」(Devil's Music/TV O.S.T./Sanctuary)

2023-07-22 05:00:00 | Weblog
2010年2月28日(日)

#112 ジ・エイシズ「Take a Little Walk With Me」(Devil's Music/TV O.S.T./Sanctuary)





今月最後の一曲はこれ。ジ・エイシズのライブより、ロバート・ロックウッド・ジュニアの作品を。

ブルース界における名門バンドといえば、エイシズをおいて他にない、そう言い切れるくらいの存在だが、彼らのスタートは1951年にまで溯れる。

26年生まれのデイヴ(ベース)、29年生まれのルイス(ギター)のマイヤーズ兄弟が、ジュニア・ウェルズとともに結成した「スリー・デューシズ」がその原型であり、さらにドラムのフレッド・ビロウが参加して「フォー・エイシズ」に改名、オリジナル・メンバーが揃う。翌52年、ジュニア・ウェルズをやめさせ、リトル・ウォルターと合流。彼のバックバンド「ナイト・キャッツ」あるいは「ジュークス」という名で活動する。

「オフ・ザ・ウォール」「ミーン・オールド・ワールド」に代表されるチェス時代のリトル・ウォルターの名曲群は、彼らとのコラボレーションから生み出されたものなのだ。

しかし、ウォルターとルイスとの間に確執が生じ、バンドは空中分解する。ルイスは脱退し、残るふたりのメンバーは彼の代わりにロバート・ロックウッド・ジュニアを加えて、レコーディングなどの活動を続けたのである。

70年代に入って、ようやくルイスが復帰、エイシズは再スタートする。それまではアルバム単位のレコーディングなどなかった彼らだが、71年以降、3枚のスタジオアルバムを残している。

今日の一曲は、英BBCで放送されたブルース・ドキュメンタリー番組「Devil's Music」のサウンドトラックより。

ロバート・ロックウッド・ジュニアと一緒に活動していた縁で彼らのレパートリーに加わったこのナンバーは、聴いていただければおわかりいただけると思うが、要するにロックウッドの義父、ロバート・ジョンスンの「スウィート・ホーム・シカゴ」の改作だ。

典型的なミディアム・テンポのシャッフル・ビート。いわばブルースのテンプレートみたいな曲調だが、エイシズの各メンバーが見事に心地いいビートを叩き出している。

格別のテクニックがあるわけではない。でも、このシャッフルの絶妙なタイム感は、ルイス、デイヴ、フレッドの三人でなくては生み出しえないというのも確かだろう。

適当にしょっぱい歌声、カチンカチンとまとまったギター・ソロも、いかにもいかにもという感じで、グー!である。

ブルースとは味わいで勝負する音楽である、ということがよくわかる一曲。彼らのキャリアは伊達じゃないね。

音曲日誌「一日一曲」#111 阿部真央「ふりぃ」(ふりぃ/ポニーキャニオン)

2023-07-21 05:00:00 | Weblog
2010年2月21日(日)

#111 阿部真央「ふりぃ」(ふりぃ/ポニーキャニオン)





若手女性シンガーソングライター、阿部真央のラジオシングルの4曲目。2008年リリース。彼女自身の作品。

現在、サードメジャーシングル「いつの日も」がヒット中の阿部真央は、1990年1月大分市生まれの20才。

九州出身、ハタチそこそこでメジャーブレイクした、「ギターをかき鳴らし歌う女性シンガー」といえば、ふたりほど連想されるんじゃないかな。そう、椎名林檎とYUIである。

31才の林檎、22才のYUI(ともにまだまだ若い!)をいま、猛追撃しているのがこの阿部真央なのである。

阿部真央。まず名前からしてシンプルでいい。略する必要がない。(もっともファンは「あべま」とさらに略して呼んでいるようだが、まんまでいいじゃん。アベマオで。)

彼女はふたりの先輩同様、作詞・作曲ともに自ら手がけている。うん、アーティストならそうでなくちゃ。曲のみ、あるいは詞のみ、みたいなハンパなヤツがアーティストと名乗ることには不満のある筆者としては、我が意を得たりという感じだ。

彼女の書く曲にはとにかく「ストレート」という形容詞がふさわしい。

特にその歌詞がそうだ。彼女の偽りのない本音がそこには満ちている。「貴方の恋人になりたいのです」しかり、「人見知りの唄」しかり。

きょう聴いていただく「ふりぃ」(高校生当時の作品。ファーストアルバムのタイトルチューンでもある)も、若い女の子の「いまはまだ誰にも束縛されたくない」という感情を、これ以上ないというくらいのど真ん中ストライクで投球してくる。その太い声で「ハッ!」なんて和田アキ子ばりに喝を入れられたら、気の弱い草食系男子など、タジタジだろう。

