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☆乾徳山 恵林寺(えりんじ)信玄公の月命日

2017-07-15 | ♠ 静岡・ 山梨・長野・八ヶ岳連峰周辺

 

午前中に北奥千丈岳と国師ヶ岳を登り終え、前から先送りになっていた「 恵林寺」に参りました

今日は信玄公の月命日と調べての御参拝です

 

前回は、登山・日帰り温泉後、

「すごく立派な仏閣だわねぇ」くらいで門前まで行ったのですが拝観は終了していました(*´▽`*)

 

拝観時間  午前8:30~午後4:30(年中無休)
宝物館は、12月~3月の間は毎週木曜日が閉館となります

 

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元徳2(1330)年、夢窓国師が開創した名刹恵林寺は、信玄公の菩提寺として知られています

国指定名勝の庭園は、池泉回遊式庭園で夢窓国師の代表作に数えられます

 

恵林寺公式HP コチラ

 

topフォト

四脚門(赤門)

 恵林寺の山号である「乾徳山」の額を門の上に堂々と掲げている。

↓ 

重要文化財恵林寺四脚門

  

四脚門から振り返って、 参道です

 

三門

四脚門(赤門)をくぐり庭園を進んでいくと、次なる門が見えてくる。

県の重要文化財に指定される三門である。

この三門には織田信長の焼き討ちで壮絶な火定を遂げた快川和尚の遺偈が掲げられているが、

現在のこの三門は、まさしくその悲劇の現場に建てられている。

 

 

開山堂

三門をくぐって正面に見えるのが甲州市指定文化財の開山堂である。

夢窓疎石(むそうそせき)、快川紹喜(かいせんしょうき)、末宗瑞曷(まっしゅうずいかつ)の三像が堂内に安置されている。

 

 

 

 

 

庫裡

禅寺のなかでもめずらしい、日本有数の大庫裡。

信長による焼き討ちの後、徳川家康によって再建された壮大な伽藍は、明治38年の火災によってそのほとんどを焼失。

現在の本堂、庫裏も、明治末期に再建されたものである。

戦中には東京の学童疎開の場となり小学生約150人が寄宿生活を送った場所である。

 

 

 

 

 

 

 方丈庭園

本堂の正面を進むと、左手にみえるのが枯山水式の庭園である。

力強い枝振りの松がそびえ、西の端に勅使門がある。

 

 

  うぐいす廊下

日本の古来の建築物に見られる、人が床の板の上を歩く事によりきしみ音が鳴る様につくられた仕組みを、うぐいす張りという。

外部侵入者の危険探知の為に設けられたのがはじまり。

廊下を歩くと、うぐいすの鳴くような音が聞こえてくる。

 

 

 

 

墓所特別公開

 *通常非公開(毎月12日のみ特別公開)

 

 

武田信玄公墓所

明王殿のうらに信玄の墓がある。1521年生まれ。

16歳の時、晴信と名乗り39歳で出家し信玄(僧名)と号す。

1573年、53歳で亡くなった信玄公はここに眠っている。

 以来、命日の4月12日には毎年供養が行われており、武田家家臣の墓約70基も信玄公を慕うかのように墓所後陣に並んでいる。

 

 

武田信玄の家紋武田菱

 

 

 

恵林寺庭園

国の名勝指定を受けている庭園。

今日、恵林寺の庭園は、京都嵯峨野の天龍寺、嵐山の西芳寺(苔寺)庭園とともに、夢窓国師の代表的な築庭庭園として有名である。

700年近い歴史を経たその姿は、四季折々に違った情景をみせる。

 

 

 春の枝垂れ桜は見応えあり素晴らしい☆

 

  廊下を挟んで反対側の池

 

 

 座禅が終わった瞬間!地元の高校生たち

 

 

静かに座って観賞できるよう椅子でしょうか?

 

 

 

 

 

 庫裡の鬼瓦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

=参考文献=

恵林寺HPみどころ参照

 

次はご近所の<高橋山放光寺>へ参ります

 

 

 


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