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音曲日誌「一日一曲」#465 トニー・ジョー・ホワイト「Rainy Night In Georgia」(Monument)

2024-07-14 08:19:00 | Weblog
2024年7月14日(日)

#465 トニー・ジョー・ホワイト「Rainy Night In Georgia」(Monument)




トニー・ジョー・ホワイト、1969年リリースのアルバム「…Continued」からの一曲。ホワイト自身の作品。ビリー・スワンによるプロデュース。

米国のシンガーソングライター、トニー・ジョー・ホワイトは1943年7月ルイジアナ州オークグローヴ生まれ。農家に育ち、幼少期よりカントリー、ゴスペルに親しみ、ギターを弾き始める。

高校のダンスパーティで演奏し、卒業後はテキサス、ルイジアナのナイトクラブに出演するようになる。当時のレパートリーは、エルヴィス・プレスリーやジョン・リー・フッカーなどの曲であった。

20代半ばの1967年、テネシー州ナッシュビルのモニュメントレーベルと契約、カントリー系シンガーソングライターのビリー・スワン(1942年ミズーリ生まれ)がプロデューサーとなって、レコーディングが行われる。

68年に初シングル「Georgia Pines」をリリースしてデビュー。その後、ファースト・アルバム「Black and White」を同年にリリース。

その中に収録されている「Polk Salad Annie」を同年6月にシングルリリースしたが、しばらくはヒットせず、レーベルからは失敗作とみられていた。

しかし、なんとリリースしてから9か月後に火が付く。ナッシュビルのクラブでの地道な演奏活動が実を結んだのだろう、「Polk Salad Annie」はチャートをジリジリと上昇し、全米8位となった。

これによりホワイトは、ついに全国的な知名度を得たのだった。

その大ヒットより少し前、セカンド・アルバムが69年初頭にリリースされた。「…Continued」である。プロデュース担当は前作同様、ビリー・スワン。

このアルバムからは「Roosebelt and Ira Lee」がシングルカットされたが、全米44位と地味なヒットに終わった。アルバムも全米183位止まり。

しかし、収録曲のひとつが、のちに注目されるようになる。それが本日取り上げた「Rainy Night In Georgia」である。

ホワイト本人のコメントによると、この曲は「Polk Salad Annie」同様、ホワイトが高校卒業後、ジョージア州マリエッタに移住した頃の生活がベースとなって生まれたナンバーだという。

この哀愁味溢れるバラード・ナンバーに着目したのは、ソウルシンガーのブルック・ベントン(1931年サウスカロライナ生まれ)であった。

ベントンはもともとナット・キング・コールやクライド・マクファターなどのソングライターとして活躍した後、自らの歌でも50年代末にブレイク、「It’s Just a Matter of Time」「Hotel Happiness」をはじめとするヒット曲を連発していたが、60年代後半からはヒットも途絶えていた。

そんな「過去の人」になりかけていたベントンが、移籍したコティリオンレーベル(アトランティック傘下)より69年12月にリリースした「Rainy Night In Georgia」のカバーバージョン・シングルが、久しぶりの大ヒットとなった。

R&Bチャートで1位、全米4位、アダルトコンテンポラリーチャートで2位という、輝かしい成績を収めたのである。

ホワイト自身はシングルリリースしようとしなかった地味な曲が、これにより大きくクローズアップされることとなり、「Polk Salad Annie」のヒットと共にホワイトの評価を大いに高めることになったのだ。

翌70年には、エルヴィス・プレスリーが「Polk Salad Annie」がライブのレパートリーに取り上げて、ライブ・アルバム「On Stage」(70年6月リリース)に収録した。これもまた、ホワイトの名を大きく高めることに寄与する。このプレスリー・バージョンは、英国とアイルランドではシングル化され、ヒットしている。

その後のホワイトは、3枚のシングルでマイナー・ヒットを出していくが、ヒットの勢いはそこで止まる。アルバムもコンスタントに出し続けるが、ファースト、セカンド(それぞれ全米51位、183位)を超えるようなヒット作は、結局出せなかった。

ホワイトがクローズアップされたのは、つまるところ69年からの数年ということになるが、彼はその状況にも心屈することなく、我が道を歩み続けた。

そしてもう一度、花を咲かせる。89年、ホワイトはダン・ハートマン、ロジャー・デイヴィスらと共に、人気女性シンガー、ティナ・ターナーのアルバム「Foriegn Affair」のプロデュースに携わり、4曲を提供する。

そのうち「Steamy Windows」と「Foriegn Affair」がシングルリリースされて、ヒット。前者は全米39位、後者はドイツで35位となった。アルバムも、本国でこそ成功しなかったが、ヨーロッパでは好評で、特に全英で初の1位を獲得している。

これが起爆剤となってホワイト本人も、91年に久しぶりにレコーディングしたアルバム「Closer to the Truth」をリリース、その中でターナーに提供した2曲「Steamy Windows」「Undercover Agent for the Blues」をセルフ・カバーしたのであった。

同アルバムは、ヨーロッパとオーストラリアを中心に売れて、25万枚以上のセールスとなった。

ホワイトは2018年10月、75歳でナッシュビルで亡くなっている。日本には1979年と2007年に2度公演で訪れている。

彼の生み出した音楽は、スワンプ・ロックとも呼ばれて、一つのカテゴリーともなっている。黒人音楽、白人音楽が完全に融合したサウンドは、唯一無二のものだ。

その歌声やギタープレイは、派手で目立つようなものでもないし、技巧をひけらかすようなものでもないが、心にじんわりと染み込んで来るような、深い味わいがある。

オルガンやストリングスの響き、そしてホワイトの聴くものの耳と心を包み込むような歌声が、絶品な一曲「Rainy Night In Georgia」。

音楽を広く、そして深く知る者でなくしては到底達しえない境地が、そこにはある。ぜひ、オリジナル・バージョンで、本曲の真髄を知ってもらいたいものだ。





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