NEST OF BLUESMANIA

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音盤日誌「一日一枚」#440 久保田利伸「Such A Funky Thang!(サッチ ア ファンキー サング!)」(CBS/SONY 32DH 5131)

2023-01-31 05:00:00 | Weblog
2023年1月31日(火)



#440 久保田利伸「Such A Funky Thang!(サッチ ア ファンキー サング!)」(CBS/SONY 32DH 5131)

日本のシンガーソングライター、久保田利伸のサード・アルバム。88年リリース。久保田自身とロッド・アントゥーンによるプロデュース。

久保田は62年静岡生まれ。学生時代にヤマハのコンテストでベストボーカリスト賞を取ったことからチャンスを掴み、86年レコードデビュー。翌年、4thシングル「CRY ON YOUR SMILE」がヒットして一般リスナーにも知られるようになる。

88年初頭にTVドラマの主題歌ともなった「You were mine」が大ヒット、その勢いで7月に本盤をリリースしている。

あえてその曲を入れていないあたり、久保田が自分の音楽、そして人気に自信を持つようになって来たしるしではないだろうか。

果たして本盤は、見事オリコン週間1位、年間4位という大ヒットを記録したのである。

シングルに頼らずのこのセールスは、立派というしかない。

全曲、作曲は久保田自身による。作詞は川村真澄、久保田、もしくは久保田と川村の共作だ。

アレンジはキーボード・ドラムス奏者でもあるプロデューサー、アントゥーンが主に手がけている。

オープニングの「Dance If You Want It」はリカット・リミックス・ミニアルバムともなっている、本盤の代表曲。アントゥーンとの共同作曲。

タイトル通り、ダンスに最適のミディアム・ビート・ナンバー。

久保田といえば、この手のダンサブルな曲がすぐに脳裏に浮かんでくる。

「High Roller」はコール&レスポンスを含む、アップ・テンポのナンバー。

パワフル、エネルギッシュといった久保田のパブリック・イメージまんまの曲だ。「You were mine」も、この流れにある。

「Love Reborn」は久保田のもうひとつの得意分野、バラード・ナンバー。

ファースト・アルバムの「Missing」以来、この路線のファンは実に多い。

愛をもう一度取り返したい恋人たちに捧ぐ、心に響く歌声だ。

「Yo Bro!」はレゲエ・ビートが印象的な一曲。

音楽こそは絆という、すべてのソウル・ブラザーたちに向けたナンバー。

「Merry Merry Miracle」はラテン・ファンクともいうべき陽気な一曲。

ご機嫌なビートに、思わず身体も動き出す。

「Such A Funky Thang! ~隕石が落ちた日~」は当時のブラック・ミュージックの流行を取り入れたサウンド。
短いがラップも聴くことが出来る。

同時期にブレイクしたボビー・ブラウンあたりにも通じるノリのナンバー。

「gone gone gone」は静かなバラード・ナンバー。

こういう繊細な失恋ソングにも、久保田の滑らかなボーカルはぴったりである。

「すべての山に登れ」はシンセ・ビートがアクセントとなったファンク・ナンバー。

歌詞はたぶん、ロジャーズ=ハマースタイン作のミュージカル・ナンバーから来ているのだろうが、こちらはひたすらファンキーである。

「Boxer」はアップ・テンポのファンク・サウンド。久保田の独壇場だな、こういう曲は。

ブラック・ミュージックに影響を受けて、自己の音楽作品に反映させているジャパニーズ・ミュージシャンは、山下達郎をはじめとして枚挙にいとまがないが、ここまで一筋に「ブラック命」な日本人は他にいない。

たぶん、前世は黒人だったのであろう。

「Indigo Waltz」はワルツ・ビートのバラード。

バラードにもいくつかのタイプがあり、甘い予感を歌うもの、ハッピーなラブソングもあれば、悲しい別れの歌もある。

この曲は別れのバラードに入るのだろうが、悲しみの中にもふたりの愛は本物だったと信じる男心が、聴く者を切なくさせる。

久保田単独の作詞曲、ということは彼自身の経験が強く反映されているのだろうか。

「Drunkard Terry」は「なんとかなるさ」のフレーズが耳に残る、ちょっと脳天気で、クレージーなナンバー。

久保田らしい、はっちゃけぶりがナイスだ。

「覚えていた夢」は哀感に満ちたナンバー。

ダンサブルなミディアム・ビートだが、悲しい結末を予感させる恋を歌っている。

幸せとは感じられない、宙吊り状態の恋。誰にでもあるであろう、その感覚を描き出した川村真澄の歌詞が刺さってくる。

ラストの「Such A Funky Thang! ~Reprise~」は、同曲の短いインストゥルメンタル。

以上13曲と盛りだくさんだが、不思議と一気に聴けてしまう。

これはやはり、久保田の卓越したメロディ・センスと、ハンパない歌唱力によるものなのだろう。

その後35年間、久保田利伸は若干の休止期はあったものの、現在に至るまでアーティスト活動を続けている。

日本ではトップに立ったものの、彼の究極の目標は、本場アメリカで黒人アーティストと同じように認められ、ヒットを出すことであった。

その目標は、95年に「TOSHI KUBOTA」として全米でCDデビューし、その後2004年にTV番組「ソウル・トレイン」に日本人としてはYMOに次いで2組目の出演を果たしたことで、それなりに達成したともいえる。

が、たぶん、久保山自身はそれで満足はしていないような気がする。

本物のファンキーを生涯をかけて追求している彼としては、自分の音楽が「アジア人の音楽」として黒人ミュージシャンのそれと区別されることなく、ごく自然に受け入れられるまでは、その挑戦は続くのだろう。

国内での高い評価に甘んじることなく、常にリアルなファンキー・ミュージックを目指す姿勢、見習いたいと思う。

<独断評価>★★★☆

音盤日誌「一日一枚」#439 THE JAZZTET「MEET THE JAZZTET」(Fresh Sound FSR1652)

2023-01-30 05:04:00 | Weblog
2023年1月30日(月)



#439 THE JAZZTET「MEET THE JAZZTET」(Fresh Sound FSR1652)

ジャズ・トランペッター、アート・ファーマーと、サックス・プレイヤー、ベニー・ゴルスンの双頭バンド、それがザ・ジャズテットだ。

ジャズテットは59年結成。本盤がデビュー・アルバムとなる。60年リリース。ケイ・ノートンによるプロデュース。

かつて本欄でアート・ファーマーのアルバム「モダン・アート」を紹介したことがあるが、ジャズテットの結成は58年リリースのそのアルバムがきっかけとなっている。

そちらは二管でピアノはビル・エヴァンス、ドラムスはデイヴ・ベイリーだったが、ジャズテットのメンバーはファーマー、ゴルスンの他に、トロンボーンのカーティス・フラー、ピアノのマッコイ・タイナー、ベースのアディスン・ファーマー(アートの双子の弟)、ドラムスのレックス・ハンフリーズの6人編成。三管体制である。

オープニングは「Serenata」。リロイ・アンダースン、ミッチェル・パリッシュの作品。

アンダースンは「シンコペーテッド クロック」「スレイライド」などの作曲、パリッシュは「スターダスト」「アラバマに星落ちて」などの作詞で有名である。

華やかなムードのテーマ演奏から一転、アップ・テンポで激しくスウィングするナンバー。

ソロはゴルスン、そしてファーマー。再びテーマに戻って、終了。3分半と短かめながら、濃い内容の一曲だ。

「It Ain’t Necessarily So」はガーシュウィン兄弟の作品。オペラ「ポーギーとベス」中の一曲で、多くのミュージシャン、シンガーによりカバーされている。

ファーマー、次いでゴルスンによりブルーズィなテーマが始まり、フラー、ファーマー、タイナーとソロが引き継がれていく。

ファーマーによるテーマに戻り、フェイドアウトで曲は終わる。

ここでは各プレイヤーのソロだけでなく、ホーン・アンサンブルにも注目したい。レギュラー・バンドならではの一糸乱れぬハーモニーもまた、ジャズテットの魅力だ。

続く「Avalon」は稀代のシンガー、アル・ジョルスンによりヒットした20年の曲。

タイナーの速いソロで始まり、フラー、ファーマー、ゴルスンへとソロが続く。典型的なビバップ・スタイルだ。テーマを合奏して終了。

デビューして日の浅いタイナーが、すでに後年を思わせる、緊迫感あふれるソロを披露しているので、そこも聴きどころだ。

同年、彼はジョン・コルトレーンのバンドにも参加することになる。

スタンダードが3曲続いたところで、オリジナル・ナンバーへ。「I Remember Clifford」である。

これはベニー・ゴルスンの作品。ジャズテットの他のオリジナルも、多くは彼の作曲である。ホーン・アレンジも彼が手がけている。

56年に亡くなった天才トランペッター、クリフォード・ブラウンを偲んで作られたバラード。哀感に満ちた美しいメロディで、その後ジャズ・スタンダードとなっている。

ファーマーがブラウニーばりの情感あふれるソロを聴かせて、聴くもの全てを魅了してくれる。

この一曲を聴くだけのために、このアルバムを入手しても惜しくはないだろう。

「Blues March」は「モダン・アート」の所収曲の再演。マーチの勇ましいリズムでブルースを演奏するという、珍しい曲想のナンバー。

テーマ演奏、ファーマー、ハンフリーズ、そしてフラーのソロが続き、テーマに戻って終わる。

この曲でも、整然としたホーン・アンサンブルが光っている。

「It’s All Right with Me」はコール・ポーターの作品。ビング・クロスビー、フランク・シナトラ、クリス・コナー、ペギー・リー、エラ・フィッツジェラルドら多くのジャズ・シンガーの歌によって知られているが、演奏でのカバーも多い。ソニー・ロリンズ、エロール・ガーナー、ハリー・ジェイムズなどが有名どころだ。

このスタンダードを彼らはごく速いテンポでプレイしていく。フラーの吹くテーマ、そしてアドリブ・ソロで構成されており、トロンボーンを前面に押し出した一曲となっている。

フラーの柔らかなトーン、縦横なフレージングもまた、ジャズテットのウリのひとつだな。

「Park Avenue Petite」はピアノ演奏から始まるスロー・バラード。

ホーン・アンサンブル主体の演奏で、しっとりとした時間を生み出してくれる。ゴルスンのアレンジがなんともいいんだな、これが。

アドリブに頼り過ぎることなく、きちんと練ったサウンドを構築して行くのが、ジャズテットのポリシーなのだろう。

「Mox Nix」は、再び「モダン・アート」内のナンバーの再演だ。本盤では唯一の、ファーマーの作品。

勢い激しいピアノのイントロから始まり、テーマ演奏、ファーマー、ゴルスン、フラー、タイナーとソロが続き、最後に息も詰まるようなテーマ演奏で終了。

本盤中、最高にスリリングな一曲。

「Easy Living」はラルフ・レインジャー、レオ・ロビンの作品。ゆったりとしたバラード。

レインジャーは30〜40年代のミュージカル作曲家、ロビンは「サンクス・フォー・ザ・メモリー」「紳士は金髪がお好き」などの作詞で知られる。

ここでは、全編にわたり吹きまくるゴルスンが主役だ。

大先輩コールマン・ホーキンスをほうふつとさせるプレイが、なんとも粋である。

ラストの「Killer Joe」は冒頭と末尾に紹介のアナウンスが付くという、珍しい一曲。スローなスウィング・ナンバー。

後に作曲者ゴルスンが何度も再演したほか、レイ・ブラウン、クインシー・ジョーンズをはじめとするジャズメンによってカバーされ、ジャズ・スタンダードとなった佳曲である。

