山から下りて甲府市内に初めて訪れました
甲府は今まで通り道で甲府盆地を眺望していただけですが、市内は区画整理されとてもキレイな街並みです
ナビを頼りに区画された武田通りのサクラ並木を通過、武田神社に着きました
朱色の神橋を渡って
武田神社
御祭神 武田信玄公
武田神社は、武田信虎・信玄・勝頼の武田家三代が約60年間国政を司った躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)の広大な跡地
お濠と土塁に囲まれた緑深い森の中心に社殿が静かに佇み、境内に入るとまさに戦国時代を感じる空間となっています
狛犬はとても大きくて天に向かって威風堂々と感じるものがあります(^_^)v
左の狛犬の後ろに見えるのは「三葉の松」かしら
とても印象的なのは武田軍の掲げた幟の旗が警護しているようで、神社としても異彩を放っています
戦国時代の歴史が好きな方はこの雰囲気だけでもワクワク感じ取ることができますね
参道の茶色っぽく見えるのはサクラの花柄で散ったあと(´▽`*)
少し名残りサクラがあったので、、、証拠として撮影して(゜∀゜)↓
甲府は盆地ですので温かいのですね、甲府市内を外れるとまだまだサクラは満開でしたが・・
御手水舎
屋根にも柄杓を置く台も、武田家の家紋である「武田菱(たけだびし)」
まずは拝殿に向かい、戦国最強と呼ばれた「信玄さん」にお参りです
拝殿の両サイドの朱塗りの大盃は、あまり神社では見たことはありませんね
戦国武将・武田信玄をより身近に感じる栄華の一つでしょうか
建立は大正時代と比較的新しい神社
どっしりとした茅葺(かやぶき)の屋根や、精巧に組み上げられた柱など堂々とした風格があります
授与所 へ
若い巫女さんが「よう お参りでした」と言われた時フット???、昔を思い出した
今、神社参りをしていてよく聞く言葉だが、若い巫女さんの低い声がなんとも堂に入ってー
亡父の亡従兄が神主さんでよくお参り(遊び)に行っていた
○○ちゃん、「よう お参りでした」とニコニコしていた事を思い出した
この言葉は、男女・年齢問わず決まり文句みたいですね
延命長寿 万病退散
100円で空の武田菱の図柄のペットボトル代を納めました
↓
神社というより戦国武将の落ち着いた屋敷ですね?
悠仁親王殿下 御印の「高野槇」
(秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第一男子)
「高野槇」は由緒ある神社仏閣でよく見かける樹木です
違う場所にも ↓
サクラが終わって、花ミズキのつぼみがふくらんでいます
この辺りで「コケコッコー」と鳥の鳴き声が聞こえたのですが、、
敷き詰めた白石は昨日の祭事で使用したのでしょうか?
空のペットボトルを持って
姫の井戸のお水
↓
龍神様の取水口からボトルにいれました
井戸の水は信じて疑わないんですが、大丈夫ですよね
明日のコーヒーに使います
武田の水琴窟
竹の筒に耳をかざし、数秒後透明な音色が、、地中で零れ落ちる水の音を楽しむ
喧騒から脱した静かな場所です→ お勧め(*^^)v
<榎天神社>
戦国時代最強と言われた甲斐の国の守護神であるばかりではなく、
「勝負運」の御利益、「勝運」のご利益が挙げられています
勝負事に限らず「人生そのものに勝つ」「自分自身に勝つ」
境内の御神木の場所に学問の神様、菅原道真が祭っています
能舞台「甲陽武能殿(こうようぶようでん)」
「甲陽」とは、命名者 観世喜之師の座右の書である、甲斐武田氏の軍学書「甲陽軍艦」より引用されている。「甲陽」の意は甲斐の国の輝く様を表している。
武能とは、武田氏の「武」であり能楽の「舞」と同じ音につながり、古来より武芸を嗜む者は同時に舞をも嗜み、その拍子を己の武芸に取り入れたと伝えられている。
この武田の社に築かれた輝かしい舞台において、能楽を始め神楽また演武といった芸能が未来永刧演じられる事を願い命名された。=HPより=
奉納の舞「武田の杜薪能」が上演されます
篝火(かがりび)が焚かれる幻想的な野外ステージで、繰り広げられる伝統の舞
武田信玄も好んだと伝わる能は、新たな武田神社の風物詩となっています
↑
野外ステージになるのでしょうか?
武田の杜 ↓ で??
武田氏館配置図
甲陽武能殿から少し歩いて橋の上かしら、、堀に来ました
なんと鶴ですよねぇ、ずっと頭を池に突っ込んで餌を食べていたのですが、見事一瞬の撮影☆
引き返すとこんな風景、若葉も爽やかな境内です
今日は夕方から雨予報でしたが何とか持っています
15:00ごろ武田神社をあとにした
鳥居前の階段から撮影!遠方に山々が見え甲斐の国に来た感じがします
それではちょっと一望できる「武田の杜」に 足を運んで帰ります
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