このところプライベートの対面授業で(日本語ですよ)、面白い生徒と出会った。簡単に言うと「語学好きのミニマリスト(生徒B)」で、日本に来た目的は「独学で覚えた日本語をアウトプットする」そして「日本人とコミュニケーションをとり文化を知る」のようである。
日本留学2か月の後、アジア諸国を回るらしいので、どんな荷物で来ているのか尋ねると「17㎏のキャリーバッグ1個」とのこと。来日前もヨーロッパ内を転々と引っ越していたたため、どんどん身軽なミニマリストになってきたらしい。なるほど、何か物を買うにあたっても「これは本当に必要か?」と自問自答するそうだ。日本滞在中に増やせるのは、小さな甥っ子たちへのお土産のみという。かなり厳しい。
日本の日本語学校はいまだに「紙が多い」業界なので、グループレッスンで配布されるテキストやノート、プリント類で、通常は留学生の荷物は増えるばかりである。彼の場合コレにもやはり厳しく「いらない紙は捨てる」と徹底している。辞書はスマホのアプリを使い、メモは買ったばかりのタブレットに書きこむ。この留学のために必要なタブレットだけは購入したのだという。
以前に「荷物が増えすぎて、帰国前にスーツケースを購入した生徒A」がいたのだが、まったく対照的で笑いがでてしまう。ふたりの頭の中を覗いてみたい。日本語を学習する姿勢もまったく対照的だからだ。
生徒Aは完璧主義だった。「1番じゃなきゃ気がすまない」「ネイティブみたいにしゃべりたい」という。手書きできなかった「ひらがな・カタカナ」も2週間でスラスラ書けるようになり、グループレッスンで配布されたものを整理するためファイルを購入し、宿題以外の自習も熱心にして、ひとつ上のレベルに飛び級していった。その頃には彼は荷物の多さに悩んでいた。
一方生徒Bは、日常的にアウトプットが出来ていることに満足していて、興味がないことは覚えなくても良いと割り切っている。例えば彼も「ひらがな・カタカナ」はタイピングできても手書きができない。しかし「この留学が終わったあと、日本語を手書きすることが必要だろうか?」と自問自答して、練習するのをやめたという。もらったプリントはどんどん捨てて、いまの荷物は17㎏より1㎏(甥っ子へのお土産)増えただけ。
生徒Bは語学学習でもミニマリストなんだなぁ、と妙に納得した。彼の主義「必要以上に覚えなくてもOK」「ペラペラにならなくてもOK」に、共感すら覚える。彼は「日本語」私は「英語」、と言語は違うのだが。
私も、英語はペラペラ話す必要はないと思っている。ネイティブと同じ自然な表現が使えなくても、アジア諸国で共通語としてコミュニケーションをとる手段になれば、十分OKなのである。
ギュウギュウ詰め込む必要はないのだ。難しい表現や単語まで覚えなくても良いのだ。忘れちゃっても良いのだ。頭の中の断捨離と言えるかもしれないなぁ。
どんな風に、何から勉強するか、優先順位はひとそれぞれ。語学学習の方法も考え方も多様化してきているのを感じる今日この頃である。
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