テーマはファーマーがミュート・トランペットで演奏、ゴルスンがソロを引き継ぐ。そしてフラー、タイナーへと続き、テーマで終わる。

そのドライヴ感は、圧倒的のひと言である。

ジャズテットのこのアルバムは、前の時代のジャズをきちんと継承しながらも、60年代の新しいジャズをも模索した、スモール・バンド・ジャズの佳作と言える。

急ごしらえのジャム・セッション的なバンドではなく、レギュラー・メンバーで、時間をかけてじっくりと設計した音楽を生み出す。こういう姿勢が、この一枚に伺える。

アート・ファーマー、ベニー・ゴルスンの、演奏・作曲両面にわたる稀有な才能を味わってみよう。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#438 JOHN LENNON「Walls and Bridges(心の壁、愛の橋)」( Universal Music 535-7100)

2023-01-29 05:06:00 | Weblog
2023年1月29日(日)



#438 JOHN LENNON「Walls and Bridges(心の壁、愛の橋)」(ユニバーサル ミュージック Universal Music 535-7100)

ジョン・レノンのスタジオ・アルバム。74年リリース。彼自身によるプロデュース。

前年に「マインド・ゲームス」をリリースしたレノンは、次回作としてオールディーズをカバーしたアルバムに着手していたのだが、この制作がうまくいかず、妻ヨーコと別居して住んでいたロサンゼルスから、ニューヨークへ5月に戻っていた。

7月よりリハーサルを始めて、8月中に完成させたのが、この「Walls and Bridges」だ。

カバー・アルバムの制作はその後年末まで行い、リリースは翌年となった。いうまでもない、本欄でも取り上げた「Rock ‘n’ Roll」である。

「Walls and Bridges」は、先行シングル「真夜中を突っ走れ」が全米1位の大ヒットとなった勢いもあって、アルバムもたちまち全米1位を獲得した。これは71年のアルバム「イマジン」以来の快挙であった。

レノンの第一線復活のきっかけとなった一枚を、久しぶりに聴いてみよう。一曲を除いて作詞・作曲はレノン自身による。

「愛を生き抜こう(Going Down On Love)」は、ミディアム・テンポのロック・ナンバー。

タイトルの本当の意味は「愛を放棄しろ」ということなので、アレレって感じだが、ここはこう考えてはどうだろうか。

妻ヨーコと別居していた背景に、レノンの秘書のメイ・パンとの不倫関係がある。約1年半にわたり続いていた彼女との関係を断ち切ろうというのが「放棄」の意味することではないだろうか。

つまり、過去のあやまちとの、決別表明なのである。

「真夜中を突っ走れ(Whatever Gets You Thru the Night)」はアップ・テンポのロックンロール・ナンバー。

ピアノとボーカルにエルトン・ジョンが参加したことで話題となり、大ヒットにも繋がった。さすが当時人気絶頂のエルトン大明神である。

印象的なサックス・ブローは、ストーンズのバックでおなじみのボビー・キーズ。

ヒットするのも当然の、アドレナリン全開の一曲だ。

「枯れた道(Old Dirt Road)」はロサンゼルス時代の荒んだ生活を回想するナンバー。ハリー・ニルスンとの共作。

ヨーコと離れて暮らしていた時期は、酒浸り、そしてトラブル続きで本当にヤバい状態だったらしい。

回想出来る、客体化出来るということは、その状態からしっかり抜け出せたということだろう。このアルバムのレコーディングも、かつてと違ってノー・アルコール、ノー・ドラッグで臨んだという。

落ち着いたムードで、心がホッコリとする曲だ。

「ホワット・ユー・ガット(What You Got)」は2枚目のシングル「夢の夢」のB面となった曲。

ニューオリンズR&Bの流れを汲む、激しいファンク・ロック・ナンバー。次作の「Rock ‘n’ Roll」にもそのまま繋がっていくサウンドだ。

全てを失ってから、自分が裸の王様に過ぎなかったことを悟り、過去のわだかまりを捨てて一からやり直したいという意志が、歌詞の中に読み取れる。

レノンはいつも真摯に自分と向き合って来たが、これもまたその表れである。

「果てしなき愛(Bless You)」はスローなバラード。ラヴ」や「オー・マイ・ラヴ」などの流れにある、愛とはどういうものかを語るナンバー。

愛とはすなわち、全ての人類同胞に対してその幸せを願うことなのだ。

メロウなエレクトリック・ピアノの響きが、とても美しい。

A面ラストの「心のしとねは何処(Scared)」は、レノンの心の闇が垣間見られるナンバー。狼の咆哮から始まる。

神経症的なメロディ・ラインといい、Scared(こわい)を繰り返す歌詞といい、ロサンゼルス時代の不安定な精神状態がそのまま反映された作風は、聴いていてこちらまで心を病みそうになるほどだ。

しかし、この曲作りを経ることでレノンは過去をきちんと清算し、再びヨーコとの生活に戻っていく。

だから、これもまた大切な一曲なのである。

「夢の夢(#9 Dream)」はセカンド・シングルとなった一曲。夢のまた夢という言葉があるように、幻想的な雰囲気のナンバーだ。

途中、レノンを呼ぶ女性のささやき声が聴こえるが、これは当時のレノンの愛人パンが、「私の声だ」と証言していた。が、ヨーコは「いや違う、私の声だ」と主張している。

レノン亡き後は神のみぞ知るというところだが、レノンがヨーコの元に戻っていった以上、ヨーコの声だと考えた方が自然な気がする。

パンだったとしたら、それはそれでスキャンダラスで興味深いけどね。

「予期せぬ驚き(Surprise, Surprise (Sweet Bird Of Paradox))」は、そのパンとの甘美な情事について歌ったものらしい、アップ・テンポのロック・ナンバー。

彼女との不倫関係も、レノンが望んでそうなったというより、パン側が仕掛けたものかもしれない。

終盤、ビートルズ時代の「ドライヴ・マイ・カー」の一節が聴こえてくる。

明るい曲調だが、それゆえに背徳的なものも強く感じてしまうのは筆者だけだろうか。

「鋼のように、ガラスの如く(Steel And Glass)」は、レノンの過去が色濃く反映されたナンバー。

アコースティック・ギター、ストリングスのサウンドに乗せて語られる、ビートルズやプラスティック・オノ・バンドの仲間たちとの話。

懐かしいというよりは、ほろ苦い思い出なのだろう。

「ビーフ・ジャーキー(Beef Jerky)」は、歌詞がビーフ・ジャーキーのみの実質インスト・ナンバー。シングル「真夜中を突っ走れ」のB面でもある。

歌うだけでなく、ギターも聴かせたいという思いの強い「ギタリスト」レノンがそこに現れている。

「愛の不毛(Nobody Loves you (When You’re Down And Out))」は、実質的なラスト・ソング。ストリングスを加えたバラード。

タイトルはブルース・ナンバーを連想させるが、レノンとしてはフランク・シナトラを意識したらしい。

幼少時より孤独と常に向き合って来た男、レノンならではの歌。後半のうら悲しい口笛が、心に沁みてくる。

「ヤ・ヤ(Ya Ya)」はニューオリンズのシンガー、リー・ドーシーのヒット曲。本盤唯一のカバー・ナンバー。

レノンは当時11歳の長男ジュリアンと共に、もっぱら遊びとしてこの曲をレコーディングしている。父はピアノ、息子はドラムス。

いかにも拙い演奏だが、レノンの子煩悩な一面が見られて、微笑ましい。

同曲は次のアルバムで正式にレコーディングし直すことになるのは、皆さまご存知の通りだ。

夫婦の危機のさなかに作られた一枚だが、意志の力でなんとかそれを乗り切れたからこそ、本盤の音楽はスケールもひとまわり大きくなったのだと思う。

人間ジョン・レノンの喜び、悲しみ、悩み、苦しみ。

弱さも強さも全部さらけ出して語っているからこそ、多くのリスナーの共感を獲得出来たのだろう。

制作の背景をより詳しく知ることで、かつて何の気なしに聴いていたレコードにも、深い味わいが生まれてくる。音楽とはそういうものなのだ。

<独断評価>★★★★★

音盤日誌「一日一枚」#437 HORACE SILVER「ザ・トーキョー・ブルース」(東芝EMI/Blue Note TOCJ-6493)

2023-01-28 05:00:00 | Weblog
2023年1月28日(土)


#437 HORACE SILVER「ザ・トーキョー・ブルース」(東芝EMI/Blue Note TOCJ-6493)

米国のジャズ・ピアニスト、ホレス・シルヴァーのリーダー・アルバム。62年リリース。アルフレッド・ライオンによるプロデュース。

今ではまったく想像がつかないであろうが、62年代初頭の、日本におけるシルヴァーの人気は凄まじかった。

それこそ、後代のロック・ミュージシャンのそれにも匹敵するような熱い支持を集めていた。

シルヴァーに限らずモダン・ジャズ、とりわけファンキー・ジャズと呼ばれる種類のジャズが、その時期の日本では異常なまでに人気となった。

その火付け役はドラマー、アート・プレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズ。

彼らは61年に来日公演を行い、その激しいライブ・パフォーマンスで日本中を熱狂させたのである。

そのファンの多くは、高価なLPレコードを購入出来る高所得者層、大学生以上のインテリ層が中心で、ロカビリーなどを好む以前の洋楽ファンとは人種がいささか違っていたのだが。

そして、ブレイキーの余熱冷めやらぬ中、50年代に初代ジャズ・メッセンジャーズのピアニストだったホレス・シルヴァーが、61年末から62年初頭にかけて自らのバンドを率いて来日、またまた日本の聴衆を興奮のるつぼに叩き込んだのだった。

日本の観客のリアクションの良さにいたく気をよくしたシルヴァーは、次のアルバムのテーマを「日本の印象」とすることに決めた。

約半年後、オール書き下ろしの新曲という、当時のジャズ界ではちょっと珍しいアルバムが完成した。この「ザ・トーキョー・ブルース」である。

楽曲は、一曲を除いて全てシルヴァーの作品。唯一の例外である「チェリー・ブラッサム」はシルヴァーと親交のあるピアニスト、ローネル・ブライトに依頼して本盤のために書いてもらった曲である。

アルバム・ジャケットの写真は、来日時のショットかと思いきやそうではなく、ニューヨークにある日本庭園での撮影とのこと。日本人女性モデルのうちのひとり(向かって右の女性)は、シルヴァーの知人で出光興産のご令嬢である出光真子さんだそうだ。

パーソネルはピアノのシルヴァー、トランペットのブルー・ミッチェル、テナー・サックスのジュニア・クック、ベースのジーン・テイラー、ドラムスのジョン・ハリス・ジュニア。

オープニングの「トゥー・マッチ・サケ」はブルース形式のスウィング・ナンバー。「恋とはなんでしょう」、あるいは「ホット・ハウス」スタイルというべきか。

タイトルは、日本公演の打ち上げか何かでシルヴァーたちが日本酒を飲み過ぎて酔っぱらった経験から来ている。米国人にとって日本のものといえばまず日本酒、サケなんだろうね。

テーマ演奏の後、クック、ミッチェル、シルヴァーの順でソロを渡していく。シルヴァーのプレイには、どことなくラテン風フレーバーが漂う。エンディングはちょっとだけど和風。

深酒ブルースのあとは「サヨナラ・ブルース」だ。

サケに次いで記憶に残ったジャパニーズ・ワードは、別れの言葉、サヨナラ。それって、コンニチワよりは言いやすいからか?