求愛し、ふられ、泣きわめき、恋を得て、歓喜する。まさに本能に忠実な、ゴーイング・マイウェイ・ガール。

かといって、ただただ強気一辺倒のじゃじゃ馬娘というだけでもない。「いつの日も」のようなバラードでは、年相応の初々しい乙女心も見せてくれる。このギャップがいいかも。

二先輩同様、早熟な才能の持ち主でありながら、プライベートではいろいろ悩みもあるようだ。こういう仕事につくと、のんびり恋などしている余裕などないようだし。

でもそこは、持ち前のバイタリティ、前向きな性格でこれからも乗り切っていくのだろう。実に頼もしいキャラクターだ。

ぷっくりした頬が愛らしい彼女は、気さくでぶったところがないので、異性にも同性にも好感をもたれそうだ。過去付き合っていた男性の話なども、隠したりすることなくしゃべってしまうアベマオ。実にいいコじゃないか。

すぐれたアーティストのパフォーマンスは、初見のときからとんでもない衝撃をもたらしてくれるものだ。筆者はこの「ふりぃ」でアベマオとファースト・コンタクトしたわけだが、それは11年前、椎名林檎の「ここでキスして。」を聴いた時以来のインパクトがあった、と言っておこう。

その太く(いい意味でね)力強い声は、一度聴いたら忘れることが出来ない。

等身大のアベマオが、どの曲にも息づいている。今後の彼女の成長が、ほんとうに楽しみだ。

音曲日誌「一日一曲」#110 ダイナ ・ワシントン「Begging Mama Blues」(Blues for a Day/Delta Distribution)

2023-07-20 06:14:00 | Weblog
2010年2月14日(日)

#110 ダイナ ・ワシントン「Begging Mama Blues」(Blues for a Day/Delta Distribution)





ジャズ・シンガーとして名高いダイナ ・ワシントンが歌うブルース・ナンバー。ウィルバート・バランコ、チャールズ・ミンガスの作品。

ダイナ ・ワシントンは1924年、アラバマ州タスカルーサ生まれ。63年、39才の若さでデトロイトにて亡くなっている。

短命ながら膨大なレコーディングを残し、「恋は異なもの」「ハニーサックル・ローズ」「煙が目にしみる」など、さまざまなヒット曲を持つ。第二次大戦後、アメリカでもっとも人気を博した女性歌手のひとりといえる。

ダイナは、ベシー・スミス、ビリー・ホリデイといった先達に強い影響を受けながらも、彼女たちとは違った、どこかしら陽性で華のあるブルースを歌うことで個性を発揮した。

彼女の魅力はやはり、艶とハリのあるその「声」に集約されるといえるだろう。

ダイナの歌声を聴くと、たとえそれが沈鬱なブルースであったとしても、なにやら「ようし、きょうもがんばろうじゃないの」という気になるから、不思議である。元気を聴くものに与えてくれるのだ。まさにチアリング・ボイス。

ところできょうの一曲は、かの偉大なるジャズ・ベーシスト、チャールズ・ミンガス(とピアニスト、ウィルバート・バランコ)の曲というから、ちょっと面白いでしょ。あのミンガスの歌ものですよ。

でも、ミンガスは自身のバンドでボーカルをとることもあったひとなんで、実はそんなに不思議なことではなかったのだ。あまり知られていないことだけど。

この曲が収録されたアルバムでは、ミンガスのナンバーをもう一曲(Pacific Coast Blues)、あと、メンフィス・スリムの曲(Trouble Trouble)もカバーしている。

ブルースというと、音楽ジャンルのひとつだと多くのひとは理解しているようだが、必ずしもそれだけではない。

曲の形式としてのブルース、というのも忘れてはいけない。ジャズ歌手、カントリー歌手、さらにはオペラ歌手(!)が歌う12小節ブルースってのも、フツーにありってことなのです。

ダイナはジャズの枠を越えて、ポピュラー歌手の域にまで達していった人だが、その音楽の根底にあるものは、ジャンルとしてのブルースであり、そのレパートリーの根幹は、曲の形式としてのブルースだと思う。

ベシーやビリーの後を継いで王座についたブルース・ディーヴァ、ダイナ ・ワシントン。その歌声は、死後約半世紀を経た現在でも、輝きを失うことはない。

20世紀のすぐれた音楽遺産を、しっかり確認していただきたい。

音曲日誌「一日一曲」#109 タル・ファーロウ「Will You Still Be Mine?」(A Recital By Tal Farlow/Verve)

2023-07-19 05:00:00 | Weblog
2010年2月7日(日)

#109 タル・ファーロウ「Will You Still Be Mine?」(A Recital By Tal Farlow/Verve)





たまには趣向を変えて、スタンダード・ナンバーでも聴いてみよう。1940~60年代に活躍した白人ジャズ・ギタリスト、タル・ファーロウの55年のアルバムより。マット・デニス=トム・アデールの作品。

