札幌の中心地にある北海道神宮に行って参りました
その日は大安とあって「結婚式」「七五三詣り」を傍観
円山公園と隣接する北海道総鎮守の神社です
駐車場からの令和の大鳥居をくぐり参道へ
緑豊かな参道は、清く静寂で整然とした美しさを醸しだし厳かでした
神門のお洒落な「しめ縄飾り」
明治2年、明治天皇の詔による東京の神祇官において
大国魂神、大那牟遅神、少彦名神の開拓三神を祀る
イチイの実
御朱印
北海道開拓時代、、東京から函館と社を移した
末社である開拓神社には間宮林蔵などの北海道開拓の功労者が数多く祀られています
こちらの敷地は「祓いどころ」でしょうか?
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開拓判官・島 義勇(しま よしたけ)
「蝦夷」が「北海道」と改称されたのは明治2年(1869)
義勇は、札幌市街地の区画を決めて極寒と激しく降りつのる雪に苦しみながら
原生林を伐り開いて築かれた札幌の町
それは誰がどのように開発して誕生させたのか
作家・泉秀樹氏が歴史の現場を取材した記事が目にとまった
下記 札幌を作った男「歴史を歩く」から転載
島義勇 プロフィール
義勇は佐賀の下級藩士・島市郎右衛門(25石)と妻・つねの長男として
文政5年(1822)9月12日に佐賀城下・西精(にししらげ)(佐賀市与賀町精小路)に生まれた。
9歳で藩校・弘道館の蒙養舎に入り、天保7年(1836)蒙養舎を卒業し、
ひきつづき弘道館に学んで普通は25歳で卒業するところを23歳で卒業した。
たいへん優秀だったということだ。
弘化元年(1844)のことで、同じ年に家督を継ぐと、
義勇は成績優秀な者にあたえられる3年間の諸国遊学の特典を得て旅に出た。
そして、水戸の儒者であり水戸斉昭の側近であった藤田東湖らと交際したという。
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開拓判官 島義勇さんはハンサムですね
* 駐車場に向かう参道で可愛いエゾリスに遭遇
大鳥居前に六花亭の茶屋さん
昔から“神社仏閣の近くには、和菓子の老舗名店あり“ です
判官さま餅
そば粉入りお餅、鉄板からの焼きたてで、グングン伸びます
餡も旨いし、110円、お安い★★★★ 持ち帰れないのが減点ね
* 六花亭の御菓子が小袋で多種売っています
初めて見る和菓子を、自分用に多種買いました(*'▽')
駐車場を出た先に、気になる建物が、
「宮の森フランセス教会」
1800年代から実際に使用されてきた歴史と伝統のある大聖堂を
1995年に南フランスから移築して建てられた教会らしい、今は結婚式場に使われて、、、
雨も降り続き、行きたいところは諦め、お昼ご飯、ラーメンを頂きます
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