来日してもいずれ日本を去って帰国しなければならない彼らにとっては、覚えておかねばならぬマスト・ワードなのだろうな。 

哀感に満ちたテーマが、そのタイトルにいかにもふさわしい。

ゆっくりとしたテーマ演奏の後、ラテン調にテンポ・アップしていく。ミッチェル、クック、そしてシルヴァーのソロ。

ここでシルヴァーはアドリブをメロディアスに弾くことよりも、テーマ中に含まれる「リズム」を繰り返し、それに合ったフレーズを弾くような弾き方に徹している。あくまでも、リズムが主役なのだ。

いってみれば「グルーヴ」、さらにいえば「トランス」を作り出すことが、彼のピアノ・プレイの根本にあるのだ。

そして、それがファンキー・ジャズの本質であり、魅力でもあるのだろう。

余談だが、石原慎太郎の異色のジャズ小説「ファンキー・ジャンプ」は、パリで聴いたホレス・シルヴァーの演奏に触発されて書かれている。

その中に、主人公の演奏を「ナーコティック(麻薬的)」と形容する表現が出て来るのだが、石原もまた、リズム重視のパーカッシブな彼の演奏に、麻薬にも似た「トランス」を感じたのだろうな、と思う。

「ザ・トーキョー・ブルース」はデューク・ジョーダン作の「ノー・プロブレム(危険な関係のブルース))」に雰囲気のよく似たナンバー。

テーマ、クックのソロ、ミッチェルのソロに続いて、シルヴァーのソロとなる。

シルヴァーはこの曲においても、メロディよりもリズム優先でソロを組み立てている。

ピアノの左手の動きこそがこの曲をリードしている、そんな感じだ。

バラード・ナンバー「チェリー・ブラッサム」はホーン抜きのトリオ編成による演奏。

日本といえば、なんといっても桜の花。そういうイメージから、この曲は生まれたのだろう。

ロマンティックな雰囲気のメロディを、シルヴァーは正統派のスタイルで弾き切っている。

ラストの「アー! ソー」は当時の陛下の口癖から取った…のかどうは定かではないが、「あっそー」という日本語がみょうに記憶に残ったシルヴァーがタイトルした、アップテンポのスウィング・ナンバー。

テーマは複雑なビバップ・スタイル。クック、ミッチェルと快調にソロが進み、最後はシルヴァーが自由奔放にスウィングしてみせる。

以上の5曲、いずれもシルヴァーならではのスタイルでまとめ上げられた、水準の高い演奏ばかりである。ホーン、リズム、共に一級の仕上がりだ。

シルヴァーといえば、スティーリー・ダンが「リキの電話番号」にそのフレーズを引用したことで知られる「ソング・フォー・マイ・ファーザー」が有名過ぎて、他のアルバムにスポットが当たることは稀だが、このような佳作もあるのだ。

ピアニストとしての才能はいうまでもないが、コンポーザーとしての能力も極めて高いことが、彼のリーダー・アルバムを聴くとよく分かる。

「ザ・トーキョー・ブルース」という曲はインストのみならず、それに詞を付けて歌曲としても演奏されているので、シルヴァーは「歌う」ということを、常日頃意識した曲作りをしていたのだろう。

華々しい評価こそされずに終わったが、彼こそはホンモノの、つまり総合的な意味での音楽家だったと思う。アルバム「ザ・トーキョー・ブルース」は、その見事な証明となる一作である。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#436 細川綾子「MR. WONDERFUL」(three blind mice TBM CD 3008)

2023-01-27 06:30:00 | Weblog
2023年1月27日(金)


#436 細川綾子「MR. WONDERFUL」(three blind mice TBM CD 3008)

日本のジャズ・シンガー、細川綾子のスタジオ・アルバム。77年リリース。

筆者が思うに、彼女は日本では数少ない、リアル・ジャズを歌えるシンガーのひとりである。

細川は1939年生まれ。14歳で浜口庫之助に師事し、在日米軍キャンプでライブ活動を始める。56年渡辺晋とシックス・ジョーズの「チェリー・ピンク・マンボ」でレコード・デビュー。

61年に渡米して、サンフランシスコを中心に活動。60年代後半にアール・ハインズのバンドに専属シンガーとして参加。

77年一時帰国。スリー・ブラインド・マイス・レーベル(以下TBM)より「NO TEARS」ほか数枚のアルバムをリリース。

85年に日本に拠点を移し活動していたが、97年より再びサンフランシスコに住んで新アルバムもリリースしている。

つまりそのキャリアは、80年代にポコポコと出てきた若手のジャズ・シンガーたちなどとは比べものにならないくらい、本場アメリカでの経験が豊富なのだ。

実力のわりにはレコード・リリースが少なく、ずっと知る人ぞ知る的な存在であったのだが、70年代後半に、質の高いジャズ・レコードの制作で頭角をあらわしてきたTBMにおいてレコーディングしたことで、日本のジャズ・ファンにも俄然注目されるようになった。

とはいえ、その時点で細川はすでに38歳。結婚していて娘もいたので、いわゆる「アイドル売り」は無理だった。あくまでも、歌の実力のみで勝負したのである。

筆者は当時大学生。大学生協のレコード・コーナーにあった「NO TEARS」を何気なく手に取り、今田勝をはじめとするバッキング・ミュージシャンの顔ぶれに惹かれて即購入したのだった。

そして、彼女の歌声にハマった。

それまで聴いてきた日本の女性ジャズ・シンガーたちといえば、いわゆるアルト・ボイス、やたらと声が低くて太いタイプのひとが多くて、あまり可愛げを感じなかったのだが、細川は珍しくソプラノ系で、キュートさすら感じさせる声だった。雪村いづみの声にも少し似ている。

それでいて、発音は本場仕込みで正確、リズム感、表現力、アドリブ力も実に豊かだ。

つまり、ホンモノ。

だから、何年後かに阿川某、秋本某、真梨邑某といった歌の実力よりルックス先行型のなんちゃってジャズ・シンガーが続出してきた時も、「全然、ジャズになってないじゃん」と思えた。

本物を知ってしまった耳には、ごまかしが効かない。

アルバムは「Wrap Your Troubles In Dream」からスタートする。シナトラの歌で知られる、陽気なスウィング・ナンバー。

ちょっと聴いたぶんには軽ーく歌っているように思えるが、じっくりと聴き込めば、細川の細やかな表現力が徐々に分かってくる。

一音、一音にポッと出のシンガーには出せないニュアンスが込められているのだ。

「Misty」はエロール・ガーナー作のバラード・ナンバー。カバー・アーティストの多さでは、横綱級の一曲。

細川は山本剛のピアノをバックに、情感をこめて歌う。そのしなやかさは、まるでシルクのようだ。

「Our Love Is Here To Stay」はガーシュウィン兄弟の作品。シナトラ、フォー・フレッシュメンらの名唱が記憶に残っている。

全曲のアレンジも担当している、横内章次のギター・ソロが印象的な、よくスウィングするナンバー。細川もノリノリで、歌のフェイクに鋭い切れ味が感じられる。

「My Foolish Heart」はヴィクター・ヤング、ネッド・ワシントン作のバラード。

ジャズではビル・エヴァンス・トリオの名演があまりにも有名だが、ここでの山本のピアノ・ソロもなかなかのもの。少ない音数で、溢れるような熱情を表現している。

細川もそれに触発されたのであろう、このうえなく繊細で優しい歌唱を聴かせてくれる。

「Bridge Over Troubled Water」はサイモン&ガーファンクルの大ヒット曲。スタンダードだけにこだわらず、流行のポップ・ナンバーも歌うのが、細川スタイルだ。

ストリングスの調べにのって、ゆったりと歌い始める細川。次第に力強さを増していく歌声。西條孝之介のテナーサックスの響きが、それをあたたかくバックアップする。

ガーファンクルの歌声とはまったくタッチは違うが、ハート・ウォーミングということでは変わりがない。

「When You Smile」は、アルバム「NO TEARS」でも数曲取り上げているパーカッショニストにして作曲家、ラルフ・マクドナルドとウィリアム・ソルターの作品。

ウキウキワクワクするような曲調の、ポップ・ナンバー。スタンダード以外でもさまざまな名曲を見つけてきて、自分なりの解釈で消化する細川のセンス。さすがである。

「Mr. Wonderful」はアルバム・タイトルにもなった、ジョージ・デイヴィッド・ワイスとラリー・フォロスナーによる55年のバラード・ナンバー。

ワイスは「バードランドの子守唄」で知られる作曲家。その曲同様、「Mr. Wonderful」もロマンティックで夢見るような作風だ。

この至高のラブ・ソングを、細川は甘く、優しく歌い上げる。いやー、極楽、極楽。

エラ・フィッツジェラルドにも引けを取らないその歌声に、魂まで持っていかれそうだ。いやマジで。

再び、コンテンポラリー路線の選曲。「Feel Like Makin’ Love」はR&B、ソウルのスタンダードともなったヒット曲。ユージーン・B・マクダニエルズ作。ロバータ・フラックの代表曲となった。

ファンク系のセッションでも演奏されることの多い、お馴染みのメロディだ。

細川はフュージョンなアレンジに乗って軽く明るく、このナンバーを歌いこなしている。

ラストの「The Lady Is A Tramp」はロジャーズ=ハートコンビの作品。フォービートで軽快にスウィングするナンバー。

作中の気まぐれな淑女になりきって歌いまくり、お転婆ぶりを発揮する細川。

粋でお洒落で、カッコいい。まさにジャズが理想とする世界を、体現した一曲だな。

歌、演奏、アレンジ、そして録音。どれも従来の和製ジャズ・レコードのイメージを大きく塗り替える、高いレベルにある佳作。

何より、細川綾子のキャリアを感じさせる表現力が、本盤の最大のウリだ。

やはり、デビューして20年の積み重ねは、あなどれないね。

<独断評価>★★★☆

音盤日誌「一日一枚」#435 GRANT GREEN「グリーン・ストリート」(東芝EMI/Blue Note TOCJ-6492)

2023-01-26 06:05:00 | Weblog
2023年1月26日(木)


#435 GRANT GREEN「グリーン・ストリート」(東芝EMI/Blue Note TOCJ-6492)

米国のジャズ・ギタリスト、グラント・グリーンのセカンド・リーダー・アルバム。61年リリース。アルフレッド・ライオンによるプロデュース。

グリーンは35年セントルイス生まれ。79年に43歳の若さで亡くなるまで、30枚以上のアルバムを残している。

70年代はファンク・ジャズの方向性を強め、伝統的なジャズのファン以外からも支持されたアーティストだ。

彼の、ごく初期の清新な演奏を聴いてみよう。

61年ごろは、まだバップのスタイルに忠実に従って弾いているのがよく分かる。

オープニングの「No.1 グリーン・ストリート」は彼のオリジナル。アップ・テンポのブルーズィなナンバー。

基本はシングル・トーンで、一音一音をきちんと弾くタイプのギター。

当時すでにジャズ・ギターの世界では大家然としていたウェス・モンゴメリーがコード、オクターブ奏法をフルに駆使していたのと合わせて考えると、いかにも昔ながらのスタイルに見える。

だが、そこはやはり、他者のスタイルや流行には安易に飛びつかない、アーティストとしての意地なんだろうな。かたくなまでに、シングルトーンへのこだわりを見せている。

バック・ミュージシャンはベースのベン・タッカーと、ドラムスのデイヴ・ベイリー。

このふたりの安定したビートに乗って、スウィングしまくるグリーン。このリズム感が見事。

ソロでは同じフレーズを執拗に繰り返すことで、グルーヴを高めるのが、彼によく見られるパターン。

このグリーン・スタイルが顕著に現れるのが、「No.1 グリーン・ストリート」だ。いわば、彼の名刺代わりの一曲。

次の「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」はセロニアス・モンクの作品。ゆったりとしたテンポのバラード。

モダン・ジャズにおける、スタンダード中のスタンダードだ。

幾多のミュージシャンがレコーディングして来た名曲を、グリーンは原曲のメロディをしっかりと生かしつつ、徐々に自分の世界へとリスナーを導いていく。

グリーンは、同じジャズ・ギタリストのケニー・バレル(彼もシングル・トーン系だ)ほどブルース臭は濃厚ではないが、ほどよくブルースを匂わせるフレージングがいい。

この「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」のソロ(特に4〜5分台)は、この曲を弾こうと考えるギタリストにとっては、格好のお手本となるのではないかな。