タル・ファーロウは21年、ノースキャロライナ州グリーンズボロ生まれ。98年にニューヨーク市にて77才で亡くなっている。

ギターを始めたのは20代に入ってからだが、天賦の才能があったようでめきめきと腕を上げ、マージョリー・ハイアム、レッド・ノーヴォ、アーティ・ショーといったプロ・ミュージシャンのバックで頭角を表し、そして32才のとき、自身のコンボを組むに至る。

ファースト・リーダー・アルバムをブルーノートよりリリース(当時は10インチ盤)。以来、その軽快ながらも切れ味鋭いギター・プレイは、イーストコースト系ジャズの中でも際立った存在となる。

「A Recital by Tal Farlow」はロサンゼルスにて録音。ヴァーヴに移籍して2枚目、通算では4枚目にあたるアルバムだ。ここでは、ピアノレスの三管という、ちょっと面白いセクステット編成をとっている。

冒頭、ファーロウのイントロに続き、ボブ・エネボールゼンのトロンボーンを中心とした三管がおなじみのテーマを奏でる。1コーラス目の後半からファーロウも主旋律に加わる。

それに続き、テナー・サックスのビル・パーキンス、そしてトロンボーンにソロを取らせた後、ようやくファーロウがソロに入る。実に淡々としたというか、軽妙な感じのフレージング。

ゴリゴリ弾くことなく、あくまでもライトでさらっとした演奏。いかにも、イーストコースト・ジャズであるな。

最後にバリトン・サックスのボブ・ゴードンのソロからテーマに戻って、終了。時間はほぼ4分。

実にあっさりとした構成だが、たったこれだけの短い時間でも、各プレイヤーのスゴ腕は如実にわかる。

ベースのモンティ・バドウィッグ、ドラムスのローレンス・マラブル。彼らの刻む確かなビートに、絶妙なカッティングで絡み、ピアノのない状態を十二分にカバーするファーロウ。この見事なリズム・セクションに加え、3人のホーン・プレイヤーの抑制のきいた巧みなブロウ。

これぞ、アンサンブルの醍醐味!とでもいうべき演奏ぶりであります。

曲についても少しふれておくと、これは「エンジェル・アイズ」「コートにすみれを」といったメロディアスなナンバーで人気の高いシンガー兼ピアニスト兼コンポーザー、マット・デニスの作品。共作者の書いた小粋な内容の歌詞に負けない、センスあふれるメロディ・ラインで、聴き手を魅了するアーティストだ。もちろんこの曲も、彼の傑作のひとつと言えるだろう。

タル・ファーロウのプレイって、他のプレイヤーを食ってやろう、みたいなケンカっぽい雰囲気は全くないのに、なぜか最後は一番印象に残る。そんな感じだ。

あくまでもアンサンブルを重んじた上で、自分のソロの番がまわってきたら、さりげなく自己主張する。そんな奥ゆかしさがあるのだ。

彼のやってきたようなスタイルのジャズは、60年代後半から70年代にはほぼすたれてしまい、彼の出番も非常に少なくなってしまった。

が、やはり、いいものはいい。何度もそのアルバムは再発され、CD化され、いまになっても、少数ながら聴き続けているリスナーはいる。筆者のように。

マット・デニスの粋な歌曲同様、いい音楽というものは何かを知る人々がいる限り、タル・ファーロウの演奏はずっと聴かれていくにちがいない。

音曲日誌「一日一曲」#108 amingdon boys school「From Dusk Till Dawn」(ABINGDON ROAD/Epic)

2023-07-18 05:00:00 | Weblog
2010年1月31日(日)

#108 amingdon boys school「From Dusk Till Dawn」(ABINGDON ROAD/Epic)





西川貴教が現在所属しているバンド、amingdon boys schoolの8番目のシングル。西川貴教・柴崎浩の作品。

西川は70年生まれの39才。T.M.Revolutionとしてメジャーデビューしたのが96年。以来、足掛け14年のキャリアを持つシンガーだ。

楽器演奏、作曲はせず、ボーカル専任なのだが、このひとのうたは本当にハンパなくうまいと筆者は思う。

そのシャープにしてワイルドな歌声は、現在の日本のミュージックシーンにおいても、屈指の存在ではなかろうか。

たとえていうなら、ヒトではない、神もしくは悪魔の域に達した声。そういう、超越的なものさえ感じる喉なのである。

とはいえ、デビュー以来快進撃を続けていた西川にも、いささか失速していた時期があった。結婚、そして離婚というプライベート面の問題が大きかったのか、2000年前後は、本業の活動がしぼみがちであった。絶大であった人気も、正直下降線をたどっていた。