そのくらい、練り込まれたフレーズの連続、連続なのである。

「グランツ・ディメンションズ」は再びグリーンのオリジナル。チャーリー・パーカー直系のビ・バップ色の強い、アップ・テンポのナンバー。

複雑なフレーズの組み合わせにより、息もつかせぬ展開を見せていく。

どこまでが譜面に書かれたコンポジションなのか、アドリブ・ソロなのか。リスナーには判然としないが、とにかくスリリングだ。

中盤はタッカーのベース・ソロに続き、ギターとドラムスのソロ交換へ。そしてテーマへと戻って終わる。

グリーンの演奏力だけでなく、作・編曲能力の高さもフルに発揮された一曲である。

「グリーン・ウィズ・エンヴィ」も、グリーンのオリジナル。憂いに満ちたメロディのテーマから始まる、スウィング・ナンバー。

ここでもグリーンは、尽きることのないフレーズを矢継ぎ早に繰り出していく。同フレーズのリピートも時折り挟みつつ、リズム・セクションをぐいぐいと引っ張っていく。

ベース・ソロの後、ドラムスとのソロ交換、そして再びギター・ソロと続く。

10分近くに及ぶ長尺だが、演奏密度の高さが、まるでそのことを感じさせない。

そしてベース・ソロ中の、グリーンのバッキングがなかなかイカしている。コード・プレイも決して悪く無いのだ。

ラストの「アローン・トゥゲザー」はミュージカル・ナンバーのカバー。アーサー・シュワルツとハワード・ディーツのコンビにより32年に書かれている。

哀感溢れるメロディで知られるこのスタンダード・ナンバーを、グリーンをはミディアム・テンポのスウィングとしてアレンジしている。

テーマ、そしてギター・ソロ、ベース・ソロを挟みつつ、最後はフェイド・アウトで終わっている。

グリーンのリーダー・アルバム、しかもシンプルなトリオ編成ということもあって、全編で彼がソロを弾きまくっており、ジャズ・ギター・ファンにとっては大満足の一枚だろう。

ジャズにおいてギターという楽器のポジションは、なかなかに微妙なものがある。

その音の細さ、アクのなさもあり、編成が大人数になればなるほど、他の楽器に押されて存在が霞んで行きがちである。

だから、ギターの持つ独特の味わいを消さないためには、他のメロディをひく楽器(ホーンやピアノ)とは出来るだけ絡まないのが、一番賢い策と言えるだろう。

ギター・トリオこそが、ジャズ・ギターにとってベストなバンド・スタイルなのだ。

グラント・グリーンはそのことをよく知っていて、彼の演奏が最も輝けるように自分をプロデュースしている。

ジャズのメインストリームにはなれないものの、ギター・サウンドを愛好するジャズ・ファンにとっての理想の音を提供する姿勢。まさにプロフェッショナルだと思う。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#434 KUWATA BAND「NIPPON NO ROCK BAND」(ビクター音楽産業/Taishita VDR-1225)

2023-01-25 05:45:00 | Weblog
2023年1月25日(水)



#434 KUWATA BAND「NIPPON NO ROCK BAND」(ビクター音楽産業/Taishita VDR-1225)

日本のロック・バンド、KUWATA BAND(以下KB)のファースト・アルバム。86年リリース。KBによるプロデュース。

KBは、1年間という期間限定で結成されたプロジェクト。サザンオールスターズが桑田佳祐の妻、原由子が産休に入るため活動休止となったので、その間に桑田がずっとやってみたかった計画を実現させたのである。

それは、完全に英語詞のみによるロック・バンドだ。

サザンは日本語と英語がチャンポンのサウンドだが、あくまでも英語表現のみの「純ロック」に挑戦したのである。

それが当時の桑田には、自分のロックが向かうべき、正しい道に見えていたからだという。

アルバムに先行したシングル「BAN BAN BAN」「MERRY X’MAS IN SUMMER」などでは日本語詞も含まれていたが、これはセールスも勘案してのことだろう。このファースト・アルバムではすべての歌詞が英語である。

作詞の担当は、コーラスでも参加しているゴダイゴのトミー・スナイダーだ。

メンバーはドラムスの松田弘以外は、スタジオ・ミュージシャンなどに声をかけて集めた。

ギターの河内淳一、ペースの琢磨仁、キーボードの小島良喜、パーカッションの今野多久郎。いずれも実力派ばかりである。楽曲の作曲・アレンジも全て、彼ら自身によるものだ。

オープニングの「SHE’LL BE TELLIN’ (真夜中へデビューしろ!!) は、ノリのいいハード・ロック・ナンバー。

とにかく押しの強さだけで女をモノにしようという、深く考えていない歌詞がロックっぽい。

ロックとは本来、そういうチャラい、ナンパな世界を描くものなんだろうな。

でも、サザンの音楽を愛聴して来たリスナーたちに、すんなりウケるかというと、「?」である。

「ALL DAY LONG (今さら戻ってくるなんて) 」はメロディ的に従来のサザン・スタイルを感じさせる一曲。

でも、それに英語詞がかみ合うことでちょっと不思議な感覚が生じる。違和感とも言えるかもしれない。

聴いているだけでは歌詞の意味が全然頭に入ってこないという向き(そういう人が大半だと思う)は、桑田自身による訳文(対訳というよりは意訳、あるいは超訳)があるので、それを読まれたし。

家を出て行ったはずの恋人が突然戻ってきて困惑する男の心情を歌うナンバー。サザンの一連の歌詞世界とは、かなーり違うな。サザンの歌に出てくる男なら、節操なく喜んで迎えそう。

「ZODIAK (不思議な十二宮) 」はメンバー全員によるコーラス「ゾーオーオーオーオオオゾーオーオーディアック」が印象的なロック・ナンバー。

KBはリード・ボーカルはもちろん桑田だが、他のメンバーもコーラスとして歌っている。

英米のバンドと日本のバンドを比較すると、日本はひとりのボーカリストに歌を任せっぱなしのケースが多いが、それではライブでの歌に厚みや迫力が出にくい。

英米のバンドに多い「全員参加型」を見習って、KBもあえてそれを表に打ち出しているのだろうな。

「BELIEVE IN ROCK’N ROLL (夢見るロック・スター) 」は、小島のシンセサイザー・サウンドが特徴的なエレクトロ・ポップ。いかにも当時の流行を反映したサウンドである。

あてもなくロック・スターになる日を夢想する男のストーリー。そこに、歌い手の桑田の心情はほとんどシンクロしていない。強いて言えば、過去の自分の振り返りとしてか。

「PARAVOID (彼女はパラボイド) 」は、河内の激しいギター・プレイをフィーチャーしたハード・ロック。

パラボイドとはもちろん、スナイダーによる造語だろう。パラノイアで空っぽな女ってところか。そんなしょうもない女にひたすら生活をかき乱される男の話。

サザン世界なら、また違う歌詞になりそうなシチュエーション。やはりトミー・スナイダーの作品なのだ、これは。

「YOU NEVER KNOW (恋することのもどかしさ) 」は、よくわからない思いびとの態度に「???」となっている恋愛下手な男が主人公の、ロック・ナンバー。

音量抑えめの曲調で、AORっぽい仕上がり。アルバムでは、異色のナンバーだ。むしろ、歌詞にしても本来のサザンの路線に近い。

「RED LIGHT GIRL (街の女に恋してた) 」はブルース・ロック調のナンバー。夜の女に心を狂わされてしまった哀れな男を描く、あるあるなナンバー。

曲調も歌詞も、安心して聴けるフォーマットの一曲。

ゲストの包国充のむせぶようなサックスが、雰囲気作りに一役かっている。

「GO GO GO (愚かなあいつ) 」はボブ・ディラン・プラス・ストーンズなナンバー。本盤では一番元ネタが分かりやすい。友情がこの曲のテーマで、ダメになってしまった友を気遣う話だ。

サザン・バックの常連、八木のぶおのブルース・ハープが、サウンドにスゴみを加えている。

「BOYS IN THE CITY (ボーイズ・イン・ザ・シティ) 」は、社会不安に目を向けた一曲。

暴力は暴力でしか対抗出来ないのか? これもまた日本ではほとんどテーマにされないが、英米ロックでは頻繁に取り上げられる問題だ。

ハードなサウンドの背景にある、社会の「闇」にリスナーの関心は果たして向くのか?

外国語という障壁は、思った以上に高く大きいように感じる。

「DEVIL WOMAN (デビル・ウーマン) 」は英米ロックに数多く見られる「魔性の女」がモチーフのナンバー。サキュバスのような女に魅入られた男の歌。

ヘビーでブルーズィな音が、耳に心地よい。これもわりと安定のフォーマットだな。

「FEEDBACK (理由なき青春) 」はアップ・テンポのシャッフル。

桑田のリードボーカルでなく、河内あたりに任せているようだ。

作曲も桑田とは違うような気がする。そんな異色のメロディ・ライン。

KBは「桑田とそのバック・バンド」というかたちではなく、全員の共同作業により作られており、非桑田的な個性も容認していくポリシーだったのだろう。

サウンドの多様性に、それを伺い知ることが出来る。

この曲でも、包国のブローがサウンドに拍車を掛けていてカッコいい。

ラストの「I’M A MAN (アイム・ア・マン・フロム・ザ・プラネット・アース) 」は、筆者的にはけっこう気に入っている一曲。

デイヴ・メイスン、あるいはデュアン・オールマンばりのメロウなスライドギター・サウンド、そしてメジャーに転調してのコーラスが、見事なコントラストを成している。

アルバム前半に多いハード一辺倒のサウンドよりも、こういうメリハリのある繊細な音に、KBサウンドの可能性を感じるね。

以上、12曲。「英米ロックをよーく勉強して、頑張って、作りました」感がよく出ている一枚だが、それゆえに「ちょっと無理していませんか?」というツッコミを入れたくなるアルバムでもある。

桑田=サザンの本来持つ猥雑さ、チャランポランさ、テキトーさ、そういったものがほとんどアク抜きされて、フツーの真面目なポップスになってしまっている。これじゃ、あかんでしょ。

やはり、いくらネイティブ・スピーカーでないからと言って、英語の歌詞作りを他人に任せていては、桑田らしい世界は生まれて来ないように思う。

英語とかサウンドとかの「かたち」はなんとか「純正ロック」に仕上がっていても、それは桑田自身のロックとは違う。

それはアルバムを完成してみて、桑田自身もいたく感じたことらしい。

意気込んで作ったものの思ったようなものにはならず、「失敗作」だと感じ、以後英語詞ロックへのアプローチを再び試みることはなかったのである。

でも、それはそれで貴重なチャレンジだったのではなかろうか。

ロックとは、常に新たなスタイルを模索していくこと、試行錯誤を繰り返すことだと思う。

だから、このバンドの失敗に近い経験も、桑田の後々の音楽に生かされていったに違いない。

そしてこれはあくまでも筆者の妄想だが、86年当時にこのKBサウンドを引っさげて、英米へ進出するといった世界線も実はありだったのではないか。

当時はまだインターネットがなかったから、英米をはじめとする世界の人々にKBの音を聴かせることは難しかったが、桑田が本気で世界に出たいと思えば、フラワー・トラベリン・バンドのように渡米して現地でライブをやるって選択もあったはず。

もしこのアルバムを、英米人が聴いたら、「これも立派なロックだ」と思うのか、「いや、ロックとは似て非なるものだ」と思うのか。とても興味のわく問題だ。

KUWATA BANDより後の時代には、日本のロック・バンドも普通に欧米で受け入れられるようになっている。たとえば、少年ナイフとか、ハイ・スタンダードとかがそうだ。

インターネット、Youtubeのある現在、日本の音楽は即時的に全世界に発信出来る。

桑田サン自身は断念したとはいえ、筆者は英語詞のロックは日本人には無理だとは思わない。

何より、日本人の英語に関するリテラシーは、この数十年で大きくアップした。

言葉というハードルは高いものの、それを軽々とクリアした「NIPPON NO ROCK BAND」が今後はフツーに現れてくるに違いない。

そうなれば、KBの37年前の試みも、大きな意義を持つのではないかと思うよ。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#433 オリジナル・ラブ「Desire」(ポニーキャニオン PCCA-00986)

2023-01-24 05:29:00 | Weblog
2023年1月24日(火)




#433 オリジナル・ラブ「Desire」(ポニーキャニオン PCCA-00986)

日本のバンド、オリジナル・ラブの6枚目のスタジオ・アルバム。96年リリース。田島貴男によるプロデュース。

オリジナル・ラブ(以下オリラブ)はシンガー田島貴男を中心とするバンドとして88年にスタート、95年後半以降は彼のソロ・プロジェクトとなっている。

ほぼ全ての曲の歌唱・作詞・作曲、そしてアレンジを田島が行う、文字通りのワンマン・バンドである。

商業的には93年のTVドラマ主題歌「接吻-kiss-」のヒットでブレイク、96年の同じく「プライマル」もヒット、人気を確かなものとした。

何回か休止期を挟んではいるものの、現在もしっかりと活動中であり、CDリリースも続いている。

本盤は、オリラブがソロ・プロジェクトになって2年目、レーベルも移籍して2年目に、先行シングル「プライマル」「Words of Love」をフィーチャーして発表されたアルバム。ワンマン・プロジェクトにふさわしい、田島の顔写真のみのジャケット。

リリース時の惹句がスゲーよ。「未知なる荒野へ一歩を踏み出した、革新的ニュー・アルバム」と来たもんだ。

でも聴いてみると、それもまんざらフカしじゃないって分かるはずだ。

元祖シブヤ系とか言われていた田島だが、今回はその手の小綺麗なオサレ・サウンドではなく、ワールド・ミュージックへのアプローチが随所に見られて、それまでのオリラブのイメージを見事に塗り替えているからだ。

オープニングの「Hum A Tune」はエキゾチックなシタール・ギターのソロから始まるロック。無国籍な音楽世界が、ここから広がっていく。

ジャズ、フォーク、エスニック。そういった諸音楽のエッセンスが、この一曲に溶け込んでいる。

バックは旧知のミュージシャンばかり。ピチカート・ファイヴでの盟友、中西康陽を始め、ドクター・キョン、バカボン鈴木、三浦晃嗣らだ。

「ブラック・コーヒー」は、陽気なサンバ・ナンバー。ホーン・セクションも3人加わり、ノリノリなサウンドで歌いまくる田島。気持ち良さげである。

「ガンボ・チャンプルー・ヌードル」はタイトルで分かるように、ニューオリンズ・サウンドと沖縄音楽のハイ・ブリッド。

かつて久保田麻琴と夕焼け楽団が得意としていた、チャンプルー(ごた混ぜ)ミュージックの再来だな。

キョンのピアノも水を得た魚のよう。三線をゲスト頼みでなく、田島本人が弾いているというのも、本気度が感じられて、マル。

「青空のむこうから」は、一見アコギをベースにした普通のフォークロック・ナンバーのように見えるが、キョンが弾くザディコ風のアコーディオン、中近東風のギター・メロディ、田島の多重録音コーラスなどが重なり合い、不思議な音世界を創出している。これぞ、ネオ・オリラブ・ワールド!

「Masked」は激しいロックンロール・ナンバー。ギター、ピアノ、そしてホーン。ストーンズにも通ずる、荒々しいスワンプ・ロック。

オリラブ=ポップ・バンドだと思っていた人たちは、耳を疑うかも。

でも、これもまた田島が好み、求める音楽なのだ。

「Words of Love」はシングル曲。いかにも世間ウケのする、ロマンチックなロック・バラード。ギター、ピアノ、コーラスの完璧なアレンジは、やはりオリラブならでは。

ポップ職人の手だれの逸品とは、まさにこれである。

「黒猫」はニューオリンズと中近東、ヨーロッパが一所に集結したような、絢爛たるサウンド。

パーカッション隊のリズムの奔流に、巻き込まれそうな一曲だ。

「日曜日のルンバ」はルンバといいつつも、レゲエっぽくもあるナンバー。

オリラブ流に洗練された、後乗りビートに乗って繰り広げられる、名手松田幸一のブルース・ハープがやけにカッコいい。

「プライマル」はシングル・バージョンとは異なるアルバム・ミックス。正統派のラブ・バラード。

中西のツボを押さえたピアノが、美しいメロディを引き立ててくれる。

ラストの「少年とスプーン」は、ギター・サウンドを前面に出したフォーク・ロック。多感な少年の日常をスケッチした佳曲。

田島本人の多重録音による爽やかなコーラスが、掛け値なく素晴らしい。

以上10曲。シングルは手堅いこれまでのバラード・スタイルを守りつつも、それ以外ではさまざまな冒険、挑戦をしている。それがすべて成功しているともいえないが、何事もチャレンジ、ということなのだろう。

これだけ幅広いサウンドに仕上げることが出来るのも、田島貴男のミュージシャンとしての底知れぬ実力あってこそだ。

歌唱力、作詞・作曲能力、楽器演奏能力、プロデュース能力。どれかひとつが欠けても、これだけのものは作り出せない。

ライブ・ステージの彼も、タッパがあってまことに「映える」田島。

天はいったい、いくつの物を彼に与えたのだろう。

嫉妬とか羨望とか、そういう卑小な感情など遥かに超えて、畏敬、崇拝の心を抱きたくなる偉才、それが田島貴男である。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#432 JACKIE McLEAN「4, 5 AND 6」(ビクター音楽産業/Prestige VICJ-23514)

2023-01-23 05:00:00 | Weblog
2023年1月23日(月)



#432 JACKIE McLEAN「4, 5 AND 6」(ビクター音楽産業/Prestige VICJ-23514)

ジャズ・サックス奏者ジャッキー・マクリーンのスタジオ・アルバム。56年リリース。ボブ・ワインストックによるプロデュース。

マクリーンは55年、初リーダー・アルバムをアドリブ・レーベルより出し、翌年プレステージに移って67年までに9枚ものアルバムをリリースしている。本盤はその2枚目にあたる。

アルバム・タイトルはいうまでもなく、カルテット、クインテット、セクステット編成による演奏が収められているところから来ている。

オープニングの「センチメンタル・ジャーニー」はカルテットでの演奏。ベン・ホーマー、バド・グリーン、レス・ブラウンによる44年の作品。このスタンダード中のスタンダード・ナンバーを、10分という長尺でプレイしている。

バックはピアノがマル・ウォルドロン、ベースがダグ・ワトキンス、ドラムスがアート・テイラー。前2者はデビュー・アルバムでも共演している、馴染みのメンバーだ。

ウォルドロンといえば、彼がビリー・ホリデイのために書いた曲「レフト・アローン」であまりにも有名だが、60年にマクリーンを従えたリーダー・アルバム「レフト・アローン」をベツレヘム・レーベルにてレコーディングしており、以降、この曲はマクリーンにとっても代表曲になっている。

閑話休題、「センチメンタル・ジャーニー」の話に戻ろう。テーマ演奏の後はマクリーンの長いソロが続く。メロディアスながらブルースを感じさせるアドリブ・ソロは、ワトキンスに引き継がれる。そしてウォルドロンの短かめのソロから、マクリーンに戻って、テーマ演奏で締め。

あくまでもマクリーンの演奏が主体だが、他のメンバーもソロでそれぞれの持ち味をフルに発揮しているので、聴きごたえは十分だ。

「ホワイ・ワズ・アイ・ボーン?」はカーン=ハマースタインのコンビによるミュージカル・ナンバー。

30年にヘレン・モーガンの歌でヒット。ビリー・ホリデイやフランク・シナトラらもカバーしている著名曲だ。タイトルは知らなくても、メロディを聴けば、絶対既聴感はあるはずだ。

明るくテンポの速いこの曲は、テーマ演奏に続いてマクリーンのソロ、そしてウォルドロン、再びマクリーンのソロ、テーマという構成。マクリーンの紡ぎ出す豊かなフレーズが、ひたすら堪能出来る。

心が湧き立つような、ハッピーな一曲だ。

「コントゥアー」は、同時代のピアニスト、ケニー・ドリューの作品。トランペットのドナルド・バードも加えたクインテットによる演奏だ。

懐かしのスタンダードが2曲続いたので、テクニカルなフレージングに満ちた曲で、口直しといったところか。

テーマからのマクリーンのソロ、続いてバードのソロ、そしてウォルドロンの短いソロを経て再度テーマで締め。

「コンファメーション」はチャーリー・パーカーの作品。モダンアルト奏者なら一度は吹いてみたであろう、お手本的なナンバー。テナーサックスのハンク・モブレーも加わった、セクステットよる演奏だ。

テーマの後はマクリーン、続いてバード、モブレー、ウォルドロンの順にソロが続いた後、ホーンの3人で掛け合いへ。これが見事にキマっていて、カツコいい。11分以上におよぶ熱演だ。

「ホエン・アイ・フォール・イン・ラヴ」はエドワード・ヘイマン、ヴィクター・ヤングによる作品。52年の映画「One Minute To Zero」の主題歌である。ドリス・デイの歌でヒットしている。

マクリーンは、スタンダードというよりは比較的最近のヒット曲として取り上げたのだろうが、この曲もその後ナット・キング・コール、ジョニー・マティス、レターメン、ナタリー・コールらにより歌われてスタンダード化している、美しいバラードだ。

個人的には、バディ・グレコ版が一番のオキニかな。

この曲はカルテット編成でレコーディング。アップテンポでのテーマからのマクリーン、ウォルドロンのソロ、そしてマクリーンに戻ってテーマという構成。

最後にスローにテンポダウンして、スウィートな雰囲気で締め括っている。

この曲の優れたポイントを、きちんと分かっているね。さすがだ。

ラストは「アブストラクション」。ウォルドロンの作品である。クインテットでの録音。

内省的で静かなムードのスロー・バラード。終幕にいかにもふさわしい。

自然な流れでアドリブ・ソロに入るマクリーン。そのフレージングは「レフト・アローン」での名演に勝るとも劣らぬ美しさだ。

ソロを引き継いだバードも、ミュートを使った抑えめの表現が、本当に曲にマッチしている。

そして作曲者自身のピアノ演奏が、彼らの名演をしっかりと引き立てている。

この一曲だけのために、アルバムを買うというのも惜しくはないだろう。

以上、マクリーンの類いまれなる器楽の才能、そしてウォルドロンらのベストなバッキングによって生まれた佳作。

歴史的名盤とはいえないだろうが、忘れることなく、時々は晩酌のBGMとして聴いてあげたい一枚である。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#431 泉谷しげる with LOSER「叫ぶひと囁く」(ビクター音楽産業/Invitation VICL-119)

2023-01-22 05:06:00 | Weblog
2023年1月22日(日)



#431 泉谷しげる with LOSER「叫ぶひと囁く」(ビクター音楽産業/Invitation VICL-119)

シンガーソングライター泉谷しげるのスタジオ・アルバム。91年リリース。泉谷本人によるプロデュース。

泉谷は比較的レコード会社の移籍が多いアーティストだが、デビューして17年目の87年に5番目に所属したビクターInvitationレーベルでの、3枚目のアルバム。

1枚目の「吼えるバラッド」でのバック・ミュージシャンをレギュラー・バンド化して「LOSER」と名づけ、彼らとの共同作業により生まれたのが本盤だ。作詞・作曲は泉谷、楽曲のアレンジはすべてLOSERによる。