だが2005年、心機一転、amingdon boys schoolという名の新グループを立ち上げ、西川は復活した。以前よりもロック色を強め、バンド・スタイルでの再出発を果たしたのだ。

「ゼロからのスタート」。まさにそういうスタンスであった。

翌年12月にはメジャー再デビュー。人気TVアニメ「D.Gray-man」のオープニング曲で華々しく登場した。

エッジの立ったギター・サウンドにのって激しくシャウトしまくる西川のパフォーマンスに、デビュー以来のファンたちはホッと胸をなでおろしたものだ。

以来3年余、おもにアニメやゲームのタイアップ曲を中心に地道に活動しているが、もちろんヲタク御用達のみではない。TM時代以上に幅広い支持を集めており、さらには海外進出も果たしている。

インターネットでの世界同時発信/流通により、Takanoriの名前もワールドワイドになった。

昨年11月には初のワンマン・ヨーロッパツアーで6か国にて9公演を敢行。12日間のハードスケジュールを無事乗り切ったという。

きょうの音源の最後の部分で、4回ものライブを行ったドイツでのステージの模様を聴くことが出来る。西川が満場のドイツ人観客を前に「ダンケシェーン!!」と叫ぶさまに、思わず胸が熱くなる。

筆者の持論として、「歌手はいやしくもプロと名乗る以上、ただ上手いだけじゃダメだ。リスナーを感動させ、泣かせるくらいのものがないと」と思っている。

とはいえ、聴く者を思わず知れず落涙させてしまうぐらいの「チカラ」を持ったシンガーなど、いわゆるプロにだってそういるもんじゃない。

が、西川貴教は、まぎれもなく、その数少ないプロ中のプロといえる。少なくとも筆者は、そう思っている。

ワイルドなロックと正統派ポップスが完璧に融合した、西川畢生のバラード「From Dusk Till Dawn」。隠れもなき名曲であります。

音曲日誌「一日一曲」#107 ブッカ・ホワイト「The New Frisco Train」(Hellhounds on Their Trail/Indigo)

2023-07-17 05:41:00 | Weblog
2010年1月24日(日)

#107 ブッカ・ホワイト「The New Frisco Train」(Hellhounds on Their Trail: A History of Blues Guitar 1924-2001/Indigo)





カントリー・ブルースの雄、ブッカ・ホワイトのナンバーより。ホワイト自身のオリジナル。

ブッカ・ホワイトことブッカー・T・ワシントン・ホワイトは、1906年(他に諸説あり)ミシシッピ州ヒューストン生まれ。

30年に初レコーディング、77年にメンフィスにて亡くなるまで、カントリー・ブルースの大御所として多くのアーティストに影響を与え続けた。たとえば、ボブ・ディランやレッド・ツェッぺリンのような白人ロック・ミュージシャンたちにも。

その特徴ある、四角くいかつい顔同様、彼の野太いダミ声は多くのひとびとの印象に残ったのである。

有名な逸話だが、彼の19才年下のいとこがB・B・キングで、すでにメンフィスでブルースマンとして名を成していたホワイトを頼って彼のもとに身を寄せたのだが、ホワイトの弾く流麗なスライド・ギターに圧倒され、「自分はスライドが弾けないが、かわりにそういう効果を出せないものか」と苦心し、あのヴィブラート、チョーキングを駆使した「スクウィーズ奏法」を生み出したという。

そういう意味では、その後のポピュラー・ミュージックにおいて主役となる楽器、ギターの演奏法にさえ少なからぬ影響を与えたひとなのだ。

さてきょうの一曲は、ホワイトが得意としたアコースティック・スライド・ギターをフィーチャーした、アップテンポのナンバー。

とにかくそのスピード感は圧倒的だ。力強く繰り出すシンプルなツービートにのせて、リズミカルなスライド、そしてエグい歌声が炸裂する。

いまを去ること40年前、そう、筆者がZEPのサード・アルバムのB面(特に4、5曲目)を聴いたとき、「世の中にはこんなユニークなスタイルの音楽があるんだ」と、目からウロコが落ちたものだが、いま思えば、それがホワイトたちの演っていたカントリー・ブルースとの最初の出会いだったんだよなぁ。

それまで学校の音楽科の時間で習っていたような、いわゆる整然とした美しい音楽ではない。ノイズ、軋みの多い、雑然とした音楽。でも、これが実に魅力的に聴こえたのだ。

もちろんそれは、時代を経るにしたがってどんどんリファインされていき、シティ・ブルース、モダン・ブルースへと進化していくのだが、そうなる前のダイヤの原石のごとき音楽、それが戦前のカントリー・ブルースだった。

ブッカ・ホワイトの、凄みある歌声、そしてとても一人で弾いてるとは思えない達者なスライド・ギター。まさにカントリー・ブルースの粋(すい)なり。

その見事なダイナミズムに、身をゆだねるべし。