その5人のメンバーが、あまりにも強力な面々なのだ。ギターは元ルースターズの下山淳と元アナーキーの藤沼伸一、ベースは元エキゾティクスの吉田建、ドラムスは元バンブー、カミーノほかの村上ポンタ秀一。

およそ考えられる限りで日本最強のロック・ミュージシャンどもを集めれば、スゲー演奏になるのは当然ってもんだろう。

オープニングの「叫ぶひと、ささやく」はシングル・カットもされたアルバムタイトル・チューン。U2ばりのスケールの大きいロック・ナンバーだ。

叫ぶとささやく、この対極的なふたつの行為を同時に行なっているのが、本アルバムの制作者、泉谷しげるでもある。

つまり、アウトローとしての激しい絶叫と、生活者としての優しいささやき、ロック的なものとフォーク的なもの、この二極を往復しているのが泉谷という表現者なのだ。

「叫ぶひと、ささやく」はそのふたつ、ロックとフォークの統合的なナンバーだと言えるな。泉谷の荒々しいシャウト、うねるようなギターが、耳に残る。

「深い殺人」はロック色の濃いナンバー。ファンキーなリズムに乗り、狂った世間に対して毒に満ちた言葉を吐く泉谷。アナキストとしての面目躍如な一曲。

後半のツェッペリンみたいな展開には、思わずニヤリ。そんなLOSERの洒落っ気は、随所で発見できる。

「青い火」はダイヤー・ストレーツ風のリズム、サウンドのナンバー。歌詞にも出てくるように、これは泉谷版「Paint It Black」だ。この世の偽善に対して「ノー」を突きつける泉谷。

「失われた週末」は、ネオ・ロカビリーな一曲。歌詞中に、泉谷と共に仕事をして人々が実名として出てくる(たとえば泉谷の実弟でマネージャーを務める勇氏とか)ような、日常ネタで笑わせてくれる。間奏部分ではベースの吉田への強烈なツッコミもある。

ワーカホリックでメンタル的にも追い詰められたミュージシャンの、本音が思わずこぼれ出たナンバーだ。

「裸のコワイヤツ」も、ロックな一曲。下山、藤沼の激しいギター・プレイがフィーチャーされた、狂気のハード・ロック。

ストリート・スライダーズか、はたまたエアロスミスかという激しさ。

ピッチのズレとかお構いなしに叫びまくる「泉谷節」が全開である。やっぱそうこなくちゃ、泉谷は。

以上の5曲はもっぱらロック・サウンドだったが、後半の4曲は泉谷のフォーク的な面を強調した作りになっている。

「ムノウ」はシングルB面ともなった、ツービート・ナンバー。アップテンポで泉谷の弾くアコギに、スライド・ギターが絡む。「黒いカバン」以来続く、トラブル・ソングの系譜にある一曲。

毒のある歌詞はいつも通りという感じだが、歌のバックで泉谷がずっと聞き取り不能なセリフをわめき散らしているのが印象的だ。こういうデタラメなことをしても、「まぁ、あの人だからしょうがないか」と納得されてしまうアーティストも、日本中でただひとり、泉谷しげるだけだろう(笑)。

逆に「毒と笑い」、これを失ってしまったら泉谷ではなくなるな。

「嵐のあとで」は作曲が吉田との共作のナンバー。ゲストの梅崎俊春のシンセサイザー・サウンドをバックに、抒情的なバラードを歌う泉谷。

嵐が去り、恋人を失った男の寂寥感。この「静けさ」も、また彼なのだ。

「夜の才気にふれて」はアコギのカッティングにシンセが加わったシンプルなサウンド。

恋愛の深淵、狂気を、とても平易な言葉で表現する泉谷は、やはり詩人だ。

あたりまえの風景が、彼の紡ぎ出す言葉によって、見え方がまるで変わってくる。

ラストの「愛を黙して」はLOSERを再び従えてのフォーク・バラード。

この曲も、男と女の心のすれ違いを歌う。

言葉にすればするほど、誤解が広がるジレンマ。沈黙しか、道は残されていないのか?

そんな繊細なラブ・ソングもまた、泉谷の一面である。

そして、アルバムは静かな閉幕を迎える。

日本で一番ロックなフォーク・シンガー、泉谷しげるの咆哮が轟きわたり、静かなささやきが響く一枚。

そのアクの強さゆえに聴き手を選ぶ内容とはいえ、聴かず嫌いはもったいない。

日本最高水準のロック・バンド、LOSERの面々を惹きつけるだけの魅力が、泉谷というシンガーにはあるからだ。

<独断評価>★★★☆

音盤日誌「一日一枚」#430 DR. JOHN「IN A SENTIMENTAL MOOD」(Warner Bros. 9 25889-2)

2023-01-21 06:18:00 | Weblog
2023年1月21日(土)



#430 DR. JOHN「IN A SENTIMENTAL MOOD」(Warner Bros. 9 25889-2)

米国のミュージシャン、ドクター・ジョン、89年リリースのアルバム。トミー・リピューマによるプロデュース。

ドクター・ジョンは60年代から70年代にかけてアトランティック・レコードと契約し、「ガンボ」に代表されるアルバムを7枚出してその名を高めたが、その後は大手レコード会社との契約はほとんど無く、ローカルレーベル中心となり、アルバムのリリースも83年以後はしばらく止まっていた。

そんなドクターが6年ぶりに発表したのが、このアルバムだ。

内容は一枚まるごと、過去のジャズ・スタンダードのカバーというもの。

これって、オリジナルを出すより確実に売れるから、という方針なのかねー?

でも、ジャズとドクターの相性は悪くない。その証拠に本盤は15年ぶりにビルボードにチャート・インし(142位)、ジャズ・アルバム・チャートでは初の1位を獲得したほどだ。

世間はドクターにジャズ的なものを求めていた、ということでセールス的には成功。

しかもおまけがついてきて、収録曲の「メイキン・フーピー」でグラミー賞の最優秀ジャズ・ボーカル・パフォーマンス賞をゲットしたのである。

ドクター復活のきっかけとなった一枚を聴いてみよう。

そのグラミー受賞曲「メイキン・フーピー」がオープニング。

これはガス・カーン、ウォルター・ドナルドスンによる作品。といっても、知る人はほとんどいないか(笑)。

1928年に「フーピー!」というミュージカルでエディ・キャンターが歌ったのがオリジナル。なんと、一世紀近く昔の曲なのだ。

でもその後、歌とインスト両方でさまざまなアーティストがカバーして、それで知られるようになった。

例を挙げると、レイ・チャールズ、フランク・シナトラ、ルイ・アームストロング、ジェリー・マリガンなどなど。

ドクターはこの曲を、昨日本欄で取り上げたリッキー・リー・ジョーンズと共に、デュエットしている。ルイ・アームストロングとエラ・フィッツジェラルドのデュエットを意識したみたいだね。

ドクターはジョーンズのデビュー盤のバックに参加していたので、10年来の知り合いだ。そのせいか、和気あいあいとした雰囲気でレコーディングされている。まるで恋人同士のように、ふざけ合うドクターとジョーンズ。

この仲睦まじい、ごっつええ感じが、グラミー受賞の理由なんだろうね。

「キャンディ」はアレックス・クラマー、ジョーン・ホワイティ、マック・デイヴィッドの作品。44年に書かれ、ジョニー・マーサーのバンドとジョー・スタッフォードによって翌年ヒットしたバラード・ナンバー。ダイナ・ショアもレコードをだしている。

だが筆者の世代でいうと、マンハッタン・トランスファーの75年のバージョンが圧倒的に有名だな。

ドクターはオーケストラのスローなサウンドをバックにソロで歌い、ピアノ演奏も聴かせる。

訥々と語るように歌う「キャンディ」、深い味わいがある。

「アクセンチュエイト・ザ・ポジティブ」は前述のジョニー・マーサー、そしてハロルド・アーレン44年の作品。

マーサーの楽団のほか、ビング・クロスビーとアンドリュー・シスターズ、ダイナ・ワシントン、コニー・フランシス、ペリー・コモ、ペギー・リーらがレコーディング。そのリズミカルでゴスペルっぽい曲調がソウル系シンガーにもウケたのか、アレサ・フランクリン、サム・クックまでが取り上げている。

いささか変わったところでは、アル・ジャロウ、ポール・マッカートニー、クリフ・リチャードのバージョンもある。

ドクターは、バースに続けて威勢よくコーラス・パートを歌い始める。ホーンも入ってノリノリ。ソロもビシッと決めて、ご満悦の様子が目に浮かぶ。

ニューオリンズ・サウンド同様に、ジャズな音もしっかりと彼に馴染んでいる。

「マイ・バディ」は再びカーン=ドナルドスンのコンビによる作品。本盤中では一番古い22年の作品。

ヘンリー・バーやアル・ジョルスンによる同年のレコーディングが最初のバージョンで、のちにフランク・シナトラ、ビング・クロスビー、ドリス・デイ、イーディ・ゴーメ、ボビー・ダーリン、コニー・フランシスらが歌い、カウント・ベイシーをはじめとする数多くのジャズミュージシャンがインストでカバーしている。

ドクターはピアノを弾きながら、ゆったりとこの曲を歌う。かつての友人(あるいは恋人?)を懐かしむように。ソフトな歌い口が、この曲にぴったりだ。

「イン・ア・センチメンタル・ムード」はジャズ・ファンなら知らぬ者もない、エリントン・ナンバー。

エリントン楽団により幾度となくレコーディングされたほか、ジョン・コルトレーンとの共演版も名演との誉れが高い、バラード・ナンバー。

ピアニストならば一度は挑戦してみたいであろうこの曲を、ドクターは一音、一音、思い入れたっぷりに弾いてみせる。響きが実に美しい。

本盤唯一の、インストゥルメンタル・ナンバーでもある。

「ブラック・ナイト」は黒人女性作曲家ジェシー・メイ・ロビンンスンの作品。51年にシンガー/ピアニスト、チャールズ・ブラウンがヒットさせている。

ジャズとブルース、両方のセンスがひとつとなったブラウンの世界を、ドクターが継承して歌い、弾く。

夜の濃厚なムードが横溢するナンバー。子供にゃこの良さはわかるめぇ。

「ドント・レット・ザ・サン・キャッチ・ユー・クライン」は黒人作曲家ジョニー・グリーンの作品。46年にルイ・ジョーダンとその楽団がヒットさせている。

のちにレイ・チャールズ、ポール・マッカートニーらによっでもカバーされたナンバーでもある。

ゆったりとしたテンポで、ブルーズィなメロディを喉から絞り出すように歌うドクター。なんとも粋だ。

レイ・チャールズ・サウンドを彷彿とさせるストリングス・アレンジもいい。

「ラヴ・フォー・セール」は、20世紀を代表するコンポーザーのひとり、コール・ポーターの作品。

30年初演のミュージカル「ザ・ニューヨーカーズ」中のナンバー。実に90年以上の長きにわたり愛されてきた、スタンダード中のスタンダード。歌詞がちょっと際どいのが特徴だ。

ジャズ・ファンにとっては、キャノンポール・アダレイとマイルス・デイヴィスの演奏が最も著名だろう。

ドクターは最初から、ビートに乗ってピアノ・ソロを弾きまくる。実に生き生きと。

終盤だけ彼のボーカルが聴けるが、これは曲を歌うというよりは喋りに近い。ピアノこそがこの曲の主役なのだ。

「モア・ザン・ユー・ノウ」はヴィンセント・ユーマンス、ビリー・ローズ、エドワード・エリスキュの29年の作品。ミュージカル「グレイト・デイ」中の曲である。

ユーマンスといえば、「二人でお茶を」の作者としてあまりにも有名だが、それと同じくらい名曲といえそうなのが、この曲だ。

優美なメロディで片思いの辛さを歌う、ラヴ・バラード。古き良き時代のロマンスが香るナンバー。

これをドクターは、あの塩辛い声で切々と歌い上げる。

リー・ワイリー、シェール、バーブラ・ストライザント、あるいはミシェル・ファイファーといった女性シンガーの美声によるバージョンとはまた違った、別のニュアンスがこの曲に生まれている。そう、報われないおとこ心の切なさだ。

ドクター・ジョンという祈祷師にかかれば、どんなに古くさいスタンダードも、現在進行形の音楽としてよみがえる。

あなたもぜひ、その秘儀の現場に立ち会ってみてほしい。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#429 RICKIE LEE JONES「浪漫」(ワーナーミュージック ジャパン/Warner Bros. 20P2-2085)

2023-01-20 05:34:00 | Weblog
2023年1月20日(金)



#429 RICKIE LEE JONES「浪漫」(ワーナーミュージック ジャパン/Warner Bros. 20P2-2085)

米国のシンガーソングライター、リッキー・リー・ジョーンズのデビュー・アルバム。79年リリース。レニー・ワロンカー、ラス・タイトルマンによるプロデュース。

ジョーンズは54年シカゴ生まれ。家庭環境に問題があり、10代で家出を繰り返す生活を送る。19歳でロサンゼルスに移り、ウェイトレスをしたりクラブで歌ったりして暮らすうちにシンガー、トム・ウェイツと付き合うようになる。

それが縁となってか、自作曲「イージー・マネー」がリトル・フィートのローウェル・ジョージのアルバムで使われ、自身もワーナー・ブラザーズと契約、デビューを果たすこととなる。

そんな彼女のファースト・シングル「恋するチャック」が本盤のオープニング。

これは結構ヒットしたなぁ。全米で4位、日本でもFM局でパワープレイされていた。

その勢いもあって、アルバムも全米で3位とめちゃくちゃ売れた。全くの新人シンガーとしては、とんでもないヒットだった。

「恋するチャック」は、ジョーンズの特徴、そして魅力が一曲に凝縮されている。彼女自身による作詞作曲(他の曲も同様)。

ちょっと高めで気だるい、ふわふわっとしたボーカル。都会で気ままに生きる女の心情が描かれている。いわゆるフラッパーってヤツだな。

ホーンを多用したジャズィなバック・サウンドもお洒落っぽい感じだ。これが、ノイジーなロック・サウンドにうんざりしていたリスナーに見事刺さったようだ。

ちなみに曲中で歌われている「チャック・E」なる人物にはモデルがいて、ウェイツと恋人同士の時代、ふたりと交友関係のあったミュージシャン、チャック・E・ワイスがその人。

彼はのちにシンガー・デビューしているから、興味の湧いた人はチェックしてみて。

このアルバム、参加ミュージシャンも大手レコード会社の肝煎だけあって、デビュー盤としてはえらく豪華だ。

有名どころだけあげても、ギターのバジー・フェイトン、キーボードのニール・ラーセン、ヴィクター・フェルドマン、ドクター・ジョン、ランディ・ニューマン、ベースのウィリー・ウィークス、ウッドベースのレッド・カレンダー、ドラムスのスティーヴ・ガッド、アンディ・ニューマーク、ジェフ・ポーカロ、マーク・スティーヴンス、サックスのトム・スコット、アーニー・ワッツ、トランペットのチャック・フィンドレー、コーラスのマイケル・マクドナルドなどなど。オーケストラ・アレンジはニック・デカロ、ジョニー・マンデル。

ジョーンズ本人もボーカルだけでなく、ギター、キーボード、そして今ホーン・アレンジと、多才なところを見せている。

「1963年土曜日の午後」はライブ録音。おそらく本人のピアノと思われる弾き語り。フォーキーな雰囲気のバラードで、ホーンが一本加わるだけのシンプルなアレンジがいい。

「ナイト・トレイン」はアコギ・サウンドをベースにして、エレピ、ストリングスも加わったナンバー。優しく大人なムードのバラード。

「ヤング・ブラッド」はラテン・パーカッションが印象的な、リズミカルなナンバー。ギターの刻むビートが心地よい。ホーン、コーラス隊も参加して、実に賑やかなサウンドだ。シングルにも出来そう。

「イージー・マネー」はフォービート・シャッフルの、オールド・ジャズ色の強いナンバー。

ジョーンズのアンニュイで掴みどころのないボーカルに、アコースティックなサウンドがマッチしている。

ローウェル・ジョージ版とはまた、味わいが大幅に異なるので、聴き比べてみるのも面白い。

「ラスト・チャンス・テキサコ」はアコギをフィーチャーしたフォーク・バラード。

この曲でジョーンズはわりと声を「張った」歌い方をしている。その歌いぶりから、真剣な思いが伝わってくる。

LP版B面トップの「ダニーの店で」は、再びオールドタイム・スウィング風のシャッフル。歌うような、喋るような、とりとめのない歌い方。これぞリッキー・リー節だな。

ノリノリなサウンドに、リスナーの気持ちもウキウキになれる。

「クールズヴィル」はピアノ弾き語りにバックが絡む、スロー・ナンバー。内省的な雰囲気で、アルバム中では異彩を放っている。

「ホワイト・ボーイズ・クール」はLAのミュージシャン、アルフレッド・ジョンスンとの共作。どことなくCSN&Yの曲を連想させるメロディを持つ、フォーク・ロック・ナンバーだ。

ジャズ、ブルースといったルーツ・ミュージックの流れを踏襲するだけでなく、フォークとの融合により新しいロックを作り出していこうという意気込みを感じる一曲。ジョンスンとのコラボによる、化学反応だろうか。

「カンパニー」もジョンスンとの共作だ。ピアノ、ストリングスの響きが美しい、別離のバラード。ジョーンズのボーカルも本気モードで、聴きごたえがある。

そして、ラストのピアノ弾き語り、「アフター・アワーズ」は静けさに満ちている。

それまでの人々が集って賑やかに過ごした時間が去って、孤独なひとときを迎えるジョーンズ。

それもまた、彼女の愛する時間なのだろう。

都会に、そして恋に生きる女性の心を、さまざまなスタイルで歌いあげるリッキー・リー・ジョーンズ。

多くの異性だけでなく、同性をも惹きつける魅力に満ちているひとだ。

猫のように気ままに、自由奔放に生きる彼女の歌は、われわれの願望を映し出す鏡のように思える。

いろいろな苦しさ、辛さを伴うのは知っているが、自由とはそれくらい魅力的なものなのだ。

すべてのストレイ・キャッツたちのための一枚、それが「浪漫」である。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#428 DREAMS COME TRUE「THE SWINGING STAR」(Epic/Sony ESCB 1350)

2023-01-19 05:15:00 | Weblog
2023年1月19日(木)



#428 DREAMS COME TRUE「THE SWINGING STAR」(Epic/Sony ESCB 1350)

ポップ・グループ、ドリームズ・カム・トゥルーの5枚目のアルバム。92年リリース。彼ら自身とマイク・ピラによるプロデュース。ピラはデビュー・アルバム以来の英国人プロデューサーだ。

92年というと、なんともう30年以上も前のアルバムではないか!

時の経過の異常なまでの速さに、目まいすら覚える筆者であった。

リリース当時、あっという間に300万枚を売り上げ、本邦初のトリプル・ミリオンという大記録を打ち立てたのを昨日のことのように覚えている。

久しぶりに聴き返してみて、筆者は改めてグループのモンスターぶりを再認識した。

ラジオのジングル風の「The Swinging Star」で本盤は始まる。つまり、アルバム全体をさまざまな曲を流すラジオ番組に見たてた、洒落た構成なのだ。

「あの夏の花火」は、ボーカルの吉田美和が作詞、作曲はベースの中村正人とキーボードの西川隆宏の共作。デビュー以来曲作りには一切タッチしてこなかった西川が、初めて手がけた曲だ。

ドリカムにおいて、作詞はほぼ全て吉田、作曲は大半が中村だが、一部は吉田も手がけている。アレンジは全て中村の手によるもの。

極言してしまえば、ドリカムは吉田のボーカルと中村の作編曲、このふたつの才能によって成り立っている。残念ながら、西川はグループとしての体裁を整えるための要員に過ぎなかったってことだな。

結局、西川自身、10年余り在籍しても自分の居場所を見つけられなかったのだろう、2002年に脱退している。

そんな彼ではあったが、「あの夏の花火」は伸びやかなメロディ・ラインが美しい良曲だ。

西川はこれとあと2曲しか作曲にタッチしていないが、彼の残した「いい仕事」として記憶に留めておくべきだろう。

「DA DIDDLY DEET DEE」は作曲も吉田による、跳ねるエイト・ビートが特徴的なポップ・ナンバー。吉田のボーカルのハジけかたがハンパない。

ピアノとかギターなどの楽器に頼ることなく、こんなふうに自由自在に曲作りができる彼女ってスゴいなと思う。天然コンポーザーとでも呼ぼうか。

「SAYONARA(ExtendedVersion)」は、ラテン風味のディスコ・ビートのナンバー。中村は70年代のTV番組「ソウル・トレイン」をしっかりチェックしていたんだろうなと思ってしまう、見事なファンキー・アレンジだ。

「行きたいのはMOUNTAIN MOUNTAIN」は、ダジャレなタイトルが楽しい、スウィング・ジャズ・ナンバー。ここで聴かせる吉田のボーカルは、まさに「平成の美空ひばり」とでもいうべき強力なもの。卓越したリズム感において、吉田はひばりと互角といっていいだろう。

中村のブラス・アレンジには、一分の隙もない。見事だ。

「眼鏡越しの空」は、再び吉田作曲のナンバー。切ないラブ・ソングだ。ブラス・セクションの響きが大人っぽいポップスに仕上げている。

B面トップに相当するのが、「決戦は金曜日(Version of “THE DYNAMITES”)」。先行シングルとしてリリース、グループ初のミリオン・ヒットとなったナンバー。

これがもう、完全にアース・ウィンド&ファイアーのトリビュート。ちょっと似ている、どころじゃない。

名曲「Let’s Groove」のノリを見事に再現してみせている。100人が聴いたら、100人ともそう感じるであろう出来ばえ。

こうなると、ここまで寄せ切ったアレンジャーの手柄というほかない。中村正人、おそるべし。

「涙とたたかってる」は作曲が吉田と中村の共作。ブラック・コンテンポラリー系のアレンジで、落ち着いた雰囲気に仕上がったバラード。

「HIDE AND SEEK」はファンク・アレンジでラップも聴けるナンバー。いかにも中村好みのブラコン路線だ。

「太陽が見てる」は「決戦は〜」と両A面扱いでシングル化されたナンバー。アースやラムゼイ・ルイスを意識したような、ラテン・テイストなファンク。

ドリカムはもともと、スウィング・アウト・シスターのような洗練されたポップ・サウンドを目指して結成されたグループだ。

日本固有の湿度の高いポップスなどは、はなから視野に入れず、海外の一番センスのいいアーティストしかお手本にしない、そういう目線の高さがサウンドに感じられる。

そしてリスナーも、その良さに気づいた事で、彼らは意外と早く(2年くらいで)表舞台に出ることが出来た。

リスナーの耳が、それまでの何十年間の音楽体験を経て、十二分に肥えていたからこそ、ドリカムはこれほどまでに成功したのであろう。

「SWEET SWEET SWEET」は、ハープ、ストリングス、ブラス・アレンジも加わったソウル・バラード。珍しく、男声ボーカルとの絡みもある。これはグループ・メンバーではなく、フランキーというシンガー。

極上のラブ・ソングのあとは、がぜん元気の出る「晴れたらいいね」で締めくくり。ご存知、TVドラマ「ひらり」の主題歌として、大ヒット(オリコン1位)したナンバーだ。

明るい曲調とはうらはらに、やたらと転調が多い複雑な構成の曲でもある。吉田美和、天然コンポーザーだけに、すげー曲を作るな。

そしてアレンジは、一聴瞭然のパート・バカラック・スタイル。ブラス・アレンジ、テンポ・チェンジなども完全にそのままだ。

思えば、バカラックは洗練された大人ポップスの本家みたいなものだから、スウィング・アウト・シスターに惹かれた彼らがそこにまで行きつくのも当然といえば、当然か。

ドリカムが持てる全てを発揮して作り出した、一大サウンド・ワールド。まるでディズニー・ランドのような、バラエティに満ちた音を楽しもう。

30年の歳月を、あっという間に巻き戻して、当時の自分に出会わせてくれるアルバムだ。

ドリカムは間違いなく、時の魔法使いだな。

<独断評価>★★★★

音盤日誌「一日一枚」#427 BON JOVI「CRUSH」(ユニバーサル ミュージック/Mercury PHCW-1100)

2023-01-18 05:51:00 | Weblog
2023年1月18日(水)



#427 BON JOVI「CRUSH」(ユニバーサル ミュージック/Mercury PHCW-1100)

米国のロック・バンド、ボン・ジョヴィの7枚目のアルバム。2000年リリース。ルーク・エビン、ジョン・ボン・ジョヴィ、リッチー・サンボラによるプロデュース。

約5年ぶりにリリースした本盤は、売れまくったアルバムだ。全米でこそ9位だが、全英1位、そして日本でもオリコン2位、なんとトリプル・プラチナに輝いている。

ボン・ジョヴィは84年にデビューしてその年に初来日、2年後にサード・アルバム「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」、シングル「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」で世界的にブレイクした。日本ではデビュー当初から人気があり、彼らの日本びいきの理由となっている。

そんな彼らもデビューして15年も過ぎると、見てくれや若さだけでは勝負出来なくなってくる。サウンドも陳腐化する。

そこで一旦活動を休止して、ジョンのソロ・アルバムを出したのちに、充電完了ということで本盤を世に問うた。

そして、見事に再ブレイクに成功したというわけだ。

オープニングの「イッツ・マイ・ライフ」はシングルでもヒットした。「リヴィン〜」にも似た哀愁味のある、いかにも彼ららしいロック・ナンバー。派手なコーラスが、やはりボン・ジョヴィには欠かせません。

「セイ・イット・イズント・ソー」は同じくシングル曲。ゆったりしたテンポのロック・バラード。どことなくビートルズ的なメロディとアレンジがポイント。

次もまたまたシングル。「サンキュー」はピアノをフィーチャーしたドラマチックなバラード。日本のTVドラマにも使われていたから、覚えている人も多いだろう。ストリングスのアレンジも美しい。

つまり、いきなりのヒット・シングル3連発という、すげー曲配置。聴きどころを全て冒頭にまとめちゃってる。DJ向けの配慮か?!

もう、ここで聴くのを終わりにしてもいいぐらいだが(笑)、それじゃあんまりなので続けます。

「トゥー・ストーリー・タウン」はミディアム・テンポのバラード。ギター・サウンドが、いかにも抜かりのない作りです。

「Next 100 Years」は、ポジティブなメッセージを持つロック・ナンバー。なんとこれは日本のアーティスト、J-FRIENDS(ジャニーズの連合ユニット)のために提供した曲なのだ(オリコン1位)。

両者を聴き比べてみると面白いのだが、ジョンが歌うと骨太のロックに聴こえる一方、ジャニが歌うとどうしてもフツーのポップ・ソングに聴こえてしまう。これは仕方ないか。

でも、ボン・ジョヴィの曲って、大勢で歌いたくなるような何かを持っているね。それは強く感じた。「イッツ・マイ・ライフ」を大勢のアマチュアがトリビュートしたビデオ、なんてのもあったし。

つまり「みんなの愛唱歌」なんよ、彼らの曲は。特別に歌が上手いヤツ、特別に声が高いヤツの独占物じゃないから、多くの人々に愛されるのだよ。

「ジャスト・オールダー」はアップ・テンポのロックンロール。高揚感のあるナンバーだ。

ハードなサウンドの中にもフォーキーなテイストもある。要するにまんまアメリカン。

「ミステリー・トレイン」は、アコギもまじえたフォーク・ロックなナンバー。終盤のリッチーのスライド・ギターがいい音を出している。

「セイヴ・ザ・ワールド」は、ストリングスも加えたスケールの大きいバラード。ハード・ロックをベースにして、ワンステージ上の大人向けロックをこの曲で完成させたといえる。

「キャプテン・クラッシュ&ザ・ビューティー」は、ギラギラのギター・サウンドが若々しい。ボン・ジョヴィ本来の魅力を発揮したロック・ナンバー。

「シーズ・ア・ミステリー」は、静かなフォーク・バラード。しみじみとした情感が伝わってくる。

「アイ・ゴット・ザ・ガール」はオルガン・サウンドが重厚なハード・ロック。静と動のメリハリが利いたナンバー。コーラスはさすがの迫力だ。

「ワン・ワイルド・ナイト」は米国盤ではラスト。ゲスト・コーラスを多数加え、圧倒的な熱量で送るヘビー級のロック。このコテコテ具合が、ボン・ジョヴィですねん。

「リヴィング・ラヴィン・ユー」は、エアロスミスあたりにもつながるサウンド。決してブリティッシュではなく、アメリカンなハード・ロック。

日本盤のラストは「ニューロティカ」。ひたすらパワーで迫る、押し相撲のようなロックンロール。どこか懐かしささえ漂う、伝統芸的サウンドだ。

以上、ボーナス・トラックも含めると14曲。特に目新しいサウンド、新奇なものはない。どれも一塁打、平和(ピンフ)みたいな、ソツのない作りである。

売れるかどうかでいうと、間違いなく売れるだろうな、と思う。

しかし、筆者のハートにグッと来たかというと、さほどでもない。「フンフン、こんなもんねー」という、いささか冷たい感想しか湧いてこないのだ。

これはボン・ジョヴィの音がありきたりでつまらない、ということではない。

要は、筆者にとってボン・ジョヴィが、思春期を共に過ごした友ではないということに帰結するんだろうな。

筆者が彼らの音楽を聴き始めたのは、週刊誌記者としてロックをレビューするようになってからで、いわば業界側の人間としてしか、彼らを見れていなかった。

そこにはZEPやCCRに対するような一目惚れとか、熱狂みたいな感情は微塵もなかったから、時代を経ての彼らの素晴らしいサウンドも、通りいっぺんのものにしか思えないのだ。

ロックとは青春の音楽なのだ、とつくづく思う。

誤解を恐れずにいえば、若くて、愚かで、未熟な者どもにしか、その良さを感じとれないのだ。

筆者が10年、いや5年だけ生まれるのが遅ければ、ボン・ジョヴィは永遠のロック・アイドルになっていたような気がする。

<独断評価>★★★☆

音盤日誌「一日一枚」#426 DAVID BOWIE「PINUPS」(RCA PD84653)

2023-01-17 05:05:00 | Weblog
2023年1月17日(火)



#426 DAVID BOWIE「PINUPS」(RCA PD84653)

英国のロッカー、デヴィッド・ボウイの7枚目のアルバム。73年リリース。ケン・スコットとボウイ自身によるプロデュース。

ボウイは72年のアルバム「ジギー・スターダスト」、シングル「スターマン」で世界的に大ブレイクしたが、その勢いで73年に2枚ものアルバムをリリースしている。それが「アラジン・セイン」と、この「ピンナップス」だ。

前者は「ジギー〜」のロール・プレイング路線のままで作られていたが、後者は一転して、全曲カバーというユニークな作りになっている。

ボウイと共にジャケット写真にうつっている女性は、モデルのツィッギー。

そう、60年代、超ミニのスカートで社会現象まで巻き起こした、あのおかただ。

彼女が最も活躍していた頃の、英国のビート・グループが本盤には勢揃いする。いずれも、ボウイが愛聴して、強く影響を受けていたバンドばかりだ。

日本人にも馴染みが深い60年代の英国バンドといえば、ザ・ヤードバーズだろう。「I Wish You Would」と「Shapes Of Things」の2曲がそれ。もっとも前者はオリジナルが米国のブルースマン、ビリー・ボーイ・アーノルドだが、ボウイはヤードバーズ経由でこの曲を知ったのだ。

特に後者のアレンジがカッコいい。ヤードバーズをさらにハードに、シャープに、パワーアップしたサウンドに仕上がっている。

ヤードバーズと並んでメジャー級なのは、ザ・キンクスとザ・フーだろう。

フーは2曲。「I Can’t Explain」と「Anyway,Anyhow,Anywhere」である。フーのファーストならびにセカンド・シングルであり、ボウイがいかに彼らに心酔していたかが、手に取るように分かる。ダルトリーばりのシャウトは、ボウイの新たな魅力だな。

キンクスは「Where Have All the Good Times Gone」の1曲。日本では特にヒットしていないマイナーな曲の、しかもB面だが、「You Really Got Me」や「All Day And All Of The Night」にも引けを取らない、イカした曲なのです。必聴。

そして、のちにそれらと同じくらいメジャーになったのがシド・バレット時代のピンク・フロイドだ。

曲は「She Emily Play」。Playをプライと発音する、コックニー訛り丸出しなところまで、しっかりカバーしていてクスリとしてしまう。最後のストリングスに至るまで、アレンジも凝っている。

これら4バンドよりだいぶんマイナーだが、ヴァン・モリスンを輩出したゼムも、ボウイのオキニだ。曲は「Here Comes The Night」。モリスンの白人らしからぬソウルフルな歌には、ボウイもかなり触発されたみたいだ。

日本ではほとんど話題にならないものの、本国では結構人気があり、ヒット曲も多いのがザ・プリティ・シングスだ。

オープニングの「Rosalyn」と「Don’t Bring Me Down」の2曲がそれ。単純なリフだが強力なビートに、若き日のデヴィッド・ジョーンズ少年はノック・アウトされたのだ。

それ以外は、いわゆるB級バンドのくくりになるかな。モージョズ、マージーズなんて、筆者もまるで知りませんでした。

でも、曲を聴くと、どこかで聴いたような感覚もある。「Everything’s Alright」、「Sorrow」がそれぞれのカバー曲だ。70年代のリ・アレンジにより、オリジナル以上にヒップな音になっている。

さらにはオーストラリアのバンド、イージービーツの「Friday On My Mind」なんてのもある。ビージーズがオーストラリアから出て来たことを考えると、米国よりむしろ豪州の方が共通の文化圏といえるのかも知れない。

全曲でバックを務めるのは、「ジギー〜」以来のレギュラー・バンド、スパイダーズ・フロム・マース。そのメインスター、金髪ギタリストのミック・ロンソンはアルバムの完成後脱退してしまい、しばらくボウイとは疎遠になる。

ロンソンのファンにとっても、そのサイケデリックなプレイを堪能できる一枚として、必聴盤といえるだろう。

ボウイのグラム・ロック・サウンドも、一朝一夕にして出来たものではない。これら60年代後半からの、膨大なポップ・ソングの蓄積の上に咲いた華なのである。

これを聴いてさらにオリジナルに遡ることで、70年代のロックをより深く理解出来るようになるはずだ。

企画ものとはいえ、知的刺激に満ちた一枚。一度だけで聴き捨てなんて、もったいないぜ。

<独断評価>★★★☆